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miyajimaさんのレビュー一覧

投稿者:miyajima

45 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

一億人の俳句入門 決定版

紙の本一億人の俳句入門 決定版

2016/12/31 20:05

切れ字だけでなく俳句そのものについて関心を持つようになりました

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まずはこの著者の「古池に蛙は飛びこんだか」(中公文庫刊)というタイトルを見て即座に購入。「む? 飛び込んでないの? そうなの?」ということで。

でもそもそも俳句についての知識が無いので「入門」と書かれた本書を合わせ購入。
いや、面白い。

内容としては俳句の定型・切れ・季語という三つの約束について書かれています。

まずは俳句の定型について。
俳句には「一物仕立て(いちぶつじたて)」と「取り合わせ」という2つの型があります。一物仕立てとはその名のとおり、一つの素材(一物)を詠んで仕立てた句。AはBであるという仕立て。

行く春を近江の人とおしみける

というのがそう。

取り合わせとは2つの素材を組み合わせたもの。

旅人と我が名よばれん初しぐれ

というのがそう。「旅立つ私を人は旅人と呼ぶだろう」という芭蕉の思いと、「初しぐれ」を取り合わせているわけです。

次いで「切れ」について。「切れ」の働きはそもそも何なのか?
切れの部分に何かが省略されていると考える人がいます。そんな人は俳句を「省略の文芸」などと呼んだりしています。あるいはまた強調だという人もいます。

どちらも間違い。
切れと切れ字の働きは強調でも省略でもなくて、その名のとおり句を切ることにあるんです。その効果は、「間」を生むことにあります。絵画で言えば余白、音楽で言えば沈黙。

もし切れの働きを省略と考えると、俳句の解釈や鑑賞は省略されたものを復元する作業になってしまいます。しかし、俳句の切れはそうではないんですね。言うべきことだけを切り出しているんです。言いたいけれど言わないことなど存在しないということです。そこで、登場するのが、

古池や蛙飛びこむ水のおと

です。
この句は古池に蛙が飛びこんで水の音がしたと言っているのではないんです。蛙が水に飛び込む音を聞いて古池を思い浮かべたという句なんです。この古池は現実世界にあるのではなく、蛙が水に飛びこむ音によって芭蕉の心の中に出現した幻なのです。この句を一物仕立てと解釈するとまったくつまらない句になってしまうわけなんですね。ここでこの句の説明臭さを払い去っているのが切れ字の「や」。これにより「古池に」の持つ理屈が切断され、大きな「間」が浮かび上がる、ということなのです。

ということで、俳句を解釈する際に理解しておくべき「切れ」と「定型」について詳細に説明がなされています。この二つの重要性を理解するのに芭蕉の「古池や~」の句が大変に参考になるということなんです。

この二つがわからないと、「古池に蛙が飛び込んだ時に音がした」という凡庸な句になってしまうわけなのです。

こんなこと学校で教えてくれませんでした。俳句と「切れ字」と言えば、『ぞ・や・かな・けり』→この字がついているところが俳句の「句切れ」で、この字がついている言葉が「作者の感動の中心という程度の知識しか教わりませんでした。これでは芭蕉の句は決して解釈できないですよねえ。

とか言っても2冊ばかり読んだくらいで上からモノを語るのも間違いだと理解しております。ということで著者の他の本も読んでみることにした次第。

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紙の本

フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体

フォッサマグナが学問的にこれほどまでに知られていないとは!

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「三つの石で地球がわかる」を読んで以来ファンになった藤岡先生の最新刊。

しかも帯に「世界で唯一の地形はなぜできたのか なぜ日本にしかないのか」とあって即買い。その上「はじめに」によれば「フォッサマグナが一体何なのか、どのようにしてできたのか、これからどうなるのか、日本にフォッサマグナがあることに意義は何なのかといった基本的なことが、いまだにあきらかになってない」という。

しかも藤岡先生自身がフォッサマグナに関心を持つようになったのは2012年に定年退職するころになってからという。

フォッサマグナと言えば小4の時に読んだ小松左京の「日本沈没」以来私にとってはおなじみだったのだが、実はそうだったのかということでひどく驚く。ページをくくる手ももどかしい状態でとりあえず読了したものの、地学初心者には少々難解な部分もあって2回通読を繰り返す。

さすがに連続して2回読めばそれなりに理解はできたものの、まだまだという自覚はある。あと何度か読む必要あろうかと思われる。

さらに、藤岡先生は「三つの石で地球がわかる」「山はどうしてできるのか」「海はどうしてできるのか」「川はどうしてできるのか」を読むと理解の助けになると書いているので、こちらももう一回通読しようと思う。

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紙の本

質的社会調査の方法 他者の合理性の理解社会学

質的調査というか、社会学や文化人類学の初学者にもぴったり

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「断片的なものの社会学」が面白かったので、同じ著者が書いている資質的調査の本を見つけて早速購入。

本書で扱われる質的調査は「フィールドワーク」「参与観察」「生活史」の3つ。私としては質的分析というのは要するにノンフィクションとどう違うのかという点について、あまり確固たるものが持てないままでしたが、本書を読んである程度納得。

要するに質的社会調査を社会学という学問を支えるものとしているのは、それが私たちと縁のない人々の不合理に見える行為の背後にある理由(これが「他者の合理性」といわれるものです)を誰にでもわかる形で記述し解釈することにあるというのです。

「特定の状況下におかれた特定の人々についての解釈」を続けることで、仮説や命題の形に収まらないけれど、当事者の体験が量的調査では見えてこない、それまでの思い込みを覆すような視点を提供してくれることになるのことがあるというわけです。
誰かを観察したり、その人の生活史に耳を傾けることで、特定の社会問題の背景知識を得て(歴史と構造」)、その社会構造についての新しい見方を獲得する(理論化)というのが社会学を意味づける手段としての質的社会調査ということなのですね。

初学者向けの本なので、依頼書の書き方とかレコーダーの扱い方といった実に基礎的な事から始まるので、質的調査だけでなく社会学や文化人類学の初学者にもぴったりなのではないかと思います。何より、本書に挙げられた推薦図書がどれもおもしろそうなので、少なくとも買ったままで読んでいない本は読んでみようと思いました。

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紙の本

出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと

読書を通じた「気持ちの交換」に成功した稀有な例

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「おススメの本があったら教えてください」と言われることがある。これは困る。そう言っている方がどんな人生を歩んできて、どのような思考・志向・価値観を持っておられるのかについて知らないまま、いったい何を根拠としてすすめればいいのか困ることがほとんど。

「あなたが今まで読んで一番面白かった本は何ですか」と聞かれることもまた困る。たった1冊の本で表現できるほど俺の人格は単純じゃねーぞ、という反発を覚えたりする。

と言いつつ、本書の著者のように「出会った30分間という時間制限の中で相手にふさわしいと思う本を勧めて回る」という行為に興味があるのも事実。著者は、「人の役に立ちたいという気持ちだけではなかなか具体的に人に関わること難しい」「でも本を介してなら、気持ちを押し付けることなく知らない人と気持ちを交換できたりする」という。なるほど、そういう視点で、しかもそれが叶うのならばとても素敵なことだ。

特に「気持ちの交換」という視点は実に大事だ。一方的に受け取るだけなら一人で本を読んでいた方がいいし、一方的に主張するだけならFacebookで今まで通り垂れ流していればいいじゃないかと思う。ということで、稀有なポジションを築くことに成功した著者に嫉妬しつつ読了。

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紙の本

翻訳できない世界のことば

紙の本翻訳できない世界のことば

2016/12/31 15:18

まさに「言葉とは文化である」ということを実感しました

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私が大学受験生だったころ。ということはもう30年以上前の話。当時通っていた予備校の現国講師が薦めていた鈴木孝夫の「ことばと文化」。入試に頻出するということだけでなく内容もおもしろいということだったので早速読んでみたらこれが面白いのなんの。

「ことば」というものはその言葉を話す人たちにとって文化が歴史的重畳的に折り重なったもの。現在話されているものはいわば氷山の一角のようなもので、海面下にはその数倍・数十倍の歴史・文化の背景がある、というあたりが一番印象に残っています。

その鈴木孝夫を再発見の巻、と言うほどのものでもないのですが、その当時ことを思い出させてくれる本でした。

ある言語ではたったの一語で語ることのできるのに、他の言語にしようとするとものすごく面倒くさかったり、共有がむずかしくなる言葉を集めた本です。しかも何が素敵かといえば、一語一語に可愛らしいイラストがついている点。この本を購入したジュンク堂では「芸術:イラスト」のコーナーにあるほど。

それぞれの言語がどうしてそのような意味を持つようになったのか、話者同士でその言語を共有することが有益だったり必然だったりする背景を考えながら読みました。通読するのであればほんの10分もあればいいのですが、そんなもったいないことはせずに、寝る前や入浴中に2~3語選んでいろいろと妄想しながら過ごすことにしております。

一例をあげますと、「HIRAETH:帰ることができない場所への郷愁と哀切の気持ち。過去に失った場所や、永遠に存在しない場所に対しても」なんてウェールズ語。この本に書いてある解説はたったこれだけです。そうするとなんでまたこんな言葉が、ということでいろいろと思いをはせることになるわけです。

ウェールズと言えば産業革命の前後で町の景観も居住民も一変した街だからかなあ、しかも石炭から石油へのエネルギー革命でももう一回転したしなあ、なんて思うわけです。(でもそれ以上のことを知らないので、ついつい余計な本を買ってしまった次第)。

あ、あとね「BOKETTO:なにも特別なことを考えず、ぼんやりと遠くを見ているときの気持ち」って解説を先に見て「おお、いいじゃないか。どこの言葉だ」って見てみたら「ボケっと 日本語」ってね。

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紙の本

裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち

自分の居場所を作り上げた人たちのお話

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

先日読んだ岸正彦の「質的社会調査の方法」で紹介されていた学者の代表的著作ということで読んでみました。

沖縄ではじめた科研費の研究をきっかけに知り合った女性のうち、キャバクラで働いていたり援助交際をしながら生活をしていた10代から20代の女性の生活史。

「裸足で逃げる」というタイトルですが、家族や恋人たちから暴力をうけて生き延びるためにその場所から逃げ出して、自分の居場所を作り上げていくお話ということに由来。

本書に登場するシングルマザー全員がパートナーであり子供の父親である男性との関係を解消した後、慰謝料も教育費も一銭ももらわず、単身で子どもを育てることを強いられていました。スーパーやコンビニよりも時給が高いキャバクラで働くことで生活費を得ていました。沖縄のキャバ嬢たちは「母」でもあったというわけです。

本書について著者は前書きで「調査の記録」とも「物語」ともしていますが、基本的に本書は「物語」だと思います。彼女たちの受けてきた暴力はすさまじいものですが、その通りだと思う一方で、登場人物たちの多くは「自分の居場所を作り上げ」た人たちばかりなので、基本的にハッピーエンディングだったりそれを示唆するものだからです。だから読後感は決して悪いものではありません。

その中で印象に残ったのは沖縄の非行少年の文化。先輩を絶対とみなす「しーじゃー・うっとう(先輩・後輩)」関係の文化。先輩から金品を奪われ暴行を受けても後輩は大人に訴えることはない。そして学年が代わり自分が先輩になると今度は後輩に同じことをする。そして学校の先生も面倒見がいい教師でも体罰をふるっている。つまり暴力が常態化する中で育つ子供たちは、成長すると暴力をふるうことが当然だと思うし、暴力を振るわれた方も愛されているから暴力を振るわれていると思い込もうとするから逃げるのが遅れる、というもの。

それともう一点。DV法は2004年から施行されてはいたものの、配偶者からの暴力に限られていたため、同棲に過ぎない場合には警察に訴えても門前払いをされていたという点。同棲の場合にも対象が広がったのは2014年から。暴力を振るわれて怪我をして乳飲み子を抱えて警察に逃げ込んでやっとシェルターを紹介されたという本書の事例を読むとそれも遅きに失したなという感想。

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紙の本

〈わたし〉はどこにあるのか ガザニガ脳科学講義

「自由意志」なんてないのか??(そんなことはない)

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法律をやっていると刑法の故意を勉強するので「意志」というものに関心を持たざるを得なくなります。本来その行為を避けることができたにもかかわらず「敢えて」その行為を選択したことが非難されるというわけです。

そして哲学をやると「自由意志なんてものはあるのか」というのが一大論点だったりもします。古くはスピノザ、新しいところではアインシュタインが「自由意志なんてものは無い」と説いているわけです。

ですが、哲学というか文学的なロジックはその多くがサイエンスによって居場所を失いつつあるという現状があるわけです。「意志」というものはその一つではないかと思っておりました。そんな問題意識にを持つ身にとって本書はドンピシャな感じがしてタイトル買い。

「生まれか育ちか」という言葉がありますが、20世紀前半は「脳は白紙である=可塑性がある」という考えが主流でした。ですが、その後後天的な要因や経験に左右される、と通説は変化してきました。

人間は進化の過程で脳を大きくしてきました。しかし、大きくなるとニューロンをつなぐ信号処理に時間がかかるようになってしまうというデメリットが生じました。そこで、何度も繰り返される処理は自動化され、脳の別の領域に伝えられるのはその結果だけで過程は省かれるようになります。このように特定の仕事をする局所的で専門的な回路をモジュールとよびます。

ではそれほど局所化が進んでいるのに人間はあたかも一つの統一体として機能しているのはなぜなのでしょうか。

脳の左右の半球を分断された人を対象とした実験の結果、分離脳患者は脳の左半球と右半球のそれぞれで別々の精神を持つことが分かったのです。ですが、その場合左右のどちらが主導権を持っているのか?

実は脳は二つの意識的システムに分かれるのではなく複数のダイナミックなシステムの集まりと考えられています。脳は汎用コンピュータではなく、脳全体に専用回路が配置され並列処理を行っているというのです。この回路網が無意識レベルで様々な処理を並列で行っているのですが、それを統括している「本部」は存在しないのです。

並列分散型のシステムから生まれる行動・情動・思考に理由付けを行う「インタープリター」と呼ばれる機能の存在が確認されたのです。ちなみにこのインタプリターは左半球に存在します。インタープリターが私たちの記憶、知覚、行動とその関係についての説明を考え出しているのです。仮説を立てようとするその衝動が人間の様々な信念を生み出す原動力となっているのです。

つまり、脳が精神を存在させ、機能させているというのが最新の知見であり、「わたし」とは並列分散処理を行う脳なのです。「わたし」自身とは脳のインタープリターモジュールが紡ぎだしたストーリーなのです。

では、この事実は「自由意志なんてない」と説く決定論者の勝利を意味するのでしょうか?

脳は一つだけでは社会的なやり取りはできません。二つ以上の脳がかかわると、そこに予測のつかないことが起こり、存在しなかった規則が定まります。この規則に従って獲得された性質が責任感であり自由なのです。そのどちらも脳の中には見つかりません。

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紙の本

犯罪はなぜくり返されるのか 社会復帰を支える制度と人びと

文字通り「社会復帰を支える制度と人々」のお話

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子どもの貧困撲滅のような論点と異なり、「再犯防止」となると否定的な方も多いんじゃないかと思うのです。

なんで犯罪者の社会復帰なんて必要なんだと。

ですが、犯罪を犯した人間が社会で居場所がなく、職もない状態で再び犯罪を犯すことが社会全体にとってどれだけマイナスかということを考えた方がいいんだろうなと思うわけです。本書によれば犯罪者の再犯防止には職と居場所の双方がとても大事なのだということが理解できます。

ということで文字通り本書は犯罪者の「社会復帰を支える制度と人々」についての論考となります。著者は犯罪学の泰斗であり、様々な制度設計、政策に深くかかわってきた方。データと幅広い知見に基づいており大いに説得力があると同時に世界と日本の潮流がよくわかる良書です。

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紙の本

言葉の贈り物

紙の本言葉の贈り物

2018/07/01 20:08

言葉への信頼

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人間を人間たらしめる源泉としての言葉への全面的な信頼、あるいは限りない愛を表明した本である。それは同時に、相手が人間かどうかを問わない他者への愛がある。そういった想いをこれでもかというほどに畳みかけてくる24編のエッセイ。

何がすごいって、久しぶりに読書をしている電車内で泣いてしまった点。

著者の父親は本を読むことだけでなく買うことに情熱を持ち続けた人であった。晩年目が悪くなり活字を追えなくなってもなお毎月数万円の本を買い続けた。裕福なわけではない。著者を含めた三人の子どもが毎月仕送りをしていたくらいだ。だが、どんな言葉も彼を説得できなかった。

そのことを会社の同僚に愚痴った著者だが、その同僚から「読めない本は、読める本より大事なのかもしれない」と言われ衝撃を受ける。読書観ばかりか世にある物との関係にも大きな変化をもたらすことになったという。

著者はいう、「本を読むことの楽しみだけでなく、書物の奥には人生の多くの時を費やしても決して後悔しない豊穣な世界が広がっていることも、私は父から教わった。」「本は読むだけでなくそれを眺め、手にふれ、あるいは心に思い浮かべるだけでも十分な何かであることも教わっていた」と。

そう、そうなんだよなと。書物の中というのか書物の向こうというのか、そこには私が決して見たり知ったり感じたりすることのできなかったり、自分の見聞・見識を広げてくれる広大な世界が広がっている。実際に体験することは無くとも、その世界の広がりを想像するだけで心の底からワクワクする。

自宅の居住スペースを圧迫してまで本を買い続ける私の振る舞い。それは家族を筆頭に誰にも理解できないことだろうという諦めとともに生きてきた。だが、そんな私を肯定してくれる考えに出合ったよろこび。そう、これが読書の醍醐味ということ。

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紙の本

一発屋芸人列伝

紙の本一発屋芸人列伝

2018/07/01 20:05

そう、人生は続いている

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各所で話題になっていたので買ってみる。この手の話題本は、自分の人生において前向きになれるようなものしか読みたくないとおもっていたので、しばらく様子見でいたのだが結局購入。まあ期待にたがわない良書であった。

本書で言う「一発屋」というのは、一発当てたけれどもそのあと失速してそれきり、ということではなく、「一発屋という肩書」で商売を続けている芸人である。一瞬スポットライトを浴びてその直後にエンドロールが流れてあとは忘れられるという刹那な存在ではない。あるいは失意のうちに芸能界を去っていった落伍者の物語でもない。そうではなくて「どっこいオイラは生きている」ということ、言い換えれば帯に書かれたように「それでも人生は続く」ということ。

「一発屋芸人」たちが当てたその後に、不器用でありながらも決してくじけずに努力している様を描いた本書は、気持ちが弱っているときに読み直す価値がある本だと思う。

(ハローケイスケだけは今後が心配、、、)

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紙の本

ヨーロッパ覇権史

紙の本ヨーロッパ覇権史

2017/10/25 14:41

玉木史観を理解するのにいい本

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ヨーロッパが世界に対して影響を継続的に持てるようになったのはせいぜい19世紀になってから。その影響力をもたらしたきっかけは、15世紀にはじまる火器の導入による戦術の大変化をもたらした「軍事革命」。

そして影響力を持続させられるようになったのはヨーロッパが「近代世界システム」を完成させたから、というもの。その中でヨーロッパが大西洋を経済的な支配下に置く課程が重要でそれには実に長い時間がかかったが、それを成し遂げたことがヨーロッパ(特にイギリス)が世界の覇権を握らせたというもの。

その中でも、オランダを乗り越えてどうしてイギリスがヘゲモニー国家となったかについて詳述されている点が本書のキモ。

ウォーラーステインとブローデルを批判的に継承・再解釈した玉木史観とでもいうものをなんとなく理解できたような気になる本。この後に同じく玉木先生の「海洋帝国興隆史」を読んでいるところ。

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紙の本

シベリア出兵 近代日本の忘れられた七年戦争

シベリア出兵100年を前に繰り返し読みたい良書

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ロシア革命を勉強すると避けられないのがシベリア出兵。といつつ私にとってはせいぜい米騒動で出てきた記憶程度のもの。あまりに知識がないのでいろいろ本を探したのですが、意外にも新書レベルはおろか研究書も現代のものがほぼ見当たらないということに気が付きました。そんな中で本書は2016年の刊行ということで読んでみました。

なるほど、もともと何も知らないに等しかったので本書の内容はどれも大変に新鮮なものばかりでした。ほぼすべてのページに付箋がついてしまいました。

最大の収穫は、日本では対ソ戦というとシベリア抑留に言及されることが多く、しかもそれは日本人にとって悲劇として描かれるわけですが、ソ連(ロシア)では研究者以外にシベリア抑留に言及するケースは皆無で、逆にシベリア出兵は日本の軍国主義の象徴として今でも歴史書・教科書に取り上げられているという点です。

本書を読む限りではまさしく日本のやったことは侵略に間違いはないんだろうなあという感想を抱きます。そして本書が素晴らしいのは、そもそもなぜこれほどの長きにわたって撤兵ができなかったのかという点について言及がされている点です。

なお、多くの犠牲を払って得るものが無かったシベリア出兵。もともと英仏が第一次大戦でドイツに対抗するために思いついた補助的な作戦に過ぎなかったはずなのに、なぜこの戦争は7年の長きにわたって続いたのか。著者によれば以下の通りです。

・統帥権の独立により軍に対して政府は命令できなかった。参謀本部の権力は絶大であっただけでなくその背後にいた元老山形有朋の権力は絶大であった。
・派兵は戦争ではないという建前なので講和条約を結ぶこともできない。というよりそもそも日本はソヴィエト政府を国家として認めていないので交渉の相手がいなかった。
・山形だけでなく原内閣も北満州や北サハリンでの利権獲得に執着していた。しかも出征して亡くなった兵士の死を無駄にできないという心情も作用した。

というもの。「広大な空間を舞台に神出鬼没の非正規軍に悩まされる」「その敵とつながっているとみなした現地の住民を敵視し、討伐し、結果的に四方を敵に回し兵士も疲弊する」という状況はまさに日中戦争で繰り返されました。これらの教訓が全く生かされなかったことが日中戦争での悲劇につながったという著者の分析は大いに首肯するところです。

著者が強調するように、多くの日本人にとって印象が薄いシベリア出兵。2018年はその100周年に当たります。日本人はこの戦争をもう少ししっかりと総括するべきではないかという思いを強くしました。本書は繰り返し読むべき本とします。

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紙の本

外来種は本当に悪者か? 新しい野生THE NEW WILD

「生態系は完成された隙の無いもの」というイデオロギーに一石を投じる

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侵入生物学という学問分野があります。
生態系は一つの場所でともに進化してきた動植物の緊密な連合体だという考えをもとにしています。生態系は順調に動いている機械のようなもので、在来種だけで完成された状態にあるから侵入者が入り込む余地はない、と説きます。

さかのぼれば19世紀の植物学者フレデリック・クレメンツは、植物は群落をつくることで平衡に達すると考えました。これは今で言う生態系です。世界の気候帯はそれぞれに恒久的な植物群落が出来上がっていて、それを「極相」と名付けました。平衡状態が崩れると「遷移」を通じてかつての安定した状態を取り戻そうとするというものです。

20世紀に入るとクレメンツの考えは生態系の概念へと発展します。部分の総和よりも全体が大きくなる植物共同体であり、多数の個体が集まって一つの個体のようなふるまいを見せる「スーパーオーガニズム」だと規定されます。さらにそれが進んで、熱帯雨林は単なる樹木の集合体ではなく、システムとして機能しているという発想や、さらには地球全体が生態系の集まりだとする「バイオスフィア」論も出てきます。ジェームズ・ラブロックはバイオスフィア自体が一つの生命体だととらえ「ガイア」と命名しました。

さて、侵入生物学はこの四半世紀で学問分野として確立しました。ですがその狭量な姿勢に批判の声も高まっています。中でも問題視されているのは「外来種は悪者」という前提から出発しその見立てにあうテーマしか取り上げない、しかも引用の誤り、局所から地球全体への無茶な飛躍などがこれでもかと出ている点です。著者は実際に影響力のある学者の論文を丹念に調べ、あいまいな点は著者自身はあるいは引用元の原典に当たってそれらの嘘や誇張を明らかにしているのです。さらには新たな、あるいは古くからあっても無視されてきた研究を丁寧に紹介してもいます。

外来種は在来種を押しやると批判されますが、実際には在来種の減少でできた隙間にうまくはまっただけ、という場合の方が圧倒的に多いのです。それどころか外来種が生物多様性を高めていたケースの方が多かったのです。

このような事例がこれでもかと挙げられています。つまり、「自然は壊れやすく一度変化した生態系は二度と戻らない」という信念を揺るがすものばかりです。著者が挙げる事例を見れば、自然が一定の状態を続けることはなく、ダイナミクスこそ重要だということが分かります。

生物の活動単位は「個体」単位であり、自らの遺伝子や生理機能にしがって生命活動を営んでいるだけであり、より高次の目的とかスーパーオーガニズムなるものに制約されることはない、排他的で独立した群落をつくるために関係を結ぶわけでなない、という考え方も出てきています。偶然の出会いの積み重ねが複雑な生命相を形成したのであって、生態系で起きているのは共進化よりもむしろこういった「エコロジカルフィッティング」だというものです。

ということで、「外来種は何が何でも排除せよ」という自然保護論に対して当の生態学から寄せられる異論を丁寧に紹介することで一石を投じる本です。巻末に岸由二先生が解説を寄せていますが、この「旧来の自然保護論」に対してきわめて厳しい口調で批判をしておられます。ご自身の体験を踏まえたその論説は、本書の主張を大いに補強するのではないでしょうか。私も岸先生が批判的な解説をしていたことから本書に俄然興味を持った次第です。そうでなければ手にしなかった可能性が大です。

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紙の本

功利主義入門 はじめての倫理学

文字通り功利主義を学び始めるのに最適の書

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デイヴィッド・エドモンズの「「太った男を殺しますか? 「トロリー問題」が教えてくれること」の次に読みました。

「トロリオロジー」では功利主義を理解していることが必要ということでベンサムを読む前に予習。

功利主義は18世紀の哲学者ベンサムが定式化した倫理思想のこと。何かをなすときに指針となるのは「功利性の指針」をおいてほかにないと説きます。分かりやすく言えば「最大多数の最大幸福」を指針として行動せよ、ということです。

この場合の「功利性」とは人がなすべきことは社会全体の幸福を増やすことであり、社会全体の幸福を減らす行為は不正な行為ということ。「共感・反感の原則」とは、正しい行為とは自分が気に入った行為のことで、不正な行為とは自分が気に入らない行為のこととする考え方。

ベンサムによれば彼以前のほとんどの哲学者の考えがそうです。彼らは自分の考えをもっともらしく見せるために「自然の法」とか「良心」とか「永遠不変の真理」とか言う言葉を持ち出したのです。でも結局多数派が少数派に、権力者が社会的弱者に自分たちの考えを無理やり押し付けることになるとベンサムは批判しました。

そして功利主義では一個人の幸福を最大化することを考えるのではなく、人々の幸福を足し算して最大になるように努める必要があります。つまり利己主義ではないし、一人を一人として数えるという公平性の配慮が働きます。

功利主義への批判として、一例ですが次のようなケースがあります。火事の建物に二人が閉じ込められている。一人は大作家で、もう一人は主婦である自分の母親というものです。この場合功利主義者は迷わず大作家を助けるべしとします。ですがこの点が批判を受けるわけです。ですが、このような原理主義の功利主義者は現代では少数派となっています。

現代の功利主義者は年がら年中功利主義を振りかざしているのではなく、「約束を守る」「家族や友人を大事にする」などの道徳的義務や規則に従って行為することを勧めます。例えば家族を大事にする人は家族以外の身近な人をより幸福にできて功利主義的にも望ましい、とするのです。常識的な規則や義務が功利主義的に見て一部の人を不公平に扱っていると思われる場合の判断基準として機能させるわけです。

ややもすれば「最大多数の最大幸福」というスローガンは「少数派の犠牲の上に多数派が幸福になるための思想」と理解されがちです。ですが、そもそもベンサムが功利主義を唱えたのは産業革命が進行中で、既得権を守ろうとする上流階級がそれ以外の階級を虐げていると考えたからです。

政策決定において無視された労働者や女性などの社会的弱者の幸福も等しく考慮に入れるべきという立場だった点を忘れてはなりません。
ということで、功利主義についての現代的知見というか現在の地図を理解したくて読んだのですが、実にわかりやすく入門書としては大変に優れた本でした。

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紙の本

刑事司法における薬物処遇の社会学 「犯罪者/アディクト」と薬物の統治

薬物依存は犯罪であると同時に病気ということ

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本書でのカギとなる概念が「犯罪者/アディクト(criminal addict)」。訳者の解題によれば、犯罪として処罰されると同時に病気として治療の対象となる概念(本書では「アイデンティティ」と呼ばれる)。日本では「ダメ。ゼッタイ」という標語に代表されるように薬物使用は犯罪だが、近年では「依存」「アディクション」といった「病気」として治療の必要性が認識されている。

また、欧米諸国では「ハーム・リダクション」といった薬物使用の根絶を目指すのではなく、薬物使用によるリスクを低減することを目指す政策に関心が集まっている。本書の舞台カナダでは戦後一貫して薬物使用者は犯罪者であると同時にアディクトとして扱われてきた。

著者の立場は批判的犯罪学という社会学的な視点に立つ犯罪学なのだが、日本では知られていないアプローチである。だが、ここで用いられている分析方法はフーコーだとかラトゥールだとかゴフマンといった現代思想・哲学、社会学、法学などの理論的枠組みを駆使したもの。これらは社会学・社会理論の最前線のものであり、そういった方面に関心があれば十分に愉しめるはず(私には難しすぎた)。

「犯罪者/アディクト」は戦後福祉国家の刑罰システムの中で生まれた。医療モデルに基づき、薬物使用者は真人間に生まれ変わるべく、科学的処遇による全人格的(ホリスティック)な介入を受けたが、そうした介入を正当化したのが「犯罪者/アディクト」概念。

こうした福祉国家的心性は80年代以降新自由主義的なそれに取って代わられたが、「犯罪者/アディクト」概念は廃れることはなかった。「変容のプロジェクト」と呼ばれた更生支援は認知行動療法に代表されるように再犯リスクの回避にターゲットを置いたスキルトレーニングのようなものだった。

「犯罪者/アディクト」はドラッグコートや保護観察などの社会内処遇のように、刑務所や病院などの収監施設への収容が治療目的で行われる。こういった治療であると同時に刑罰である処遇を引き受ける形象が「犯罪者/アディクト」なのだ。そしていうまでもなく統治上の客体であるだけでなく主体でもあるのだが。

アメリカでは「ドラッグ戦争」という言葉があるように、薬物事犯に対する厳罰化が進んだが、カナダではそういった動きは生じなかった。それは「変容のプロジェクト」が時代を超えて生き残ったからなのだ。

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