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先月(2017年6月)

チルネコさんのレビュー一覧

投稿者:チルネコ

19 件中 1 件~ 15 件を表示

本書でエンデが示した地域通貨の可能性によって、今日のデフレ脱却への可能性も見出せる。要はお金は使い様なのである。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本好きな方が『エンデの遺言』というタイトルの〔エンデ〕という部分でまず始めにピンとくるのはたぶんミヒャエル・エンデだろう。本書の〔エンデ〕というのはまさしく『モモ』や『果てしない物語』を書いたミヒャエル・エンデその人である。しかし、そういう一般的なファンタジー作家というイメージとは違い、【お金】の根源を問うエンデのアプローチを形にしたものが本書なのだ。といってもタイトルにあるように本書はエンデが著したものではなく、お金の根源を問うエンデとドキュメンタリーを作りたいと考え先だってインタビューを行っていたそのテープを元に書かれたものである。なぜ自身で書かなかったのかというと、エンデはドキュメンタリーが製作される前にこのテープを残して他界してしまったのからなのだ。しかし、どうしてもそのテープにあるエンデの遺言ともいえる熱弁を番組にして伝えたいという想いから、ドキュメンタリーが製作され本書が出版されたようである。そして、ここに書かれていることは、エンデが熱心に「お金の本来の形」を語る姿だった。

僕も『モモ』は一応幼少期に読んでいたのでおぼろげながら内容の記憶はあるのだが、実はあの作品にも「お金」を問う問題意識が隠されていたのである。〔灰色の男〕を何かに置き換えてみるとたぶんやんわりとでもイメージが掴めるだろう(思い浮かばなければ再読を)。それほど以前からエンデは「お金」というものに疑問を投げかけ、経済学者などと親交を深め論じてきたようなのだ。その証拠にエンデの本棚にはゲゼル『自然的経済秩序』、ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』、シュタイナー『社会問題の核心』、オンケン『ゲゼル全集』、ビンズヴァンガー『お金と成長』、マルグリット・ケネディ『利子ともインフレとも無縁な貨幣』、トルストイ『お金と何か』、ズーア『付加価値なしのお金』『利子とは泥棒だ』など、数多くのお金を論じた著作が並んでいたようだ。

それらのタイトルを読んでいくと漠然とではあるがいくつか見えてくるものが、はっきりと「利子」というものへの問題提起がタイトルからでも見えてくるだろう。だがまずはエンデが最も影響を受けたであろうゲゼルやシュタイナーの「お金の価値は減らなければならない」「お金は老化しなければならない」というテーゼに注目したい。自然界のものも人間が創造したものもすべて老化を経て消滅するというプロセスを必ず持っているが、お金に関しては老化もせず消滅もしない。人がいるかぎり膨張を続けるという得意な創造物で、これはいつか破綻に突き当たるという。確かにそれは至極最もなことでマルグリット・ケネディも「このままのシステムでいけば100年ないし200年で経済は破綻を迎える。これは計算をすれば誰でもわかることだ。」と言っているくらいである。加えて貯蓄からは利子も産まれ、お金は刷られるほど膨張してゆく。しかし、これはお金の本来の形ではなくて、お金もその他の物と等価交換されれば、役割を終え老化し消滅しなければならない。あるいは価値を減らしていつかは消滅しなければならないという。

実はこれはすでにオーストリアのヴェルグルという町で地域通貨という形で実践されていて、それが「スタンプ貨幣」というもの。これはスタンプによって一ヶ月ごとに価値が1%下がるという貨幣で、持ってても増えないばかりか、逆に使わなければどんどん価値が減少するというものなので、皆がすぐに使う。皆がすぐ使うということはこの貨幣が町でどんどん潤滑し貨幣の流通が滞ることがなくなったのである。これは町単位だったとはいえ大成功を収めたようだが、オーストリア政府の「紙幣の発行は国の独占である」ということから介入にあい禁止される。

しかしそれらの試みが地域通貨としての嚆矢となり、LETS(地域交換取引制度)や交換リングやSELなど、世界では現在2000以上の取り組みが行われているのである。驚くなかれ、実はわが国でも並行通貨というものは全国どこにでも存在していて、100や200はくだらないようだ。だが、地域通貨が流通している実感があるか?といわれると正直全くないのである。大概の方が実感してないことと思うが、これが問題でまだ全然浸透してないのである。

しかし、ニューヨーク州イサカという地域を見てみると地域通貨というものがほぼ町に浸透しているのだから驚いた。人口3万人の町で発行されている「イサカアワー」という地域通貨は、町のほぼどこでも使えるお金として流通しているのである。地元の銀行や数十社の企業でも扱われていいて、政府もこれを公認してるというのだからこれはもう成功例といっていいだろう。これを経済がどうにもならない日本でもやればいいと思うのだが、悲しいかな日本では「イサカアワー」にょうな地域通貨は違法になってしまうようなのだ(苦笑)もちろん米国では合法。しんどい国だ。。。

「イサカアワー」が成功してるのは「個人での労働に対する純粋な対価としての通貨」だからである。政府発行紙幣はどんどん資本に吸い取られていくが、イサカアワーは第二通貨として貯め込まれることもなく、法定通貨を補うためとして使われているからだと思う。ほかにも成功してる地域通貨はいくつもあり、法定通貨を補うお金として、現在の金融システムなどと切り離された存在で地域を救済してくれるのではないだろうか。

エンデは言う。「お金を変えられないことはない。人間が作り出したのだから」と。ネットマネーなど新たな形のマネーも登場してきているが、人の考え方次第ではまだ取り戻せるものがあるかもしれないという可能性を魅せてもらった。

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紙の本写楽閉じた国の幻

2011/05/22 00:50

ここにきて島荘という作家が投じた一石は非常に大きいと思う

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

謎というものは人を惹きつけてやまない蠱惑的な存在だ。邪馬台国の謎や大きく捉えるとミステリも謎あっての存在である。本書の写楽もまた長年国内に留まらず研究者たちを悩ませてきた謎なのである。10ヶ月あまりで普通の絵師では考えられないほどの作品を世に出し、突然ふつっと姿を消してしまう。その為別人説や大物説など多くの憶測を呼んでいるのだが、どれも確証がなく登場する経緯も姿を消した後の消息も今では謎となってしまっている。写楽という人物自体が謎そのものということだが、これは格好のミステリの題材ではないだろうか。それをあの島荘が20年という歳月をかけて構想し探求しミステリ小説として誕生させたのだから、一介の読者といえど興味を持てないわけがなかった(笑)

タイトルが『写楽』といっても時代ものではなく、語られるのは現代が舞台だ(中盤過去と現代を入り混ぜて語られる箇所もある)。何もかも上手くゆかない上にエレベーター事故で息子を失い、落ちに落ちてしまった主人公。この人物が実は写楽の研究家で過去に一冊本も著していて、人生のどん底を味わいつつも偶然見つけた絵を通じて写楽という謎の真相解明へと進んでゆく。これが600P強という大作にて描かれていて、島荘の中でもかなりの力作だと思う。ストーリーの構成やきっちり論理立てた上でのどんでん返しは賞賛を送らずには入られないだろう。

何が一番面白いのかというと、やはり「写楽」は一体全体誰だったのか?という謎に対する、作者の奇抜なアンサーにある。恥ずかしながら「写楽」についての本を多く読んでいるわけではないので、この写楽の真相が奇抜だと声たからかには言えない。が、これが思いもよらない着眼点から導かれたのだと確信することは、本書の記述や島荘自身によるあとがきによって理解できる。思えばエレベーター問題の箇所からして日本というか日本人を批判的に描いていたが、テーマも一応一貫してるとも言えるのではないだろうか(笑)歳月をかけた集めた資料と熟考したであろう個性的な論証。ミステリとしてかなりの力作で、このミス2位も異論なく納得でき、歴史ミステリとして投じた一石はかなり大きいのではないだろうか。さすが島荘^^

だが、語るべきものが多すぎて整理できなかったのか、ここまで大作になってしまうようなストーリーでもなかったような気はする。加えて女教授は一体何者だったのか?とか主人公はこの後どうなるのかなどなど、未解決問題も多くの残したまま終わってしまった感は拭えない。まぁこの部分はあとがきで自身も指摘されていて、この続編の題材も構想ももうネタはあっていつか書くというような事まで言及されていたので、ここは次回のお楽しみにとっておこうと思う。

思えば西洋絵画にはそれなりに著作も読んだり作品も観て触れていたが、「浮世絵」に関しては西洋絵画に反比例するように接してきてない自分がいたことに読んでいて気づきました。本書のエッセンスの一つである「日本人は日本のあれこれを軽視しすぎだ」というようなものが、グサッともろに刺さってきました(苦笑)そんな僕でも本書を読んでしまうと、浮世絵や絵師、歌舞伎などにも興味を持ってしまうほどそちらの方面の魅力も詰まっている。北斎や歌麿や一九。名前は知っていれど深くは知らない絵師たちだが、日本にも素晴らしい絵描きがいて、近すぎて見えなくなってしまっては勿体無いなと思っちゃう。浮世絵にも興味が持てたので今後こっち関係の本も読んでゆきたい。

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紙の本フェルメール全点踏破の旅

2011/05/17 23:15

これ一冊読むのと読まないのとでは、フェルメールの作品の見方が随分違ってくるだろう

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まずフェルメールは非常に寡作で、一般的に現存する作品は37点だと言われている。その中でも真作か贋作かと意見が分かれていたりもするので、フェルメール作品は34点だとか30数点だとも言われており、真相は竹林の中だ。だが絵画についてまだまだ浅学な僕にもここには持論があって、僕の中では〔フルートを持つ女〕と〔聖プラクセデス〕は疑わしいのではないかと勝手に勘ぐっている(笑)まず〔聖プラクセデス〕はフェルメールらしさが全く感じれない。宗教画のようなので初期の作品だろうけど、それにしてもタッチやフェルメールの雰囲気が皆無な気がする。〔フルートを持つ女〕は人物像やその佇まいなんかはフェルメールっぽいといえばそう見えるのだが、こんな構図でこんな光の使い方をするのかな?と思ってしまう。本書に書いてあった「フェルメールが描きはじめたが、彼の死後力の劣った画家、おそらくヤン・クーレンビアが仕上げたのだろう」というようなほかの画家が仕上げた説ならなんとなくではあるが納得できるのだが。。。

おっと、少し本書の紹介から脱線してしまったけど(^^;)、この著者・朽木ゆり子はフェルメールないし絵画に関する専門家ではなく、どうやら好きが高じてフェルメールを研究し始めたようで、本来はジャーナリストや翻訳家としての面が大きいようだ。だが、本書は『フェルメール 全点踏破の旅』というだけあって、フェルメール全作品を網羅している。専門家ではないのでフェルメールの専門家や絵画評論家、他のフェルメールに関する著作などに頼って記述されている部分も大きいが、それぞれの展示場所やその特性、その絵の寓意、そしてジャーナリスティックな面白い持論などが書かれていて、フェルメールの絵を見る前にこれ一冊だけでも読んでおくと見方が随分変わるだろうなと思う。

例えば〔デルフトの眺望〕をとってみると、この作品はカメラ・オブスクーラ(暗箱)の助けを借りて描かれていると推測されているが、風景画レンズに写ったままを描写をしたわけではないと言われていたりする。また、フェルメールは建物の高さや重なりを微妙に操作して、空と水の間に細い帯のように建築物が並んでいる効果を出した。さらにX線写真から修正箇所も判明していて、フェルメールは写実的に描写したのではないということがわかるのである。写実的なようでいて写実的でない。それでこそフェルメールだ。

また、この絵をあのプルーストも絶賛しており、「世界でもっとも美しい絵」との賞賛を送った上に、『失われた時を求めて』で登場人物の小説家に「小さな黄色い壁の絵の具をいくつも積み上げて、文章(フレーズ)そのものを価値あるものにしなければいけなかったんだ」というセリフを言わせており、その後この登場人物はある言葉を残して展覧会場で発作を起こし死んでしまうのだ。プルーストは病床からこの展覧会を見に行きその後『失われた時を求めて』を書いて他界したというから、この登場人物も行動はプルーストのフェルメールに対する賞賛以外の何物でもないだろう。

だが、僕が個人的に好きなフェルメールの絵というものはもう確固たる地位を僕の中で築いてしまっている。実物は見たことないが、ダヴィンチやラトゥールやモローなどといった好きな画家の中でも、特に気に入ってるフェルメールの作品が2点あるのだ。それは〔地理学者〕と〔天文学者〕である。フェルメールといえばやはりトローニーである〔真珠の耳飾の少女〕とか〔牛乳を注ぐ女〕など、女性の内面が浮き出てくるような絵の方が人気があるだろう。僕も〔レースを編む女〕を直で観たときには、こんな小さな額縁に嵌ったもっと小さな絵が、女性的で可愛らしい効果を生むと共に、直向きにレースを編む女性に親しみやすさと優美さすら感じてしまったくらいだ(ちなみにこれにはダリによる贋作もあるw)。

もちろんフェルメールが描く数少ない男性の被写体だからという理由でこの二つを好きなのではない。嫌、少しはあるかも知れないが、女性の被写体描写にはないものがここには詰まっているからなのである。

この2点を見比べるととても似通ってる共通点が見えてくる。ます被写体も似ているし構図も似通っている。家具の配置や小物の類似、全体的な光に色合いは違うが、光の差し方は同じような陰影なのである。しかし、何度もじ~っと凝視して見比べていると、そこから読み取れるものは違ったものが浮かんでくるように思う。

実は描かれている人物は共通の人物だと思われていて、両者とも科学者・レーウェンフックという人物であるらしい。またレンブラントやレンブラントの弟子・ダウも好んで書いた「書斎の学者」という主題であり、これも共に共通するものだ。だがこの作品2つは対の作品ではないのである。これだけ似通ってる要素があるのに、別々であるというのは不思議で魅力の一つだろう。

〔地理学者〕のほうはこれぞフェルメール!といったフェルメール的な作品。光が左の窓から射し込み、地理学者は作業の手を止め窓の外を眺め何かに思い耽っている。何に思いを馳せているのかは見るもの次第だと思うが、この光の射しかたや光の充満具合から、この考え事によって後々何かを閃くような、または爽快な気分を感じさせるような雰囲気だ。また、フェルメールが地理学者や天文学者を描くことでその時代の科学的なものにも関心があったことがわかる。

〔天文学者〕のほうは地理学者と違って左の窓から同じような光の射しかたをしてはいるものの、全体的に暗めなトーンになっている。これはたぶん天文学者ということで夜の月の光をイメージしてるようにも観れる。その為、地理学者では爽快感なるものを感じたが、天文学者では何か叡智すら感じる雰囲気なのだ。光の射しかたがこうなので、全体的にソフトになっているのも面白い。「天球儀」に右手をかざし何を考えているのだろうか?(ちなみに地理学者のものは地球儀)。また机上に置かれている本も実在するものでページ数までわかっており、本の後ろの置かれている器具は天体観測用のアストロラープだという。こういった小道具を細部まで繊細に描いているのはフェルメールの全盛期の作品で、後期では細部はぼかしたものも多く、この2点はそういった点でも好きなのだ。


このように自分の作品に対する想いと書かれている情報とを読み比べてみるのも面白い。また基本的な情報量ではあるが、ガイドブック的な役割を果たしてくれもするだろうし、解がめぐりの旅のお供に一冊持参するのもいいだろう。全点網羅されているのでフェルメール本として様々な楽しみ方ができると思うので、お勧めの一冊だ。

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紙の本ソラリスの陽のもとに

2011/06/05 12:14

既知が未知になったら一体どうするんだろう?レムの斬新な視点は色褪せない

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この作品の表向きのテーマを簡単に言うと、というかこういうしかないと思うのだが、これはファーストコンタクトものである。SFでは普遍的なテーマである未知との遭遇モノ。このテーマのものならSF好きでない人でも何作かパッと頭に浮かぶ作品があるのではないだろうか?しかし、なぜこの作品が今でも必ずといっていいほどSFランキングの上位に食い込んでくるのかということを考えると、これが単なるファーストコンタクトものではないと察するに易しい。

ファーストコンタクト=未知との遭遇と聞いてまず思い浮かぶのが異星人(宇宙人など)との接触だろう。そして、この異星人は「敵なのか?味方なのか?」というように、人類が勝つか、異星人が勝つか、共存かという紋切型の図式が考えられる。が、作者も言っているようにこれはあまりに単純に図式化されすぎているということ。かくいう僕も素直じゃないので「いつも宇宙人に勝ったり負けたりの争いばかりだな」と思ったものだが、レムはそのモチーフを発展させて、今でも斬新ととれる作品へと発展させてしまったのだ。予断だが、こういう考えをしていると、異星人を【難民】として扱った『第9地区』という映画は、斬新な観点で異星人を捉えたにも関わらず、最後には図式化された型にハマってしまったという点で、とてつもなくいい位置につけた作品だったんだなという想いが強くなる。

じゃあレムの何が凄かったのか?というと、根本から違ってて、まずは「未知なるもの」を【海】というものにしてしまったことだ。【海】は地球にもあるので誰でも知ってますが、それが凄いんです。だって未知なるもの=海=既知なんだから。未知が既知になるのが常だけど、これは既知が未知になるんだから、登場人物も読者もはじめは必ず混乱してしまう。また、未知との遭遇というよりもむしろ「謎」との遭遇といったほうが適切で、これは本好き嫌いに関わらず、好奇心旺盛な人間の大好物なんだから、この作品のテーマは素晴らしく斬新なんだと思う。

そしてこの惑星ソラリスに存在する得体の知れない【海】ってのは一体なんなのか?と登場人物たちも詮索し研究するのだけど、実は本書の内容はそれに終始されれるだけなのだ。話の流れはこの【海】の解明と【海】と関連するであろうハリーとケルビンのラヴロマンスだけなのだ。もしかしたら退屈な人にはとてつもなく波がなく味気もない作品に映るかも知れない。なにせ、大まかな筋はこの2点だけな上に、哲学的で心理的という形而上なことばかりなんだから。だが本書はそれが長所であり全てで、作者の思想が破裂しそうなくらい詰まっている。これが書かれた時代背景というのも否めないが、米SFへの回答としての東欧SFとして捉えても読んでも面白い。ただ人類は「謎」という魅力から逃れられないことを考慮すると、本書は本当にいつまでも色褪せることはないと言える謎に満ちたSFなのは間違いない。

また、本書が一層読みたくなったのは森見登美彦の『ペンギン・ハイウェイ』が本書にインスパイアされて書かれたということもある。ペンギン~にも形や規模は違えど得体の知れない【球体の海】が重要なガジェットととして使われていた上に、ソラリスでのハリーという既知=未知に対する、ペンギン~でのペンギンという既知=未知。そしてラヴロマンスに対するあおやま君のほのかな恋物語。登美彦氏が何度となくソラリスを繰り返し読んだという、その影響がどう『ペンギンハイウェイ』に反映されていたのか深く理解できた。換骨奪胎というと言い過ぎかも知れないが、少なくとも相当な面でインスパイアされたのは間違いない。そこかしこに『ソラリス』の意思が横溢してたのだから。登美彦氏に多大な影響を与えてくれたという点だけでも、登美彦氏マニアな僕にとっては感謝すべき作品なのであった。ホントなむなむ!

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紙の本逆転世界

2011/06/11 01:31

この作品はアインシュタインと同じだ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

荒廃した土地に一つの巨大可動建造物がある。その中には人々が住み節度あるコミュニティが形成され、特に不自由ない暮らしをしている。だが、この巨大建築物は〔可動式〕であり、荒廃した土地を移動できるようになっているのである。それはなぜかというと、いつもその建築物の数マイル先に〔最適線〕という基準線があり、その線に着かず離れず着いてゆかねばならない。これはそうしなければならないとギルドによって昔から受け継がれてきた至上命題なのである。

主人公ヘルワード・マンも成人してギルドに入るまでは、建築物の外に出たことはなく、閉鎖的な都市内で教えられてきた事象以外何もしらない。なので、「なぜ最適線に向かって進まねばならないのか?そもそも最適線ってのは何の為にあるのか?」すら知らない。最適線に向かって都市を進めるため、〔牽引ギルド〕があったり〔未来測量ギルド〕があったりするのだが、主人公も読者も始めにドーンと提示された退廃的な世界にある巨大建築物に不可解で謎な点が多すぎてなにがなんだかわからなくなってしまうのだ。「この世界はどうなってるんだ?」という風に。

主人公と読者は同じ事象しか知らされないので、主人公とともにこの世界の事柄を少しずつ知ってゆくことになる。だがこれが謎へのヒントが一つ一つ提示されてゆくような、ちょっとしたミステリ的構造を持った流れとなっているので、SFとともにミステリ的仕掛けも楽しめてしまうのだから面白い。この謎に対する結末だが、これはエリザベスが○○から来たという説明があったとき、勘ぐってたものが確証へと変わったのでミステリ的しかけは自力で解けてしまった。だが、先日読んだレムの『ソラリスの陽のもとに』のテーマも一種の同系統作品だと思うのだが、○○の変革のテーマ(←未読の方の為に一応伏せておく)には良質な作品が多い気がする。そりゃそうだろう、既存の○○をぶち壊してしまうような思考実験~立証とは、アインシュタインもダーウィンもニュートンもそこを疑問視し覆したからこそ名前が残っているんだから。このテーマを扱った作品はSFだけでなくてもチェックしてゆかねばならない。

だが、本書は○○の変革というアイディアだけでここまでSF然するわけないと思ったのだが、あとがきにあるように本書にはとてもアイディアが詰まっているのだ。都市外の世界にある歪みはアインシュタインの相対性理論だし、事象の地平線はいわずもがな。科学に対する作者の敬意が感じられる上に、少しあっけなく真相が明かされるとはいえ語りも上手い。なによりこの軸のアイディアにはミステリ的しかけよりもやられた感が大きい。あまりにも見事だ。

こう考えたことはないだろうか?自分が見ている空の〔青色〕という色は、絶対に他人が見てる〔青色〕と同じなのだろうか?と。もしかしたら他人がいう〔青色〕というのは、実は自分がいう〔赤色〕に見えてて、それをただ〔青色〕という認識でもって表現してるだけかも知れない。僕の〔黄色〕はある人には自分的の中での〔白色〕のことで、ある人が〔緑色〕といったものは、自分の中では〔茶色〕に見えてるものかもしれない、と。街にある木々に「緑がいっぱいで気持ちいいねー」と言っても、相手には茶色に見えてるかも・・・・・そう思うとぞっとするが、本書を読んだ方はそれとなくありえない話ではないと思ってもらえるのではないだろうか。

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紙の本連続殺人鬼カエル男

2011/06/02 17:40

ミステリとしてもサイコキラーものとしても優れている。これぞ大型新人!!

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

タイトルの付け方や装丁のナイフを持って佇むカエルなどから、少しチープでユーモア炸裂ファルス満載の類かと思ってしまったがなんのその(一瞬バカミスかな?とも思った)。装丁買いしたらまず期待を裏切られてしまうような、残酷残虐暴力的極まりない内容となっている。それはのっけからその危ないテンションで、新聞配達人がマンションで口にフックを掛けられた女性の死体を発見するところから始まるから、ページを捲って早々に寒気がしてくるだろう。だがこれも単なる事件の一つにすぎず次々と無残な死体や暴力的で目を背けたくなる描写などが矢継ぎ早に繰り出されてくる。自分のモラルに大風呂敷を被されて盗まれそうな感覚に陥る感じすらした。

いくつか殺人があって死体の描写があるのだが、それが一つ一つなかなかにグロテスクでいちいち惨たらしい。これは作者の描写が酷さを文字へと抉り出すのが上手いからなんだろうが、圧巻はカエル男と○○○の格闘シーンである。ここが本書の最大の見所といってもいいくらい凄まじく壮絶な暴力劇が繰り広げられるから、読んでるこっちが痛くなってきても目をそむけるのはもったにない。○○○はこの前にも顔の形が変わるほどボコボコにやられてるのに作者も人が悪いなぁ(苦笑)サイコキラーものとしてホラーファンも受け入れられるほどのものはあったと思っている。

だが本書はミステリの賞を受賞しているのであるから、そこにも注目するとこれもまたなかなか優れているのだ。斬新な真相をガツンと読ませるというよりも、既存の手法を畳み掛けてくるようなミステリ的手法。煽りすぎな感もあるが帯にある「どんでん返しにつぐどんでん返し」というのもあながち否定できないほど、真相が二転三転するから新人らしからぬ構成力とアイディアを認めざる終えないだろう。この多重構造は感嘆だ。最後の1行のセリフにはここまで繋がっていたのかという驚きと、読者感情をもやもやで終わらせない配慮に頭が下がる。

タイトルにあるのでこのカエル男がサイコキラーだというのは察知してると思うが、ここに犯罪心理や音楽療法などいろんな要素がからんでくるが一番重要視したいのはなんといっても刑法39条のくだりだろう。39条1項は「心神薄弱者ノ行為ハコレヲ罰セズ」だと思うが、これがいろんなところに絡んで社会的要素も入ってくるのだ。だが個人的に注目したのは作者がさらっと述べた意見。「心神喪失は責任能力がないというが、そういう者が手をかけるのは老人や女性や子供ばかりであり、それは弱者という区別がついているからである」というような箇所。こういう思考をしたことがなかったのだが、確かに的をえてると思う。弱者しか手にかけないということは、女子供が男の自分よりも力のない弱者ということを判断できているということだ。それが意識的でも無意識であっても、その判断は自分の中で下せているということは、即ち殺人行為の有無も自己で判断できているのではないか?ということなのだ。大人になる過程で動物などへの残虐行為で殺傷する感覚に慣れたり麻痺しても、それが判断力の喪失になるんだろうか?そもそもなぜ小動物から殺めるのか?だ。他に心神薄弱についての解釈はあるのだろうし責任能力の有無も難しい問題だろうが、作者の意見には一理あると意見として心に残った。

またほかにも作者は「人一人を殺めた人間が心神喪失という理由だけで刑罰を免れるのはやはり間違っている。病気が治ってから改めて裁判を受けそしてしかるべき処罰を受けるべきだ。裁判を受けるのは権利であり、罰を与えられて罪を償うのも実は義務ではなく権利なのだ。三十九条という法律は患者を救うのではなく、患者からその権利を奪うものではないか、と。そういう考え方もあるのです」というような文章も披露していて、注目すべきはホラーやミステリとしてだけでなく、こういう発言にも鋭いものがあるなとも思う。

もちろん完璧な作品ではなくて、疑問に思ってしまう点もいくつかある。それがまず暴動の部分。確かに猟奇的殺人で市民がおののくのは理解できるが、殺人事件で「次は自分かも?」と思うだけであのような暴動に至る群集心理が果たして働くのだろうか?曲がりなりにも忍耐強いと評される日本である。暴動という行為にリアリティがないのではなくて、作者の暴動への契機や要因の薄さゆえにリアリティがない。もし暴動まで繋げるならば、もっと大それた考えられない引き金を作るべきで、読者に伝わらない集団心理は脆弱だったのではないだろうか。また、ナツオのくだりもこれじゃあミスリードされない。もう使われすぎてて推測できちゃうので気をつけていただきたい(笑)

少しだけ難点を挙げたが総じてこの作品に対する僕の評価は高い。ミステリとしてはもちろんサイコキラーものとしても。またなんといっても作者の諸問題に対する率直な意見にも好感を持てたのだ。また~ドビュッシーや~ラフマニノフを書いた著者らしさも少しだけある。この作品を読む暁にはベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番 『悲愴』。できることならアシュケナージの演奏のものをBGMにどうぞ。なんでかって?読めばわかるさ(笑)

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紙の本あなたにもわかる相対性理論

2011/05/23 23:33

アインシュタインの思考の根源が茂木の筆によってわかり易く表現されていた

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

TVで観ない週はないというほどメディアにどんどん露出している脳科学者・茂木健一郎の著作である。「脳科学の茂木さんが相対性理論?」と思ってしまったが、まぁ科学という繋がりとまえがきを読むと著者が相対性理論(というかアインシュタイン)について述べたかった訳が理解できる。

話が変わるがやっぱりこの「PHPサイエンスワールド新書」というシリーズには一言物申したくなってしまう。以前読んで記事にした常石敬一『原発とプルトニウム』でも言及したように、この新書シリーズのタイトルの付け方には難がある。本書は『あなたにもわかる相対性理論』というタイトルで、相対性理論についても図解や絵などでわかり易く説明している箇所もあるが、本書の内容のほとんどは相対性理論の事というよりかは、「アインシュタインで見る茂木の哲学」みたいなものなのだ。よって、アインシュタインの背景や信念や功績などでほぼ埋められており、これだったら「アインシュタイン入門書」という風なタイトルがしっくりくる。本書がこの新書シリーズ一冊目なのだが、一冊目からしてこういうタイトルの付け方ということは、やはりずっと内容を勘違いしてしまうタイトルだろうから、これからこのPHPサイエンスワールド新書を読まれる方は、タイトルで釣られず少し内容を確認してから購入・読書をはじめたほうがいいかも知れない(苦笑)まぁ悪くばかり言うのもなんなので少しフォローしておくと、このシリーズのラインナップを見るとなかなかすごい面子が執筆していて面白そうな本がいくつもある。池内了、佐藤勝彦、川上紳一、瀬山士郎、日高敏隆、養老孟司などなどなかなかのラインナップでしょ?(笑)

話がそれてしまったので本題に入ると、先にも述べたように本書は相対性理論を詳しく説明した本というよりかは、アインシュタインがいかに凄かったかということを、幼少期にアインシュタインを崇拝し始めた茂木が熱く語っているというものだ。相対性理論についても判りやすい絵などで説明されてはいるが、相対性理論やアインシュタインの関連本に興味があって読んだことがある者なら、すでに心得てるような事象しか載ってないのであまり参考にはならない。しかし、巻末にアインシュタインの最も有名な公式であるE=mc2を導いた【第2論文】がすべて掲載されていて、今までの記述と格段にレベルが違ってくる(笑)これは物理学をしっかりやってる者じゃないと理解できないような数式のオンパレードなので、全くこの導きの理解はできなかった。が、この論文、論文にしてはものすごく短いのだ。この短い論文をもってしてE=mc2という人類史上最もシンプルで美しい公式を導き出したアインシュタインはやはりそれだけで偉大だというのは身に染みてわかった。

でも本書を読んでいるとアインシュタインの偉大さは世紀の大発見をしただけではないというのを感じれること。それは著者の茂木の筆力と言っても過言ではないだろう。まず茂木のアインシュタインに対する眼差しがものすごく熱く、茂木の出発点がアインシュタインであり、科学のあり方をアインシュタインで体現してところが理解しやすい。「アインシュタイン力」という10の項目にわけて「アインシュタインはこうだった、だからこんな偉大なことができた」など、さすが脳科学者だというようなシンプルな言葉だが、誰でも容易に理解できる筆運びをしている。アインシュタインにつてい学びたいと思う方への入門書としてなら本書は満点ではないだろうかと思えるほどである。

特にニュートンの「絶対空間」「絶対時間」というこれまでの科学の前提に置かれていたニュートン力学の難を、疑問に思い続けて「特殊相対性理論」を完成させたアインシュタインの思考の根源にあるものはすごい。権力や既存の絶対的な理論にさえ間違っていると思えば、疑問を抱き続け本当の答えを導き出してしまうその姿勢。そして、その導き出した「特殊相対性理論」でさえ光につていは応用でず、自分が導いた理論であるにも関わらずそれを広げて「一般相対性理論」を構築してしまう柔軟さ。アインシュタインは考え抜く剛の力と何事も柔らかく思考する柔の力を持ってたからこそ世紀の偉大な人物になり得たのだ。どこぞの誰かがアインシュタインの脳を取り出して後世の為に保存するというような突拍子もない考えを実行してしまったのも、なんだが気持ちだけは理解できる気がする。実際やっちゃうのはなんだかなぁという気分にはなるが(笑)

長くなっちゃったのでここで締めくくろうと思うが、「相対性理論を漠然ともわからない」とか「アインシュタインって一体全体何が偉大なの?」と思ってる人にとってものすごく糧になる本だと思う。逆に「アインシュタインにつていもっともっと深く知りたい!」という人にとっては、他にうってつけでディープな本があると思う。だが、本書を読むとアインシュタインの有名な舌を出して写っている写真のあの舌を出した理由、それが茂木健一郎の筆から感覚的ではあるがなんとなくポーズをとっているアインシュタインの姿が想像できてしまうから茂木健一郎の言いたかったこともよくわかる。

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紙の本帽子収集狂事件

2011/05/02 00:27

カーは密室と怪奇だけが取り柄じゃないんだねっ!

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

カーと言えば怪奇趣味と不可能趣味がまず思い浮かぶが、本書にはオカルティズムもなければ密室殺人もないので少し個人的には残念だ。しかし、なんといってもカーである。江戸川乱歩が「黄金期ベストテン」の7位に本書を選んだのはそこに何かがあるからなのだ。

まずは題材が推理好きには垂涎もののガジェットが用いられている。それはあのエドガー・アラン・ポーの未発表原稿なのだ!しかもそれはいろんな意味でとんでもな(笑)「モルグ街の殺人」より以前の、デュパンものときてるからこれは堪らない。世界初の推理小説が更新されたということなのだから。その貴重な未発表原稿が何者かに盗まれ、それに呼応するかのように霧がかったロンドン塔で殺人まで起きていたのである。それをフェル博士とランポール、そしてスコットランド・ヤードのハドリー警部らが真相解明に乗り出すのだ。

しかもそのロンドン塔での殺人で見つかった死体には身に着けている服装にはそぐわないシルクハットがかぶされていて、それは未発表原稿が盗まれた古書収集家の盗まれたシルクハットでもあったのだからますます奇妙な事件になっている。だが、内容をいえるのはここまでだろう。フーダニットかハウダニットかホワイダニットかすら、他の内容は言えない。乱歩も「密室殺人以上のトリックがある」というようなことしか言ってないくらい、これ以上触れるともしかしたら勘のいい方にはネタバレになってしまう恐れがあるから^^;;

でもおどろおどろしい怪奇趣味はなくても、霧がかったロンドン塔や盗まれた原稿などどよんとした怪しい雰囲気は健在。フェル博士とハドリー警部のつつきあいもニヤニヤする場面が多々ある。というか、ハドリー警部がフェル博士を呼び出したのに、なんであんなにフェル博士の粗をつっつくんだろうか(笑)ランポールは嫁さんもらってなんか落ち着いてる感じだった。あまり印象に残らなかったかな、ランポールは。

推理の面でいうと真相は評判通りの驚きとは思わなかったが、もちろんカーの上手さはあった。少しミスリードが弱かったり突然気味の真相だったりもするのだが、伏線の張り方が実に大胆。登場人物になにげなく核心を突くセリフを言わせたときの、カーの意地悪い笑みが文字から出てきそうなくらいいつの間にかサラッと言っちゃってる(笑)後から読んでもほぼ気付かないような気がしたのだが、付箋読書をしていたおかげで、なんとその一文にも付箋が貼られているのを発見!後から読んでも気付かなさそうな伏線だったのに、付箋を辿っていったらチェックしていたという・・・・。気になってチェックしておいた少し過去の自分は褒めてあげたいが、読了後記憶から抜け落ちていた自分の記憶力を残念に思う・・・・(苦笑)

そして真相がわかった後のラストのフェル博士、ランポール、ハドリー警部の多数決は、納得できない人もいるだろうが個人的には納得。というか、人間こうであって欲しいと思う。せめて小説の中だけでも正直者が馬鹿を見るような世の中であってほしくはない。こういう人情味ともいうべきものを容認させるカーやクリスティーがやっぱり好きだ^^

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紙の本ヘヴン

2011/06/14 02:33

哲学を学んだ川上未映子らしい内容だと思う

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

川上未映子の作品が苦手という方は多いかも知れない。実は僕もそうだ。それは作品の内容というよりも、あの独特というか奇を衒ったというか、作者の意図はわからないが読者にはなんだかな~と思ってしまう文体にある。関西人の僕でさえあのコテコテ感はいまどきどうだろうと思ったくらいだ。まぁああいうのに時代はないのかも知れないが、受け入れがたく何作か挑戦したがどれも読書を頓挫せざる終えなかったというのが本音である。

だが、今回のこの『ヘヴン』はそういう関西人風の語りではなく、いたって普通に標準語で書かれてある。なので、これが最後だと思って読んでみたが、なんと読了できたのである。これには嬉しさがこみ上げてきた(笑)関西弁の作品ももしかしたら内容の方は読むに足るものが濃縮されてるのかも知れないが、読了してないのでわからない。だが、本書にはちゃんと作品に流れるエッセンスがあり脱個性してくれてよかったなと思う(苦笑)

だが、これも個人的には評価の難しい作品となってしまった。物語のテーマは〔いじめ〕で、主人公である【斜視】の僕と女子でいじめられているコジマのいじめの描写、そしてこの二人の関係性の育みにほぼ終始する。いじめの描写がエスカレートしていったりするので、物語だけなぞって読むと残酷性ばかりで痛々しい。だが本書のそれは川上未映子にとっての表現の手段のように映り、真のテーマは〔善と悪〕を描くことにあったように感じれるだろう。なかでも圧巻なのは僕が百瀬といういじめ側NO.2と一対一でいじめる側VSいじめられる側の論理をまじ合わせるところ。もちろんいじめを普通に考えるといじめられる側にも理由があるというような論理に一理もなく、いじめる側が悪いというのが倫理だろう。だが、本書のそれはどちらが善で悪というような白黒つけるのではなく(白黒つけるために書かれたなら問題作だ)、善と悪は相対的なものだというものを表現したかったのではないだろうかというのがひしひしと伝わってくる場面だった。

考えて見て欲しい。どちらが善でどちらが悪かというのは、ある程度の問題ならばいじめの問題に関わらずしっかりと判断できるのではないだろうか?戦争はどうだろう?政治は?経済に差別に、原発は?悪い、あるいはよくないと思っているにも関わらず、許容してしまっていることはないだろうか。またはわかってても個人だけではどうにもできない問題があるのでは?そう考えるといじめは社会の、世界の縮図だというのが本書によって理解せざる終えないだろう。主人公だけでは立ち向かおうとしようがなんだろうが、どうにもできないのだ。だがそれだけならいじめの小説で終わらせてもいいわけで、そうしなかったのが主人公と百瀬の理論合戦なのだ。百瀬の理論武装は一見こじつけや自己の正当化にしか見えないが、主人公の論理は無残に打ち砕かれてしまう印象的な論理展開としている。となると、作者はいじめを肯定する気はもちろんないと思うことを考慮すると、いじめというもんを相対的に描きたかったとしか捉えようがない。もしいじめ肯定するんだったらいじめる側の視点から描いたほうが斬新だし、かといってしたら糾弾されるからできないだろうし(苦笑)やっぱり哲学の影響を受ける著者だけあって、いじめに関わる両者の言語化は価値あるものだったと思う。

だが、ラストのこれはなんだろうか?理論合戦の部分で「いじめに斜視は無関係だ」みたいなセリフがあったのに、斜視が○○で斜視が好きだったコジマが突然いなくなったら途端新しい世界が開けちゃったの?これって視覚的な世界において?ないとは思うけど、心理的な開放感とかなのだろうか?百瀬の言葉があったにも関わらずラストがこうなっちゃったのはただの逃げだ。美しくもないうえに、何も変わらずこの光はすぐ暗に戻ってしまうのがわかりきっている。著者自身が答えを捻り出すことができずに、無難に収束させちゃった感しかなく残念でならない。まぁ、やっぱり物語とし読むなってことなんでしょうね(苦笑)ということで、結論としては物語として読んだら全くの駄作だが、文学と捉えるならば一定の価値は見出せる作品だと思う。

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土曜の夜と日曜の朝

2011/08/03 15:57

誇り高き英国小説がある一方、本書のようなリアルな小説もある英国の懐は深い。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

イギリスというとカースト制度のように明確な階級制度はなけれど、伝統的なというか習慣的な(?)階級の線引きはそれなりに出ている社会である。貴族階級、中産階級、労働者階級を扱った小説も多々あるが、本書の著者は労働者階級出身のシリトーが書いた労働者階級の生活を描いた本なのだ。ピカレスク(悪漢物語)の形式で書かれているが、主人公のアーサーは犯罪者というわけでもない。むしろ逆にちゃんと仕事もこなすしやるべきことはやってる20代の若者なのである。だが、アーサーは若者特有のフラストレーションをかかえており、政府、上司、父親など権力という名のつくものはすべて嫌っていて、社会批判的、諷刺的性格を抱えた小説として描かれている。

月曜から金曜まで肉体を酷使しそれで得た賃金を金曜の夜飲み屋で散財、人妻を誑かし気に入らないやつには喧嘩を吹っかける。こういう労働者の日常の描写がいかにも英国の匂いを漂わせているが、作家が労働階級出身であり内容も労働階級の生活を描いているとことでなかなか例がない作品だろう。英国の伝統ある気品漂う雰囲気を持つ作品も好んで読むが、本書のようなバックストリートを描いて醸しだす英国の雰囲気もまた英国らしくて好きだ。こういう作品は一様に荒んだ空気が色濃いが、それはアーサーのような人物が根っからの悪漢だからではなく、労働階級の社会への不満や政府の欺瞞、そういう想いの反動の振る舞いが荒みを色濃くさせている実にアナーキーな作品。どの時代でも社会というものが形成されている限り抱えてしまう問題であり、時事的なもの以外はいつまでたっても色褪せることがない内容である。若者の振る舞いは違えど社会に対して抱く不信感は英国でも日本でも同じなようだった。

また本書は二部構成となっており、一部は「土曜の夜」で二部が「日曜日の朝」となっている。タイトルに沿うような章のタイトルとなっているが、このタイトルの付け方は秀逸でセンスがよい。この一部と二部が何を対比したり土曜と日曜でどう描いているのかを読み比べてみても面白く読めるだろう。

だが、別段ピカレスク小説として読む必要はない。主人公アーサーはそれなりに荒れた生活をしてはいるが、仕事もちゃんとし身だしなみ(衣服)には飲み代以上のお金をかけるし、子供には優しいし、母親おもいでもある。気に食わない人物への振る舞いは悪いが、どこか憎めない人物像となっている。もしかしたら読書上手な方はキャラ読みすらできるんじゃないかと思えるほどキャラが立っている(笑)のでそういう読み方もできるかも知れない。

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紙の本土曜日は灰色の馬

2011/07/20 22:37

恩田陸の原点は「郷愁」や「ノスタルジー」。今回も強くそう思った。

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久しぶりの恩田陸のエッセイを読んでみた。恩田陸というと僕の中では書くと飲む(食べる)という印象が強すぎて、他のイメージというと結末の恩田感(もやもや感)くらいしか思い浮かばない(笑)それだけストーリーテリングが巧妙でページターナーブリを常に発揮する作家さん。そしてその中に描かれる食事や飲み物の描写がとても美味しそうに映り、空腹小説の書き手さんでもあると勝手に思っている。

本書にはそれは如実に表れていてこれだけ多作でありながら、常にページターナーぶりを発揮するのはすごい才能の持主だと思っていたが、やはり常日頃から日常の小さな粒を拾い上げて物語に膨らますことを考えているようだ。この作家さんにお題をだしたら、それだけで物語を一つ書き上げてしまいそうな想像力と創造力が備わってる気がしてきます。だからあんなに物語に惹きこまれるのが理解できるが、あとは結末だろうか(笑)恩田作品を何作も読んだことある方ならわかると思うが、結末がいつももやもやしてるのだ。まぁこれも恩田陸らしさと言えばそうだし、雑誌のインタビューでも自身で「あえて結末はああいう書き方をしている」と言ってるので恩田らしさの一つなんでしょう。でも、たまには結末においてさえ驚きをくれるような、スッキリした気持ちのまんまページを閉じさせて欲しいとも思うのだ(苦笑)それを数作実行してくれてあのうやむや感に戻るなら、この方の実力に拍車が掛かると思うのだが、、、、わがままでしょうか^^。

でも実は本書はエッセイであって、上に書いたことはその一文を恩田陸バリに膨らませてみただけで本書の内容にはあまり関係がない(笑)ではどういうエッセイ集かというと、小説・漫画・映画をピックアップして、恩田陸の日常に絡めて語るというもので、これもまた恩田陸の話の繋がりの上手さが目立つ。だが、取り上げられる本のラインナップを見てみるとほぼ昔の有名作家の作品ばかり(語られる自身の日常も幼少期は多い)であり、やはりこの人は郷愁やノスタルジーの中にいろんな要素を見出してるんだなと納得。恩田作品に必ずといっていいほど佇んでいる郷愁の根源が感覚的に伝わってきた。作品の雰囲気というのはエッセイにもやっぱり出るんだなぁ。

そんなこんなで小説と同じく惹きこまれる内容ではあるのだが、少女漫画を紹介する項だけは全く夢中になれなかった^^。これはやっぱり女性にしか共感できなさそうな内容なので、男性はポカ~ンと読むしかないでしょう。逆に女性は少女時代(!?)に読んだりしたものへの共感や懐かしさを感じれて楽しいひと時を過ごせる気がする^^

あと面白かったのは恩田陸が選んだ世界全集とか少女の物語ベスト10、少年の記憶ベスト10といった作品のちょっとしたガイドも興味が持てた。もちろんほぼ古典か今では過去の作品ばかりだが、僕の未読と既読は半々くらいだった。読書を本格的にやり始めたときに読んだ『小説以外』というエッセイに紹介されてるものは、あの当時ほぼ未読が占めていたので、ここまで恩田陸の話に付いていけると思うと嬉しくなってしまう。『小説以外』を読んだ時の「よし!自分もここまで語れるくらい読んでやるっ!」という気合や気負いは本書では感じなかったが、懐かしい気持ちにさせてくれた。あっ、やっぱり恩田陸の作品を読むと郷愁に行き着いてしまうんだなぁ。

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紙の本カッコウの卵は誰のもの

2011/06/09 22:32

作品の優劣に関わらず内包してるリーダビリティがプロフェッショナルの証だ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

さらっと何か小説を読みたいときにうってつけの東野作品。今回もスラスラと読みやすくすぐ読了してしまったのだが、読み進めてるときも読み終わったときもなんだか軽い。プロットも人物造形も動機も、目に付いたところ全部そう感じてしまう。なんだか「定期的に作品を出すために書いてます」というような厚みのない作品となってしまっている(苦笑)

タイトルからもうなんとなく話は見えてきちゃうのだが、その通りで取○え○の話にひとひねり加えただけで、結末すら驚けないような筋が見え見えな小説となっちゃってる。スキーという題材のため、スポーツ医学の研究で〔遺伝子〕を扱っていて、科学には少なからず興味がある自分は、生物学的見地から少し期待もしていたのだが、、、、やっぱり薄っぺらい扱いしかしてなかった(苦笑)せっかく面白そうなガジェットなのにもっと活かせなかったのだろうかと首を傾げてしまう。他にも腑に落ちない点がたくさんあって、取り上げるとキリがなくなるかも知れないので辞めておこうと思う。

が、東野圭吾のすごいところはもちろんあるのだ。これは楽しめた楽しめなかった抜きで、東野作品の共通項だと思うのだけど、どの作品も一様にリーダビリティが凄いのだ。もちろん作品によってリーダビリティの優劣はあるが、小説を読ませる基本とも言うべき「こっからどうなるんだろ?」はいつでも内包されてる。この作品は個人的に楽しめなかったし、人物、伏線、ガジェット、結末、トリックなどなどどれも満足できないにも関わらず、全体的に見ると夢中になって読んでいるから不思議だ。なぜなのかははっきりとわからないのだが、たぶん「小説の書き方」が上手いのだ。題材とかそういうものを切り離して、書き方が読者を惹きつけてやまない気がする。それが東野圭吾の最大の武器であり技巧なのだ。たぶんとんでもない題材であっても、この人の作品は売れるんだろうなぁと思ってしまう。そこだけは今も昔も変わらず凄い。だからプロフェッショナルなんだろう東野さんは。

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紙の本危機の宰相

2011/05/26 01:18

現代の政界はルーザーだらけっぽいが昔はグッドルーザーがいたのだ。その軌跡。

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久しぶりに沢木耕太郎の著作を読みたくて積読していた本が本書である。一時期沢木さんの著作を乱読しまくった時期があったが、どれもこれもフィクションとして素晴らしい観察力、編集力、抒情的で得意な視点で尋常じゃないリーダビリティがあった。著者の小説も淡々とした静謐な筆致で世界観に浸ってしまうのだが、やはり個人的にはこの著者のフィクションに方を並べられる書き手はそうそう見つからないと思ってる。

だが、本書もノンフィクションとはいえ「政治家」に焦点を当てたもので、いままでのとは少し題材が異なっている。でも、そこは沢木さんなのであまり知らない政治家の話だとしても興味深く読めるだろうとは思っていた。もちろん、それはその通りで自分がまだ存在してない時代の事ですら感心を持てるようにもなった。でも本書は名著『テロルの決算』後、『一瞬の夏』の前に書かれた作品であり、それから数十年後の2006年に加筆修正し出版に漕ぎ着けた作品らしい。こんなに年月が経ってしまったのはあとがきに詳しいが、出版が待ち望まれた本でもあったようでそれだけで内容の素晴らしさを物語っていると思う。

本書は政治家・池田勇人、エコノミスト・下村治、宏池会事務局長・田村敏雄という三人の「ルーザー」に焦点を当てて、【所得倍増】という政治史に残るスローガンを実行した経緯と内情を克明に抉り描き出したものだ。「ルーザー」とは何かというと、文字通り「敗れた者」という意味なのだが、本当の意味でのルーザーではもちろんない。この「ルーザー」というのは池田内閣誕生以前に三人とも人生において(政界人として)挫折を味わい苦労して一端ドロップアウトしたという経歴から、沢木は「ルーザー」と名付けただけなのだ。しかも、この「ルーザー」というのは吉田茂がいつかに言った「日本はグッドルーザーだった」という言葉をこの三人にも当てたものなので、三人は「良き敗者」というくくりで実は賛辞なのだ。

その三人が何をしたかというと、これは前述したように「高度成長」を【所得倍増】計画をもって成したという日本の政治史に足跡を残した偉業を描いている。表舞台にでて日本を牽引した池田に事務の元締めとして裏方に徹した田村、そして池田の頭脳として政策を計画した下村。この三人をそれぞれ章の主役とし、実に奇妙ともいえるような三人の結びつきを端整な筆致で読ませてくれる。だが、この頃は初期の沢木さんだからなのか、1人称と3人称が入り混じっており少し統一感に欠け読みやすくはない。所得倍増という経済も絡んでくるので僕は読めたが、興味がなければ読破は難しいかも知れない(苦笑)

だが、そうはいってもこの頃から沢木さんの無駄のない端整な筆致で沢木さんらしい筆運びは変わらなない。高度成長論を支持するものがブレーンの中でもあまり居ない中、ルーザーたちは所得倍増というスローガンを掲げ見事自分達の目標を達成してしまう。もちろん、それは舗装された綺麗な道程ではなく、長く険しいものであり、そこに至るまでの経緯には人間臭さが滲み出ている。しかし、政治家も人間であり人間臭さがぷんぷんするドラマを沢木はよくぞ描ききったという読後感だ。三人がルーザーからグッドルーザーになった信念を貫く姿勢と沢木さんはまだ30歳前後のときによくここに焦点を当てて書ききったなと賛辞を贈りたい。

そして、民意をしっかりと把握し実行してくれる政治家が僕の知らない時代にまだいたこと。それに比べ「美しい国」みたいな抽象的で何をするのかすらヴィジョンが見えてこないスローガンを掲げた現代の政治家はなんなんだろうと一層強く思ってしまう(苦笑)これを読んでる時に「歴代首相ベスト」と「ワースト首相」なるアンケートを目にしたが、ベストの方は昔の首相ばかりで、ワーストは最近の首相ばかりである。時代が移り変わるにつれて政治家は本当のルーザーになってしまったのかなと、グッドルーザーたちと比べて嘆いてしまうのであった。

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紙の本悪貨

2011/07/23 00:22

貨幣小説としては軽いがエンタメとしても読める。一番は作家の着眼点。

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まず初めに一人のホームレスが朝ベンチで起きると足元に現金100万円入った封筒が置いてあることに気づく。それを天からの恵みだといいホームレスは衣服を新調し身だしなみを整え食事をするのだが、あろうことか引ったくりにあってしまい所持金はポケットにある4360円となってしまう。そのホームレスは故郷にいる自分の子供にお菓子などをつめ郵便で送り、手元に残ったのは100円ライター一つ。さぁこのホームレスはどうしたのか?こういう場面から始まるのだが、この場面からしてもう〔お金〕(マネー)というものの正体を暗示しているのである。その一万円札の諭吉がいいたかったのは「カネは人の上に人を造り、人の下に人を造る」と。

その引っ手繰られた100万円の残りも「紙幣」というお金なので、これまた人から人へと流れていくのであるが、これがそもそも〔悪貨〕なのである。もちろん使ってる本人にはそんな認識は全くないが、そのマネーを掴んだ人々に災いを齎してゆく。タイトルが悪貨なので作者はずっとこの調子でマネーの危うさを提示しながら物語を進行していくのは言うまでもない。他にもマネーロンダリング(資金浄化)や日本の現状を揶揄なども盛り込んではいるが、やはり作者が〔貨幣〕というものを主役にした目の付け所が素晴らしい。逆に貨幣を扱った小説というものも、過去にいくつもあるのはある。が、今も昔も〔貨幣〕というものの問題はずっと変わらずあり続けているということなのだ。ゲゼル、ポランニー、トルストイ、エンデなどなど、経済学者が理論を組み立てようと、作家が研究し提言しようと変わってないという怖さ。やはり〔貨幣〕は変わらないしこれからも変われないと思うと、寒気がしてくるのは僕だけなのだろうか。これを読んで「怖い」という感情の一つも浮かんでこなければ、危機感が薄いのかも知れない。

未読の方の為に祖筋はあまり言わないでおくが、島田雅彦の言いたいことは概ねこうだ。「現行の貨幣制度は危ないよ、そのうち破綻するよ」ということ。lこれが〔貨幣〕を研究してる人たちの総意でもあるだろうし、グローバル資本主義のつけだし、ゆるぎない真実だろう。本書はこの題材たちからすると作品のテンションは少し軽い気もするし、主人公のラヴロマンスなんて特に必要ない気がする(まぁ小説なのでしょうがないのかも)。粗も探せば出てくる(ご都合主義な抜け穴など)。でも地域通貨「アガペー」が出てきたり、本書レベルは大げさだが中国の土地買占めなどの危険性を示したりと目の付け所はやはり鋭い作家だ。こういう作品が売れるような国はやはり国民の意識は政治・経済に限らず高いんだろうし、手に取る人が多ければ多いほど安心する。

タイトルで敬遠する人も多いかもしれないが、小説として読むには容易に読了できるし理解もできる。インフレーション、スタグフレーション、ハイパーインフレ、マネーロンダリング辺りの用語が理解できてれば躓くところはどこにもない。理解できてなくてもちょいとググってWikiで調べたらすぐに理解できる言葉だ。あとは読めば小説的な好みだけ。僕は小説的には軽く感じたが、それはいくつかの経済学の本や貨幣の本を読んだから、そういう面に対する軽さを感じてしまったんだと思う。この作品のテーマは大人の一般教養として知っておいたほうがいいと思うしエンタメとしても読めるので、興味がなくても一度読んで見るのもいいかも知れない。ちなみに本書には「理論的には使える偽札」が封入されている。それを見る為に手に取るのも初めの一歩になるでしょう(笑)

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紙の本カラヤンとフルトヴェングラー

2011/07/13 06:20

題材が魅力的なだけに人間ドラマだけでもキッチリと描ききって欲しかった

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クラシックを聴く人はもちろん、聴かない人でさえその名は一度ならず耳にしたことがあるであろう〔皇帝〕カラヤン。そしてそのカラヤンを目に敵にし遠ざけ何かと圧力をかけた巨匠フルトヴェングラー。本書は人間性も指揮者としてのスタンスも異なる二人の泥沼の戦いを描いている。そこに重要な脇役として描かれる奇才チェリビダッケにベルリンフィルやヒトラーからナチスなど、政治や第二次大戦などもこの二人の指揮者人生に大きく絡んでくる。だが、本書では指揮者や音楽そのものを描くよりも、フルトヴェングラーやカラヤンやチェリビダッケという人間があの時代に何を思い考えどう生きたのか?というほうに焦点が当てられている。クラシック音楽の本というよりかは人間ドラマと思ったほうがいいだろう。

本書によるとフルトヴェングラーという人は猜疑心が強く優柔不断で女癖も悪い。それゆえ弟子とも呼べるチェリビダッケにさえ疑いを抱いてしまうやっかいな性格だったらしい。しかし、こと指揮に関しては自他共に認めるものを持っており、芸術という点においてはカラヤンよりも全然評価されているのだ。本書に登場するフルヴェンはすでにベルリンフィルの3代目であり、無名のオケの首席でしかないカラヤンなどは足元にも及ばない人物であるのだが、音楽の世界もまたナチスという時代の潮流から逃れられず政治に翻弄されてしまう。もちろんカラヤンもそれは同じだが、フルヴェンの不器用さに比べカラヤンはビジネスという面では明らかに格上で、フルヴェンが排斥しようとすれどしぶとく台頭してくるのである。そこにフルヴェンの後継者と目されていたチェリビダッケやナチス政権の干渉などなど、陰謀や権力闘争という複雑な関わり合いがシンプルに描かれていた。

そのシンプルなタッチと読む上でのクラシック知識は必要ないので、一見すらすらと読めてしまうのだが、裏を返せば単純すぎて味気ない本ともとれてしまう。それぞれの人物は固定観念に固められたような人間味のない人物として映るし、著者の視点も少しカラヤン贔屓のように映って公平性に欠ける気がする。なにより、著者は資料で不確かな情報を憶測だけで終わらせすぎだし、「~かも知れない」という文章の結びを多様しすぎてて信憑性を疑ってしまう。逆に見てもいないであろう一場面を勝手に断定的に、物語的に書きすぎているし、登場人物も一側面でしか捉えず、下手な三文小説を読まされてる気になってしまった(苦笑)情報量も執筆スタンスもアマチュアの線上としか思えなず、内容の魅力からすると残念な読書だったといわざる終えない。

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