グラスさんのレビュー一覧
投稿者:グラス
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楊花飛ぶ 原采蘋評伝
2019/06/13 13:17
幕末の閨秀詩人についての佳品
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原采蘋評伝と副題にある通り、彼女の生涯を漢詩とともに追った佳品である。
江馬細香を通じて原采蘋を知った小生ではあるが、漢文が得意なわけでもなく、読み下し文が添えられた本書は、一般向けもあって読みやすい。彼女の生涯を知りつつ、彼女の作品も味わえる点でありがたい。アヘン戦争について原采蘋が漢詩に詠っていた事実は、当該作品とともに興味深い一方で、アヘン戦争が東アジアに与えた衝撃の大きさを改めて知ることが出来た。
ただ気になる点もある。例えば2頁の「静岡県加古川」は、後段の内容から「兵庫県加古川」の誤記と判断される。また169頁の「駿田中、本田豊前候藩」の「本田」は「ママ」なのか「作者の誤記」なのかが分からない。田中藩主は「本田」ではなく「本多」である。
中世王朝物語全集 21 我が身にたどる姫君 下
2019/06/14 21:23
百合小説の濫觴
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全八段から構成され、上下巻に四段ずつ収められている。
日本文学史上に輝く「百合小説」の濫觴として有名な本作であるが、文章は難しい。下巻の校訂者である片岡利博氏も、後書きで「ひとりよがりな文章」と評している。
ただ、詳細な註と現代語訳が備わっているので、古文が苦手な人でも楽しめる内容である。
上巻の前半四段はオーソドックスな王朝物語。題名になっている「わが身姫」による、自分の出自探究について語られるのだが、「わが身姫」のキャラクターが薄く、感情移入できない。また前半四段だけで25年ほどが経過するため、個々の登場人物のキャラ立ちが弱い。
下巻の後半四段は、段毎に概ね一人の人物を中心にすえる構成。そのうちの第六段に、ここまで存在が一切触れられていなかった「女帝」の腹違いの皇妹「前斎宮」が唐突に登場。ちょっとしたサイドストーリーで、この女主人公が、おばかな「百合っこ」。天真爛漫でいたずら好きで、読んでいて非常に楽しい。
反面、第七段では、中宮がセックスレスの関係を望みながらも、状況からその関係を維持できずに懊悩する姿が描かれるなど、「女性」であるが故に苦しむ「女性たち」の姿が描かれている。
植民地朝鮮の児童保護史 植民地政策の展開と子育ての変容
2019/07/18 12:42
浅い「孤児」研究
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日本統治下朝鮮における「孤児」を研究。
方法論として以下の2点を強調している: 近代化論ではなくコロニアル・モダニティという視点。媒介者の役割への注目。
歴史的変遷の枠組みとして: 1920年代から予防に重点が置かれ、30年代の農村振興運動との関連から「子ども」の価値づけが更に変化。
本書の主軸は3~5章である。孤児院である済生院の活動が分析される。1920年代半ばから院内保育から院外保育へと活動方針が転換されて、里親制度が重視された姿が見えてくる。勤労精神の涵養に重点が置かれ、30年代の農村振興運動と連動して農業教育に比重が置かれていく。
ついで私立の永興学校が分析対象となる。内地に比して少年保護法制の整備・施行が遅れていた朝鮮では、民間の活動が中心となっていた。また感化院と矯正施設とが混ざり合った状態であることも説かれている。この永興学校の入学者である「孤児」の大半に親が健在であったことが指摘されている。30年代後半からは実践教育が重視され、個性に合った労働教育が説かれた。並びに不良少年を生み出す背景として、批判の主対象だったものが家庭であった点を析出している。
最後に1921年に設立された慶北救済会の活動が分析される。20年代半ばから、国庫補助を受けたことで総督府などの公的活動方針と協調して、予防教化に活動重点が置かれた。30年代になると活動の幅を広げ、里親への依存が高まると共に、保母を中心とした(擬制的)家族制度が強調されたと指摘している。
興味深い研究であるが、3点ほど問題点を指摘した。
1: 視野の狭さ。先行研究が乏しい領野であるので、朝鮮にのみ絞るのではなく、他の地域での「孤児」研究も取り入れれば、より広い視点から解釈が行えたのでは、と思われる。例えば、永興学校の「孤児」の大半が親持ちという事実は、ヴィクトリア朝イギリスにおける言説としての「孤児」と実態としての親持ちという乖離は、Lydia Murdochが指摘して、それを研究の「出発点」として扱っている。反対に、本筆者の田中さんは「分析結果」として提示しており、もう少し突っ込んだ問題意識と分析が欲しい。
2: 章の繋がり不足: 特に3(済生院)・4(永興学校)・5章(慶北救済会)における「家庭」の位置づけの矛盾に関して、田中さんが全く言及していないため、混乱する。つまり、一方では、「家庭」が不良少年生産の現場として批判されるにもかかわらず、他方で、里親制度や(擬制的)家族制度が用いられている。単純に良い家庭と悪い家庭という考えがあったという指摘だけでは、事実の追認に過ぎず、「家庭」という概念の両価性・浮動性などの歴史的動態を分析する必要がある。またコロニアル・モダニティを研究視角として採用するならば、「家庭」がコロニアル・モダニティーズでもあったことを念頭において分析すべきである。
3: 「子ども」の不在: 「子どもや育児そのものの持ちうる意味が、いかに変化したのかを捉えることを課題とした」(245頁)と主張されている様に、本書で「子ども」は(非歴史的・本質的)所与として扱われている。そのため子ども「観」の歴史ではあるが、子ども「概念」の歴史にはなっていない。上述した「家庭」概念の分析の不在に見られるように、本書では筆者である田中さん自体が用いる概念自体の相対化・歴史化に無批判であるため、序論で述べたほどにはコロニアル・モダニティという視角が生かされていない。「孤児」、「家庭」や「子ども」自体が生成・変容・模倣・剽窃されるモノとして分析してほしい。
ハプスブルクの「植民地」統治 ボスニア支配にみる王朝帝国の諸相
2019/06/13 12:41
説得力のない結論ありき
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従来、否定的に理解されてきたハプスブルクによるボスニア支配についての見直しを図るという意図自体は悪くはない。
ただ、その主張、あるいは願望が先行しており、史料に基づいて説得的に論じられていない。例えば、農業の発展を示す指標として、十分の一税の成長を挙げている。その上で、その収入が停滞した事実については、1910年の徴税方式のパウシャル化を理由として挙げている。しかし徴税額のグラフでは19世紀末・20世紀初頭には既に停滞しており、1910年のパウシャル化を理由とすることは場当たり的で説得力がない。
本書は法制化作業を通じた、ボスニアの状況にあった農業政策へのハプスブルクの努力を評価して、否定的な支配評価を覆すというシナリオで一貫している。しかし、被支配地域の状況に合わせた施策自体は、経済的・合理的な支配の観点から見て一般的で平凡である。これだけをもってハプスブルクのボスニア支配は、他の「植民地」支配とは異なるとする主張には無理がある。例えばボスニア内の預貯金がどのように再分配されたのかなどの短期・長期の資本の分析などが並行して行われるべきであった。
細かいことであるが、ボスニアがハプスブルクの関税圏に組み込まれたと述べた上で、筆者は一貫してボスニアから商品などが出ていくことを「輸出」と表現している。この場合、商品がボスニア外・ハプスブルク圏内へ出ていく事なのか、ハプスブルク関税圏の外へ出ていくことなのか不分明である。日本の植民地経済史などでは移出と輸出を区別しており、ハプスブルクの関税圏に組み込まれたという事実を記述するならば、その事実に即した記述に配慮すべきである。
近年の植民地や帝国に関する理論的ならびに個別・具体的な内外の研究をほとんど参照しておらず、もう少し勉強した上で、補筆・加筆あるいは全面的な書き直しが行われた後になって、初めて学術的な評価(肯定であれ否定であれ)を下すことができると思われる。現状では、上述した筆者の願望を長々と述べているだけである。
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