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先月(2017年8月)

ふとらのぶゆきさんのレビュー一覧

投稿者:ふとらのぶゆき

1 件中 1 件~ 1 件を表示

ごく真っ当な学生運動—出でよ、「新しい全共闘」

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

これは『図書新聞』(2011/1/22号)に掲載された書評に加筆したものです。

 私には芝浦工業大学にはよい印象がない。まず、60年代末に学生運動が盛んな頃、内ゲバの最初の犠牲者が出たのが芝工大であった。この事件のあと私たちは大学の仲間と「イヤだよな」と暗澹たる思いを語りあったものだ。
 当時、芝工大の本部があった芝浦キャンパスの印象もよくなかった。狭く、外壁は煤煙が付着しているかのように汚れていた。『少年マガジン』で連載されていた『愛と誠』が映画化されたとき、この校舎でロケが行われたのだという。原作の「暴力が支配する不良高校」のイメージを探してロケハンしていたスタッフの目にこの校舎がフィットしたのもうなずける。
 現在の若い世代の人たちは芝浦工業大学と聞いて何を連想するだろうか。芝工大はかつては東都大学野球で3回も優勝した強豪大学であった。西武ライオンズの監督だった伊原春樹氏は芝工大の出身である。ハンドボールやバレーボールでもトップクラスの大学であった。現在芝工大野球部は東都大学では4部リーグにまで後退している。
 大学スポーツで好成績をおさめるには、全国の高校生から優れた能力をもった生徒を集めるのがてっとり早い。そこでプロ・スポーツなみに選手を勧誘することになる。かつての芝工大も全国から優秀な高校生を勧誘し、入試のテストが0点でも合格させていたのである。
 現在の芝工大は「豊洲に近代的なキャンパスをもつ、オシャレな大学」という印象をもつ人も多いであろう。また、ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈博士が学長を勤めていた大学であることを思い浮かべる人もいるであろう。
 芝工大のスポーツが弱くなり、入試偏差値が高くなった背景にはちゃんと理由があるのだ。その鍵が1968年から始まった芝工大全学闘の闘いなのである。
 2008年を前後して「1968年革命」をテーマにした出版が相次ぎ、ブームの感を呈していた。1968年入学の私には「革命」といえるようなものがあったのかという疑問があった。入学当初、学内でミニスカートをはいていた女子学生はたった二人で、とても目立っていた。しかしその年の秋には、ほぼ九割の女子学生がミニスカートになっていた。これはおどろくべき現象であり、確かに「ファッション革命」ではあった。
 68〜69年には150以上の大学が「闘争状態」にあり、バリケード封鎖は「非常な現象」ではあったが、これは19世紀の革命の模倣でしかなかった。しかし右翼や体育会に支配されていたような大学では、学生の権利を当局に認めさせる「大学革命」といって恥じない闘いが進行していたのである。日大と芝工大の闘いはその双璧といってよいであう。
 本書に述べられている芝工大全学闘の闘いは、他のどの大学闘争でも勝ち得なかったユニーク、かつ「革命的」な成果を勝ち取った。それは学生の「4つの拒否権」である。なぜこの成果を全国の大学闘争が学び、真剣に共有しようとしなかったのか、今となっては残念と言わざるをえない。
 1968年1月、芝工大当局の年額3万4800円の学費値上げの決定に疑問を抱いた学生たちが「学費値上げ反対全学闘争委員会」(全学闘)を結成する。全国的に高揚する学園闘争の追い風にのって、全学闘はクラス討論—学生大会—スト権確立—バリケード封鎖と、一気に大学当局を追い詰めていった。1969年1月29日、大学の理事会との大衆団交で学費値上げ白紙撤回など「11項目要求」とそれを保障するための「4つの拒否権」を認めるように追い詰めた。それは大学当局が絶対に承認できないと思われる全学闘の最大限の要求であった。
 ところが大学当局は「11項目要求」のすべてを認めたばかりでなく、「4つの拒否権」をも認めてしまい、全学闘との間で確認書が調印された。「4つの拒否権」とは1.予算、決算に対する拒否権、2.教育上の決定に対する拒否権、3.人事の決定に対する拒否権、4.管理介入権である。
 そして、早速この拒否権の1.を行使して「補欠入学者」への「第二入学金」を廃止させたのである。
 この「全面勝利」にもかかわらず、大学当局は探偵やガードマンを雇ってジリジリと学生の監視や活動の妨害を強めてきた。これに抗議した学生が監禁罪などで逮捕・起訴された。ところが地裁でも高裁でも無罪判決を勝ち取ったのである。しかも高裁判決では「四つの拒否権」を取り上げ、この拒否権にもとづいて異議申し立てをした学生は人事に対する拒否権・介入権をもっているのであるから無罪であるとしたのである。
 73年には早稲田大学で川口大三郎君が革マル派にリンチされ殺害されるという事件があった。これに対して早大の学生たちは全学行動委員会を結成し、川口君虐殺を糾弾する闘いを始めたのであるが、彼らへの個人テロが頻発するようになった。行動委員会が学内で会議することすら危険となった。芝工大自治会は彼らを支援することを決定し、それを大学の理事会にも認めさせ、キャンパス内に彼らが会議などの活動できる教室を確保したのである。これに怒った革マル派は40名ほどの部隊で大宮校舎に襲撃をかけてきた。自治会執行部は授業中にもかかわらずスピーカーで全学生に呼びかけ、1000名余の学生が駆けつけて一斉に革マル派に投石を浴びせ、退散させた。このときには全学闘と対立していた体育会系の学生までもがいっしょに投石していた。
 芝工大全学闘は学生自治会を「真っ当な」自治会に変えたばかりでなく、教授会の共感も獲得し、連繋して大学当局と対決していった。その中から教職員組合も結成された。全学闘は基本的にはクラス討論での合意を基礎としていた。闘争局面ではクラス闘争委員会が全学闘に結集していった。目前の不正・腐敗・圧迫に対して、知恵を出し、考え、悩み、全身全力で格闘したのである。本書には、全学闘を担った当時の学生たちの証言が豊富に掲載されており、その「真っ当さ」を伝えてくれる。
 1968〜70年代は日本のみならず、全世界の学生や若者たちが大学当局の学生管理や政府の政策、アメリカのベトナム戦争に反対する激しい闘いを共有していた。私の世代では世界の学生が直接に交流し、共闘することは少なかった。しかし、現在の学生諸君は世界中の人々の交流し、意見交換する手段をもっている。今日、北アフリカやアジア諸国の若者たちがインターネットで情報交換しながら独裁政権に対して民主化の要求を掲げて闘っているとき、日本の学生たちがこの闘いにどう応えるのかが問われている。私の世代では成し得なかった、まったく新しい、「もうひとつの全共闘」が登場することを期待したい。

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