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山崎純二さんのレビュー一覧

投稿者:山崎純二

1 件中 1 件~ 1 件を表示

街とその不確かな壁

2023/05/26 12:21

村上春樹と聖書

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今回の村上作品のテーマについても
「これだ」と一つに絞ることはできないけれど
それでも大きく底に流れているのは
「死」についてだと思う

影を持たない壁の中の人々の世界
毎日バタバタと倒れる単角獣たちの死
亡くなられた図書館館長との交流
その息子の事故死と妻の自死
若い頃の彼女と
イエローサブマリンのパーカーを着た少年の消失

別段隠すこともなくガルシア=マルケスの作品に対する
作中の人物の感想としてこのように書いている

「現実と非現実とが、生きているものと死んだものとが、ひとつに入り混じっている」

「つまり彼の住む世界にあっては、リアルと非リアル(死者の世界)は隣り合って等価に存在していた」

でもその事実が重たくて
得体が知れないものであるほど
政治や宗教の話以上に
人々は「死」の話題を避ける

「生者」と「死者」
「現実」と「非現実」
「実体」と「影」
「夢」と「現実」
「意識」と「深層意識」
もしくは
「管理社会」「生きがいも目的もない安逸な人生」
「閉鎖的な村社会」「カルトグループ」

これらを描くための大きな舞台装置が
タイトルにもなっているのが「不確かな壁」であり
もう一つが「影」である

子易さんという図書館の元館長が
主人公に対してこう尋ねる

「ところで、あなたは聖書をお読みになりますか?」

あまりきちんと読んだことはないという主人公に対し
子易さんは詩篇の引用を始める

「『詩篇』の中にこんな言葉が出てきます。『人は吐息のごときもの。その人生はただの過ぎゆく影に過ぎない』」

「ああ、おわかりになりますか? 人間なんてものは吐く息のように儚(はかな)い存在であり、その人間が生きる日々の営みなど、移ろう影法師のごときものに過ぎんのです」

なんだかプラトンのイデア論
(洞窟の比喩 The Allegory of the Cave)
における影帽子を想起させるような内容で
要するに人の「儚さ」を説いているのだ

ところが村上春樹は
さらに一歩踏み込んで展開していく
17歳の時に喪失してしまった少女の言葉として
物語の最後の方(598ページ)に書かれている

「ねえ、わかった? 私たちは二人とも、ただの誰かの影に過ぎないのよ」

実体が影を失い
影が実体となる
交互に入れ替わる物語の中で
主人公は自分が本体(実体)であるのか
誰かの影(仮象)に過ぎない存在であるのか
混乱してくる

村上春樹は「あとがき」の最後の最後で
このように書いている

要するに、真実というのはひとつの定まった静止の中にではなく、不断の移行=移動する相の中にある。それが物語というものの神髄ではあるまいか。僕はそのように考えているのだが。

つまり彼は本来語り得ない「言葉」を
ジャズの即興演奏のように虚空に並べることで
「生者」と「死者」を相対化して「あいまい」にし
自由に往来できるものであることを示唆したのだ

世界をそして自分自身ですら
本体(実体)であるのか
誰かの影(仮象)に過ぎない存在であるのかを
「曖昧」にすることで
絶対的な「死」や「不安」「孤独」を
相対化してあやふやにし
そのイタミをやわらげ
真っ暗な世界の中に焚き火をたいて
人々の心にいくばくかの慰めや温もりを与えている
というのが村上作品なのだと思う

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