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先月(2017年8月)

辰巳屋カルダモンさんのレビュー一覧

投稿者:辰巳屋カルダモン

55 件中 1 件~ 15 件を表示

「死」を身近に感じることの大切さ

45人中、45人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この絵本が、若いお母さんたちの間で話題になっている、と新聞で読みました。
読み聞かせをすると、きかない盛りの子も大人しくなってしまうとか……。

 わたし自身も、子供の頃、地獄が怖くてたまらない時期がありました。
終りがない、永遠に責苦が続くという想像を絶する事態。
今日も、明日も、あさっても、その次の日も……。
それを考え出すと夜、寝られなくなったことを、今もよく覚えています。

 こんな残酷な絵本を幼い子に見せるなんて、と否定的なご意見もあるかと思いますが、地獄の存在が、再びすべての日本人の共通認識に戻ることは、悪くないことかもしれません。

 1980年初版の、この絵本は18世紀に描かれた十六幅の絵巻をもとに構成されています。
悪さをしたら無限地獄に落ちる……。ずっと長い間「地獄」は日本人の共通概念でした。

 ウソつきは釜ゆで地獄、人の悪口は針地獄、無益な殺生はなます地獄、ときちんと細かく決められています。
してはいけないこととその報いが、具体的にセットになっていてわかりやすい。
なぜかオニも針地獄に落ちて刺さってますけど。足が滑ったの?
こわさの中にも、どこかしらユーモアが漂います。

 絵本の見返しに添えられた著者の文章に「死を恐れることのない子供らが育っていくとしたら、こんなにこわいことはありません」とあります。
初版から30年以上たった今、ますます死は日常から遠ざかり、著者のことばは重みを増しています。

 思えば、ほんの数十年前まで、世界は死と常に隣り合わせでした。
人々を苦しめる犯罪や悪事を少しでも減らして生きやすい世の中にするための、「地獄」は昔の人が生んだ知恵なのかもしれません。

 いいオトナになった今でも、地獄なんて絵空事だと言い切れない思いがあります。
善い行いも悪い行いも、すべてを見知っている人知を超えた大いなる存在を信じたいのです。

 ラスト、主人公はお地蔵様のおかげで地獄から抜け出し、もう一度現世を生き直すことになります。
めでたし、めでたし?
これって、実は無限地獄より過酷な試練かもしれない……と思ってしまったのは、オトナの感想でしょうか?

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紙の本フェルメール光の王国

2011/10/24 19:23

フェルメールってどこがいいんだろう?という方にこそオススメ!

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 美男も美女もいない。場所はいつも同じ狭い一室。ごく日常の風景。特別なことはなにもない。
それなのに、フェルメールは絶賛される。その秘密を知りたくて本書を手にした。
生物学者である著者が、美術をどう語ってくれるのだろうか。

 フェルメールの実作品と相対するために、著者はオランダ、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツをめぐる。
だが、すぐには美術館に向かわない。鑑賞後もまっすぐ空港へは行かない。
そこで出会うフェルメール作品と、その土地ゆかりの科学者(版画家や作家の場合もある)のエピソードをからめつつ、著者の脳内で広がる想像の輪は、街歩きをして初めてひとつに結ばれて行く。
行ったことがない、アメリカの大都市やヨーロッパの小さな街のイメージがぐんぐん立ち上がってきた。
光の彩度、吹く風の湿り気や土の匂いさえ、感じられるような豊かな表現が素晴らしい。
本書は美術書であるとともに、実に魅力的な紀行文なのだ。
例えば、ニューヨークと野口英世とフェルメール。一見、関連が見当たらないこの3つのポジションは著者によって時間も空間も越えた見事な物語を紡ぎだす。
訪れる先の都市で街で、著者は次々とこんな離れ技をやってのける。

 著者が実見した作品のすべての写真が掲載されている。それはよくある美術図版ではない。
額縁ごと、壁の装飾ごと、ときには鑑賞している著者や学芸員も写り込んでいる。
日本の美術館とはまったく違う、個人の居間に飾られているような自由な展示方法に驚いた。

 もちろん、フェルメールの魅力を生物学者ならではの視点で解き明かしてくれる。
フェルメール作品の理解には「光」と「時間」がキーワードになる、という。
『窓辺で水差しを持つ女』(メトロポリタン美術館)には、こんな一文を寄せている。
「鮮やかな青い着衣とテーブルクロスの赤。窓から入る光が金属の水差しを光らせる。その一瞬を“微分”することに成功した、もっともフェルメールらしいフェルメール作品。(中略)私がここでいう“微分”とは動きの時間を止め、その中に次の動きの予感を封じ込めたという意味である」

 著者が「光のつぶだち」と表現する細かな点による光の描き方、絵具を実際に盛り上げているという布のドレープ、宝石から作られる貴重な絵具ウルトラマリンブルーのはっとするような美しさ。
小さな作品が多いこともあり、それはありきたりの図版ではとうてい確認できない。
観るものに親密な関係を要求し、その機会を得た幸運な者のみにそっと心を開くのだ。
アメリカの、ヨーロッパの、展示方法は正しい。
ようやくフェルメール理解の扉の前に立てただろうか。まだまだ先は遠い。

 フェルメールと同じ年に生まれ、同じ町に暮らした「光学顕微鏡の先駆者」レーウェンフックとの交友を想像する最終章はミステリー小説のようで、ぞくぞくするほど面白かった。
フェルメールの絵の中に、当時の最先端の科学が内包されている(かもしれない)なんて!

 17世紀オランダの小さな街に生まれ育ってそこで生涯を終えた画家。だが、その画家が生み出した絵は海を渡り世界中の人々を魅了する。そして、画家の絵に導かれて世界を旅した著者。
フェルメールと現代生物学者の幸福な出会いがもたらした、なんとも嬉しい一冊だ。

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教室の扉は、今も開かれている

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 あふれる笑顔がまぶしい、表紙の写真。元教師の銀髪の老紳士と元気な少年たちの姿だ。
中学生、高校生だったころの自分を思う。ちくり、と胸が痛む。
成績は全般に低空飛行で、赤点で墜落もしばしば。ほかに特技もない。自信がなく、いつもうつむいて目立たないようにしていた。
そんな不出来な生徒にとって、教師は別世界の人だった。自ら積極的に教師に接した覚えはない。

 名作『銀の匙』に魅かれて、この本を手にした。この優れた小説について何かを知りたかった。中高一貫の超一流進学校の授業に、特に興味があったわけではない。

 その願いは、読み進むごとに果たされていく。
エチ先生こと橋本武氏は、授業で教科書を使わず、中学3年間かけて『銀の匙』を読み尽くす「スロウ・リーディング」を実践した。先生と、その特別な授業を受けた元生徒たち(卒業後は東大・京大に進み、各界で活躍)の証言で、当時の授業風景が再現される。それは素晴らしい授業で、わたしもひととき『銀の匙』の世界を体感し喜びをわかちあった。

 エチ先生と『銀の匙』の授業が大好きで、よい刺激をたくさん受けた生徒たち。教えを人生に活かし、成功を収めた。その方々に取材して、この本は成ったわけだが・・・・・・。
もと不出来な生徒のわたしは思うのだ。「進学校とはいえ、いろいろな生徒がいるはず。特殊な授業だけに反発した生徒もいたのでは?」と。思うと同時に諦めている。「教育書だもの、反抗的な生徒のことは載せないよね」と。この本の持つ価値はすでに充分に伝わっていて、ここで終わったとしても何の不思議もない。

 しかし「続き」があった。
昭和43年3月、高校の卒業文集にエチ先生が寄せた「編集後記」、その後半部分が引用されている(179-182頁)。
高校生のレベルを遥かに超えた名文がそろう中、文章の提出を拒否することで「自己表現」した生徒がいた。先生は「意義を認めることにしよう」と前置きしたうえで、彼にメッセージを贈った。原稿の大事な数ページを、反抗的な生徒へ捧げたのだ。優秀な生徒をたたえることもできたのに。それは決して見せかけではない、心からおもうひとのために紡ぎ出された、温かさに満ちたメッセージだった。

 そのメッセージはそのまま、わたしのもとへ届いた。
「ああ、先生は見ていてくれたのか、気にかけていてくれたのだ、そして今も見守ってくれている」

 遅れてきた生徒がひとり「奇跡の教室」に席を見つけた。わたしもエチ先生の生徒になった。
教室の扉は、今も開かれている。

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紙の本一日江戸人

2011/08/31 17:32

江戸時代にタイムスリップする人向けの生活マニュアル本

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 今夏の新潮文庫の100冊に入っていたので、読んでみた。
ごく気軽な江戸の豆知識集かと思いきや、内容の濃さと深さに驚嘆である。

 著者は江戸を専門とする漫画家、文筆家。2005年に46歳の若さで世を去った。

 本書を当たり前に紹介するなら「江戸庶民の暮らしをイラストを交えて解説した本」となるだろう。
取り上げるのは、衣食住から仕事、季節行事、恋愛&結婚、旅模様、春画考など広範囲に及ぶ。
一貫するのは「庶民の視点」であること。
将軍の一日や大奥についてのエピソードもあるが、それも庶民はどう見ていたかを中心に語られる。
「長屋プランいろいろ間取り例」「銭湯のジョーシキ」「マジナイ・ア・ラ・カルト」「大江戸ジャーナリズム」などなど、手書きで小さく書かれたところほど面白い。初歩的な知識から、かなりディープなところまで、江戸ファンの興味をカバーしている。
本書を人に勧めるなら「江戸時代にタイムスリップする人向けの生活マニュアル本」だと言ってしまおう。いつタイムスリップしても安心、すぐに馴染んで楽しく暮らせそうだ。

 時代考証の確かさは素晴らしい。どれほどの文献や絵画の資料が、著者の頭に入っているのか。庶民の生活は記録には残りにくく、はっきりしないものなのに。
著者ならではの自筆イラストは一目瞭然、わかりやすく嬉しい。粋な江戸人、ちょっとしたマゲの形の違いや額の剃り加減のこだわりは、イラストがなければ理解は難しいだろう。

 最近、時代劇や時代小説では、ドラマ性が重視されて時代考証が適当なように見受ける。
考証の確かさがより作品の質を高めると思うのに残念な傾向だ。
「どこまでホントかな?」と疑いながら、見たり読んだりは少し寂しい。
この点、著者の作品は全幅の信頼が置ける。のびのびと読書を楽しむことができる。
亡くなって6年になるが、失われた存在の大きさを思わずにはいられない。

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紙の本更級日記

2011/07/30 15:16

今なお新鮮な千年前の書評

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 面白い本を読めば感想を書き残したくなる。誰かに感激を伝えたくなる。本好きの思いはいつの時代も変わらない。物語が生まれ、愛読者を獲得した瞬間にその行為は始まったのだろう。
『更級日記』は日本最古級(世界最古級かも?)の「書評」と言える。レビューするのは、かの『源氏物語』である。

 学問の神様・菅原道真から5代あとの菅原孝標、彼の娘が『更級日記』の著者だ。当時、女性の名前は記録されないので「たかすえのむすめ」と呼ぶしかない。
リアルタイムの日記ではなく、13歳ごろから52歳ごろまでの出来事を晩年に回想する形である。

 家柄ゆえか、著者は幼いころから読み書きや和歌を仕込まれたらしい。継母や姉に『源氏物語』の断片を伝え聞いて「ワタシも読みたい!」と夢を膨らませる。
父の転勤で都に戻った彼女は、夢かない、たくさんの物語を読めるようになる。思う存分、物語が読めるならば「后の位も何にかはせむ」(天皇の妃の位だっていらない)と言ってしまうほどの没頭ぶり。同じ本好きとして、とても親しみを感じる場面だ。

 『源氏物語』の世界に憧れ、素敵な恋愛を夢見る、千年前の文学少女の書評は……。思い入れが少し強すぎるものの、登場人物が魅力的に紹介されていて、優れた「書評」だ。物語の舞台、宇治を訪れた際の感激のルポ付き。
あらためて純な気持ちで『源氏物語』を読みたくなった。

 日記全体も構成がしっかりしていて読み応えがある。肉親の死、ペットロス、就職(宮仕え)の期待と緊張、結婚への戸惑い、晩年の寂しさ……と、内容は何とも現代的だ。しょせん、物語世界は夢でしかないと悟り、現実と向き合ってゆく彼女。前向きな姿を応援したくなる。

 平凡な女性の生涯を描いて、かえって新鮮な古典だ。何気ない日々の営みの大切さを教えてくれる。控えめな佇まいが長く愛され伝えられてきた理由だろう。

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地の底から、奇跡の贈り物が届いた

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 一度見たら忘れられない絵だ。
心の深いところをつかまれ、揺さぶられるような力を感じる。
山本作兵衛氏の絵画と関連資料(日記、原稿等)が2011年5月ユネスコの世界記憶遺産に登録された。日本では初である。この画文集(1968年刊)は、登録の快挙を受けて、新装版として復刊された。

 新聞やテレビで報道されるまで、わたしは作兵衛氏のことをまったく知らなかった。
最初に目にしたとき、若手が描いたレトロ風現代アートかな、と思ったほどだ。

 作兵衛氏は明治25年(1892年)福岡県生まれ。
7歳から父母や兄弟と炭鉱(ヤマ)に入り、以来五十余年、ヤマで働き続けた。
仕事のため、ろくに小学校にも行けなかったという。わずかにヤマの外で働いた期間に努力を重ねて字を習い覚えたそうだ。

 「これ以上は働かれんほど働きとおしてきたのだから、それでなお米代もないとすれば、おれの責任ではのうて、外の責任だと思うておりました」(38頁)
重いことばである。

 炭鉱が次々と閉山した昭和30年代初頭、作兵衛氏は絵を描き始める。66歳からの創作だった。
炭鉱は閉山したあと、地中から動力機、運搬機などを引き上げる。その監視の夜警をしながらの創作だったという。
人生そのものだったヤマが終焉を迎える様子を目の当たりにしながら、記憶だけを頼りに二千枚に及ぶ絵を描き、画面に丹念な解説を書き込んだ。

 作兵衛氏の絵の不思議な魅力をどう言ったらいいだろう。
ヤマを知らない孫に労働や生活の様子を教えたい一心だったという。
その無垢な思いが画面や文章にほとばしっている。

 描かれるのは作兵衛さんが若いころ、明治から大正にかけてのヤマの様子が中心だ。
その時代は機械化前でほとんどの作業は人手によっていた。
なんとなく男の職場のように思っていたヤマで、女性と子供が当たり前のように働く絵は衝撃的だ。
男性はふんどしひとつ、女性も半裸。子供の背にはさらに幼い乳飲み子が背負われている。

 現場で作業をしながらも、動力、運搬、換気、排水等のヤマ全体のシステムを系統立てて理解していたことは驚きだ。
しかも、記憶だけで正確に画面に写し取っている。これは相当にすごいことではないだろうか。

 そうした「記録」としての価値もさることながら、絵としての面白さ、美しさに目を奪われる。
人物に表情は乏しいが、それが逆に多くを物語っている気がする。
逆に、持ち物や衣服など、細部の描写にはこだわりが感じられる。
女性がかぶる手ぬぐいや着物、男性の入れ墨の柄は、ひとりひとり異なり、カラフルで美しい(入れ墨を美しいとは可笑しいかもしれないが)。
過酷な労働の実態、閉鎖的な生活を描いて、悲惨さや陰湿さがないのだ。
特に女性は美しく描かれていて、神々しささえ感じる。宗教画に近いようにも思う。

 病気やけがで働けなくなった仲間がいれば、講でお金を集めて援助した。男も女もひとつの風呂に入って汗を流し、ヤマを訪れる芸人や行商人を囲んで笑い合う。一方で、凄惨なリンチや悲惨な事故も日常茶飯事だったヤマ。
画面には悲痛なことばも並ぶが、生涯をすごしたヤマを、そこで働く人々を、作兵衛さんは心からいとおしく思っていたのではないだろうか。

 作兵衛さんと画文集は素晴らしい贈り物だ。
急激な近代化の陰で、炭鉱だけでなく、どれだけ多くの過酷な労働の場が足跡ひとつ残さず消え失せたことか。
これは、そうしたすべての労働者たちの失われた記憶でもある。

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紙の本こんなに変わった歴史教科書

2012/01/13 17:51

三十年でオドロキの変わりよう!

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 大和朝廷、士農工商、四民平等……慣れ親しんだことばが現在の歴史教科書からは消えているという。
変わりようがない過去に対する記述が、なぜ変化するのだろう?

 本書は、教科書編纂に直接携わった著者が、昭和47(1972)年と平成18(2006)年の中学生用教科書を比較し、記述の変化をまとめたもの。おおむね三十年で新説が認知されて教科書に反映されるということだ。
人類出現から日露戦争まで、時代順に36項目をあげて、記述の変化とその理由が詳しく説明される。
「この時代の背景と世界の動き」「同時代年表」等のコラムが織り込まれているので、理解しやすい。

 記述が変わった理由はさまざまだ。
吉野ヶ里遺跡、三内丸山遺跡など、新発見による時代観の変化は、ごくまっとうな学問の進歩であると言える。
「鎖国」と「日露戦争」の変化が興味深い。
欧米中心だった昭和時代までの価値観から、アジアへ関心が大きく動いた世界情勢の変化が、教科書の記述にダイレクトにつながっているのだ。
中国、朝鮮、琉球、アイヌ等へ貿易の門戸を開いていた江戸時代は、「鎖国」と呼べる状態ではなかった。
また「日露戦争」の記述には、他のアジア諸国に近代化、民族独立の動きをもたらし、日本人には大国意識と優越感を生んだ、という新たな内容が加わっているそうだ。

 ショックなのは一連の肖像画だ。
お馴染みの聖徳太子、源頼朝、足利尊氏、武田信玄……。
どれも削除されるか、「と伝えられる」の断定を避けた表現になっているという。
ビジュアルの影響は大きい。あのダンディーな頼朝像がなければ、平家や鎌倉幕府の印象もだいぶ違ったものになったのではないだろうか。

 文庫本280頁ほどの読みやすい一冊ながら、過去三十年ほどの学界の動向を一覧できる読み応えある内容だ。
個人的には教科書が「ですます調」になっていることが、一番の驚きだった。
歴史学は進歩著しいのだな、と感嘆する一方で、昭和派としては少々せつない読後感がある。

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じっくり読んでも、ぱらぱら眺めても。「コーヒーって楽しそう!」があふれる一冊。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 コーヒーの香りは好きだけれど、味は苦手。
そんなコーヒー音痴のわたしだが、ラテ・アートの繊細なリーフ模様には心魅かれるし、最近、耳にするようになった「スペシャルティコーヒー」というのも何だか気になる。

 ぱらぱらと眺めてみて、キレイな写真がたっぷりで見やすいこと、アレンジコーヒーやスイーツの豊富なレシピとおしゃれなスタイリングに魅かれて読み始めた。

 豆の選び方、焙煎、家庭での淹れ方、保存など、コーヒーの基本から応用まで、すべてカラー写真で丁寧に紹介されている。
同じ豆でもちょっとした淹れ方の違いで「フレーバーを際立てる」「酸味の質を楽しむ」など違った味わいに仕上げられるとは面白い!
コーヒーを淹れたことがないわたしも挑戦してみたくなる。
「鮮度の落ちた豆で上手に淹れる」方法も載っており、実に親切。
長年、謎だった、カリタとメリタの違いもしっかり理解できた。

 冒頭に挙げた、香りは好きだけど味は苦手、というのはコーヒー音痴がおちいりがちな?的外れな認識らしい。
そのとき口にした一杯がたまたま好みではなかったということなのだ。
その気になれば、香り、酸味、苦み、コク、必ず好みの一杯が見つかりそうである。

「スペシャルティコーヒー」についても詳しい。
「栽培履歴を明確にし、産地ならではの風味や特徴を備えた高品質のコーヒー」で全流通量の5%にも満たないそうだ。国や地域だけではなく、農園指定までされていることも多く、個性的な味わいだという。

 そして、巻末の「コーヒー用語辞典」、これが面白い!
聞いたことのない専門用語がずらりと並んでいるが、シャープで響きがよいことばがたくさんあるのだ。

「アーシー」大地の土っぽさなどを感じさせる風味。
「ヴェルジ」未成熟豆。これを混入したまま淹れると青臭くて飲めなくなる。
「カッパー」カッピング(品質鑑定の味覚審査)を行うプロの鑑定人。
「リストレット」湯を早めにきった、エスプレッソの一番おいしいところ。

「この書評は、てんでヴェルジ。だけど、アーシーな面もあるね」「いや、カッパーはそうは見ないよ。文章もリストレット徹底しなきゃ」
専門用語を超えて今後、流行するかも?しれない。

 まさに「大事典」を名乗るにふさわしい、分厚い内容だ。
観て読んで楽しい「カップ・オブ・エクセレンス(スペシャルティコーヒーの国際品評会で選ばれたコーヒーに与えられる称号)」な一冊。

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いまから千年後の世界、現代の本はどれだけ残るだろう?そして千年後の人々が感動する本はあるだろうか?

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『更級日記』を読んで、フト、思った。「なぜ千年前の日記が今、読めるのだろう?」著者の菅原孝標女は身分が高いわけでも有名人でもなく、ごく普通の女性だったのに。
学生のころ、授業で古典を「読まされて」いたころには思い浮かばなかった疑問。自分でもこの思いつきが愉快で調べてみようと思い立った。出会ったのが本書だ。

 和本の歴史は1200年以上に及ぶという。
中国や朝鮮渡来の技術を取り入れつつ、明治の活版印刷が始まるまで、独自の発展をしてきた。
本書は、成り立ち、装訂法や印刷術、扱われる題材の変化、流通と本屋業の歴史など、和本にまつわるあらゆる分野を網羅する。
著者自身が書店経営をされているからか、現代の読者の立場からの和本への尽きない興味、という視点が貫かれており、いたずらに専門性に走ることなく実にわかりやすい。

 冒頭の疑問にもさっそく答えてくれる。
「書物中興の祖」とされる13世紀初頭の藤原定家の業績が大きい。平安期のたくさんの物語、日記の写本の整理を行い原本に近い善本を残そうとした。すべて手書きで写していた当時、中にはいい加減な写本もあったのだ。

「定家の子孫はこれを原本として、内容も装訂もそのままに、何代にもわたって書写することを仕事にしてきた。物語の書名も定家の示した呼称が伝えられ、以後固定化されていく。古典文学の書籍が残るというのは、そういう地道な仕事が継承されたということである。(中略)物語のような草子(冊子)を後世に残すべき「古典」であると認識させたのもこのときであろう。古典が正式に〈書物〉の仲間入りをしたのだ」(69-70頁)

 読んでいて思わず胸が熱くなった。
『更級日記』も、それ以外の古典も、このときに残されるべき良書と認められた。よかった。
内容だけではなく、装訂をそのまま伝えた点も重要だと著者は語る。華美ではないが雅な文化、当時の美意識が丸ごとタイムカプセルのように伝わることとなった。
定家の子孫の冷泉家は、一子相伝で、この伝統を守ったという。

 江戸時代に入ると読書が大衆化し、和本を取り巻く環境は劇的に変化する。
今に残る膨大な和本や京都の本屋の日記から、明らかになる出版、流通、小売りのシステムは高度で複雑だ。そっくり真似た偽物や類似品など悪質なものを排除するため、現在の著作権管理事業と同じようなことをしていたというから驚く。

 16世紀末にもたらされた「活字」が日本では発展しなかった理由が興味深い。
26文字のアルファベット表記に適していた活字は、漢字やひらがな含め数千字を要する日本語には不向きだった。
また当時の仮名書きは一字ずつ独立した字ではなく、文節ごとにつなげる「連綿体」だった。「ごとし」だと「ご」「と」「し」の3字があればよいのではなく「ごとし」の活字を別に作らなくてはならない。膨大な手間である。
技術的な未熟もあり、活字は一時的にしか広まらずページ全部を一枚の木版にする「整版」に戻ったという。
ただ判読できればよいのではなく、当時の人々は字体の美しさ、雅やかさを求めた。
明治になってやっと活字が一般化した日本は西洋より遅れていたと考えてしまいがちだが、そこには活字の利便性をあえて選ばなかった特有の美意識があったのだ。あっぱれ!である。

 全体を通じて印象的なのは、「本はお預かりもの」という意識が時代問わず常にあり、後世に残すことを第一にしていたという点だ。
著者は「読書観」「書物観」ということばで表しているが、日本人と本との深いつながりとそこから立ちのぼる高い精神性が見えてくる。今後は先人の行跡に敬意をいだきつつ、古典を読むことになろう。本書に出会えたことを心から幸せに思う。

現代の本を取り巻く環境はすっかり様変わりした。千年後の読者を魅了する本はあるだろうか?

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まさか?「親の死を隠して年金を受け取り続ける詐欺」にそっくりな事例が江戸にも……!

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 人のつながりの強さやエコ社会で注目される「江戸」だが、良いことばかりではなかった。
本書は江戸のダークサイドに注目する。
長きに渡って存続したシステムが、行きつくところまで行き尽くした江戸末期。
当時の官僚・公務員の立場だった、旗本・御家人に何が起きていたのか?

 昌平坂学問所の教官を務めた経歴のある、旧旗本の大八木醇堂は、晩年の明治半ばに、大量の見聞録を書き残した。
そこには「諸種の歴史事典に記されていない幕府の内情や役人社会の細部まで」(153頁)が明らかにされている。
この『醇堂叢稿』を中心に、私的な日記や手紙などから、驚きのエピソードの数々が紹介される。
研究者しか知り得ないような、興味深く貴重なエピソードが一般向けの新書で気軽に読めることは嬉しい限りだ。

 
 醇堂いわく「柳営の制度、百事迂遠に似て児戯に類するか如き事多し」(81頁)。
(振り返れば)幕府の諸制度はなんとも非効率的で遅れていた、いう意味だという。
愉快なエピソードもあるが、武士らしさのカケラも感じられない恥知らずなエピソードがほとんどだ。

 お家断絶を逃れるための出生年齢詐称(万一、17歳までに跡継ぎが死亡すると相続できないため)や、本人死亡後もそれを隠して俸禄を身内が何年も受け取り続けたり、職場での陰湿なイジメから通勤拒否に陥ったり、またはキレて同僚を殺傷したり、平然と賄賂を要求し受け取って恥じる様子もなかったり……。
武士のモラルはいったいどこへ?

 こうした馴れ合いと隠避の慣習は、すべて周りも承知の上だった、という。
醇堂は「内実をじっくり吟味すると、幕府の制度も捨てたものではない。それどころか、実によく考えられているものが多い」とも、書いているそうだが……そうだろうか?
何やら、昨今、社会問題となった事例にそっくりなことばかりで、背筋が寒くなる思いだ。
こんな状態は長くは続かず幕府は滅亡したことを、まさに「末期症状」であったことを、わたしたちは知っている。

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我もなりたや!ライターズ・ハイ!

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 メール、ブログ、ツイッター、そして、この書評も。
今、身の回りには「デジタル化された文章」があふれている。
文章力アップのためには、手書き時代とは別次元の取り組みが求められるようになった。
そんな「今」にぴったりの文章術の本だ。

 タイトルから、検索、コピペ推奨の文章術かと思われるかもしれない。だが、内容はまったく逆。
デジタルの利便性とスピード感を肯定しながらも、著者はかなり厳しい見方をしている。
「コピペを繰り返すたびに、自分の文章力は衰えていく」
「ランキングや検索の便利さを振り切って、一歩を踏み出してみる。書き手には、その勇気が必要」
著者はわざとネット接続していない古いパソコンを「書く」専用機に使っているそうだ。

 「ライターズ・ハイ」のエピソードに心躍った!
長距離ランナーが苦しいのを我慢して走り続けると、かえって気分が高揚して調子が上がる「ランナーズ・ハイ」。
それと同じ現象が文章を書く状態でも起きるという。
寝食を忘れて書くことに没頭し、しかも内容も伴った文章が書けるそうだ。(その後はぱったり続かないそうだが)
「一度でもこの状態を経験すると、絶対に、書くことをやめられなくなります。保証します」
気分がのらなくても、少しずつでも、とにかく毎日「書き続けること」、そして書き続けるためには「体調を万全に整えておくこと」。この2点がポイントだという。
二日酔いや寝不足の頭には、ライターズ・ハイの女神は舞い降りないのだ!こころ、せねば。

 もちろん、文章力そのものをみがくための指南も、ツボを押さえたラインナップ。
著者自身、新旧相当量の類似本を読み込んだ上で、書かれているのではないか。
名文として引用している、作品や文章も使い古されたものではなく新鮮な印象を持った。
自慢も、出し惜しみもない、真摯な文章術の本である。

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都会の小さな川、知られざる波乱万丈の歴史

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春の小川は、さらさら行くよ♪ ―― 誰もが知っている唱歌「春の小川」。意外なことに、そのモデルは大繁華街・渋谷を流れる「渋谷川」の支流のひとつ「河骨川」だったという。
だが、今は跡形もない。「川」は消えた。いったい、なぜ?

 まわりの環境の激変により、数奇な運命をたどった都会の小さな川。
その知られざる歴史を、膨大な古地図、古写真、設計図面を駆使しまとめあげた労作だ。

 その昔、田んぼと畑の、のどかな里山だった渋谷。文字通り「谷」であるため、水が集まり大小多くの川が流れていたという。川は田畑を潤し、大名屋敷の庭園に利用されていた。
 長い時間続いてきた川と人の穏やかな営みは明治以降一変する。「急速」というより「豪速」で宅地化、都市化が進んだ。支流や小川は埋め立てられ、あるいはゴミ捨て場同様に放置された。本流も宅地や道路整備の都合で流れの向きを変えられる。「どぶ」とも「下水」とも区別がつかない姿に変貌してゆく川。
 トドメは昭和39年(1964年)の東京オリンピック開催だった。外国からのお客様の目に触れぬよう、次々と川に「フタ」がされた(=暗渠化)。川は風景から消え、人々の記憶から抜け落ちてゆく。
現在はごく短い区間が大雨対策で残されているにすぎないという。

 著者は自ら、ひとつひとつの川(跡)に足を運び、丹念なフィールドワークを重ねている。
「ああ、あれは川ではなく、どぶですよ」(62頁)
「ここは大雨が降ると、マンホールからすぐに水が道路にあふれるんですよ……」(87頁)
調査のため、昔語りに耳を傾けた時間も少なくなかっただろう。地元に生まれ育った著者の、川への真摯な姿勢、哀切の想いが伝わる。

 絵本の名作、バージニア・リー・バートン作・石井桃子訳『ちいさいおうち』を連想した。「ちいさいおうち」はラストで静かな田舎に移築されて穏やかな幸せが戻った。だが「春の小川」はもう二度と元には戻らない。
非常に畏れ多いことをしたのでは、と人間の業の深さを思わずにはいられない。

 関連エリアの詳細な折込地図つき。ちょっと違った視点の都心散策をしてみるのも楽しいだろう。

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紙の本蒲団・重右衛門の最後 改版

2011/06/01 12:17

読まず嫌いは惜しい!

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 最初から恐縮だが、中島京子『FUTON』(講談社)あとがき、より引用したい。 
 「誰もがその名を知っているのに、今日ほとんど人に読まれない。田山花袋の『蒲団』は、そういう小説の一つだと思う。」

 まさにその通り!「女弟子の蒲団に顔を埋めて泣く」ラストシーンが広く知られていることが、逆に「読まず嫌い」をまねいているのだろう。約100年前の小説だが、主人公の中年作家、時雄は花袋本人であり、彼が想いをよせる女弟子の芳子やその恋人も実在したということだ。

 「自然主義」「私小説の始まり」とされるこの小説は「露骨なる描写」が徹底されている。一人前のオトナとして、考えた素振りさえ見せてはならないようなことが、すべてあからさまに描かれるのだ。
家庭生活に飽きて通勤途中で見かける女教師に対し「細君が懐妊しておったから、不図難産して死ぬ、その後にその女を入れるとしてどうであろう。」(14頁)とヒドイ想像をしたり、芳子と恋人に肉体関係があることがはっきりすると「自分も大胆に手を出して、性慾の満足を買えば好かった。」(96頁)と思い悶えてみたり。
全編に吹き荒れる中年オトコの妄想の嵐・・・。

 だが、読んでいて、不思議と嫌悪感はない。むしろ、滑稽さと哀しさがただよう。
外づらがよく、人から良く思われたくてたまらない、お人好しの時雄。よくいるタイプだ。
芳子にいい顔をしたいがために理解者ぶりながら空回りし、自分で自分を窮地に追い込んでいく。
そのダメぶりには思わず「日本男子たるもの、一家を構えながらなんたる破廉恥!」と明治ことばで意見のひとつもしたくなるが、同時に肩を叩いて「お父さん、がんばって!」と励ましたくもなるのだ。

 重要なポイントは時雄の妻であろう。妻の存在がこの小説にミステリーめいた奥行を与えている。
ただ「細君」と呼ばれるだけで名前さえも出てこないが、良妻賢母の典型で登場人物の中でもっとも良識派だ。
読者の共感は、ほぼ100%彼女に集まるだろう。彼女は夫の妄想も芳子の乱れた交際の実態もすべて承知だったのではないか?
 この小説は、花袋の妻への懺悔の告白だったとも思えてくる。「散々迷惑かけてスマン、でもオレは(妄想しただけで)やましいところはない、オマエ一筋だよ」というメッセージかも、と想像がふくらんだ。恥を世間に晒して、かえって迷惑だったろうとは思うが。

 表向きには特別なドラマは起きない。
不倫もなし、離婚もなし、駆け落ちも、できちゃった婚もない。すべては未遂に終わる。
一見、平穏に見える日常に、たくさんの大事件の「未遂」が含まれている現実、「露骨なる描写」をされたのはそこだ。そこに、100年たっても古びない面白さがある。
実話だとかモデルが誰とか、妙な先入観なしに読んでみたかった。

 読み終えると、疑問が頭の中で渦巻く。これは本当に実話なのか?
解説で福田恆存が述べているが「露骨なる描写」をするフリをしている可能性もあるだろう。
どこまでが本当で、どこからがウソなのか?
気がつくと『蒲団』のナゾを考えてしまう。こんなに後を引く「読みもたれ」のする小説も珍しい。
恐るべし『蒲団』!

 本書読了後に、冒頭で引用した中島京子『FUTON』を読まれることをお勧めする。
この小説の「本歌取り」であり、リスペクトに満ちた傑作だ。

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紙の本方丈記

2011/10/17 12:52

大震災後、『方丈記』に触れた記事や論評が目立つのはなぜ?

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 方丈とは約3メートル四方、今の四畳半にあたる。
『方丈記』は、四畳半からのつぶやき、といったところか。

 大規模テロや大震災、台風被害をまのあたりにして、今ある日常は明日にも壊れるかもしれない、実にあやういものなのだ、とつくづく感じる。
ずっと続くことなんてありはしない=無常、このことに900年前に気がついて随筆として書き残した人がいる。
『方丈記』の作者、鴨長明だ。原稿用紙にして22、3枚の短い文章ながら、その半分以上を著者自身が経験し見聞した災害の描写に割いている。

 長明が生きた時代、12世紀から13世紀にかけては、平家が繁栄を謳歌した後に滅び、武家の支配に移るという歴史の大きな転換点だった。
また、その時期、長明がいた京都では災害が繰り返し起きていた。大火事、辻風(竜巻?)、大地震、大飢饉。遷都も悪政による災害として書き連ねている。
それは一見、どうしようもない天災に思える。だが、甚大な被害をもたらした原因は、家や人が密集した京都ならではの「都市型災害」だった点にあると長明は見抜いた。
おそろしいことに、これはそのまま今の日本に当てはまるようだ。
様々な「都市型災害」を避けるべく、出家し京都を離れた長明は、移動可能な組み立て式オリジナル住宅「ザ・方丈庵」にひとり暮らす。
そして、持たない生活を実践し、人生を、世間を、見つめるのだ。

 『方丈記』の理解には、長明の生涯を知ることが欠かせない。
名門、下賀茂神社の御曹司として生まれながら、一族の激烈な家督争いに敗れ、挫折の繰り返しの人生だったという。
 読んでいて次第に長明というヒトが面白くてたまらなくなってきた。
とにかく、行動派なのだ!危険な火事、地震、辻風の現場に自ら赴き、取材していたらしい。
大した用もないのに?新しい都を見に行き、晩年には遠く鎌倉にまで出掛けているそうだ。
出家したあとも琴や琵琶、和歌などの趣味を楽しんでいた。しょっちゅう都に出向いては様々な情報収集に努めていたことから、スパイ説もあるという。
このヒトは好奇心の塊で、片時もじっとしていられないタイプではなかったか?
都を追われた恨みや成り上がり平家への文句も、オブラートに包んだ形ではあるが充分に言い尽くし、ウサを晴らして?いる。
とても品行方正な隠者とは言えないが、人間的でなんとも魅力的だ。

 活動派隠者・長明もラスト近くになると、方丈庵にこもって思索にふける。
物事に執着してはならぬという仏の教えを実践して、方丈庵での持たない生活にたどりついたが、手塩にかけた自慢の方丈庵に執着していることに気がつく。
この大問題をいかに解決するか。
ラストがすごい。自分の思い至った境地を、誰にでもわかる的確なことばで表現し得ている。
小さな方丈庵にぽつんと座る老人から無限の宇宙が広がって行く。
『方丈記』は時代や国境を超えて、いつもフレッシュで常に誰かしらの心に届く力を持っている。
これから折々読み返し、自分を見つめ直す手がかりにしようと思う。

 最後にひとこと。「角川ビギナーズクラシックス・シリーズ」は編者のカラーが色濃く出ているのが特徴だが、本書の編者、武田友宏氏もなかなかだ。
「河の流れを眺めながら『無常』に浸っている引き籠もり型のおじいさんを想像しがち」いや、そこまでは……。
「享年六十二歳。当時の平均寿命を考えれば、今の米寿にも相当しよう。けっこう長明は長命だった」ギャグも炸裂。
同シリーズで『源氏物語』『枕草子』『おくのほそ道(全)』も武田氏の編とのこと。
今後の楽しみが増えた。

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紙の本日本の音

2011/09/09 18:21

どこからか懐かしい音が聴こえてくる……美しい本

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書を手にして、まず、表紙の日本画にしばし見入った。
庭の柳が揺れる日本家屋、畳の上にきちんと並べて置かれた三味線と鼓。
これから稽古が始まるのだろうか。
主役の登場を待つ、静かな緊張感が満ちている。
三味線を爪弾く音と鼓のキレのいい音が、今にも聴こえてきそうだ。

 古来、日本人を取り巻いてきたさまざまな音。
本書は「日本の音」が表現された美術や文学を通して、日本人と音の伝統的なかかわり様を探る試みだ。
自然の音、鳥獣の声、歴史と生活の音、年中行事の音、の4つの音を挙げ、さらに細かく分類する。
表紙の小村雪岱の『青柳』(1924年ごろ)は「歴史と生活の音」のうち「撥音」として紹介されている。

 やはり多様なのは自然の音で、雨、風、雷鳴、水音、松籟など。雨や風は特に種類が多い。
馴染み深い、春雨、霧雨、夕立のほか、木の芽おこし、桜ながし等は初めて知った。なんと美しい名称だろう!
風の呼び名も数多く、柳田国男編『風位考資料』には約900種もの固有名が収録されているという。
雨風に、四季折々のまた地域特有の呼び名をつけて、呼び分けてきた日本人の感性の豊かさを誇らしく思う。

 紹介される絵画は、13世紀の絵巻物から近代日本画まで多彩だ。絵画だけではなく陶磁器や着物も登場する。
和歌、俳句のほか、エッセイも添えられて、総合的に「日本の音」を鑑賞できる。

 黒白ぶちの丸々とした子犬が愛らしい俵屋宗達の『狗子図』、『北野天神縁起絵巻』時平抜刀の場面は、雷神に襲われ宮中人てんやわんやの様子に思わず笑ってしまう。お馴染みの浮世絵や日本画以外に、こうした、ちょっと愉快な作品が入っているのは楽しい。
和辻哲郎『松風の音』、寺田寅彦『物売りの声』のエッセイは、しみじみと味わい深い。
さっそく原本をあたってみたいと思った。

「日本の音」を見事に表現し得ている美術、文学が数多いことに驚く。
目には見えないが「音」は日本の芸術表現に欠かせない大事な要素なのだ。
気がかりなのは、今現在、失われたか失われつつある音が多いこと。
衣擦れの音、物売りの声、子供の遊び声、機織りの音、砧の音など、守らなければならない音は多い。

 眺めていると、周囲の雑音はいつか消えて心が澄みわたってくる。
そっと目を閉じてみると、かすかに懐かしい音が聴こえてくる。
実に美しい本に出会った。

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