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  3. 親譲りの無鉄砲さんのレビュー一覧

親譲りの無鉄砲さんのレビュー一覧

投稿者:親譲りの無鉄砲

72 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

五つの証言

紙の本五つの証言

2017/09/13 03:39

渡辺一夫のユマニスムと寛容

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

時宜を得た本文庫の出版を素直に喜びたい。表題の「五つの証言」とは、ナチス・ドイツに抵抗して亡命を余儀なくされたトーマス・マンによる4つの短論文とこれにアンドレ・ジードが寄せた跋文を1編として、渡辺一夫が戦中に仏語より訳した小論集を指す。本書はこれに加え渡辺自身が添えた訳者後記(本書では巻頭におかれ、東大仏文科の上司に当たる辰野隆宛書信の体裁をとる序文)、戦後の渡辺による4編のエッセイ、またこのうちの一編に関する中野重治の論評に始まる渡辺と中野の公開形式の往復書簡を採録している。これらマンやジードの反戦の言葉は、渡辺の深いユマニスムに基づく共感により生きた日本語として血肉化されている。つまり渡辺の自身の思想そのものとして読者は受け取ってよい。山城むつみによる解説は、渡辺の訳者後記もまたマンとジードの証言に劣らず美しい第六の証言、と高い評価を与える。
 評者は、フランス文学には疎い門外漢であるが、渡辺が、著名な日本人の戦中日記を繙いたドナルド・キーン「日本人の戦争」や加藤周一「羊の歌」で、当時の日本における稀有な存在として絶賛されていたため、かねてより興味を持っていた。彼の専門は「16世紀研究」である。「羊の歌」に、当時の渡辺のたたずまいが活写されている。「それ(16世紀(評者注))は、宗教戦争の時代であり、異端裁判の時代であり、観念体系への系統が「狂気」にちかづいた時代であって、従ってまた何人かのユマニストたちが「寛容」を説いてやまなかった時代でもあった。すなわち、遠い異国の過去であったばかりでなく、また、日本と日本をとりまく世界の現代でもあった。資料の周到な操作を通して過去の事実に迫ろうとすればするほど、過去の中に現在があらわれ、また同時に、現在の中に過去が見えてくるということを、渡辺先生は身をもって、私たちに示していた。」即ち、16世紀の一部の偉人、ラブレーやモンテーニュらが到達したユマニスムや寛容は、渡辺にとって只の研究対象ではなく、自身の思想と一体化し、生きざまとして体現すべき指針であったのだ。そのユマニスムの徹底ぶりは、トーマス・マンに対しても、「生ぬるい」と揶揄できるほどの強い自負に裏打ちされていた。
 渡辺は、東京大空襲直後の3月11日より、中断していた日記をつけ始めた。官憲の手に落ちることを恐れ仏語で書いた。これは後年になっても公表するつもりはなかったようだ。一方、心血を注いで訳したラブレー全集は印刷所に回って完成したところで空襲によってすべて灰に帰した。本書のマンの小論を訳し始めたのもその頃からだ。決して大部の書ではないが、警報と警報の合間を縫って少しずつ訳し、7月には完了した。8月15日の午後、この原稿をポケットに忍ばせ、東大の教職を辞したい、と辰野教授にお伺いを立てた、と訳者後記にある。この原稿は常に携行しており、もしこのまま戦争続行し、本土決戦の竹槍戦にかり出されたていたら、心ある戦友に読んでもらい、徹底的に議論しようと思っていたのだという。戦争は負けて終わったが、戦後一年経っても、日本人にマンの小論を読んで貰いたいという思いは変わらなかった。日本人があの戦争から学んでいるようにみえなかったのだろう。数年後には、東西冷戦のスキームの中で、日本は普通に戦争ができる国に戻りはじめた。60年、70年と社会変化の節目に、自身の信念にもとづき、小論および付記を彼は書き継いだ。日本人に全体主義に対する抵抗と、寛容を訴え続ける必要を感じたのだ。戦中に反戦の声をあげることができなかった自身に忸怩たる思いもあったはずだ。国のおかれた状況は今も変わらぬ。

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紙の本

日本会議の研究

紙の本日本会議の研究

2017/04/17 19:11

「戦後レジームからの脱却」の正体

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

第1次の時は、教育基本法改正、防衛庁の省昇格、第2次では「戦争法案」強行採決や、平成の治安維持法「共謀罪法案」審議入りを推し進めるなど、数々の右傾化路線を主導し、憲法改正をも視野に入れている安倍政権の正体とは何か?とずっと考えていた。母方の祖父が60年安保を強行採決した岸信介であることが、その淵源だろうとは思っていたが、しかし、父方の祖父は安倍寛という戦前戦中の大政翼賛政権に背を向けて無所属を貫いた気骨ある代議士だったことを考えると、単に「血統」の問題ではない。
 安倍政権は「特定の思想信条」を強く共有する集団による「お友達内閣」であり、これは歴史の長い自民党政権のなかでもかなり異色の特徴、と前々から言われていた。彼らの共通項が、昨年頃から一般にも名前を聞くようになった「日本会議」という組織。本書は、その正体をまとまった形で一般の国民に初めて広く知らしめた、ある意味歴史的な書なのだ。そして、最近政権を揺るがせている一大スキャンダル「森友問題」においても、著者のその取材力のすごさを国民に印象付けたという点で、凡百のジャーナリストや作家には真似のできない現象も巻き起こしている。
 本書によると、安倍政権のほとんどの閣僚が「日本会議国会議員懇談会」に所属していることがわかる。それと同時に、「教科書議連」、「神道議連」といった集団とも重複して所属している。昔の自民党政権というのは、もっと多様性があり、派閥間でバランスを取って閣僚ポストをシェアしていた。それがなぜ、いつの間にこのように単色化してしまっているのか?1997年発足した民間団体としての日本会議本体には、いくつかの系統があるが、その本流「日本を守る会」が、数多の宗教関係者を含む保守派論客たちを一見緩く、しかし戦前日本の戦争をしやすい国のかたちに戻そうという一点で連帯させ、手始めに「元号法制化」を短期間に成功させたあたりから、右派勢力を強力にまとめて行ったという。その有象無象の集団を有能な羊飼いのごとくうまくオーガナイズいった事務方のプロが、70年安保当時の反動右翼学生運動家、安東巌、椛山有三、伊藤哲夫ら元生長の家信者一群なのだった。(現在の生長の家とは袂を分かっているが、その創始者・故谷口雅春の反・日本国憲法主義に共鳴しており、著者は、彼らを生長の家原理主義者と呼んでいる。)彼らは実に事務能力に長けている、という著者の指摘は興味深い。そしてなんと、自民党の改憲アジェンダとは、生長の家原理主義者たちの改憲アジェンダそのものを引き写したものであり、彼らが策定したタイムテーブルに従って、安倍政権は粛々と改憲への道を進み、国会解散日程なども決めているようなのである。成長の家原理主義者は極右草の根運動を主導するのみならず、自民党の影のシンクタンクの様相さえ持っているのである。カルト如きがなどと侮れない。結局は、安部内閣とは、自ら考えることなく、単に神輿に担がれているだけの、極めて反知性的な政権であるということも、本書を通じてばれてしまった。つまり、必ずしも純粋に祖父の岸信介の遺志を継いでいるわけでのないのだな。
 ところで、安倍政権の正体とは、極右思想の集団・日本会議の神輿に乗った反知性主義政権だ、ということまでは、本書を通じてよく理解できたのだが、しかしなぜ、今の世においても、日本の極右思想が国家神道を基盤にした天皇制主義にまた安易に直結するのか、というところがよくわからない。その辺りの社会・集団心理学的な解明もどなたか今後展開されることを期待したい。

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紙の本

苦海浄土 わが水俣病 新装版

紙の本苦海浄土 わが水俣病 新装版

2016/10/31 20:29

地球の呻き声

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

水俣病の「公式」確認から60年過ぎた。特措法に基づく患者の認定申請は2012年に行政により締め切られたが、その後も新たな水俣病患者が発見されている。今なお水俣病は社会問題として厳然と存在しているのが現状だ。患者認定に期限を切って平気な人の感覚とは一体何なのか?さらには法的な措置としての金銭的・行政的な補償が、意図せず水俣病に罹った人たちの真の救済になっているのかという根源的な問いは消えることがない。一方、生存している水俣病患者も高齢化している。彼らがこの世から消えるのは時間の問題かもしれない。そして、この世から水俣病と認定されている患者の生存が確認されなくなったら、水俣病は解決した、と胸を張る人たちが現れるかもしれない。しかし、本当にそうなのか?
 石牟礼道子は、代償としての「救済」から落ちこぼれてしまうものがあるのをみた。それが彼女を執筆に駆り立てている。陸に打ち上げられた一根の流木のようなぐあいで病院ベッドわきの床の上に仰向けに転がって、形容しがたいおめき声しか上げられない人たちに対して、どのようにコミュニケーションがとれるのか、と私などは途方に暮れるだろう。しかし、彼女は、本能あるいは脳の奥深くの古層で振動している部分で、彼らの言葉がわかるような気がした。例えば、漁婦・坂上ゆきのきき書きからは、石牟礼道子の筆から我々現代人にもわかる言葉として、それも詩のようなリズムのある日本語として、ゆき女の言葉を立ち上がらせた。ゆき女の言いたかったことは「(昔の)海の上はほんによかった」ということである。
 ゆき女は、三つ子の頃から船の上で育ったので、誰よりも豊饒な漁場を知っていた。夫の茂平よりも、である。だから「うちがワキ櫓ば漕いで、じいちゃんがトモ櫓ば漕いで二丁櫓で」の夫婦船。「エベスさまは女ごを乗せとる舟にゃ情けの深かちゅうでしょ」。タコ漁の情景はまるで遊びである。タコの入っている壺を舟に揚げ籠に収めると、タコは急いで逃げようとする。舟がひっくり返るくらいにバタバタと追いかけて再び籠に収めて、もうお前はうちの家の者だから、ちゃんと入っとれ、と諭すと、タコはよそむく目つきして、すねてあまえる。「わが食う魚にも海のものには煩悩のわく」。
 入院してから、ゆき女は堕胎させられた。そのときの病院食には「お膳に、魚の一匹ついてきとったもん」。(本当のことだったかどうかわからない。しかし、石牟礼は、その言葉を聞きとった。)
 石牟礼は、大学病院である患者の死亡解剖にたちあった。そのとき、ゆき女の声が聞こえてくる。「大学病院の医学部はおとろしか。ふとかマナ板のあるとじゃもん。人間ばこさえるマナ板のあっとばい」。「死ねばうちも解剖さすとよ」。「うちゃぼんのうの深かけんもう一ぺんきっと人間に生まれ替わってくる」。
 ゆき女が昔の海はよかった、と懐かしむ漁村風景を、我々も想像してみるがいい。小魚が網にかかったら、海にお返しする。魚は天のくれらすもので、人間の好きにしてよいものではない。真っ先に症状のあらわれた猫たちは、そんな漁村の港でおこぼれを待っていた共同体の一員だった。猫たちに救済措置はない。水俣病は人間だけの問題ではないのに。すべての生き物が連関している地球上で、その連環を迷うことなく断ち切る人間に対して、人間を生んだ地球自身がおめいている。石牟礼はそのおめき声をじっと聞いている。改稿版のあとがきに、この作品を誰よりも自分自身に語り聞かせる浄瑠璃ごときもの、と位置付けていることを告白している。地球の呻き声が再び高まれば、彼女は「決定稿」にも筆を入れるだろう。

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紙の本

チェルノブイリの祈り 未来の物語

僕はチェルノブイリを知らない

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

歴史教科書でも何でもよいが、「1986年にチェルノブイリの事故が起きた」というような記述があったとしたても、それはチェルノブイリのことを何も伝えていないに等しい、ということに我々は気づかなくてはならない。
 僕はチェルノブイリのことを知らない。いや、知っているつもりではいた、この本を読むまでは。一々詳細かつ客観的な事故経過が頭の中に入っていなかったとしても、そういう情報の断片は他の本を読めば辿ることができる。事故後間もない壊滅的な状態の原発に入り込んだ果敢なクルー(撮影部隊)がいて、その時のショッキングな映像を数年後に見ることもできた。しかし、逆にそれら(文字情報と映像)によってわかった気になってしまった。ディテールのよく作りこまれた映画を観た、といった薄っぺらな感想しか自分の体内から絞り出すことが出来なかったにも拘らず、だ。そこに気づく必要があった。
 「チェルノブイリの事故のようなことは、最新鋭の科学技術の粋を集めた日本の原発には当てはまらない」当時の日本の政府、学者・技術者、財界人やそれを取り巻くマスコミたちの声を伝えた原発関係報道は、そう口を揃えた。確かに彼の国の原発は、巨大コンピュータで一元集中管理されているわけでもなく、事故後の対応についての対策や周知徹底もなかった。だが311後、彼らは、フクシマについて「津波さえなければこういう事態にならなかった、二重三重の安全対策をのり越えた想定外のことが起きてしまった」と異口同音に口にした。彼らは僕と同じようにチェルノブイリのことを何も知らなかった。
 多くの兵がアフガニスタン侵攻に参加しその後チェルノブイリにも行った。放射能除染、治安維持など多くの仕事が彼らを待っていた。志願者もおり強制的に彼の地に連れて行かれた者もいる。ある兵士は、戦場から戻ったら戦争は終わりだが、チェルノブイリから戻ったら、それからが始まりだ、と証言する。チェルノブイリで着ていた衣類は全部ごみ箱に捨てたが、息子にせがまれて帽子だけはくれてやってしまう。その子は2年後に脳浮腫を発症した。女の子をナンパしようとした別の帰還兵は、あんたの子を産みたいとは思わない、あんたはチェルノブイリ人よ、と差別的言葉を浴びせられてしまう。サマショールたちは、今も線量が高いにも関わらず、「我が家」に住み続ける。他の選択肢はない。国内紛争を避けたタジクの難民が、彼の地にたどりつき、誰のものとも知らない空き家を終の棲家と決め込んでいる。
 名もなき、しかしチェルノブイリと真剣に向き合わなければならない膨大な数の人たちの声を、スベトラーナ・アレクシエービッチは丹念に採集して、織り上げていく。それは生きる人の声であるが、そこには彼らを取り巻く死者の嘆きも通奏低音のように響く。彼女は、チェルノブイリとはそれまでなかった新しい形の戦争だという。原発事故が起きその数年後にソ連は崩壊した。それらは別々の事象ではない。そして人はソ連崩壊のことは気にするがチェルノブイリのことは語りたがらない、知ろうと思わない。だから、この証言集は読み手にその無知を指摘してやまぬ。これは、国や形態を越えてなお続く戦争へのレクイエムであり、地球人への警告の書だ。チェルノブイリは終わっていない。1986年の出来事ではなく、チェルノブイリは今もそこにあり今後何百年何千年にわたって続いていく。そしてその変奏曲はフクシマにも受け継がれた。最後の一人の死者の声が聞こえなくなるまで、僕はその織り上げられたタペストリーの前に跪き、祈りをささげ続けるしかない。

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紙の本

『コーラン』を読む

紙の本『コーラン』を読む

2017/02/28 02:13

極めてユニークなコーラン解説書

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、イスラーム研究第一人者井筒俊彦による一般向けの極めてユニークなコーラン(クルアーン)解説書である。1982年に10回にわたって行った市民セミナーの講義をもとに成書化したという。市民セミナーということは、対象は一般人向けということである。何がユニークかというと、この本全体で、「開扉」とされるコーランの第1章のみを綿密に読み解くことに集中している点にある。いやいや、1章をちゃんと解説されたら、入門としては十分だろう、と思いきや、この第1章の全文とは以下の7行の言葉にすぎないのである。

 慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において
 一 讃えあれ、アッラー、万世の主、
 二 慈悲ふかく慈愛あまねき御神、
 三 審きの日の主宰者。
 四 汝こそ我らはあがめまつる、汝にこそ救いを求めまつる。
 五 願わくば我らを導いて正しき道を辿らしめ給え、
 六 汝の御怒りを蒙る人々や、踏みまよう人々の道ではなく、
 七 汝の嘉し給う人々の道を歩ましめ給え。

何とここに、コーラン全編のエッセンスが凝縮しているというのだ。これは井筒個人の解釈ではなく、ムハンマドの言行録として伝えられるもの「ハディース」にも、「世界中の啓示の書(旧約聖書、新約聖書といったキリスト教関係文書を含んでいる)に含まれるエッセンスは「コーラン」に含まれており、「コーラン」自体のエッセンスは「開扉」の章に残りなく含まれている」と書かれている、ということである。だから、イスラーム教徒は、一日五回の礼拝に際し、この「開扉」言葉を唱えるのである。これはちょっと、大乗仏教の「空」の広大な思想を300字足らずの「般若心経」に凝縮して、ありがたいお経として多くの人が読誦するのに似ているな、と思った。
 勿論、字面上のみの解釈書として400ページ近くを割いているわけではない。例えば、「審きの日」という言葉がイスラーム教徒に惹起している終末世界観というものが、如何にイマジネーション豊かなものであるか、というような話は、イスラーム文化に疎い普通の日本人が文字だけ眺めてもさっぱりわからない。そのために必要な知識を十分に語って聞かせることで、聴き手に理解を深めさせようと、井筒は情熱を傾ける。十分なイスラーム文化理解の上でこういうテキストを読み込まないと、本当の「コーラン理解」には至らないのだ。その文化に溶け込んでいない人間にとっては「入門」こそが最も困難なステージなのである。この入門部分をいい加減にやっつけてしまうことほど空しいものはない。イスラーム研究第一人者である井筒の手引きでコーラン入門を本書によって果たす読者は幸せである。
 ただし、本書を読んだからといって、「コーラン」のすべてを理解した、と胸を張るわけにもいかないだろう。個人的には、本書を読んだお蔭で、はじめて、「コーラン」全編を通読しようかという気になった。なお、本書を読むにあたって同著者の「イスラーム文化」を予め先に読んでおくことを読者にはお勧めしたい。

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紙の本

ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?

クリシュナムルティから仏教を探る

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

クリシュナムルティの紡ぎだす言葉は美しい。私も、その美しさに惹き込まれて、何冊も彼の本を読んだ口である。いずれの本においても、彼が説き続けたことは非常にシンプルである。囚われることなく思考をみつめること、ほぼこれに尽きる。しかし、あまりにシンプルすぎて、その先におとずれるであろう変容の実体(恐らくは多くの読者が宗教的な解脱や悟りと想定するであろうもの)が何ものであるか、わからない。思考を見つめるその方法も漠然として掴めない。
 なぜ彼は変容の実体や方法論を意図的に語ろうとしなかったのか? それは、変容に対して何らかのイメージを持ってしまえば、即ちイメージするという思考に囚われてしまうことになるから。その危険性を注意深く避けるために、その変容が何であるかを、彼は容易に語ろうとはしなかった。また、方法についても、一人ひとり異なりうるわけで、それを教条化した凡百の宗教指導者たちと同じ轍を踏むことをよしとしなかった。しかし、ヒントは、対談する相手とかわす言葉の中にしっかりあることに、今更ながら気づいた。つまり、あの会話の中身こそ、瞑想に誘導していくそのプロセスそのものだったのである。ということは、彼はずっと、瞑想の中に対話を行い、瞑想の中に瞑想を語り、相手や聴衆ひいては読者を瞑想に導こうと苦闘してきたわけだ。(苦闘という表現は適切ではないのだろうが。)彼は、座禅のようなスタイルから入る瞑想を否定する。外界の雑音に煩わされるのは瞑想の妨げにはなるので、目を瞑る等はあってもよいかもしれない。しかし、それは印を結んだり形に囚われたりするものでもないのだ。それを飽くことなくくりかえし繰り返し語り、会話の中で実践してきたのだ。シンプルなのになんとわかりにくいことか。しかし、それは仏教にしても同じことだ。ブッダ入滅後、多くの覚者となった弟子たちは残っていたにもかかわらず、彼が説いたことはただちに仏教という宗教形態をとるや否や変質してしまったのだ。恐らくは、ブッダ存命中のときにあっても、弟子たちの誤解を解き切ることすらできていなかったのかもしれない。だから、クリシュナムルティは、仏教、キリスト教、イスラム教等一切の既存宗教を否定したのだ。
 一方、仏教学者ラーフラ氏は、彼の立場から、クリシュナムルティの説く言葉がブッダのそれとほぼ同じ内容であることを指摘し続ける。クリシュナムルティに闘いを挑んでいるかのようだ。クリシュナムルティは否定する。自分は「仏教徒」の崇拝するブッダではないのだ。でも、説いている内容は、驚くほど近い。逆に歴史的時間の中で歪められてきたテーラワーダ仏教の中に伝承された「ヴィパッサナ瞑想」の正体(ブッダが真に教えたところの)が、今に伝わる足の裏の感覚を知覚し言語化し続ける「エクササイズ」などではなく、クリシュナムルティの語り続けた瞑想そのものであることが明らかになる。なお、クリシュナムルティ自身が図らずも隠し通せなかった、大乗仏教経典の説く不二法門における「維摩の沈黙」に対して示した共鳴には、正直驚いた。こんなに「無防備」なクリシュナムルティを初めて知った。やはり沈黙の中に真実があるのだ。(クリシュナムルティが変容の中身を語らぬ理由がここにある。)大乗だの小乗だのという分節化に大した意味はないのだ。クリシュナムルティの言葉を上っ面だけ舐めたのでは彼の真意を誤解する。

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紙の本

貧乏物語 改版

紙の本貧乏物語 改版

2016/05/28 01:00

ピケティの「21世紀の資本」に先立つこと百年前の書

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

河上肇は、所得・資産格差の問題に真面目に取り組んだ我が国の大先達経済学者ですが、なかなか楽しめました。名著です。今話題のピケティの視点が決して目新しいものでないことがわかります。ピケティの場合は、近年、大量の各種統計や各国国税等のデータにアクセスできるようになり、かのアプローチが可能になったわけで、時の利を得ているわけです。それにしても、当時の社会構造からして既に、貧富格差を拡大しつつあることを、データを駆使して実証的に証明しているところは、その先駆性に脱帽です。
 河上は、その問題となっている貧富格差解消のためには、富者は贅沢を慎め、と結論づけています。それは、富者向けの贅沢品生産が圧迫して、貧者のための生活必需品の生産力がそがれてしまい、これが貧富の格差を拡大してしまうから、というものです。これは江戸時代の贅沢禁止令のセンスに近く、現代の経済学の常識からすると受け入れがたいものです。当時のような、モノのない時代なら、格差問題の解消のために富裕層は贅沢を慎め、という主張にも何らかのリアリティを伴った説得力があったのかもしれません。まあ、その部分は、現代においては、明らかにそぐわないとした上で、それでもこの瑕疵が、この本の高い価値を貶めるものでは決してありません。巻末の大内兵衛による解題を読むだけでも楽しいです。
 なお、宇沢弘文氏は本書に大いに影響を受けた、とのことです。

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紙の本

ナビラとマララ 「対テロ戦争」に巻き込まれた二人の少女

なぜよその国で戦争をする?

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユーフスフザイというパキスタンの少女の名前を知る人は多いだろうが、ナビラ・レフマンという同じパキスタンの少女を知っている人は少なかろう。評者も本書の出版がなければ知ることはなかった。著者・宮田律氏は、意図的にこの知名度的に非対称な名前を列挙したタイトルをつけた。彼女らは、境遇は異なるが、いずれも異口同音に、戦争をなぜやめないのか、戦争をするお金をなぜ教育に回さないのか、と切実に訴えている。この訴えが本書のテーマそのものである。
 彼女らはパキスタン・タリバン(TTP)が跋扈する部族地域に住むパシュトゥン人である。そこは米軍によるテロ掃討作戦が展開されている。マララはTTPに狙撃され、頭部に重傷を負った。イスラムの女性が教育を受けられるようにと世間に叫んだことが、偏狭な教義解釈を信奉する彼らの憎悪を掻き立ててしまったのである。TTP掃討の正当性を主張する西側諸国にとって恰好の宣伝材料となった。重傷を負った彼女は、英国で先端医療を受け快復、その後周囲の援助もありそのまま英国の高校に進学、今はオックスフォード大学で勉学中とのこと。一方ナビラの場合は、米軍のドローンからのミサイル攻撃が、彼女や兄を大けがさせたのみならず祖母を死に至らしめた。彼女らは農作業をしただけなのに、ドローンからの映像をみたCIAがテロリストと誤認したのだ。ナビラは自分たちの被害をアメリカの議会の聴聞会で訴えたが、そこには435人中わずか5人の下院議員しか出席しなかった。この差別的な扱いは、直接の加害者が誰だったかに依った。ナビラのケースは米国にとっては都合の悪いものなのだ。その挙句米国からの正式な謝罪も賠償も一切ないという。さらに、加担しているメディアの情報選択の恣意性については著者も大いに憤っている。但しマララに向けられた賞賛や評価が不当に高いというわけではない。彼女は至極まっとうなことを言っている。マララはオバマ(前)大統領にもホワイトハウスに招かれているが、その場で堂々とドローンによるミサイル攻撃を批判したという。
 本書は小中学生向けに書かれたようだ。しかし内容は大人にとっても高度だ。シリア・イラク・トルコにまたがるクルド民族と同様、彼女らの民族パシュトゥンもパキスタンとアフガニスタンに分断されている。それゆえそれぞれの中央政府の経済政策から取り残されてしまった。過激組織のresentmentの原因がここにある。さらに民族分断にまで至る歴史的流れを19世紀の西欧による中央アジアの植民地統治にまでさかのぼり丁寧に解説する。またタリバンの台頭が、ソ連によるアフガン侵攻への対抗から米CIAらが過激組織を支援した事に端を発している。つまり、米国はテロと戦うといっていながら、その製造責任者は米国自身(マッチ・ポンプ)だった、ということだ。また米国とイスラムの対立構造には、オスマン帝国のサイクス・ピコ協定という欧米列強による恣意的な分割統治、第二次大戦後のイスラエル建国に伴うパレスチナ人の難民化に深く米国が関与していることなど、複雑に絡んでいることも丁寧に解説する。(ただし米国が執拗に干渉するその裏に石油利権が絡んでいることまでは本書では言及されていない。)体裁は子供向けに易しい記述の本書だが、米国による母国の隷属化に何の違和感も持たず、沖縄の米軍基地を容認し、ドローン攻撃は不可欠と嘯く新聞を読んでも何の疑問も湧かず、集団的自衛権行使を推進しようとする日本の大人にこそ読んで欲しいと思う。実は著者もその層を本当の対象読者として想定しているような気がする。

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紙の本

沖縄のこころ 沖縄戦と私

紙の本沖縄のこころ 沖縄戦と私

2018/04/03 01:29

知れ!戦争の不条理を

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書が著されたのは1972年の沖縄返還間もない頃のこと。当時の多くは沖縄本土復帰を戦後復興プロセスが順調に進んだものとして単純に喜んだ。しかし著者はそれを素直に喜べない(恐らくは怒りと呼んでよい)何かを心の奥底に秘めていた。米国との戦争において45万人の県民の住む沖縄を、当時の国家体制が無慈悲にも来たる本土決戦までの時間稼ぎのための捨石として利用した事実に対する拭いがたい思いがあったからだ。本書によれば、沖縄住民の死者総数は15万6千人、これは住民の三分の一に当たる。日本軍の死者9万余、米軍死者1万2千5百人、本土の非戦闘員の死者数は30万人程度であることからも、その戦争の過酷さは容易に窺い知れる。米国にとっても太平洋戦争における最大の被害を出した戦闘である。(今なお血の代償としてなのだろう、沖縄の米軍基地を返還する気配すらない。)
 何よりも地上戦という、普通の人々が暮らしている場所がそのまま戦場となり修羅場化する様を、多くの日本人は経験していない。軍人といえどもそういう場面で如何に行動すべきかという思考実験や実践訓練を全く受けていない、役立たずの集団だった。多数の民間人を戦闘にかり出し、戦闘能力のない年寄りや女性・子供を邪魔者扱いにしておきながら、戦線が維持できなくなると真っ先に撤退し、彼らから乏しい食料までも奪うような畜生にも劣る浅ましき醜態を日本の軍隊システムは晒した。
 本著者自身、鉄血勤皇隊という未成年学徒兵として死線をさまようようなたたかいや誰が味方で誰が真の敵なのか判らなくなるような戦争の不条理をつぶさに体験した。従って本書は、沖縄地上戦を描く単なる歴史書とは一線を画す、著者のこころの叫びが横溢する書となっている。戦争の不条理とは殺戮行為の残虐性や非人道性を指すだけのものではない。矢玉尽き果てなすべき抵抗の手段も無くなる中で闘争心は味方に向かってしまう。行きつく先の一つに久米島住民虐殺事件があった。沖縄本島攻略後久米島の上陸に際し、米軍は同島出身の拉致住民を宣撫工作に協力させた。同島守備隊がこの行為をスパイ行為と断定し、妊娠中の妻子もろとも惨殺、家ごと焼き払った。既に日本降伏後の確定していた8月18日のことだった。同蛮行は29人を「処刑」する迄にエスカレートした。
 住民の食糧確保に心を砕いた県知事・島田叡や、教え子に生き抜く心を説いた沖縄師範学校校長・野田貞雄、海軍次官に「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の打電を行った沖縄方面根拠地隊司令官海軍少将・太田実ら、本土出身者ながらも沖縄と命運を共にした人々に対する追慕の念を著者は抱いている。しかし今の日本人はどうか。沖縄に心を寄せているだろうか。沖縄に心を寄せるとは、即ち戦争体験から学んだものを深化蓄積し、沖縄の住民に戦争を強いた日本という国家体制に真摯に向き合うことだ。戦後著者が野田校長の奥さんに面会した際、「主人が至らぬゆえに、多くの若い生徒を道連れにして申し訳ありません」と手をついて涙を流されたという。片やある守備軍司令部高官の夫人は、「主人が死んだお蔭であなたたちは無事に帰れてよかったですね」といったという。そうじゃない、守備隊司令部が首里から摩文仁へ撤退した際には、その護衛として学徒隊がかり出され、20数名全滅した隊もあったのだ。軍隊は県民を守らず、軍隊を守るために県民は犠牲になった。刊行後50年近く経ち戦争体験が風化しつつある中、本書の重要性は一層増している。国家施策に押し流され「いつかきた道」を辿らされつつある、という当時の著者の日本に対する懸念が、杞憂になることを祈りたい。

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シリア情勢 終わらない人道危機

万人の万人に対する闘争

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評者は、2012年刊行の国枝昌樹著「シリア」を必読文献だと思っている。ただし、その後のシリア情勢に大きな変化もあった。化学兵器使用疑惑、イスラーム国の台頭、ロシアの本格介入に伴う空爆、ホワイト・ヘルメットの登場等。本書は、我が国指折りのシリア研究者がこれらを網羅した、up to dateな内容のシリア情勢解説書。しかも、公正さを期そうと努めた細心の意図が汲みとれ、好感が持てる。論点は国枝氏のそれに近い。
 シリア内戦を「アサドの独裁政治」対「国内の民主化勢力」のように単純に図式化する報道や解説は適切ではなく、「民主化」、「政治化」、「軍事化」、「国際問題化」、「アルカーイダ化」の五つの局面の複雑な絡み合いを解きほぐすことが必要、と著者は繰り返し主張する。しかも、初期の諸外国の対応は、反体制派への外人兵士等の武装援助であり、「内戦」という呼称自体も厳密性を欠く明らかな内政干渉であった。本書の解説は、新書の限られた紙幅にも拘らずこの五つの局面を押さえることにより難解な情勢を鮮やかに読み解く。シリア情勢に関心のある読者はぜひ手に取ってお読みいただきたい。以下は、著者の主張そのものというより、評者の読後感的備忘録の様なものである。
 「アラブの春」と呼ばれるアラブ諸国に突如巻き起こった「民主化運動」をアサド政権は極度に警戒していたが、その初期対処については確かに誤った。それにより、米国を筆頭とする諸外国は、「アサド政権の残忍性」を喧伝し、あけすけに言えばアサド政権転覆の正当化につながるような主張を繰り返した。その結果、彼らは「反体制派」と呼ばれる勢力の支援にまわったのだが、その指導者の多くは「ホテル革命家」と呼ばれる連中で、局面の流動化とともにいち早く国外脱出をしてしまった。おまけに「反体制派」は一枚岩ではなく、「反体制派」間の抗争も本質的な人道危機を深めてしまった。米国等は正義の穏健な反体制派対残忍な政府軍の図式の下に、素早くアサド政権転覆を図りたかったようだが、武装闘争である以上、その「穏健さ」には欺瞞があった。逆に、反体制派のアルカーイダ化が進み、国際テロ組織として邪悪視されているイスラーム国が最大の反政府軍、という状況を西側諸国は作ってしまった。また化学兵器使用疑惑を煽り、本格的な直接武力介入のチャンスも窺ったが、国連の調査結果ではむしろ反体制側の使用が強く疑われるケースが多く、その目論見は失敗した。ロシアの本格介入(アサド政権を直接支援)により、イスラーム国の勢力は弱まり、一番カオス的な状況だった最大の商業都市アレッポを政府軍が奪還するに至り、潮目は劇的に変化しつつある。西側メディアは、アレッポ東部の25万人の市民がシリア・ロシアの無差別爆撃に抵抗している、と報じたが、降参してシリア政府によりトルコ等への人道的な脱出猶予措置で同地を去った反体制派とその家族は高々3万5千人だった。残留した多数の市民は、アサド政権の延命を許容しており、逆にイスラーム過激派により人間の盾として拘束されるという人道的危機に見舞われた実態があった、と強く懸念される。また、一部英雄的に称揚されたホワイト・ヘルメットも、その作為性が強く疑われるべきいかがわしい組織と感じる。主流メディアの偏向報道が世界の見方を大きく歪める実例として、強く記憶に留める必要があると感じる。なお、クルディスタン自治組織ロジャヴァには未来があるのではないか。シリアに和平がもたらされた暁には彼らに民族自決権を与えなければいけない時代が来るように感じる。

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ピエールとリュース

紙の本ピエールとリュース

2017/08/19 18:41

戦争と愛と死

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8月は、日本人にとっては、72年前に約310万人の犠牲者を出した挙句敗戦と決まり、さらには広島・長崎で原爆で何十万人の命が一瞬にして犠牲になった季節である。死者の魂を招く旧盆の時期にも重なり、死と戦争を連想しない訳にはいかない、深く民族的な情緒に印象が刻まれる時である。
 第一次世界大戦を経験したフランスにおいても、8月とは、開戦の砲声を聞き、総力戦の名の下で国家的消耗を強いられ、4年後の同じ月に第二次マルヌの会戦を経てぐだぐだになりながら戦局を決した、やはり戦争を想起する季節として印象深いようだ。
 「ベートーヴェンの生涯」「ジャン・クリストフ」等の傑作で名声を得ていたロマン・ロランは、その揺るぎない理想主義的ユマニスムに基づき、当初より本世界大戦に反対を表明、戦闘停止を訴えた。実はこの時期の反戦関係文書が1916年のノーベル文学賞受賞対象作品とされている。あくまでも反戦という立場を堅持したといはいえ、ロランという作家には、大戦の悲惨とノーベル賞受賞の栄誉がない交ぜとなって濃い影が落とされていることが知れよう。だから、この戦争・反戦に対する結論として、芸術的昇華を遂げた作品を世に問う必要性をロランは感じたはずだ。そして完成したのがこの「ピエールとリュース」だったのではないだろうか?
 主人公のピエールは、徴兵適齢者として6か月後には戦地に赴かなければならないことが定められたブルジョワの子弟だ。戦争はたった18歳の「少年」の血を要求していた。戦争さえなければ存分に青春を謳歌できていたはずなのに、それができない運命に彼は絶望していた。その感傷はロマン・ロラン自身が抱いていたもので、そのまま主人公に投影されたと思われる。この少年の繊細な神経には耐えがたい極限的な戦時の重圧下に、彼は少年の魂の片割れとでもいうべき美少女を配した。リュースは、やはりブルジョワの出身ながら親の望まぬ結婚を貫いたがゆえに実家と断絶し苦しい生活を余儀なくされた母との二人暮らしを通して、やや世知に長け、少年よりは精神年齢は高く、豊かな母性に溢れている。地上で起きたドイツ軍機による爆撃で負傷した男が地下鉄の駅に転がり落ちてきたときの騒ぎの中で、少年は見知らぬ少女の手を握った。少女もこれに抵抗しなかった。出会いの場面は鮮烈だ。運命の出会いから偶然の再会を経て、二人は純愛を育んでいく。しかしこの愛の行方が決して幸せに満ちたものではない、という悲しくも強い確信も二人は共有してしまっている。この小説を翻案した日本映画の「また逢う日まで」で話題になったガラス窓越しのキスのシーンも印象深い。約2か月の短い冬に燃えた彼らの愛の結論として、復活祭の日にひとつになる約束をする。しかし復活の前には死があるのだ。二人は特に強い信仰心を持っているわけではなかったが、自分の恋人しか愛せないような貧しい小さな心を持つ自分たちのことさえ愛してくれた、イエスの大きな愛を確認したかった。それにより、彼らの愛はイエスのそれに近くさらに強固なものになる。そして復活祭の前日である聖金曜日の礼拝に教会に出かけ、運命の時を迎えることになる。リュースは偶然見つけた自分より一回り若い赤毛の少女の恐怖と憐憫の表情に、次の瞬間に来る自分と恋人の未来を見ていた。ドイツ軍機の爆撃による出会いの時への永劫回帰。
 この悲恋小説の最後に、ロランは1918年8月、と記した。まだ、完全な戦争終結には至っていないときだったが、そろそろ終わりが見えていた頃だったろう。ほぼ同時代を進行する物語として「戦争と愛と死」を書き上げた。人類への見事な遺産である。

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熊楠の星の時間

紙の本熊楠の星の時間

2017/06/27 19:10

熊楠ワールドと中沢ワールドの交錯

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粘菌の新種を多数発見した南方熊楠を論考した中沢新一の書。5つの講演を基にまとめたものという。彼による南方本としては既に「森のバロック」等がある。本書において、著者は、この動物体とも植物体とも厳密には区別しようがない粘菌の観察から導かれる生命観を、近代科学の範疇における生物学においてというよりも、ロゴスでは包括しきれないレンマの論理(ジレンマやトリレンマ等の語源となっており、西洋の論理学ではこれを排除することにより公理論的な思考世界を形成した)を基盤とする哲学的世界の中に熊楠は捉えていたはず、と喝破する。実際、熊楠は大乗仏教、特に華厳経の哲学的基盤が、レンマの論理の結晶的構築物であることをよく知っていた。それは、密教哲学者であり僧でもある土宜法竜と往復書簡からも判る事実だ。そして粘菌の観察とは、まさに宗教的な瞑想行為そのものであったことであろう。瞑想の達人であった明恵と土宜法竜がともに高山寺住職だったという因縁もロゴスの論理を越えて印象深く読者に映ることだろう。
 さらに熊楠はシュテファン・ツヴァイクいうところの「星の時間」を、深く粘菌の観察に沈潜していた時に体験した、と著者は想像を膨らませる。これは、室戸岬での修行中に弘法大師空海が得た「明星体験」と同種のものに違いない。その確信のゆるぎなさは、自身若き日にチベットにて密教の修行をした中沢ならではもの、と思われる。
 そして南方曼荼羅とも呼ばれるダイアグラムの解読に著者が挑戦して、一定の迫真性をもって肉薄することに成功している、と評者は思う。その図形と井筒俊彦の大乗起信論の論考との間には明確なアナロジーが存在し、そこから類推するに、南方曼荼羅は意識の本質を説く大乗仏教哲学的世界の構造そのものなのだろう、と感じた。
 残念ながら評者は、熊楠自身の著作をほとんど読んでおらず、それらの真偽を論じることはできないし、その根拠を調べようにも本書の文献案内は極めて不親切である。つまり、いつもの中沢ワールドと同様あまり学問的な体裁は整えていない。しかし、読者は著者に導かれるままに、生死の境を越える死生観、そして個別に分割できない生の全体性を表現する大乗仏教、特に華厳経の圧倒的なビジョンを体験することが可能である。まさにロゴスを超越したレンマの論理のもとで、熊楠ワールドと中沢ワールドが交錯することを、読者に知らしめること、それこそが本書の趣旨なのであろう。

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1960年5月19日

紙の本1960年5月19日

2017/05/10 16:47

「1960年5月19日」は現在の民主主義機能不全状態を予言しているのか

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1960年5月19日深夜、自民党は単独で新安保法案を衆議院本会議にて強行採決した。岸内閣は院内に警官隊を導入、野党社会党の多数の議員を「ごぼう抜き」までして排除した。参院では未議決でも法案は30日ルールで自然成立、新安保批准となる。岸としては6月訪日予定の米大統領アイゼンハワーへの贈答の演出を意図したものであり、反対派にとっては絶望的な状況だった。しかし本当の国民運動としての安保闘争はむしろこの時スタートした。議会制民主主義を蔑ろにして数を頼み議論を尽くさない政権の横暴に大衆はNOの声を上げたのだ。その証拠に、その前の総選挙で自民が58%近くの票を獲得していたのが、この日を境に岸内閣の支持率が12%に急落、岸退陣を要求する声は58%にまで高まった(5月25日世論調査)。これまでも10万人動員の全国規模の運動等の実績はあったが、散発的な感は拭えなかった。しかし6・4ストでは460万人参加、6・15は580万人、自然承認後の6・22は620万人と規模は膨らんだ。労働運動を母体とした組織や全学連等出自が異なる集団間での統一行動は困難であるにも関わらず、試行錯誤のなか抑制的な行動を貫いた。にもかかわらず官憲側の実力行使に暴力的要素があったことも否めなく多くの血の犠牲者も出した。しかしこの結果、アイクは訪日中止、大衆の「声なき声が聞こえる」と嘯いていた岸政権は倒れた。
 本書は、この稀有な国民運動の記憶を後世にとどめるため、日高六郎、藤田省三ら複数の「当事者」らによって編まれた渾身の立体的ルポルタージュである。同時代体験の無い評者にとっては、序章で終戦から5月19日に至る15年の日本の議会政治を端的にまとめた部分が特に秀逸だった。警職法改正反対運動、砂川闘争と「統治行為論」を論拠とする最高裁判決等、当時の大衆や行政・司法層が何を感じていたのかが分からないと、安保闘争のディテイルを読んでもピンとこない。時代とともに習慣・価値観が異なってくるからだ。そのギャップを見事に埋めてくれている。それが57年前の事件が精彩を保っている理由であろう。組合運動などにも携わった事の無い町の商店の従業員や主婦などが、おっかなびっくり安保反対のデモに加わるといった経験談なども丹念に採集、海外のメディアがどのように日本の状況を見ていたのか等の国際情勢も鶴見俊輔が調べている。本書の発刊は運動の興奮冷めやらぬ1960年10月。6月の興奮がまだ生々しく息づく中、本著者らは強い使命感を持って緊急刊行した。この緊迫感は今の読者にも十分に伝わるだろう。それと同時に、本書に拾い上げられた多くの事象は、普遍性を持つ社会史学的なテーマとして検討価値がある。政治の細かい機微を熟知していないながらも大衆は、米国相手に戦争を起こした東条内閣の閣僚・岸信介が、今度は米国傀儡として戦後の民主化路線を破壊しようとするのをみて、確かに怒りの声を上げたのである。そして苦渋と挫折感に満ちながらも岸打倒は果たした。あれは何だったのか?今の我々こそが歴史のサイクリックなメカニズムを解明すべき時に来ている。
 訪日直前、米国統治下の沖縄を訪問したアイクは、「祖国復帰」「U2機は帰れ」の手厳しい沖縄人の拒絶と罵声を浴びた。訪日中止を決定づけた要素かも知れない。その構図は今も未解決の基地問題としてその本質は残されている。当時の社説等のマスコミ論調が親米的に退嬰化し大衆から離れた現象は今さらに顕著化している。岸内閣はNHKの報道姿勢も激しく牽制した。放送法を盾にマスコミを骨抜きにしつつ、奇しくも岸の孫は57年の年を経て共謀罪法成立や憲法改悪を目論んでいる。

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鶴見俊輔コレクション 4 ことばと創造

ことばの守り人

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鶴見俊輔は、ことばを大切にする思想家であり、行動家である。ここでいう「ことば」とは文章言語のそれのみではなく身振りや映画、まんがといった「映像的」表現などの別の表現手段を持ちうるものも含む。些細な表現であっても、それ以前の誰もがやらなかったものなら、創造的な部分が必ずある。だから、あまり一般には見向きもされない、カウンターカルチャーあるいはサブカルチャー的なまんが作品、多くの評論家たちによって芸術作品としての価値を認められなかった表面的には「大衆映画的手法」を採った「振袖狂女」のような映画の批評等において鶴見俊輔は時代の先端を切って走った。先端表現者としての行動家・鶴見の矜持があったのであろう。本書にもいくつかのエッセイが収録されている「限界芸術論」はそんな鶴見の面目躍如たる著作である。いまでこそ、サブカル論等は華やかであるが、鶴見が挑んだ時は未踏の荒野の分野だったはずである。そんな彼の「ことばと創造」を切り口としたアンソロジーが本書である。編者は黒川創。
本書以外にも、「文章心得帖」等の著作を通じて、彼のことばに対する感性の鋭さは、世によく知られている。彼の論壇デビュー作といってよい「ことばのおまもり的使用法」は、鶴見を語る上では必須文献である。戦後間もなくの時代背景があっての論文ではあるが、時間を経た今でも色あせることがない。何度でも読み返したい。
 彼の論考の守備範囲は極めて広い。守備範囲の広さは彼の好奇心のありかによるものだろう。ゆえに、あえて意図的に「鶴見哲学」と呼ばれるようなものを構築しなかったように思われる。「普通」の評論家・哲学者が思いもつかないようなかたちで、日本文学の胎動を一つの方法で刺激したエトランゼ・小泉八雲を藤田省三、横光利一、木下順二、谷川雁、中野重治らを縦横に引いて疾走するかのごとく語ることによって、これに対比させる形で、戦中の「勅語」を中心にした共通言語の貧しさを自覚しえなかった日本人の言語空間における幼稚さをあぶりだした。
 そして、その奔流はとどまるところを知らず、身体表現を含む漫才、円朝、「アメノウズメ」一条さゆりにまで及ぶ。なお、「鞍馬天狗の進化」を読むとわかるが、戦中の貧しく息苦しい言語空間に閉ざされた文学者の中で、鶴見の視点からすれば、唯一に近い例外が大佛次郎であったようだ。大佛の「阿片戦争」や「乞食大将」、特に後者は、時代小説の姿を借りた自由主義者が言わば白昼を闊歩して行った、とまで書く。
 所収の「かるた」は、本人の少年期の記憶を頼りにその時の思いをその時味わった感性に忠実に日常的な言葉で再現する実践的な作品である。そこには、自然に形成されたみずみずしい少年の世界が平易な言葉で語られている。何よりもある一個の人間を成立させる思想、レーゾンデートルは、皆の心の中にある言語単位である多数枚の「かるた」というユニットで構成されており、その言葉のカードに呼応する形でイメージや記憶の単位が想起されるようになっている、そういうことを示そうとした意欲作であった。表現者・鶴見の一側面を表す作品であろう。「誤解権」という著作も、行動家・鶴見の基盤となっている思想の表れなのであろう。必読文献の一つである。そして、鶴見の著作のほぼ最後を飾る90歳のときの作品が「意思表示」という行動であった。末尾に全文引用して本レビューを終わることにする。
 ―今の私にどれだけの力があるかどうか、分かりません。しかしはっきりと、憲法九条を守る意思表示をしたいと思います。―

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武家の女性

紙の本武家の女性

2017/02/17 00:11

栗林忠道も読んだ名著(たぶん)

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山川菊栄の母、千世は幕末期の水戸藩士(水戸藩校弘道館教授も務めた儒学者・青山延寿)の娘であった。瓦解後一家で上京し、千世はお茶の水女子大学の前身・東京女子師範学校の第一期生となった。高い教育を受けた千世が、娘・菊栄に及ぼした感化とはどんなものだっただろう?そんな想像を逞しくさせるのが本書である。
 まず、水戸家中の武家の婦女に関わる日常、慣習、文化、歳時などについて、平易な語り口をもってその雰囲気をよく伝えている。歴史的資料として一級の価値がある。例えば、千世が稽古に通ったお裁縫の師匠の旦那である石川という老藩士は、サービス精神旺盛で、少女たちを楽しませるために、夜具を着て関寺小町を踊ったり、興が乗って人物評を始めれば、「何のあの古着屋が」などと吐き捨て、権勢を誇った藤田東湖も形無しの陰口を叩いたり。非常に魅力に満ちた人柄が伝わっている。このような巷の人々の息吹が伝わる例は、本書において枚挙がない。時代の空気を伝える意義深い証言でもある。
 しかし、この聞き書きの中で特筆すべきは、やはり幕末の水戸藩の特殊な立場にあるといえるであろう。常府とされ参勤交代の負担はなかったものの表高に比べ低かったと思われる実高を背景とする逼迫した藩財政、幕政に対し江戸表で良くも悪くも強烈な個性を発揮した藩主斉昭、藩主不在の中で進められる国許の政治。国許の実権を佐幕・開国派の諸生党が握り、追い落としを食った攘夷派が筑波で挙兵した事件は、天狗党騒動と呼ばれる他藩を巻き込む大事件に発展した。慶喜への嘆願空しく天狗党は福井で降参、科刑は苛烈を極めた。その後、時代の波は、攘夷運動より倒幕運動へと転換、維新に際し負け組となった諸政党藩政は、今度は天狗党残党たちの復讐の餌食となった。この復讐の連鎖は、人材を磨滅させた。攘夷の震源地だったにもかかわらず、水戸出身者は国家の要職を得ることがなかった。最も悲劇的な側面は、男たちの争いの巻き添えを食った政治には無縁だったはずの女性たちだった。例えば、武田耕雲斎の一門は、女まで首を刎ねられた。その後、諸政党の家の女も同様に暴力の餌食になった。この書には、耕雲斎の妻の辞世の歌が添えられている。
 かねてみは なしと思へど 山吹の 花もにほはで 散るぞかなしき
これは、太田道灌にまつわる逸話が書かれた常山紀談にある歌
 七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき
を本歌としている可能性が高い。水戸藩では女性の教育に冷淡な家風であったが、なかなかどうして、耕雲斎の妻女は立派な教養人であったことがこの一事からも判る。この歌の採録を決めたのは、千世の話を聞いた菊栄である。このあたりからも、母千世の感化が、娘菊栄の婦人運動への目を開かせる素地にあったような気がしてならない。
 ところで余談だが、この「散るぞかなしき」、太平洋戦争の硫黄島守備の軍司令官・栗林忠道の辞世の歌
 国の為 重き努を 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき
に不思議に呼応している。この歌が女々しいと判断されたためであろう、大本営発表は、「散るぞ口惜し」と改竄した。梯久美子氏の著書「散るぞ悲しき」では耕雲斎の妻の辞世には言及していない。しかし私は、刊行が昭和18年であることと合わせ、栗林忠道は本書を読んでいた可能性が高い、と考えたい。菊栄と夫は社会主義者だったが、本書執筆に際しては柳田國男の薫陶も受けており、反社会的な書物とはみなされなかった。栗林は、幕末の水戸藩家老の妻女が味わった無常をわが身に引き寄せたのだ。

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