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レビューアーランキング
先月(2017年4月)

レムナントさんのレビュー一覧

投稿者:レムナント

6 件中 1 件~ 6 件を表示

紙の本岩に立つ

2012/02/07 11:38

三浦綾子と山本有三

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「鈴木新吉と白洲次郎を生んだ明治はやっぱりえらい!」という勢古浩爾さんのエッセーにあった文句にひかれ、初めて買った三浦綾子さんの小説がこれであった。鈴木新吉氏(小説では鈴本新吉)による一人称独白体であると知らず読み始めたのではじめは少々面食らったものの、作者の三浦さんは逆にこのような形式を得意としているようで、こなれた文章は主人公がぶっきらぼうに語る恋物語や活劇を、まるで荒馬でものりこなすようにまとめあげ、波乱に満ちた大工さんの生涯をたくみに描き出していた。
大工の独白体小説といえば山本有三氏の「無事の人」もそうだが残念ながら、「岩に立つ」が持つ実話とは思えぬエピソードの数々は、山本氏の小品フィクションを格段に見劣りさせてしまう。また、「岩に立つ」のシチュエーション、すなわち極貧の少年時代、身内の不幸、初恋と失恋、成長するにつれて自らの才覚でのしあがってゆくところなど、同じ山本作品の「路傍の石」吾一少年に擬せられる部分も多いのだが、三浦作品のほうには「路傍の石」の持つジメジメしたところやドロドロとしたものがぜんぜん感じられないのだ。はじめから終いまで真冬の晴天のようにカラっとしており、三浦綾子さんの長編小説としてはめずらしく読後感もさわやか。その点も好感が持てる。

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感動します。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「和を以って尊しとなす」
わたしはこれを「ワをもってとうとしとなす」と読む人に出会うと、ああこの人は十七条憲法をきちんと読んだことがないんだなとあきらめることにしている。
 では何と読むべきなのか?
草柳大蔵氏が紡ぎだす上等の織物のような本作は、はじめからしまいまで「あっ」と内心声を上げたくなるようなエピソードに満ちている。といって内容は「間違いやすい日本語」とか「知らないと恥かく日本語」とかいう類のハウツー本とはまったく次元の異なる世界であり、それどころか本書には具体的な提言などどこにも見当たらず幾分もどかしい思いに駆られることさえあるが、それでいて、いやかえってそのために味わい深い随筆のような趣さえ呈しているのである。

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死線を越えて 復刻版

2012/02/10 17:17

もっと福音を

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

賀川豊彦氏については前々から知りたかったことがある。なぜ彼は当時日本でもっとも不潔な場所と見られていた葺合新川の貧民窟へ、いわばそこに住むしか生きるすべがない様々な病人、精神的にも肉体的にも著しく病んだ方々ばかりが住むスラムへとわざわざおもむいたのか、ということ。そのことに気をつけながら本書を読み進めたものの、残念ながらコレといった理由を発見することはできなかった。チャールスキングスレーに影響をうけた、というようなこともチラと書かれてはいるがおそらく後付けの理由であろう。
だから勝手な憶測を働かせてしまうが、推察するに彼のような人たち、別にそれはシュバイツァーやマザーテレサのような過去の大物を引き合いに出すまでもない、いま現在途上国などで活躍されているNPOに参加されている大勢の方々にも共通する心情だと思う、そういった人達は自分よりも困っている人、苦しんでいる人々がいるという事実に我慢がならないのであろう。
もしも賀川豊彦氏が真のクリスチャンらしく、まことの福音に出会って感動のあげくに貧民窟へ行ったのであれば、乱暴で働きのない夫を持つ子沢山のおかみさんの苦しみに同情し号泣し、彼らが救われるまで自分は2枚以上の服は着るまい、肉も魚も決して口にするまいというような悲壮な誓いはたてなかったはずだ。彼は「救い」というものが物質的なもの、または上記の夫のような男が悔い改めることであると思い込んでおられるのだ。
このへんのところつくづく残念でならない。賀川豊彦氏の事績がノーベル賞に値するということになんの異論もないが、自分としてはやはり、もっともっと「福音伝道」のほうに生命をささげてほしかった。肉や魚は確かにこの世での命を養うものだが、イエスキリストは永遠の命を救う福音だからだ。

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紙の本道ありき 青春編 改版

2012/02/03 17:24

三浦綾子さんと高野悦子さん

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 はじめて読んだ時には著者三浦綾子さんのあまりに正直であけすけな告白に不愉快な感じがした。「秘密を持つことを不道徳なこととし、なんでもかんでも包み隠さず話さなきゃならないなんて手術台の上にいるみたいで気味が悪い」、と評論家の草柳大蔵氏がご自身の女性論のなかで書いておられたが然り。三浦綾子さんの自伝小説やエッセイにはその「気味の悪さ」がときどきつきまとっていて辟易させられる。それはまさしく、20歳の若さで鉄道自殺した高野悦子さんの日記を読んだときに覚えるあの感じに似ているのだ。
 そういえば彼女の「二十歳の原点」のなかで、失恋の孤独のなか自暴自棄になって書きなぐった文章と、三浦綾子さんがこの作品のなかで、彼女にむかって信仰を説く前川正さんへ最初に書き送る手紙の激しさとは実によく似ている。
 しかし片や自身も愛読していた太宰治のように破滅へと突き進み、片やイエスキリストを受け入れ、精神的にも肉体的にも立ち直ってゆくのだ。もし2冊を同時並行に読み進めたら、もっと興味深い対比が見つかるかもしれない。

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本田哲郎氏の勇み足

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「イエスキリストとは、神というもっとも高みいる存在者が地上において迷いの中にあるわれわれ衆生を救うためわざわざ人間の姿をとって降りてきてくださった救世主である」という自分がこれまで抱いていたステレオタイプなキリスト像をこの作者は根底から叩き壊してくれた。主が家畜小屋で生れさせられた理由やその意味するところ、父ヨセフとともにイエスご自身が生業としていた大工という職業の内容、また主イエスに選ばれた弟子たちがどういう人たちで何故彼らが選ばれたのか等、筆者ご自身の豊かなギリシア語の素養を武器に常識を打ち破る議論をつぎつぎと展開されていて痛快でさえあった。
しかし、作品がそのような新しい聖書解釈の提示にだけとどまっていれば大変よかったのに、後半は少々読む者を唖然とさせるような記述がつづく。以下の部分がその最たるものであろう。
「自分に起こったこと(つまりキリストが異教徒や異邦人たちの病を、彼らになんら改宗を迫ることもせず癒したこと)を、みんなに知ってもらうことが大事だというわけです」それが福音なのだと。
「それ」とはいったい「どれ」のことを指しているのかちょっと判然としないがおそらく、異教の神を信じていようと無信仰無宗教の徒であろうと、キリストはあなたの病を癒してくれますよ、悪霊を追い出してくれますよという情報そのものが福音だという意味であろうか。
だとしたら大変なことだ。邪教を信奉したままで、または無神論者のままでかまわない、すなわちイエスキリストを神とは認めず単なる大工だとみなしててもさしつかえないと言っているに等しいからだ。しかしもしもキリストがただの大工さんなら当然死ねばそれでおしまいであり、キリストなき現代に生きる我々にはなんの「救い」も訪れないということになりはしないだろうか。
だが筆者の本田氏によればそれはいずれ訪れるのである。というのも彼にとって「救い」とは「神の国に生きること」であり、また彼の考えでは「神の国」とは「抑圧からの解放と平和の喜び」にあたるそうである。われわれはその「抑圧からの解放」をめざし、小さく貧しい者たちのいる現場へと赴き彼らの生活に直に触れ、その痛みと悲しみを身をもって知り、彼らをこのような境遇へと貶めているこの社会体制を、構造悪を変えてゆかなければならないと主張するのである。
ここまでエスカレートするともはや福音(喜ばしい知らせ)ではなく全共闘のスローガンだ。誰かこの著名な神父さんに福音とは一体なんであるかを教えてやってくれないだろうか。



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紙の本世界は腹黒い 異見自在

2012/02/08 11:42

著者はしがき

3人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

に出てくる三億円事件に関する秘話からしてすでに瞠目させられ、「ペルーにおける早大生遭難事件」にかかわる裏話からはじまって英国人によるアジア支配、白人による有色人種差別意識が過去から現在に及ぼしている様々な影響に関するコラムなど、初めて知らされる衝撃の事実に、半分も読みすすまないうち「この本は絶対買おう」と決心したが、オストリッチファッションなる奇妙な言葉(ダチョウアルゴリズムと言いたかったのだろう)が出てきてからなんだか雲行きがあやしくなってきた。旧約聖書が作った真っ赤な嘘とお書きになっておられるが聖書にはそのような記述はない、「ダチョウは卵の所在地を忘れるという旧約聖書の悪口」などともお書きになっておられるがヨブ記にあるのは「ダチョウは生んだ卵をかえりみない」であり、しかもこれは悪口でもなんでもなく単なる事実だ。旧約聖書に関しては間違いがもう1つ。「妻は髪を短く切って顔も体の線もスカーフなどで隠」せなどという記述もレビ記にはない。それどころか新約に「長い髪は女の誉れである」とさえ書かれてあるのだ。しかしまあこのくらいは瑣末な記憶違いで済ませてもよかろう。しかしながら「南京の真実」を書いたジョンラーベ氏が「蒋介石に武器を納入していた」はちょっとヒドい。彼の日記に書かれた日本軍による暴行はデッチあげと言いたいのだろうがしかし、彼が中国に武器を売っていたなどという証拠はどこにもなく、ただ当時の国民党軍がドイツ製の武器を使っていたからラーベも武器を扱ってたんだろう程度のいい加減な憶測にすぎない。「ボーリントン女史(ヴォートリン女史のことか?)は『日本軍が秩序を守った』と」などともお書きになっておられるが、この記述に至っては何のことだがさっぱりわからない。日本軍の暴行・虐殺を恐れた中国人たちがヴォーリントン女史が「秩序を守っていた」金陵女子大に逃げ込んできたという事実を又聞きの又聞きで勘違いでもされたのだろうか。
極めつけはロッキード裁判に関するコラムだ。当時のロ社副社長コーチャン氏による証言が聖書に手を置いたうえで宣誓してからなされたものだから真実とみなしましょう、と最高裁が宣明書を出したなどとお書きになっておられるが、いったい「コーチャンの証言を真実とみな」すとはどういうことなんだろう。彼の証言は刑事訴訟法321条の要件を満たしているから(偽証の可能性はもちろんあるにしても)とりあえず証拠として採用しましょうと認定されたにすぎないのであって、判決においてはむしろ伝聞証拠だからという理由で「関係者を裁」く有罪の証拠としては採用されてもいないのだ。
さてこのように、私のような浅学の徒にさえ見破られるようなデタラメが並んでいることを知ったいま、なんだか他のコラムも眉唾に思われてきてすっかり購買意欲を失くしてしまった。


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