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燕石さんのレビュー一覧

投稿者:燕石

46 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本奥のほそ道

2019/10/28 16:09

重い…しかし、間違いなく傑作!

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

重い小説だ。

 流れる時間は、現在から過去へ、そして再び現在へと行きつ戻りつする。決して読みやすくはない。しかし、途中から、文字通り「巻を措く能わず」、休日一昼夜で読み切った。日本語として、
全く違和感のない名訳ゆえかとも思う。

主人公はドリゴ・エヴァンス。七十七歳、医師、オーストラリア人。第二次世界大戦に軍医として出征し、捕虜となるが生還して英雄となり、テレビその他で顔が売れ、今は地元の名士である。妻と三人の子どもいるが、医師仲間の妻と不倫中。不倫歴は数知れず、正にとっかえひっかえ。
ドリゴは、20代の頃、日本軍の捕虜となり、「死の鉄道」として悪名高い泰緬鉄道建設に従事させられた。彼は、軍医として捕虜と強制連行された人たちを治療するとともに、捕虜中最上位官の大佐であったために、捕虜全体のリーダーとして日本人将校と交渉し、作業できる者とそうでない者を選別する役割も担わされていた。
念の為申し添えると、泰緬鉄道は、タイとビルマを結ぶ鉄道であり、その地形の複雑さと過酷な気候から、英国軍は「5年かかっても建設は無理だ」と建設を断念したが、日本軍は陸路確保のため、1942年から43年にかけて1年あまりで建設した。この狂った日程は、「スピードー」と呼ばれる昼夜ぶっとおしの苛烈な強制労働を捕虜やアジア人労働者に課し、何万もの人間を犠牲にして実現したものだが、戦後は、再びジャングルに埋もれている。
ドリゴは、期せずして部下たちから「理想の、強い指揮官である」との幻想を抱かれてしまい、自分自身が実際にそうした人物であるかどうかに関わらず、架空の強さを演じる必要に駆られていってしまう。彼に与えられたステーキが、喉から手が出るほど食べたくとも、部下に分け与える。無理な命令に対して、これまた無駄であると考えながらも抵抗してみせなければならない。

生還したドリゴは、身体は生きているが心は死んでいる状態で、戦争の英雄という役割を演じ、自罰的に行動する。そのことが、ますます彼の心を殺していく。戦争だけではなく、叶わなかった愛もドリゴを苦しめる。
従軍前に、エラという名家の婚約者がいる身で、自分の叔父の妻であるエイミーと熱狂的な恋に落ちてしまう。別れようという相手に、帰ったら結婚しようと電話で告げ出征したが、収容所で、叔父の所有する海辺のホテルが火事になり、その火事でエイミーが亡くなったとの報せをエラの手紙で知る。戦争が終わり、帰還したドリゴはエラと結婚するが、それから二十年後のある日、たまたまシドニーの街路でエイミーとすれ違い、彼女が生きていたことを確信し、彼女の死の報せが、今や妻となったエラの唯一の嘘であったことを知る。

こうして、『奥のほそ道』は、ドリゴ・エヴァンスの人生を、恋愛と戦争体験という二つの面から描くが、それのみでなく、収容中に死んだ多くの戦争捕虜たちの個性、俳句を吟じつつ、異様な興奮で斬首する日本軍将校の狂気、日本人からもオーストラリア人捕虜からも蔑まれ憎まれる朝鮮人軍曹等様々な異なる視点をも持ち込み、重層化している。

間違いなく傑作だ。

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紙の本自転車泥棒

2019/09/17 15:41

台湾の激動の100年史が籠められた小説

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

一九九三年、中華商場が取り壊されたあと、「幸福」印の自転車に乗って失踪してしまった父親。ライターであり、小説も書いている「ぼく」に、二十年後その自転車が戻って来る。二十年の間の、その自転車の持ち主を辿っていくうちに「ぼく」は一つまた一つと様々な物語に関わり、巻き込まれていく。

 日本統治時代に受けた空襲、中華商場での庶民の生活、古物コレクターのライフストーリー、原住民青年カメラマンの兵役中の不可思議な異界経験、台湾の蝶の貼り絵の工芸史とそれに携わる女子工員の半生、台湾人も日本軍に徴兵された東南アジア戦線における銀輪部隊、ビルマのジャングルで起こった過酷な戦い、動物園で戦争を迎えた生きものたちの悲しい顛末、終戦間際輸送部隊に徴用されたビルマのゾウたち、戦後台湾の二・二八事件と白色テロ………そして、何よりも、自転車各部や部品の呼称と機能、ブランドの歴史など、自転車そのものに対する「ぼく」の熱い思い。

 一台の自転車の行方を追う物語が、こんなにも遠くて広くて深いところにまで読者を連れていってしまう。いわば、台湾の激動の百年史が一台の自転車の記憶を辿る旅に凝縮されているのである。そして、何と台湾の文化に旧宗主国「帝国日本」の影が潜んでいることかと、今更ながら驚く。

 この作家の力量は、並々ならぬものがある。ただ、単にtechniqueがすぐれているだけでなく、この作者には「時間への敬意」がある。それが根底にあるからこそ、著者が経験した時代と経験し得なかった時代の情景が一つ一つ丁寧に描き出されているのだと思う。

 本書の訳者 天野健太郎氏は、既に昨年11月に逝去されたという。
村上春樹を思わせる文体は、翻訳文学であることを全く感じさせないほどの流麗さであり、日本の読者が呉明益氏の作品を受入れるに際し、大きく貢献したものと思う。名翻訳者を失った痛手は非常に大きい。

 呉氏も自身のFacebookの中で「天野さんは自分の訳に絶対の自信を持っている人でもあった(それは彼が大変な手間を惜しまなかったからだ)。翻訳者は作家の黒子に過ぎず、どんなにいい訳をつけようが、読者はそれを作家自身の腕によるものとしか思わないと、彼はこぼした。」「僕は君が間違っていたと証明する。人々は、翻訳者を忘れはしない。」と追悼している。

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紙の本不滅

2019/09/25 17:16

存在するはずのないものが存在し始める瞬間の、繰り返し蘇る記憶の物語

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『彼女は水着のままプール沿いに立ちさってゆくところで、水泳の先生の位置を四メートルから五メートルほど通りこすと、先生のほうをふりかえり、微笑し、手で合図をした。私は胸がしめつけられた。その微笑、その仕草ははたちの女性のものだった! 彼女の手は魅惑的な軽やかさでひるがえったのだ。戯れに、色とりどりに塗りわけた風船を恋人めがけて投げたかのようだった。その微笑と仕草は魅力にみちていたが、それにたいして顔と身体にはもうそんな魅力はなかった。それは身体の非=魅力のなかに埋もれていた魅力だった。もっとも、自分がもう美しくないと知っているにちがいなかったとしても、彼女はその瞬間にはそれを忘れていた。われわれは誰しもすべて、われわれ自身のなかのある部分によって、時間を超えて生きている。たぶんわれわれはある例外的な瞬間にしか自分の年齢を意識してはいないし、たいていの時間は無年齢者でいるのだ。(……)その仕草のおかげで、ほんの一瞬のあいだ、時間に左右されたりするものではない彼女の魅力の本質がはっきり現われて、私を眩惑した。私は異様なほど感動した。そしてアニェスという単語が私の心に浮かんだ。アニェス。かつて私はその名前の女性と知りあったことはない。』

<私>がパリのプールサイドにいる。そこで<私>は六十歳か六十五歳に見える女性の一瞬の「仕草」を見て、アニェスという一人の空想上の人間を想起する。この「仕草」そのものが存在するような、存在するはずのないものが存在をし始める瞬間の、そして、いつか・今このときに目にし、忘れられない、繰り返し蘇る記憶の物語である。
あるいは、アニェスや彼女に関わる人々の人生が様々な角度から語られる愛の物語であり、ゲーテとゲーテの不滅に恋焦がれる女性を書いた歴史を「不滅」という観点から捉え直した物語である。  
そして、大きな事件が起こるわけでもなく、特定の目的も大団円すら見えない物語だ。

章ごとに時間も語り口も飛躍し、さらに唐突にエピソードが挿入される。第二部の主人公はあのゲーテであり、小説全体の主人公アニュスは全く出てこない。そして、第二部以降、ゲーテは後景に下がってしまう。
作者=〈私〉が出てきて、物語内の登場人物と話したりもする。たとえば、こんな風に。

『「それで、きみの小説の題はどうなるの?」
「《存在の耐えられない軽さ》だよ」
「でも、その題はもう使われているじゃないか」
「そう、ぼくによってね! しかし、あのときぼくは題をまちがえたんだよ。あれはいま書いている小説のものになるべきだったんだね」
 私たちは葡萄酒と鴨の味だけに注意を集中して、しばし沈黙を守った。 』

間違いなく、『存在の耐えられない軽さ』以上の傑作である!

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マルクスの評価を覆す、渾身の歴史書

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

カール・マルクスの代表作である『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』は、
「ヘーゲルはどこかで言っている。世界史的な大人物や大事件は二度あらわれる、と。しかし、こう付け加えるのを忘れていた。一度目は悲劇として、二度目は茶番として、と。」
の名言から始まる。
 一度目の「悲劇」はフランス大革命を終結させたナポレオン・ボナパルト(後のナポレオン1世)の“ブリュメール18日のクーデタ、「茶番」はフランス第2共和国大統領ルイ・ボナパルト(後のナポレオン3世)の帝政を準備するクーデタを指す。
 マルクスは、ボナパルトという取るに足らない小人物の政権奪取は、ブルジョワが政権を単独で担う力を失い、かつ労働者が政権を担うだけの力をつけていないという勢力均衡の間隙を縫って成功した、階級闘争の幕間劇だったとしている。
 本書は、このマルクス史観に真っ向から異を唱えた渾身の歴史書である。

 主人公のナポレオン3世はナポレオンの甥に当たる。ナポレオン没落後、共和制に戻ったフランスで稚拙な一揆を起こして鎮圧されるだけの、野心に燃えた若者は、監獄から脱出、やがて大統領の地位を得るに至る。立法府との対立からクーデターで実権を握ると、伯父の跡を襲うかのように、帝位に上った。1852年のことである。
 もっとも、彼の帝政のイメージは早くから独特のものだった。フランス革命のめざした民衆主権と自由の理念を守り、それを秩序のうちに実現するための権威が、彼の夢見る皇帝であった。皇帝と民衆が直接に手を結び、中間にある旧貴族やブルジョワの反動を排除する-これは典型的なポピュリズムの思想だといえる。
 「ナポレオン3世は、イデオロギーを持った唯一の君主だった」と、著者は言う。その思想基盤はサン・シモン主義である。ルイ・ナポレオン時代に『貧困の根絶』という著書をものした。彼の内政方針は,産業育成と社会福祉拡充であった。政府主導で、産業を興して富のパイを大きくし、そのうえで正しい徴税を徹底して、再配分を行う。これは、正に戦後日本の復興政策ではないか?
 第二帝政下においてフランスは鉄道大国となり,イギリスに次ぐ工業国・資本主義国となっていく。金融改革も進み,信用銀行が設立され、労働者住宅や共同浴場を整備して福祉政策を充実させた。そして、「パリの大改造」。現代のパリはこの時に創造され、世界有数の都市に変貌した。都市の近代化は産業育成の上でも社会福祉拡充の上でも至上命題であった。

 これほどの業績を上げた君主であれば、ナポレオン1世以上に、その功績を讃えられて然るべきだと思うが、然にあらず。この皇帝には二つの大きな「欠陥」があった。
 一つは経済重視を裏返した平和主義で、軍備の充実は二の次であり、伯父の1世に似ず、軍事的な才幹を全く欠いていた。おかげで二度の戦争で苦戦を重ね、最後の普仏戦争ではみずから捕囚の辱めを受け、帝政終焉が決定的となった。
 もう一つは後世にまで名を馳せた漁色家であって、高級娼婦から庶民の娘、果ては部下の夫人に至るまで、多くの女性に分け隔てなく愛を注いだ上に、贅沢な宮廷社交にうつつをぬかした。
 荒淫が過ぎたことで膀胱炎にかかり,晩年は終始体調不良で,政治的決断力が大きく鈍っていたとされる。

 「この皇帝がときに観念的な理想王義に走り、自分の利益を裏切る性癖があった」という著者の指摘は、特に、晩年、普仏戦争の直前に議会の民主化を進め、皇帝権力をわざと弱める政策をとった点、などに現れている(このため、議会の普仏戦争参戦決議を拒否しきれなかった)。これが、「怪帝」と呼ぶべきゆえんだという。

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紙の本美術の物語 ポケット版

2017/02/21 15:18

退屈な「美術の歴史」よさらば!

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この「美術の物語」は、世界の美術の歴史を、原始時代の壁画から現代までの広い範囲を通して説明している。もちろん、ジャンルも、絵だけではなくて、彫刻・建築も含めて、幅広い範囲の美術を紹介しており、原始、ギリシャ、エジプト、ローマ、中世、ルネサンス、バロック、近代、印象派、現代、と時代も洋の東西も超え、これらが豊富な図版とわかりやすい文章によって紹介されている。
この本の魅力は、第一に図版が豊富なこと。約400のフルカラー図版で、パルテノン神殿、ミロのビーナス、モナ・リザ等々時代が分かる様々な美術作品が掲載されている。お陰で、とにかく沢山の美術に触れることができ、その変遷を知ることができる。
そしてこの本の第二の魅力は、文章がわかりやすく、読ませること。
「その時代や社会において、作品がどのような位置を占めていたか」に焦点が合わせられている。今でこそ美術館や博物館に陳列されている作品は、儀式を執り行うための呪術具であったり、文字の読めない人々に教義を説く舞台装置だったり、視覚効果の実験場として扱われていた。このように、「美術だけの歴史」として語ってるわけではなく、様々な歴史的な要素と絡み合って美術が発展してきたことをわかりやすく説明しており、キリスト教のローマ帝国での公認後における美術作品の多くは宗教の教えや聖書の内容を説明するために作られたこととか、その後も様々な要請を受けて作られたこととか、ルネサンス後の美術の停滞と再生の繰り返しとか、時代と美術の密接な関係を、正に「物語」として語っている。
時代や当時の社会という文脈から切り離されたところで、美術を語ることはできないという。つまり、それぞれの要請に対して、画家や彫刻家たちが、置かれている状況や前提、制度、そして流行に則ってきた応答こそが、「美術の物語」足り得るというのだ。「これこそが美術だというものが存在するわけではない。作る人たちが存在するだけだ。男女を問わず、彼らは形と色を扱うすばらしい才能に恵まれていて、『これで決まり』と言えるところまでバランスを追求する」。
訳も良い。訳者の一人に長谷川宏氏が加わっている。なるほど、と思う。
★5つでは足りない。6つか7つをつけたいくらいだ。

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「経済」とは「経世済民」であることを改めて思い出させる「熱い」本

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今「最も熱い経済学者」井手英策 慶応大教授による、提言の書。一言で言えば、「この生きづらい分断社会を終わらせるためにどうするか?」を述べている。
この本では、まず、現在の日本で、なぜ「格差社会」が作られたのかを分析している。理由は、財政悪化の名のもとにサービスの削減ばかりが議論され、ムダ使いの犯人捜し、弱者の袋叩きを行う社会の風潮になっているから。余裕を失った社会では、格差是正への反発が大きくなる。「誰かが得をすれば、誰かが損をする」からだ。
一方、日本では、「税への抵抗」が他の先進国と比べても群を抜いて強いが、それは、殆どの人に「受益感」がないから。日本の政府は、世界でも最も「小さい政府」になっているため、生活に欠くべからざる必要なサービスについても、すべて自己負担で確保することが求められている。例えば、医療も介護も教育も、すべて「自己責任原則」。
では、どうすれば良いか?ここからが、井手さんのスゴいところ。「貧困層に限った救済ではなく、子育てや教育、医療など全ての人に共通して必要なサービスを、全ての人々に対して無償で保障する社会をつくるべき」と提言する。そして、その費用は、全員が所得に比例して負担するべきだ、と。
高所得者でも、医療費、介護費、子育ての費用が無料になるなら、公的サービスに対する「受益感」があるので、税金を払うことに抵抗がなくなる。そのかわり、低所得者にも、所得税を負担してもらい、また消費税の税率を欧州並みにアップして税収を大きく増やす。こうすれば、税は、政府から一方的に取られる負担から、暮らしのための分かち合いへと転換され、格差も縮小して、すべての人々が受益者となり、お互いが、いがみ合う必要はなくなる。
医療も介護も住宅も、公的サービスで殆どがまかなわれるならば、中間層も含めて、老後生活の将来不安がなくなる、と本書では主張している。
「経済」とは「経世済民」の略であり、「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」の意味である。この100ページ足らず(イラストが多いので、それを除くとせいぜい数十ページか?)の本には、その熱い思いが漲っている。
若者のみならず、将来の日本の社会の行く末に責任のある社会人こそが読むべき本だ。

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大谷崎は、やはり大変態だ!!

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

森欧外の短篇小説「追儺」の冒頭に、作者自身の独白として「小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだ」と書かれている。この「細雪」は、大谷崎が、自らの文学生活の集大成として、それを具体化した作品に思える。 
                        
ただし、「細雪」には劇的なエピソードはほとんどどなくー阪神大水害で、四女妙子が命を危険にさらす、妙子の恋人の板倉が中耳炎の手術の失敗で急逝する、妙子の妊娠と死産、といった程度-、物語の中心は、三女雪子のなかなか成立しない複数の見合い話の経過と、その成り行きや様々な世間体、本家との関係に盛んに気を働かせる次女幸子の内面独白であり、それに、(かつての)関西上流階級の生活ぶり―毎年一家総出が恒例の京都の花見旅行、五代目菊五郎をひいきにする歌舞伎見物、阪神間の和食・中華・洋食の会食風景等々―が華麗に描かれる。それら、どちらかと言うと平凡な日常の瑣事の長大な連なりを、なぜ読者に飽きもさせずに読み通させるのかと言うと、それこそは、大谷崎の名文ゆえとしか言いようがない。句点に辿りつくまで異様に長いセンテンス、にも関わらず、極めて明晰な文章。これこそが、大谷崎が若い時から原文で親しんだ英文の明晰性と、源氏物語の現代語訳で自家薬籠中のものとした伝統的な和文脈とを融合させた文体の特長だ。読者は、この大谷崎の芸-というと誤解を与えかねないので、芸術と言うべきか?―の心地良さに身を委ねるだけで、いつの間にやら物語の結末に至るのだ。

構成にも仕掛けがある。人見知りが強く・自分の意志を明確に言わない・典型的な「娘さん」タイプの三女雪子と旺盛な生活力を持ち・奔放に恋愛経験を重ね・時には自分を恋する男に金品を貢がせる・現代的な「こいさん」の四女妙子の対比。尚且つ、雪子は皆から祝福される華族の庶子との結婚が決まり、妙子はバーテンダとの間に出来た子供も死産し、密かに身の回りの品のみを纏めて芦屋の姉夫婦の家を出る。「しっかり」タイプの次女雪子と「おっとり」タイプの長女鶴子の対比―芦屋で優雅に暮らす雪子一家と、子沢山で(当時は場末の)渋谷でつつましい借家暮らしの鶴子一家-を鮮やかに書き分けることにより、物語に膨らみを持たせている。

そして、大谷崎らしいエピソードを、そっと忍び込ませている。 
一つは、幸子の夫の貞之助が、妙子が雪子の足の爪を切る光景を襖の陰から盗み見るシーン。一つは、大腸カタルに罹った妙子の執拗な排泄描写。そして、もう一つは、結婚を決意した雪子が挙式のために東京に向う際の描写。「下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた」。しかも、これが、400字詰め原稿用紙約1600枚に及ぶ大長篇小説の最後の一文なのだ!              

大谷崎は、やはり大変態だ!!

最後に、苦言を一つ。やはり、旧版全集のように「細雪」は一巻に収めてもらいたかった。

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紙の本オクトーバー 物語ロシア革命

2019/10/03 18:09

史上初の社会主義革命という奇妙な物語

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ロシア革命とは、1917年にロシアで起こった二度の革命のことをさす。一度目の2月には500年にわたる専制支配に終止符がうたれ、10月の革命は、史上初の社会主義国家樹立に繋がることになる。『この二月から一〇月までの月日は、絶え間ないぶつかり合いの過程であり、歴史の大きな捩れであった。そこで何が起きたか、その意味は何かといったことは、いまだに物議をかもさずにはいない。二月、そしてとりわけ一〇月のことは、自由の政治をどう見るかというプリズムであり続けている』。
1917年とはひとつの叙事詩であり、冒険と希望と裏切りの、ありそうにない偶然の一致の、戦争と策謀の連続する一年だった。勇敢さと臆病さの、愚行と笑劇の、豪気と悲劇の一年だった。新時代の野心と変化の、ぎらつく光と鋼と影の、線路と列車の一年だった。
中でも重要人物であるレーニンは会う人の誰もが魅了され、彼について書かずにはいられなくなるとミエヴィルが語るように、本書の中では基本的に傑物として描かれていく。その語りがまた魅力的だ。『レーニンが何につけ過ちを犯さないというわけではない。それでも彼は、いつどこで押すか、またどのように、どこまで強く押すかの鋭敏な感覚を備えている』。
2月、大規模なデモが発生し、警官隊がデモ団体に対して発砲したことから一部の兵士らが反乱を開始。市民と兵士が一丸となって反乱軍化し、別部隊による鎮圧が開始されるも次々と反乱軍に加わるばかりで、物凄い速度で広がった反乱の熱の前には無意味な試みであった。最初に反乱を起こした兵士たちの強烈な葛藤と、それでも尚、行動を起こすに至る劇的な瞬間。津波のように国家へと広がっていく喧噪、波乱、蜂起。一夜にして起こる革命の臨場感が、本書の中に見事に描写されている。
一方、その頃レーニンは亡命地におり、臨時政府をブルジョワ政府とみなし、政策不一致であり不支持を表明。亡命先のスイスでの滞在中、レーニンは頑なに、ロシア革命はやがてくるヨーロッパ、ひいては世界への革命の起爆剤になりうると主張し、大陸は革命をはらんでいると語っている。臨時政府が支配するロシアへレーニンが帰還することによって、再度、革命への機運が高まり始める。
本書は確かにロシア革命を扱った本ではあるが、その根底には他国にも通じ、未来にわたって生き続ける普遍的な法則が流れている。ミエヴィルは物語を通じてそのより深い部分を見事掬い上げている。変化は必要か、変化は可能か、革命家が陥りがちな落とし穴はどこか、どんな危険がつきまとうのか、革命により何が得られ、何が失われるのか。『史上初の社会主義革命の奇妙な物語が称えられるべきなのは、ノスタルジアゆえではない。あの一〇月というすべての基準となるものが、かつて状況が一度変わったこと、再びそうなってもおかしくないということを明示しているのだ』。

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紙の本父の生きる

2016/12/19 16:21

自分の親が老いる時

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自分の親が老いる姿は、できれば見たくない―子は誰でもそう思う。しかし、本来喜ばしいはずの「長生き」が、残酷な親の「老い」を子供の前に突きつける。その「老い」は、気分屋で自己中心的であり、詮無いことの繰り返しであり、そばに居る子供をひたすら苛立たせ、憂鬱にさせる。まして、尊敬していた親の老いる姿は、哀しさを通り越して、怒りさえ覚えさせる。
「だけど退屈だよ。ほんとうに退屈だ。これで死んだら、死因は『退屈』なんて書かれちゃう」。いや、老いた親自身が、どうしようもなく、自分を持て余しているのだろう。親が居なくなったとき、そのことに思い至り、子供も自らの「老い」を意識する時を迎える。

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小説家が「知識人」であった頃

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かつて、小説家は紛れもなく「知識人」であった。小説家は様々な国際紛争、政治事象、社会的事件が生起する度に、それぞれの知見を披歴した。もちろん、それは評論家や批評家とは異なり、どちらかと言うと真正面からよりも、ちょっとワキからの、自分の思いに重きをおいた主張だった。そして、お互いを厳しく批難することも多くあったが、根底では「文士の友情」とも言うべき、共同体意識で結ばれていた。
スペイン始めヨーロッパの国々に実際に住んだ経験のある堀田善衛の、このエッセイ集は、軽い口調に似ず、その内容は重い。何よりも視野が広い。しかし、日本人としての視点は決して失っていない。
何か「ワケノワカラナイ」ことが多く起こる今だからこそ、今、この人の考えを聞きたい。

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目からウロコ!鴎外「史伝」の読み方

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「第1章なぜ日本に政党政治が成立したのか」の中で、ハーバーマスの『公共性の構造転換』にある「市民的公共性」の中の「文芸的公共性」という言葉を引いて森鴎外の「史伝」を論じている。

「ヨーロッパにおける「政治的公共性」の前駆としての「文芸的公共性」は、日本では、一八世紀末の寛政期以降、幕府の漢学昌平黌が幕臣のみならず、諸藩の陪臣や庶民にも開放されるとともに、全国の藩に採用された昌平黌出身者を中心として横断的な知識人層が形成されました。彼ら相互間に儒教のみならず、文学、医学等を含めた広い意味の学芸を媒介とする自由なコミュニケーションのネットワークが成立したのです。それは非政治的な、ある種の公共性の概念を共有するコミュニケーションのネットワークでした。それは当時「社中」と呼ばれた、さまざまの地域的な知的共同体を結実させ、それら相互のコミュニケーションを発展させていったのです。
 そのような知的共同体の、あるいはそれら共同体相互間のコミュニケーションの実態を、驚くべき綿密さをもって、主として書簡によるコミュニケーションの追跡を通じて実証的に再現したのが、森鴎外晩年の「史伝」といわれる作品群です。
 鴎外の「史伝」には、澁江抽斎、伊澤蘭軒、北条霞亭などの個人が題名として冠されていますが、「史伝」の実質は、それら個人というよりも、それら個人によって象徴される知的共同体そのものなのです。(……)
 「史伝」の核心を偉大な個人に求めようとする者は、しばしば失望します。「史伝」の読者たらんとする者の多くが味わう失望感(あるいは退屈感)がそれです。」
「たとえ各個人の人格的価値(また学者的価値)の間に優劣があろうとも、それぞれが属する知的共同体そのものの間には必ずしも優劣があるとはいえません。それらはいずれも、身分や所属を超えた「文芸的公共性」を共有する成員間の平等性の強い知的共同体でした。そこでは身分制に基づく縦の形式的コミュニケーションではなく、学芸を媒介とする横の実質的コミュニケーションが行われていたのです。
(……)鴎外の『伊澤蘭軒』や『北条霞亭』は、廉塾という山陽道の一宿駅を拠点とする、ささやかな知的共同体が及ぼした全国的なコミュニケーションのネットワークを、飛躍を伴わない徹底した考証学的方法――これは鴎外が敬愛して止まなかった渋江抽斎の学問的方法ですが――によって描破したのです。(……)
(……)日本の場合もまた、ヨーロッパの場合と同じように「政治的公共性」は「文芸的公共性」に胚胎したのです。」

 鴎外の「史伝」を読んだことのある人間は、誰しもその退屈さに呆れると思う。私自身、『澁江抽斎』はまだ事件らしい話もあり、感動とともに読み終えたが、『伊澤蘭軒』は旅日記の長々とした引用に辟易して途中で挫折、『北条霞亭』に至っては「積ん読」状態に置かれたままだ。
作家の評価も、石川淳の「傑作」派と、松本清張のような「『渋江抽斎』は遺児の覚書の複写」(『両像・森鴎外』)との全否定派がいる。
ところが、これを社会科学の視点で読むと、江戸後期の読書階級の間に幅広い「文芸的公共性」が成立しており、その知的世界のありようを、明治以降の「近代化」過程を身をもって生きた晩年の鴎外が、大きな問題意識で眺めてこれを書いた、と考えられるという。そして、西洋世界とは全く別の知的伝統をもっていた日本が近代化に成功できた背景に、江戸後期の知識人ネットワークの創造性が脈々と流れていた、とも。
こういった視点で、鴎外の「史伝」を、きちんと読み直す必要がある。

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紙の本胎児のはなし

2019/09/20 14:43

一読びっくり!

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とにかく、びっくりした。既に成人した息子がいるが、妊娠から出産まで母親のお腹の中で、胎児がこのような生活を送っていたとは(もちろん、私自身もその一人だったはずだが)。それでも、「今でも判っていることはわずか」だそう。
 胎児の排泄にしてから初耳。胎児は、だいたい60分に一度おしっこをする。そのままでは子宮が一杯になってしまうので、尿の大部分(一日700CC程度)は自分で飲んでしまう。ちなみに、大便の方は世に出るまで溜め込んでいる。「胎児は排泄を、どうしているのか?」疑問にすら思っていなかった己の不明を恥じるばかりだ。

 こういった、出産前の胎児の様子がわかるようになったのは、超音波検査という手法のお陰だ。もともとは日本の魚群探知機から始まったそうで、日本製の魚群探知機を、アメリカの脳外科医が脳検査に使い始め、その後、胎児に応用されるようになり、1970-80年代、超音波技術によってついに胎児の存在を認識できるようになった。ただ、このときは骨がうっすら見えるだけで、胎児の様子、まして表情など、とても把握出来なかった。
 今のように胎児の表情までわかるようになったのは3D技術が応用され始めた2000年頃から。従って、胎児が詳細に可視化できるようになったのは、ここ20年の話だという。今では4Dとして静止画ではなく動画で胎児を見ることができるようになり始めた。
 そして、わかった胎児の表情は、笑い、泣き、あくびをしたり、しゃっくりをしたり、鼻から水を出したりしているというもの。

 胎児を「見ること」ができるようになった後に目指したのは、「分析すること」だった。胎児の血球を遺伝子分析することにより、今では胎児の性別やダウン症スクリーニングも出来る。この分析手法を通じていろいろな発見があったが、特にビックリさせられたのは、父親のDNAに関するもの。遺伝子が母子・父子間でつながりがあることは当然だが、何と、父親のDNAが胎児を介して母親に入っている-父母間でもつながりがあることも明らかになって来たという。「子はかすがい」というが、例えでなく、遺伝子的には別個体とされていた夫婦が、子供により生物学的にも繋がっている、衝撃的な事実だ(妻は「気持ち悪う」と言っているが)。増崎先生は、「医学的に立証されてはいないが、長らく生活をともにした夫婦が似て来るということと関係があるかも知れない」とおっしゃっている。

 そして、胎児についてはわからないことが、まだまだ残っている。なぜ胎児は頭が下なのか?なぜ決まって3000g前後で生まれてくるのか?どうして陣痛は起きるのか?等々、これらの問いに、いずれも明確な答えがない。

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紙の本冗談

2019/09/17 12:05

極めて「政治」的な小説

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みすず書房版の『冗談』には、「著者まえがき」と「著者あとがき」が付いていて、クンデラ自身がこの小説をどう読んでほしいか解説を書いている(「肉体と精神の乖離をめぐる悲しいラブストーリー」)。チェコ語版の刊行が1967年、プラハの春とそれに続くソ連の軍事介入が1968年ということを考えれば、たった一言の冗談が一人の男の人生を狂わせてしまうという『冗談』のストーリーが、当時の共産党体制に対する告発の書とみなされるのは当然と言えば、当然だ。その意味で、『冗談』は「政治」的な小説だ。
 各章は作中人物(ルドヴィーク、ヘレナ、ヤロスラフ、コストカ)の名前が付されており、章ごとに人物の視点が入れ替わり、一人称の語りになっている。
ルドヴィークは、大学生のとき思いを寄せていた女の子に興味を持ってほしくてはがきに書いた冗談によって、大学を退学処分になるだけでなく、炭鉱労働に従事させられる。彼は、自分に有罪判決を言い渡した党委員会のリーダー(ゼマーネク)への強い恨みをいつまでも持ち続けている。ゼマーネクへの恨みは内面化され、生きる動機にさえなっている。ヘレナは教条主義的な党員、ヤロスラフは地元に伝わる民謡の研究者、コストカはキリスト者といったぐあいに、それぞれの語り手は自分が拠り所とするものを持っている。彼らはそうした立ち位置から、自分中心の物語を作り上げ、その物語の枠組みでものを見たり、考えたりする。
 彼らの語りは、自分という物語を補強し守る言葉の鎧のようなものである。同じ出来事が、異なる視点・異なるコンテクストで語られるとき、同じ出来事でありながら、あるいは、同じ人物でありながら、まったく違った様相を呈する。
『冗談』が「政治」的だというのは、この小説が、複数の視点のぶつかり合いから成り立っており、時に自分の物語を他人に認めさせようとしたり、あるいは、他人を自分の物語の中に呑み込もうとしたり、呑み込まれないように、言葉という鎧で自らを守っているからだ。政治とは、結局のところ、同じ物語を共有する人々の範囲を広げていく-相手の物語の中に生きることを強いられることにほかならない。
 社会を言葉による物語のぶつかり合いとして描く、この小説が素晴らしいのは、実は言葉を持たない者、その出自を自分の物語として語り得ない者を言葉の奥に隠し持っているからだ。兵役時代のルドヴィークが恋し、地方の農場で働いていたコストカの前に浮浪者として現れるルツィエという女がそれである。ルツィエが自ら語ることはない。コストカやルドヴィークの語りの中に彼らの視点を通して描かれるルツィエは、その身ぶりで強い印象を残す。言葉という鎧を身にまといながら、結局は自ら作り上げた物語に裏切られる作中人物たちを尻目に、ルツィエは愚鈍なロバのように「物語」を横断する。
ルドヴィークにせよ、コストカにせよ、ルツィエを自らを映し出す鏡として、彼女に過剰に意味を見出そうとするが、それはいわば言葉にならないものへの不安が反映されているからだ。『冗談』の作中人物が多くの言葉を費やす一方で、ルツィエの沈黙はそのまま取り残されている。

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哲学的な愛の小説

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舞台は「プラハの春」時代のチェコスロヴァキア。主人公は四人の男女だ。有能な外科医にして猟色家のトマーシュ。トマーシュをひたむきに愛する妻のテレザ。トマーシュの愛人の一人で、才能に恵まれた画家のサビナ。サビナを愛する大学教授のフランツ。
小説の題名の由来になっているのは、トマーシュの「一度のものは数に入らない」という言葉だ。「一度とは一度も、ということにひとしい。ただ一度かぎりの人生しか生きないとは、まったく生きないも同然なのだ」と。
そして、ニーチェの永劫回帰に反するかのように、「人生はただ一度しかない。だから、私たちはどの決心が正しく、どの決心が間違っているのか知ることはけっしてできない」と主張する。ただ一度きりの人生とは「重い」のか「軽い」のか、われわれ人間とは耐えられないほど軽い存在であるのか、これがこの小説の命題だ。

極めて哲学的な命題を扱いながら、この小説は紛れもなく愛の小説だ。男女の恋愛関係に潜む、弱い側(女)がその弱さのゆえに強い側(男)を制圧するという力の逆転を、そして、それ以上に、人間同士の愛情よりも人間と動物の間に生まれる愛情こそより純粋でより自由だと述べている。それは、動物に対する愛は見返りを求めないからだ。

テレザはなにひとつカレーニン[引用者注=「ちんくしゃな面」のため、トルストイの『アンナ・カレーニナ』のアンナの夫の名をつけた牝犬の名前]に求めない。彼女は愛さえも要求しない。彼女は一度も、人間たちのカップルを悩ます次のような質問を自分にしたことがなかった。彼はあたしを愛しているのだろうか? 彼はだれかをあたし以上に愛したのだろうか? あたしが彼を愛している以上に、彼はこのあたしを愛しているだろうか? 

テレザは弱く、トマーシュは強かった。しかし、テレザは自分の弱さを悪用してきたのかもしれないと、ぼんやり思う、自分の弱さが攻撃的な弱さだったために、とうとうトマーシュは強いままでいるのをやめて、野兎に変身してしまったのだと。自分が、トマーシュに何をしてきたのかを悟ったテレザは、正装用のドレスでいちばん美しい装いをして、一緒に踊り、そして謝る。

「トマーシュ、あなたの人生の、すべての悪の原因はあたしよ。あたしのせいで、あなたがここに来たのよ。このあたしが、これ以上下に行けないくらいの、こんな下にまであなたを引きずってきてしまったのよ」
「馬鹿なことを言うんじゃない」ととマーシュが反論した。(………)
「もしチューリヒに残っていたら、いまごろあなたは患者さんたちの手術をしていたでしょう」
「そして、きみは写真を撮っていただろう」
「そんな比較はできないわ」とテレザが言った。「あなたにとって仕事はこの世でいちばん大切なものだった。でも、あたしのほうはなんだってできるんだし、あんなものどうだってよかったのよ。あたしはなにも失わなかった。すべてを失ったのはあなただわ」
「テレザ」とマーシュが言った。「ぼくがここで幸福だってことに、きみは気づかなかったのかい?」
「あれはあなたの使命だったのよ、手術をするのは!」
「テレザ、使命なんてくだらないものだよ。ぼくには使命なんてものはない。だれにだって使命なんかないんだ。そして自分が自由で、使命なんかないと気づくのは、とてつもなく心が安らぐことなんだよ」

テレザはトマーシュの肩に頭をのせて、ピアノとバイオリンの音に合わせてダンスをしている。幸福で極めて美しい場面で小説の幕は閉じられる。

トマーシュとテレザにこのあとトラックの転落死が待っているのだが、その場面は描かれない。

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ウィルソンとナボコフの間のレーニンをめぐる解釈の相異

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1940年、ちょうどウィルソンが『フィンランド駅へ』を出版した年、彼はロシアから逃れてきたある亡命作家と知り合った。『ロリータ』で知られるウラジーミル・ナボコフがその人である。
ナボコフは刊行間もない『フィンランド駅へ』を読み、その感想をウィルソン宛の手紙で述べている。ナボコフは『フィンランド駅へ』を「とても楽しく読めたし、構成もみごとで、あなたの偏見のなさにはおどろくほど」であると誉めてはいるが、その後にいくつかの難点を挙げている。そしてレーニンに関してはこう述べている。「彼の息子[レーニン]に関しては・・・いや、いかにあなたの文章魔術をもってしても私がレーニンを好きになることはないし、あなたが忠実かつ致命的に準拠している公式の伝記を私は何年も前に読んだことがあります(あなたがアルダーノフの『レーニン』を読んでいなかったのは残念)」。
このときのウィルソンは、ナボコフ宛ての返信で次のように述べている。「ロシアの背景にわたしが疎いことには気づいていました。しかし、レーニンおよび革命家としての彼の全体像についてあなたの理解は間違っているように思います---彼のことを怪物と考え、人間的な観点から説明しようとしないからです」。
この後、手紙のなかでレーニンをめぐって議論を交わすことはないが、レーニンに関する二人の考え方には、根本的な相違があったように思われる。

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