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道楽猫さんのレビュー一覧

投稿者:道楽猫

34 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本アクロイド殺し

2011/07/09 15:04

フェアもアンフェアも関係ない。心地よく酔えればそれで良し。

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私の姉が、高校生の頃一時海外ミステリにハマっていて、特にアガサ・クリスティは大のお気に入りだったので、家にはほとんどの作品が揃っていた。
にも関わらず、当時中学生だった私は、そんな姉を「下賎な民よのぅ」とナナメに見下ろして、トルストイだのブロンテだのを知ったかぶりして読みふけっているスットコドッコイな似非文学少女だったので、姉のコレクションなぞには全く興味がなかった。
なんて勿体ない。クリスティもクィーンも読み放題だったのに。今から思えば宝の山だよ。
人は、失ってから無くしたものの価値に気付くのだよね。(しみじみ)

月日は流れ、今やすっかりミステリファンとなった私だが、読んでいるのは日本の作家の、それも最近の作品ばかり。海外ミステリにはとんと疎い。
作家の名前だけは色々知っているが、実際に読んだことは全くと言っていいほどなかった。
で、まずは、かつて姉が大いにハマっていたクリスティを読破しようじゃないか、と思い立ったわけだ。

「アクロイド殺し」(姉が持っていたのは「アクロイド殺人事件」というタイトルだったと思うが)は、その中でもクリスティを一躍世に知らしめることとなったという意味で、金字塔とも言える作品である。
とは言え、まったく予備知識はなし。
「オリエント急行」と「そしてだれもいなくなった」は何故か犯人を知っているのだが、こちらは「なんだか評価が分かれて揉めたらしい」「クリスティずるい」と言われたらしい、というぐらいしか知らなかった。

で、読み終えて、「なるほどなぁ」と唸った。
今でこそ、こういった仕掛けは珍しくもないが、当時としては実に画期的で、しかも大冒険だったんじゃなかろうか。叙述ミステリーの先駆けとも言える本作品は、なるほど確かに実によく練り込まれていて隙がない。

そして、人物描写がとても巧みであることにも驚いた。
ほんの少しのセリフと仕草でその人物の人となりを的確に表現する。簡単そうでこれはなかなか出来ることではない。クリスティはそれをさらりとやってのけている。
ポアロは、私のイメージとちょっと違っていて意外だったのだが、なるほどなかなか食えない探偵だなと苦笑した。

さて、前述の「クリスティずるい」の部分だが。
私は「別にずるくないよね」と思った。ミスリードに引っかかったのは読者の勝手な思い込みのせいだし、伏線は至るところにばら撒かれているので、気付かないのは、これも読者がマヌケなせい。
でも「ずるい」とじたばたしてしまう気持ちもよくわかる。
そしてそれこそが叙述ミステリーの醍醐味なのだ。
人は騙されると腹も立つが、逆にその毒に引き込まれ、「もっと巧く騙してほしい」と望むようにもなる。
手品は、タネも仕掛けもあることをみんな知っている。それでも騙されたいと一流のマジシャンの元に人は集まる。
思えば、お酒だって人の感覚や感情を騙すものだよね。
きっと、みんな何かに"酔いたい"んだなと思う。

本格ミステリの真髄に触れたい人は、この本を読むといい。
心地良い酩酊に、頭の芯が熱くなる。

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紙の本さよならドビュッシー

2011/07/04 07:22

心の中がドビュッシーのアラベスクで満たされる

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

行間から、
ピアノの音が確かに聞こえた。

ピアノは、小さい頃から今に至るまで、私にとってずっと憧れの楽器である。
小学生の頃、ピアノが弾きたくて弾きたくて、でも貧乏だった我が家ではピアノを習うなんてそんな贅沢が許されるわけもなく、私は、近所からいただいた中古のオルガンをブーカブーカ鳴らしてピアノを弾いているつもりになって悦に入っていた。
今の私は知っている。ピアノという楽器は、もちろんそんなに簡単に弾きこなせるほど生易しいものではないということを。

解説者は"スポ根"と評していた。
確かに、火事で大火傷を負い、ほとんどの皮膚を移植するはめに陥った主人公が、最終的にピアノコンクールに出場するに至る過程は、実に過酷なものだ。
しかしそこには、単なるスポ根とは違う、きちんとした(かどうかピアノを習ったことのない私にはわからないが少なくともそう思わせるだけの)理論の裏づけがあり、"努力と根性"だけで何事かを成してしまうというような荒唐無稽なお話ではない。

そしてこの物語は、秀逸な叙述ミステリーでもあるのだ。
ミステリー読みなら、この程度のトリックには気付かなきゃ、と思う方も多いだろう。
だが私は気付かなかった。
あの犯人のことは、もちろんわかった。で、ミステリーとしては凡庸だなと思っていた。
ところが、なのである。
気を付けて読んでいれば、ところどころのエピソードに違和感を覚えて当然なのに。
うっかり、ピアノのほうにばかり気を取られていて、見事に作者の策略に嵌ってしまった。
今から思えば…そうだよね、おかしいよね。なんで気付かなかったのか。うーん悔しい。

でもそこに気付くと、物語はまた違う輝きを放ち始める。
主人公の、そこに至るまでの想い、葛藤、苦しみ、そんなものが一体となったクライマックスは圧巻だった。
主人公が目指していた、聴衆に風景を見せることの出来る演奏が見事に再現されていた。
確かに私にはその時ドビュッシーのアラベスクが聞こえたのだ。

ただ、なんだろう。登場人物には、ミスリードとは違った意味で違和感のある人物が多かった。
お祖父ちゃんにしてもみち子さんにしても、何故か台本をしゃべっているような作り物感が満載なのだ。
特にみち子さんは、それまで全くと言っていいほど人物描写がなく、イメージが固まっていないところにいきなり滔々と方言で語り出すので、「この人どうしちゃったんだろう?」とビックリしてしまった。
そりゃ、作者にはちゃんとしたイメージがあってのことだろうが、読み手にはきちんとそれを文章で提示していただかないと伝わらないし、違和感が募るだけで感情移入ができなくなるよ。

それと、もうひとつ。
「車椅子に乗ってる人がくると、みんな一斉に道をあけ、見て見ぬふりをする。」
というくだりがあり、それは確かにそうなんだろうけど、その理由として
「みんな関わりたくないんだ」
と切って捨てる。
けれどそうだろうか。
中にはもちろんそういう人もいるだろう。でも、みんながみんなそんなんじゃないと私は思う。
「儀礼的無関心」という言葉がある。
電車の中で泣いている人を見かけたとき、どうしたんだろうと気になりつつも必要以上にそちらを見ず、気付いていないふりをする、というのはみんなごく普通にやっていることだろう。それはある種の思いやりである。
明らかに相手が困っていれば手を差し伸べる。邪魔だろうから道もあける。けれどもそれ以上はお節介になる可能性があるし、ジロジロ見るのは明らかに失礼だろう。だから見ない。
でもそれは決して「関わり合いになりたくない」からではない。私はそれは一般的な思いやりなのだろうと理解している。
なので、この部分については、私は大いに異議を申し立てたい。

…すこし熱くなり過ぎた。
クールダウンクールダウン。

タイトルの「さよなら」の意味は最後に明かされる。
けれど、それは決して悲しいだけの言葉ではなく、希望に満ちた未来への約束の言葉でもあった。
涙が一筋こぼれ、読後もずっと心の中にドビュッシーが鳴り響く。

このシリーズを、もっと読みたいと思った。

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紙の本トマシーナ

2011/10/10 07:20

大切なことがいっぱい詰まった名作。1000年読み継いでもらいたい。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ずいぶん前に書かれた本だけれども、100年、いや1000年読み継いでもらいたい名作。

かの「ジェニィ」を大叔母に持つ由緒正しきトマシーナは、気高くも慎み深く礼儀正しく、猫の良いところをギュッと濃縮したかのような愛すべき雌猫。
「ですます」調で丁寧に話し、飼い主宅への宿賃として献上するネズミを捕獲する手段を、何日もかけて用意周到に実行する辛抱強さとアタマの良さも兼ね備えている。そして世話になっている家の娘メアリ・ルーに、自分の計画を邪魔されあちこち引っ張り回されたりしても文句も言わずに大人しく従っている。トマシーナはメアリ・ルーのお守り役も果たしているのだ。

けれども、一家の主であるマクデューイは、そんなトマシーナには目もくれず、トマシーナの素晴らしさに気付きもしない。
むしろ、彼が唯一溺愛している娘のメアリ・ルーが、自分よりもトマシーナにべったりであることを快く思っていないフシがあり、トマシーナを邪険に扱ったりする。
そんなマクデューイの職業はなんと獣医。
本当は人間のお医者さんになりたかったのだが、獣医だった父親の跡を無理矢理継がされた形であるため、獣医の仕事には全く熱意を持っていない。むしろ最愛の妻を動物からの病気感染で亡くしてからは、彼の動物嫌いには益々拍車がかかり、少しでも治る見込みがないと診断した動物は、飼い主の気持ちも考えずさっさと安楽死させてしまう始末。

そして運命の日。
憐れトマシーナは、多忙なマクデューイのおざなりな診断で「髄膜炎でもう治る見込みがない」とあっさり安楽死させられてしまうのだ。
その日からすべての歯車が狂ってしまった。
トマシーナはただの猫ではない。幼くして母親を亡くしたメアリ・ルーにとっては母親であり姉であり大切な友達。かけがえのない存在だったのだ。
メアリ・ルーは、トマシーナを手厚く葬ると同時に、敬愛していた父親も心の中で殺してしまった。それは彼女にとっては自分自身をも殺すことと同義の行為であった。
最早生きる希望のすべてを失ってしまったメアリ・ルーは、食べ物も受け付けず次第に衰弱し、やがて死を待つばかりとなってしまう。

無神論者で傲慢だったマクデューイの苦悩がここから始まる。
牧師である友人のアンガスとの非常に有意義な対話にも、心を動かされはしても道を拓くことはできない。
医者にも匙を投げられてしまう。

転機となったのは、人里を離れ、森に住む"魔女"と噂されるローリーとの出会い。
彼女は自然を愛し動物を愛し、傷ついた生き物を優しく癒す。
彼女と触れ合う中で、マクデューイは長い間閉じていた目と耳を開かれ、次第に大きく変わってゆくこととなる。

祈ることを知る

生かされて今が在ることを知る

しかしもうすべては遅過ぎるのか…。


クライマックスは、まさかの大ドンデン返しに震えるほどの驚きと大感動の嵐。
ファンタジーと現実の見事な融合に大いに魅せられた。

猫が好きならもちろん、猫が好きではない人も楽しめること請け合い。
もう一匹の主人公ともいえる神様猫「タリタ」こと「バスト・ラー」の、神秘に満ちた語りと共に、その豊かで示唆に富んだ魂の物語を、じっくりと堪能してみてほしい。

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紙の本恋文の技術

2011/06/11 10:00

ラブリーラブリーこりゃラブリー♪

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

相変わらず森見さんはすごい人だ。
(「凄い」というと何だか怖い感じなので、ここではあくまでも「すごい」。)
書簡形式の小説なんてイマドキ別に珍しくもないけれど、一方からの目線の、しかも手紙のみでこれほど季節感を表現し、それぞれの登場人物の性格を表現し、物語の経緯を語り切っているものにはなかなかお目にかかれない。

ラブリーラブリーこりゃラブリー♪

で、もう終わりにしてもいいぐらい、この一言がすべてを物語っている。
(実は、この言葉だけは絶対書こうと思ってまず書いておいたら、なんだかもうこれだけでいいような気がして、ほんとにこの一言で終わりたいという発作に襲われたことはヒミツ)

登場人物はこのお話でも皆愛らしい。
「ぷくぷく粽」「天狗ハム」「マシマロ」など、そこかしこに散りばめられた森見さんならではの「小道具」も黒光りしている。
(うっかり検索してみたら「天狗ハム」は実在するが「ぷくぷく粽」は見あたらなかった。そりゃそうか。)

そして、それぞれの手紙の最後の宛名と署名がまた笑える。
中でも、非常に小ネタになるけれども「一級ナメクジ退治士」に私はヤラレた。
電車の中で思わず噴き出してしまった。ナメクジ退治士て!しかも一級て!
そう、モリミーの小説にはこういう小さい爆弾がたくさん仕込まれているので人前で読むときには十分注意が必要なのだ。

それにしても主人公の守田クンは本当にシャイな人だよなぁ。
寂しくて人恋しくて伊吹さん恋しくて仕方ないくせに、この文通は「恋文代筆業」を始めるための修行なのだとうそぶく。そして友人に、先輩に、かつての教え子に、森見登美彦宛てに(!)手紙を書いて書いて書きまくる。
その内容は、と言えば、やせ我慢あり、誇張あり、哀願あり、ドヤ顔あり、とバラエティに富んでいて、飽きることがない。中には、読んでいるうちに「この先、ど、どうなるの?」とハラハラする内容もあり、いつしか次の守田クンからの手紙を心待ちにしている自分がいたのだった。
(と言っても、ページをめくればすぐに手紙を手にすることはできるのだが。なんとなく、まだ来ぬ手紙を待つ気分。)
中でも、伊吹さんに宛てて書いたものの出せなかった「失敗書簡集」は抱腹絶倒だった。
こんなの出したら大変だったろうけど、よくこれだけ考え付くものだ。

で、いったいこの物語、どのように着地させるつもりなのか、まさかこのままダラダラと?と少々心配だったのだが、それは杞憂だった。
守田クンが辿り着いた「恋文の極意」。
それは本当にシンプルなものだったが、それだけに目からウロコで、彼の真摯な想いに胸がきゅんとした。

そういえば、その昔、私もドキドキしながら手紙をしたためた。相手が喜びそうなレターセットを選び、気持ちを込めて丁寧に言葉を選んで文章を書き、時々は写真や栞などを添えたりもした。ポストに投函する前の一瞬のためらい(だってコピーでもとらない限り、手紙って手元には出した内容が残らないのだもの。)返事を待って何度もポストを覗くわくわく感。久しぶりにそういう高揚感を思い出した。
手紙って本当に良いものなのだ。

最後の手紙は、果たして思う相手にきちんと届けられたのか。
そして受け取った人はどのような返事を書くのか。
ともあれ、守田クンの未来に幸いあれ、と祈ってやまない。

読み終えた今、心の中は何故かほんわかあったかい。
主人公はお約束のむさくるしい鬱屈した男子学生なのに。

ラブリーラブリーこりゃラブリー♪

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紙の本去年はいい年になるだろう

2011/08/16 07:06

去年をいい年にするもしないも自分次第。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

もうずい分前になるけれど、この人の書いた「時の果てのフェブラリー」と「サイバーナイト」を読んだ。
山本弘と言えば、世間的には「と学会」会長の名を出すほうが通りが良いだろうが、私にとっては「トンデモ」についてはどうでもよい。
単純にこの人の書くSFはとても面白い。難解な理論もわかりやすく噛み砕いて説明してくれ読者に優しい。だから好印象を抱いている。
その山本弘さんが、また面白いSFを書き、それが星雲賞を獲ったというので、「これは是非読まねば!」と遅れ馳せながら手にしたわけだ。

9.11が起こったのって、2001年だったんだ。もう10年にもなるのか。
今でも、あの信じられない映像は目に焼きついている。CGかと思ったぐらい凄かった。
あれが"なかったこと"になるのなら、諸手を挙げて歓迎する人も多いだろうな。
けれど、本来起こるべき出来事って、そんな簡単に回避しちゃって大丈夫なのか?
(どうしても、回避してほしかった出来事も、あるけれど…。特に今年は思うところも色々ある。)

私は、昔から占いは無意味だと思っている。
たとえば、「あなたは右の道に行くと事故に遭う」と言われ、それならと選んだ左の道でもっと悲惨な目に遭うかもしれないし、ある出来事を回避したせいでそこからの未来が大きく変わることも有り得るだろうと思っているからだ。
遠い未来からオーバーテクノロジーと共にやってきたガーディアン(アンドロイド)がそんな単純なこともわからないはずはない。
彼らは、"その時代の人類を救えとプログラムされている"からそう動いているに過ぎない。
ガーディアンにとって「目の前の人間を守る」ことのみが使命であり、善なのだ。
それがどういう結果を招こうと、彼らにとっては知ったこっちゃない。
アンドロイドたちにとっては、さかのぼる1年1年が実験であり練習台。
いつも「次こそはもっとうまくやろう」と思うのみだ。
まさに「去年はいい年になるだろう」と思いながら人類救済に血道をあげる。
だがそれに巻き込まれる人類のほうはたまったものではない。

荒唐無稽とも思えるこのようなお話が、何故これほどリアリティをもって迫ってくるのかといえば、それはやはり「山本弘」という実在する作家の「手記」という形がとられているからだろう。
作者であり主人公でもある「山本弘」もガーディアンの出現によって、様々な被害に遭うこととなる。
けれど、それはガーディアンの出現のせいではなく、すべて自らの行動が招いた結果であると、実にSF作家らしい視点で客観的に自らを省みる。
私なら、どうだろう。そうも客観的になれるものだろうか。
「コイツらさえ来なければ」
そういう思考に陥りそうだ。
相手のせいではない。すべて自分次第。
いつもそう言い聞かせて行動しているつもりではいるけれど、許容量を超えるほどの出来事が起こったときにもそう考えられるか、自信はない。

ただ、私は思うのだ。
来年をいい年に出来るのが今の自分次第であるならば、
去年をいい年に出来るのも、今の自分だけ。

人は、過去にも未来にも生きられないからね。

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紙の本向日葵の咲かない夏

2011/05/11 09:49

誰だって、自分の物語の中にいる

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

だ、騙された……。
向日葵というタイトルに騙された。
向日葵には、真夏に凛と上を向いて咲く、元気な花というイメージがあるのだもの。
よもやこんなダークでホラーなお話だとは。
そう思って改めて見返せば「咲かない」なのだよね。そうか、咲かないのか(しょんぼり)。
しかしよくよく考えれば、向日葵って結構怖いかも。特にあのデカイほう。
あれも何かの生まれ変わりなのかもね。たとえば、日の目を見たかと思えばすぐに死んじゃった生き物とか。

向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ(前田夕暮)

どっしりじゃなくゆら~りだもんね、結構ホラーだよ。
という主旨の感想を、この短歌について書いたら、「それは間違っている」と国語教師にさくっと斬ってすてられたなぁ。ああ、遠き高校生時代。

それはともかく。
冒頭からして、相当怖いのだこれ。
夏休み前の終業式の日。学校を休んだS君の家に、担任に頼まれ、学校から配布されたプリントを持って行ったミチオ。しかしそこでミチオはS君の首吊り死体を見つけてしまう。S君の遺体は、庭に咲く向日葵を凝視しながらぎぃぎぃと揺れている…。
ところがそのことを知らせに学校に戻っているあいだに、何故かS君の遺体は忽然と消えてしまう。

人は死んだら7日ごとに転生の機会が訪れるという。ちょうど7日目、死んだはずのS君が、なんとクモとなってミチオの前に現れる。
そしてクモの姿のS君は、ミチオに「僕は自殺ではなく殺された」のだと告げる。

ひぃぃぃぃぃぃぃ。

私はホラーが全く以ってダメなのだ。
この時点でもう、この本を手に取ったことを悔やんだ。ムンクの叫び状態だった。
だけど続きが気になる。S君を殺したのは果たして誰なのか。そして自殺に見せかけたのならどうして遺体を隠したのか。
同時期に近隣で繰り返されていた犬猫の不審死とのつながりは?何故死んだ動物は一様に足を折られ口に石鹸を詰め込まれていたのか。

この物語では、自分を守るため、だれもが嘘をついている。
ひとつの嘘が暴かれても、また次の嘘が重ねられ、様々な糸が絡み合って、ミチオじゃないが、どんどん何がなんだかわからなくなってくる。
いったい真相はどこにあるのか。
通勤電車の中で読み始めたものの、気になって気になって仕事が手につかないほど。その夜一晩で一気に読んでしまった。

やがて明かされる真相。すべての事柄がひとつに繋がる。
ああそうだったのか。
3歳の妹に感じた違和感の正体も、壊れた母親の真実も、あれもこれも。
これは本当に見事な叙述トリックだった。
あれ?…ということは、もしかしてスミダさんも?
いやいやミチオ自体、既に狂気の中に立っているのだろう。

「誰だって、自分の物語の中にいるじゃないか」

ミチオの言葉にいきなり頭をがつんと殴られた気がした。
そう、だれだってみんな自分に都合の良いストーリーを組み立て、ある意味自分だけのファンタジーの世界を生きている。
嘘をつかない人間などいないのだ。
できるだけ傷つかないように、壊れてしまわないように、自分を守って生きている。

怖いけれど、切ない。
胸がきゅっと苦しくなるそんなお話。後味は決してよくないけれど、心の中にずしっと残る重さがあった。

ただ一点。これは私自身が今現在「母親」という身であるからこその違和感。
ミチオの母親が壊れてしまったのは、理解できる。
しかし、怒りの矛先がむかうのは、決してそこじゃないはず。

母親なら、ああはならない。

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ジェニィ 改版

2011/09/19 07:36

すべての猫好きさん必読の珠玉の一冊。

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

自他共に認める遅読の私でも、年月を経るにつれ所蔵本は溜まる一方である。
そのうち整理しなきゃとは思っているのだが、どんなにたくさんの本を手放すことになっても、これだけは絶対に手元に置いておきたいと思っている本が数冊ある。
この「ジェニィ」もそのうちの一冊に加わった。

私はジェニィが愛しくて愛しくてならない。できればずっと胸に抱いて、死んだらこの本と一緒に葬ってほしいぐらい。

猫好きの少年ピーターが交通事故に遭い、気が付いたら猫の姿になっていたところから物語は始まる。
家から放り出され、慣れない猫の身でなにがなんだかわからないうちにあちこち彷徨い、果てにはボス猫にやられて瀕死の状態で横たわっていたピーターを救ったのが、一匹の雌猫「ジェニィ」だった。
ジェニィは、「ぼくは実は人間なんだ」というピーターの言葉に驚きながらも、何も知らないピーターに猫の掟を叩き込む。
ねずみの捕え方。正しい身づくろいの方法。そして何かあったら身づくろい、何はなくとも身づくろいという猫のたしなみ。ほおヒゲが教えてくれる正しい方角。
作者は、実はピーターのように猫だった時代があるのじゃないかと疑うほどに猫の描写がリアルで驚かされる。
猫好きならもれなくうっとりすること間違いなし。

その後の二匹の心躍る冒険譚は、終始ピーターの視点で進んでゆく。
ジェニィは、ピーターにとってもちろんかけがえのない唯一の存在ではあったが、家庭の愛に飢えていた彼には、それはどちらかと言えば惜しみない愛を与えてくれる母であり、姉という対象だったように思う。
しかしジェニィにとってのピーターは…。

これは私の持論なのだが、男はいくつになっても、いや死ぬまで子どもだけれど、女は最初から女で死ぬまで女なのだ。
ジェニィを「理想の女性像」と評する男性の声は多いけれど、ジェニィの献身と寛大さを見て単純にそう思っているのだとしたら、それは随分浅薄な考えだと私は思う。

ピーターを待っていたジェニィの心中はどうだったのか。
ただ穏やかに、愛する男の帰還を待っていたと思うのか。

手酷い裏切りに、傷つかないものはいない。
相手を愛していればいるほど、その傷は深く、癒されがたいものとなる。
ジェニイは別に聖母でもなんでもなく、ただの女である。
強い愛情は、時に憎悪をも呼び込む。
私は、ジェニィは、女として、ピーターが許せなかったのだと思う。
愛情と激しい憎しみの念に引き裂かれたジェニィの気持ちを思うと、胸が詰まる思いがする。

それだけに、あのエピローグを、"大団円"といい、大人のファンタジーでしたで片付けてしまうのは、あまりに悲しく痛ましい。むしろ強烈な皮肉と私は受け止めた。
自分が止むにやまれぬ激情の余り取ってしまった行動の結果に、ジェニィはきっと死ぬまで後悔し続けたことだろう。

一方、何も知らないまま、これからを生きてゆくピーター。
けれど、ピーターの心のどこか奥深くには、きっとずっとジェニィが住んでいるに違いない。そう信じたい。


最後に。
この本が日本で出版されたのは、もう随分前なので、訳文が少々古臭いのが唯一残念なところ。
出来れば、新訳で、再度出版していただけたなら、そしてもっと色んな人に、一冊の本の中にこんなにも素晴らしい猫がいることを知ってもらえたら、と心から願っている。

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重く暗い題材を、個性的で楽しい登場人物たちと共に、どこかカラリと明るく描いている。読むと将棋を覚えたくなります。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1巻から6巻まで一気読み。
そしてその後、今度は舐めるようにもう一周。

羽海野さんの描く女の子は本当に可愛い。
ふんわりとしたその雰囲気を味わうだけでも読む価値がある。

だけど今回は、ハチクロとは全く違った趣の、重い重いお話。
しかも題材が「将棋」
なんと渋い!

実は私、将棋は全くわからない。
ただ、エラく奥の深いもので、勝つには大変な頭脳が要る、というイメージと、チェスは取った駒は死んでしまうだけだが、将棋では自分の持ち駒になるんだよという、昔だれかから教えてもらった知識があったぐらい。
実際この漫画の中でも、主人公の零は、他の有段者との非常に熾烈な戦いをくぐり抜けていくわけで、それだけであれば、ただ
「ああ、やっぱり将棋って難しいもんなんだな。」
で終わってしまっていたと思う。
ところが、である。
ここが羽海野さんのすごいところだと思うのだが、そんな難しいイメージの将棋のルールを、この漫画の中では、なんと猫のキャラクターで(しかも絵本という形で)優しく教えてくれるのだ。
私も、読みながら「ふむふむ。なるほど、これは面白そうだ」と、思わず前のめりになり、
「将棋、やってみようかな」
なんて思っちゃったりもしたぐらいなのだ。

それと、情景の表現が非常に巧み。
背景の絵と、そこに時折差し挟まれる詩的な言葉が非常にマッチしていて、くらくらするほど酔わせてくれる。

"水色の空に水銀をぽろろところがしたような淡い閃光"

なんて、なかなか出てこないよこんな表現。
さすが、スピッツとスガシカオが好きな作者だけある(関係あるのかそれ?)
ただね、心象風景を表す横書きの文章を、コマとコマの間に挟み込むという斬新な手法はとっても効果的で良いとおもうんだけど、あまりそればかりだと、読むほうはちょっとツライ。
だってセリフは基本的にタテ書きなんだもの。そこに唐突に横書きが混ざるわけだからね。
効果的だからこそ、ここぞという部分だけにしとくべきかなぁとは思ったかな(えらそう)。

ストーリー自体は非常に面白く、私にとっては目が離せない漫画のひとつになったけれど、6巻の不穏な展開は、私はあまり好きじゃない。
なんだか説教臭くてね…。
もちろん、そこで取り上げられていることは、とても大切な問題だと思う。それは重々承知の上で。
この漫画でそこまで問題を拡げちゃうかなぁ、と。それは別の漫画で描くべきじゃないかな。

いやぁな予感がするのだ。
今まで、私はどんなに多くの小説や漫画で、これをやられて興ざめし、読むのをやめてしまったことか。
いつのまにか、お話の主題からどんどん逸れて、作者の"青年の主張"みたいになってしまうものが非常に多いのだ。延々と作者の主張を聞かされ、「イジメかっこ悪い」みたいな、道徳っぽい話になってしまった残念なケースが。
杞憂に終われば良いのだけど。ていうか、信じてるからね、羽海野さん。

とまぁ、色々注文をつけてしまったけれども。
兎にも角にも、今後に大いに期待。


最後に、猫好きさんなら、この漫画は必見ですゾ。
可愛いニャーたちがてんこ盛り出てきなさるよ。
しかもひとつひとつのセリフがとっても面白いよ。

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バラエティ豊かな時間SFアンソロジィ。誰でもお気に入りの一話が見つかるはず。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

時間SFは私の大好物。
だけど正直、こんなにもバラエティ豊かなものだとは思っていなかった。
単に過去や未来を行き来するオーソドックスなタイムパラドックスもの、同じ時間がループする世界、場所によって流れる時間の速度が違う世界、はたまた、時間が造られている舞台裏(?)まで、本当に様々な趣向の物語が網羅され、とても贅沢な一冊。
山本弘さんは「SFは筋の通ったホラ話」と語ったが、的を射た言葉だとつくづく思う。
(で、私としては、筋が通らないものをファンタジーと呼ぶのかなと)
すべてを挙げるのは大変なので、いくつか印象に残ったものの感想を。

■商人と錬金術師の門(テッド・チャン)
千夜一夜の形式で語られる3つのショートストーリーはどれも味わい深い。
この物語では、過去は変えることができないものとして定義される。では、変えられない過去に旅する意義はどこにあるのか。

"過去も未来も変えることは出来ない。けれど、よりよく知ることは出来る"

大いに納得。ちょっと目からウロコだった。

■限りなき夏(クリストファー・プリースト)
人生で、一番輝いている幸せな夏の一日に、突然凍結された恋人たち。
そして、何故か一人だけ先に元に戻ってしまった男は、毎日、恋人の「活人画」をただ眺め続ける。
とても切ない物語だけど、私としては凍結者の視点の物語も読みたいなぁ。

■彼らの生涯の最愛の時(イアン・ワトスン&ロベルト・クアリア)
"マックドナルド"(決してマクドナルドではなく)がタイムトラベルに最適の場所とは(笑)。
とうてい有り得ないだろう設定なのだけど、主人公の執念に打たれる。
失敗の連続で"リセット"を繰り返し…ああ、なんだか全く違うお話なのに、北村薫の「リセット」を思い出す。
人の想いの強さは時間をも超えるのか。

■世界の終わりを見にいったとき(ロバート・シルヴァーバーグ)
ただの物見遊山として「世界の終わり」見学ツアーに参加した自慢話に興じる人たち。
自らの足元が、音を立てて崩れていることにも気付かずに…。
強烈な皮肉。だけどこれって時間SF…なのかなぁ。

■昨日は月曜日だった(シオドア・スタージョン)
これはSFというよりファンタジーの領域だなぁ。
「役者」と「舞台裏」
もう少しお話を膨らませれば、面白い童話が1本書けそう。

■旅人の憩い(デイヴィッド・I・マッスン)
場所によって時間の流れる速度が違う世界の物語。
速度が遅くなるにつれて、どんどん名前が長くなっていくのが面白い。すごい発想だと思う。
召集され、戦地に赴く主人公。彼が戦地で過ごすわずか数秒の間に、残された家族はどんどん年をとってゆく。
しかも自分が参加させられているのは、考えるのも恐ろしいほど無意味な戦争。
切なく、とても印象深い物語だった。

■いまひとたびの(H・ビーム・パイパー)
死の直前に、子どもの頃に戻ってしまった男の物語。
"人生やり直し"パターン。
だけどそううまくいくものかなぁ。だって、過去が変えられるものなら、自分が知っている賭け事の結果だって、どんどん変わってしまう気がするよ。

■ここがウィネトカなら、きみはジュディ(F・M・バズビイ)
自分の人生を、意識だけタイムリープしながら、細切れに生きる男の話。
奇妙なタイトルの意味も、そういうことかと納得させられる。
若い意識で自らの臨終に接し、次の瞬間には胎児として母親の胎内にいる。
…なかなかに耐え難いことだと思うのだが、生まれながらにそうであれば、それが普通だと思ってしまうのかな。
だけど、閉じた輪の中を往ったり来たりしているに過ぎないと思っていた彼は、ある日、とても喜ばしい、ひとつの事実に気付く。

意志を強く持てば、変えられないものなどない。

エンディングの大いなるカタストロフィに大満足。締めくくりにうってつけの物語。


お終いまで読んで、つくづく思う。
ああ、私は、きちんと収束する物語が好きなのだなぁ、と。
いいところまで語り、さんざん盛り上げて、役者と舞台装置だけ残して「あとはご自由に」的にぽんっと物語を放り出されるのはたまらない。
往々にして、短編にはそういうものが多い。で、想像力の貧困な私は、消化不良な気持ちを抱えて悶々としてしまうのだ。

ラストがこのお話で良かった。

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紙の本猫語の教科書

2011/10/30 23:23

一冊で、二度も三度も楽しめる、お得感満載の逸品

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

面白いと思える本には2種類あるように思う。
ページをめくるのももどかしく、その世界に引き込まれ、あっと言う間に読了してしまう本と、美味しいおやつを楽しむように、ちびちびとすこーしずつ時間をかけてゆっくりと読み進める本。

私にとってこの本は後者。
読んでいる最中、ずっとくすくすにやにやが止まらなかった。
いや、えへらえへらだったかも(笑)。

だって

人間の"躾け方"が書いてある本なんですよ?
猫が人間の家を乗っ取る方法が書いてあるんですよ!

最初の方の、人間の男を躾ける方法なんてもう、抱腹絶倒!
まーさーに!
うちにいた猫と夫の関係なのだもの。

夫はずっと悦に入っていた。
「あの子は自分が呼ぶと、何を置いてもとんで来る。そして撫でてやるとゴロゴロとのどを鳴らして喜んでくれる。うちで一番あの子に懐かれているのは自分なのだ」
と。

だけど私は知っていた。
夜、寝る前にそうやってゴロゴロ甘えていた猫が、夫が寝入ると、さっさと寝床を抜け出して
「しょうがないわねぇ」
てな顔をしてすたすた歩いてゆくことを。
私は、これを「猫による夫の寝かし付け」とこっそり呼んでいた。

本当に、ギャリコはかつて猫だったことがあるに違いない。
なんたって、猫にとっての秘密兵器である「声を出さないニャーオ」を知っているし、
猫が書いた文字を解読できたのが、その何よりの証拠(…笑)

随所に散りばめられたモノクロの写真をながめるのもまた楽しい。
著者さんはとても美形な猫様なのだ。

うっとりと、ゆめごこちで本を閉じ、また開き。
一冊で、二度も三度も楽しめる、お得感満載の逸品。
(なんの営業トークだよ)

ああ、私もまた猫に家を乗っ取られたい。
そして夫を躾け直してもらいたい。

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紙の本てのひらの中の宇宙

2011/05/15 21:18

宇宙とは生とは死とは。作品中に散りばめられた、きらきらと輝く珠玉の言葉たちは、読み終えて何日も経過してしまった今でも、しずかに心に沈んでいる

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

だれでもそうだと思うが、小さい頃、私は死が怖かった。
母親が死ぬ夢を見ては飛び起き、傍らにちゃんと母が眠っているのを確認してほっとしていた。
身内が死ぬなんてこと、考えられもしなかった。

けれど5年前、その母の死が現実となった。
父が死に、その僅か1ヶ月後に母も見送ることとなった。

いのちは、どこから来て、どこへ還ってゆくのだろう。

小さな頃からの疑問は、未だ謎のまま。
たぶん自分が死んでも、それを理解することはないのだろう。
だって死は万物に平等に訪れるけれども、自ら感じ取れるものではなく、客観的にしか捉えられるものではないのだから。

子宮体癌の再発のため入院している妻。母親を失うかもしれない5歳と3歳の子どもたちに、父はこの世界の生と死を、どう教えてゆくのか。

青少年読書感想文コンクールの課題図書として選定されていた本書は、息子の夏休みの宿題のため、ずいぶん前に買ってあった。
しかし、身内の死を前面に出している物語が苦手で、なんとなく私自身は手に取らないままになっていた。

身内の死を扱う小説は、どことなくあざといものが多い。死を殊更に美化していたり、それで涙を誘うことが目的であったり。
けれど、実際読むと、本書にはそういった部分がまったくなかった。
そして、あまりの面白さに何故もっと早く読まなかったのだろうと後悔した。

主人公の5歳の息子ミライは、「なぜ?どうして?」真っ盛りな年頃。
理系の父親は、そんな息子の素朴な疑問に、真っ直ぐに向き合う。
そうして、宇宙について生について死について、淡々と、かつわかりやすく息子に語るのだ。

思えば、私も「なぜ?どうして?」少女だった。
物心ついた頃はテレビが映るのがふしぎでふしぎで仕方なく、何度もその原理を母親に問うては「どうしてだろうね」の返事にがっかりしたり、「底なし沼」のことを考えて怖くなってしまったり(本当に底がないのだと思っていた。)もう少し大きくなると、無限とはなんだろうとか宇宙の果てとは?とか、だいたいがぼーっとした子だったので、それはそれは色々と考えていた。
ミライはいいなぁ。「なぜ?」にきちんと答えてくれる存在がいて。
あの頃は、ひとつ物事を知るたびに目の前がぱっと開けて世界が広がるんだよね。
私もこんなとーちゃんが欲しかった。

そして、息子に語りながら、父親自身も様々なことに気付いてゆく。
すべてのものは原子で出来ている、その一番小さいものは素粒子で、と言いつつ

つぶつぶより雲のほうがいいな。境界がはっきりしないほうがいい。

なんて考えていたりする。
そして、すべての生き物は「好き」で繋がっている、と説明をする。
この父ちゃんも結構な夢想家なのだ。
やがて、息子と娘に夜毎語っていた空想の物語を童話として執筆するに至る。
この物語がまたいい。
「人間を背中に乗っけたまま眠っていたカメが目を覚まし、宇宙の果てを目指して旅をする」
てなお話。実際面白い童話になりそう。是非こちらも本当に書いて出版してほしいものだ。

お終いまで読んでも、この物語には劇的なクライマックスなど存在しない。
けれどそこかしこに散りばめられた、きらきらと輝く珠玉の言葉たちは、読み終えて何日も経過してしまった今でも、しずかに心に沈んでいる。
そして、アスカちゃんが「アンモナイト」のダンスを笑いながら踊っている光景がほっこりと浮かぶのだ。
(2~3歳の頃の子ってほんとよく踊るのよね)

それにしても、人ってすごい。
宇宙ほどの大きさのものでも、想像の世界では自分のてのひらに乗っけることさえ出来てしまうんだものね。

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紙の本ドゥームズデイ・ブック 上

2011/04/18 10:56

未知のものに対する恐怖というのは、いつの時代も普遍的なもの。見事な人物描写で唸らせてくれる、極上のSF文学作品。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「航路」ですっかりコニー・ウィリスファンになった私。
表紙絵がまるでラノベのようでなんだかなぁ…なのですが、前知識ゼロの状態で手に取ってみました。

私の大好きなタイムトラベルものです。英語圏SFの三大タイトルと言われるネビュラ賞、ヒューゴー賞、ローカス賞の三冠を独占したというだけあって、SFという枠では収まり切らない、非常に文学的な面白さがありました。

21世紀のオックスフォード大学の女子学生キヴリンが、研究のため、中世へのタイムトラベルを行う。
一方、手塩にかけた自分の学生を、そんな危険なところへは行かせたくなかった、ダンワージー教授。
物語は、キヴリンの中世時代とダンワージー教授の現代が平行して語られます。

中世でも比較的安全だと言われる時代のイギリスに跳んだはずのキヴリンは、何故かペストが蔓延している時代に間違って跳ばされ、しかも着いた早々、自らが原因不明の病に倒れ、元の時代に戻るためのポイントが失われてしまいます。もちろん、考え得る限りの予防策は講じていたはずなのに何故…。
そして、21世紀でも、突然未知のウイルスの猛威にさらされ、人々が次々に倒れ、パニック状態に。
キヴリンを中世に送り込んだ研究者もまた、同じ病に倒れてしまい、かくて彼女を回収する手段は現代に於いても失われてしまうのです。

「何かがおかしい…」

中世において、ペストは不治の伝染病です。
いったん感染者が出てしまえば、人々はなすすべもなく、次々に人が死んでいくのを、ただ見送るしかないのです。
その真っ只中で、無駄だと知りつつも懸命に対策を講じ、人々を救おうとするキヴリンの姿に心打たれます。
そこに至るまの情景描写や人物描写をこれでもかと丁寧に積み重ねてあるだけに、この怒涛の展開に至るや、読む者をずっぽりと引きずり込み、物語の世界に巻き込んでぐいぐい引っ張ってくれます。
それにしても、作者は本当にこの時代にタイムトラベルして"見てきた"んじゃないかと思えるほど、真に迫った描写をしていることに驚かされます。

また、一方の現代においても、未知のウイルスであれば根本的な対策がないのは同じ事。
重苦しさから言えば、それはもちろん中世のほうに軍配は上がります。21世紀のパニック具合は、コミカルな要素も織り込まれ、それほどの閉塞感はありません。
それでも、やはり、未知のものに対する恐怖というのは、いつの時代も普遍的なもので、人々の本能や人間性を見事に浮かび上がらせるものだとつくづく感じます。

よく夢で見る、"色々な障害のためなかなか目的地に辿り着けない"もどかしさを、ダンワージーの奔走する姿に重ね合わせ、ハラハラしつつ、おしまいまで一気に読まされてしまいました。

「来てくださると思ってました」

そうなんですね。きっと、キヴリンがかの時代に跳ばされてしまったのも、間違いではなく、必然。
あの時代が、彼女を呼び寄せたのでしょう。

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紙の本ノラや 改版

2012/02/06 08:14

深い愛情を注いでいた存在を失って、うろたえ嘆き悲しむ百間先生の姿に、我が身を重ね合わせてしまい、涙涙。

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

何事も、経験してみないとわからないものだと思うが、"猫を失う"というのも、経験した者でないとその悲しみは理解できないものだろう。

いいトシをした爺さんが、いなくなった猫を思って身も世もなく泣き崩れる。
愛猫のお気に入りだった寝床に突っ伏して、「ノラやノラや」と近所に聞こえるほどの声で毎晩号泣するのだ。
その姿を見て「滑稽だ」と嗤う者もきっと多かったに違いない。ましてそれほどまでに取り乱しているのは、頑固一徹と言われた百鬼園大先生なのだ。口には出さずとも、「いい気味だ」と溜飲を下げた向きもあったようだ。

だが、私は笑えなかった。
それどころか、百間先生と一緒になって、「ノラやおまえはどこへ行ったんだ」とめそめそめそめそ泣いてしまったのだ。
だって猫を失って嘆き悲しむ先生の姿は、そのまま私の姿そのものなのだから。

実家に、ノラと同じような猫がいた。ヒメという名の雌猫だった。
百間先生の奥様のように、母はよく
「いい子だいい子だヒメちゃんは」
と猫を抱っこして歩いていた。
ノラとヒメは共通点がたくさんある。
ヒメはノラと同じくとても頭の良い猫だった。
バスマットの上に粗相をした時、それを上手に足で蹴ってくるんで隠したこともまったく同じ。
その上、ノラと同じくある日ふいっと家を出て、そのまま二度と戻らなかった。
「ノラや」を読みながら、私はどうしても、いなくなったヒメを思い出さずにはいられなかった。

私と家族は、「あれは覚悟の上の家出だ。何故って、前の日、いつもは愛想なしのあの子が、こちらが驚くほど擦り寄ってきていた。あれは別れの挨拶だったんだろう。それにごはんもいつもよりたくさん食べていた。食べ溜めしていたんだ。」と口々に言い合ってお互いを慰めた。

だから、どこかで元気に暮らしているに違いない

そう思うことで心に折り合いをつけた。
それでも喪失感は大きく、なかなか気持ちの整理がつかなかった。

その後、はからずも、百間先生はクルツという、ノラに良く似た別の猫を飼うことになるのだが、クルを可愛がりながらも、決してノラのことを忘れていなかった。
ノラのために毎日続けているおまじないを欠かさない。何かの拍子にふとノラを思ってはまた涙する。

昨年、私は18年間連れ添った最愛の猫を亡くした。
行方不明の猫を思って流す涙は、可哀想な猫のための涙だが、亡くした猫に流す涙は、それはどちらかと言えば人間の側のためのものだろう。私は絵に描いたようなペットロス状態に陥った。毎日毎日うっかりすると人前だろうとどこだろうと涙が頬を伝い、慌ててそれをぬぐう。
ふすまを閉めるとき「あ、もう猫が通る隙間を開けておく必要なかったんだ」と思っては涙、魚を食べるとき「これ、あの子が大好きだったなぁ」と思っては涙、もう心置きなく旅行にいけるんだなぁと思ってはまた涙。涙涙涙。
だからクルの描写は、本当に読んでいて辛かった。

「クルやお前か」
このひと言に胸が締め付けられる。
「ノラや」を読んで「笑った」という感想を読んで私は憤った。人の悲しみをなんだと思っているのだ。
深い愛情を注いでいた存在を失って、うろたえる姿がそんなにおかしいか。悲しんで何が悪いのか。

正直、読んだ直後は、去年亡くなった猫を思い出して辛くてしょうがなかったし、読むんじゃなかったなぁと後悔もしたけれど、そうやって事あるごとに思い出して涙を流す、それ自体が、逝ってしまった猫たちへの、そして自分自身への供養になるんじゃないかと思い直した。
そうしてもう一度最初からゆっくり文字をたどり、可愛いノラとクルに思いを寄せた。

ノラもクルも百間先生も、いまはもうみんなこの世にいない。

それでも、その深い想いは、時を超えて私の心に沁みてきて、知らずまた涙を引き寄せる。
本は凄い。

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紙の本魍魎の匣 文庫版

2011/12/06 22:25

京極堂の語りにいつしか引き込まれ、私も自分の憑き物をひとつ落としてもらったような気がします。読んで良かった。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

どうしよう…
すっかり京極堂に「憑かれ」ちゃったよ。

これほんっっとうに面白かった!
この本に初めて対峙した時には、その凶悪なまでの分厚さに正直身構えてしまったのですが、いざ読み出すとページをめくる手が止まらない止まらない。
これだけ長いと、さすがに一気に、とはいかないけれど、遅読の私にしては驚異的なスピードで読破してしまったのです。

この物語、前作「姑獲鳥の夏」同様、ミステリとしてはギリギリなんですよ。
で、実は私自身はミステリとしては捉えていません。

「魍魎とは境界だよ」

京極堂がそう断ずる通り、まさに、人としての境界を超えるか否か、の物語。
登場人物の一線の超え具合は、むしろもうファンタジーの領域だろうと。
その突き抜け方に、どうも私は"憑かれ"てしまったようなのです。

犯罪には動機が付きものと誰もが言う。
けれど、動機なんて、所詮、世間が納得するための後付け。
いくら理由があろうと何だろうと、普通、人は人として踏み越えてはならない一線は超えない。
そこを超える後押しとなる一瞬のナニモノかを「通り物」と呼ぶ。
つまりは、誰でもが犯罪者となる可能性を秘めているのだよね。
うん、いつも通り、京極堂の薀蓄はとても深い。

ところで、この物語の中には、2種類の「ハコ」という文字が登場します。

タイトルの「匣」と御筥様の「筥」。
文字そのものにどういった違いがあるのかはわからないけれど、いずれにせよ、「ハコ」とは本来、モノを容れるためにあるもの。箱そのものが主体となってしまっては本末転倒でしょう。
この物語中の人物の不幸は、どれも中身ではなく入れ物が主体となってしまったが故に、訪れたものではないかと思います。

これは個人的な見解なのですが、私は、人には

「始めに箱を用意して、後から中身を考える」人と

「始めに中身を用意して、後からそれに見合った箱を考える」人

の2つのパターンがあるように思うのです。

どちらを選ぶにせよ、用意された箱とその中身がうまく調和できなかった時に、人は不幸を感じるのではないでしょうか。

びっしり
みっちり

そういう表現ってとっても「満たされた」感がありますよね。
幸福と呼ばれる感情が、"満たされる"ことから引き起こされるのであれば、多分に比喩的になりますが、用意した箱がみっちり詰まった状態を幸福と言うんじゃないかって気がします。
その意味では、与えられた境遇に満足して、スライムのように形を変えて自ら箱にみっしり詰まることの出来た雨宮が一番の幸福者だったのではないでしょうかね。
柔軟性というのも、幸福のひとつのキーワードかもしれません。

物語全体としては、タイトルに違わず陰惨で猟奇的な雰囲気が漂うので、バラバラ死体だのなんだのが苦手な方にはオススメできないのがとても残念なのですが、今回はとにかく常連キャラがとても面白いので、できれば是非、京極堂シリーズ未読の方にも読んでみていただきたいなぁと思うのです。

その京極堂は相変わらず関口に対しては実に辛辣なんですが(笑)、酷薄なことを言いつつ、本当は関口のことが心配でほっとけないんだなぁというのが言葉の端々や態度に表れていて思わずクスリとさせられたし、榎木津は世間からのズレ具合が益々パワーアップしていて目が離せないし、木場修はかっこ良すぎて思わず
「惚れてまうやろ~~」
な雰囲気を醸し出してるし、兎にも角にも先入観は捨てて、読むべし読むべし、ですぞ。

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紙の本家守綺譚

2011/09/27 09:17

静謐な、水墨画のような世界。四季折々の花と共に、河童も鬼も犬も人も調和を保って静かに暮らしている。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

しんとした、静謐な世界。

水墨画のような風景の中、風がさわさわと庭を通り抜け、池でとぷんと小さく水が跳ねて波紋が拡がる。
そこではサルスベリの木が人に懸想をし、河童がしばし逗留し、もちろん狸は人を化かす。
そして座敷の掛け軸の中から、湖で行方不明になったはずの友人が、何気にボートを漕いでやってくる。
一見すると怪談かとも思われるような物語が、ここではごく当たり前の情景として静かに語られるのだ。

昔、少し生け花を習っていたことがある。
そこの先生がおっしゃられていたのだが、植物にはどうも
「手を嫌う」
ということがあるらしい。人参などは、蒔き手によっては全く芽を出さないそうな。
嘘か本当かわからないが、相性、というものは、確かに植物と人の間にもあるのだろう。
そしてそれはもちろん、動物と人の間にも存在する。
ゴローが何を思って綿貫の家に居つくことにしたのか、それは常人には知り得ぬことだけれど、ゴローはたいへん偉大な犬であるので、綿貫の中にある無防備なまでの率直さ、柔軟さを直感で嗅ぎ取ったのだろう。

実際、綿貫は大した人物だと思う。
諸々の不思議を不思議のまま、「そんなものか」と素直に受け容れる。
そしてそのような柔軟さを保ちながらも、安逸とした生活への心惹かれるいざないを良しとせず
「こういう生活は、わたしの精神を養わない」
と言い切る凛とした潔さも同時に持っている。
確かに彼は立派に「家守」なのだ。

精神の高みを目指しつつも、 少欲知足の生活を守る。
欲しいものは何でも望めば簡単に手に入る、便利な生活に慣れた今の私たち日本人が
少し昔に置いてきてしまった"慎ましさ"に、ここで出会う。

すっと喉を過ぎ、いつのまにか身体中に染み渡る
清浄な水のような、そんなしずかな文章に心満たされた。
そのすべてに圧倒されつつ、身を任せるのがこの物語を読む幸せ。

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