ふくおかさんのレビュー一覧
投稿者:ふくおか
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悪魔の証明 なかったことを「なかった」と説明できるか
2021/09/02 05:51
この書籍には誤りが多いです。
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第1章は、「犯罪」やその証明について概説が加えられていますが、誤りが多いです(谷岡センセイの授業以外では、参考文献として用いない方がよいでしょう。減点されます)。
まず、犯罪と認定するためには、行為者に「責任」がなければなりません。この点について、著者は、いん唖者と未成年者についてそれぞれ、刑法40条、41条に言及しています。
(1)刑法40条(いん唖者の責任阻却・減少)については、すでに削除されています。
(2)16歳未満の者は、犯罪行為執行能力が認められない旨の記述がありますが、これは誤りです。2000年の少年法の改正により、14歳以上16歳未満の者についても、刑事責任を問うことが可能になりました。
なお、「犯罪行為執行能」力というのは、刑法(学)では用いない用語です。
さらに用語上の問題として、
(1)証明が為されない場合には、無罪「評決」ではなく、無罪「判決」が下されます。アメリカでは、陪審員が有罪無罪を判断し、裁判官が刑罰を決定するという二段階のシステムが取られているので、前者を「評決」、後者を「判決」と翻訳することが一般的です。しかし、わが国では、このような2段階システムは取っていませんので、無罪「判決」です。
(2)物的証拠については「証拠能力」が高いというのは、用語上の誤りです。証拠能力は、証拠としての適格さをいい、たとえば、拷問の結果として得られた自白は、証拠としては不適格ですと、というときに、「証拠能力がない」といいます。信用できない、という意味では、「証明力が低い」という言い方をします(これは、法学部3年生ぐらいで学ぶ(どんな教員でも絶対に言及する)基本的な知識です)。
好意的に見れば、一般の読者のためにフランクな表現を心がけたのかも知れませんが、すくなくとも、以上の2点については、却って理解の妨げになるでしょう。
内容については異なった見解もありうるところですが、指摘しなければならないのは、「刑事事件が100パーセントの証明を要する」という著者の主張です。これは、少なくとも一般的な理解ではありません。
このレビューをご覧のみなさんも、「合理的な疑いを越える証明」という言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか。刑事事件は、「この人が犯罪を犯したことに、絶対(100%)間違いがない」ではなく、「この人が犯罪を犯したことには、常識に照らして間違いない」と認められれば有罪判決が下されます。
(かつては裁判所も「合理的な疑いを差し挟む余地はない」という言い方をしていましたが、現在では「常識に照らし間違いない」という表現をとることが多くなっていると思います。)
ラフな感じがしますが、これはある意味で仕方ないことなのです。
犯罪の成立、たとえば殺人罪は、「この人がAさんの命を奪った」ということが証明されるだけでは不十分です。その他に、故意(殺意)などの主観的要素が必要です。このような、いわば被告人の心の中については、「100%間違いない証明」というのは、まず望めない。「普通に考えれば(常識に照らし)、被告人は『Aさんの命が失われても致し方ない』と考えていたであろうことに間違いがない」という、証明の程度で十分とせざる得ないわけです。
私は、この本を買って後悔しました。本書を出版したちくま新書、そして、本書を薦めていたジュンク堂(福岡店)にも失望しました。これからお読みになる方は、第1章の内容は、少なくとも一般的な理解からはかけ離れていることにご留意ください。
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