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pinpokoさんのレビュー一覧

投稿者:pinpoko

226 件中 1 件~ 15 件を表示
ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界

ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界

2019/11/20 22:49

民衆伝説とは一体何か

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

全く知らない書籍だったが、書評で取り上げられていたため思いがけず手に取ることになった一冊である。
30年以上前の発行にもかかわらず着実に版を重ねていることをみても、そのテーマや切り口が普遍的なものである証拠だろう。
民衆の中から発生した伝説は、彼らを取り巻く当時の社会的・文化的・政治的側面を切り離しては検証できないとしているところは、本当にその通りだと思う。
伝説研究は実際に起きた事件がもとになっているにしても、現代の犯罪捜査の手法では解き明かせないのだ。グリム兄弟によって全世界に広まった(当然それ以前にもヨーロッパではかなり知られていたらしいが)この伝説を、そのストーリーがいかにありえない状況下で起こったものであっても単純な作り話としてはならず、それが発生した当時の庶民の生活心情に着目し、さらに伝説が発展していく過程で各時代の庶民がその当時を振り返りながら現在の自分たちの置かれた状況をどう感じていたかという視点を抜きにしては語れない。
コンパクトにまとまっていながら、遠い13世紀のドイツの都市庶民をズームで見せてくれた功績は大きい。
しかし疑問点も多々あって、その一つが当時のネズミ退治のノウハウが流れ者のよくわからない技術(笛やある種の薬品)に頼っていた点である。誰でも考え付きそうな、そう『ネコ』はなぜ利用されていなかったのか?中世、猫は悪魔の使いなどと言われていたようだが、そのことと関係しているのだろうか?このようにハーメルン伝説は私のょうな素人の心さえ捉えて離さない魅力を持っているのだ。不思議な伝説である。

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この世をば 藤原道長と平安王朝の時代 上

この世をば 藤原道長と平安王朝の時代 上

2023/11/20 13:57

藤原道長、あるいは優雅なる平凡

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

このところ、永井路子氏の作品が次々と新装版で再登場しているのがうれしい。
1925年生まれで、今年逝去されたが、その作品群は何年経っても色あせることはないようだ。
本作も、まだ昭和だったころに初めて出会い、とても魅了されたが、今回読み直してみて、自分も社会の波に翻弄され、それなりに年を重ねてみると、さらに深く共感できることしきりだった。

優雅な宮廷生活、教養に裏打ちされた恋愛模様、はたまた怨霊うごめく妖しい世界・・・と、平安摂関期を表現するイメージには事欠かないが、実際の彼ら彼女らの精神世界、政争の修羅、疫病、天災による悲惨な社会状況とはどんなものだったのか?
公式の史書は編纂されなくなっていたが、貴族たちの日記、歴史物語、女房による随筆など、当時に生きる人々の生の声は、かなりの数が残っており、写本によって書き継がれ、今日に伝わっている。作者はこれらの資料を駆使しながら、その合間に交わされたかもしれない会話、ふとした直感、巡る季節の中に唐突に挟み込まれた疫病などを実に違和感なく我々の前に提示してくれている。

例えば、後宮を舞台にした恋歌は、現実の恋愛というより、むしろ后たちの背後にいる関白たち権力者の目を意識したある種の儀式、礼儀としての側面などは、芸術は個人のインスピレーションや感情などを表現するものと考える現代の我々の目には、邪道とまでは言えないが、な~んだと感動までが割引されるかもしれない。
だが、考えてみれば現代だって、SNSなどで発信される個人の情報はすべて事実ではなく、多分に不特定の読者に向けた自己アピールなのだから、案外納得できるのではないだろうか。

そして、摂関を目指す上級貴族たちの婚姻は、まさに現代の政治家の閨閥による連携と同じようなものだった点も本書を読めば頷けるところだ。ただ、当時はより優雅なヴェールをまとって事を行うにすぎない。道長だって、左大臣の娘に狙いをつけたのに何の打算もなかったとは言いがたい。最も、それを意識せずに行えたところに、彼の兄たちとは違った性格が読み取れる。姑の強い後押しを得て、運よく婿入りできた道長は左大臣から有力な政治情報をいちはやく得ることもできるようになった。

さらに、これこそ王朝の恋といってもいいような明子との関わりも、それとは気づかぬうちに時の皇太后である姉の詮子の庇護をうけるきっかけとなっている。
こうして見ると、道長は自分では意識しないうちに、うまく当時の政局を左右する大物たちとの関係を築いてゆく幸運児だといえる。
長兄道隆のように、人間的魅力と権力を駆使して、ポスト独占を図ることも、クーデターのような危ない橋を渡ることもいとわない、凄腕の権謀家の次兄道兼のような力押しもせずに、廟堂のトップに躍り出た道長は、やは自分の非才を知り、ごり押しできない性格のかなり現代人にも共感できる人物として描いたのはもっともだと思う。
とにかく上巻までの道長は、どこまでも平凡な幸運児だ。

一方、当時の女性たちの政治的活躍も見逃せないものになっている。
母后として我が子の一条帝の後ろ盾になりながら、政局の要として強い発言力を持つ詮子、初めはおっとりした深窓の令嬢だったが、夫とともに歩むうちにいつしか政治のツボを会得してゆく倫子、世の中の動きには超越しながらも、いつまでも少女のような心根で道長を安らがせる明子、とその性格付けも明確で興味深い。

まるで現代を思わせるような疫病の大流行で、自分と年若いライバル以外のすべての大臣が消えてしまった状況下での道長の進退が下巻へ向けて期待を高める。

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波のかたみ 清盛の妻

波のかたみ 清盛の妻

2018/05/04 00:10

切り口を変えた平家物語

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

永井路子の歴史小説の見事なところは、やはりそのテーマに対する新しい視点と切り口であろうと思う。
歴史小説というのは、実在の人物や事件を題材にしながらも史料のあいだの欠けた部分を創造力でうめていく作業だとどこかで読んだ記憶があるが、完全な空想ではなくその時代の空気やシステムなどをどう捉えなおすかがその作家の力の見せ所なのであろう。

さて、この作品で作者が描き出して見せるのは哀歓漂う従来の平家物語ではなく、「乳母制度」と平安時代後期にのみ現れた特殊な政治形態である「院政」に着目した全く新しい平家の物語である。華やかな合戦や無常観ではなく、院政と乳母に照準を合わせたがために、語り手は清盛の傍らで全てを見、かつ参加した妻時子となるのはある意味当然の選択となる。そこに武家としての平家ではなく、宮廷という戦場でしのぎを削る公家としての平家を語らせるのである。

この視点でみてみると源平をあやつっていたようにみえる後白河院も、高度な政治手腕をもった政治家ではなく、過去の栄光にすがりつきつつその場しのぎの手を打っていただけの凡庸な人間となる。まさに目からうろこの思いだった。

作者は別の作品でもこの「乳母制度」から見た鎌倉・頼朝家と御家人集団を描いている。やはり並みの作家ではない。

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殴り合う貴族たち

殴り合う貴族たち

2017/12/29 15:57

天皇の皇女が路傍で犬に喰われる?!

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

平安貴族といえば、美に敏感な感性をもち、物の怪を恐れる・・・とどちらかといえば精神世界を大切に生きていたかと思い勝ちだが、現実には政争に破れ憤懣やるかたない気持ちを直接の相手でなく、そいつに追随している子分たちに自分の従者(ほとんど用心棒)をけしかけ鬱憤を晴らすというかなり理性を欠いた振る舞いを平気でしていたらしい。警察(検非違使)はあれど、上流貴族同士のいざこざには及び腰で手をだせない。雇える財力にまかせて、腕っ節の強いのを大量に雇い入れて、自衛に備えるしかなかったというのが、やはりこの時代の限界なのかとため息をつくしかない状況だ。
この現実と理想の乖離は、平安貴族の面目躍如たるべき恋愛においても同様の状況だったらしいのが、タイトルに記した事件だろう。今まで読んだ平安ものでは、この事件はかなりさらりとしか触れられていないので「なぜ?」というのが第一印象だったが、この本を読むに及んで、実にとんでもなく乱脈でいい加減な男女関係が裏にあるということがわかった。皇女といっても、天皇が退位してからの乱れた関係から生まれた女性であって普通我々が想像するような「道長の娘が入内して生んだ皇女」などとは全く違う、そもそも誰も皇女などとも思っていなかった女性の巻き込まれた暴力事件だということだった。男性に夜の街路に呼び出され、関係のもつれから男に殺されそのまま放置されたあげく、当時多くいた野犬に遺体を食い散らされたのが真相だ。
なんともその残虐性と自堕落な私生活に眼を覆いたくなるような事件であるが、我々が思う教養とエスプリに支えられた恋愛遊戯など、物語の上だけの絵空事だったといわれても仕方がない。

政争の世界も恋愛の世界も、今に残る文学作品からは香気しか感じ取れないのに実際にはこのような現実があったというアンバランスさは一体どう考えたらいいのだろう。

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この世をば 藤原道長と平安王朝の時代 下

この世をば 藤原道長と平安王朝の時代 下

2023/11/30 17:14

望月ではなく、早くも下弦に・・・

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ようやく左大臣になった道長だが、兄・道隆が残した中宮定子の存在が気がかりだった。
そこへ思いもかけない事件が起こり、定子の兄弟である伊周・隆家らが失脚してしまう。
自らの働きかけなしに、政敵が消えてくれたことに、いぶかりながらも安堵の胸をなでおろす道長であった。
このあたり、まさに「禍福は糾える縄の如し」の感を強くするが、実際人間の野望などはさほどのことはなく、謀略の網など軽々とすり抜けた偶然が支配しているというのが本当のところだろう。

それにしても思うのは、この時代道長以外にも、非常に興味深く、また魅力的な登場人物が多いということだ。
無害な政治パートナーとして選ばれたことにも気づかず、ひたすら自分の運を信じ続けた顕光、入内させる娘をもたなかったために摂関レースに参加できず、そのため時の人道長に批判の目を向けつつも、結局は体制に影響を与えることのできない実資、滅私奉公で道長の前半生を支え、一条帝との緊密で安定した関係を作り上げた行成など、まさに多士済々と言っても言い過ぎでない。
この時代を、絢爛たる宮廷絵巻と、道長の独壇場とだけみるイメージは、全くの誤りで、彼ら彼女らがそれぞれの役割を十分に発揮していたからこそのものではないだろうか。

そんな中でも異彩を放っているのが、道長の甥の隆家だ。教養派の兄・伊周とは異なり、剛毅な性格で、甘やかされた世間知らずの多かった上級貴族の御曹司とは思えないほどの気骨を持つ人物だというのが、「大鏡」や実資の「小右記」に残された彼の横顔だ。
道長独走への憤懣を日記の中にしか記せなかった実資とは異なり、堂々と道長を糾弾する姿は、負け犬の遠吠えではなく、道長何するものぞという政権批判と言ってもいいのではないか。自己憐憫や呪いなどに走らず堂々と生き、新天地としてのぞんだ大宰府では、「刀伊の入寇」という、誰もが経験したことのない事態に遭遇する。
ところが彼は、扱いにくい現地の守や在地勢力を結集して、この外敵を食い止め追い払う。なんだか後の武士の萌芽を見る思いで、こういう人物が存在していたこと自体が、この時代の裾野の広がりを感じさせ、華やかで平和な時代と勘違いしている我々を、次の時代へと緩やかに導いているような気がする。

とにかく、様々な人物を包容した、幅の広い時代だったと実感させてくれた作品だった。
再読どころか、何度でも読み直したいものである。

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鯖猫長屋ふしぎ草紙 2

鯖猫長屋ふしぎ草紙 2

2023/08/30 21:55

振り返れば猫がいた

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

前巻が面白かったので、シリーズ2巻目の本作に足を踏み入れることにした。
よくある江戸の裏長屋の店子たちの人情もの、という側面もあるが、本シリーズの醍醐味は、主人公である猫描き拾楽の隠された秘密と、そのことが様々な異質な人間たちを長屋に引き寄せ、事件が起こるという設定だ。

さて本作では、またも正体不明の人物の独り語りが舞台の幕開けを告げる。
この独り語りが独特な味わいをこのシリーズに与えつつ、舞台の袖でつぶやく狂言回しのような役割も果たしていることから、江戸庶民の最大の娯楽であった芝居小屋の雰囲気を濃厚に放っている。
独り語りが終わると同時に舞台は一瞬暗くなり、そしてぱっと鯖猫長屋が現れる・・・という印象を読者に与えるのが舞台的な味わいがある。

本作の敵役は、またも拾楽の過去に関わりのある人物らしい。前作と同様、この影の人物は別の顔で表舞台にすでに登場しているようだ。この人物の正体を見極められるかどうかが、次々と起こる事件の解決の糸口になる。

そしてこのシリ-ズに輝きを添えるのがハシバミ色の瞳ですべてを見通す力を持つ鯖猫の「大将」ことサバである。肝心な場面になると首筋の毛を逆立てたり、瞳をきらめかせたり、「なーお」と合いの手をいれる。どれも実にいいタイミングでついつい顔が綻んでしまう。
実際猫というのは人間の目に見えないもの、耳に聞こえないものが感知できる能力があるのは猫好きな皆さんにはお馴染みのこと。
閉じた扉の向こうに神経を尖らせ、聞き耳を立てているときは絶対何かいるのだ。
「暗い廊下になんか何もいないよね~」と恐る恐る私たちが問いかけても、猫は真剣な顔でわずかな気配を探っている。
「何もいないと思いたいならそういうことにしとこう」なんて猫は腹の中で呟いている。
たとえそれがゴキブリのささやきであっても、猫にとっては重大事件なのだ。

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古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで

古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで

2022/11/30 22:53

古代中国の日常生活24時間史

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『古代ローマ人の24時間』の発行以来、日常生活24時間史が大流行りなのかと思っていたが、古代中国史の分野ではこの著作までほぼなかったことをエピローグで初めて知った。

古代の文献から、考古学資料(最近大きな発見が相次いでいる古代墓の副葬品など)まで幅広く調べ上げた著者の労力が、こんな楽しい一般書になって気軽に読めるようになったことに感謝しかない。

明け方の風景から始まって、身支度、朝食、官吏の出勤、市場や農村の風景など、まさに読者が小さな昆虫になって、人々の邪魔をせずに彼らの日常生活を真近でのぞき見する感覚がたまらなくわくわくさせる。
個人的に面白かったのが、トイレと浴室、さらに家畜小屋の関係だった。トイレが二階、豚小屋が一階にあるのは、当時としては究極のエコ生活の実践だというのに不思議と納得してしまう。二階で排泄したものを真下の豚小屋でエコ的に処理してもらう、臭いさえなければ完璧な方法じゃないか。
高貴な家では、トイレの度ごとに下半身をとなりの浴室で洗浄し、着物を着換えていたため、浴室も結構臭く、現代のようにゆったり長風呂する雰囲気ではなかったのもまた興味深い。確かに袖や裾の長い古代中国の衣装では、簡単に排泄もしにくかったはず。この箇所を読んだとき、江戸城の大奥では御台さまのトイレは二間続きで、前室で打掛を脱ぎ裾をからげてから奥のトイレで用を足すというのを突如思い出して、これこそ著者の言っている、異なる文化でもその構成要素は共通している点だと思った。

さらに三国時代の終わりごろ、長江のほとりで遊んでいた子供たちの前に、異界からの使者であることを表す青い衣をまとった子供が現れ、自分は火星人だと名乗った話から、時代も場所も遠く隔たったハーメルンの笛吹き男の逸話を思い出すのは自分だけだろうか?

ここまでくると、古代中国人の精神世界にも興味が湧いてくる。その価値観、金銭感覚、本音と建て前、死に対する考え方など、我々が知る儒教に縛られただけではない彼らの別の顔に光を当ててくれることを著者にはぜひ次回作として期待したい。

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ピヤキのママ

ピヤキのママ

2022/09/30 21:48

絵本のなかのネコ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

先日の『ねこはるすばん』以来、猫の絵本にはまっている。
今まで絵本など手に取ったこともなかったけど、ひとつ石がはずれると雪崩のように、本屋でまだ見ぬ絵本に吸い寄せられてゆく自分がいる。
絵本は装丁もそうだが、見返しや裏の見返しの絵も大事だなと。
この絵本でも最初は猫の足跡だけだったのが、裏見返しではピヤキといっしょの足跡が並んでいるのが微笑ましい。
エサをやっている飼育員さんのあとをついて歩いていたニワトリを見たことがあるけど、やっぱりすべてのいきものには「愛」があって、それは絶対必要なものだと思う。

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覇王の神殿 日本を造った男・蘇我馬子

覇王の神殿 日本を造った男・蘇我馬子

2022/08/11 17:29

三位一体は成り立たず

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

力量のある歴史作家だと常々認識していたが、小説としてもあまり取り上げられることの少ない飛鳥時代が舞台であり、かつ蘇我馬子をメインに据えた本作は結構冒険だったかもしれないが、そんな心配が一気に吹き飛ぶような勢いのある内容だった。

当時、新しい秩序を象徴するものとして渡来した仏教を大和国に敷衍させるかどうかが重大案件となっていた。馬子は偉大な父稲目の遺言に従い、仏教こそ大和国の発展の要と信じ、そのためには政敵の排除、謀略、愛する女性を手駒とすることも辞さない非情さで次々と事に当たってゆく。
ここで重要なのは政治のパートナーとして、年の変わらない額田部女王を選んだことだろう。蘇我氏は、稲目の時代に堅塩媛と小姉君を欽明大王の妃として送り込んでいたが、どちらの女性も王子、王女を複数設けている。だが、馬子が選んだのは堅塩媛系の額田部女王だったというのが一体なぜなのか?物語では、才気煥発で年の近い彼女に男女の情と為政者としての素質を見出したからだとなっているが、その他に何か決定的な理由があったのではないだろうか?
額田部と手を組んだが故に、小姉君系の穴穂部王子や伯瀬部王子を容赦なく排除していくのだが、実際はもっと他に理由があったような気がしてならない。この時代に考えるにあたって、この問題はもっと重要視されてもいいのではないだろうか。たとえば母方の力が重要だった当時、馬子と堅塩媛は同母だったとか?そうでなければパートナーは、厩戸王子の母である穴穂部間人王女でも全く同じだったはずだ。この点をもっと詰めてもらえると自分としてはありがたかったのだが。

こうして額田部と二人三脚で国づくりに邁進してゆく馬子だが、そこに亡き用明大王の息子である厩戸王子が登場してくることで、二人の緊密な関係に微妙な影がさすことになる。このころの大王即位には、十分な政治力が求められたため、年齢が30歳以上でないといけないという絶対条件があったらしい。平安期以降の天皇と摂関のように権威と権力がまだ分離していない時代だったというのがよくわかる。そのため自分の生んだ竹田王子を次期大王にしたいが年齢が足りないので、仕方なく実力も政略にも長けた厩戸を執政として仏教王国の基盤固めを進めていくという妥協策がとられる。

一方、馬子を族長とする蘇我氏は長年のパートナーである推古大王との協力関係と、実績を積み重ねて与党を形成してゆく厩戸王子との関係との間で板挟みとなる。
本作での厩戸は、仏教受容に対する情熱でも、謀略の冴えでも馬子を凌ぐほどの怜悧さをもった政治人間として描かれている。太子信仰のあまり聖人君子のように崇められている現在の聖徳太子とは全く異なった側面を見せてくれたのは、当時の不安定な政局と絡めてみると、これこそ彼の真の姿ではないかと納得させるに充分な設定だった。
真の仏教者としては、むしろ馬子の長男で飛鳥寺の責任者である善徳にその役割を与えたのが、それぞれの輪郭がより際立つ効果を上げている。

さらに大王の位につくことなく没した厩戸王子の本拠が飛鳥からかなり離れた斑鳩の地だった点も、長年の疑問への一つの答えを提示してくれたことで本作の価値はいっそう高い。崇峻大王の倉梯宮も厩戸の斑鳩宮も、決して蘇我氏によって飛鳥から放逐された隠居所などではなく、両者とも蘇我氏との対決姿勢を明確に打ち出すための宮だったのだ。

最後に厩戸の退場で、どうにか大和国は内部分裂を免れるが、現世での三位一体はやはり無理がある。千年後にこの国に一大波乱を巻き起こすキリスト教にその役割を担ってもらうしかないのだろう。

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つわものの賦

つわものの賦

2021/10/28 22:40

時代の転換点 鎌倉時代

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

文春文庫に入っていた本書、来年の大河ドラマの関連本として、学芸ライブラリーシリーズから装いを新たに出版された。好きな作家でも、読み漏らしている作品が結構あるなか、新装版などで手に入れることができるのは正直うれしい。

『炎環』で直木賞を受賞した永井路子でなければ書けない、鎌倉時代そのものをテーマにした歴史評伝だ。平安時代末期の東国武士たちのおかれた状況、その抑えきれないまでに高まった経済的自立への欲求、失敗に終わった以仁王の挙兵が思わぬきっかけとなって、伊豆の頼朝に平家の探索の手が伸びた。数々の偶然と必然が絡み合いながら、大きなうねりとなって新しい時代の扉を押し開いてゆく。
『吾妻鏡』をぼろぼろになるまで読み込んだ作者ならではの、一筋縄ではゆかない史書の行間から浮かび上がってくるその時代の息吹がまざまざと感じられる力作だと思う。

特に興味を惹かれたのが、史上名高い鶴岡八幡宮での将軍暗殺の裏側で演じられた、当事者双方の乳母一族同士の息詰まる相克だった。この事件、単なる将軍実朝とこれに恨みをもつその甥の公暁だけの問題ではない。むしろ彼らを自らの権力の拠り所として担いだ北条氏と三浦氏という二大巨頭の生死を賭けた闘いなのである。
この当時までに、他の有力御家人たちは次々と粛清され、最後に残った大物一族同士の一触即発の事件という側面こそが、この事件の本質なのだが、結局様々な齟齬や事情が重なって、直接の武力対決には至らない。その瞬間に居合わせたような臨場感に、ぞくぞくさせられた。

さらに作者が他の作品でも度々言及している乳母と養い君との強い連帯感、この関係が軸となって、権力の行方が決まってゆくという当時のシステム。まさに永井路子ワールドで解釈された鎌倉時代の歴史が、小説とはまた違った味わいで語られてゆく。

御家人同士の潰しあいの中から北条氏がいかに権力を手にし、西国の軛から東国を解き放ったかが説得力をもって読者に迫ってくる。歴史家ではない作者の渾身の本作を読んで、『炎環』、『絵巻』など関連作品をぜひ読み直してみたい。

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ビザンツ帝国 千年の興亡と皇帝たち

ビザンツ帝国 千年の興亡と皇帝たち

2020/09/20 14:10

古代ローマ帝国の系譜を受け継ぐ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『歴史学の慰め~アンナ・コムネナの生涯と作品』を読む下準備として本書を手にを取ってみたが、とにかく波乱万丈の千年にも亘る歴史でお腹一杯というところ。
数年単位で交代する皇帝たちや頻発する反乱、バルカンと小アジアという腹背に敵を迎えた不安定さ、果てしない陰謀とクーデター・・・と、これだけの激動にさらされながら何故千年もの長きにわたり続いたのか?
さらにこれだけ国内外が不安定化しているさなかに、宗教や文化や学芸は咲き誇っていたという不思議さ。
こういうところが歴史の面白さなんだと思う。混乱の淵まで来ていても、その数年前まで当事者たちは誰もそれに気づかない。現代の我々も心しなければならないことだと切に感じた。
あと、各章の末尾に添えられたコラムが面白い。「宦官のいる国、いない国」などは自分も不思議に思っていたところなのでひときわ興味深い。「ユーラシア国家興亡史」は、滅亡しない王朝や国家はなく、衰亡しない文明もないと頭では理解していながらも我が身に置き換えることができない。
とにかく様々考えさせられる内容だった。

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山霧 毛利元就の妻 新装版 下

山霧 毛利元就の妻 新装版 下

2020/01/12 22:18

戦闘シーンも迫力ある!

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

上巻に引き続き元就夫婦の苦闘が続く。だが、慎重居士で取越し苦労性の元就と対照的なおかたの明るさが救いとなって深刻な場面を明るくさせる。元就のこの性格設定は彼の書簡を数多く読み込んだ作者の努力の賜物だろう。
本当に元就のような土着の武士には生き難い時代だったと痛感する。大内と尼子という二大勢力に挟まれ、どちらについても他方に対する最前線とされ、あげく危険な殿(しんがり)を強制される。ぼろぼろになりながら故郷に落ち延びていくものの追手は諦めない。そこで突然、昔敵方に内通したと疑われ自ら毛利家を去った諜者小三太に救われることとなる。ここで印象的なのは、元就の身代わりとなった家臣が追手を一手に引き受けたときになって小三太が現れることだ。それは、元就に恩返しをするのではなく、唯一自分を信じてくれたおかたに対して恩返ししたいという小三太の気持ちがいささか回りくどくはあるけれど、確かに戦国の世にもあった信義というものを我々に気づかせてくれたからだと思う。
結局、おかたは元就が戦国大名として大成するのを見ずに亡くなるのだが、二人の最後のシーンがとてもいい。かけがけのない二人でも最後まで行を共にすることはできないという儚さが胸に沁みた。

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山霧 毛利元就の妻 新装版 上

山霧 毛利元就の妻 新装版 上

2019/12/19 22:43

馴れ合わない戦国夫婦

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永井路子の作品で読んでいないもののうちのひとつだったが、戦国ものでありながら女性史にまで広がりをもつ作者の広い視野にいつもながら感服した。
成功者はその結果ではなく過程で評価されるべきであり、毛利元就がまだ安芸の国人領主(最初はその一族の一人でしかなかった)であった初期の頃から領内、家中、同列の国人たち、大内・尼子といった大勢力までを向こうに回して智略の限りを尽くして生き残ってゆく様がまさに「ザ・戦国」とでもいいたいくらいの迫力だ。
本当にこの時代に生き残るのは大変で戦だけでなく、常に周辺への目配りを怠らず機をとらえてものにしなければならない。そのためなりふり構わぬ冷酷さばかりがこの時代の特徴のようにも思われるが、その中でも元就はそのような己を冷徹に見据える眼ももっている武将として描かれている。そして幼いころから身内に次々死なれたため、孤独で容易に他人を信用しない。それは妻の「おかた」との関わりにも現れていて、彼女の生家やその背後に控える尼子勢力の無言の圧力から、常にすべてをさらけ出さない。そして「おかた」の側もそのへんをよく理解しているため決して最後までは元就の内面に踏み込まない。こういう常に緊張感のある夫婦関係というものが、この時代の夫婦の限界であり、またある意味では絆を強くもするのだろう。
上巻はまさにつぶすかつぶされるかの息詰まる展開の連続でこちらの心も休まる暇もない感じだが、その中で時に引き、時に軽口でいなし、言葉以外で意思疎通を図る二人の関係がとても魅力あるものに映る。

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ディセント生贄の山

ディセント生贄の山

2019/10/30 22:31

犯罪から炙り出される家族の在り方

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

久々に考えさせられもし、驚かされもした作品だった。
いわゆるミステリー、犯罪小説というジャンルの定義を大きく打ち破って人間というものの在り方にまで思いを馳せるに十分な読み応えがあった。
強いていえば、トマス・H・クックを彷彿させる。被害者家族それぞれが、抱える問題やそこからもがきながらも自分たちの人生を続けようとする各人の姿勢が読む側にもぐいぐい迫ってくる。特に姉の誘拐現場に居合わせながらも、何もできなかった弟のその後の人生がアメリカの雄大な自然を背景にしながら深く心に突き刺さる。そして様々な人々との出会いを通して大人になってゆくという成長物語にもなっている。さらに準悪役といっていい男の生き方にも味わいがあり、悲劇に直面して人はどう生きるのかという大きな問題とがっぷり四つに組んで、様々な選択を提示してくれた。なんとも贅沢な作品で、いずれ自分も岐路に立ったときにまた読み返したいと思った。

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散華 紫式部の生涯 下巻

散華 紫式部の生涯 下巻

2019/10/29 22:38

杉本式部ここにあり

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物書きとしての作者の考えが全面に押し出されている下巻。
『源氏物語』を書き始めた当初は、自分の中の溜まりにたまったもの(結婚生活での幻滅からくる鬱、中級官吏として上層部の一顰一笑に振り回される自分たちの暮らしの浮き沈みに対する反発、男性の好みに唯々諾々と従わされる恋愛・結婚事情への疑問など)を吐き出しつつ源氏という理想の男を巡る世界を構築する面白さに我を忘れていく過程で、自分を見つめなおす小市だった。
物語は世間から大好評で受け入れられ、やがては時の中宮彰子への出仕という幸運をももたらすのだが、そのような栄光は次第に小市の心象からは遠いものとなってゆく。
洞察力に富んだ彼女にとって、熱狂的な読者からの反応はもはや彼女を突き動かす原動力とはなりえなくなっていたのだ。
そして自分自身の内奥を見つめなおした結果、再び筆をとったのが「宇治十帖」であった。このあたりの小市の内面は取りも直さず作者自身の作家としての姿勢や考えを吐露したものだといえよう。まさに源氏物語の中で源氏が「物語とは・・・」を述べるくだりにあやかったような描写なのである。
その意味でこの時作者は、小市という一人の作家を通して、彼女に代表される古今の作家たちの心情を鮮やかに浮かび上がらせることに成功している。やはり作家というものは最終的には自分自身のために作品を生み出すものなのだということがよく分かった。
晩年の小市と道長との関係は、一種の緊張感をはらんだものに描かれているが、これもあくまで作者の創作である。しかし作者が見た小市はあくまで自身のできうる限りの方法で時の権力者に物申した一人の批判者であったのだ。その使命を果たしたのちの彼女は静かに退場する道を選ぶ。憂き世に生きるとはいいながらも、最後の爽やかなエンディングが長く心に沁みる。

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