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  3. 多摩のおじさんさんのレビュー一覧

多摩のおじさんさんのレビュー一覧

投稿者:多摩のおじさん

90 件中 1 件~ 15 件を表示

親鸞「四つの謎」を解く

2019/03/25 17:45

著者の挙げる「四つの謎」を通して親鸞や浄土真宗を判り易く読み進むことができました

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1月に亡くなられた著者の「隠された十字架 法隆寺論」で今までとは異なった古代史論に出会って以来、すっかり魅了されてしまい、
同書の影響で古代史に限らず、藤原氏が活躍した奈良、平安時代、そして武士の台頭した鎌倉、室町時代等と幅広く歴史の裏側
に興味を持つようなり、また以前に司馬 遼太郎氏の「空海の風景」を読んだことから、空海の持つ不思議な魅力に少しでも迫りたいと
著者の「空海の思想について」を手に取り、少しは理解できたものの、その難解さは拭いきれなかったのに比べ、本書は著者の挙げる
「四つの謎」の概説がはじめにあり、それを読み解くかたちで展開されていること、また人間味ある親鸞やその一族~例えば、覚如と存覚
の親子関係、親鸞と妻の九条兼実の娘である「玉日」や、越後に所領を持っていた在京の豪族三善為教の娘である「恵信尼」~と、
時代背景こそ違え、ごく普通の家族にある身近さが伝わり、判り易く読み進むことができたと思います。

著者の挙げる「四つの謎」~僅か9才で出家した謎(兄弟皆が出家も含む)、浄土宗の法然門下に入門した謎、結婚の謎、悪の自覚
の謎~を通して、門外漢の私でも親鸞やその一族がどのように浄土真宗を必死に守り、伝えたのかが、「隠された十字架 法隆寺論」
と共通する著者の固定観念のない探究姿勢で良く判りました。
勿論、推測の域もあるとはいえ、様々な可能性から真実に如何にせまるか、執筆時に親鸞と同じ90才を迎えられてもそのバイタリティは
変わっていないことにも改めて感動しました。

先日、京都へ出張で訪れた際に、時間の合間を縫って東本願寺を訪れ、親鸞がその昔にどのような思いで浄土真宗を築かれたのか
僅かな時間でしたが思いを馳せられたのも本書と出会えた縁でしょうか・・・
次回は西本願寺も訪れたいですね。

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古事記 現代語訳付き 新版

2019/12/03 18:35

目から鱗の巻末の解説をはじめ、現代語訳を該当の注釈付きの読訓文、本文を照らし合わせながら読み進む楽しみに浸っています

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今年1月に亡くなられ法隆寺の建造目的が聖徳太子の怨霊鎮魂として古代史に新たな一石を投じ、また私自身の古代史に興味を持つきっ
かけとなった「隠された十字架 法隆寺論」の著者梅原 猛氏の「古事記 増補新版」を読み、また三浦 佑之氏の「古事記を読みなおす」を読み
太安万呂の「序」を含む全文の読訓文と現代語訳に触れてみたくなり、本書を手にしてみました。

本書は「アプリで立ち読み」で内容確認が可能で、購入前に確認できるのは助かりました。
ただ、各見出し毎に読訓文、現代語訳、本文の構成となっていたのですが、実際は全文の読訓文、現代語訳、本文の構成となっていたものの
目次で各見出し毎に読訓文、現代語訳、本文の該当頁(本文には該当行も併記)が明記され、逆に判り易くなっており、特に本文(漢字による
原文)が区切りない表記となっていることは新たな発見でした。

更に、読訓文にある注記や、巻末の著者による成り立ちや各天皇に関する平易な解説や、歌謡句の索引、主要語句の索引も理解を深める
意味で助かります。
特に、巻末の解説にある下記の指摘は目から鱗でした。
 ・古事記が「神代から天皇の代にかけての氏祖と後裔の関係を示す氏姓を系譜的に表記・・・序文が言う『既に正実に違い、
  多に虚偽を加う」現実を改め正した結果』や「古事記」を歴史書としない編纂意識が働いている(p.540)
 ・「古事記」の氏祖表記が小書双行形式という「日本書紀」にはない表記も氏族譜の性格を内蔵(p.544)
 ・「古事記」には天皇の正統性が描かれ、・・・それを皇別・神別などに組み込まれた氏族たちに追認と合意を要求するところに
  「古事記」の本性はある・・・「古事記」は実用のために作られた。小書二行書きの氏祖表記は氏族の提訴や請求を再審査の上、
  書き入れと削除をし易い形式(p.555)
 ・その特性が天皇の側から諸豪族の氏祖を明らかにし、天皇を幹とする系統樹に彼らを位置づけるところにあった(p.556)

加えて、解説の最後では、序文や全文を疑う「古事記」偽書説について小気味よい説明は、実に爽快です。

まだ、読み始めたばかりで全文を読み理解するには、相当の時間を要するでしょうが、現代語訳を該当の注釈付きの読訓文、本文を照らし合わせ
ながら読み進む楽しみに浸っています。

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光明皇后 平城京にかけた夢と祈り

2019/02/16 21:35

女性歴史学者としての冷静で緻密な分析で迫る姿勢は脱帽です

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今から20年以上も前に先日亡くなられた梅原 猛氏の「隠された十字架 法隆寺論で今までとは異なった古代史論や想像力溢れる
自由闊達な関 裕二氏の持論に出雲をはじめとする古代史~特に藤原氏と蘇我氏に興味を持ち続けていますが、書店で本書を手に
取ってみたのですが、そのはしがきを読み、またお二人とは異なった女性歴史学者としての視点での冷静で緻密な分析で迫る姿勢は
脱帽です。

藤原の娘でありながら、幼馴染で夫である聖武天皇を支える半面、やはり藤原の血を絶やすべく藤原仲麻呂と政治を主導する姿の
二面性が、生母である橘三千代や父である不比等との微妙な関係の中での光明皇后を様々な資料で解き明かされ、また母としての
実子の次期天皇を期待しつつ早世した基王や娘の孝謙天皇への思いが、女性の目を通して描かれています。
その中で三つの顔を持つ阿修羅像を自身が生んだ基王と娘の孝謙天皇、そして県犬養の出である広刀自と夫・聖武天皇との間に生
まれた安積親王の比定(p.113~114)では、像が安置されている興福寺・西金堂に関わり光明皇后に「金光明最勝王経」を教導
した道慈との関係からの著者の鋭い洞察力には唸らされました。

「あとがき」にある「従来には試みられなかった視点から切り込んだこともあって、通説とはまったく別の光明子像」とあるように特に、最終
章の専横を極める藤原仲麻呂と、夫・聖武天皇の思いを一身に正統な後継者と自負する娘・孝謙天皇との対立を描く「娘への遺言」
では、夭逝した基王の母親・光明皇后からすれば夫の血を引く安積親王の死を境に仲麻呂の起用(p.228)は、読んでいても何故と
思わせる内容でしたが、それまでの仲麻呂への信頼((p.233)と人の心を巧みに捉える仲麻呂が影響したと判り、とは言え必死に娘と
二人で夫の思いを繋げようとする姿を決して感情的でない著者の冷静な資料の分析で逆に鮮明に、また辛いほど伝わってきました。

特に、孝謙天皇の必死な抵抗~仲麻呂が推した淳仁天皇での改元の拒否(p.248)、淳仁天皇の父への舎人親王への尊称拒否と
光明皇后の諭し(p.250~252)~また、淳仁天皇の「前聖武天皇の皇太子」の公言に対し、その半年後に草壁皇子から聖武天皇に
繋がる「黒作懸佩刀」を聖武天皇で打ち切りることで、淳仁天皇にはおろか娘・孝謙天皇にも継がせまいと「国家珍宝帳」から除物した
光明皇后の信念の強さと、これと同じように除物された陽宝剣と陰宝剣が大仏の足元から発見されたこと(p.260)で、その事実が明らか
となったことには驚かせられました。

そのような中で、「続日本紀」の737年の皇后宮での父・不比等の娘で夫の聖武天皇の生母である宮子の奇跡的回復と、聖武天皇と
の36年ぶりに再開(p.9)では、聖武天皇が生まれ以来母の顔を見ずに育ったことへの不思議さは示すものの、これを境に聖武天皇が
反藤原へと変わったとされることへの言及がなかったのは少し残念でしたが・・・

巻末の略年譜は光明皇后の理解を深めるにあたり俯瞰でき、大変助かりました。
ただ、理解を深めるために、それに加えて巻末の索引や、目次にも小見出しの表記があると更に助かりますね。

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解説出雲国風土記

2019/02/01 22:54

古代出雲を知る格好のムック本です

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今から20年以上も前に先日亡くなられた梅原 猛氏の「隠された十字架 法隆寺論で今までとは異なった古代史論や想像力溢れる
自由闊達な関 裕二氏の持論に出雲をはじめとする古代史に魅了されて以来、出雲に対する思いは益々増すばかりで、3年前には
家族揃って、そして昨年末は一人で再び出雲を訪れましたが、その時も本書が役立ちました。

「出雲風土記」を構成する九郡について、文章と様々な遺跡や神社、風景の写真、また地図で判り易く解説され、また各郡の最終に
あるコラムも本文とは違った視点で古の出雲に迫るもので、飽きさせない内容です。
巻末の用語解説や参考文献の記載も助かります。
編集されている「島根県古代文化センター」の真摯な研究成果が盛り沢山です。

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出雲と大和 古代国家の原像をたずねて

2018/12/31 20:39

著者の熱意に脱帽

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書を手に取ったのは、「出雲神話」と「出雲国造家」に興味があったからでしたが、目次を
みて大和王権と「邪馬台国」の関係までに言及しているには以外で、どなたかも言われていま
したが、確かに「あとがき」から読みはじめると、その謎は解消してしまいました。
特に、「神武東征説話」と向き合うとして「邪馬台国」の「四官」体制からその所在を奈良盆地
中央部で物部氏、鴨氏、大神氏という出雲系氏族に比定するあたり(pp.85 -89、pp.104-116)は、
推理小説を読んでいるかのようで、これまでの古代史本にはない小気味よさには圧巻でした。
それは本書出版時には83才となる著者のその永年の地道で、かつパワフルな情報収集活動に
基づく文章が、上記のように読者を引き込む所以ではないでしょうか。
また、古代史の場合には、既出箇所の引用や繰り返しが多くなるため、理解する上で巻末の索引は
有難いですね。

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「昭和天皇実録」を読む

2020/09/12 22:11

「昭和天皇実録」を昭和天皇と母の貞明皇后との確執・緊張関係を基本に時代の流れと共に丁寧に追っています

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

コロナ禍のホームステイ中に出会った著者の「松本清張の「遺言」 『昭和史発掘』『神々の乱心』を読み解く」を切っ掛けに、
松本清張の「神々の乱心」、「昭和史発掘」を読み進むにつれ、昭和史、特に昭和天皇と軍部との関わりと揺れ動く社会
情勢にすっかり嵌ってしまいました。

同時期に読んだ半藤氏らの共著「昭和天皇実録」の謎を解く」が、題名の如く「昭和天皇実録」への「動的」な迫り方に対し
本書は対照的な「静的」で幼少期から晩年までの各時代に沿ったオーソドックスな迫り方ですが、上記の著書で示していた
昭和天皇と母の貞明皇后との確執・緊張関係という対比する構成が、序論「神」と「人間」の間、明治時代の第1講 幼少
期の家庭環境、大正時代の第2講 「和風」と「洋風」のはざまで、昭和戦前・戦中期の第3講 実母との確執、占領期の第
4講 退位か改宗か、そして最終講 象徴天皇制の定着に続いています。
なお、本書は2014年の4回に亘る「『昭和天皇実録』を読む」と題した講演内容がもとになっており、各テーマの直後には関
連の人名、語句等の解説がつき工夫がされています。

冒頭の序論では上記の半藤氏らの共著でもそこまでの明言が無かった「昭和天皇実録」が後世の回想に依拠した戦争責
任がないというスタンスから退位も考えたこともないという最大の課題が、初めて公開された御告文でその矛盾が露わになった
指摘から始まり、母の貞明皇后、明治天皇の皇后や大正天皇や明治天皇の生母、そして父の大正天皇の四人の妹と実
に多くの女性近親者に囲まれて育った幼少期の沼津御用邸での経験や、天皇の宗教観に影響した幼少期からキリスト教
に深く影響を受けた女性との接触、1921年の訪欧を機に西洋風ライフスタイルの変更を契機とした母の貞明皇后との確執
の指摘と必読の序文となっています。
同じ「昭和天皇実録」が読み手の関心事の違い、アプローチの違いで、こうも違うという面白さもあります。

これらに加え、新たな数々の発見があります。
・1921年9月の訪欧での僅か20分の会談でローマ法王から「日本の国体を変更することなく、将来日本帝国とカトリック教
 会の提携して進むことも」の暗示(p.62-64)
・戦争終結にローマ法王庁仲介を開戦時の1941年10月、翌年シンガポール陥落と日本軍が快進の2月にも考えていた
 (p.126,131-132)
・1921年11月の大正天皇の引退で摂政となった翌年11月23日の新嘗祭を行わず20日から香川、愛媛、高知等を視
 察し23日は松山にてビリヤードに興じ、12月4日に帰京後、麻疹となり1923年1月19日に全快も皇族の死が相次ぐ
 不吉なことが連続し、同年4月の台湾行啓の報告後に皇后から11月の新嘗祭を行うことを皇太子の結婚の条件と
 皇后の不興を買う(p.62-72)
・1922年3月皇太后の神功皇后を祀る香椎宮への参拝と瀬戸内の軍艦での航海、1924年1月からの法学者・筧克彦
 からの「神ながらの道」の受講と「神ながら皇国運動」という奇妙な体操(p.72-73)
・1926年12月の皇位継承後の政治への関心(小選挙区制と無産政党、満州某重大事件で田中義一への叱責)(p.96-98)
・254日ぶりの1945年6月14日の皇太后との再会前は嘔吐するほど緊張し、さらに軽井沢疎開を拒絶され翌日まで
 寝込み、その後の6月22日の御前会議では戦争の終結を見失ってはいけないと戦争継続からの転回(p.143-145)
・同年7月25日の木戸内大臣からの皇太后の本土決戦に惑わされぬよう進言で三種の神器の護持の記述が実録にない
 (p.148-149)
・皇后とゆかりの宇佐神宮、香椎宮、大宮氷川神社への立続けの敵国撃破の祈りの勅使参向 (p.150-153)

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松本清張の「遺言」 『昭和史発掘』『神々の乱心』を読み解く

2020/08/16 16:17

「『神々の乱心』を読み解く」での鋭い考察に脱帽です

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

このコロナ禍でステイ・ホームで家で籠る日々が続く中、某テレビで著者がゲストで「100分de
名著・松本清張スペシャル 昭和とは何だったか」で松本清張の代表作「点と線」、「砂の器」、
「昭和史発掘」、「神々の乱心」を紹介していた中で、偶然に最終回で取り上げた遺作となった
小説「神々の乱心」を視聴し、その主題と構想の偉大さにすっかり魅了され、本書を読む前に
まずは「神々の乱心」の上下巻を貪るように読み進みました。

やはり、それは正解でした。上記番組で大筋は理解したとしても本書で著者のこれまでの研究
の上での知見をもって読んだのでは、原書の持つ小説としての面白さも半減してしまうと思っ
たからでした。

ですから、まず原書を読んでから本書を読むことをお勧めします。

本書は「第一講『昭和史発掘』までの道のり」~「最終講 清張の遺言、予言とは何だったのか」
と清張の創作過程にも踏み込んだ内容が講義形式で書かれているため、気になった講から読むこ
ともでき、また舞台となる当時の宮城周辺、秩父、足利、満州の地図や目次と舞台、主な登場人
物、言及される重要人物や年表の掲載も理解を深める上で助かります。
特に、著者が松本清張と同じく鉄道にも詳しいことも探求の目の深さを増していると思われます。

その上で、著者の以下の鋭い指摘には、脱帽でした。
 ・清張の天皇観(p.38-39)
 ・貞明皇后の秩父から始まった戦後最初の地方視察と原書の「大宮さまは、秩父宮が
  お気に入りである。・・・引きとめて話したい。」(p.99-101)
 ・貞明皇后と昭和天皇の確執(p.66-69)
 ・「神ながらの道」と月辰会の類似点(p.69-72)
 ・貞明皇后と法華宗(p.72-76)
 ・秩父宮と二・二六事件(p.108-110)
また、未完で終わった原書に対するその後の展開を考察した最終講の3つのシナリオも著者なら
ではの読みごたえある内容です。

その反面、疑問も若干浮かびあがったことも確かです。
例えば、以下のような点です。
 ・「この章(華族の堕落)は蛇足なんです。たとえなくても、全体のストーリーはいささかも
  揺らぎません。」(p.153)は何故蛇足なのでしょうか?
  著者自身が、その後で『入江日記』を引き合いに出し、昭和後期の魔女問題や「真の道」と
  「昭和後期の皇室をも射程に入れた、非常にスケールの大きな物語なのでは」(p.154-155)
  と言及されているのですから・・・
 ・「月辰会では・・・を即位させようとする」」(p.184)は原書では、そこまでの記載は無かったと
  思うのですが・・・私の見落しでしょうか?
 ・「堀越正雄 渡良瀬遊水地に捨てられる」(p.247)は「千葉の片貝海岸」(p.189)では?
 ・「言及される重要人物」に大連阿片事件で登場する平岡定太郎(p.192-193)の記載がない
  のは何故でしょうか?

本書を読み終えて、松本清張が昭和11年に起きた二・二六事件と同時期の宮中と新興宗教が
結びついて起きた島津ハル事件や神政龍神会事件、また昭和天皇と貞明皇后の確執について、
西園寺公望の僅かな発言から昭和45年には気づいていたという著者の指摘(p.28)と清張のい
う史料の空白の部分を推理によって埋める「史眼炯々(けいけい)」の鋭さ(p.29)を改めて痛感
させられました。

一方、「特別講『昭和史発掘』を再発掘する」は、主要なテーマの概要をコンパクトにまとめられ、
膨大な「昭和史発掘」を読むに当たっては、助かる内容になっています。

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飛鳥の都

2020/02/20 16:51

シリーズ日本古代史の「ヤマト王権」に続き、飛鳥を巡る7世紀の律令体制の確立を文献、考古学資料から丁寧に迫っています

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

588年の飛鳥寺の創建開始から天武10年(681年)の転換、大宝律令完成の前年700年までを第1章「飛鳥の法王と仏法」、第2章「大化
改新」、第3章「近江令の時代」、第4章「律令体制の確立」と飛鳥を巡る7世紀の律令体制の確立を中国、朝鮮半島との外交を含め文献、
考古学資料から丁寧に追っています。「はじめに」にある飛鳥の記述は、昨年7月に訪れた飛鳥の風景が甦る思いでした。

その中で、特に首肯させられた主な点は以下が挙げられます。
 ・大后のための私部、太子のための壬生部という部民制が王族、豪族の独立割拠性を生み出した(p.15-16)
 ・父子直系こそが皇位継承の原理により継体-欽明-敏達の直系ラインに対し、竹田皇子が未成年と見られ傍系の用明天皇
  の即位、その長子の厩戸皇子の立太子、その間の中継ぎの崇峻を蘇我馬子が暗殺し、敏達大后の推古天皇即位(p.16-17)
 ・上宮王家と並ぶ非蘇我系の著者が命名の押坂王家(敏達-押坂彦人大兄皇子-舒明)の指摘(p.36-42)
 ・645年孝徳天皇による接収した飛鳥寺での僧尼に向けた蘇我氏に代わっての仏教興隆の宣告(p.47,77)
 ・中臣鎌足が飛鳥寺に資財を施し僧侶の修学援助(p.107)
 ・天智朝と天武朝前半は国政面での強い連続性あるが、天武朝を一括りして考えることは危うい(p.128-129)
 ・天智天皇の父・舒明、母・斉明の造営事業を受継ぎ押坂王家の根本寺院の百済大寺への釈迦如来の施入と
  天武天皇の同寺の高市への移設と大官大寺への寺号(p.133)
 ・天武朝の天武2年の飛鳥寺への1700戸という莫大な封戸、天武9年の金光明経の購説に見られる(p.134)
 ・天武10年代の転換(p.142-155)
  (浄御原令編纂の勅命、礼儀・言語の詔、氏上制の徹底、八色の姓、帝紀および上古の諸事を記す詔、藤原京建設)

なお古代史の場合には、本書に限らず既出箇所の引用や繰り返しが多くなる傾向ですが、引用頁や他の著者の作品の引用等の
明記や的確な小見出し、また巻末の年表、索引や系図、地図も助かりましたが、図1-7の天皇家・蘇我氏系図に押坂王家に関して
馬子の子の蝦夷、舒明の妃となった法提郎女と子の古人大兄皇子や間人皇女の記述がないのが残念でした。

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監査役監査の実務と対応 第6版

2020/01/28 12:45

会社形態別の会社機関設計のパターンに応じて必要な監査事項が把握できるように工夫され、KAM等のトピック事項も網羅

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

日本監査役協会の法律講座の講習会で数多く講演されている著者による監査役等による監査の実務の解説書で、初版より
10年を迎えたこの第6版では、序章「監査役監査の位置付け」で三様監査、内部監査との違い、会社機関設計による監査役
監査の相違を解説し、会社形態別の会社機関設計のパターンで公開会社でのA(取締役会+監査役会+会計監査人)~
非公開会社でのG(取締役会+会計監査限定監査役)の7パターンを挙げ、以下の章の各事項で該当するパターンを明示
し、自社の該当パターンに応じて必要な監査事項が把握できるように工夫され、KAM等のトピック事項も網羅されています。

第1章では、年間スケジュール・監査計画策定・期中監査・期末監査・監査報告書の作成を監査調書、監査報告書のひな型
を挙げながら詳細に解説され、はじめての監査役にも具体的なイメージも捉えるられるようになっています。
また、第2章では、定時株主総会での対応、同会終了後の監査の実務、監査役(会)の同意事項、決定事項、監査役会および
監査(等)委員会議事録、同会の開催・運営も詳述されています。

第3章では、代表取締役・内部監査部門・会計監査人との連携、内部統制システム・株主代表訴訟・コーポレートガバナンスへの
対応と監査役の責任が重要論点として詳述されています。

第4章「監査役制度」では、監査役の選任、権限、監査役会と監査役、監査委員会、監査等委員会について解説されています。

終章では監査スタッフのポイント、補章では会社法の読み解き方、さらに定時株主総会での監査役に関する想定問答や監査役
協会が公表の「監査役監査基準」「内部統制システムに係る監査の実施基準」「監査役会規則(ひな型)」までの収録されており
監査役監査に必要な実務が俯瞰できる良書です。

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建築から見た日本古代史

2020/01/19 11:23

5年をかけ建築家らしい緻密で説得力ある分析による日本古代史の俯瞰に脱帽です

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著者とは「伊勢神宮と天皇の謎」、「伊勢神宮の謎を解く アマテラスと天皇の「発明」」、 「法隆寺の謎を解く」に続いての4冊目
ですが、概要にあるように建築家からみた552年の仏教公伝から690年の持統天皇の即位と伊勢神宮初の式年遷宮、神明造
りの誕生と藤原京建設までの1世紀半を歴史文献のみならず政治的言語と捉えた古墳を含む建築物を通して古代史を追う
もので、前書同様に興味深く読み進みました。

著者は古代史の歴史背景に大きな影響のある「日本書記」の天皇という用語を神武から一貫して使う編纂時の強い政治的主張
(p.230)であり、同書の編纂過程と国の骨格が定まる過程がパラレルで進行し編纂者の政治的意図の入込む余地と大幅な変更
の跡が見られるとし編纂時の天武、持統朝の意図がどこにあったのかを十分留意して接する必要性(p.231)を主張し、5年をかけ
建築家らしい緻密で説得力ある分析による日本古代史の俯瞰には脱帽で、これまでの梅原 猛氏や井沢 元彦氏、関 裕二氏から
得た古代史観が改めて裏付けられた印象です。特に、終盤の日本書記編纂を命じた天武の年齢不詳の記述は天武を皇極の高
向王との子漢王で異父兄の天武という異常を隠すためとする納得いく推論や、持統の父天智との境遇の一方で、その強靭な意思
には驚嘆させられました。

本書は、天皇制国家「日本」に至る上記1世紀半を開化、胎動、誕生の3段階に区切り、大王家と蘇我氏の系図と各冒頭には
扱う事項を網羅した年表と概要が配され本文と照らし合わせながら読み進められ、特に「法隆寺の謎を解く」では理論展開の一部
に根拠の言及がなく飛躍過ぎの感が拭えなかった法隆寺も天智天皇と上宮王家との関わりを含め無理のない展開です。

【新たに首肯させられた主な事項】
・蘇我物部戦争後、蘇我氏が主導を握り、蘇我氏勢力圏(飛鳥)に造成の蝦夷の当初の古墳(丸山古墳)と欽明陵の梅山古墳の
 2つの前方後円墳を最後に途絶え初の仏教伽藍(飛鳥寺)と方墳の併存(p.58)、初の方墳は用明陵(春日山古墳)(p.64,79)
・欽明陵の方墳を最後に皇極による舒明陵改葬~文武天皇までは八方墳(p.169,329,389)
・舒明による初の官寺(百済大寺)は大陸にない伽藍配置の現・法隆寺の原型を創造(p.161)
・皇極による舒明の宮(飛鳥岡本宮)跡の正方位の飛鳥板葺宮は王宮建築の伝統と歴代遷宮の変容(p.171,173-174)
・非蘇我系の舒明系譜の皇極は蝦夷、入鹿による古人大兄後継に不安と危機を感じ弟・孝徳と入鹿殺害を企てたか(p.183)
・孝徳の難波宮は日本書記に天宮(道教施設・道観)とあり、道教施設・八角円堂と儒教的空間を持ち、道教的霊力の雨乞い
 (四方拝)をした皇極の影響か(p.197)
・壬申の乱を暴力革命と認めると天孫降臨も万世一系も成り立たず、必然として描く日本書記(p.288)
・母斉明「皇祖母尊」に連なる天皇であることを母の後岡本宮を再利用した飛鳥浄御原宮とし即位の正当を可視化した天武(p.296-297)
・恒久の宮建設は遷宮による権威の蘇生を失い式年遷宮がこれを補う(p.331)
・飛鳥浄御原令による皇祖に裏付けられた天皇と直系皇子の制度化で万世一系的天皇が安定(p.353)
・697年飛鳥浄御原宮での文武即位は持統との連続性と天武遺児への封じ込め(p.378)
・万世一系は生前退位から生まれた歴史的事実(p.391)

なお、p.117で601年から「斑鳩寺建設は筋違道と一体のもの」と言いつつ、608年裴世清の来訪時に飛鳥川を上った事を引用し
p.119で同道が未だ無かったと矛盾した記述、また古代史では本書に限らず既出箇所の引用が多くなるため索引が無かったのは
残念でした。

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飛鳥の木簡 古代史の新たな解明

2019/08/24 13:09

著者の奈良文化財研究所での7年に亘る貴重な飛鳥の木簡整理の経験から古代史の生々しい検証に立ち会えます

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今年1月に亡くなられた梅原 猛氏の「隠された十字架 法隆寺論」や、関 裕二氏の今から20年以上も前から想像力溢れる自由闊達な今まで
とは異なった古代史論に魅了され、すっかり古代史に嵌ってしまいましたが、本書は著者の7年に亘る貴重な木簡整理の経験を通して得た飛鳥を
中心に出土した木簡から古代史の検証や裏付け、また新たな発見と古代史の生々しい検証に立ち会えます。

本書は、序章「1300年の時を超えて」、第1章「日本最古の木簡」、第2章「大化改新はあったのか」、第3章「天武天皇と持統天皇の王宮」、
第4章「飛鳥の総合工房」、第5章「飛鳥寺の多彩な活動-日本最古の寺院の姿」、第6章「大化改新はあったのか」、第7章「日本古代国家の
転換点-大宝律制定の波紋」、終章「飛鳥の木簡の意義」からなり、まるで一緒に調査しているようで、飛鳥の木簡の魅力が溢れています。

特に、7月初旬に初めて訪れた「飛鳥寺」や「橘寺」の周辺の「水落遺跡」、「石神遺跡」、「飛鳥池遺跡」、「飛鳥浄御原宮(伝飛鳥板葺宮)跡」、
「甘樫丘東麓遺跡」、「飛鳥京跡苑池遺構」からの木簡の記述には、飛鳥の人々の息遣いが伝わり感慨深いものがありました。

各章の終わりの「コラム」は著者の経験談をもとに様々なエピソード(石神遺跡からの定木、万葉歌を刻んだ木簡等)が語られ、章内とは違った角度
からの木簡や調査、研究作業の一面が伺え、より木簡に対する親しみが湧いてきます。

また、巻頭の出土の木簡写真、飛鳥周辺の地図および遺跡、宮図や巻末の年表は理解するうえで助かりました。
なお、古代史の場合には、本書に限らず既出箇所の引用や繰り返しが多くなる傾向があるため、索引が付いていると更に良かったですね。

以下に、主な首肯させられた点を記載します。
(序章)
  ・木簡を通じて飛鳥時代の人々に出会う~皇子「大友」、「大津皇」、藤原不比等を示す「右大殿」、蘇我蝦夷の「宗部毛人」等(p.87)
(第1章)
  ・年紀が書かれた日本最古の木簡(難波宮跡からの648(戊申)年(p.87)
  ・考古学的に見た640年代の「日本最古級の木簡」(山田寺下層溝、石神遺跡下層、飛鳥池遺跡下層等)(p.35)
  ・朝鮮半島系の文字「畠」「椋」の記載の木簡(p.87)
  ・672年壬申の乱以前に対し、672~694年の天武、持統天皇時代、持統、文武、元明天皇時代の木簡の急増(p.87)
(第2章)
  ・646年「改新の詔」の「郡」「里」「養」は当時は使用されず、大宝令の知識による潤色を木簡から検証(p.49-77)
(第3章)
  ・石神遺跡からの日本最古689年3、4月の暦(吉凶や月の満ち欠けを示す具注暦)木簡の著者と竹内氏による解読(p.79-86)
  ・斉明天皇時代の饗宴施設から天武天皇時代に官衙に変わった石神遺跡(p.102)と飛鳥京跡苑池遺構(離宮)の白錦後苑(p.105)
(第4章)
  ・乙巳の変後に天皇直属の工房となった飛鳥池遺跡南地区(p.134)からの葛城系工人の木簡(p.131-132)
(第5章)
  ・飛鳥池遺跡北地区からの飛鳥寺の東南禅院に関する木簡や漢詩、和歌の木簡(p.141-160)
(第6章)
  ・藤原京の運河からの天武朝末期頃の木簡で684年「京師に行幸し宮室の地定める」が藤原京を示す(p.166-167)
  ・大極殿、調堂院地区からの木簡で同地区が703年完成で694年遷都時は未完(p.168-170)
  ・呪い記号のある呪符木簡や典薬寮関係の木簡や呪禁師が使用(?)の人形(p.192-203)
(第7章)
  ・701年施行の大宝令の新位階の木簡、宮外への物品搬出時の門ぼう木簡とその表記の簡略化(p.210-224)
  ・画期としての701年と702年の持統太上天皇の死去で飛鳥時代の終焉(p.224-239)

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逆説の日本史 2 古代怨霊編

2019/08/22 14:43

逆説の日本史シリーズのテーマで聖徳太子から平城京にわたり冷静、時に熱く「史料至上主義」に対し迫っています

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今年1月に亡くなられた梅原 猛氏の「隠された十字架 法隆寺論」や、関 裕二氏の今から20年以上も前から想像力溢れる自由闊達な今まで
とは異なった古代史論に魅了され、すっかり古代史に嵌ってしまいましたが、著者の逆説の日本史シリーズは、何故か手に取ったことがなく唯一、
足利義満をテーマの「天皇になろうとした将軍」のみで、本書を読んで、もっと早くから出会っていればと後悔ばかりでした。

第1章「聖徳太子編」、第2章「天智天皇編」、第3章「天武天皇と持統天皇編」、第4章「平城京と奈良の大仏編」の4章からなっていますが、
貫かれているものは、逆説の日本史シリーズのテーマである『歴史の宗教的側面を無視ないし軽視し、「サヨナラされたもの」の中から、日本史の
真実を発見しようと思っている』(p.44の要約)であり、各章毎で首肯せさられた主な点は、以下のとおりですが、これは本書で指摘の「史料至上
主義」に対する著者の熱いメッセージなのでしょう。

その中での圧巻は、第2章、第3章の天武天皇の出自の疑問(没年齢不明)、天智天皇の陵墓の書記での記述なしに着目し、天武天皇による
天智天皇の暗殺説(671年12月「扶桑略記」の天智天皇の沓が落ちていたところを山陵とした記述に着目し、両天皇の対百済・新羅への外交
の違い、671年6月天智朝の大宰府長官へのスパイ(栗隈王)着任、11月唐使来日、天智朝と唐の同盟締結の阻止のため暗殺)は、梅原氏や
関氏の上を行った実に説得力ある展開です。
ただ、両氏も指摘の称徳天皇の死により、結果として天武天皇の皇后で天智天皇の娘・持統天皇による天智朝復活(光仁天皇⇒桓武天皇)は、
実に歴史の不思議さ、皮肉さを改めて知った思いでした。

 (第1章)
  ・殯の期間の短い崇峻天皇と藤ノ木古墳のもう一人の被葬者(穴穂部皇子)の比定と聖徳太子陵墓の検証(p.76-131)
  ・聖徳太子以降の「徳」の諡号をもつ6人の天皇の死の検証(p.131-198)
  ・「聖」「徳」のもつ意味(p.172,178,188,196,197)
 (第2章)
  ・天智系(天智~光仁~桓武)と天武系(天武⇒称徳)の並列した系図(p.260)と泉湧寺での天武系の排除(-p.270)
  ・森鴎外の「帝諡考」での天智と天武の中国・殷の紂王とそれを討った周の武王の対比(p.273-288)
  ・天武の671年の天智暗殺説と三井寺(p.273-371)
  ・668年反新羅の天智朝から新羅人の道行が草薙剣を盗む(p.313-315)
  ・壬申の乱以前の天智朝の反新羅(親百済)体制、天武天皇の唐と断交し新羅と友好関係(p.316)
  ・壬申の乱で近江朝廷を裏切った天武のスパイ(天智朝の筑紫大宰の栗隈覆王)の存在と天智暗殺計画(p.318-338)
 (第3章)
  ・梅原氏の指摘の持統から文武への祖母から孫への譲位と天孫降臨(p.395-397)
  ・持統が始祖となることで天智王朝の母系で復活(p.400)
  ・正史「続日本紀」での長屋王の無実(東人による長屋王の誣告)の記述(p.439)
 (第4章)
  ・怨霊信仰の変遷および飛鳥、奈良時代の怨霊信仰の正史記載なしの指摘(p.459)
  ・藤原四兄弟の死を長屋王、大津皇子等のたたりと聖武・光明皇后の認識とその怨霊封じを目的に奈良の大仏を造営(p.444)
  ・光明皇后の強い薦めで国分寺、国分尼寺(法華滅罪之寺)建立(p.432)

また他の著者の作品の引用等の明記や的確な小見出し、著者への反対意見の反証も理路整然と語られている点も読み易さに通じています。
なお古代史の場合には、本書に限らず既出箇所の引用や繰り返しが多くなる傾向があり、引用頁や索引、また巻末の年表や系図がもう少し詳しい
と更に良かったですね。

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藤原道長の日常生活

2019/06/02 16:13

著著の『藤原道長「御堂関白記」を読む』で描かれた道長の生の姿をコンパクトにまとめています

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

藤原道長と言えば「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることも無しと思へば」の歌と藤原氏の栄華ぶりが思い浮かびますが、書店でそれと
なく手にした本書でしたが、「御堂関白記」や「小右記」、「権記」を通して道長の意外な面~小心と大胆、繊細と磊落、親切と冷淡、寛容と残忍、
協調と独断~という2面性を持った性格を第1章:道長の感情表現、第2章:道長の宮廷生活、第3章:道長と家族、第4章:道長の空間、
第5章:京都という町、第6章:道長の精神世界から政治、社会、文化、人間関係等を含めて知ることができます。

また、巻末には道長の年譜や系図、古地図、主な登場人物の紹介があり、読む上で非常に参考となります。

なお、著者の『藤原道長「御堂関白記」を読む』では、道長が政権を獲得した長徳元年(995年)から治安元年(1021年)の九月の念仏までを、後世
に残すために書かれた「小右記」、「権記」とは異なり、個人的な備忘録的な同日記を順に追い、その背景(政治、社会、文化、人間関係等)を含め
解説され、自筆本と古写本の部分写真が適宜掲載され、活字だけでなく、道長の自筆(文字の乱雑さ、墨による末梢箇所や濃淡の違いを含む)を
通して、より生の道長に近づけるため合わせて読むことをお勧めします。

同書は本書の出版から9ヶ月後に出されたもので、「はじめに」よれば、その「御堂関白記」のユネスコの「世界の記憶」登録に著者自身が関わったとの
ことであったが、その登録から1週間後の富士山の世界文化遺産の登録にすっかりお株を取られた格好となり、「自分が三十五年にわたってこなって
きたことは何だったんだろうという脱力感よりも先に、何とかしてこの世界最古の自筆本日記の価値を世の中に広めなければ」との強い思いが、そこ
かしこに溢れています。

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藤原道長「御堂関白記」を読む

2019/05/31 15:16

著著の「藤原道長の日常生活」で描かれた道長の生の姿が「御堂関白記」を通して見事に甦ります

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

藤原道長と言えば「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることも無しと思へば」の歌と藤原氏の栄華ぶりが思い浮かびますが、書店で
それとなく手にした著書の「藤原道長の日常生活」でしたが、「御堂関白記」や「小右記」、「権記」を通して道長の意外な面~小心と大胆、
繊細と磊落、親切と冷淡、寛容と残忍、協調と独断~という2面性を持った性格を知ることができ、その主なベースとなった「御堂関白記」を
扱った本書を知り、更に詳しく知りたく手にしました。

本書は、前書が2013年3月の出版に対し9ヶ月後に出されたもので、「はじめに」よれば、その「御堂関白記」のユネスコの「世界の記憶」登録
に著者自身が関わったとのことであったが、その登録から1週間後の富士山の世界文化遺産の登録にすっかりお株を取られた格好となり、
「自分が三十五年にわたってこなってきたことは何だったんだろうという脱力感よりも先に、何とかしてこの世界最古の自筆本日記の価値を世の
中に広めなければ」との強い思いが、本書のそこかしこに溢れています。

「はじめに」には、その「世界の記憶」の登録推薦書の要約があり、当時の政治、社会、文化の中での「御堂関白記」の特徴がコンパクトにまとめ
られ、また巻末には道長の年譜や系図、古地図、主な登場人物の紹介があり、読む上で非常に参考となります。

また、具注暦(罫線が引かれた干支や日の吉凶などの暦注を注記する)に記載された同日記の自筆本と古写本の部分写真が適宜掲載され、
活字だけでなく、道長の自筆(文字の乱雑さ、墨による末梢箇所や濃淡の違いを含む)目にしながら、その心境にまで迫った内容で、当時に
思いを馳せる一助になっています。

道長が政権を獲得した長徳元年(995年)から治安元年(1021年)の九月の念仏までを、背景(政治、社会、文化、人間関係等)を含め解説
され、そういう意味からも「藤原道長の日常生活」と合わせて読むことをお勧めします。

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華の碑文 世阿弥元清

2019/02/05 12:57

世阿弥の持つ表と裏を生々しく迫った読み手を引き込む力に圧倒です

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

日経電子版の文学の舞台となった土地や風景等を写真と簡単な案内文で紹介する「文学周遊」で出会った作品で、将軍足利義満の
当時、田楽が勢いを増す中で猿楽を能という芸術に創始した世阿弥の生涯を弟の元仲が語るスタイルで書かれています。

父観阿弥が今熊野で催した猿楽に12歳で出演し義満の目にとまった世阿弥が、次第にパトロンとなる将軍家を如何に関わっていくかを
男色が持て囃された当時の怪しい雰囲気をはじめ、能や能芸論に影響を及ぼしたとされる二条良基からの連歌の教育等のほか、義満、
義持下での庇護を境に、義教下での弾圧で観世大夫の座を長男の元雅に譲り、自身は出家、更に元雅の従兄弟にあたる元重の重用、
仙洞御所への出入り禁止、醍醐清滝宮の楽頭職罷免など、世阿弥親子の苦境、更には元雅の客死、世阿弥の佐渡への流刑と激動の
生涯を当時の社会での芸人の立場や生活感と共に生々しく描かれ、世阿弥の持つ表と裏を生々しく迫った作品で読み手を引き込む力
に圧倒されました。
それは、著者が昭和の大文豪である吉川英治氏に弟子入りされ経験を積まれての独特の文体によるのでしょうか。

世阿弥というと南朝のスパイとの印象がありますが、世阿弥と南朝嫌いの今川心省入道とは同日に逝去した記録に対しては、著者の対談集
「ごめんあそばせ独断日本史」の一部を引用された井沢 元彦氏の 「天皇になろうとした将軍」の中で、「楠木の血を濃く受けついだ危険な親
子を、なぜ三代将軍があれほど寵愛するのかと、日頃苦々しく思っていたところへ、無防備に観阿弥一座が領内に入ってきた。そこで入道が
観阿弥を殺害、しかし入道も観阿弥の仲間に殺されてしまったというフィクションを組み立てた」とありましたが、p.188では、「楠方の諜者、南
朝の隠密とも、おぬしの素性について噂しているやからもおるが・・・」と暗に世阿弥を南朝のスパイを仄めかせており、その後のp.191までの
世阿弥達と入道の死闘は芸人の立ち回りとは思えない、両者の息遣いが伝わってくるような描写力に改めて驚かされました。

その後の物語は、義持が猿楽よりも田楽好みで増阿弥を買い、さらに義教は世阿弥と元雅の仙洞御所への出入り禁止や醍醐清滝宮の楽
頭職罷免と冷遇される一方で、語り手である弟の元仲にとっては子の元重が、仙洞御所で能を舞い、義円の後ろ楯など贔屓にされ、p.326に
あるように、「元雅、元能、元重・・・・・。三人の若者たちはきそって兄に学んでいた。兄から吸収しようとし、兄も惜しみなく彼らに与えた。」日常
が崩れ、「かんぜの能は無視され、・・・元重はそれを元雅の失策に帰して従兄をののしった。」、また、p.358では、「観世座はすこしずつ、双頭
の蛇の観を呈しはじめた。が、やがてその一方の頭は潰えた。元雅が越智へ出奔したのである。」と、語り手である元仲にとっては喜ばしい反面、
兄一家の衰退、さらに追い打ちをかけるように次男の元能の出家、そして長男の元雅(南朝の越智氏の娘を娶った)は伊勢安濃津にて蒲柳
(体質が弱いこと)の質であり、突然喀血し38才で客死(北朝方の上嶋家系図には斯波兵衛三郎が暗殺との記録)、そして70才を過ぎた
兄の佐渡への遠島と非惨な運命をたどり、義教が赤松一族に殺害され、8年後に帰洛と、想像に余りある人生を送っています。
特に、佐渡に亙る前の世阿弥の元重への能に対する惜しみない伝授、そして遠島中の語り手である弟の元仲の兄への思いや、残された家族
の哀れな生活が淡々と描写され、それが反ってひしひしと伝わってくる終盤の展開は、息を着かせぬ印象的なものでした。

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