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  3. 永遠のチャレンジャーさんのレビュー一覧

永遠のチャレンジャーさんのレビュー一覧

投稿者:永遠のチャレンジャー

160 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本ロウソクの科学 改版

2019/06/13 19:45

一本のロウソクの炎がやがては人類の未来を明るく照らす灯台の光となるのだ!

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

一般大衆(素人)向けに難しい科学現象を易しい言葉で伝えることに、齢70歳(古希)のマイケル・ファラデーは、用意周到な下準備と工夫を重ねた実験を通じてこれを成し遂げた。

読者を驚かせるのは、先ず、目には見えない空気の成分(水素、酸素、窒素、二酸化炭素)を巧みな実験で可視化(見える化)している点だろう。

19世紀半ばの娯楽が少なかった時代には、ファラデーのような科学者が最新「科学」の意義と恩恵を解説してくれる講義が何よりの娯楽であり、不思議をもたらす科学者こそが憧れの的(スーパースター)だったに違いない。

次に、大老暗殺(桜田門外の変)の翌年(文久元年、1861年)の講演会なのに、日本のロウソク(和蝋燭)が登場している点だ。

木と紙でできた建物内で主に仏儀に用いられる和蝋燭には、風で炎が消えぬように(縁起が悪いから)中空の芯構造を採って空気の通り道とする工夫が施されていることを学べるのだ。

更に、「化学親和力」(元素の組合せで強弱が示される化合力)や「毛管引力」(表面張力)といった用語や電池、電灯、写真の様式に発展化学の歴史が感じられる点だ。

本書(全6回のクリスマス講演記録)は、一本のロウソクの炎がやがては人類の未来を明るく照らす灯台の光となると信じた科学者の揺るぎない信念と情熱を教えてくれる。

序文末尾のW.クルックスの言葉(「科学のともし火は燃えあがらねばならぬ。炎よ行け。」)も、ファラデー終演の言葉(「皆さんが、ロウソクのように皆さんのまわりの人びとに対して光となって輝やいていただきたい」)も、ロウソクの美に魅せられし者の熱き情熱そのものだ。

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紙の本

紙の本田辺聖子の万葉散歩

2021/01/30 12:44

「万葉集」秀歌の散歩(味わい深い鑑賞)にウットリ

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

巻末の解説(田辺聖子文学館館長、中周子氏(大阪樟蔭女子大学教授)による経緯説明)によれば、本書は、かつて月刊誌に連載された作家田辺聖子の随筆が基になっているらしい。

てっきり本文は大阪弁の文章かと思ったら、なんと全篇、標準語やった。「万葉」秀歌の大真面目な鑑賞本やから、大阪弁遣うのやのうて余所行きの表記になったんやろなぁ、多分。知らんけど…。せやけど、散歩(鑑賞)の味わい深さにウットリさせられるわ。

「古今和歌集」以降の勅撰歌集は、宮中歌合せという公式のお披露目会で職業歌人が詠んだ技巧勝れる歌が多くなるのに、漢字と万葉仮名(借音文字)を用いた「万葉集」はそうではない。

奈良時代に幾人かの編者の手を経て編まれた最古の和歌集「万葉集」には、上は天皇から殿上人の貴族や官人官女、下は西国九州に徴兵された防人(さきもり)、庶民の詠み人知らずや東歌まで、身分に関わらず数多くの歌が収録される。

洗練から遠く優美さに欠ける反面、大らかな表現で素直に己の気持ちを詠んだ詠み人知らずの歌や枕詞序詞を使った歌は、声高に読みあげたくなるほど明るく調子が良い。額田王や柿本人麻呂の情熱的な恋歌や、山上憶良の家族愛が滲む長歌、反歌は、学校で習ったうえに馴染み深いものがある。

「源氏物語」などの王朝文学に精通した田辺聖子らしく、自由奔放な詠み振りの恋の歌に魅せられ、明快な現代語訳でもって詠み人の心情を汲みとり、歌の情景を巧みに再現してみせる。

また、戦中派作家として、国威発揚や忠君精神での国粋主義に利用された戦前の万葉解釈に染まった時代を知る者として、「人間性を解き放つ」「心のよりどころ」として親しんだ「万葉集」への愛着を吐露して止まない。

それ故、田辺聖子が「美しい芸術品」だと「嘆賞のためいき」を洩らした(八頁)という「萬葉百首繪かるた」(万葉百首絵歌留多)の実物写真が、掲載されず仕舞いなのが惜しまれる。

ビジュアルが披露されていたなら、読者の共感はどれほど高まったか知れない。投票で昭和初年に選出された萬葉秀歌百選に画壇お歴々の繪かるたがコラボしたなんて、すこぶる素敵な話だもの、すごく残念だ。

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紙の本

紙の本星と祭

2020/06/04 17:07

琵琶湖を流れる鎮魂の歌に観音様も微笑む

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

解説が説くとおり、本作品では<運命>の象徴たる「星」と<鎮魂>を意味する「祭」(祀)とが、不慮の事故で子供を喪った二人の父親像に重ね合わされる。

昭和三十九年(1964年)五月、主人公の架山洪太郎は、琵琶湖での水難事故で離婚後に僅か四度顔を合わせただけの「不幸の方に縁があった」娘みはるを喪った。

日にちが経っても遺体すら揚がらない。十七歳の未成年の娘を乗せて竹生島近くまで貸ボートを漕ぎ出した見知らぬ大学生青年の暴挙を架山は恨み、遺族という同じ境遇ながらも青年の父親の大三浦には冷淡だった。

弔うこともできぬまま、生者でも死者でもない「永遠の仮葬の形」「殯」(もがり)の状態に置かれ湖底に横たわる娘。その思いから、事件後七年経っても架山は、悲しみの挽歌を…心の対話を通じて…娘みはるに捧げるほかない。

昭和四十年代後半の高度経済成長期。後妻との間に生まれたもう一人の娘は母違いの姉の年齢を超えた。娘を亡くした先妻も京都で手芸事業に邁進しているらしい。心に宿る亡娘に仕事のアドバイスをもらう貿易会社社長の架山は、世間的には他人が羨む地位にある。

評者には、小説には書かれていない協議離婚時の共用財産分与や娘の養育費の取り決め、親権や面接交渉権の放棄が気になる。小市民ゆえに交通費の額も気になる。また、公害問題や交通問題にも、安保闘争や学園紛争、ベトナム戦争にも関心が向く。

心で亡き娘と対話できるのなら、何故真っ先に転覆原因や具体的な遭難状況を訊かないのか。男子大学生との初デートで運悪く転覆事故に遭ったのか、なんでそんな頼りない男と女子高校生が付き合ったか疑問が湧く。勿論、父親が勝手に空想する対話だから、真実の一端を探れる筈も無いが、そう突っ込みたくなる。

小説の主題は人間の根源的な心の問題に迫る。「幸福というものの予約はない」と「運命論者の影」(虚無感)を引き摺る架山が、多元的宇宙論という現代のお伽噺に触発され、歳月は人を変えるとの譬えどおり、七年振りに長浜を再訪した。

観音堂巡礼に凝る大三浦との再会は、素朴な面貌を刻んだ十一面観音像との出会いに繋がった。帰京した架山の心は友人が誘ったヒマラヤ観月旅行計画に引き寄せられる。悠久の時間と森閑さの極みたる世界最高峰エベレストの麓で満月を眺めながら、亡き娘とじっくり対話してみたいとの想いが溢れ出たのだ。

新たに課された試練。ヒマラヤ旅行による大自然と人間という地球規模での視点転換は、運命論者の頑なな心を和らげた。後は儀式(「祭」(祀))を残すのみ。過去を見つめ直す歳月を経た架山は、春の朧月がかかる琵琶湖で供養の船に乗り込む。

八年前に同時に子を喪った父親二人が船上に佇む。「この葬儀に観音様にもお立会い頂きましょう」という大三浦に、架山も異議を唱えない。観音様の名前が読み挙げられると、瞑目する架山の眼にも一体ずつ観音像が現われる。実物を見たものは鮮やかに、未見のものは光芒に彩られて。湖面に投じられる花は、琵琶湖で儚く生命を落とした人々に捧げられる…。

生者が悲しみの区切りをつけて弔いをすれば、死者は死者らしく黄泉の国に旅立てる。忘却の遠い淵ではなく、時としてすぐに思い出せる近場にこそ、最愛の死者は眠るのだろう。

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紙の本

数学史、それは人間のたゆまぬ好奇心の貪欲な発露たる歴史

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

A4判上質紙にカラー図版が印刷された本書は、紀元前1億5000万年頃の「アリの体内距離計」から2007年の「数学的宇宙仮説」までを各1頁に纏めて解説する「数学の通史」である。

目次裏に科学の一分野たる「数学」の至高美や創造性を讃えたラッセルやワインバーグらの著作からの引用句が載る。通読すれば、読者は皆な彼らの賛辞に納得することだろう。

人間とは何か?本書2頁が紀元前3000万年頃に顕われた「数をかぞえる霊長類」の子孫だと解答を与えてくれる。

一般向けの概説書ゆえに難解な用語や数式はなく、あるのは公式か三次方程式程度である。そして、「虚数とは、2乗すると負の値となる数」だとか、「1,1,2,3,5,8,13…の最初の2つの数を除いて、それ以降の数はすべてその前の2つの数の和に等しい」フィボナッチ数列などが登場してくる。

「そろばん」「チェス盤上の麦粒」「黄金比」「メルカトール図法」「ケーニヒスベルクの橋渡り」「メビウスの帯」などの一度は耳にしたことがある話には成程と相槌を打ちつつ解説文に目を通し、「ボロミアン環」「カージオイド」「トリチェリのトランペット」「星芒形」「ベッセル関数」「超越数」「イコシアン・ゲーム」「ハノイの塔」「ピックの定理」「ボーイ曲面」などは初めて聞くから、一体全体何のこっちゃと図解や写真を眺めても意味が呑み込めない事項も少なくない。

発見・発明者など人物名を冠するものは公式や定理に多いが、「アントワーヌのネックレス」「ヒルベルトのグランドホテル」「秘密結社ブルバキ」「スーパーエッグ」「スプラウト・ゲーム」などは項目名からして判じ物めいている。耳にすればまるで週刊誌ネタのような「ベッドシーツ問題」や日本語の音に似た「オワリ・ゲームの解決」は想像力を刺激する。

19世紀末に漸く発見された「モーリーの三等分線定理」や20世紀初頭のラッセルの「床屋のパラドックス」にはビックリだ。各項目の最後尾には「参照」として関連項目名(年号)が載るが、項目索引が無いので、併記の年号で検索するほかない。

人間のたゆまぬ好奇心の貪欲な発露たる歴史に、つくづく圧倒される。

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紙の本

紙の本高慢と偏見

2022/05/26 21:17

名訳者の嬉しい配慮と素晴らしい挿絵に溢れた新訳『高慢と偏見』

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

多少英語が読める素人が19世紀初めの原作小説を英文で読むのが如何に無謀な試みだったかを、私は心理描写の粋を極めたこの英文学作品から痛感させられた。

例えば、原作の英文では第三巻第45章にこう記されている。
 While thus engaged, Elizabeth had a fair opportunity of deciding whether she most feared or wished for the appearance of Mr Darcy, by the feelings which prevailed on his entering the room; and then, though but a moment before she had believed her wishes to predominate, she began to regret that he came.

領地ペムバリーで偶然再会したダーシーを想うエリザベスの胸中の葛藤が描写された一節と判ったが、私の拙い読解力では作家の表現の妙を把握して愉しむゆとりが、全然なかったのだ。

そこで本書の訳文登場である。 「こうして皆が一斉に口を動かしていると、そこへミスター・ダーシーが入って来た。これはエリザベスにとって、その人の出現を願う気持と恐れる気持のどちらが本心かを決める絶好の機会であった。そのときの自分の気持で決められると思ったのだ。ところが、その姿を見た瞬間こそ、嬉しさが込み上げて来て、願う気持が本心だったのだと思い込んだものの、次の瞬間には、来てくれない方がよかったような気がし始めた」(453~454頁)。

日本語新訳で味わうと、乙女心の振幅激しい感情のもつれが全身に染みてよく解る。英語はやはり外国語だから、「ミス・エライザ」も「リジー」もエリザベスに呼び掛ける愛称だと知らぬと戸惑ってしまう(「ベス」や「リズ」なら何となく判るけども)。

人物呼称や愛称について、本書訳者が「訳者序」で親切に解説してくれている。英文学者らしい配慮だが、手紙文の作法も大変勉強になった。受取人払いなので余白を生じさせぬよう表裏にびっしりと文字を連ねる当時の書簡慣習やマナーなどは、手紙の文章をナレーションで済ませてしまう映画やドラマからは気付けぬ事柄だけに、まことに有益だ。

文庫本一冊に全三巻61章を収めた装丁の手際の良さも見事だが、大英帝国の揺籃期とも呼ぶべき時代を偲ばせる挿絵(イラスト)が載る頁が多く、気分転換や場面理解の一助となるこのお得感が一番嬉しかった。

【追記】 惜しむらくは、二箇所に誤植(語句不足と植字ミス)を見つけた。
一つ目は366頁二行目「エリザベスとマライア滞在」は「~マライアの滞在」でなければおかしい(マライアは地名ではなく人名だから)。
二つ目は657頁五行目「ミスター・ダーシーには云わないどいて下さい」は明らかに「~云わないでいて下さい」の筈。まさか急にここだけ関西弁の「云わんといて下さい」でもあるまい。関西生まれの評者は、一瞬そう読んで首を傾げたんやけども…。
出版社には誠意をもって改訂時の訂正をお願いしたい。

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紙の本

「大空襲」の戦果を必要とした米空軍独立の思惑に戦慄する

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四年前のテレビ番組を観た記憶はあるが、映画やドラマと違いドキュメンタリー番組は滅多に録画しないので、残念ながら手持ちのBD/DVDに番組映像は残っていなかった。

「いいんです、売れなくて。是非、本に残すべき話だと思っているので」という出版社社員の熱意が書籍化を後押し、加害者たる米空軍将校の肉声テープ録音記録に基づく「歴史の真実」が白日の下に曝け出され、番組再視聴が叶わぬ私を含め大勢の読者に歴史検証の重要さを再認識させてくれた。

敗色濃厚の劣勢を日本に悟らせ、戦争を早期に終結したい米国は、沖縄地上戦の後、日本本土への上陸作戦を計画し、その地均しを兼ねて大型爆撃機B29による空爆作戦を採ったと、私は単純に捉えていたのだ。

本書により、航空機戦略構想の天才、W.ミッチェルの“遺産”を受け継いだH.H.アーノルド、H.ハンセル、K.ルメイらの将官らが、最新鋭機B29の指揮権を欲した陸軍のマッカーサーと海軍のニミッツに抗して空軍を独立組織とする究極目標に邁進し、目に見える「戦果」を必要とした戦慄すべき思惑・経緯を知ることができた。

軍需産業施設への「精密爆撃」に拘泥し、戦果が上がらぬ指揮官ハンセルを解任したアーノルドは、後任司令官に若いルメイを登用し、低空飛行のリスクを冒しても焼夷弾で空爆する積極策に転換する。

焼夷弾を用いた「一般市民の犠牲を厭わない無差別爆撃」をミッチェルが構想し、軍需物資の生産に関われば女性や子供でも戦闘員と看做すべきだと述べ、一般市民の恐怖心を利用し抗戦意欲を殺ぐのが戦争終結一番の近道だとして毒ガスの有効性をも考慮していたとは、実に恐ろしい。

東京大空襲に始まる非人道的な無差別爆撃だが、日本の重慶爆撃が先鞭をつけたとの指摘には反論ができない。

「将来の死を救うために、今、人を殺す勇気が必要だった」と原爆投下をも肯定する米空軍将校の「証言」に、ただ、血塗られた手をした戦勝国の「勝者の論理」だけを聞く思いがした。

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紙の本

紙の本間宮林蔵 新装版

2021/03/30 12:36

危険察知能力が具わった探検家が、実は「隠密」だった?

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月の満ち欠けに基づく太陰暦には十三か月目の「閏月」があると知ってはいたものの、「(六月二十六日に出発した林蔵は)風向に恵まれ、閏六月十八日には樺太最南端の白主に帰りつくことができた」との記述に、一瞬「?」(はてな)と戸惑った。

二百年以上も昔に北方寒冷の未踏地に赴いた間宮林蔵の“探険”は想像を絶する。二度目の遠征で最果ての樺太北部に到達し、命懸けで海を渡り東韃靼が清国領だと明らかにした林蔵の旺盛極まる好奇心と覇気は、驚嘆でしかない。

アイヌの知恵に学び、健脚と若さを武器に体験に根ざす工夫を凝らした林蔵の柔軟性には、武家の伝統に縛られぬ農民出身者らしい精神の自由闊達さが窺える。健脚ぶりも見事だが、危機管理能力に優れていた点は特筆ものだ。

ロシア艦乗組員による択捉島シャナ会所襲撃に際し、怖気づいた上役が放棄撤退を決めたことに反対を表明、飽くまで主戦論の姿勢を貫いたことが幸いして幕府の処罰を免れたという。

樺太が半島でなく島だと実証した林蔵は、調査報告の樺太改め北蝦夷島地図と東韃地方紀行文により一躍時の人となるが、鎖国違反の御咎め無く、昇進と褒美金の下賜という幕府の厚遇は、林蔵に密命を授け隠密(御庭番)として働かせるためだった。探検家が実は「隠密」だったと知り、仰天した。

海岸異国船掛を拝命した林蔵の許に、シーボルトから託ったという謎の小包が天文方筆頭の高橋作左衛門景保を通じて届くも、身に具わった危険察知能力を遺憾なく発揮し、上司の勘定奉行に未開封のまま届け出ることで、シーボルト事件への連座を免れた。

テレビの「大江戸捜査網」を観て育った私は、隠密という言葉に“非情さ”を嗅ぎ取る。二親を亡くした独り身の、下級武士の身分に執着も未練もない林蔵は、好むと好まざるとに関わりなく、「死して屍拾う者無し」と謳われる隠密の適格要件に適ったのだ。

林蔵本人は、病で身体が衰弱した元隠密の最期を迎えるより、未知への憧れと情熱を掻き立てた北限の土地で探検家として果てたかっただろう。ほんに憂き世はままならぬ…。

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紙の本

先人の「熱意と智慧と教訓」に学ぶ災害の歴史

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古文書を紐解き得られた研究成果が詰まった本書から、自然災害(天災)が間違いなく日本の「歴史」を転換させた要因だと実感できた。天正地震のせいで家康攻めを諦め、伏見地震で幼い秀頼を抱えて裸で城を飛び出た秀吉が、自らが建立した京都大仏の功徳の無さに八つ当たりした気持ちも頷ける。

富士山大噴火を招いた宝永大地震では、火山性地震の“予兆”が五年間続いたとの史料記述が不気味だ。大噴火の引き金となったM9クラスの巨大地震と翌日の余震(M7程度)を記録した江戸在勤佐竹藩士の日記には、桶に溜めた雨水(天水)のこぼれ具合で将軍御機嫌伺いの必要性を判断したとあり、実用的で面白い。

江戸に火山灰が十二日間も降り続いたというから怖ろしい。「いまだ富士山は焼けているとみえる」の記述が生々しい。三保松原がある半島で宝永津波の遡上高3.9mと津波専門家が算定するが、著者は半島突端の真崎(間崎)では地盤補正と古文書史料から5m超と推定している。対岸の「いるか松」伝承からも、著者の見解に信憑性がある。

土佐の種崎出身武士の昔話は悲惨だ。先祖伝来の刀と老母への忠孝が災いして高台避難が遅れ、宝永大津波に襲われた一家七人(祖母、父母、兄、妹、弟)は、父が負ぶった幼い我が子(五歳の妹)を波間に捨ててまで救った祖母と父と当時九歳の自分だけが死なずに済んだ。

著者は、幼児の頃の母親が田舎(徳島県海部郡牟岐町)に預けられたとき、昭和南海地震と大津波を体験したことを明かす。防災史研究を志すのも、一族が「津波の地獄絵をみた」からだという。証言集『海が吠えた日』が伝える小中学生三兄弟、祖母、病臥の父、妊娠中の母、四歳の妹の一家七人が津波避難できず全滅した話に、胸を締め付けられる。一人でも犠牲者を減らしたい思いは、被災経験を問わず万人共通のものだろう。

激しく揺れたらすぐ高台に逃げ登れとの「教訓」は、東日本大震災でも生死を分けた津波避難の鉄則だ。大津波から岩手県の村を護った普代水門と護岸防潮堤。これらを断固整備させた和村元村長のような先人の熱意と経験と教訓に学ぶのが「歴史」の本旨なら、防災の「智慧」もまた然り。災害ある限り歴史の意義は尽きないと、本書は教えてくれる。

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紙の本

紙の本古事談

2021/02/14 16:22

怪しい説話も集録した『古事談』の<眉唾もの>の面白さ

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本屋の店先で『古事記』関連の新刊本かと手にした本書は、『古事談』という全然別物だった。鎌倉初期に源氏傍系の公卿 源顕兼(みなもとのあきかね)が、史料を渉猟して選別した説話を出家後に『古事談』全六巻に編んだものだと知った。

編訳者がこれを七十話に絞り、現代語訳文、読み下し文、原文、解説文の順に紹介したのが本書だ。特に現代語訳文は活字が大きく、漢字すべてに読み仮名が振られているので読み易い。

読み仮名は読み下し文にも施され、太字の文章を声に出して読み下すことで、古文がもつ流暢な味わいを読者に伝えたいとの古記録学者たる編訳者の想いが看て取れる。

「~し了(をは)んぬ。」とか「~せらる、~し給ふ」とか、久々に王朝風の表記に触れた。「~と云々」に「しかじか」と振り仮名されるのが説話集らしく、「うんぬん」と読む現代文と違い、とても新鮮に聞こえる。

説話の中味も、初手(第一巻)から践祚した女帝称徳天皇と愛人道鏡との下世話な醜聞記事めいたもので、驚かされる。噂高い世人たちが高貴な帝(みかど)のご寵愛の行く末を案じたとも、揶揄したとも受け取れる。

第二巻には公家社会の出世競争や家門の確執怨念に満ちた説話が載る。零落した清少納言の説話(五十五話)は、著名な女性に課せられた“有名税”の類いだろうか。小野小町や紫式部にも、晩年は「不幸」に塗れたとの伝説が伝わるもの…。

新任参議の名前の漢字「衡」をど忘れした記録役の上卿が、「行き」の中の魚の譬えを「雪」の中の魚と聞き間違え、思案の末に黒く塗って誤魔化した説話(八十四話)には、仮名書きが許されぬ任官記録への辛辣な皮肉が潜む。

第四巻「勇士篇」には、源満仲出家の逸話や平将門と平貞盛の因縁話、源義家献上弓の物怪退治話など、軍事に携わる新興貴族=武士が登場する。史実かどうかも怪しい説話もあって、<眉唾もの>の面白さに魅せられる。

都で帝や摂関家(藤原氏)に仕える家人となり、地方官吏の赴任地で実力を蓄え、郎党を庇護し、やがて棟梁(頭領)と目されるまでの堅忍不抜の一端が、源氏の末裔らしく、源顕兼の説話選択の不敵さ、記述内容の大胆さに窺える気がした。

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紙の本

醤油、味噌、お酢を発展させた日本人の末裔たる有難さに感謝!

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一人暮らしを始めて知ったどん、和食の基本的な味付け調味料の「さしすせそ」は、「砂糖」「塩」「酢」「醤油」「味噌」だと言っちょります。「せうゆ」(醤油)はこじ付けにしか聞こえんばい、「どぜう」と書いて「泥鰌」(どじょう)と読む習いですけん仕方ありまっしぇん。

年取ると食事の心掛けが喧しくなる一方だで、一々御尤もでがんすが、臍曲がりにはえろう辛いものが有っと。喰いたい物を喰いたい時に喰う方が精神的ストレスもなく、健全ではねぇかと。

血圧高めなら塩分控えめとか、コレステロールの悪玉菌を減らし善玉菌を増やすため緑黄色野菜が欠かせねぇとか、認知症を予防するにはDHA、EPAなどのオメガ3不飽和脂肪酸を豊富に含む魚肉中心の献立をとか、却って味気なく思えやす。

著者は醸造学、発酵学のど偉りゃー先生じゃから、日本人の食卓に欠かせぬ三大発酵調味料の醤油、味噌、お酢について歴史的、食文化的な起源や変遷をば語り、学問的見地から成分特性や科学的効能、和食に繋がる美味しさの秘密を教えてくれますぞな。

どれもが米飯に合う調味料じゃけん、野菜や魚介類、麺やキノコやイモなどの味付けばしよって旨味ば引き出し、おまけに食材を長期保存してくんなさる優れものやっと。漬け込むとあの怖えフグ毒さえも無毒化しよるとは、ほんに驚きの御利益でおます。

一日三食、平均寿命から導かれる生涯日数は約三万日やから、赤ん坊の頃はともかく、茶碗と箸を持って以来、ざっと数えて約九万回は食事を摂る計算になりまっしゃろ。その都度、純粋な洋食を除いて、醤油、味噌、お酢に何度お世話になるか判りまへん!

身体が醤油、味噌、お酢に馴染んどるさけえ、舌と脳が味を記憶しとって当然だがや。醤油を礼賛する文章を引用し、著者がご飯と醤油の味と香りを何よりもの御馳走と記すのも頷けますわい。味噌汁に酢の物が付いた食事風景が目に浮かびますもん。

最後の晩餐は、白飯、焼き魚、納豆か海苔、ワカメ酢か法蓮草のお浸し、梅干し、卵焼き、味噌汁、緑茶で締めとうございます。鮭も宜しおすが、銀ダラかぐじ(甘鯛)の白身を香ばしく焼いておくれやす。西京焼きなら「最強」どすぇ。

年寄りは最後の最期まで注文が多く、頑固で困るぐらいが丁度好い。その身が「発酵」食品で「発香」し、「発光」しながら「薄幸」の人生を終える…。Oh、洒落だね。

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紙の本

「遺伝子」と「個体」の役割の相違を利己的に主張する本

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本書では原書を更に補訂した新版らしく、従来表記の「優性・劣性」が、学会基準の「顕性・潜性」表記に改められている。また、原書の意義を端的に示す三名の評者による書評の抜粋や詳細な補注が有益で、栞の紐が二本あるのも便利だ。

著者と同国の先輩生物学者J.メイナード=スミスの書評にあるとおり、1960年代から70年代にかけての生物進化論(「群(集団)淘汰」説や「血縁淘汰」説、「個体淘汰」説などの論争)の理解があってこそ、著者が問題提起する「遺伝子淘汰」説の真偽が吟味できる。

言葉の定義も重要である。生存競争に勝った「遺伝子」(自己複製子)が「自分が住む生存機械」(DNA分子)や「遺伝子を含む乗り物(ヴィークル)」(担体=生物個体)を形成するので、「何代も続く可能性のある染色体の小片」である遺伝子は、利己主義(自然淘汰)の基本単位なのだと著者は定義する。

「すべての生物は、自己複製する実体の生存率の差に基づいて進化する」際に「進化的に安定した戦略」(ESS)に従うが、人間の文化という発展進化過程のプールに登場する「模倣」単位(情報)の新たな自己複製子を著者は「ミーム」(模倣子)と名付けている。

「自然淘汰は自らの増殖を確実にするように世界を操作する遺伝子を選ぶ」から、体内での遺伝子の有無に拘わらず、「行動の『ための』遺伝子の存在を最大にする傾向」を帯びると著者は指摘する。

そして、「自己複製子」と「乗り物(ヴィークル)」の用語の峻別が説かれる。自己複製子たる遺伝子(DNA分子)は「巨大な共同の生存機械」たる乗り物(ヴィークル)(生物個体)の中に寄り集まり、異なった相補的なキャスト(役割)を担うという主張だ。

「個体淘汰」と「群淘汰」の論争は、単に異なる乗り物(ヴィークル)間の論争に過ぎず、「遺伝子淘汰」と「個体淘汰」との論争は実は論争でなく、自己複製子と乗り物(ヴィークル)という役割の違いだとする著者の主張に、頷けるものを感じた。

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紙の本

危険すぎる大博打(戦争)に賭けた海軍組織の驚嘆すべき実体とは

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録音テープに残された元海軍将校たちの声ははっきりし、高齢での肉体の衰えはともかく頭脳の方は明晰で、エリートを謳われた片鱗を感じさせた…そう、記憶している。

私は、戦争が原因で命を落とした人々は軍民の別なく、戦争犠牲者だと思う。戦禍を生き残った戦争経験者は、自ら体験を語れぬ犠牲者の代弁者たれと願う。

戦争の悲惨さ、惨たらしさ、理不尽さを知り、実体験から学んだ「教訓」を後世に引き継ぐ存在だ。映画やドラマに描かれる美しく荘厳な戦死や戦病死などどこにも無いのだと、次代に警鐘を鳴らす役目だ。

戦場では兵士が傷つき疲れ、飢え衰えて、血飛沫をあげて倒れ泥水に息絶える。野晒しの死体にはやがて蛆が湧き、悪臭を放つ。市街地は爆撃を浴び焼夷弾で焼き尽くされ、逃げ回る民衆は折り重なる死骸となり地や川に横たわるのだと。

御国のためだ我々も後に続くぞと年若い兵士たちを激励し、特攻兵器に載せた指揮官のうち、幾人が「有言」実行したか。子息の安全を買い不都合な事実を隠蔽して保身に汲々とする不埒な輩はおらぬか。

海軍の過ちを自主検証する「反省会」が十年以上に亘って毎月開催された事実に、元軍人たちの良心の呵責と証人たる使命感が窺えて、安堵する。同時に、かつての上官(司令官、指揮官)世代が鬼籍に入るまで、戦後三十五年の歳月を経ても非公開を約束せねばその検証が実現しなかった現実が、歯痒い。

敢えて言えば、歴史の検証には、時代の変遷、人心の移り変わりという「時間」の篩(ふるい)が必要だったという外ない。長すぎたが、着手しなかったことに比べれば、雲梯の差がある。

仮に海軍OBの同窓会めいたものだったとしても、当事者たちの証言には、自己正当化、責任転嫁、運命論的な誇張、虚飾が剥ぎ取られれば、真相に迫る指摘、論拠、告白が存したに違いない。

江田島の海軍兵学校には、「至誠に悖る」を排し、「言行に恥ずる」なきを心掛ける「五省」が伝わると聞く。開戦、特攻、戦犯裁判についての証言者も、乗艦勤務の危険を覚悟した海軍士官ならば、至誠と清廉な言行で己を律していたと信じたい。

海軍反省会幹事を務めた元中佐と元少佐、戦後生まれの部外者ながら上司の元中佐の指示で反省会事務局に携わった歴史資料館元司書の三人が、貴重な証言テープを次世紀まで保管現存させた「奇跡」にまず感謝だ。

そして、NHK報道局ディレクターを核とする取材班が反省会録音テープの所在や裏付け資料を執拗に追い続け、単なる歴史スクープではなく、現代に繋がる問題解決への教訓、秘訣を探る番組構成とした点を称賛したい。

本書を読み、改めて「個人」(構成員)が持ち寄る個性、見識、良心の総量が「組織」を活かす動力源となる一方、「組織」次第では、時に健全な人間性を殺してしまうことが痛感された。

それにしても、何十万人もの死傷者を出した大陸侵攻を今さら中止撤退できぬとの陸軍大臣の主張から陸軍の内乱蜂起を危惧し、海軍も早い時期に対米開戦に踏み切る方が予算獲りに得策だと軍令部総長ら海軍首脳部が判断したとする元作戦課参謀の証言には、唖然とさせられた。

まるで、先々の展望も戦略も無しに組織存続を図るだけの目的で、ツキに見放されたバクチ好きの言い訳めいた戦線拡大(負けを盛り返す勝機到来)の目に元手全部を賭けたも同然ではないか。結果、戦争の国策化、泥沼化を容認したのだ。

危険すぎる戦争の大博打に手を出し、戦禍の代償を国民に強いた者の責任は、戦死者からの赦し(最後の審判)が訪れるまで、一層問われ続けなければならない。せめてもの慰めの供花となるまでは…。

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歴史の謎を科学検証したリアリティー精神に溢れる本

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歴史学の「通説」に疑問を覚えた船舶設計技術者の著者が、物理データなどの証拠から謎解きを図った(リアリティー精神を追求した)のが本書である。

ゆえに、第1章「蒙古軍はなぜ一夜で撤退したのか」では、「各種船舶を参考に推定した蒙古軍船の詳細」(32頁、表1-1)や「CGで復元した蒙古軍船」(33頁、図1-5)、「蒙古軍船の内部構造の推定」(34頁、図1-6)などいずれもお手の物で、念が入っている。

36頁の「メタセンター」(浮力の作用点)の図解も、重心との位置関係で船の復原力が働くか否かが一目で判る。船速海流比、上下加速度と船酔い率、横揺れ角度などの対馬海峡を横断する蒙古軍船のシミュレーション・データにも説得力がある。

元寇当時の博多湾の「水深」(62頁、図1-19)や「海岸線」(64頁、図1-20)の証拠からは、著者の指摘どおり蒙古主力軍は水深が深い博多湾西側の今津方面から侵入し、百道浜沖に投錨停泊した可能性が高いと納得できる。

各章末には「まとめ」として著者の謎解き要旨が掲げられているので、最初にこの結論を一読してから、著者の論証の是非を吟味するという挑戦的な読書もできるだろう。

第2章「秀吉の大返しはなぜ成功したのか」での著者の推論(強行軍には相当な事前準備が必要だから、本隊から離れた秀吉が海路で姫路に先着し、武力集積や謀略工作に邁進した)を先に読むと面白い。

実際に、「中国大返しのタイムテーブル」(151頁、図2-13)を眺めてから本文に遡ると、無理な野営を重ねて駆け戻った疲弊兵士が山崎合戦の主戦力になった筈がないと実感できるのだ。

第3章「戦艦大和は無用の長物だったのか」でも、切り札=お宝として温存された戦艦大和は、制空権喪失後に本領発揮できずに集中攻撃され、設計上の欠点を衝かれて撃沈されたとする著者の見解が、正鵠を射ていることが解る。

人間行動の賢愚を映す鏡たる歴史は、書き留めた教訓を正しく読み取ることが肝要である。そのときに出来たこと、出来なかったこと、すべきであったこと、為すべきではなかったこと…すべては人間が関わり合った結果なのだと。

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紙の本

紙の本世界を変えた17の方程式

2020/12/08 18:32

表紙カバーに描かれたイラストに添えられた方程式の「意味」が解けた!

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「方程式は、数学、科学、工学のいわば血液である」と記す著者は、表面的に似通った「方程式」を、規則性の真を証明して定理となるものと、それを解けば未知量が既知に変わる自然法則や社会的モデルとに大別している。

前者の代表が、第1章に登場する「ピタゴラスの定理」(a2+b2=c2)だという。
一方で、現実世界の情報を符号化し、観測結果と一致する物理的な理由から真とされる第4章の「ニュートンの重力の法則」(F=G(m1m2/d2))などは後者に当たるという。数学的証明の有無が違いを生むようだ。

「人類史の道筋は、方程式によって何度も繰り返し方向を変えさせられてきた」とする著者は、「方程式のパワーは、大勢の人の精神が作り上げた数学と、外界にある物理的現実との、哲学的に難解な対応関係のなかに潜んでいる」という。

「それ(方程式)が語る物語を読み解くことを学べば、わたしたちのまわりの世界が持っている重要な特徴を解き明かすことができる」として、「人類文明の一番の推進役だった」方程式がもつ影響力を指摘する。

各章のはじめには、(1)何を表しているか?(2)なぜ重要なのか?(3)そこから何が導かれたか?の設問への解答を明記し、本文にて意義役割を詳述している。

個人的に、第5章「理想世界の兆し マイナス1の平方根」(虚数i2 = -1)の複素数体系の歩みや、第6章「結び目をめぐる騒ぎ オイラーの多面体の公式」(F-E+V=2)のトポロジー分野の発展が興味深かった。

数学や物理学には門外漢だが、第10章「人類の飛翔 ナヴィエ=ストークス方程式」に至って、本書を苦労して読み進めたことが報われた。

「CFD」(計算流体力学)と呼ばれるコンピューター化された流体運動計算手法が、旅客機、潜水艦、F1カーなどの乗り物(流体)だけでなく、血管内血液フローの計算などの医学医療分野や気候変動シミュレーションにも応用されている事実を知ることができたからだ。

医療スキャナー、電波望遠鏡、DNAらせん構造、地球や太陽系図など、表紙カバーに描かれたイラストに添えられた方程式の「意味」が解けた。

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紙の本昭和前期の青春

2020/11/09 21:19

醒めた目で人間観察できる作家が教えてくれる「戦争史」解読の妙

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著者が幼少年期から青年期を過ごした「昭和前期」の想い出には、虚無的とも言える突き放した視線がある。五歳で実父を亡くし、叔父と再婚した実母の病没後、養父たる叔父と継母と田舎町養父(やぶ)関宮で暮らした著者の胸中に、葛藤があって当然だ。

山腹から家まで疾駆し大きな山百合の花を母親に捧げた「いちばん美しい想い出」をもった少年は、望郷の念に駆られても、記憶と現実の食い違いという「幻滅」を懼れ帰郷できぬ大人となった(39~40頁、「帰らぬ六部」)。

実父母との縁の薄さ、停学、旧制高校受験の失敗、家出、徴兵検査落ちなどの挫折を経て、軍需工場で働きながら医科に進学するも不向きを自覚し、敗戦の衝撃と疎外感から、人間を醒めた目で観察する作家を志す。

「あらゆる点で劣等児であった私が、まがりなりにも筆をとって暮すすべての根源は、あきらかにこの半浮浪的二十歳の前後にはぐくまれたと思う。」(33頁、「二十歳の原点」)

「昭和前期には、ただ戦争そのものばかりではなく、社会相すべてにわたって、日本人とはいかなる民族かということが、その長所短所にわたってすべて強烈無比のかたちで発揮されている」(176頁、「昭和前期の青春」)

人生最良である筈の「青春」に「ただただつらく、タノシクない」実体験と違和感をもった著者は、「不幸なときに地がねが出る」人間という生き物を冷徹に眺める癖がついた。「国家や歴史というものの怖ろしさをまざまざと見せつけ」られたのだ。

他の作品(『同日同刻』『人間臨終図巻』など)にも、幼馴染みが沢山死んだ青春期を回想するとき同様の「悲哀」に満ちた<諦念>みたいなものが汲み取れる。

「強兵」に邁進した昭和前期までの戦争漬けの時代を知る著者は、「こんどは「富国」一辺倒になった」戦後日本の繁栄を危惧し、一流の「文化」も加えて「三拍子揃わなければ一流とはいえない」ことを「やがて痛感するだろう」と予言する。

「太平洋戦争とは何だったのか」(191~194頁)では、四つの奇怪事を挙げる。
(1)日本が米英中ソを同時に敵にまわす、正気の沙汰ではない戦争を始めたこと
(2)一億総火の玉となった国民戦争史が、戦後に否定すべき嫌悪対象となったこと
(3)無条件降伏で武力と植民地を捨て去った日本が、却って経済大国になったこと
(4)日本の敗北が、アジアでの西欧列強の植民地支配の終焉(解放)を早めたこと

「太平洋戦争、気ままな“軍談”」(114~134頁)は、歴史上の合戦との対比を通じて「戦争史」解読の妙を教えてくれる、必読の随筆である。

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