紗那さんのレビュー一覧
投稿者:紗那
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虐待リスク 構築される子育て標準家族
2022/03/31 01:27
20年前児相被害者の闘争を牽引した著者の思想は、いま…
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著者上野加代子氏は、2003年、当時まだ厚労省の「児童虐待」言説が日本の世論に「子どもを守る」政策としてまともに信じられていた時代、『「児童虐待」の構築:捕獲される家族』を上梓した。同著の中で上野氏は、官許の「虐待」言説に敢然と対抗し、「児童虐待問題に対するクレイムは、同時に、組織の規模や権能の拡張、予算や人員の増配、新しい職場の獲得のためのクレイムとセットになって」(同著p.29)いる、と鋭い社会構築主義の分析を提示、注目を集めた。「ノーマルだった人たちの問題化」(p.70)を通じ、「関係者と業界の利益や期待が過剰なほど上乗せされ」(同著p.70)た「児童虐待のマーケット」を振興することを、「児童虐待」言説を構築する目的と指摘した。どう著が、以来20年かけて高まってきた児童相談所への「対抗クレイム活動」の引き金となったのである。
著者がこの前著を上回る児相システムへの厳しい怒りと戦いの姿勢を本書で示すことを期待して、本書を手に取った。ところが本書は、この「対抗クレイム活動」に意外と冷淡である。
例えば、児童福祉法33条に基づく「一時保護」を、本書は「すべてが順法行為」(p.122)と肯定し、この子どもの家族からの引き剥がしが憲法にも子どもの権利条約など国際人権法にも反した違法行為であること、そしてその違法ゆえに国連子どもの権利委員会から緊急勧告すら受けている事実を指摘せず、「憲法で規定されている人権を宙づりに」(p.163)と、傍観者的な描写に留める。
そして、現行の児福法・児童虐待防止法の下で、我が子の児相による拉致を防ぐには「子育てをするために非常に高度なスキルを要求」(p.128)される、と個人的問題に解消する。その「高度なスキル」の一つとして、「児童相談所が調査に入った場合には、養育者は児童相談所の方針やアドバイスと対立しないようにふるま」う、「子どもを取り戻すためには…身に覚えのない虐待を認め」る(pp.128-129)など、家族に児相に屈従せよ、とするアドバイスさえ行なう。
違法な児相行政に、著者のアドバイスのように家族が屈従することが常態化すれば、児相行政の正当性は強化され、それと反比例して児相被害者は一層マージナライズされることくらい、社会学の研究者なら、知らぬはずはないだろう。そして、親が屈従し続けるならば、日本の児相行政転換の機制は、永遠に訪れない。
さらに著者は、児童相談所そのものについても「基本的に良かれと思って動いている」(p.124)、そして「児童相談所は子どもを絶対に死なせるわけにはいかない」(p.159)と宣言する。だがこれは全く事実ではない。
例えば、羽月ちゃんの虐待見殺しを管轄した埼玉県所沢児相は、警察に責任を擦り付けたうえ、狭山市が中心となった検証に参加拒否した。本当に何も後ろめたくないなら、児相は大手を振って検証を受けられたはずである。広島県西部児相では、赤貧の母親から子供を引き剥がし、親を慕う子供をその収容先で自殺に追い込んだ。いずれの児相でも、子供が死んだのに、児相関係者は誰も責任をとっていない。「絶対に死なせない」覚悟からは遠く離れた児相関係者の無責任な保身行動である。
子供たちの猥褻被害も、児相で相次いでいる。欧州では、児童関係機関において猥褻や暴行のような行為が職員により児童に加えた機関は閉鎖処分となる。日本の児童相談所併設一時保護所についても、国連子どもの権利委員会が既に全面閉鎖を勧告している。だがこのことについて、著者は全く問題視していない。
20年間に、児相を肯定する方向に変質してしまった著者の思想に失望を覚え、本書を閉じた。
児童相談所一時保護所の子どもと支援 ガイドライン・第三者評価・権利擁護など多様な視点から子どもを守る 第2版
2024/01/15 17:02
国連から閉鎖勧告を受けた児相収容所を「長期滞在」施設に改装し児相利権確保を企む
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2019年、国連子どもの権利委は、日本の児童相談所につき多数の人権侵害の事実認定並びに勧告を発した。なかでも、本書が扱う児相付設一時保護所(以下、児相収容所という。)については「児童相談所において児童を一時保護する慣行を廃止すること」と勧告(29(c))。日本の児相収容所は閉鎖せよ、という国際社会の意思である。
欧州では、児童虐待を行った児童養護施設や公的な児童機関には、閉鎖命令が下る。これは、経営者を変えれば存続可という甘いものでなく、文字通りの施設の物理的閉鎖だ。苦しんでいる子供達の人権を守る場所なのだから、そこで施設内虐待が起こっては絶対にならない、という強い決意の表明なのだ。
ところが日本では、こうして閉鎖された児童養護施設は一つもない。裁判になった千葉県の恩寵園でも、名前をひらがなに変えただけで今なお存続している。これは、日本の児童相談所・社会的養護行政が、いかに児相や社会的養護の利権に甘いか、換言すれば国際人権法が保障する子供と家族の真の人権を無視しているか、典型的に示す。
国連がこのような勧告を出した背景には、東京都の児相収容所における眼をむくような人権侵害事案が2015年5月に日テレで詳しく報道され、その事案が児相被害者によって国連に告発された事実があった。ところが本書はこれに全く言及しないどころか、児相収容所を「子どもたちを守る最後の砦」(p.3)と褒めちぎる。
編者の和田氏は、日本の出生数の急激な減少にも拘らず「一時保護のシステムを柔軟に拡大しなければならない」とし、児相収容所の「拡充が必須」(p.241)と、国連から人権侵害を指摘されている児童相談所拡張の主張に余念がない。
日テレの児相収容所人権侵害報道は全く無視したのに、こども家庭庁ができ、その「こども大綱」p.21に「こどもの状況等に応じた個別ケアが可能となるよう一時保護所の環境改善を進める」と書かれ、さらにその財源として増税が示唆されると、その機に乗じて途端に児童相談所の更なる拡張を図ろうとするのである。
本書には、子供の権利条約の若干の条文への言及はあるが、児童相談所問題に深くかかわる9、5、18条などへの言及は無く、国連子供の権利委員会勧告の紹介や引用も全くない。つまり本書の本音は、国際人権法に基づく国際的に認められた「子供の人権」ではなく、政府の政策が多少変化した機に乗じて、児童相談所の「人手不足と予算不足」(p.27)を唱え、児相収容所を「長期滞在を前提としてシステムを作り直」す(p.251)児相利権拡張策なのだ。
さらに本書で問題なのは、編者の和田氏が、児相収容所で蒙った人権侵害について問題にする児相被害児に「プロ当事者」などと悪罵を投げつけている(p.256)事実だ。本書には、児相収容所ユーザの寄稿も一応ある(11章)が、それは、著者らと親和的な児相行政の「広告塔」的な人である。著者らは、最近大きく台頭し、国連人権関係委員会とも結びついて児相と対峙する社会活動を進める児相被害者たちを敵視している。
だが、児童相談所のブラック職場化は既に常識だ。最近は児童相談所職員を募集しても「定員割れ」(p.252)。児相職員の精神疾患も顕著で、辞職者も増えている。児相職員は、家族から否応なしに子供を引き剥がす人の道に外れた仕事に耐えられないのだ。
こうして窮地に陥った著者らが、児相利権確保の切り札として、児相収容所の長期滞在施設への転換を提唱し始め、そのためにこども家庭庁向けの増税分を児相にクレクレと主張をはじめたのが本書である。
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