森の爺さんさんのレビュー一覧
投稿者:森の爺さん
最後の参謀総長梅津美治郎
2023/02/28 15:59
昭和陸軍後始末係
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辞世の句も、メモや日記も残さず、回顧録を書くことも無く感情を表に出すことも無い寡黙な軍人である梅津美治郎くらい評伝を書くのが難しい人物はいないと思う。
その昭和陸軍における役割は自ら行動を起こすのではなく、他人がしでかした不始末の後始末という点では「昭和陸軍の後始末係」というのが最適であるが、本人にとっては甚だ不本意だったのではないだろうか。
その後始末の主なものとしては、
1 2.26事件後の陸軍次官としての粛軍人事
2 服部・辻コンビが拡大したノモンハン事件後の関東軍司令官としての軍内統制(下剋上の克服)
3 最後の参謀総長として陸軍による暴走(クーデター)無しでのご聖断による終戦の実現
になるのだろう。
必要以上に政治に関与しないという点では「軍人らしい軍人」であり、東条英機ではなく、梅津が陸相になっていたらとも思う。
終戦に至る過程では、陸軍中枢から東条の息のかかった人物を追い出し、終戦に向けた人事を行っており、表面上は強硬な姿勢を示しつつも、実際には勝ち目がない戦争であることは十分認識して行動している。
ご聖断が下った後は「承詔必謹」の態度を崩さずに参謀本部についての統制が乱されることを防いでいる点で、若手将校からの突き上げに動揺した阿南陸相とは好対照であるが、梅津の態度が陸軍の統制を辛うじて保ったとも言える。
最後の参謀総長として帝国陸軍の葬送を物語るかのようにミズーリ号にて降伏文書に調印したのは、本人にとっても不本意だったろうが、更に太平洋戦争についてその開戦に何ら関与せず、かつ戦闘にも参加しなかったにもかかわRずA級戦犯になとして終身刑となり獄死という点も気の毒であるが、これも関東軍司令官という対ソ連最前線で関特演に関係したことをソ連から睨まれたとすれば誠に運が悪いと言うしか無い。
2025/01/29 12:58
優しい絵と重い現実
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本書は編集者が原爆をテーマとした作品を広島市出身の著者に提案した結果誕生し、その後本書が反響により原爆作家として扱われることに抵抗を感じた著者は、太平洋戦争中の広島県呉市在住の庶民の生活を描いた「この世界の片隅に」を書いている。
本書は広島市の被爆者を主人公とした「夕凪の街」、東京の被爆二世を主人公とした「桜の国(一)(二)」の三部で構成されており、「夕凪の街」では、原爆投下から10年後の広島で母親のフジミと原爆スラムに居住する平野皆実は伯母への学費の返金と伯母夫婦の養子となり、水戸に暮らす弟旭に会うためにつましい暮らしをして貯金している。 ある日会社の同僚の打越豊から求愛されるが、忘れようとしていた原爆投下後の地獄図絵の光景が蘇ってしまう。 そして大勢の人を見殺しにして生き残ってしまった自分が幸せになって良いのかという罪悪感が、打越の「生きとってくれてありがとうな。」という言葉により生きていて良いんだという感情を持つに至るが、皮肉な事にその日を境に体調が悪化し、原爆症により亡くなる。
「桜の国(一)」では、皆実の姪である小学校5年生の石川七波は東京の桜並木の街で、祖母フジミ、父旭、弟凪生と暮らしているが、凪生は喘息で入院生活を送り、祖母は凪生の世話をしに病院に通っており、一人野球の練習に通う毎日の中、ある日練習を抜け出して、親友の利根東子を誘って凪生の入院先に見舞いに行った七波は、病室に集めた桜の花を舞わせて祖母から叱られるが、その夏祖母は亡くなり、一家は退院した凪生の通院を優先して桜並木の街を離れる。
「桜の国(二)」では、28歳となった七波が挙動不審の父旭を追跡しているうちに東子と17年ぶりに偶然再会し、行きがかり上二人で旭を追って広島に行く中で、桜並木の街で起きた母と祖母の死(帰ったら母が血を吐いて倒れていた、病気で意識が混濁した祖母から原爆で亡くなった末娘の友人と勘違いされ「何故生き残ったのか」と嫉妬された)の記憶から七波が転居後親友だった東子と会わなかったこと、また、東子も看護師として勤務する病院の研修医となった凪生と恋仲になりながら、交際を両親から反対され、凪生から別れを切り出されていたことが分かってくる。 そして東京に戻った七波が東子を送るのを口実に17年ぶりに桜並木の街を訪れ、凪生を呼び出して東子と会わせ二人の関係を後押しし、父旭の行動が姉皆実の五十回忌を迎えて知り合いを訪ねていたためであることも判明して終わる。
打越の言葉により生きて行く希望を見出し、幸せをつかみかけながら原爆症を発症して亡くなる皆実が本当にやるせない。 東子の両親が凪生との交際を反対するのは彼の喘息と被爆二世であることである一方で、過去には被爆者である祖母フジミが家族で唯一被爆を免れた旭と被爆者である京花との交際に対して京花に近しい思いを持ちながら原爆症を理由に難色を示す姿もある。 七波の心象風景の中の桜並木の街での両親の姿は本当に幸福そうな一方で、その両親から誕生した七波と凪生の姉弟は死ぬか分からない被爆二世として他者に括られる現実がある。
本書においては、主義主張を声高に叫ぶことも無く、素朴な優しい絵で語り過ぎず(本自体薄い)淡々と原爆の惨禍と後の世代への影響という重い現実を改めて教えてくれる。 また、短編でありながらそのエピソードのつなぎ(特に桜の国(一)と(二))は緻密で見事である。
編集者の回想によれば、著者は本書を描いていて辛かった、怖かったと心情を吐露していたというが、その労苦の中で本書を世に出してくれた著者に心から感謝したい。
2024/12/25 16:18
壮大な規模の写楽の物語
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著者の作品は本書が初読であるが、ペンネームが本名からのアナグラムというのが、斎藤十郎兵衛と東洲斎みたいな感がある。 本書は新潮文庫の初版から文春文庫を経て創元推理文庫という変遷を重ねているが、来年のNHKが蔦屋重三郎というのも関係しているものと想定される。
巻末の年表によれば、著者は都立高校定時制3年生の時に神保町(九段高校なので近所だった)の古本屋で写楽の浮世絵に遭遇して以来写楽沼にはまったらしく、それから約40年を経て本書を刊行しているが、40年間に写楽について研究した結果としてかなり読み応えのある内容となっている。
物語は「俳風柳多留」の版元星運堂の若旦那花屋二三(後の二代目花屋久次郎)が惚れている橘町の芸者卯兵衛が持っていた見慣れない役者絵2枚を見たことから始まり、江戸に来ること無く亡くなった二代目尾上菊五郎と言った卯兵衛は行方不明となった挙句に死体が川に浮かび自殺と扱われる。 身元もよく分からなかった卯兵衛の周辺を探った二三は蔦屋重三郎に近づくが、とんでもない話に辿り着く。
写楽に辿り着くまでの表の物語と、卯兵衛の死から辿って行った結果としての二代目尾上菊五郎に関するとんでもない事件という裏の物語の複数の線が交差して、やがて能役者斎藤十郎兵衛を抱える阿波徳島藩も関係してくるし、前老中首座である松平定信まで登場遊ばす。
自身も川柳作家だった二代目久次郎が奇術を趣味として、本も出しているのは自身も奇術愛好家かつ奇術師だった著者による創作なのかと推察する。 写楽を斎藤十郎兵衛とするのは通説通りとしても版元の蔦屋はどの写楽本でも当然登場するが、能役者としての雇い主である阿波徳島藩がお登場することは殆ど無い。
写楽登場に至る時代の流れとして蜂須賀重喜の藩政改革失敗による隠居、天明の大飢饉、田沼意次の失脚、二代目尾上菊五郎死去、松平定信の老中就任、京都の天明の大火(光格天皇が聖護院を仮御所とする)、松平定信の老中退任、写楽の登場と退場、延命院事件という流れになるが、それらの事件を非常に上手く関連付けているのだが、蜂須賀重喜は隠居後療養のため阿波徳島に帰還しており、写楽登場の頃には既に富田屋敷で隠居生活を送っているので、実際の接点は無さそうである。 また、延命院事件の住職日道(日潤)は初代尾上菊五郎の子という噂もある美男子だったのも事実らしい。
写楽である斎藤十郎兵衛に辿り着く経路も、その名前にいくつものアナグラムがかかっているというのも手が込んでいるが、本書の中で斎藤十郎兵衛自身が語っているとおり、最早写楽は自身の手を離れて独り歩きを始めていたのである。 浮世絵の素人である斎藤十郎兵衛は原案を描くのみで、実際の下絵・版下絵は最初の大首絵は勝川派を追い出された北斎、以降は栄松斎長喜(後に写楽について証言している)という体制で蔦屋重三郎が財産の半分を持って行かれた定信への意趣返しの如くに版元として世に送るが、本書の最初の雲母摺りの大首絵が何故28枚なのかという疑問は全く抱いたことは無かったので新鮮だった。
それにしても巻末に写楽が誰かを巡る諸説が掲載されているが、「浮世絵類考」等の資料を全く無視した(碌に調べない)ような説がなんと多いことかと思う。 写楽の浮世絵は肖像画としては名作なのだろうが、中年男が女を演じる姿を写実している時点で、役者を美化する役者絵には向いていなかったろうと改めて思う。
2024/12/25 15:38
ルネッサンス期の俗人ローマ教皇たち
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イタリア在住の歴史作家である著者による中世ルネサンス時代の「神の代理人」つまりローマ教皇を主題とした歴史小説であるが、処女長編作がチェーザレ・ボルジアだっただけにこの時代を舞台とした小説はお手の物だったろう。
順番で言うとイタリア語でピオ2世、アレッサンドロ6世、ジュリオ2世、レオーネ10世で、教科書等に記載されるラテン語ではピウス2世、アレクサンデル6世、ユリウス2世、レオ10世となるが、この時代のローマ教皇はカトリック教会のトップであると同時に教皇領という領土をローマ周辺に持つ封建領主でもあったことを念頭に置いて読む必要がある。
「最後の十字軍」では、伯父であるカリスト3世により枢機卿に任命されたロドリーゴ・ボルジアは、伯父教皇の死後の教皇選出のコンクラーベにおいて、出身国スペインでは無くイタリアのシエナ出身の人文主義者であるピッコローミニ枢機卿を支持し、ピッコローミニ枢機卿は教皇ピオ2世となる。 ピオ2世はキリスト教国の脅威となっているオスマン帝国に対する十字軍を提唱するが応じる君主・諸侯は殆ど無く、出発地とされたアンコーナで十字軍の大艦隊の幻影を見ながら逝去する。 この教皇は俗人臭が余りしないが、以降のお歴々は臭気ぷんぷんたるものがある。
「サヴォナローラとアレッサンドロ6世」では、イノツェンツォ8世死後のコンクラーベでミラノ派の枢機卿を買収することにより政敵ジュリアーノ・デ・ラ・ローヴェレ枢機卿に勝利して教皇アレッサンドロ6世となったロドリーゴ・ボルジアは、ローヴェレ枢機卿にそそのかされたフランス王シャルル8世によるナポリ王国への侵攻に直面する。 フランス軍がナポリへ侵攻する中、フィレンツェではメディチ家が追放され、ドミニコ会修道士サヴォナローラによる神権政治が始まり、サヴォナローラは教皇を公然と批判し、アレッサンドロ6世は破門によりこれに対応する。 やがてサヴォナローラの神権政治に対する批判が強まり、暴徒と化した市民が押し寄せ拘束されたサヴォナローラは、裁判の結果、絞首刑の後火刑により殉教し、教皇はサヴォナローラの没落をローマ教皇庁で冷然と見送る。
「剣と十字架」では、突然のアレクサンデル6世逝去後、短期間のピオ3世の在位を経て病床のチェーザレ・ボルジアの支持も取り付け教皇に選出されたジュリアーノ・デ・ラ・ローヴェレは、ジュリオ2世として、チェーザレを放逐した後イタリアからの外国勢力の放逐を目論み自ら教皇軍を率いて戦いに望み戦果を挙げるが、戦う相手と同盟国が毎回変わる節操の無さにより、イタリア国内の諸勢力は弱体化してスペインの台頭を招いて逝去する。
「ローマ・十六世紀初頭」では、ジュリオ2世逝去後の教皇にはメディチ家出身のジョヴァンニ・デ・メディチが37歳の若さで選ばれレオーネ10世となる。 平和主義者のレオーネ10世は文化面で功績を残すが、浪費を重ねて教皇庁の財政を悪化させる、病弱な(暗殺計画も在位中に発覚している)レオーネ10世逝去後アドリアノ6世の短期間の在位を経てメディチ家出身従兄弟のクレメンテ7世が選出されるが、ローマ略奪を招いてしまいローマは荒廃する。
やはり著者としては、悪名高いが有能なアレッサンドロ6世推しなのだろう、「サヴォナローラとアレッサンドロ6世」ではサヴォナローラについてはフィレンツェ市民の手記、アレッサンドロ6世については教皇庁の架空の秘書官にその様子を語らせる手法で書かれている。
2024/12/25 15:33
フォーサイスによる暗殺サスペンスの傑作
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フレデリック・フォーサイスの小説は何冊か読んでいるが、やはり処女長編小説であるフランスのド・ゴール大統領暗殺主題とした本書が一番面白かった。 植民地であったアルジェリアの独立戦争を巡っては、独立に反対するフランスからの植民者であるコロンと現地軍によるテロ等による社会的混乱から、フランス第四共和政が崩壊し、独立反対派の期待を一身に集めたド・ゴール将軍が大統領に就任し大統領が強力な権限を保有する第五共和政が発足する。
しかしながら、ド・ゴールは国際情勢とフランスの現状(インドシナ戦争で財政破綻寸前)から独立阻止は困難と判断して独立容認に至り、裏切られた反対派は秘密軍事組織(OAS)を組織して、裏切り者であるド・ゴール暗殺を計画するが、フランス治安当局に阻止され、手詰まりとなったOASは当局に面の割れていない外部の暗殺者を雇うこととなる。 日本のマンガであればここでゴルゴ13が登場するところだが、本書では正体不明の英国人凄腕スナイパーであるジャッカルが登場し、暗殺阻止しようとする司法当局のルベル警視による追跡劇が展開していく。
ド・ゴールは実際にOASから大統領公用車に銃撃を受けており、「4人がかりで銃撃して人一人も殺せないなんて銃の扱いが下手な奴らだ。」という言葉を残している(胸ポケットに入れていた夭逝した次女の写真の枠で銃弾が止まっていたらしい)。 フォーサイス自身はフランス治安当局がOASの動向を全て把握しているのを見て「暗殺を成功させるなら、治安当局に顔が知られていない外部の実行者が必要だろう。」という感想を抱いたことが、本書につながっているらしい。
フランス治安当局についても、OASのボディガードを拉致して組織が外部の実行者に依頼したという情報を得る等、OASに対する手法は非常に荒っぽく情け容赦も無いし、ジャッカルもド・ゴール暗殺に向けて利用価値が無くなった人物は容赦なく殺害して行く。 また、ルベルに困難な仕事を押し付けた上司はOASシンパの女に引っかかり情報を寝物語で喋っていたのが発覚して辞任したり治安当局とOASの攻防戦も展開する。
正体不明の実行者を追跡する上に、ジャッカルは変装の名人で姿を次々に変えて行き、ルベル警視によるジャッカルへの追跡劇が読者を退屈させない。 暗殺成功かと思った瞬間の狙われたド・ゴールの予期せぬ行動による狙撃失敗、ようやくジャッカルに追いついたルベルという息つく暇のない描写が続き、フランス語と英語の読み方の違いから判明したと思われたジャッカルの身許も違っていて、ジャッカルの正体は不明のまま葬られるという結末を迎える。
読者は実際にド・ゴールが天寿を全うしたことを知っているので、暗殺が失敗に終わることは予め分かっていながら物語の展開には引き込まれる。 軍人出身で命知らずな頑固爺さんのド・ゴールは暗殺を恐れて公式行事を欠席する人物では無く、ジャッカルは凄腕の殺し屋らしく退路を確保しながら着実に標的に近づき、ルベルは無能でわきの甘い上司や治安当局内部の縄張り争いにウンザリしながら横のつながりを活かして、ジャッカルの正体を知るためスコットランドヤードに協力を依頼し、着実にジャッカルを追跡するという流れが緊迫感を産んでいる。
この時期の英仏関係については、再三にわたる英国のヨーロッパ経済共同体(EEC、後ヨーロッパ共同体(EC)を経てヨーロッパ連合(EU)となる)への加盟申請がド・ゴールの反対により実現しない状況で極めて険悪だったのだが、英国のEU脱退(ブレイクジット)を経た現在では昔日の感がある。
2024/11/27 16:02
生きられなかった兄姉達への回想
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著者は芥川賞受賞作である「忍ぶ川」で自分の家族の不幸を語っているが、本書はその不幸を題材とした私小説である。 時代的には昭和初期で舞台は東北地方の青森県八戸と市と父親の実家のある岩手県二戸市という所謂南部地方と呼ばれている場所であり、会話については津軽弁で書かれている。
私小説でありながら、主人公は幼い三男である著者では無く、自殺したり失踪したりした兄や姉という著者の家族達であり、亡くなった家族への鎮魂歌とも言える。 呉服商を営む裕福で、かつ三男三女の6人の子供に恵まれながら、長女と三女が先天性白皮症(アルビノ、当時は白子と呼ばれていた)として生まれたことが暗い影を落とし、やがて悲劇をもたらすという内容が長編でありながら著者らしく簡潔な文章で書かれている(映画「忍ぶ川」で山口果林(著者原作のNHK朝ドラマ「繭子ひとり」で主演)演じる三女がサングラスをかけて「私生きてて良いんだよね。」と言っていた理由を本書でようやく理解した)。
本書でも書かれているが、長女だけでは無く三女までアルビノに生まれたことを両親は「呪われているのでは」と恐れおののき、また戦前の田舎では無神経かつ無遠慮な視線を浴びていたのだろうと思われる。 ふとしたことから(本来なら成績優秀者として選ばれるメンバーに選ばれなかった)、自分に流れる血に不安を覚えた次女が図書館の遺伝の本を借りようとすると、借りた名簿の中に長男の名前もあったという箇所に兄妹が抱えた不安が描写されており、やがて物語は悲劇に向かって突き進み、次女の連絡船から(三男の誕生日に)投身自殺、長男の失踪(恐らくは自殺と思わせる書き方)、そして長女の睡眠薬の大量摂取による自殺という不幸が続き、6人兄弟のうち3人が短期間で亡くなる(残された次男も戦後事業に失敗して失踪しているおり、三女と三男の2人のみが残される)。
次女は東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)への受験失敗、長男は母親の実家を手伝ううちに知り合った恋人の堕胎手術による死、お琴の師範となった長女も元々の弱視から失明することによる将来への絶望という理由があるが、それでも生きて行こうという強さが無かったとも言えるものの、だからと言ってその弱さを安易に批判出来るものでは無い。
三男の誕生に際して、長男が雪の中を馬橇に助産婦を乗せて家に向かう冒頭から、同じく雪の中で長女の棺を乗せた馬橇が行くのを6歳となった三男が見つめるラストまで、津軽の雪景色を背景に家族が自分達に流れる血故に悲劇に向かって淡々と進んで行く印象を受ける。 本書は「忍ぶ川」以前の著者の家族を描いた私小説であるが、「忍ぶ川」が1961年刊行で、本書は1984年刊行と20年以上の歳月を経てかかれている。著者自身にとってもこの家族の悲劇は小説化するのに際しては自らの「呪われた血」からの解放という意味もある一方で、躊躇も苦悩もあったのだろうと推察するが、それでも書くところに作家の業みたいなものも感じてしまう。
2024/11/27 15:54
久邇宮家にとっての宮中某重大事件と合わせ鏡の婚約破棄事件
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著者は文芸春秋社の編集者として数々の書籍・雑誌の出版に関係しつつ、旧皇族や華族に関する研究・著述を行ってきた人物である。
本書で取り扱っている「宮中某重大事件」については、皇太子時代の昭和天皇と後に香淳皇后となる久邇宮良子女王の婚約内定後に、香淳皇后の母親の島津家から色覚異常が遺伝される可能性があることを理由に山県有朋らが婚約辞退を久邇宮家に迫ったものである。 昭和天皇の父親の大正天皇も最初伏見宮禎子女王と婚約内定後に女王に肺病の疑いがあるとの理由により婚約解消後、貞明皇后となる九条節子とのご成婚に至っている(貞明皇后は「九条の黒姫」と呼ばれる健康優良児で、その後山内豊景侯爵に嫁いだ禎子女王とも生涯にわたり友人だった)。 帝国陸軍の重鎮である山県にしてみれば将来の大元帥(天皇)が軍人不適格者となる色覚異常になっては一大事という理由であり、薩摩出身の元老で内大臣だった松方正義も婚約解消を支持していた。 婚約解消を迫られた久邇宮家は山県からの圧力に抵抗し、皇太子の教育係であった杉浦重剛や右翼団体等の抗議もあり、婚約解消とはならずに無事ご成婚に至り、元老山県の敗北(枢密院議長、官職・栄典の事態を申し出るが「政敵」の原敬に助けられている)に終わっている。
事件中に怪文書等も出回っていたが、文書を書いた人物から久邇宮家の関係者に金銭要求がされており、久邇宮家の関与はほぼ間違いないと想定されることから、この事件における久邇宮家は、元老山県から圧力を受けて右往左往する可哀想な被害者という構図ではないことが、本書により理解できる。
山県の敗北後も、病気の大正天皇になり替わり息子の結婚問題を取り仕切っていた気丈な貞明皇后が、怪文書への関与や婚約決定していないのに皇太子の岳父として振舞おうとする邦彦王(ご成婚後も皇室に金の無心をしている)に対して不快感を抱いてご成婚に消極的になったものの、「今更取消しできない」とう説得に渋々応じた結果として、ようやく正式決定となり、懸案だった皇太子の訪欧も実施に至り、その帰国後は事実上の主君押し込めとなった大正天皇に成り代わり、皇太子である昭和天皇が摂政宮として政務を執り行うこととなる。
本書では、久邇宮家の姫君であった香淳皇后の婚約問題に加えて、兄君である朝融王の酒井伯爵家令嬢菊子との婚約破棄事件も取り扱っており、自分の娘の婚約辞退を理不尽として断固拒否した久邇宮家が、酒井家との婚約については理不尽かつ一方的に破棄しているという事件が書かれている。 破棄の原因については、親戚からの告げ口だったらしいが(宮内省による調査では事実無根)、皇族の婚約として既に勅許が下りている婚約なので大騒ぎとなった挙句に、酒井家側で婚約辞退を申し出ることにより決着している。
その後酒井菊子は前田利為侯爵の後妻(利為侯爵は分家の上州七日市藩一万石前田家の末裔であり、本家の娘である前妻に先立たれていた)となり幸福な結婚生活を送る一方で、阿川弘之氏がその著書の中で「ヘルの宮(ス〇ベな宮)」と書いている朝融王は伏見宮知子女王と結婚後も素行は収まらず、侍女に手を出して出産させたりしているのを見れば、却って婚約破棄して良かったとも言える。
そのような騒動がありながら、戦後未亡人となった菊子に対して、知子女王に先立たれた朝融王(臣籍降下して久邇朝融)から人を通して再婚の申込みがあったと前田菊子の娘である酒井美意子の著書に書かれているのを読んだ時には、余りに厚顔無恥で信じられず、皇族とは言いながら幸神皇后のご実家も大したタマだと呆れたものである。
2024/10/24 16:37
作戦立案者による沖縄戦手記
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本書は沖縄戦の作戦立案者である八原博通第32軍高級参謀による手記であり、民間人の立場から語られる沖縄戦について、現地軍の立場から回想する内容となっている。
八原高級参謀は陸軍大学に最年少で入学し、卒業時には成績優秀者(5位)として恩賜の軍刀を拝領している極めて優秀な軍人だった。 通常は陸大を恩賜の軍刀で卒業すれば参謀本部作戦課等のエリート部署に配属されるのだが、八原氏の場合にはお世辞にもエリート部署とは縁の無いコースを経た末に軍高級参謀となっており、優秀でありながら評価されなかったと言え、第32軍司令部においても正論を述べながら孤立していく様が読み取れる。
また、米国留学経験を評価されて第32軍高級参謀就任でも無いのは、本人がこの人事を「左遷」と受け取っており、かつ赴任時点で沖縄戦は想定外だったことからも分かる。 太平洋戦争においては、米国と戦うというのに帝国陸軍は米国軍を余り研究せず、米国通の優秀な将校を活用もせずに前線に送り込んでいる(八原高級参謀以外にも、山内正文中将、寺本熊市中将等)。
沖縄戦における第32軍の経過を見ると、大本営に足を引っ張られる場面にしばしば遭遇する。 制空権も失い、戦闘機生産能力も無いのに、航空重視で飛行場の建設と確保を強要し(頭が悪いとしか言いようが無い)、フィリピンへの台湾の第10方面軍からの師団引き抜きの結果として最精鋭の第9師団の台湾転用、穴埋めの師団の派遣を決定しながら派遣中止する朝令暮改ぶり等である。
八原氏は本書後書きで、米軍への攻勢を主張した長勇第32軍参謀長が最後に「誰がやっても負ける戦だった。」と語っていたと回想しているが、日米の兵力と装備の差を考えれば狂気の沙汰であり、昭和20年4月1日の米軍上陸に始まった戦線が3か月持ち応えたのは首里戦線において複数の防衛ラインを設け、沖縄の固い珊瑚礁を利用した洞窟陣地の構築による持久戦の賜物と言える。 それまでの日本軍の島嶼防衛が水際作戦で艦隊砲火の餌食となり、少ない火力を使い果たした後は万歳突撃による玉砕で終わったのに対し、ペリリュー島、硫黄島と沖縄戦では様変わりしている。
それ故に、大本営からの再三の督戦に反応した長参謀長指揮下の昭和20年5月4~5日の攻勢であり、八原高級参謀の予想通り攻勢に出た部隊は位置が掴めないまま米軍の砲撃の餌食となり、米軍に比べて少ない砲弾の無駄遣いに終わっているは不本意だったろう。
攻勢失敗後持久戦に戻ったが、5月末には首里戦線を維持できなくなり、島尻南部に撤退したものの6月23日に摩文仁での牛島司令官、長参謀長の自害で第32軍の組織的戦闘は終結している(追い詰められ断末魔を迎える軍司令部の様子も克明に書かれている)。
撤退自体は米軍の虚を突いた形で成功し、本土決戦の時間稼ぎの目的は果たしたものの、既に大勢の県民が避難していた島尻南部への撤退が地獄の釜の蓋を開ける結果となり、民間人を巻き込んだ悲劇につながった点において、この撤退作戦自体評価が分かれるのであるが(首里戦線で玉砕した方が民間人の被害は少なかった筈)、八原高級参謀が参謀長命令により、摩文仁を脱出後捕虜となり生還したことにより、数少ない司令部の生き残り(他に神直道航空参謀)として本手記を残した結果、沖縄戦史研究の第一級資料となっている。
勇猛果敢を良しとした昭和の日本陸軍において、八原高級参謀の戦略的持久作戦は評価されず、かつ捕虜となったことが批判されているのに対して、敵であった米軍からは「優れた戦術家」として評価されているのは皮肉な話である。
2024/09/27 17:00
死せる漫画家が残した七生子シリーズへの追想
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佐藤史生氏(砂糖と塩をもじったペンネームらしい)は、宮城県出身でかの石ノ森正太郎氏の高校の後輩の少女漫画家であり、「夢見る惑星」や「ワン・ゼロ」のようなSF漫画が代表作になるのだが、一時期その作品集が絶版となっていたのが復刊したのを知り改めて購入した。
本書は新書館が大昔に刊行していた「ペーパームーン」の別冊である「グレープフルーツ」に掲載(今から考えると豪華掲載陣だった)された高校生の七生子を主人公とする「雨男」、表題作「死せる王女のための孔雀舞」(ラヴェルの曲からの題名であると当初は知らなかった)、「さらばマドンナの微笑」「我はその名も知らざりき」のシリーズを中心としており、SF作品集では無い。
シリーズの内容としては、かつて性格に難はあるが画才を期待されていた小学生だった女子高生七生子が亡き祖母の住んでいた空家で、かつて画塾で一緒だった美少年だった青年と再会する「雨男」、パリに渡ったまま逝去した叔父のいわくつき養女が日本に逃亡したのに巻き込まれる表題作、学園のマドンナをモデルとした肖像画を描こうとしているうちにマドンナを巡る人間関係に巻き込まれる「さらばマドンナの微笑」、知性溢れる大学教授に恋愛にも似た感情を抱くが拒絶される「我はその名も知らざりき」である。
シリーズの縦糸としては、七生子の画才と絵を描くこととであるという感想を抱いたが、その画才の所以と両親と叔父の関係から一見平凡な女子高生である七生子の背景にある複雑な事情が明らかになり、そしてその原因である叔父が最後の大学教授にも関係してくる。 一見絵画と関係無さそうな厳格な父親もかつてはその画才を嘱望されながら、自分と妻となる女性と弟との関係の中で断念し、結婚して七生子の父親となることで母親から勘当されている。
叔父にとっての死せる王女である七生子の代用品だった養女が本物を道ずれにしようとする表題作(父により救出)、箱入り娘の筈だったマドンナの壮絶な恋愛と凄絶な微笑、知性の塊みたいな大学教授の亡き叔父に対する感情と読み進めば、シリーズ最初の七生子と類の再会は幸福な物語だと感じるし、久しぶりに読み直して七生子、叔父の養女、マドンナそれぞれが抱くエレクトラコンプレックス(七生子の場合はより複雑)とその結末も苦く悲しい。
最初にこのシリーズで印象に残ったのは、表題作もさることながら学園のマドンナの凄絶な微笑とその背景が描かれている「さらばマドンナの微笑」だった。 また、他にも「ワン・ゼロ」の始まりとも言える「夢喰い」等も収録されている。
佐藤氏が既に逝去されていたのを、巻末の増山法恵氏の解説で初めて知り感慨深かったのを思い出すが、佐藤氏も萩尾望都氏と竹宮恵子氏の所謂「大泉サロン」周辺の漫画家であり、かつて出版された別作品のコミックスには萩尾氏が解説していた記憶している。 そして、本書の解説をかかれていた増山氏も既に鬼籍に入られているのに時の流れを感じざるを得ない。
ずっと、ずっと帰りを待っていました―「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡―
2024/08/30 15:05
伊東大隊長が背負った十字架
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伊東孝一陸軍大尉は、第24師団配下の第32歩兵連隊第1大隊の隊長として、終戦後に投降するまで沖縄戦を戦い抜き奇跡的に生還を果たしたが、多くの部下を失った。 復員後公的機関になり替わり戦死した部下のうち約600名の遺族に部下の戦死を通知し(敗戦により戦死広報も無くなった)、遺族から356通の返信を受けている(沖縄県については遺族の住所が掴めなかったのと、GHQの検閲があったことから通知出来なかった)。
沖縄戦の戦没者の遺品や遺骨の収集ボランティア活動を実施している著者の浜田夫妻は、歩兵第32連隊が激戦を展開した糸満市の国吉台地周辺での収集活動を行う中で伊東大隊長と知り合い、大隊長が黄泉路まで持って行くつもりだった遺族からの返信の返還活動を行ったことが本書の執筆につながっている。
構成としては大隊長の著書である「沖縄陸戦の命運」(非売品)の記載に従い、時系列的に大隊の戦地における部下の戦死の場面と、遺族からの返信内容、そして返還の場面が書かれているが、遺族への返還活動も特殊詐欺を疑われたり、新型コロナウィルスの感染拡大による外出制限等の困難な状況の中にありながら、遺族に返還して行く経過は感動を覚える。
返還された伊藤大隊長への返信を書いたのは、本書に登場する返還された遺族の親、祖父等であり、その内容も立派に戦って死んだことを誇りとしていたり、皆で万歳して見送りながら敗戦後は犬死扱いで遺族年金も少ないことを嘆いたり(旧軍人に対する戦傷病者戦没者遺族等援護法の制定は昭和27年)、残された子供がいなければ後を追いたい等読んでいて遺族の悲しみが伝わって来る。
特に印象に残ったのは国吉台地の戦闘で狙撃手として米第一海兵師団相手に大きな損害(死傷者21名)を与えた松倉上等兵の妻からの手紙と希望して伊藤大隊長と面会した息子の話は印象深い。 伊東大隊長が遺族に手紙を送ったのは、戦後間もない昭和21(1946)年だったが、それから70年以上経過した中での、残された家族の歴史も本書の主題の一つである。
伊東大隊長については、沖縄戦の作戦立案者であり、大隊長を「日本一有能な大隊長」と評価した八原博通第32軍高級参謀の著書で知ったが、戦後の消息を調べるうちに浜田夫妻のHPに到達し、大隊長のご逝去もHPの中で知った。 その頃HPには遺族への返還活動も写真入りで掲載されていたが、現在は見ることが出来ないのが残念である。
沖縄戦当時24歳の若き大隊長だった伊東大尉は戦後75年を生き、令和5(2020)年に99歳の天寿を全うされているが、沖縄戦において多くの部下を死なせながら自分が生き残ったことが一生忘れられず、そんな夫を奥さんは「この人の人生は戦が全てだったのよ。」と評している。
沖縄戦で多くの部下を死なせたことを生涯十字架として背負い(ただし、第32軍の他の部隊はほぼ壊滅しており、歩兵第32連隊の生還自体奇跡的である)、遺族に手紙を送り、、面会を希望した遺族に対面して謝罪をする姿には、自らの暴走で多くの兵士を死に追いやりながら、戦後は逃走して戦犯責任を他人に追わせながら、国会議員になった輩と比較すると雲泥の差があると感じられる。
本書においては、当然ながら遺族からの返信の返還活動に応じた遺族の話であるが、実際には返還を断る遺族も存在しており、それは戦後70年以上を経過し、遺族が高齢化・逝去していく中では止むを得ない話である。 最終的に残された返信については最後の激戦地である糸満市で荼毘に付すという話であるが、可能な限り返信が返還されることを期待したい。
2024/07/31 16:49
大本営における情報軽視
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著者である堀栄三氏は、陸軍大学卒業後に太平洋戦争当時の大本営・フィリピン戦線の第14方面軍の情報参謀として活躍し、戦後は陸上自衛隊に勤務し情報関係とに西独日本大使館駐在自衛官を歴任し、退職後は大阪学院大学で教鞭を取り、最後は奈良県西吉野村村長として逝去されている。
本書の中で、描かれているのは大本営が如何に作戦課中心で、その作戦策定に当たり、戦争相手である米軍の情報を全く把握せずに行っていたという信じられない状況である。その中で火力の貧弱な中国軍相手の白兵戦での成功体験により、日本軍よりも火力が豊富な米軍相手に貧弱な火力のままで突撃して玉砕したというのが事実である。
堀氏が太平洋戦争を野球の試合に例えて、米軍はローテーションにより戦力を交代させながら戦っているのに対して、交代する戦力も無い日本軍は連投に次ぐ連投により疲労困憊して力尽きるという非常に分かり易く、かつ悲しい経過を辿るが、どうにもならない戦力の差が「死中に活を求める」とかの精神でどうにかなるというのが、優秀なる大本営でも横行していたわけで、結局のところ神頼み(神風)に至るのが悲しい現実であった(大本営の作戦課に辻政信みたいな大言壮語かつ慎重さを臆病者扱いする輩がいれば当然そうなる)。
太平洋戦争の最中に陸軍大学を卒業した堀氏は、大本営陸軍部第1部作戦課勤務を希望したが、作戦課は陸大卒業時の成績が6番以内の「恩賜の軍刀」組で無いと配属されないので、情報を担当する第2部に配属された経過があるが、そこら辺の大本営における情報参謀の冷遇ぶりも詳細に書かれていて、以下に日本が米軍研究や情報収集に不熱心だったかよく分かり、「負けて当然」と感じさせる。
第14方面軍情報参謀となった堀氏は、「戦略持久」作戦を主張した第14方面軍と大本営との協議にも出席しているが、陸大時代の教官である宮崎周一第一部長から「陸大時代君には決して悲観的になってはいけないと教えた筈だ。」と言われるが、そういう陸大での教育自体が現実を直視しない根拠のない楽観論を生み出したという反省が大本営の作戦担当部長である宮崎中将には欠如しているという印象を受けた。
敗戦後、奈良の実家で農業をしていた堀氏のところに、再軍備に向けて旧陸軍軍人を組織していた服部卓四郎元大本営作戦課長から勧誘があったが、養父である堀丈夫元陸軍中将に相談したところ、「服部はノモンハンや太平洋戦争で失敗しているのだから止めておいた方が良い。」と言われて辞退し、吉田茂首相の軍事顧問的な存在だった辰巳栄一元陸軍中将からの勧誘で陸上自衛隊に入隊して陸将補になっているのは、結果的に養父からの適切な助言の結果と言える(堀元中将は陸大卒業者では無く第一師団長まで歴任している稀有な存在である)。
本書においては、旧帝国軍人の回顧録の中では珍しく陸上自衛隊時代の駐西独大使館付自衛官の話もあり、駐在自衛官時代に経験したキューバ危機に対する各大使館駐在武官の情報収集に奔走する姿も印象深いのと、当時の日本国内における国旗・国家を巡る議論について同じ敗戦国である西独国防省からも同情されるという経験も書かれている。
戦後の日本の失敗は、戦争責任について「全て軍部のせい」として、「軍人=悪」にしてしまったことにあると本書を読んでいて感じる。堀氏が言う「奥の院にあって戦争を主導した方々と職務上戦った面々では責任も異なる。」という当然の理屈も通用しない「軍事を語ることは戦争につながる。」という理屈により、安全保障論議は不毛な神学論争と化してしまったのは極めて不幸であった。
2024/06/27 15:14
最悪の航空機事故と地元新聞社
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群馬県の地方紙である上毛新聞記者であった横山氏がその記者時代に遭遇した日本航空機123便墜落事故を題材とした小説である。
横山氏が自分の居住している群馬県の地元紙である上毛新聞記者だったというのを知った際、てっきり群馬県出身だと思っていたら、東京出身で東京の大学卒業後に上毛新聞に入社したと知り失礼ながら「そんな人もいるんだ。」と意外に感じたものである(本当に失礼な話である)が、敏腕記者であった横山氏は通常3年勤める県警担当記者を6年間勤めたということで、この経験が警察を舞台とする小説のバックボーンになっていると想定される。
ついでに本書中に登場する「大久保・連赤」とは「大久保清事件」(連続婦女暴行殺人事件)と「連合赤軍リンチ殺人事件」という群馬県において連続して発生した大事件を一まとめにした名称であり、この一連の事件の被害者は皆殺害後埋められていたことから、群馬県警はその遺体捜索作業に追われた挙句に「穴掘り県警」と揶揄された(連合赤軍は群馬県でリンチ殺人事件をやらかした挙句に長野県軽井沢で「あさま山荘事件」を起こしている)。
舞台となるのは、北関東新聞社という上毛新聞とは異なる群馬県の地方紙(当然ながらそのような新聞社は存在しない)の遊軍記者である悠木は販売局の友人との谷川岳衝立岩登攀を翌日に控えて、「日航ジャンボ機が消息不明」という情報を耳にする。この羽田発大阪行きの日航123便が群馬の秘境と呼ばれた上野村に墜落したのが明らかになった後、悠木は編集局長から日航事故の全権デスクを命じられたことにより、怒涛の日々が幕を開けることとなり、本書はその怒涛の日々を主題としている。
読後感としては、「新聞社と言ってもやっていることが新聞の編集・発行という会社でしかない」であり、人間社会である以上つまらない派閥争いや役員の思い付きに下々が振り回される等、他業種の会社組織と何ら変わらないという印象を受けたものである。新聞社内部では大久保連赤の栄光が忘れられない上層部からのつまらない横やりとスクープを巡る最終版輪転機に間に合うかのギリギリのやり取り等緊迫感を味わえる。
北関東の地方新聞にとっては大久保連赤以来の大事件が発生したので上を下への大騒ぎになる中、地元群馬三区(中選挙区制時代)選出の中曽根康弘首相の靖国神社公式参拝の1面トップ記事を主張する政治部長に対して、悠木が福田赳夫元首相と中曽根康弘首相が献じた花輪が写っている遺体安置所の写真で折り合いをつける場面については、旧群馬三区で生まれ育った我が身とっては福田・中曽根の「上州戦争」(無風選挙区なのにどちらがトップで当選するかの意地の張り合い)を思い出させるものであった(墜落場所である上野村、遺体安置所のある藤岡市ともに旧群馬三区である)。
その怒涛の日々は登山家が登庁するまでのクライマーズハイの状況であり、歳月を重ねた後日譚として、登攀予定であった谷川岳衝立岩に一緒に行く予定だった友人の成人した遺児と登ることで物語は終焉する。
良くも悪くも、あの当時の新聞は今よりも遥かに重要なメディアであったが、ネット上にニュースが溢れかえっている現状を見るにつけ、今後新聞社がどのように生き残っていくのだろうか(当然淘汰される新聞も出てくる筈である)というのが、新聞定期購読を止めて30年近い我が身として最後の感想である。
山県有朋 愚直な権力者の生涯
2024/04/22 16:08
山県有朋像の転換点
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数々の明治大正期の政治家の伝記を書いておられる伊藤之雄氏による分厚い新書であり、「軍閥政治の生みの親」として悪名高かった山県有朋を「愚直な権力者」として評価している。
明治政界の長州閥の中では、「陽性な」伊藤博文がナンバー1、「陰性な」山県がナンバー2であったが、伊藤暗殺の後は山県が元老として「反政党」の藩閥官僚による「山県閥」の親玉として政界に君臨している。
山県の出発点としては、松下村塾で吉田松陰に学び、奇兵隊幹部として軍事的な活躍により、明治陸軍における長州閥の巨頭として活躍となるが、実際には山城屋和助事件により窮地を西郷隆盛に救われたり、征韓論の際にはその西郷に配慮した煮え切らない態度により木戸孝允から疎まれたり、同じく長州出身の軍人である山田顕義や薩摩の西郷従道との確執等、陸軍のドンの座を最初から確立していたわけでは無く、その危機を長州の盟友である伊藤博文や井上馨、薩摩系軍人として馬の合う大山巌らに救われている。
また、長州系軍人として後進である桂太郎、児玉源太郎、寺内正毅、岡市之助、田中義一達との関係も微妙なものがあり、決して山県の下一枚岩だったわけでは無いのと、司令官として勇んで前線に出た日清戦争においては病気のために途中で交代帰国し、日露戦争においては参謀総長として満州軍総参謀長の児玉源太郎から煙たがられている(日露戦争の陸軍は、元陸相・参謀総長の大山巌が満州軍司令官、元陸相・内相かつ台湾総督の児玉源太郎が満州軍総参謀長で参謀総長に元首相・陸相・内相の山県というこれ以上ない豪華メンバーである)。
本人の性格から地道にコツコツ努力した結果として、明治陸軍の指導者から政治家として2度の組閣そして元老として政界への隠然たる影響力を行使していく存在になるが、最後には皇太子時代の昭和天皇の婚約を巡る「宮中某重大事件」による失権を味わうこととなる。
山県については実に多趣味であり、特にその庭園設計については東京の椿山荘、京都の無鄰菴、小田原の古希庵という名園を世に残しているのだから、功成り名遂げた明治の元勲として自らの名園を眺めて悠々自適の生活を送ることが出来たと思うのだが、そこは維新の志士の生き残りとしての(亡くなった同志達に申し訳が立たないという)使命感と自身の権力欲からできなかったのだろう。
ただ、「宮中某重大事件」における山県については、文芸春秋社の担当として伊藤氏に本書執筆を勧めている浅見雅男氏の著書を読むと対立した久爾宮も相当なタマ(自分の娘の婚約破棄を断固拒絶しながら、息子は酒井伯爵家令嬢と婚約破棄をしており、自身の素行が原因で貞明皇后から忌避されている)であり、世間から悪役認定されてしまった山県には同情の余地があるが、それも山県自身が人に与えてしまった「悪役イメージ」が招いた結果とも言える。
それにしても、「俊輔」と「狂介」の間では保たれていたシビリアンコントロールが、「統帥権の独立」を盾に政治介入した昭和陸軍においては制度劣化を強く感じる(日清戦争においては総理である伊藤博文が大本営メンバーになっており、日露戦争では大本営より天皇、閣僚、元老による御前会議が主導している)。
徳川幕府の経済政策 その光と影
2023/12/28 16:40
260年間の経済政策
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戦国乱世を統一した徳川幕府は260年間という長期にわたる天下泰平をもたらしたが、その経済政策について分かりやすくまとめた新書であり、大石慎三郎氏や藤田覚氏等の近世史の大家の著書からもその見解を取り入れている(藤田覚氏の「江戸時代の勘定奉行」と併読すればより分かりやすい)。
いくら天下泰平とは言っても、一般庶民の生活の向上がなければ支持も得られないわけであり、簡単に言えば幕府開闢から元禄時代までが経済成長時代であり、その最後を飾る元禄バブルの後は自然災害等による幕府財政の悪化による、改革という名の緊縮財政とその反動としての積極財政が交互に行われ、開国後のハイパーインフレの中で徳川幕府が終焉を迎えることとなる。
幕府成立当時は当時の国際情勢の中でも高度経済成長を遂げていた日本について「エドノミクス」としてその経済政策を5本の矢としてまとめていて分かりやすいが、コメ本位制とも言える初期の経済体制から、商業資本の成長による貨幣経済の発展がなされながら、幕府の経済政策が対応仕切れなかった印象を受ける。
その経済政策の遷移を簡単に表現すれば、「改革」=緊縮財政によるデフレーション、田沼意次や水野忠成による積極財政=経済成長が繰り返される中で、日本全体が停滞して行ったということであり、更に実物通貨と名目通貨という概念の中で、荻原重秀に代表される金銀の含有量を低下させる改鋳は通貨の流通量を増やす結果としてインフレーションを招き、新井白石に代表される含有量を増やす改鋳は通貨の流通量を減らすことによりデフレーションを招くという図式となる。
筆者はこの260年間における経済政策の展開について、第二次世界大戦後の高度成長期以降の日本と重ねながら、説明しているのでとても分かりやすく読めるし、江戸時代の政治家・財政家と現代の政治家・財政家が重なってくる(バブル崩壊を招いた点で新井白石と三重野康元日銀総裁等)し、過去も現在も日本は災害の多い国家だと改めて実感する。
徳川幕府は天下泰平と経済発展の後のヴィジョンを欠いたが故に、藩政改革に成功した西国諸藩の興隆の前に崩壊したが、戦後日本も先進国並みまで経済発展しながらその後のヴィジョンを欠いて低迷している点で身につまされる。
第二次世界大戦軍事録
2022/11/28 09:32
実にマニアック
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歴史好き・戦史好きにはたまらない第二次世界大戦の日本とドイツの関係者に関する漫画によるエピソード集ですが、同じ著者による「第二次世界大戦紳士録」に比べると、ページに空間も無く、名前にフリガナもあり、解説にも海兵〇期、陸士〇期と書かれていて親切なのと、軍人以外の人々や陸士海兵等軍人生活の比較もあり盛りだくさんな内容です。
私は沖縄戦第32軍と海兵43期高木惣吉海軍少将の関係から興味を持ったのですが、海兵43期のメンバーについてこれだけ書かれている本は珍しい(第32軍については「紳士録」に余り登場しない長勇参謀長が結構登場してます)。
軍人以外ではヒトラーの幼馴染、ムッソリーニの愛人、ドイツV2ロケット開発者にしてアメリカアポロ計画の大立者、沖縄戦時の県知事といった面々ですが、島田県知事のところで第32軍の持久戦略に巻き込まれた県民の悲惨さも描かれています。
デフォルメの極致の山本五十六ややけに可愛らしい爺さんの南雲忠一等(2頭身像は全般的に可愛らしい)、人物像が絵として似ているかははっきり言って二の次の感がありますが、実際の写真と比べてみるのもご一興です。
ホビージャパンのHPでは見ることができるスプルーアンス米国海軍大将が掲載されていなかったのですが、著者としては珍しい米国軍人かつニミッツとハルゼーの陰に隠れて印象が薄いスプルーアンス提督という選択が実にマニアックだったので非常に残念です。