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先月(2017年6月)

Tuckerさんのレビュー一覧

投稿者:Tucker

252 件中 1 件~ 15 件を表示

1羽のスズメにも5分の魂

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

第二次世界大戦中のロンドン郊外で、丸裸で目も見えていない生まれたばかりのスズメのヒナが著者に拾われる。

夫人は、ヒナを毛布でくるみ、暖かいミルクを与えたが、内心、翌日までもたないだろうと考えていた。
が、ヒナは奇跡的に回復。それはスズメとキップス夫人の12年間にも及ぶ同居生活の始まりでもあった。

この話の主人公であるスズメのクラレンスは、日本のスズメとは異なるイエスズメという種類のスズメである。

イエスズメは頭に灰色の帽子をかぶり、頬の黒斑はない。頬の黒斑がない点では、ニュウナイスズメも一緒だが、こちらとも異なる種類である。
日本のスズメに比べて人懐っこいが、米粒には興味を示さず、パンくずが大好物らしい。

最初、スズメが12年も生きるものなのか、と思い、少し調べてみたが、飼育下では14年生きた記録があるという。
野生だと2,3年程度の命だと言われている。それを12年も生きさせたという事実だけでも著者のクラレンスに対するこまやかな気配りがうかがい知れる。


著者は、クラレンスとの暮らしの中で、このスズメの特異な才能を2つ発見する。
一つは、芸人・・・もとい芸鳥としての才能、そしてもう一つは音楽家としての才能である。

前者は、空襲からの避難所で人々をなぐさめ、一時、かなりの人気者になったらしい。残念ながら後者の才能は、見知らぬ人がいる前ではほとんど発揮しなかったそうだ。

とかくこういう本では、過度に擬人化したりする傾向があるが、終始、感情的な記述は抑え気味であり、客観的な事実のみを伝えようとしている。
逆にそのような姿勢がクラレンスの「才能」を際立たせている。


ところで、このような話を聞く度に、どこまでが本能による自動的な行動で、どこからが本能を超えた行動なのだろうか、と考えてしまう。
少なくともクラレンスは、著者を他の人間とは違う「個人」として認識、信頼し、愛情を示していた。
また、偶然かもしれないが人間が取るような行動とそっくりのしぐささえ見せた。

過大評価も過小評価も禁物だが、個人的には鳥にも「心」は、存在すると思う。
(「心」というものをどのように定義するかにもよるが、すくなくとも喜怒哀楽を感じるレベルの心はあると思う)


クラレンスは1952年8月23日に老衰のために死亡している。
最後に一声、鳴いたそうだ。
(スズメ語で)著者の名を呼んだか、別れの挨拶をした、と思いたい。

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紙の本ネコに金星

2013/03/03 17:52

鋼のネコ写真術師

11人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

世界的に有名な動物写真家であると同時に(筋金入りの)ネコ写真家である著者のネコ写真集。

著者のネコ写真は、写真家らしい絵のような瞬間やおもしろおかしい瞬間は意外に少なく、写真の中のどこにネコがいるのか、パッと見ただけでは分からないようなものさえある。

圧倒的に多いのはネコが生活をしている写真。
著者はネコを求めて47都道府県すべて制覇し、2周目に突入しているほどの人。(海外でも撮影したネコ写真の本もある)

そんな著者だからこそ、ネコ達も様々な顔を見せるのだろう。

今にも話しかけてきそうな顔、
警戒して睨みつけている顔、
興味津々で見つめる顔などなど。

ネコは(時にだが)人間など何するものぞ、と思っている、と言われるが、一緒に暮らしていると、やはり何かしら影響を受けるらしい。

著者は
「ヒトに余裕があれば、ネコにも余裕があるようにも感じます。
忙しくヒトが動く都市部では、ネコの動きも慌しいように見えてきます。」
と言っている。

語れるほど、詳しくネコを観察しているわけではないが、やはり、ネコには気儘に、のんびりしていて欲しい。

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星野之宣流味付け「星を継ぐもの」

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

J・P・ホーガンの「星を継ぐもの」を星野之宣がマンガ化したもの。
2011/07時点で、ビックコミックで連載中である。ちなみに星野之宣は、かつて「未来の2つの顔」(J・P・ホーガン)もマンガ化している。

ストーリーは
205X年、月面で宇宙服を着た一人の人間の遺体が発見された。
当初、何かの事故に巻き込まれたものと思われたが、調査の結果、関係者全員、頭を抱える事態になってしまった。

死亡推定時刻:約5万年前

人類がまだ石器時代の頃、人類そっくりの生き物が宇宙服を着て、月面を歩いていた・・・。
発見された遺体は人類であるはずがない。が、調べれば調べるほど共通点が浮かび上がってくる。

一体、この人物は「何者」なのか?
というもの。

人によっては、「ミステリー」だという人もいるが、自分は「SF」(それも文字通りの意味での)だと思っている。


当然、と言えば当然かもしれないが、原作を100%忠実にマンガ化しているわけではない。

例えば、発見された遺体(「チャーリー」と名づけられる)は早々に火災事故で失われてしまう。
これに関しては「DNA鑑定をやれば?」というツッコミに対応する手段だと思う。(原作が発表された1977年ではDNA鑑定は精度が悪い)

他にもいかにも「悪者」といった感じの組織が登場してくるが、今回は自己紹介程度の登場だった。

1巻は、ガニメデで宇宙船が発見されたので、調査に向かう所まで。
最初の巻らしく、主要登場人物の紹介と謎の大風呂敷を広げるのがメインになっている。

今後、星野之宣は「星を継ぐもの」にどういう味付けをしていくのか、注目したい。

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紙の本あの日からのマンガ (BEAM COMIX)

2011/10/15 20:55

まだ途中

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「あの日」とは、東日本大震災が発生した 2011/03/11 のこと。

朝日新聞夕刊に連載されている4コママンガ「地球防衛家のヒトビト」と「月刊コミックビーム」「小説宝石」に掲載された震災及び原発事故がテーマの短編が収録されている。
テーマがテーマだけにマンガのネタにしてしまっていいのか、とも思うが、作者は「”たとえ間違えているとしても、今、描こう”と思いました」と覚悟の上だ。

作者自身、震災1ヵ月後、ボランティアに行っているので、被災地の状況や避難生活をしている人達の暮らしぶりの描き方には、実感がこもっている。

印象的なのは、建物の被害もあまりない地域から、津波の被害にあった地域に入った時の様子。
「とつぜん、なにもなくなった・・・」
という一文と、その後、瓦礫を描くコマが4コマ続く。

その落差を思い浮かべると、ゾッとするものがある。

それから、東京へ帰るので、別れの挨拶をするシーン。
「みなさん、今日、これからは?」
と聞くと
「今日、これからも何も・・・
 ず~~~~~っと復興です」
という答え。

遠い昔に終わった事のように思えてきてしまうが、被災地の人にとっては、まだまだ「途中」でしかない。


それでも4コママンガの方は、「エッセイマンガ」のような感じだが、短編の方はかなり痛烈な皮肉が込められている。
エネルギーシフトをした結果、暮らしは不便になったが、キレイな夜空を取り戻した、という話や放射性物質を擬人化したブラックな話、延々と議論ばかりしていて、事態を少しも前に進めない鳥のいる森の話などなど。
様々な意味で胸に突き刺さるものばかり。

短編の中で、一番、印象的なのものは最後に収録されている「そらとみず」
この短編には、セリフらしいセリフは出てこない。悲しい話なのだが、ラストに救いを感じるものだった。

震災から時間が経ったが、まだ何も終わっていない、という思いを新たにした。

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紙の本なつかしい時間

2013/05/05 23:28

普遍的なのか、人は変わらないのか

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

詩人である著者がNHKの「視点・論点」で語った内容をまとめたもの。
17年間の集大成という事だが、言っている事には、全く古さを感じない。

中には最近の事を言っているのかと思って、章末の放映日付を見てみると、5年、10年前だった、という事もしばしば。

例えば「受信力の回復を」という章。
「一方的に発信する言葉だけが容易に手に入る今の世に、確実にうしなわれてきてしまったのは、他者の言葉をきちんと受信し、きちんと受けとめられるだけの器量をもった言葉です。」
という言葉があった。

てっきり最近の事を言っているのかと思ったが、章末の放映日付を見てみると「1998年7月2日」

他にも、「手に入れる」だけの文化から、「使い方」の哲学を持つ文化への転換を、という「使い方の哲学」は「2001年3月14日」の放送。
我を絵に見る心、つまり全体と細部を同時に見渡すような心を持つべきと論じた「風景が主人公」は「2008年1月23日」

著者の論点の鋭さ、深さのためか、人は、そんなに変わらない事の証明なのか。

詩人だけあって、言葉やモノの見方(感受性)をテーマとしたものがほとんどで、考えさせられるものが多い。
個人的には新書は「入門用」のもので、繰り返し読むものは少ない、と思っているのだが、これは数少ない例外。
・・・というより、1回目では消化不良になってしまった。

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「あの日」のこと

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「野鳥・家庭菜園・猫・方言から、わんこそばやカマキリや夕焼けやガスタンクまで、“日常”のすべてをネタに綴られる北東北ベッドタウン・身の丈ワイルドライフ!」(HPより)

いつもは、身の回りの(どうでもいいような)事をネタにしているが、「“日常”のすべてをネタに」しているからこそ、今回は、3/11の「あの日」の事も書かれている。
・・・というより書かない訳にはいかなかったのだろう。

印象に残ったのは、
「私には少しも壊れていない家があり、家族・友人も皆、無事で、ガスも水も食料も暖かな布団もある。
なのに怖い。
快適な文明生活なんて、うすっぺらい金魚鉢のようなものだと気付いてしまったことが怖い」
という部分。

大雪が降っただけで、東京の交通網がマヒするのだから、それよりスゴイ事が起きたら、どうなるかぐらい、想像できてもよかったのだが、そんな事は起きるわけないと、どこかで思い込んでいたのかもしれない。

東日本大震災が起きた後や、その後の計画停電で、いかに電気に頼りきった生活をしているのか、と思い知った。

その時、感じたのが「夜の暗さ」と「月の明るさ」(計画停電があった時のうち、1回は満月だったので)「機械の動く音のしない家の静けさ」だった。
作品中の言葉を借りれば「快適な文明生活」を築いたのではなく「別世界に閉じこもった」だけなのかもしれない。

作者は、それでも日常を取り戻そうと自分の役割を務める人々を見て、自分もまた「普通の日常」を描いていこう、と決心する。それが自分の「役割」だから。


今回は「あの日」の事が描かれていたので、そこのみの感想を書いてしまったので、深刻な話ばかりの印象を与えてしまったかもしれないが、実は震災の話は、ごく一部のみ。
99%は、いつもの「とりぱん」である。

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サヨナラだけが人生さ

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

一人の男を突然、襲った悲しい出来事。そして、その後の一年間を描いた作品である。

その「悲しい出来事」とは「妻の死」

正直、一回目は読むのがつらかった。それは不快な表現があるから、とかいう類の理由ではない。
誰にでも起こりえる事であり、あまりに痛切すぎるから。できれば、何十年か先になったら、考えたい事だったからだ。
「1回だけだとしても多すぎる」という類の出来事なので、できれば経験したくない。


冒頭に「大切な人を失ったすべての人に。そして大切な人がいるすべての人に。」と掲げてあるが、おそらくこの一文はタテマエであろう。
著者自身が気持ちに一つの区切りをつけるため、というのがホンネだと思う。

作品中、葬儀社の人と葬儀の内容について話をするシーンがある。
当初、著者は「来てもらうだけでいい」と希望するが、葬儀社の人に「何か形があった方が送り手の方が安心するものだ」と言われ、花か線香をあげてもらう事にした、という件がある。

著者にとっての「形」がまさに「この作品」という事であったのだろう。
(ちなみに自分の親類でも同じように自費出版の本にまとめた人がいた。(こちらは大往生だったが))

そして、ある「一言」を言いたいためだったのだろう。
口に出してしまったら、妻の死を認め、忘れていくのではないかと恐れて、あえて使わなかったのでは、と思えるほど、作品中、出てこなかった一言。
だが、言えなかったためにずっと心残りであった一言。

・・・「さよなら」と。

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紙の本ノッポさんがしゃべった日

2011/03/20 22:45

一生懸命やっていますか?

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

でっきるかな♪でっきるかな♪
 はてはて ふむー♪

という曲を聴けば、多くの人がすぐに”あの番組”を思い浮かべるだろう。

登場人物は2人だけ。正確には1人と1匹と言うべきだろうか。

1人はスラリと背が高く、軽やかなステップで、毎回、いろいろなものを作り出す。が、一言もしゃべらない。
1匹は大きな赤い鼻に帽子、「フゴ、フゴ」としか言わず、作ってもらったオモチャで大喜びで遊ぶ得体のしれない生物。


そう”あの番組”とは
「できるかな」
である。


放送された期間は1967年4月から1990年3月。実に20年以上続いている。
子供の頃、これを見た後、マネして、いろいろなものを作ろうとした人も多いだろう。自分もそのクチだった。

この番組の最終回では、これまで一言も喋らなかったノッポさんが喋った。

ただし、言った言葉は
「うわあ、しゃべっちゃった」

「さようなら」
だった。


劇中、一言も喋らなかった人が初めて喋った時は、別れの時、というのは後の「ラストサムライ」の”寡黙な侍”役の福本清三を思い起こさせる。
(↑大げさ)

トム・クルーズがパクったか!?
(↑そんなハズない)


本自体の感想より「できるかな」の話ばかりになってしまったが、この本はノッポさんこと、高見映氏が番組終了後、自分自身や共演者、スタッフなどの仲間達の事を書いたエッセイである。

意外だったのは、高見映氏自身はダンスは得意だったが、工作はからっきしダメだったという事。

本人曰く
「年季の入ったブキッチョ」
「一つの仕事を長くやれば、どんや人でもたるんでくる。でも不器用だからこそ、毎回、一生懸命やらなくてはならないから、かなりの割合で弛むのを食い止めてくれた」

スタッフの長たる枝常氏曰く
「僕は努力したのではなく、苦労したのです・・・。」


ところで、「できるかな」終了後、”ノッポさん”と”高見映”の間で悩みがあったのが窺い知れる。
一般的に、ある役を長くやりすぎると、その役のイメージで固まりすぎ、別の役ができなくなってしまう事があるが、高見氏もしばらくは、この事で悩んでいたようだ。
だが、高見氏は”ノッポさん”と共に歩む事を決意する。

この事について、多くは語られていないが、高見氏の謙虚さから想像するに、ファンの事を考えての決意だろうと思う。


それから、本の中で一番、印象的だったのは、
「仕事は”うまくやる”のではなく、”一生懸命やる”」
という言葉。

ノッポさん(とあえて、こう呼んでしまうが)は、自分は大したものは何も持っていない、と思い込んでいるらしい。

ただ何もないからと言って、あるかのように装ったり、ばれたりしないように身構える必要はなく、それならそれで仕方ないから、後は一生懸命やるだけだ。
・・・という事を自分の講演を聞いた小学生達の感想文を紹介している中に紛れ込ませている。少々、照れくさかったらしい。

この本のところどころに、こういったノッポさんの謙虚さが滲み出ている感じがする。


本を読み終わった後、長い事、仕事をしているが、たるんではいないだろうか、と自分で自分に聞いてみる。

思わず身がすくんでしまう。

ノッポさん、以後、注意します。

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フランス革命 裏面史

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「ムッシュー・ド・パリ」
それはパリの死刑執行人の別名。

本書は、その4代目当主、シャルル-アンリ・サンソンの半生を紹介したもの。
本来、死刑執行人は注目される事はないのだが、ある出来事が彼の名を後世に残すことになる。

それは「フランス革命」
フランス革命で処刑された人のほとんどすべてに関わったのだ。

シャルル-アンリ・サンソンが職務を実行した記録は、そのままフランス革命の歴史。
本来ならば記録にも残らないはずの死刑執行人の目から見たフランス革命の裏面史、と言える。


シャルル-アンリ・サンソンは信心深く、自らを厳しく律する人物だったと言われている。

当時、死刑執行は一般公開(というよりお祭り騒ぎ)されていたため、死刑執行の場で問題が起きた時、自分が真っ先に批判を浴びてしまう。
場合によっては興奮した群集に囲まれるなど、身の危険さえある。
が、そんな事情以上に、彼自身、パリ市民から理不尽な差別を受けていたからだろう。

彼ほど、自分の行動が、自らの意に反することになってしまった人物も珍しいかもしれない。

死刑執行人でありながら、死刑廃止論者。
これは、皮膚感覚として染み込んだ死刑制度に対する矛盾の発露だろう。
また、国王から死刑執行を任された身でありながら、その国王の処刑で手をくださなければならなかったことには、特に葛藤があったようだ。

さらに残虐な刑罰に対して反対であったが、ギロチンの発明に携わったこと。
ギロチンの方が死刑囚に苦しみを与えることなく、処刑できる、という事でギロチンが導入されるが、逆にそのギロチンで、一族の中で最も多くの人間を処刑しなければならなくなってしまった。

本書の最後は「死刑制度廃止」の(著者の)主張になっている。
それについて、賛成・反対は、軽々しく言えないが、死刑制度がある限り、手を下さなければならない人も必ず存在する、という事も忘れてはならないだろう。

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紙の本華氏451度

2012/02/11 22:57

「進歩」は「退化」?

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本が禁制品となった世界。
本は麻薬か伝染病のように忌み嫌われ、発見次第、焼却処分される。

主人公ガイ・モンターグは本の焼却処分を行う「焚書官」
「逆消防士」とでも呼ぶべき仕事。

モンターグは、とある焼却処分の現場で、偶然から禁制品の本を手にしてしまい、自らの仕事に疑問を持ち始め、ついには追われる身になってしまう。
ちなみにタイトルの”華氏451度”は、摂氏だと233度。この温度は、紙が自然発火する温度だという。

巻末の解説によると1950年代のアメリカのマッカーシズムを風刺するために書かれたらしい。
だが、モンターグの上司ビーティの語る「焚書官の仕事の来歴」の話は、今の事を言っているのでは、と思えるほどだ。

曰く「テレビなどのメディアが発達し、スピードを求められるあまり、複雑な事は省略され、短く単純化される」
曰く「深く考察することは敬遠されるようになり、様々な事は、ますます省略・単純化される」
曰く「手っ取り早く、結果だけ手に入れられるものが好まれる風潮が広まる」

伊坂幸太郎「魔王」の中で出てきた
「お前たちのやっていることは、”思索”でなく”検索”だ」
というセリフがふと頭をよぎった。


「分かりやすい一言」の連呼。
なんでもかんでも単純な「二項対立の図式」に還元する手法。
どこかの国でよく使われているような気がするのは、考えすぎだろうか。

さらにグサッとくるのは、本作の中で、本が禁制品になったのは、暴走した政治家が勝手に決めたのではなく、多くの一般の人が求めた結果、という点。
政治家は一般人に何一つ強要などしていないのだ。

「進歩」「発達」だと思っているものは、実は(ある意味)「退化」なのか、と思ってしまった。

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紙の本「空気」の研究

2011/06/11 22:24

絶対的な権威「空気」

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「空気」と言っても、毎日呼吸している「空気」ではなく、「空気読め」とか言われたりする場合の「空気」についてである。

読むきっかけになったのは、東日本大震災による福島原発事故に関する東京電力の会見や関連報道でどうも一般の常識が通用しない、と感じられる事が多かったからだ。

当初、あくまで「メルトダウン」という言葉を使おうせず、事故を小さなものとして扱おうとしたり、原発賠償条約非加盟の理由の一つが「原発が安全でない、という印象を与えるから」というものがあった。


専門家集団が出した結論が論理的な判断による決断ではなく、論理を飛び越えた判断による結論になってしまっているのだ。
つまり「空気」による判断が働いたのだろう。

本書では「空気」による判断が働いた例として、「戦艦大和の沖縄出撃」や「公害問題」が使われており、時代を感じるが、それだけ昔から「空気」による判断、というものが存在していた、ということだ。


では、なぜ「空気」がその場(または時代)を支配してしまうのだろうか?


それは、自分達が相手にしているものの背後にいつしか「何か」を付加してしまい、それに自分達が支配されてしまうからである。

原発の話に当てはめてみると、「原発は安全だ」という事を強調するあまり、この言葉自体が「ご本尊」のようになってしまい、
これに支配されるようになったのだろう。
そして「原発は安全だ」という「ご本尊」を脅かすものについては、排斥していったのだと思われる。


「空気」による支配の特徴の一つに「空気」が雲散霧消した場合、第三者から見ると、なぜそんな熱心になっていたかがさっぱり分からない、という点がある。こういう点も非常によく似ている。


ところで、「空気」による支配を雲散霧消させる手段は「水を差す」事だ。
熱中している関係者達に冷や水を浴びせかけるような、冷静な一言の発言が、「空気」を消し去る力になるらしい。

ただ、この「水を差す」人は、周囲から仲間はずれにされやすい。
それを恐れて、何も言わないままの人を単純に責める事はできないだろう。

理想は「笑い」というオブラートでくるんで、チクッと刺すのが、いいのだろうが、そんな芸当のできる人が都合よくいたりするだろうか。

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ある中くらいのフクロウの記録

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


以前に読んだ「ある小さなスズメの記録」のフクロウ版。

1985年のヴァレンタインデー。著者が大学で生物学を学びながら、同時に研究助手として働いていた時、ある生物学者に生まれたばかりのメンフクロウの雛に引き合わされる。

その学者から、この雛は翼を傷め、野生には戻せないので、引き取ってみないか、ともちかけられるが、その言葉よりも前にすっかり雛に夢中になっていたので、一も二もなく引き受けることに。

「ウェズリー」
それが、引き取ったメンフクロウの名。

図鑑や論文には書かれていない生態や知能を見せるウェズリー。
幸せな時間は、あっという間にすぎていくが、やがて著者自身の体調に異変が起きてしまう・・・。

雛の頃から身近にいるからこそ見せるウェズリーの行動は、時に人間の子供そっくりだったりする。
著者が持っている歯ブラシに興味を持ち、綱引きをするが、勝つと興味をなくしたり、顔を洗っていればマネをしたり・・・

自分なりの「遊び」を次々と発明したり・・・。

本には「メンフクロウは水を嫌う」と書いてあっても、ウェズリーは水を張ったバスタブに大喜びで思い切りダイビングする。

図鑑などに書いてある事は、あくまで「一般的」な事でしかないのだ、と思う。まだ動物達の一面を知っているにすぎないのだろう。

人は言葉を発達させたため、高度な内容を相手に伝えたり、記録に残したりできるようになったが、その代わり「感じる」という事に関しては動物達に遥かに及ばなくなってしまった。
著者は、毎日、ウェズリーに話しかけていたが、ウェズリーも言葉の意味は分からずとも、声の調子などから、驚くほど著者の気持ちを理解していたようだ。

「ある小さなスズメの記録」の感想で「(動物たちにも)心はあると思いたい」と書いたが、この本を読んで「心」はあるのだ、と強く思うようになった。
ただ、住む世界があまりに違うため、理解できないのだ。だが「喜怒哀楽」に関しては、人も動物も共通なので、共感できるのだと思う。

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へっぴり腰

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

映画監督、宮崎駿と作家、半藤一利の対談。
宮崎監督たっての希望で実現した対談。

半藤氏からすれば、急な「ご指名」で戸惑ったが、やがて、お互い夏目漱石好きという共通点がある事で意気投合。
昭和史をベースに語り合う。

・・・とは言っても、お互いが子供の頃の思い出を語り合うのがほとんど。
茶飲み話を横で聞いているような感じでもある。

が、時折、ハッとするような話も飛び出す。

太平洋戦争のころの軍艦、長門の動力は石炭だった、という。
軍部で動力源が石炭から石油に変わる、という認識があったのは、ごく少数で、異端者扱いされてしまったらしい。
結果、「飛行機」の時代になる事が予想できず、「大艦巨砲主義」に凝り固まったまま。
そして、最後は・・・。

この構図は原子力発電にも同じ事が言えるのでは、と宮崎監督。

あとがきの中の話だが、今の日本は「期末利益優先の株式会社の論理で国家を運営している」とも言っている。
次の時代を考えるのが政治家、という格言があるが、「次の時代」を語っている政治家がいるだろうか?
目先の利益しか見ていない政治家が多い気がする。(首相をはじめとして)

また、別の所では、こんな話も。
「日本は"持たざる国"なのだから、世界史の主役になろうとしなくていい」
日本は資源が少ないのだから、「力」で対抗して、結果、相手に物量作戦を取られたら、お手上げ。
「知恵」を巡らす事を考えた方がいいのは明白だと思うのだが、この点を都合よく忘れている人が多い。(特に政治家に)

「安っぽい民族主義は国を誤らせるもとです。」
という言葉にギクリとする人は何人いるだろうか。

宮崎駿監督曰く
情けない方が、勇ましくない方がいいと思う。
("強い日本"を謳う人には)「腰抜けの愛国論というものだってある」とちょっとだけ声を大きくして言い返す。
へっぴり腰で・・・。

個人的な偏見かもしれないが、"強い日本"を謳う人は、「自分は手をよごさない」という大前提でモノを言っている人が多い、と思う。
「最前線に行け」と言われたら、クモの子を散らすように逃げ去りそうな気がする。

「自分は絶対安全な所にいる、という前提でモノを言ってないか?」
と、ちょっとだけ声を大きくして聞いてみたい。
へっぴり腰で・・・。

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「普通」の鳥の「普通でない」生態

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

鳥に詳しくない人でも、すぐに名前と姿が思い浮かぶであろうスズメ。
本書の裏表紙では「ザ・普通の鳥」と書かれている。
なお、本書は、とりのなん子(「とりぱん」)氏のイラスト付き。

あまりに身近すぎるため、特徴を挙げろ、と言われるとすぐには出てこない。
頬に黒い斑点があり、喉の部分にも黒い羽毛がある、という点は自分が鳥見をするようになってから気が付いたくらいだ。

日本で見られるスズメは2種類
スズメとニュウナイスズメ。

普通に見られるのは前者のスズメ。
ニュウナイスズメは森林にいる鳥なので、めったに見る事はない。

ちなみに「入内雀(にゅうないすずめ)」は、鳥山石燕の妖怪画集「今昔画図続百鬼」に妖怪として紹介されている。
東北に左遷させられ、そのまま亡くなった藤原実方の怨みがスズメの姿となって、内裏の食べ物を食い荒らしたりした、という話から「内裏に侵入するスズメ」で「入内雀」になったらしい。

藤原実方の怨みの話があって、実在のニュウナイスズメと結びついたのか、その逆なのかは不明。

スティーヴン・キングの「ダーク・ハーフ」では、スズメ(の大群)は"死にきれぬ死者を、あの世へ運ぶ者"の役割を持って登場する。
ただし、こちらはキングの創作なのか、元々、言い伝え等があったのかはよく分からない。

意外に怖い面も・・・。
もっとも、スズメだけでなく鳥全般は、空を飛べる事から、あの世とこの世を自在に行き来できる、と考えられていたらしい。

閑話休題

スズメが登場する話としては「舌切りスズメ」が有名。
・・・というより知らない人はいないだろう。

さらに、古事記や枕草子にもスズメは登場するらしい。

小林一茶の
「我と来て遊べや親のない雀」
「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」
は一度は聞いた事があるだろう。
スズメへの愛情がひしひしと伝わってくる。

さらに「竹に雀」は伊達家の家紋。

農家の人にとっては、スズメは厄介者でしかないだろうが、日本人は昔からスズメ好きだった、と思われる。


ところで、よく考えてみるとスズメには不思議な生態がある。

なにより、野鳥のくせに人間に近すぎるのだ。
スズメにしてみれば何も好き好んで人間の傍で暮らしている訳ではなく、外敵から身を守るために人間の傍で暮らしているのだろうが・・・。
ツバメも人家に巣を作ったりするが、渡り鳥で限られた期間しかいないせいか、スズメほど人間に近くない気がする。
本書のサブタイトルは「つかず・はなれず・二千年」となっているが、正にそんな感じだ。

過疎化で人が住まなくなると、いつの間にかスズメもいなくなる、という。
高速道でも人がいる料金所にはスズメがいるが、スマートETCにはスズメがいないらしい。

また、スズメは他の鳥と比べると、とてつもないほど高密度で繁殖する。
スズメ以外の鳥では(大抵だが)一定の縄張りを持つが、スズメは「アパート」状態で巣を作る。
ただ、それを言ったら、ツバメも時々、「アパート」状態で巣を作る様子が、テレビで紹介されるが・・・。

少し不気味なのは、スズメの数が減っている事。
仮定を含むが、ここ20年間で20~50%減っていると考えられるそうだ。

しかも、今のところ、その原因は不明。
良くも悪くも人間と共存していたスズメ。

人間と背中合わせに生きるスズメ(とその他多くの生き物)が、ある時、突然いなくなったら、人間も支えを失って、後ろにひっくり返ってしまうだろう。
そんな日が来ない事を祈りたい。

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紙の本書くことについて

2013/09/08 17:39

キング流文章術

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モダンホラーの巨匠、スティーヴン・キングによる文章術指南書。
ただし、最初の3分の1ほどは、断片的なエピソードで綴るキング自身の半生記。

最初からキングの文章術についての南が始まると期待していると、肩透かしをくらう形になる。
ただ、その中に将来、ペンで生計を立てる事になるのを感じさせるエピソードもある。
やはり、子供の頃から文才の片鱗は見せていたようだ。

キングの半生についての話が終わると、いよいよ文章術についての話になるのだが、「技」は極めてシンプル。

まず、「面白い小説を書くための、"魔法"は存在しない」ということ。
"魔法"に最も近い方法は「たくさん読み、たくさん書くこと」
その後、文体、会話、ストーリー、テンポ、推敲などの話に入っていく。

その内容は多岐にわたるが、分かりやすい。
正直、英語と日本語の文法の違いで、今一つピンとこない点もあるにはあるが、それでも言わんとしている事は理解できる。
実践できるかは別問題だが・・・。

最初の方に書いてあるが、本書での指南は、キングは、こういう方法を使っている、という事にすぎない。
要するに万人に等しく当てはまるかは分からないが、自分(キング)には有効だった方法が書いてある、ということ。

本の感想を書いていたりすると、時々、自分が分かりやすい文章を書いているか、自信が無くなる事がある。
そんな時は、文章術の本を読んだりするのだが、そこに書かれている事とキングが繰り返し言っている事には共通点があった。

それは「一つの文はシンプルに」
どうやら、誰もが同じ結論に至る「鉄則」のようだ。

それと印象に残ったものがもう一つ、「公式 二次稿=一次稿マイナス10%」
キングがひたすら小説の投稿を続けていた頃、ある編集者が書いた寸評。

これを守るようにしてから、投稿作品が掲載される事が多くなったとか。
キング自身の文章に磨きがかかってきた頃に、このアドバイスを受けたのがいい結果を生むようになった、という事らしい。

いいタイミングで、いいアドバイスを受けたという「めぐり合わせ」はあったが、それも投稿を続けていたからこそ。
"魔法"がある事は期待したいが、存在しない前提でいた方が、むしろ近道なのだろう。

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