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kapaさんのレビュー一覧

投稿者:kapa

177 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本

地図は恣意的な「現実の選択的表示である」

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

かつて出張先パリで通りかかったアンティークショップにパリ市の古い都市図を見かけた。1717年製作の古地図である。ちょうどルーブル美術館に寄った帰りだったので、ルーブル宮を探したところ、今の姿とは全く異なり、周りは民家が入り組んでいる。また当然ながら、現在のパリ名所も載っていない。インテリアとして飾るのもいいし、タイムスリップした感覚で面白いので買った。それから、一時期「古地図」にはまり、日本で、また海外出張時にヨーロッパ主要都市の古地図を探し求めたりした。しかし高いのである。コストが嵩み蒐集は難しいので断念。「1717年パリ」は今も部屋を飾っている。その代わりではあるが、現在は「地図」が読書ジャンルの一つとなっている。
「地図」を読むといっても、美しく装丁された地図帳を眺めて知らない土地を想像するのではない。正確さの反映とされる地図は、実は力関係によって歪められ、恣意的な「現実の選択的表示である」(『地図の政治学』ジェレミー・ブラック2001青土社)。地図製作者は地図によって何を語ろうとするのか。地図は古来より、軍事・徴税など支配者のための権力保持の手段であり、現在のように日常・消耗品ではなかった。地図は秘められた見えざる「権力」を読み解くメディアであり、どのように解読するかを知りたくなったのである。
久しぶりにこの渇望を癒してくれる本に出会った。タイトル「進化史」にあるように、「権力」を正面に扱ったものではない。古代地図からグーグルマップまでの描いた地図の発展史で、地図が通商、文化、宗教、領土の拡張、戦争、それに今では広告と結びついていて、明確な目的があって作製されているかがよくわかる。また、地図とは哲学、数学、天文学、物理学、地質学、地理学等人類の叡智の結晶でもあり、科学がどのようにかかわってきたのかを「地図」という視点からも考察している。
地図とは世界図、世界を描いた絵である。全ての地図は様々な方法で世界を眺めることで世界を再現している。そこで共通しているのは古代ギリシャの哲学思考、中世の宗教的信仰、ルネサンス時代の科学実験および客観的な測量方法からビッグデータを収集する今日のデジタル時代まで、地図作製者がその地図が描かれた時代に重要だと言われた方法で世界を見ているということだ。地図作成者が私心なく地理情報だけを追求して地図を作製するように見えるとしたら、陰にはそれを可能にする後援者、国家の支援、あるいは商業資本の存在が不可欠だ。地図と資金は常に密接に関連し合って特定の統治者、国家、業界、または多国籍企業の既得権益を反映してきたのだから。だからといって資金援助を受けて地図作製者が進めてきた技術革新を必ずしも否定する必要はないだろう。かつて地図は壁に貼り、被支配者に誇示し権威を示すものであり、保存し、子孫に遺す貴重品であったが、現在では使用し、消費し、そして買い換える「日用品」となった。通信住居の急速な発展に伴い地図は頻繁に更新する必要が生じた。あまり長く使用することが亡くなったのは、それは喜ばしい発展であり良いことなのだ。
古代から現在まで美しい地図を眺めながら読めるところも楽しみである。また、地図のトリビア的なエピソードも満載。例えば米ソ冷戦時代米国は制空権に基づく戦略の観点から、25万分の一以上の詳細な地図は必要としなかったが、世界最大の陸軍と戦車部隊を持つソ連は、道路幅・橋梁加重負荷・河川の深さ、そして森や気象情報・建物までを示す詳細な地図を必要としていたという。ウクライナを疾駆するロシア戦車の映像を見ると、ここでも地図が意味を持っていると痛感する。

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紙の本

社会主義リアリズムとソ連映画・建築

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著者本田晃子氏はアヴァンギャルド建築の「アンビルド」建築家レオニドフに関する『天体建築論』(東大出版会2014)を上梓しており、本書は『天体』の「裏番組」なのだそうだ。「アンビルト」とは何らかの理由で実現しなかった建築案だが、研究の息抜きで見たスターリン時代の映画に「建設」をテーマとする映画が多いこと、さらに主人公よりも建築物が目立っていること、とりわけ「アンビルト」の「ソヴィエト宮殿」まで登場し、主人公を差し置いてクライマックスをさらっていくのが気になり、映画と建築について論じたという。
確かに、映画のセットは建築物だし、架空の建物や街並みも登場するなど映画と建築は相性がいい。そのため実現しなかった「アンビルト」が映画では実在するという逆説に注目したのである。映画は「建築の理想を、夢を、映し出すメディア」だが、ここでは、「本来の建築空間が包含する矛盾や齟齬、断絶を排除」した「夢の空間で見られたもう一つの夢」になっているのである。だから帯にある「建築×映画×全体主義」の解は「夢のソ連ランドにようこそ」なのである。そこにはもう一つの解「全体主義」がある。そしてこの「全体主義」は「社会主義リアリズム」として現れてくる。
「社会主義リアリズム」は1932年に登場する芸術理論だが、本質的に時代に応じた厳格な要請があったわけでなく、芸術を全体主義的な党=国家の権限下に置き服従させるという、正統派的教義として機能し、スターリンの全体主義政治における、あらゆる芸術運動の抑圧を象徴していた(『社会主義リアリズム』ミシェル・オクチュリエ,文庫クセジュ2018)。芸術理論とは言うが、その時々の支配層・時代背景によって融通無碍に内容が決められる支配道具であったので、統一的な「理論」を見出すのは難しい。例えば音楽の分野では、ショスタコーヴィチの音楽が「荒唐無稽」と批判されるが、さりとてリアリズムに適う音楽は、というと、「わかりやすい」音楽というようにトートロジーに陥ってしまう。結局は時の権力者の嗜好に合うかどうかという基準になる。本書では実現した地下「宮殿」としてのモスクワ地下鉄が、1935年に最初の路線が開通してから現在に至るまでイデオロギー闘争の場であり続けていることにそれが示されている。
その点映画におけるリアリズムは、「現実をその革命的発展において、真実に、歴史的具体性をもって描く」こと、つまり、現実を写実的に描くのではなく、間もなく到来するはずの理想的「現実」、あるべき「現実」を描くという規範があった。その他に例えば、空間の高低はしばしば重要性の高低という象徴的な意味に転換される、生身の人間よりも絵画や彫刻によって像化された人物が物理的にも象徴的にも高い位置を占め、遠近法における消失点に最も重要な対象(レーニン・スターリン像)として置かれる、などの規範もある。また、それは「庶民のフォークロア」(ゴーリキ)に基づかなければならず、おとぎ話や民話・昔話などの要素を取り込もうとしていた。リアリズムの理想とは「成長した子供であり、その戦略は幼年時代の保存である。というのも子供の意識は迷信や神話によって容易に方向づけられ、支配され、国家や民族、権力が発揮する力に従属させられるからだ。」その狙いは人々の意識のコントロールにある。スターリンの粛清下の「見世物裁判」では、現実の人々によって現実の空間で虚構の物語が演じられるという意味で、虚実の境界は完全に消滅し、「あるべき現在」、つまり「虚構」こそを現実とみなすリアリズムの美学はスクリーンを超え出て現実の人々の生死をも決定したのである。

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紙の本

紙の本偽装同盟

2022/02/25 14:28

社会の歪みを映し出す改変歴史警察小説

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日露戦争に負けたロシア帝国統治下の東京を舞台に描いた「抵抗都市」の続編。前作は、日露戦争終結から11年後の1916年、主人公新堂祐作刑事が身元不明の変死体の捜査を始めるが、ロシア統監府のコルネーエフ憲兵大尉などの介入を受けながら、ある大きな反露・反二帝同盟の陰謀にたどりつくという展開であった。
今回は年があけた和暦3月(ロシア歴2月)が舞台。今回も身元不明の若い女性の死体が発見され、再び新堂が捜査に乗り出す。遠く離れたロシアの首都ペテログラードでは、第一次世界大戦の最中民衆の騒擾・軍の反乱の動きが…。我々は知っている、1917年2月は「世界を揺るがした10日間」の始まりであったことを。このような歴史的背景を知っていればこそ、市井の小さな事件から新たな陰謀が露見し、前作にあったような反政府勢力との銃撃戦などがあると期待したのだが、見事に肩透かしを食った。新堂が応援する別の二つの事件はどうやら本国の革命的な動きに関係しているのだが、統監府秘密警察が出てきて政治決着でおしまい。
全編ほとんど「地取り」で構成されている。今回の相棒となる外神田署の飛田刑事の被害者:街娼、犯人:ロシア軍人という事件の構図を新堂は鵜呑みせずに、関係者の探索・聴き取りなどから丹念に検証し、真相に迫っていく。前回同様事件の舞台は、ほとんどが神田近辺の狭いエリアであり、その街並みやロシア施設の配置などの緻密な情景描写であるので、読者はまるで当時にタイムスリップして実際に新堂・飛田とともに「地取り」をし、推理をしているように思えてくる。しかし今回は前作でロシア帝国の権力の象徴であったコルネーエフ憲兵大尉の存在感は薄い。前作の相棒多和田の娘の危険を救うために奔走した新堂との関係は進展しそうだが、作中ほんのわずかなエピソード。前作のような盛り上がり感に欠ける印象がある。
しかしこれは、次作に向けた作者の仕掛けだ。本書出版時の集英社読書情報誌『青春と読書』に著者と元外務省ロシア主任分析官佐藤優氏が本書をテーマにした対談が掲載され、著者の考えが示されている。著者は今の日本の未来に対する不安を日露戦争後の時代を舞台に書けば、そこに何かが隠されていると読んでくれる。実は歴史改編ではなく同時代、さらにいえば近未来小説として書いたのだ。佐藤氏は、本書の光景は、今の日本と同じで、中産階級上層部以上の富裕層とエッセンシャルワーカーの2つの階層の「二重帝国」であること、また様々な「格差」、国家・国内の地域間・階級間・ジェンダーの格差がコロナ禍2年間の変化として明らかになって来たという時代の空気を反映しているという。
警察小説としたのは、このような社会の歪みは犯罪として現れ、それを捜査する警察官は生活者としての自分と公務員としての自分の両方の価値観で現実に対処していくので、民衆の声も作中に反映されるから、としている。作中二月革命でロシア帝国が消滅したとわかると、統監府の捜査妨害に沈黙し忖度した警視総監が俄然やる気をだすところなどは、当時の時代風潮を代弁するものだろう。
シリーズ三部作で次作では、新堂が捜査に当たる普通の市井の事件に、ボルシェヴィキ革命を背景にした「世界史的大事件」とも直接つながってくることを著者がネタバレしている。そうすると、今回は壮大な結末への嵐の前の静けさ的なまとまり感という仕掛けだったのだ、と納得。同盟は解消され、史実通りに日本軍が「シベリア出兵」するのだろうか、また、欧州西部戦線に投入された日本軍が白軍として反革命軍となるのだろうか、それとも日本でも一気に「革命」勃発か、興味津々の最終作である。

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紙の本

紙の本ベルリンに堕ちる闇

2021/12/23 22:24

英国人作家による独歴史・警察小説新シリーズ!

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1939年第二次世界大戦開戦直後、クリスマスが近い12月のベルリン。ナチ党幹部の元女優の妻殺害事件が発生する。被害者はゲッベルスの元愛人であり、また、生前の行状に問題があった。党内派閥間の摩擦を引き起こし、また、党の対面を損ねることなく事件を解決し犯人をつきとめるべく、クリポ刑事警察の警部補ホルスト・シェンケは、ゲシュタポ局長ハインリッヒ・ミュラーから事件の捜査を命じられる。事件は連続殺人事件の様相を示す。灯火管制下の闇、雪によって狡猾に証拠を残さない犯人像の手掛かりに乏しく、一方でミュラーからプレッシャーがかかり、シェンケは毎日が崖っぷち。それを恋人カリンとの逢瀬が癒してくれる。そこに危うく難を逃れた女性の証言を得て事件解決の糸口を得ることになるが、彼女はユダヤ人であった。彼女をナチから守りつつ犯人を追い詰めていくシェンケ、しかし誤認逮捕であることが判明、窮地に追い込まれるが土壇場の大逆転劇で一機に事件は解決を見る。
犯人と思しき人物の数は限られ、また、現場検証、地取り、尋問といった地道な捜査手法が中心で事件を解決に導く種明かしもない。しかし、戦争中の暗闇のベルリン、しかもナチスが支配している時代の雰囲気がサスペンスの不気味さを増している。またカナリス(カリンの叔父)、ミュラー、ハイドリヒといった実在の人物を登場させ、シェンケが対峙するという設定も本当らしさを印象付けている。
ゲシュタポとクリポはハイドリヒ長官の国家保安本部直属の警察組織となっていたのだが、シェンケは自らの信条によってナチ党に入党していない。ナチ社会では不利な立場にあるが、その刑事としての有能さ、またの派閥にも属さないということがかえってこの事件を調査するのに適任ということで白羽の矢が立った。貴族の出自で、ドイツの英雄ともてはやされた元レーシングドライバーだったが、事故で引退、警察に入ったという経歴。東部戦線では何千人という人間が戦争で殺されているのに、ベルリンでは殺人犯を逮捕しなければならない現実に疑問を感じながらも、自己の良心・職業倫理に忠実に職務を遂行する真面目な「アーリア人」だ。
本書は歴史小説を書いてきた著者初のミステリ。ドイツではない英国作家が描いたナチ第三帝国下の警察小説は初だろう。綿密なリサーチに裏打ちされた時代の雰囲気も相俟って評価され、「シェンケ・シリーズ」として第二作が予定されている。「犯罪者どもが動かしている国で刑事である価値は何だろう?これまで、自分が正しいと思うことをし、法を執行することに打ち込んできた。でもそんなことをしてなんになるだろう。善良な人間でありたいが、ミュラーやハイドリヒのような連中に仕えながら善良でいられるだろうか?」と独白し悩むシェンケを、恋人カリン、また、信頼できるクリポの仲間、そして「土壇場の大逆転劇」の立役者で、神学の博士号を持つ元ゲシュタポ軍曹で警察官シェンケに親近感を抱くオットー・リーブヴィッツが不思議な関係のバディとして支え、物語は展開していくだろう。
訳者はあとがき最後で「なぞかけ」をしている。本作は1940年から41年にかけて、ベルリンで実際に遭ったシリアル・キラーSバーンマーダラーS-Bahn Murdererから着想を得ており、著者は作品のなかでその「におわせ」をしているという。以下ネタバレ!この実話の映画化名「ブラックアウト」(2014)が本書原題と同じということかと思ったら、最後の最後に答えがあった。シェンケがハイドリヒと「手打ち」をした嘘の事件解決報道をした新聞を列車で読んでいた時、その記事を覗き見し新聞をシェンケからもらった人物が答え。

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紙の本

「歴史修正主義」「歴史の司法化」「歴史の法的ガバナンス」

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まず、本書の目次を見てみたい。19世紀の偽書「シオンの議定書」から始まり「ドレフュス事件」の「陰謀論」、そして20世紀に入ってからの二つの世界大戦の戦争責任をめぐる議論が、意図的に歴史を書き替える「歴史修正主義」の始まりであったことがわかる。そしてそれは、反ユダヤ主義表現、ナチ擁護として広まり、1980年代以降は、ホロコースト否定論が世界各地で勢いを増し、独仏では法規制、英米では司法の場で争われる。近年は第二次世界大戦の主戦場となった東欧での共産主義の評価をめぐり「修正主義」が拡大している。このような「歴史修正主義」の一世紀に及ぶ歴史が概観できる。
「ホロコースト否定」、ドイツ「歴史家論争」、そして「アウシュヴィッツの嘘」とドイツの「民衆扇動罪」。これらは、これまで個別のテーマとして読んだことのあり、その背景・内容は知っているつもりであったが、目次によれば、「歴史修正主義」は、これらを含み、また密接に関連しながら、そしてさらに新しい動きを生みだしてきた100年以上に及ぶ歴史があることを再認識させられた。
「歴史修正主義」が生まれる背景の一つには、国民にとって自分の祖国のアイデンティティの追求がある。特にドイツ、そしてフランスがそうだ。二つの大戦の後、ドイツは「戦争責任論」、ホロコーストの「罪」といった、「過ぎ去ろうとしない過去」を払拭するために、「歴史修正主義」が必要とされた。フランスも「レジスタンスの神話」を維持するために「歴修正主義」が生まれた。しかし、それは法規制で制限されるところとなっていくが、さらに進んで政治が「歴史」を利用していく、という流れが出てきている。その一つとして、EUでは、「歴修修正主義」の否定、すなわちホロコースト・反ユダヤ主義への反省がヨーロッパ統合のシンボル、ヨーロッパ人のアイデンティティとして政治的に扱われるようになっているのである。これは、「歴史修正主義」もこのEUの動きも、同じく「歴史」を操作するもので、コインの表裏のよう関係があるように思う。
そして両社とも「歴史の司法化」、歴史が裁判の被告人となって検証されるということになり、さらに進んでEUでは社会の歴史認識を法という手段を用いて「適正」に保つという、「歴史の法的ガバナンス」が登場している。この最新の流れは、東欧での共産主義の評価をめぐる「修正主義」と「法的ガバナンス」の動きであろう。著者は、この二つの均衡を保つためには、「表現の自由の保障」、そして「民主主義」の二つが機能していることが重要と最後に示しているが、ひじょうに示唆的である。
本書では、一方で「歴史修正主義」の論法についてもふれられているが、それらを整理すると、日本の「ごはん論法」、政治家の発言に通ずるものがあるように思える。以下に少し列挙してみよう。
・言葉の選択:言葉と実態の間のずれを作り犯罪性を希釈
・立証責任の転嫁:相手の主張を「でっちあげ」と決めつけ、証明責任を相手側にすげ替える。
・自分にとっての真実の拡張・都合の良い事実だけの選択
・5割の真実、3割の真意不明、2割の嘘
・専門家と同じ土俵で議論
・問い・疑問を立てるが証明しない
これた¥らの論法によって、信じられないことも繰り返されると自分が正しかったのか不安にさせ、認識に「ゆらぎ」を生じさせることが「歴史修正主義」の狙いであることを忘れないようにすることが必要であろう。

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紙の本

学術と妄想が融合するとき〈狂乱の科学〉の暴力がはじまる

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ヒトラー、ナチズムなど第三帝国にかんする書籍は毎年多く出版されているが、最終的には「研究機関」の枠を超え、アーリア人種・ゲルマン民族優越政策や強制収容所におけるユダヤ人への医学実験を主導した、この「アーネンエルベ」という組織を中心に扱った書物はこれまでにはなかった。「アーネンエルベ」Ahnenerbeとは、1935年、ナチス親衛隊SS全国指導者ハインリヒ・ヒムラーの主導により、ドイツ先史時代の精神史研究を目的として設立された研究機関である。
例えば、ナチス統治体制の淵源を、ルネサンスからニーチェまで、ヨーロッパ近代の歴史に探った大著「ナチズムは夢か」(南利明 勁草書房2016)やイアン・カーショーによる浩瀚なヒトラー伝記「ヒトラー上1889−1936傲慢、下1936−1945天罰」(白水社2015)の索引・事項検索にはアーネンエルベはない。ヒムラー以外のキーパーソン、ヴォルフラム・ジーファース(1905-1948)とヴァルター・ヴュスト(19014-1993)の名前も登録されていない。本書によれば、「アーネンエルベアにとって最大の悲劇は、自分たちの組織がヒトラーから評価されていないという事実だった。アーネンエルベにはヒトラーの興味を惹起した活動はほとんどなかったからである。ヒムラーはアーネンエルベにヒトラーの興味をひきつけようと苦労したのだが、それはつねに逆効果に終わった」のである。
本文・脚注・索引を合計して総頁数800頁の大著は、アーネンエルベの唯一無二の研究書として1974年の刊行以来、現在でも版を重ねつづけるロングセラーである。読破するもの大変であったし、何をどのように評価すればいいのか難しいのだが、最大の特徴は「研究書」ということだろう。ナチズム・第三帝国関連本、また、ムック本などで、アーネンエルベは例えば、オカルティックな研究機関であるとか、優秀なアーリア人種をつくりだす「命の泉」(レーベンスボルン)をポルノまがいに扱うといった、疑似・似非科学、トンデモ科学の研究機関としてキッチュ的に扱われることが多いが、本書ではいずれも本当の姿を淡々と記述している。
本書によると、アーネンエルベは当初はゲルマン民族の歴史・民俗を主に研究したが、インドゲルマン先史学・ルーン文字・紋章学・北欧神話・チベット探検・宇宙氷説・人種論・遺伝学・ダウジングロッド(針金を使った水源探索)・秘密兵器開発・高空・低温医学実験…というように次第にオカルティックな研究を含め、ユダヤ人を使った人体実験や気象学、化学、軍事研究などの分野にも拡大していく。これらの活動は「ナチ・イデオロギー」と「ゲルマン神話」が学問・科学の客観性を凌駕し、巨大な暴力を生み出したのである。ドイツ支配地域に多数の支部を有する巨大機関に発展し、ナチス・ドイツ崩壊に至るまで、親衛隊(というより本書によれば、ヒムラーの個人的関心)のアーリア=大ゲルマン帝国構想の推進においてきわめて重要な役割を果たした三人のキーパーソンにより描かれる。
また、ナチス支配層における権力の混沌は、第三帝国文化・学術分野においても、ナチ思想の責任者であるローゼンベルク、農民指導者ダレ(「血と土」思想)、また、教育機関を管理する文部省(ルスト)、大学などの研究者たちのあいだで繰り広げられ、思惑・かけ引き・せめぎ合いが錯綜する様はアーネンエルベでも同様であったことが示される。この権力闘争では、「大学」は最後までヒムラーの意のままにはならなかったという点が興味深い。戦後彼らの「業績」は忘却されたかに思えるが、例えば高空・低温医学実験のように、現在も有用な成果はあることを忘れてはならないだろう。

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紙の本

紙の本沃野の刑事

2020/12/26 22:01

「よど号ハイジャック事件」からの展開はどうなる?

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「警察大河小説」にして「戦後日本の警察組織の光と闇を炙り出す一大叙事詩」第3弾は、前回事件から18年後の1970年の「開幕」である。東京オリンピック開催で戦後復興を世界に示し、1972年大阪万博を控え、高度経済成長真っ只中の日本が舞台。前回「派出所爆破事件」事件以降、袂を分かった刑事の高峰と公安の海老沢は、自分の正義を求め、国と市民を守ってきた。今では「理事官」になっている。警察における理事官とは、警視庁に設置される課長に次ぐナンバー2の管理職。課長の命を受け、犯罪立件・内偵指揮・検察庁との合同捜査決定権などを持つ。二人とも出世したのだ。しかし管理職となって現場からは足が遠のいている。
この物語は、日本の戦後史をなぞるような事件を縦糸に、二人の人間関係を横糸にして展開する。求める「正義」の違いから、前回袂を分かった二人が交わる横糸が18年間なく、新たな展開はなかったのであるが、今回かつてふたりの親友だった週刊誌編集長の息子の自殺をきっかけに、再び糸が交わっていく(「動乱」では、反目するように背を向けて立つ二人であったが、今回は「焦土」と同じく二人そろって正面を向いたカバー表紙)。高峰は自殺の背景に事件を嗅ぎ取り、勤務先であった大企業の商社の線から、海老沢は過激派の線から内密に調べを進める。内偵を進めるうちに、単なる自殺と思われたが、米国軍事企業と政界の大疑獄事件が徐々に明るみになり、今では自民党(何故か実名)大物政治家となったかつての上司が浮かび上がる。そして前回事件で関係した検事が検察特捜部責任者として絡んでくる。リベートを受け取った政治家と米国企業との仲介をした大企業、それぞれの事件の重要証人の自殺という形で、事件立件は行き詰まりを見せる。日本の安全保障のために闇に葬るのか、それとも私情が絡むとはいえ、親友の子供の死を事件として追及していくのか、「警察の正義」を巡り、高峰と海老沢は苦悩しながら、今回は同じ結論に達していくのである。これまで同じような構図の事件を目にしてきたので、どのような決着になるかは凡そ想像できる。「正義」を貫けた結末であったかどうか、二人の心情は微妙であろう。
読み進めていくと、モデルとなる事件はすぐにわかる。予想できない事件の構図とかどんでん返しはない。その意味では、二人がどのように真実に近づいていくか、その中で直面する真実と自身の「正義」との折り合いをどうつけていくかという二人の内面の葛藤の物語である。また部下の助けを受けているとはいえ、前作同様「地取り」の場面、また、今回は任意の事情聴取の場面など、実際の捜査の情景の木目細かな描写が背景として挿入される。そこでは、若者のファッション、任意の事情聴取をする喫茶店の雰囲気などの小道具を使いながら1970年代という時代の諸相映し出すような描写が散りばめられている。当時の世相を知っていると懐かしく感じさせる演出である。
これで終わりか、と思ったら、最後に「よど号ハイジャック事件」である。物語の途中にちらっとでてくる過激派の犯行である。この展開は予想がつかなかった。海老沢は、捜査の過程で、これからは高度経済成長の「経済の時代」が終わり、「政治の時代」がくる、という予想を吐露したが、それがテロという形で現実化したのだ。
しかし、二人は定年間近。「政治の時代」に「正義」を貫く刑事はどこにいるのか?幸い二人の息子は、父親の背中を見ていたのか、警察という職業に関心を持っているようだ。「・・の刑事」シリーズは親子二代の、それこそ「大河小説」「一大叙事詩」となるのではないか、と思わせるエンディングである。

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紙の本

法曹実務に影響を与える【許可抗告】事案に注目!

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この本の新聞紙上の広告のキャッチは『許可抗告制度の開始から20余年、全ての許可事件を網羅した最高裁調査官等執筆の連載「許可抗告事件の実情」の待望の書籍化。…実務家必携の一冊。分野ごとの検索も可能!』と法律書にしては珍しく!マーク付き。
「特別抗告」制度は知っていたが、「許可抗告」は初耳。調べたところ、「許可抗告」制度は、民事事件の審理事項に重要なものが増える一方、その法律解釈について高裁の判断が分かれる状況が顕著になったため、最高裁において判断の統一を図る目的をもって、現行民事訴訟法で導入された新しい不服申立ての仕組みである。この20年間に年平均約50件の許可抗告事件が受理され、重要な「解釈判例」もあるという。特別抗告は、最後の手段として、何でも「憲法違反」「判例違反」を主張する「筋悪」案件が多かったが、「許可抗告」は原審の高裁が許可しないとできないので、判例法形成の観点からは、「筋の良い」問題が上がってくることになる。
この広告を目にした翌日最高裁の新判断の報道があった。「婚姻費用の分担を申し立てている間に離婚しても、離婚前の婚姻費用の請求権まで消滅するものではない」と学説も分かれていた論点について解釈を確定させたものだが、許可抗告事例であった(最一小決令2.1.23.)。
なるほど、こういうものかと興味を持って本書を購入したが、1000頁近い大著。対象は民事事件で、商事・家事・倒産・執行・保全・非訟など幅広く、当然ながら行政訴訟も対象である。ざっと見ると、文書提出命令に関するものが目立つ(「自己使用文書」の解釈など)が、中には基本的人権に関する事件があったり、大法廷の決定で判例変更したり、と結構ダイナミックな制度であるという印象を受けた。
広告通り実務家向けなので、最初から読んでも面白い本ではない(中には、何でこんな論点が許可されたのか、という事例もある)。話題になった事件・実務にインパクトを与えた事件を整理した。
まずは憲法の報道の自由・取材の自由に関連して、取材源の秘密について。
最三小決平18.10.3.[NHK]、10.17.[読売新聞]:取材源の秘密は,取材の自由を確保するために必要なものとして,重要な社会的価値を有し、報道関係者は原則として取材源にかかわる証言を拒絶できるとして、民事訴訟ではあるが、最高裁が「取材源の秘匿」が「職業の秘密」に当たるとの実質的な判断を初めて示した。
大法廷で審理された事案。最大決平28.12.19.:預金債権は、相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはなく、遺産分割の対象となるものと解するとの判断を示し、昭和29年判決を62年ぶりに変更した。
いわゆる「忘れられる権利」:「忘れられる権利」は、インターネット上の情報の拡散を防止するため、「個人が自己に関する情報の削除又は非表示を求める権利」とされる。最三小決平29.1.31.は、「忘れられる権利」ではなく「個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益」に関する問題としてとらえ、比較衡量論を審査基準として個人のプライバシー情報が「公共の利害に関する事項」にあたるかどうかを判断することを明示した。
企業買収案件の増加により、株式評価事案も多い。大企業が登場するし、「半沢」的買収合戦なので、世間の耳目を集める事件。ただ内容的には専門実務的。
最三決平21.5.29.[レックス]、最決平23.4.19.[楽天対TBS]、最三決平23.4.26.[インテリジェンス]、最ニ決平24.2.29.[テクモ]、最一決平27.3.26.[非上場会社株式買取価格と非流動性ディスカウント]、最一決平28.7.1.[J-COM:TOB後の株取得価格]

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紙の本

人生の階梯Die Lebensstufen と人生の航海Lebensfahrt

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この本のカバーに使われた絵画は、ドイツのロマン主義絵画を代表するカスパー・ダーヴィト・フリードリヒCaspar David Friedrich(1774-1840)のDie Lebensstufen (1834)『人生の階梯』である。 また、カバー裏面には主人公であるフェルディナント・リース(1784-1838)の声楽作品『人生の航海』Lebensfahrtの歌詞が掲載されている。まさに彼の波乱万丈の人生を要約している芸術作品であることがわかるという趣向のデザインで、センスの良さに感服した。
今年は、ベートーヴェン生誕250年記念【BTHVN2020】の年。本書タイトルにあるように、ベートーヴェンの愛弟子ではあるが、リースの音楽が紹介される動きは見られない。リースは、ベートーヴェンの生涯のエピソードの関係者として、また、伝記作成者の一人として登場することがおおく、その生涯・音楽作品は等閑視されてきたといってよい。
著者は、同じベートーヴェンの関係者の一人、秘書アントン・シンドラーを扱った『ベートーヴェン捏造 - 名プロデューサーは嘘をつく』(柏書房、2018)を上梓されている。ベートーヴェンの会話帳を自分に都合よく改竄・捏造したシンドラーの内面の苦悩にまで踏み込んだ心理的描写で、ミステリー小説的な面白さがあった。
本書は2作目となるベートーヴェン関係者に光を当てた著作。前作同様リースの内面の葛藤、家族愛、ライヴァルとの確執などにも触れて、Wikipedia的伝記とは違った、人間味あふれる伝記である。愛弟子は若い頃の短い時期で、以後は自力でキャリアを築き上げてきた音楽家ということを再認識させられた。4度も戦禍に巻き込まれ、また、徴兵されそうになったこと、ウィーンを離れ大陸を駆け巡る旅の連続、ロンドンでの成功、そして栄光の故郷ラインへの帰還、と多くの「航海」によりいくつもの「階梯」を昇りつめたことがわかる。
リースの時代は、音楽史上音楽を取り巻くミリューが大きく変化した時期、古典派からロマン派へ、貴族の楽しみから新興市民の芸術へ、あるいは宮廷から市民社会へと変化した時期に「階梯」を昇り、ロマン派のショパンやリストに先駆けて音楽の新時代を切り開いた音楽家であった。
本書で知ったリースの革新性がいくつかあった。愛弟子といわれながら、師とは異なり、「主題労作」という難しい手法ではなく、主題の周辺にいかにBrilliantなキラキラしたパッセージを盛り込むか、新しい旋律や変則的リズムを使って雰囲気を変えるか、サプライズな転調など聴衆を飽きさせない工夫を重視している。
その典型例がピアノ協奏曲で、ピアノ演奏技巧を見せるカデンツァが全曲に散りばめられたような協奏曲となっている。ピアノ協奏曲第3番Op.55は、師の協奏曲より半音高い嬰ハ短調で、後のショパンの協奏曲などの「短調ピアノ協奏曲」ブームの先駆けとなった作品。
ロンドン時代1815年のピアノ作品に「40の長調と短調の前奏曲」Op.60がある。後にショパンが24の調性を使う全調作品「24の前奏曲」を書くが、先立つこと1815年にリースと同時代の作曲家フンメルが「24の前奏曲」Op.67を書いている。音楽史上この作品が全調「24の前奏曲」となるのだが、ショパン以後の作品のように「性格的小品集」ではなく、別の曲の頭に付ける短い前奏曲集であった。では、リースはどうか楽譜を調べたところ、使われた調性は16と残念ながら全調作品ではなく、ショパンに先駆ける性格的小品集でもなく、フンメル型の作品であった。
愛弟子であり、音楽の革新性を開拓しながら「忘れられた作曲家」となってしまったが、音楽史上「ベートヴェン」は一人で十分という厳しい歴史のルールなのだろう。

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紙の本グラフィック・ビートルズ

2024/03/28 16:21

モダン・デザインの進化史としてのビートルズ・アルバム

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ビートルズ本レビューは、2020年5月『ゲット・バック・ネイキッド』 (藤本国彦 青土社)以来だ。「ビートルズは切り口によって、毎年なんらかの記念の年になる。」この4年間、ビートルズ関連でいろいろな出来事があった。「レット・イット・ビー」を新たに再構成したドキュメンタリー「ザ・ビートルズ ・ゲットバック」公開(2021)、ノーカット「ルーフトップ・コンサート」は涙もの。かつて日本のビートルズのコピーバンドが、ビートルズがデビュー前の時代にタイムスリップし、盗作する形でメジャーデビューしてしまうコミック『僕はビートルズ』に似た、ビートルズが消えてしまった世界で、唯一その曲を知る存在となった1人のシンガーソングライターの活躍と苦悩を、ビートルズの楽曲に乗せて描く『イェスタディ』(2019)も楽しめた。最近では、「ビートルズ最後の新曲」『ナウ・アンド・ゼン』リリース(2023)も記憶に新しい。
本書は『プリーズ・プリーズ・ミー』から『レット・イット・ビー』までのアルバム11 枚のジャケット・デザインの「革新性」を20世紀デザイン史に位置付け、「デザインの歴史探偵」松田行正が検証する一冊。そもそもビートルズに関する本に面白くないものはない。したがって内容のレビューより先に本のデザインのレビュー。新書判の変型の大きさで、まるで弁当箱。写真を掲載するためか、丈夫な紙を使っているので、分厚くなってしまうが、細かく何冊かの薄い製本を束ねたもので、無理なく頁を広げられる工夫がされている。表紙にはA1判大のビートルズのアルバムをパロったジャケ・コレクション・ポスター(CD180点以上、書籍34 冊を掲載)も圧巻。「牛若丸」という出版元は、著者が主宰するミニ出版社であるが、たぶん手作り造本で大変だっただろう。本でしか味わえない造本の魅力が満載。分量・大きさ的に、税込3,960円は高い、と感じたが、本そのものもアートなっている書籍としても楽しめる一冊だ。
松田行正氏の著作は初めてではない。『RED ヒトラーのデザイン』(左右社 2017)『独裁者のデザイン』(平凡社 2019)の読書履歴があるが、本のデザインを中心としたグラフィック・デザイナーであり、当然政治プロパガンダのポスターなどのデザインにも詳しいわけだ。「ウイズ・ザ・ビートルズ」では、ヒトラーの大統領選挙ポスターや「ヘルプ!」ではニュルンベルク党大会の「光の大伽藍」が引用されており、検証の幅が広い。また、タイポグラフィーとしてフォントの話もPCのフォント・ドロップダウンに並ぶフォント理解に役立った。
そして本題アルバムジャケット論。11枚のアルバムを時系列で見ていくと、その革新性の進化がわかる仕掛けだ。そして進化の到達点は「アビー・ロード」。4人のメンバーが横断歩道を歩くそのアルバムジャケットは、「どこにでもある横断歩道を歩いているだけ」という日常の光景をアートに変えた。多くの模倣やパロディを生み出すことになった革新性。モダン・アートの言説では小難しい注釈とセットとするところだろうが、このアルバムにはタイトルもバンド名もない。「見ればわかるだろ!」。バンクシーにもつながるストリートアートの走り?この本はカバーがもう薄汚れていると思ったが、白の経年変化そのものをデザインに組み込んだ「ホワイト・アルバム」のコンセプトの実例であった。映画「イェスタディ」では、真っ白なアルバムは、ダイバーシティ(多様性)の観点から問題となる、というプロモーション会議の場面があった。このコンセプトからすると、そのように評価ではなく、むしろ多様性を象徴するものして採用されていただろうに。

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『パーペン・クーデター』と辺野古埋立代執行

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ワイマール共和国中央政府が、大統領の非常事態権限を定めたワイマール憲法第48条第1項;ある州が,共和国憲法または共和国法律によって課せられた義務を履行しない時は,大統領は武装兵力を用いてこの義務を州に履行させることができる、により、最大の州で社民党の牙城であったプロイセン州を実質的に解体した事件、いわゆる『パーペン・クーデター』は、ヒトラー暗殺計画(1944年7月20日)に対比して「もう一つの7月20日事件」(1932年)と呼ばれる。
事件は、共和国中央政府(ライヒ政府)に任命され、特定の行政問題を担当するライヒスコミッサール「帝国弁務官」に就任したパーペン首相が、ハンブルクでのナチ党と共産党の街頭騒擾事件を口実に、大統領令によりプロイセン州の公の安全と秩序の回復のために州の閣僚全員と重要な省の次官を解任,また、州警察が国防軍の管轄下におかれた事件で、当時州議会の最大議席数を持っていたナチ党をパーペンらの保守勢力が取り込むために、ヒトラーとの密約があったのでは、と言われていた。まさにワイマール共和国崩壊と第三帝国成立の瀬戸際に起きた、破局へと雪崩を打つ危機の極度の高まりを象徴する事件であった。
そして州と中央政府の対立は、国事裁判所(憲法裁判所)での法廷闘争に舞台を移すこととなる。この憲法裁判は、第三帝国史では、ヒトラー政権掌握前夜の事件の一つとしてふれられるが、エピソード的に扱われ、裁判では何が争点となっていたのか、についてはふれられることはない。憲法の解釈に関する法律学上の論争であり、歴史書で扱うことではないからだろう。しかし、法律を学んだものとしては、前々からどのような論争だったのか、しかも中央政府・州のそれぞれの代理人が、「ナチス桂冠法学者」カール・シュミットと戦後の西ドイツ憲法にも影響を与えたヘルマン・ヘラーであり、法廷で論争したというので、関心をもっていた。本書は『パーペン・クーデター』裁判における両者の弁論をまとめ、二人の学説との関連をまとめたもので、まさにこの関心に応えてくれる専門書であった。
ただ、二人の丁々発止の法廷論争かと思ったのだが、正直期待外れのところもあった。まずシュミットの弁論は、すでに『合法性と正当性』『大統領の独裁』『独裁』といった著書と基本的には同じ内容。一方ヘラーは、法律論というより、大統領令がヒトラーとの密約による不正な動機によるもので、執行の裁量の逸脱している、という主張。したがって「ガチ」な憲法論争ではない。
ヘラーは、「動機」に執拗にこだわっているが、それは彼が国民の意識・感情により共同体意思が形成されるという「社会的同質性」を重視する憲法観によっているためである。論敵シュミットも「民族共同体」を国家統一の原理としたが、その共同体は人種理論に基づく「民族の同質性」に基づくものになっていく。同じような思考形態をとりながら、相異なる方向へとわかれていく契機となった論争としてみることもできた。
本書を読んでいる最中、軟弱地盤改良工事の承認を争う辺野古埋立裁判で、沖縄県が承認をしなかったので、地方自治法に基づき、初めて国が代わりに承認する「代執行」という異例の事態があった。一方『クーデター』も、州政府が公の安全と秩序の回復を行わないため、中央政府が代わって執行した「代執行」という構図であった。一世紀前の事件と似ているのである。そして『クーデター』は憲法に定められた地方自治を破壊することとなり、ワイマール憲法と民主主義を掘り崩していった。辺野古が、この史実と奇妙にシンクロするところはどのように考えていくべきだろうか。

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紙の本革命と住宅

2023/12/30 14:02

社会主義の理念は住宅と家庭を解体する

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『天体建築論』『都市を上映せよ』に続く著者三冊目のソ連建築芸術論である。二部構成の第一部は社会主義下の住宅を扱う。それは、社会主義の理念から次第にかけ離れていく歴史であった。革命後のソ連では、労働者住宅の建設は深刻な課題であり、住宅の私的所有の廃止と、家庭の私的機能の公共化によって応えようとした。そこでは不透明な私的空間としての「家」と中間項の「家庭」を解体し、個人がそのまま社会に帰属する、どこまでも透明で可視化された共同体(ザミャーチンのディストピア小説『われら』のガラス張りの住宅)を夢想したのである。
革命直後は接収した住宅を転用して、共同利用施設と公共サービスによる家事代替を目指す「ドム・コムーナ」がスタートしたものの、狭小で劣悪な住宅環境に複数家族がひしめき合い共住する「おならの音量で誰がトイレにはいっているのかを判別できる」共同住宅「コムナルカ」となり、その後の理想の住宅の反転像として存在し続けていく。その後は支配者の名前を冠する住宅モデル、「スターリンスカ」「フルシチョーフカ」「ブレジネフカ」では次第に私的所有と家庭の空間としての住宅が復活していく。ソ連では支配者の名前を使ったパロディは通例マイナスであるが、これらの住宅も評判が悪かった。フルシチョフ・ブレジネフ時代を通して、社会主義住宅は、当初の理念であった家族制度を解体するのではなく、逆にそれを極端にまで純化し強化する自閉的な空間となるとともに、この閉鎖性が相対的な自由をもたらし監視からの死角(「キッチン文化」)を作り出すこととなり、それが後のソ連崩壊につながったのでは、と著者は見る。
当時の住宅事情を前著『都市を上映せよ』と同じく映画を使って描いていく。ソ連時代の建築も含む全ての芸術は「社会主義リアリズム」に従わなければならなかった。「リアリズム」となってはいるが、実際には目の前の現実をそのまま描くのではなく、「理想的な姿で」描くことが要求された。しかしソ連の生活水準と住宅事情の緊張関係は、理想化は到底不可能であった。「アンビルト」(建てられなかった建築物)とは違って「本来の建築空間が包含する矛盾や齟齬、断絶を排除」した「夢の空間で見られたもう一つの夢」として描けなかったのである。あの時代は「大変だった」という過去の郷愁が描かれるが、目の前の現実をそのまま描いているのである。
日本との関係にも注目。例えば、「フルシチョーフカ」時代の建築工法、パネル/ブロック工法、また、規格化した家具の備付は住宅公団が視察して日本の住宅団地の参考にしたとか、今年話題となった黒川紀章設計の「中銀マンション」にも影響したとか。また、現在ロシア軍によるウクライナ侵攻で、高層団地への砲撃が報道されることがあるが、これらは「フルシチョーフカ」で、フルシチョフ時代にウクライナにはソ連で最も多く建設されたというのも皮肉な歴史である。
第二部では『天体』に続いて「アンビルト」を扱う。始祖レオニドフを扱った『天体』から現在までのアンビルトの変遷史。ソ連では「アンビルト」、いわば「建築の亡霊」が、その短い歴史にもかかわらず、とりわけ多く生み出された。あるいは、ソ連という国家自体も一種の未完の建設プロジェクトとみなせるかもしれない。
ソ連最初の大規模建築プロジェクトの労働宮殿から、ソ連史上最大のスターリンのソヴィエト宮殿、フルシチョフの新ソヴィエト宮殿まで軒並みアンビルトに終わっている。ソ連は建築によって自らを代理=表象することに失敗し続けたとも言えよう。ソ連の国家体制は、この埋められることのない空虚の上に築かれたのである。

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「ヒトラーの馬を奪還せよ」レビューを書いていて気になったことへの回答

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国の所有となった総統官邸の馬のブロンズ像「駆ける馬」は公開予定となっていた。事実ネットでしらべたところ、美術館で公開されている。ドイツでは第三帝国時代の美術品も公開できるようになったのか?ヒトラーの風景画とか「大ドイツ芸術展」絵画は美術館の奥深くに退蔵されているのではなかったのか?
「ナチ美術」は芸術ではないというのが大方の見方であり、そこにはナチス伴奏者となった芸術家をナチ犯罪共犯者と倫理的に非難する傾向も強い。それを展示することが迫害された多くの人々を傷つけ侮蔑することになるかもしれない、という配慮と恐れにあるだろう。
著者は、「血と土」イデオロギーばかりが強調され、「後退的」「前近代的」というイメージが影響し、ナチズム芸術v.退廃芸術=モダニズムという二項対立図式は戦後政治の言説によって強く規定されてきたのではないか、と問い、イデオロギーからのみ語ろうとする単純化された議論を超えて、ナチズムの芸術表象について踏み込んで分析し、ナチズム芸術の多層性と同時代性、さらには現代性を明らかにし、脱神話化をしようとする。
第一章は、ナチズム芸術を理解するうえで前提であり、障害となった二項対立図式の政治的背景をエミール・ノルデ(1867-1956)を素材に論じる。表現主義画家ノルデは「退廃芸術」とされたが、後に撤回された。表現主義はドイツで生まれた芸術運動であり、ナチス内部でも美学的にノルデをドイツ的と評価する声もあった。しかし戦後彼の反ユダヤ的発言も明らかになる。冷戦下の東西対立を背景に、美術分野の西側の方針は、モダニズム美術の規範化であり、東側のわかりやすい具象的リアリズムに対抗して、「抽象」を旗印に掲げることであった(音楽での同様の動きはジョン・マウチェリ 著『二十世紀のクラシック音楽を取り戻す』白水社)。ノルデ-表現主義=「良きドイツ」v.ナチズム美術=「悪いドイツ」という断絶によりナチズムから切り離されたノルデは、西側価値観の象徴となって、抽象v.具象、自由主義v.全体主義二項対立によって深められる。
第二章「戦争絵画」は、米英戦争画と比較し、その同時代性を明らかにする。多くは戦場の何気ない風景や兵士の日常を描いたもので、格別に「ナチ的」特徴は示されていない。「男らしさ」の強調、「死」の描写はみられるものの、それは戦争画の一般的な傾向であり、他国でも同様である。一部の「ナチ的」作品が強調されてステレオタイプ的な見方をされている、と指摘する
第三章はナチズム建築の創始者パウル・トローストでナチズム建築を論じる。ナチス建築というと、「ゲルマニア計画」のようなメガロマニアックな建築という印象論で片付けられるが、内装ではモダンな「豪華客船スタイル」が引用されている。ナチ建築ではモダニズムは保守主義で抑制されてはいるものの、大衆的なブルジョワ的虚栄が表現された保守的なモダニズム「現代性」があることを明らかにしている。また別の日本人研究家によると、ゴシック・バロック・新古典等様々な建築様式の勃興がナチス期に折衷した形で決着させたという「多層性」も見出せる。
後半二つの章はナチス芸術の美学思想の考察。ヒトラーは、未来のナチ芸術鑑賞者が現在と同じ印象を持つようにするため、未来の鑑賞者の身体管理として人種的遺伝的形質を守る必要があると考えていたという。シュペーアのは廃墟美学に反映され、また「民族共同体」と芸術をつなぐ思想として興味深い。最終章はナチズムの「政治の美学化」を「崇高」概念から考察。「崇高」概念の変遷により「民族共同体」理念に行き着くところがナチ芸術の複雑なところか。

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「事実は小説より奇なり」をまさに地で行くノンフィクション

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敵対していたナチスと共産主義者が協力して奇怪な闇取引を繰り広げていたとは。また、闇取引されたものが、ヒトラーの総統官邸に飾られていた馬のブロンズ像「駆ける馬」"Schreitende Pferde"で、ベルリン陥落と同時に破壊されたと思われてきた。しかしこの第三帝国を象徴する彫像馬が、70年の歳月を経て2015年再び姿を現したのである。
本書は“美術界のインディ・ジョーンズ”の異名をとる盗難美術調査員アルテュール・ブラントの、危機からの脱出とか悪人との格闘などのシーンはないがまさにジョーンズ博士のような物語。「奪還」された「盗難美術品」は、連合国「モニュメンツ・マン」が奪還したナチスの強奪美術品ではなく、ソ連占領軍が持ち去った第三帝国美術品である。
このブロンズ像は、法的には公金で制作されたものなので、所有権は国に帰属する。ドイツは戦後東西に分裂したが、東独はナチス後継国家ではないとしていたので、西独に帰属するので回収したい。戦後西独は、鍵十字などナチズムのシンボル使用を禁じた。そこに現れた総統が窓から眺め愛でていた馬は、ナチ残党・ネオナチにとっては超ド級のナチ聖遺物である。ナチズムのシンボルとなることは避けたいので、回収したい。このような事情から国家権力も介入することとなり、ジョーンズ博士も協力する。
そもそもベルリン陥落時の激しい攻撃、また戦後徹底的にナチ記念碑などが破壊された後で、本当に存在するのか、破壊されずにどこかに持ち去られ保管されていたのか?また、高さ3m超、重量1トンの2体の馬を70年間隠しおおせたのか?闇市場や地下組織をたどりながら、その真贋、売主の素性などを探索し、次第に「馬」に近づいていく。そこに登場するのは、旧ソ連、旧東独秘密警察シュタージ、そしてネオナチ、ナチスシンパの人々や団体などまさに「ナチ地下組織」。なかでも「アーネン・エルベ」、ヒムラーが設立したアーリア人種の研究を目的とした、ナチス公的研究機関と同名で、ナチ時代の美術品「ブラウンアート」ブローカー組織トップの女性「ドクター・アーネンエルベ」やナチ時代の記念品・遺品蒐集家ホフマンなどは興味深い登場人物だ。しかしヒムラーの娘グドルン・ブルヴィッツ(2018年没)には驚いた。「ナチの王女」、「聖女」と呼ばれ、父とナチの支持者であり続け、実はオデッサではないかとされる、ナチ戦犯支援団体「静かなる助力」Stille Hilfe協力者で知られる人物。今回の取引とは関係はなかったが、筆者が会ったことがエピソードとして描かれている。また、謎を解く写真を撮っていた旧東独の芸術家、ブロンズ像を運びやすくした屑鉄業者など旧東独市井の人々も登場する。
「馬」は戦後ずっと東独で保管され、統一時に旧ソ連軍が小遣い稼ぎに売却していたことが明らかになる。ソ連が略奪したナチ美術品取引で共産主義国家が儲けていたことが知れたら大問題、最高機密とされたのだ。
黒幕はナチ時代の実業家でナチ協力者として戦犯となったフリードリッヒ・フリック(1883-1972)を祖父、戦後西独で不正献金疑惑事件を起こす息子フリードリヒ・カール(1927-2006)を父とする孫であることがわかる。ナチ時代から脈々と続く流れがあったのだ。
彼のクライアントで略奪財産返還の依頼主のユダヤ人家族は、ナチ残党が大損をしたのでみな愉快がってくれたという。一方仮名は使っているとはいえ、様々なナチ地下組織人物とのやり取りを暴露して身の危険はなかったのだろうか。しかしネオナチのメンバーは、総統の愛した彫像が突然戻ってきたので、感激するあまり私を脅迫する気などなくしてしまったということだ。

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異形の世界の推理は、人間社会のそれとどう異なるのか?

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前回投稿した最新作第4巻のレヴューで勘違いをしていたので、この場で修正したい。この物語が、登場人物の設定・プロットなどから、「鬼滅の刃」ヨーロッパ版?とあたかも二番煎じのように書いてしまったが、今回前3作を読んで誤りに気付いた。「アンデッド」の第1作は2015年発表に対し、「毀滅」連載開始は2016年とこの作品が先行していたのだ。時期的には近接しているが、両方オリジナルの作品である。大きな誤解をしてしまった。
一方でかつて見た映画で、ショーン・コネリー主演の『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』(2003)を思い出した。むしろこちらと似ている。似ているからどうこういうつもりはないが、映画では面白いことに悪の組織の首魁はモリアーティ教授なのだ。この組織はファントム、透明人間といった「怪人組織」。モリアーティ教授は、この組織に対抗する「超人組織」のメンバーの超能力を盗み、コピーして超人兵士の量産を目論んでいる、というストーリー。
本作では、モリアーティ教授率いる「夜宴」は、切り裂きジャックをベースに、鬼・吸血鬼、さらには人狼の血を混ぜ、これを輪堂鴉夜の不死の体の体液を免疫として使って合成獣キメラを創り出そうという計画。映画は異形が多く登場するわけではなく、並外れた能力を持つ人間中心に構成されているので、違いはあるが、よく似ている。歴史・文学のユニークキャラの人物を組み合わせれば、面白い物語ができるということだろう。
第3作では、第2作フィリアス・フォッグ氏所有のブラックダイヤモンド「最後から二番目の夜」に隠された「人狼」、ここでは「狼人間」として満月を見ると変身するのではなく、自在に変身する、の里を舞台とする事件。第2作は、相手が人間ルパンなので、推理の主役はホームズ/ワトソン・コンビ。「鳥籠」は、異形の特性を活かした力仕事がメインで推理はあまりなかったが、第3作では、怪物専門の探偵の本領を発揮し推理も展開する。鴉夜が人狼の里と人間の村で同時多発的に起こった少女誘拐殺人事件を解決する推理のプロセスは、異形、人狼の特性を知った独特のもの。通常の推理小説の推理を考えるのも大変なのに、異次元の推理を考えるとは著者の力量には驚く。また、ルール違反かもしれないが、既に第4作を読んでいたが、本作でフラッシュバックのように現れる過去の意味もよくわかる。
人狼と切り裂きジャックとのハイブリッド化を目指すモリアーティ教授率いる「夜宴」と保険目的物を守る表向きの仕事と裏の異形狩りの秘密の仕事をするロイズ保険の諮問警備部は引き続き登場するが、第3作では、静句と「夜宴」吸血鬼女カーミラ、そして津軽と諮問警備部とのデュエル、その津軽と「夜宴」人造人間ヴィクターとの奇妙な友情?など今後の展開の伏線になるような出来事がある。また、切り裂きジャックが新たに関心を示したのは、ジキル博士の二重人格論文。同じ半人半鬼として、モリアーティ教授との師弟関係に疑問を持つ津軽の予想はどうなるのか?さらに東洋の怪人フー・マンチューも登場、と今後の展開は予想が付かない。
物語最後でフォッグ邸で異形チームとの闘いで一敗地にまみれたルパンとファントム・エリックのコンビに、最強の人狼「終着個体」が加わってどのように動くのだろうか。そして人間ホームズの次の一手は?多彩な登場人物が増えて今後の展開が待ち遠しい。

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