雑多な本読みさんのレビュー一覧
投稿者:雑多な本読み

慰安婦問題論
2022/12/31 11:46
慰安婦を政治的に定型ストーリーでとらえるリスクを考える
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
本書を手に取って感じたのは、2008年に韓国人研究者がシカゴ大学出版から英語で刊行した研究書であり、日本語版は2022年に出されたのかということである。しかし、内容的に古いものでなく、刊行当時から現在まで慰安婦問題をめぐる基本構図は変わらない。日本軍の慰安所について、丹念に調べた上で、認可業者型、軍専属型、犯罪型に分類し、商業性と犯罪性があることを指摘する。公娼か性奴隷かの二元論で、特定の勢力の主張として、困惑された方も多かったのではないだろうか。実態を軽視しがちな論争は問題の核心すら見逃すのではないかと警鐘を鳴らす。そもそも日本と朝鮮半島で、女性蔑視・搾取の構造があり、植民地化、戦争を通して日韓双方が国家レベルでも国民レベルでも加担していた事実、見たくないであろう事実に迫ろうとする。一貫した問題意識であるから、家父長制下の女性に対する抑圧、日本の敗戦後は、占領軍に対する日本の女性供出(日本の多くの女性を守ると言いながらの自己保身か)、朝鮮戦争時を含む在韓米軍に対する女性供出に言及している。当然、日本政府や日本軍の責任を軽くするものではない。本書の目次を見ると、
はじめに
序―ジェンダー、階級、セクシュアリティ、そして植民地下における労働と帝国主義戦争
第1部 ジェンダーと構造的暴力
第1章 多様な慰安婦像から定型ストーリーへ
第2章 韓国人サバイバーの証言ナラティヴ
第3章 歴史としての日本の軍慰安制度
第2部 パブリック・セックスと女性の労働
第4章 慰安婦をめぐる戦後/解放後の公的記憶
第5章 パブリック・セックスをめぐる個人の記憶
第6章 パブリック・セックスと国家
おわりにー真実、正義、和解
補遺―「在外者人類学」を実践するということ
謝辞 となる。また、解説も読むべきところである。
日本で、戦前から公娼制度が幅を利かし、国際的な批判を浴びて廃止したといいながら、公娼制度の実態を継続した上に、植民地に持ち込んでいった。歴史的事実と家父長制や公娼制度等を直視した取り組みを考えるにも、一読する価値がある。

文学が裁く戦争 東京裁判から現代へ
2024/01/07 20:24
東京裁判で戦争犯罪を裁ききれたのか、文学で追えるのか
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
第二次世界大戦において、1945年8月に日本の敗戦が確定し、ポツダム宣言を受諾した。この宣言受諾により戦争犯罪人が処罰されることになる。本書でも戦犯についての解説がある。A級は平和に対する罪、B級は通常の戦争犯罪で、民間人殺害、捕虜虐待等が該当する。C級は人道に対する罪で、ここに上下はなく分類となる。A級、C級という分類はポツダム宣言から始まるといわれ、その後の戦争犯罪の処罰基準となり、現在を生きる人から見ると当然となる。東京裁判でA級による死刑を含む処罰が下され、B、C級は他の裁判で処罰されていく。この裁判に対し、多くの角度から批判されているが、捕虜となった欧米軍人に対する処罰に比重がかかっているように思われる。
本書は裁判で裁かれなかったことに対して、戦後の文学作品が取り上げているが、時間の経過や政治情勢の変化に応じて、東京裁判等に対し、あるいは裁かれなかったことに対し、どう展開されているかを追っている。コンパクトだが内容は豊富である。目次を見ると、
はじめに
第1章 東京裁判と同時代作家たち
第2章 BC級裁判が突きつけたもの(1950年代)
第3章 裁かれなかった残虐行為(1960年代)
第4章 ベトナム戦争とよみがえる東京裁判(1970年代)
第5章 経済大国と混迷する戦争裁判観(1980年代)
第6章 記憶をめぐる法廷(1990年代から2000年代)
第7章 戦争裁判と文学の今と未来(2010年代以降)
おわりに
主要参考文献、図版出典一覧、あとがき となっている。
以上のように展開される。どうしてもA級戦犯に目が向きがちであり、B、C級戦犯として処罰されたことを取り上げる作品が出てくる。戦時中は植民地であった朝鮮半島、台湾から兵として出され、上官の命令で捕虜虐待をした人々が死刑を含む処罰を受けていることが作品に反映される。ベトナム戦争の時代、日本が経済成長していた時代から失われた20年や30年といわれる時代で作品の取り上げ方や史観の変化が出てくる。著者は本書で触れられた文学作品を読むにあたり、戦争経験のないわけであるから、犠牲者にも加害者にも傍観者にも過剰に同一化せず、戦争犯罪の再審を求める作品に対し、様々な立場からアプローチすることを求めている。具体的な内容まで触れないが、一読してほしい本である。

日本の地方財政 第2版
2021/06/18 19:59
地方財政を多面的に分析・解説するテキストとして好適な一冊
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2014年に本書が出版されたが、昨年11月に第2版が出されたということで、地方財政の制度的改革が行われたことを示すもの。
本書は、先ずは地方自治制度から入り、国と地方自治体の関係を説明したうえで、地方財政を説明し、必要なポイントを短くまとめている。
地方財政で、主な収入となる地方税を説明しているが、次いで地方交付税という難問にページを割き、丁寧に制度や問題点を取り上げている。
地方自治体は、国によって位置付けが違い、日本の場合は地方税等の独自財源が少ない割に、国庫補助金等を含めて、支出額は多い。地方交付税が自治体の独自財源で、自治体間の財源不均衡を修正するはずであるが、国の政策誘導に利用されている一面にもスポットを当てている。
地方債、予算・決算、財政健全化、地方分権改革に触れながら、コンパクトのものになっているので、全貌を見るのに適当なものである。

なぜ日本は原発を止められないのか?
2023/12/29 20:33
一度抱えた利権は手放せないのだろうか。転換せざるを得ないことはわかっているのに。
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2011年3月11日に地震と津波の対策を十分に措置していなかったことにより、福島第一原発の大事件を経験したにもかかわらず、10年程度過ぎたにすぎず、多くのことが解決していないにもかかわらず、原発推進に転換したことに対し、その問題となぜそうなっているかを解明しようとする書である。福島第一原発では、核燃料が解け落ち、デブリとして大量に溜まっており、各汚染水が絶えず大量に発生しているが、処理をしても処理しきれない状態で海洋投棄されている。2015年に関係者の理解なしにいかなる処分も行わないと政府は福島県漁連に文書で約束したことは本書でも指摘されているが、IAEAの基準をクリアしているということで平気で流している。原子炉等規制法上では「液体状の放射性廃棄物」と位置づけられているものを処理水と表現することは不適当であり、これも紹介されている。通常の原発の排水はトリチウムしか含まれないが、核燃料に触れているため、数多くの放射性物質を含み、処理しきれない現実がある。この点だけでも多くの問題を抱える。原発はどんな問題を抱えているのであろうか。本書は多くの問題をわかりやすくコンパクトにまとめている。目次を見ると、
はじめに
第1章 「復興」の現状は
第2章 原子力専門家の疑問
第3章 原発はなぜ始まったのか
第4章 原子力ムラの人々
第5章 原発と核兵器
第6章 作られる新たな「安全神話」
第7章 原発ゼロで生きる方法
おわりに となっている。
以上のように展開される。福島第一原発だけでも、アルプスで除去した放射性物質をどう処理するのか、汚染されているのは水だけでなく、土地もある。除染したといっても一部だけにすぎない。除染しきれない問題は水と同じである。送電線で送られる電気も原発優先で、自然再生エネルギーは発電しても送ることができないとか、特定の業界それも政、官、学と結びついた原子力ムラといわれる狭い世界だけで進められているが、原発は人間が制御できないままで来ている技術である。核廃棄物は処理できないままで残るばかり。核燃料サイクルも破綻し、見通せないままとなっている。著者が積極的に動き、収集した情報が詰まっている。一読してほしい本である。

コモンの「自治」論
2023/09/12 19:26
コモンとは。自治とは。これまでの公共や地方自治とどう違うのだろうか。
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
コモンとは何か。公共というと、これまでの役所にお任せや役所に何かしてほしいというイメージになることが多い。大阪維新の会等の主張を見ていると、大阪城公園の樹木を伐採し、特定の企業に任せて、有料の商業施設を作って利益を上げることを絶賛している。これに対抗するしているようなイメージがある。別に維新に限らず、ヨーロッパの国々で水道事業を民営化し、当然、請け負った企業は利益を出し、株主に配当することから、高い水を購入できる人にはサービスし、払えない人は慈善事業でないとばかり切り捨てる事態が発生し、結局、再公営化せざるを得ないことになり、企業に多額の違約金を払うことになっている。なぜ、こんなことが起こるのか。企業が利益を出せる事業を見いだせず、税金にぶら下がってきている面がある。赤字をなくせ、効率化や身を切る改革と言って時流に乗ってくる面もある。どんどん進めると人間としての生活を切り捨てる社会になってしまう対抗軸として、自治という構想が出てくる。しかし、自治といえば、地方自治といって、地方の時代ともてはやされた時期があったが、これは地方自治体や首長、政党等が上からのアプローチといえる。結局、ブームで終わったのは市民から日常的なものとして出てこなかったからであろう。目次を見ると、
はじめに ― 今、なぜ<コモン>の「自治」なのか? 斎藤幸平
第1章 大学における「自治」の危機 白井 聡
第2章 資本主義で「自治」は可能か? 松村圭一郎
― 店がともに生きる拠点になる
コラム1-「自治」の現場から 「京都三条ラジオカフェ」がつなぐ縁 藤原辰史
第3章 <コモン>と<ケア>のミュニシパリズムへ 岸本聡子
コラム2-「自治」の現場から 市民一人ひとりの神宮外苑再開発反対運動 斎藤幸平
第4章 武器としての市民科学を 木村あや
第5章 精神医療とその周辺から「自治」を考える 松本卓也
コラム3-「自治」の現場から 野宿者支援からのアントレプレナーシップ 斎藤幸平
第6章 食と農から始まる「自治」 藤原辰史
― 権藤成卿自治論の批判の先に
第7章 「自治」の力を耕す、<コモン>の現場 斎藤幸平
おわりに ― どろくさく、面倒で、ややこしい「自治」のために 松本卓也
註 となる。
以上のように、複数の方が、多角的にコモンと自治に対してアプローチしている。上からの自治や学問上の自治というと、自治を生み出す過程は無視されることが多いし、一度制度化されると腐敗してくることが多い。絶えず作り直しが必要だと感じる。地方自治法で、自治は団体自治と住民自治があり、団体自治というのはわかりやすいが、住民自治とは何かといえばなかなか難しい。テーマを定めて住民投票というのも手段としてわかるが、議論が十分されずに、賛成、反対で投票させることが自治なのかといえば違うといえる。学校で学ぶことは正答があることが多いが、世の中で民主主義を踏まえての議論や課題は正答がない場合が多い。スピード感というわけのわからない言説が蔓延る時代に、幅広く熟議し、より多くの人が参加するという一見無駄に見えることの価値をどれだけの人が理解できるかにかかっていそうだ。答えが見出しにくい時代だから大切にすべき思想であると思う。一読してほしい本である。

環境・福祉政策が生み出す新しい経済 “惑星の限界”への処方箋
2023/07/11 20:25
環境保全と経済成長を対立させる時代は終わった
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
SDGsという言葉を知っている人は多いが、ごく普通に実践している人は少ないというのが日本の特徴と言われる。SDGsのトップに来るのは貧困の克服だが、環境問題としてしか見ていない。しかし、開発途上国の絶対的貧困の問題が克服されるまえに、地球温暖化・気候変動による新しいリスクが高まっており、一部の先進国が行き過ぎた開発や環境負荷を考えない経済成長を追い求めていることは否定できない。ただでさえ、氷河が解け、水位が上がることにより生活場が奪われかねない状況が生まれつつあり、EEZが変わりかねないと言われている。少なくとも、気候変動により集中豪雨が続き、一方では日照りが続く地域が頻繁に出ていることは間違いない。目次を見ると、
第1部 総論 ― いま何が問われているのか
1 本書の構成と概要
補 章
2 経済成長・幸福と自然
3 環境と経済成長
4 温暖化の緩和・適応と貧困・格差問題
第2部 新たな社会を展望する
5 新しい経済構造を切り拓く サーキュラー経済の意義
6 経済成長の定義・測定の見直し
7 現代社会のウェルビーイング
― 経済成長・格差・地域との関わり
8 持続可能なライフスタイルを選択できるのか
― 日独のアンケート調査の分析より
あとがき、参考資料、索引 となっている。
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、将来発生する巨大災害リスクの可能性とコストについて警告を発している。これを回避するには、直ちに温暖化・気候変動を緩和し適応する必要があり、資本主義のあり方、金融システム、生産・流通システム、コーポレートガバナンス、働き方・労使関係などをトータルで見直す時期にきているという。そこで、リニア経済からサーキュラー経済への転換、リサイクル程度にとどめることがない取り組みを提起する。各章とも読みごたえがある。一読してほしい本である。

満州分村移民と部落差別 熊本「来民開拓団」の悲劇
2023/02/16 20:30
部落差別を利用してまで、日本政府、軍は満州侵略の手先に使った
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
著者はアメリカの日系4世であり、満州開拓団をどう描くのか、部落差別とどうとらえることができるのかと思ったが、その疑問に応える書である。本書は、日本政府や関東軍の画策により、満州に開拓団が送られるまでの歴史から始まり、部落差別を利用して、熊本の来民開拓団の送り出し、そして、1945年8月に敗戦となり、現地の住民を差別、圧迫してきたことによる襲撃、開拓団ほぼ全員の自決、その事実を追い求め、問題の本質に迫ろうとしたものである。
この来民開拓団は、熊本の被差別部落で、差別と狭い農地で呻吟していることを利用し、融和事業の一環として、農村の満州開拓移民事業の国策として、満州に送り出された。農地を格安で、関東軍や警察の力を使って取り上げられた現地住民は、ソ連軍が迫る中、敗戦を機に、各地の開拓団を襲撃する。来民開拓団は、子供を含む276人全員(証言を後世に残すために脱出した1人を除いた)が集団自決するに至たる。その全容を明らかにするため、当事者の証言、資料を丹念に調べ、現在までを追っている。また、同じ開拓団といっても、住民に襲撃を受ける前に、ソ連軍と交渉し、ソ連兵の「性接待」で独身女性を供与したことで知られる黒川開拓団とを対比する。どの開拓団も、敗戦がわかると真っ先に逃げ出した関東軍、日本政府は国民保護を何も考えていなかったことが明らかにされる。
熊本で、周囲から差別され、水平社運動が起こることなく、ものわかりのいい部落として、融和事業の対象とされたものの、分村で満州開拓団とされた。差別を解消する目的になっていない融和事業であった。満州に行けば部落差別はないと思わされていたが、部落差別があるから行かされたと言える。満州では、現地の人々を差別する実態があり、今度は差別する側に回ってしまう。開拓団は結局、関東軍に食糧を供給し、政府や関東軍を守るために派遣されたものである。それにもかかわらず、日本の形勢が不利になると、開拓団の男性は次々と徴兵され、主に高齢者、女、子どもの集団になり、それが自決に追い込まれる。単なる悲劇ではなく、国策や利権を貪る一団の犠牲であることを明確にしている。一読してほしい本である。

格差に挑む自治体労働政策 就労支援、地域雇用、公契約、公共調達
2022/11/12 20:42
安かろう悪かろうの自治体議員、首長、政策では未来はない
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
本書の目次を見ると、
序 地方自治体と労働政策――三つの役割・五つの視点
第一部 就労支援政策
第一章 働くことを通じた自立支援 その意味
第二章 自治体就労支援政策の意義と課題
第三章 自尊感情の回復と中間的就労――釧路市の生活保護自立支援プログラムの取り組み
第四章 「標準」に達することを求めない福祉――秋田県藤里町社会福祉協議会の「活躍支援」という実践
第二部 地域雇用政策
第五章 地域就労支援から地域労働市場への対応――豊中市の実践にみる地方版ハローワークの可能性
第六章 グローバル資本主義に対抗する支え合いの経済
第三部 公契約・公共調達
第七章 社会的価値を反映させた公共調達(付帯的政策)の可能性――英国自治体の取り組みからの示唆
第八章 入札を活用した政策実現――公契約の適正化と政策目的型入札改革
第九章 公契約条例がめざすもの――制定条例の現状と課題から考える
第十章 公契約条例の実務と理論
終章 地域の労働政策・雇用政策を考える――「繋がり支え合って働ける社会」をつくるために
となっている。
地方自治体が正規職員を削減し、非正規職員に置き換えており、格差を拡大している現状がある。しかし、格差、貧困などが社会の危機を生み出していることに地方自治体が立ち向かわないといけない。ディーセント・ワークを実現する役割がある。本書は労働政策を展開する五つの視点で、自治体が1.良質な事業者を選ぶ、2.良質な事業者を育成する、3.働く人を下支えし、4.働く人の権益を守る、5.働く人の誇りを回復するということを提示する。
正社員・正職員の多くが長時間労働に従事し、非正規の多くの存在で、統計上、労働時間が短縮されている現実がある中で、就労支援策、地域雇用政策等にわたって自治体に大きな開きがある現実が課題となっている。特に、地方分権推進の中で、自治体ごとの差が大きくなったといえる。その状況で、ここで取り上げられる大阪・豊中市、北海道・釧路市、秋田県藤里町は各々で先進的な取り組みを進めている。ということは、公契約条例制定を含め、国が言う、あるいは国が言っていることすら実践しない自治体も多いということであろう。個々の取り組みは本書を参照してほしい。実際に取り組んでいるのは、社会福祉協議会であったり、会計年度任用職員、NPO法人等であり、これを認識したわずかな正職員ということも見えてくる。
国は、ハローワークで就職支援を行うが、福祉業務は旧厚生省の担当でリンクしないが、地方自治体は生活保護等の福祉業務から中間的なエリア、豊中市のようにハローワーク業務を担い、切れ目のない仕事を担う。他の自治体はどうであろうか。さらに、大阪は府や大阪市を始め各市町村は、自治体自身が正職員を減らし、非常勤も抑制し、業務丸投げで民間に委託している。そこには自治体が住民等に対し無責任になっている。しかし、どこまでいっても市長らは責任を回避できない。公共サービス基本法から、国連は、ビジネスと人権に関する指導原則を示している。本書を読まれ、自治体や企業がどうすべきかを読み取ってほしい。

わたし生活保護を受けられますか 全国10,000件申請サポートの特定行政書士が事例で解説申請から決定まで
2022/08/14 20:40
生活保護を本当に分かっている人はどれだけいるの?
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
本書は、特定行政書士が書かれた生活保護を受けるための手続きを書いたものといえる。しかし、それではこの本を説明したことにならないであろう。
生活保護を受けるべき人が読むべきものであるとともに、生活保護という制度がよく分かっていない、かつ生活保護に無縁と思われる多くの人が読んで、正しい理解をするための本であり、生活保護業務に従事する市区町村職員にも読んでほしいと思う本である。
まず、日本国憲法第25条から入り、基本的理念を十分かみしめ、厚生労働省の生活保護は国民の権利というところから始まる。この権利性を国会では、当時の安倍総理大臣が答弁で明確に言い切ったものである。
最初に、この本の使い方の解説、はじめにで著者の行政書士になった経過が書かれ、第1章で「わたし生活保護を受けられますか」で生活保護制度の説明を行う。本書は行政関係が作った解説書ではない良さが出てくる。
第2章では、生活保護 申請から決定までで、具体的な流れが解説される。扶養照会や水際作戦といった最近話題となっている点も触れている。
第3章では生活保護申請の事例で、生々しい生活保護受給に至る紹介がされる。そこでは、不正受給の話が出るが、給付総額の1%に満たない程度に過ぎないことは知る人ぞ知る(知らない人は知らないし、国民の大半が入るだろう)であるが、その中の多くは無知や手続き漏れに過ぎないことが多い。不正は、生活保護制度以外でもあるとともに、どの制度でも、ごくわずかの人が手を染めていることがわかるのではないだろうか。
とにかく、一読をお勧めする。

日米地位協定の現場を行く 「基地のある街」の現実
2022/06/28 18:50
日米安保体制を支持する人ほど読んでみる価値あり
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
日米地位協定と言われても、何のことかわからないのが普通だと思う。私も読むのをためらうテーマである。そもそも、日米安保条約から始まり、日米地位協定とこの取り扱いを定めた日米協議の議事録まで読まないとわからない言われるとウーンと唸ってしまう。
これを在日米軍基地と米軍が自由に使える自衛隊基地。それどころか、日本のどこでも米軍が訓練に使えるというのはどういうことかと思ってしまう。
これを条文等に沿って解説されても頭が痛くなるのは当然だと思う。この「日米地位協定の現場を行く」という新書で、現実に沿いながら解説されると少しはわかりやすくなるし、本書はそれに応えていると思う。
「はじめに」で、筆者の一人である宮城さんは、沖縄出身の記者であることから、自らの心情にも触れながら書き出す。
在日米軍基地は、狭い沖縄に集中しているが、沖縄が求めたものはない。
日本が第二次世界大戦で敗北を喫し、ファシズムに勝利した連合軍に占領され、日本全土に占領軍が基地を配置したが、米軍を中心としており、次々と米兵が犯罪や事件を引き起こした歴史的事実は動かしようがない。結果、米軍基地を追い出す住民運動が盛り上がり、結局、アメリカが支配する沖縄に基地が移される。1972年に沖縄が日本に返還されても、基地は沖縄に移されている。
ここで、安保条約とは、特に条約を実際に動かす日米地位協定とは何かと第1章で解説する。そもそも、戦後、日本がサンフランシスコ講和条約で独立を回復され、1960年の日米安保条約で占領から対等に変わるはずなのに、日米地位協定とこの運用を協議する場での議事録で骨抜きにされることをわかりやすく示す。
日米地位協定の問題整理を4点にまとめている。また、在日米軍の飛行訓練の定めがないことから、日本のどこでもできることになっていることを指摘する。さらに、協定の合意議事録の存在で、米軍の権利をさらに保障している。それも国民不在を明らかにする。そして、日米合同委員会の存在。この辺りは他書でも整理されているところである。
米軍基地が沖縄に集中しているから、沖縄の基地のことを書いているかと思いきや、第2章は「三沢基地―青森県」、第3章「首都圏の米軍基地」、第4章「岩国飛行場―山口県」、第5章「自衛隊築城基地ー福岡県」、第6章「自衛隊新田原基地ー宮崎県」、第7章「馬毛島ー鹿児島県」、第8章「嘉手納基地ー沖縄県」というように、「基地のある街」の現実を描こうとする。
沖縄の経済の基地依存度は大きく減らしてきており、中国の経済発展、軍事力増強の中で、米軍が徐々に引き、自衛隊が前面に出ていることは多くの方が知っているだろう。本土の基地があるところは、大都会でなく、これといった産業がなく、基地に依存する問題を明らかにする。まさに、苦悩の中の受け入れとも言える。単純な問題でないことを示してくれる。
最後の「おわりにかえて」では、もう一人の筆者の山本さんは、在日米軍の海兵隊のグアム移転に触れ、日本から出ていけばよしとならないことに触れる。環境破壊の問題を取り上げる。安全保障の問題を現場に押し付けることでは何も解決しないことを示し、各々が考える必要があることを示す。
2024/12/06 23:28
大阪の教育改革は、改革か破壊か、公正か卓越か
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
大阪では、改革を掲げた大阪維新の会が教育分野に深くかかわってきた。本書は、その「改革」を掲げた教育政策の転換は教育をよくしたのかを問う。特に子どもたちの学びと育ちは保障されているのか。改革と叫び、スピード感を繰り返し言っていたが、改革の成果と課題がしっかりと明らかにされ、それを踏まえて次の段階に踏み込んでいったのか、ムードだけで改革ということばを繰り返していないのか。政治的なタイミングに合わせて利用していただけなのか。見るべきことは多い。また、単に大阪だけの現象、維新だけの現象といえるのか、全国的というより、世界的に広がる新自由主義の流れのひとつなのかをしっかりと見つめていかないと判断を誤るだろう。教育界の古い体質は問題があると思うが、それを利用し、攻撃対象として、政治的な力を教育の場に持ち込んできたことの正当性があるといえるのだろうか。地方分権を利用しながら、自治体レベルで知事や市長が、政治的に教育に介入することは正しいのだろうか。教育の中立性は、政府が権力的に介入することを否定するロジックであるが、地方政府もここに含まれるだろう。改革といえば許されることではないだろう。それより、教育は現場の取り組みがもっと大切だろう。本当に大切にされたのだろうか。本書の目次を見ると、
序―検証なき改革を検証するために
第1章 新自由主義的教育改革の潮流―歴史を振り返る
第2章 大阪の教育改革を振り返る―政治主導による政策の転換
第3章 公正重視から卓越性重視へー学力政策はどう変わったか
第4章 格差の拡大と地域の分断―小・中学校の学校選択制
第5章 高校の淘汰と進路保障の危機―入試制度改革と再編整備
第6章 改革は成果を上げたのかー新自由主義的教育改革の帰結
第7章 新自由主義的教育改革に対抗するために
あとがき 参考文献 となっている。
以上のように展開されている。新自由主義的な教育改革の国際的な潮流から始まり、日本での動き、「ゆとり」から「確かな学力」ということで、全国学力・学習状況調査が始まり、それを極端に展開されたのが大阪といわれている。大阪での動きは、橋下知事の上からの教育改革となる。もともと、欧米に比べ集権的な教育政策が進められてきたが、一気に上意下達で教育政策が進められてきたことは間違いない。現在まで、学力テストいう学力のごく一部しかとらえることができないもので、子どものすべてを評価できると思い込んでいるしか思えない展開があり、現場での創意工夫は二の次(トップの方針に沿う取り組みは別だろう)となり、事なかれ主義が蔓延しているといわれる。本書では、その実態を統計上も明らかにする。中学校の選択制を支持する人が多いが、実際に校区外の学校に通う生徒は一割程度で、支持されているといえるのだろうか。PDCAを導入するといっても、企業の経営上の取り組みを、子どもに対し機械的に適用している限り、うまくいくとは思えないし、事実、そうなっていないことが明らかにされる。人間相手であるので、著者があるべき取り組みを提起するが、成果を出すには、手間ひま、時間がかかることは明らかだろう。学校だけで解決できないことが多い。親の経済力や文化的な生活に囲まれないと簡単に、学力がつくとも思えない。しかし、それでもできることがある。それを示唆する。教育というだれにもわかるようで、わからないことが多い分野である。ぜひ一読されたい。

女性の階級
2024/08/22 10:28
イデオロギーや階級ということばを嫌う時代は幻想だったといえる
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
表題に階級というワードを持ってくる。高度経済成長を経て一億総中流といわれた時代から、消えたとものとされていたが、幻想に過ぎなかったと現実は教えてくれる。本書は、資本階級と労働者階級というワードを使いながら、マルクス主義研究者に見られた機械的な分類とは違い、特に、女の階級という女性に焦点をあて、さらに男性の階級分析を行っている。階級より女性に焦点を当てているといえるが、階級とは何かということも考えさせている。また、統計を表面的にしか読めない事に対しても批判となっている。目次を見ると、
はじめに
第1章 格差社会と女たち
第2章 階級とジェンダーが結びついた社会
第3章 女たちの経済格差
第4章 階級社会の女たち
第5章 女はなぜアンダークラスになるのか
第6章 新型コロナ下の女たち
第7章 格差と闘う女たちが世界を救う
参考文献 となっている。
以上のように展開される。資本家階級、労働者階級、旧中間階級、新中間階級の4分類から、性別での違い、労働者といっても正規と非正規というように組み合わせによって、格差という現実の違いがあり、これを丁寧に分析していく。戦後、特に高度経済成長により格差は縮小し、税制も所得税の累進制も明確であり、法人税のウェイトも大きかった時代は、平等が当たり前という意識が強かった。バブル崩壊後の30数年は格差拡大が続き、それを是認する言説も強まった。特に規模別、産業別より男女の賃金格差が大きく、格差は差別と相性が良いのだろう。男女の賃金格差の縮小といわれ、年齢と労働力率の関係を表す表で「M字カーブ」が解消されてきていることで差別がなくなっているという見方に対し、女性のライフコースが多様化した結果と厳しい見方を示す。差別や格差解消の目安にならないし、少子化を招いた現象を示すに過ぎないといえる。なんとなくとらえていた、女性から見て、配偶者により、所属階級が変わり、生活が左右される。死別や離婚で大きく生活が変わる日本社会の仕組みの後進性も明らかにされる。多くの女性が持つ視点や考え方を野党が生かし切れていないなど、社会をどう変えていくかの提起もある。さらに、具体的なものがあればと思う。一読してほしいものである。

自壊する欧米 ガザ危機が問うダブルスタンダード
2024/08/12 20:43
欧米は人権擁護、民主主義のお手本ではなかったのか
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
8月9日の長崎市の平和祈念式典にイスラエルは招待されず、パレスチナは招待されている。ここで欧米は大使を出さないと決めて、マスコミを賑わしている。イスラエルはハマスの奇襲攻撃を理由に、無差別ともいっていいほどの攻撃を行い、子どもを含むパレスチナ市民はジェノサイドと言ってもいいほど死傷者を出している。多くの日本人から見て、なぜ、こんなことが起こっているのと思っているだろう。本書は、中東、欧州移民社会を研究している内藤正典同志社大学大学院教授と三牧聖子同志社大学大学院准教授の2人がこの問題に切り込んで、イスラエルを支援するアメリカやヨーロッパ各国の状況を解説する。また、日本政府の対応についても取り上げる。対談形式によるわかりやすさもある。目次を見ると、
10.7が可視化した暴力の世界 内藤正典
序 章 イスラエル・ハマス戦争という世界の亀裂 内藤正典
第1章 対談 欧米のダブルスタンダードを考える
第2章 対談 世界秩序の行方
終 章 リベラルが崩壊する時代のモラル・コンパスを求めて 三牧聖子
となっている。
以上のように展開される。そもそも、ハマスの奇襲攻撃から始まるのではなく、イギリスの植民地とされていたパレスチナの人々が居住している地域に、第2次世界大戦後、イスラエル建国を容認したイギリス、それをオーソライズした国連の問題からの歴史がある。ガザの狭い地域に200万人以上押し込められ、約7割は生活の場を追われた難民という。その中からハマスは生まれてきており、この奇襲攻撃が起こることはイスラエルにも情報が来ていたが、ネタニヤフ首相は無視したという。そういったところから、テロとは、テロリストとはという点、欧米の白人至上主義的な見方も垣間見え、ホワイトフェミニズムという批判も出てくる。トルコの果たした役割など興味深いところが多い。ロシアのウクライナ侵攻に対する姿勢とイスラエルのガザの無差別といえる攻撃に対する姿勢がなぜこうまで違うのか。やはり、ダブルスタンダードと批判されるだろう。日本政府は、こうした国際情勢に対して、アメリカの顔色を見ているばかりという印象は免れない。私たちの理解を進めるためにも一読してほしい。

子ども若者抑圧社会・日本 社会を変える民主主義とは何か
2024/06/28 20:38
日本の若年層は政治や社会に無関心なのだろうか
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
日本の若年層は政治や社会の課題に無関心なのだろうか。たしかに、昔と比較しても遊ぶところは多いし、多くの情報が次々と流れてくる。しかし、そんなところで判断していいのだろうか。本書は、これを否定する。若年層は、政治に関心があるが、自分の行動で国や社会を変えることができると思っている人は少ないという。大人として責任感を持つ一員と思う人が少ないともいう。デモや直接的な表現をする行為に参加する率が低いという。しかし、これは若年層だけのことだろうか。中高年層にもよく見られるようにも思う。しかし、高度経済成長期を始め、バブル崩壊までは、まだまだ行動する人は多かったといわれる。今は閉塞感が漂うのは、世代を問わずといえよう。この状況が若年層に蔓延していることは問題である。ここを変えないと日本の未来はないといえる。著者は、社会に漂う閉塞感を打ち破るには、日常的に変化を起こしていくには、民主主義の強化であり、若者に権限を与えるべきという。選挙権は18歳まで引き下げられたが、被選挙権の年齢は変わらず、裁判まで起こされている事実がある。神野直彦さんの著書でも、18歳で議員に立候補できる例を紹介しているが、本書によると、北欧等は当たり前で、ユースが政治の世界に大きな影響を与えていることを取り上げる。目次を見ると、
はじめに
第1章 25歳まで選挙に出馬できない日本の若者
第2章 子どもの人権が認められていない?日本の学校
第3章 子どもの権利を尊重する海外の取り組み
第4章 権力者にとって都合の良い日本の「民主主義」
第5章 欧州の民主主義教育
第6章 社会を変えるための「武器」を渡そう
あとがき となっている。
以上のように展開される。日本の教育システムは、従順な人間を作り出すものとなっており、権力者に都合の良い「民主主義」となっていることを指摘する。民主主義を多数決としか教えていないと世の中は変わるはずがないだろう。世の中の3%が動けば世の中が変わるといわれているが、その真意が届くはずがない。日本が低迷している原因を見るようだ。日本若者協議会で活動してきたことを踏まえて、被選挙権年齢の引き下げ、子どもの権利の尊重、若者団体の活動基盤の整備等を提起する。子どもの権利条約を批准し、子ども基本法を制定しているにもかかわらず、その意味を理解せず、パターナリズムに浸り、支配することが善のようになっている社会を変えようとする。この前向きな姿勢がないと、世界から見放されるであろう。ぜひ一読してほしい。

同性婚と司法
2024/06/21 17:08
同性婚を認める日本社会に変わってきている
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
本書は、同性婚を認めていない現行法が、日本国憲法の規定に照らして、合憲か、違憲かを正面から問うものであるが、著者の姿勢は明確である。少数を多数からどう守るかという観点を打ち出し、憲法の規定をどう見るべきかを問う。憲法第24条の規定で、両性の合意の意味はどうなのか。憲法制定時は、同性愛について、精神的疾患や社会秩序を乱すという意識が蔓延していた時代である。しかし、同性婚を否定するというところまでいっていないところから、憲法改正ではなく、条文解釈によって耐えることができると説明する。目次を見ると、
はじめにー同性婚問題との出会い
第1章 日本における多様性、LGBTQ問題のいま
第2章 日本の五つの同性婚裁判
第3章 米国の積極的司法とその背景
第4章 日本の積極的司法の先例とその背景
第5章 同性婚を認めるための二つの憲法解釈の提案
おわりに
注 あとがき となっている。
以上のように展開される。LGBTQは少数派と言いながら、10%近く存在するという。相当多くの人が、長い間抑圧されてきたことは間違いないだろう。同性婚において、日本の裁判所の判断が揺れていることがよくわかる。とうとう、日本も同性婚に真剣に向き合うようになってきたともいえる。立法機関の多数決原理優位の中で、司法はどうあるべきかという点も興味深い。最高裁判事経験者が新書にまとめたことも貴重である。アメリカの積極的司法の時代で、司法の役割を取り上げる。日本でも、相続時に非嫡出子の法定相続分が少なくなるという民法の規定に対し、司法が正面から向き合ったことが紹介されるが、アンケートの聞き方で結果が大きく変わることも示しながら、話を進めていく。政治家も裁判所で決めてほしいと思っているかもしれない。憲法解釈と言っても、その解釈によって、他の条文の解釈の方法に影響を及ぼすことにも配慮している。同性婚と憲法を勉強するにはちょうどいい。ぜひ一読してほしい。