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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

ちゃきさんのレビュー一覧

投稿者:ちゃき

9 件中 1 件~ 9 件を表示

紙の本図書館の神様

2012/04/15 23:24

文豪の作品を敬遠している人に特にお勧めの、優しい再生の物語

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

とても瀬尾まいこ作品らしい、優しい再生の物語。
肩肘張らない文学の楽しみ方を教えてくれる素敵な本です。

正しくあることこそが美徳だと信じていた清は、その真っすぐさが仇となり、
ある出来事をきっかけに、友人も、それまで彼女にとってすべてであった
バレーボールをも失うこととなる。

目標を失くし、流されるまま高校の講師になった彼女は、
赴任先の学校でどういうわけか運動部ではなく文学部の顧問になる。
部員はたった一名、2年生の垣内君のみ。

海にほど近い小さな街で、やる気のなかった講師を続けるうちに
気付き始める「正しさ」よりも大切な「優しさ」。

清よりもいい加減な性格のはずの弟が、
切花をより長持ちさせることを不思議に思う清に言う。
「結局は水清ければ魚棲まずだよ」、と。

正しくあること、それ自体には何の問題もない。
けれど、清廉潔癖な人は時に他人を息苦しくさせる。
それどころか、正しさを振りかざして人傷つけてしまうことさえある。

そのことが理解できなかった以前の清より、奥さんがいる人と恋愛したり、
いい加減な授業をしてみたり、生徒の垣内君に無茶振りしたりしている
清の方が、人として好意が持てはしないか?

もちろん彼女の根っこにある真面目さがあってこそ許せる
いい加減さだということも確かなのだけれど。

ほんの少し自分を甘やかしてやることで人に対しても寛容になれるのなら、
きっとその方がいいのだろうなと私は思う。

喪失からの回復と再生という、メインのストーリーもさることながら、
文学を楽しいものとして紹介しているところがこの本の大きな魅力だと私は思う。

国語の講師のくせに、文学になんの思い入れもない清と、
本来、体育会系のはずなのに、文学に情熱を傾ける垣内君。

この二人の教師と生徒の立場がまるで逆転したような会話によって、
一般的に小難しいと思われがちな文豪の作品を、
肩肘張らずに楽しめる本としてごく自然にアピールすることに成功している。

元々、学校で強制的に読まされた夏目漱石も太宰治も森鴎外も、
本と名のつくものは大抵喜んで読んでいた私だけれど、
それでもこんな風に文学作品を語ってくれる大人がいたら、
敷居が高そうな作品にも、もっと果敢にチャレンジしようと思えたんじゃないかと思う。

私も清みたいに、川端康成で爆笑したり、
夏目漱石で怖くて眠れなくなったりしてみたい。
私が国語の先生なら、この本を教材として使いたいなと思う。

読書があんまり好きではない人にこそ読んでもらいたい、そんな一冊です。

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紙の本通天閣

2012/04/02 21:08

泣けて、笑えて、なんだか無性に人を愛したくなる小説

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ああもう、本当にどうしようもない人ばっかりで、
どうしようもない人生だらけで、
読んでてしんどくなってきてもおかしくないはずなのに、
なぜこんなにも彼らを愛おしく思えるのだろう?

誰も「きらきら輝いて」なんていない。
底辺で、一生懸命頑張って生きている、というわけでさえない。

恋人に振られそうな主人公の「私」は、より低いところに身を置くことによって
恋人の気を惹きたいという自虐的な思いを胸に、なんとも後ろ向きに生きている。

もう一人の主人公の「俺」は、単調な工場での仕事のように、
自分は、「生きているのではなく日々をこなしているのだ」と思いつつ、
すべての人との関わりを排除したいと願うかのように、鬱々と日々を過ごしている。

こんな投げやりな二人が、いよいよ絶望に至ったときに起こる一つの奇跡。

大阪の下町のドタバタ感に溢れているのに、
最後には、じんわりと染み込んでくるような感動が残る。

登場人物の皆が皆、とにかくしょうがない人達ばかりなのに面白くて可笑しくて憎めない。
すごく変なんだけど、すぐ隣にいそうな、そんな気がする人達。

コミカル、というのともちょっと違う、
絶妙なユーモアに溢れた人物描写が絶品。

中でも主人公が勤めるスナックのママの描写が好きだ。
日本人形のような、それなりの美人なのだけど、
喋り声が小さくて何を言っているのか聞き取れない。
スナックのママのくせに、客に名刺を渡すことさえ
きちんとできない鈍臭さも、なんか、いい。

例えばこんな感じ。

  “髪型が、それこそ日本人形そのまんまだ。...(中略)髪質も、前髪の多さも、
  見ていないときに少しずつ伸びていそうな感じも、そっくり。”

  “あるとき、振り向いたら真後ろにママが立っていたことがあって、私は腰を抜かしてしまった。
  何故か分からないけど、「怨」という文字が目の前をちらついた。”

嫌だよ、こんな人。
そう思うのに、実物を是非一目見たい、
いや、会って出来れば話などしてみたい、と思わせるのだ。

他にも「あ行」だけどもる工場の新人や、
大阪の曲者オヤジを具現化したようなスナックのオーナー、
キッスのような化粧をしたオカマのたちんぼ、
タクシー乗り場で毎日運転手に声を掛け続けるジジィ、
銭湯の主のようなオヤジ、隣に住む挙動不審の男...。
まぁとにかく、ほんとにどうしようもない。

なのに、まるで昭和のホームドラマでも見たかのような
優しくぽかぽかあったまるような読後感は何だろう。

どうしようもない人達だからこそ持ち得る優しさみたいなもの。
そんなものに溢れているから、ちょっと弱った心の中にすぅーっと沁みてくるんだろう。
情けなくて滑稽で、でも優しくて、決して綺麗じゃないけど美しい。

泣けて、笑えて、なんだか無性に人を愛したくなる。

「きらきら輝いて」いなくたっていいんだ、と
そっと背中を押してくれるような、そんな小説。

ああもう、とにかく大好き。

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紙の本小さいおうち

2012/03/06 20:54

失われたイノセンスへの郷愁

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

14才の時から平井家に女中奉公していたタキは、60年が過ぎ、
終の棲家と心に決めていた赤屋根の家での思い出を綴りはじめる。
小さな秘密を胸に抱きながら。

優しい旦那様に美しい時子奥様、
病弱だけれど可愛らしい恭一坊ちゃん。
戦前~戦後という激動の時代を背景にしながらも、
どこか懐かしい昭和モダンの香り漂う風景とともに、
平井家の暮らしぶりがタキの強い郷愁を含んだ語りで綴られていく。

一見、まるで昼ドラの設定にありそうな昭和初期の裕福な家庭の日常を、
綺麗な奥様と女中の友情を軸に描いた時代小説のように見せかけながら、
その実、これは戦争を描いた小説である。

物語が牧歌的でノスタルジックに語られる中、
時折、ひょいと現れては話の腰を折るタキの孫代わりである健史の発言が、
授業で習う知識としての「歴史」と実際にその時代に生きた人々の
「生活」との対比を浮き彫りにしていく。

そして最終章、語り手が移るに至って、年老いたタキが古き良き日本の生活を
回想する物語かのように思えた本書の本当の姿が明らかになっていく。

昭和初期の中産階級家庭の暮らしぶりを、実際に体験したひとから
聞いているような、タキの懐古的な語りが心地良ければよいほど、
哀しさと共に恐怖にも似たうすら寒さを覚える。

ジャングルでの凄惨な戦争体験を持つ兵士が描いた「小さなおうち」の中で、
のどかに暮らす女達は、過酷な外の世界から守られるべき者として
彼の中に存在していたのだろう。

それは単に時子とタキという個人を示すものではなく、
彼自身の中にかつて存在したイノセンスの象徴だったのではないかと思う。
ちょうど、タキにとっての赤屋根の家のように。

あるいはまた、彼が描いたこの絵は、
外の世界でどれだけ悲惨なことが起こっていようとも、
そうとは気付かぬまま人々の生活は淡々と営まれ続けているという
現実を突き付けているようにも感じた。

読み終わってみると、当初想像していたのとは
随分趣きの異なる小説だったことに(良い意味で)驚かされた。

とはいえ、優しい登場人物達と、たおやかな語り口調によって、
全体の印象はあくまでもやわらかだ。

かつての日本の姿に哀しい郷愁を感じたり、
戦争と日常の対比に背筋を寒くしたり、
あるいはもしかすると、これは哀しい恋を描いた
歴史小説だと感じる人もいるかもしれない。

これは読む人によって、大きく印象の異なる
小説なのではないかと思う。

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紙の本ひとり日和

2012/04/21 20:25

等身大の20歳のもどかしくも痛々しい感受性

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

窓の外を見ると、電車に乗った人と目が合うほど、線路近くに建つのに、
まわり道をしないと駅にたどり着けないという吟子さんの家。
どこか現実と切り離された空間のような、そんな印象。
その立地を想像するのに少し苦労した。

吟子さんの家に居候することになった不器用で臆病な20歳の知寿は、
71歳という、彼女にとっては「死に近い」=弱々しい存在であるはずの
吟子さんの飄々として動じない様子に、苛立ちと同時に、羨望を寄せる。

「吟子さんの歳までワープしたい」と言う知寿。
逆ならともかく、20歳の女の子が71歳になりたいなんて、
普通そうそう思うものではない。

けれど、私の友人で、昔、全く同じことを言っていた子がいる。
おばあちゃん達は、悲しいことも苦しいことも既に経験してきて、
この先、もうそんなに沢山の辛いこともないだろうから羨ましい、
とその子は言った。実に勝手な言い分だと思った。

けれど、例えば、子供の頃は大人になるにつれて悩むこととか
不自由を感じることとか、泣きたくなるようなこととかが
どんどん減っていくのだろうと、何故かぼんやりと信じていたような気がする。

実際はというと、全然違っていて、そういったものは全然減らない。

子供の頃に漠然と感じていた不安や恐怖は経験値と共に薄れていくけれど、
歳を取るたび新しい悩みはどんどん生まれていく。

自身の手癖の悪さについて、

  “誰に何を言われようが、動じない自分でありたいのだ。
   これは、そのための練習なんだと、靴箱のふたを閉めながら言い聞かせていた。”

という知寿は、その行動が愚かなだけに、なんだか痛々しい。
そんなことをしても、人は強くなんかなれないし、
たとえ強くなっても辛いことは減ったりしない。

まだ思春期を抜けきっていない20歳の知寿にはそれがまだ理解できない。

恋人が出来てもすぐに愛想を尽かされ、バイトも長続きせず、
友達と呼べる人もいない。
大丈夫なのか、この子?、と思いながら読み進んだけれど、
吟子さんと暮らすうちに、少しずつではあるけれど変化が現れる。

  “この小さいおばあさんが、もう悲しんだりむなしくなることがなければいいけど、
   無理なんだろう。使い果たしたと思っていても、悲しみやむなしさなんかは、
   いくらでも出てくるんだろう。”

若いから、未熟だから辛い、という訳ではないことに
気づき始める知寿は、そうは見えないながらも
少しずつ成長しているのかもしれない。

知寿のような子が近くにいたら、正直、私は苦手だろうなと思う。
けれど、その嫌な面を含めて全てがとても素直に描かれていて
作り物めいた感がなく、等身大の生身の人間、という感じが強くした。
それが、この小説の一番の魅力かもしれない。

彼女の弱さに対して感じる嫌悪感は、
きっと自分自身にも当てはまる部分だからこそではないか、と
そんな気がして、ほんのり苦いような切ないような、そんな読後感。

  “「吟子さん。外の世界って厳しいんだろうね。あたしなんか、
   すぐ落ちこぼれちゃうんだろうね」
   「世界に外も中もないのよ。この世はひとつしかないでしょ」”

最後の二人のこの会話に、じんっ、ときた。

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紙の本逃亡くそたわけ

2012/04/07 23:41

ルーツがしっかり定まれば、人はきっと何処にいても大丈夫

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ここにいたら余計におかしくなる。
精神病院からの脱走を決意した「あたし」は、
偶然出くわした鬱病患者の「なごやん」を誘い出し、
躁と鬱のでこぼこ2人組の九州一周逃亡劇が始まった。

躁状態なためか、元々の性格なのかは定かでないけれど、
男気溢れる主人公「あたし」こと花ちゃんは九州弁を操る根っからの博多っ子。

その道連れとなる、故郷の名古屋を疎ましく思い、
東京人になりたいと願う「なごやん」は、
一日一度は「きゃあ」と叫び声をあげるちょっと軟弱系、
だけど優しい23歳会社員。

考え方も価値観も性格もほぼ真逆な二人。
共通点は、お互いが抱える問題が精神疾患であるという一点のみ。
強力な接点ではあるけれど、でもそれも片方は躁、
もう一方は鬱という徹底した対極ぶりである。

二人の「違い」の中でも、こてこての博多弁の花ちゃんと、
頑なに標準語を貫こうとするなごやんのやり取りが興味深い。

  “「『人間の精神は言語によって規定される』って、知らない?
   俺は自分の精神を名古屋弁に規定されたくないんだ」”

というなごやん。対して花ちゃんは言う。

  “「あたしには九州の血が流れとってから、それば誇りに思いようけんね。
   だけん自分の言葉も好いとうと」”

大阪生まれの私は断然、花ちゃん派である。

だからこそ、名古屋にコンプレックスを抱き、絶対に方言は喋らない、
というなごやんの頑なさが、最初のうちはとにかくもどかしくて痛々しく思えた。

だって、なごやんの言葉の端々に、
故郷に対する思い入れを感じずにはいられないのだから。

自分が名古屋を貶すのはいいけれど、他県民にけなされると俄然ムキになって
名古屋を弁護し始める姿は、滑稽なのになんだかちょっと切ない。

旅を続ける中、なごやんが屈折した名古屋への愛着を
自覚しはじめるのと同時進行で、執着していた東京ではなく、
自分が今いる場所(九州)を受け入れ始めるのを読んでいて
喜ばしく思いつつ、でも同時になんだか疼くような苦甘さを覚える。

それは、長年嫌い続けていた名古屋が自分の中にしっかり
息づいていていることを自覚し、自分も名古屋人なんだと気付いたなごやんの、
苦々しい思いがこちらに伝わってくるせいかもしれない。

でも、最後のなごやんの半ばやけくその「くそたわけっ」という言葉に、
苦さだけでなく、何か吹っ切れたような清々しさを感じて
「この人はきっと大丈夫」と思うことができた。

ルーツがしっかり定まれば、別に名古屋でも九州でも、
あるいは東京でも外国でも、人はきっとどこに行っても
大丈夫なんじゃないか、最後にはそんな気がした。

旅を終えた二人のその後については
気になるけれど、特に何も示唆されていない。

きっと、なごやんはすぐに退院して、
社会復帰するのだろうな、と私は想像する。

花ちゃんの病気は完治は難しそうだけれど、
きっと、うまく付き合っていく方法をそのうち学んで
やっぱりそう遠くない将来、社会復帰できるに違いない。

でもその時、きっとこの二人は一緒にはいないんだろうな、
という気がする。寂しいけれど、きっと、たぶん。

それだけに、この旅がとても愛おしく、
大切なもののように思えてならない。

旅そのもののように、いつか必ず終わりがくる物語。
ロードノベルの魅力はそこにこそあるのかもしれない。

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紙の本かのこちゃんとマドレーヌ夫人

2012/03/25 09:15

切なく温かな出会いと別れを描いた愛おしい物語

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

出会いと別れの季節にぴったりな
心がほっこりあったかくなる可愛らしくて素敵な小説。

外国語(=犬語)を理解するアカトラ猫のマドレーヌは、
その優雅な雰囲気から近所の猫達にマドレーヌ夫人と呼ばれている。

マドレーヌの名付け親であり飼い主のかのこちゃんは、
小学一年生になったばかりの好奇心旺盛な女の子。

かのこちゃんは人生初の「ふんけー(刎頸)の友」となるすずちゃんと出会い、
友情を深めていき、かたやマドレーヌ夫人は、ふとしたことから
大切な夫の玄三郎(なんとこれが柴犬だったり」する!)
のために、不思議な冒険をすることに...。

並行して語られる一人と一匹の物語は、異なる種の目線を通して、
つかず離れず、けれど時に交差しながら展開していく。

玄三郎を思うマドレーヌの心が、そうとは知らぬかのこちゃんを動かし、
そのかのこちゃんの心がマドレーヌ夫人をまた別の冒険へと駆り立てる。

最後に全てが明らかになった時に
じんわりと広がる温かな感動がなんとも心地よい。

中でも、犬たちの「マドレーヌ」の大合唱の
シーンでは、危うくほろりときそうになった。

そして、すべてが終わった後、
マドレーヌが下す決断は、はたしてどちらなのか?

切なさの中に少しの希望を残すこのラストも私は大好きだ。

最後のシーンのマドレーヌを待つかのこちゃんの姿に、
冒頭の、まだどこか幼児のおぼつかなさを残した、
ぼんやりした印象はどこにもない。

ほんの半年ほどの出来事。
けれど、小さな少女にとって、それは大人の数年にも匹敵するくらい、
あるいはそれ以上に中身の詰まった時間。

子供の頃の出来事を、様々な出会いと別れを
思い返したくなる、そんな愛しい物語。

児童書として、子供が読んでも良い本だと思うけれど、
小さな子供を持つ親世代にとっても、
さらに猫好き、あるいは犬好きにも、
幅広い層に支持される、素敵な本だと思う。

『鹿男あをによし』の彼の、ほのぼのとした父親振りも
なんだかちょっと嬉しいおまけでした。

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紙の本サクリファイス

2012/03/17 23:07

勝利のための犠牲者たち

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

個人競技であるのに、団体競技のような性質を持つ自転車ロードレース。

チームのエースを勝たせるために「アシスト」と呼ばれる
他の選手たちは、あえて風力抵抗を受ける先頭を走ったり、
先頭集団のスピードをコントロールしたり、
トラブルの際には、自転車さえエースに差出す。

けれどあくまでも個人競技であるロードレースの世界では、
アシストの名が表立って語られることもその功績が称えられることもない。

自身の勝利にはこだわらず、影となりエースを支えるアシストと
アシストを踏み台にして勝利するエース。

その競技の性質上、チーム内には嫉妬や自己啓示欲など、
複雑な人間関係が形成されるだろうことも容易に想像がつく。

オリンピックも狙える、と将来を有望視された陸上選手だったにもかかわらず、
「一番でゴールすること」に意味を見いだせなかった白石。

そんな自分は何かがおかしいのだと思いつつ、
勝つことを目的とせず走るアシストならば、
もっと自由に走ることを楽しめるのではないかと彼は考える。

レースでの番狂わせで思いかけず注目を浴びることになった彼は、
自分の中の勝利に対する欲に戸惑い、彼を取り巻くチームメイトの思惑や
チームのエース石尾にまつわる黒い噂に翻弄され始める。

さらに事故で選手生命を断たれた選手や昔の恋人、香乃まで現れ、
舞台が整ったところで悲劇は起きてしまう。

才能に恵まれているのに、勝利を目指さない彼のことを、
周囲が「嫌味な奴」だと感じるのは当然なのだろう。

けれど、個人競技で絶対勝者となり得る人には、
持って生まれた才能だけでなく、尋常ではないくらいの
勝ちへの執念が必要なんだろうなと私は思う。

勝利は尊いものだとされているけれど、
誰もが勝者になりたいと願うかと言われれば、
必ずしもそうではないのではないか?

この作品のタイトル、「サクリファイス」とは犠牲とか生贄、
あるいは捨て駒を意味するので、最初はエースの踏み台となる
アシストのことを指しているのだと思っていた。

けれど、読み進むうちに決してそれだけではないことに気付く。

多くを踏みつけ、犠牲にしてまで勝つことを義務付けられたエースは、
果たして幸せなのか?

人を犠牲にして手にする栄光から生まれるプレッシャーや妬み、
あるいは良心の呵責に耐えるより、いっそ犠牲者となる方が楽ではないか?

このことを、白石は「月の兎」の伝説になぞらえて語っている。

  “だれも、他人の肉を喰らってまで生きたいとは思わないだろう。
   月のうさぎは、美しい行為に身を捧げたわけではなく、むしろ、
   生々しい望みを人に押しつけただけなのだ。その望みを一身に
   託されたエースもまた、勝利のための犠牲者と言えるのではないか。”

そして、事故の謎が明らかになる過程で徐々に見えてくる、
本当の"サクリファイス"。

まさに「月の兎」のような展開に驚かされる。

個人的には、香乃に関する部分になんだか後味の悪さが残ったけれど、
そんなミステリーには多少必要などろどろした人間模様よりも、
それ以上に、「ただ走りたいだけ」という、
白石の純粋に走ることを愛する気持ちが
悲しいほどの清々しさを残してくれる作品だった。

ロードレースとかスポーツとか興味のない人でも、
ミステリ好きでもそうでなくても、楽しめる一冊だと思う。

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紙の本あかりの湖畔

2012/02/17 19:18

ただ文章を読むことが純粋に楽しい小説

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

山の上のさびれた観光地。
湖のほとりの土産物屋の三姉妹。
生まれ育った町で変わらぬ生活を望む長女、灯子。
女優を目指し、上京を決めた次女の悠。
東京で美容師になりたいと願う三女、花映。

一見穏やかに見える、湖畔の暮らしだけれど、三姉妹やその父、
あるいは周囲の人々にも、それぞれに、その心に小さく刺さる秘密がある。

「秘密」といってもミステリー調のそれではないし、物騒なものでも、
悪意あるものでもなく、そのほとんどが誰もが持ち得る小さな秘密である。

自分を守るための秘密、
人を守るための秘密、
誰かを罰するための秘密、
自分を許さないための秘密、
誰かと共有する秘密、

秘密にも色々あるけれど、この小説に出てくるのはみな、
「自分の苦しみを大切にする」ための秘密なのである。

誰かに話してしまえば楽になれるかもしれないのに、
楽になることを良しとしないからこそ抱える秘密。
秘密にすることからくる罪悪感と、罪悪感を抱き続けるために大切に守る秘密。

でも、もともとはもっとシンプルなことで、ただどう伝えていいか分からずに、
打ち明けるきっかけを失ってしまっただけなのかもしれない。

それらの絡み合った思いは、あからさまに語られることはなく、
代わりに人々の細やかな仕草や、心の揺れ、丁寧な情景描写によって、
その心の内をよりつまびらかに伝えていく。
この感受性は、さすがは芥川賞作家、青山七恵である。

実際、ストーリー自体は、特に目新しさもない、古典的ともいえる内容である。
けれど上質な古典は、時に、どんな斬新な物語よりも、
心地よいエンターティンメントに成り得るのだと実感した。

登場人物もみな優しい人ばかりで湖畔の風景はただひたすらに美しい。
けれどさびれていく観光地という舞台設定が指し示すように、
この小説全体に山の空気のようなひんやりとした寂しさが常に漂っている。

でも根底にこの清浄な寂しさがあるからこそ、湖畔の灯りみたいな、
ほのかでいて力強い温かさが読後もじんわりと心に残る。

新しい試みもなく、意外性もない物語。
正直、ストーリー的には少々突っ込みたくなる個所がなくもない。
なのに読んでいて退屈しない。
ただ文章を読むことが純粋に楽しい、そんな風に思える、
小説の原点みたいな本だと思う。

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紙の本憂鬱なハスビーン

2013/01/19 17:36

「かつて何者かだった自分」という呪縛

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

東大卒、大手外資系企業に務め、夫は弁護士、
ルーフバルコニー付き4LDKの新築マンションに住む
「勝ち組」人生を絵に描いたような凛子。

嫌みなハローワークの事務員を言い負かしたり、
セミナー会場側の不備に対し理路整然と
クレームをつけたりする凛子の高飛車な態度に、
どうもいけすかない女だなぁ、と読み始めの頃は思っていた。

夫は出来過ぎなくらい優しく、理解ある義父母にも
とても大事にされている。
それでも彼女は決して満たされてはいない。

あまりに出来過ぎた環境に、こんな女のどこがいいんだろう、
とびっきりの美女なのか?
などと、つい下世話なことを考えてしまった。

けれど、凛子がなぜ自分自身を「ハスビーン」だと感じているのか、
その理由が徐々に明らかになるにつれ、彼女のことが身近に感じられてくる。

母親に褒められることが嬉しくて、
周囲から羨望の眼差しで見られることが誇らしい、
ある種とても素直な動機から努力を続けた真面目な少女。

「学歴は裏切らない」という母の教えを疑うことなく、
自分自身の資質にも自信があったはずなのに、
なにがいけなかったのだろう?
私はどうすればよかったのだろう?

自分を取り巻く世界をまっすぐ信じて生きてきた
彼女の人生がゆっくりと沈み始めた時、
考えても仕方ないことは分かりつつ、それでもつい考えてしまう。

母は何故こんな風に私を育てたのだろう?

愛情や嫌悪、あるいは肯定、否定などという
一言では語れない、娘が母に抱く思い。

うまくいかない自分の人生を、
母のせいにするつもりなどないのだけれど、
それでもつい頭に思い浮かぶ「たら」「れば」。

そう、この小説の軸となるのは、
「キャリアウーマンの挫折と再生」みたいな陳腐なものではなく、
著者の他の作品でも度々描かれているアンビバレンツな母娘の関係。

高学歴でプライドが高い凛子に共感しづらそうだと感じだのは
最初のうちだけで、この小説のキモが見えてくるにつれて、
その弱さと繊細さに親しみを覚えはじめ、
読み終わる頃には彼女のことを応援している自分に気付いた。

小説のラストで、凛子は子供の頃に通った有名進学塾のビルを訪れる。
それは、彼女の人生の原点ともいえる場所。
すでにそこに塾はなく、けれど今も残された
錆びた看板を見上げて彼女は思う。

“錆びついた青い看板は、まるで私たちのようだ。...(中略)ネオンにぴかぴか照らされたあの日々の熱を帯びたまま、剥がれ落ちることも、塗りなおされることもなく、通行人の誰ひとり、見上げない。だから、Has been、あんな言葉を私たちは、絶対に口にしてはいけない。口にしてしまえば不必要に傷んで、内から静かに蝕まれてしまう。いつまでもいつまでも、こんな小さな看板に、閉じこめられてしまう。”

これは、「かつて何者かだった」過去の自分との決別ではなく、
「何者かだった自分」という呪縛から解放される瞬間。

そもそも「かつて何者かだった」という事自体、本当にそうだったのか?
そして、人生まだまだこの先長いはずなのに、
どうして「もう終わってしまった」なんて言えるだろう?

「だから、Has been、あんな言葉を私たちは、絶対に口にしてはいけない。」

これは、輝かしい過去のあるなしに関わらず、
誰にでもあてはまる言葉じゃないかと思う。

この小説の最後のように、
人生には、なにも解決してはいないんだけれど、
ささいなことで、こんな風になにかが吹っ切れる瞬間がある。

そんな瞬間の風景がふわりと読後に残る作品でした。

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