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山形浩生さんのレビュー一覧

投稿者:山形浩生

37 件中 1 件~ 15 件を表示

自分についての記述の訂正及び全体像がないのが残念

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 自分について一部書かれている本を読むというのは結構こそばゆいものではありますが、一つ訂正しておくと、ぼくはMITでクルーグマンの教えを受けたことはありません。講演を何度かきいて、サインをもらっただけです。

 また、田口ランディと同列に言われるのは、正直いって気持ちのいいものではありませんでした。ぼくの文章はほとんどがまず紙メディアで発表されて、それを後から記録としてネット上にアップしています。初出媒体が主にネットやパソコン通信だった田口とは、かなりちがうのではないでしょうか。確かに多くの物書きに比べて、ネット上での活動が目立つということはあるかもしれませんが、ネット出身と称するのは若干無理があると思います。

 さらに、内容的にも田口ランディごとき低俗オカルトライターといっしょくたにされるとは、情けないです。が、まあしょせんそれはぼくの評価がその程度ということで甘んじて受けるしかないですね。

 本としては、個別のライターについてそこそこまとまった紹介にはなっているのですが、それを全体として見渡す視点がないのが残念でした。ないものねだりではありますが、自分でも知らなかった自分の新しい側面、あるいは自分自身の新しい位置づけ、といったものが見たかったとは思います(まあ田口と同列、というのは一種の「位置づけ」なのかもしれませんが……)。
 「森永/宮台/山形はこんな系列でこんなことをこんなふうにいっていておもしろい」という羅列に終わっていて、たとえばなぜ数ある批評家の中でかれらに注目すべきだと考えるのか、とか(90年代に出てきた、というだけではあまりに弱いと思う)、それが全体としてどんな流れを作っているのか、とか(かつてのニューアカはいまどう影響しているのか、あるいはぼく以外にも呉智英や橋本治の影響下にある人はいるけれど、それがどういう系譜になっているか)といった見取り図が描けていないのは、不満なところです。

 が、さっき言ったように、個別のライターの紹介はよくまとまっているとは思います。

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紙の本建築と断絶

2001/04/16 00:24

現代建築デザイナーが、自分を思想家だと思うのはなんとかならないものか。

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 世の中で、建築、特に建築デザインができることは限られているのだけれど、こうした現代建築デザイナーたちの文章を読むと、なんだかありとあらゆることに建築的に対応しなきゃならないような、そんな思いこみが多いと思う。現代のメディアと現実の問題、都市の機能の入れ替わりの激しさ、現代人の精神分析上の課題、生産と消費の資本主義的な関係——著者はそれを本書で、理論的に建築に反映させようとするし、それがまったく無関係だとは言わない。でも、それって建築で扱わなきゃいけないことなんだろうか。
 先日、かれの設計したパリのラ・ヴィレット公園に行って来た。訳者あとがきに書いた印象は、やっぱりかわっていなかったし、なんか人も居心地悪そうだった。人もみんな真ん中にある児童公園と、音楽博物館のあたりにたまっている感じ。寒かったせいもあるだろうけれど。

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おおお、爬虫類人のインボー!(爆笑)

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 おおお、人類は実は爬虫類人に操られようとしていたのか! ユダヤ人は、実は爬虫類人だったのだ! 爬虫類人たち/ユダヤ人たちは、恐竜による地球支配の再興をめざして、シュメールで開発された悪魔の技である金融技術で、人類を家畜化しようとしていたのだぁぁぁぁっ! そうか、そうだったのか! ヒラリー・クリントンは爬虫類人で、はんぶんしか爬虫類でないビル・クリントンは尻にしかれておったのだ!!! ロスチャイルド家はユダヤ人!  アメリカFRBは実は株式会社だった! 

 ぎゃはははは。知りませんでしたよぉ。いやそうだったんですか、グリーンスパン社長。

 次々に明らかになる驚愕の事実! 冗談のネタにはなかなかよいっす。まさか真に受ける人は……いないよねえ? 確かと学会でも注目の、トンデモ著者による例のごとくのトンデモ本。暇つぶし(だけ)にどうぞ。

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紙の本サモアの思春期

2001/04/27 00:25

ミードはだまされていた。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 アメリカの文化人類学の古典ですが、その後、デレク・フリーマンの研究で、内容的にサモアの現実との食い違いがたくさん出てきて、あまりにサモアを理想化しすぎているとの批判が噴出。さらにその後、ミードの情報提供者だったサモア人少女が、「ミードはわたしたちの冗談を真に受けてしまったようだ」と証言して、信憑性は落ちています。
 「えー、あたしたちボーイフレンドなんかいっぱいいるもーん」
 「そうよ、よりどりみどりでデートするのよー、ねー」
 という女の子の軽口をそのまま理解してしまったらしい。
 ただしミードは故意に歪曲を行ったわけではなく、当時の学問的な環境の中で、仕方のないまちがいをしてしまったようです。

 とはいえ、一応は古典なので読んでみたかったんだが、版元にも在庫なし。注文しても買えません。

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訳者の一人のコメント

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 上の目次では、マニュエル・カステルによるエピローグがぬけています。この本の一つの価値は、情報と都市に関する非常に有力な研究者であるカステルが、大著「情報時代」を一般向けにまとめなおしたこのエピローグにもあります。カステルの初の一般向け文章、でしょう。

(編集部注)「上の目次」は当初、出版社の販促資料より転載いたしましたが、ご指摘を受け後日入手したゲラを確認し、修正を行いました。(2001年5月14日)

 ただしそのために、ふだんは晦渋な文章が隠している彼のダメなところがあらわになってしまっています。「遺伝子組み替えとwebのリンクは、どちらも情報の組み替えだから情報時代の基礎技術だ」といったレベルのちがう話をごちゃまぜにする議論が百出。さらに、ハイテク株の暴落でつらくなった部分も多々あります。

 あと本文は、新しい倫理の存在は示せています。その部分はおもしろい。ただしそれがなぜ存在するのか、今後どうなるのか、という考察は欠けています。それは著者の、今後の課題になるでしょう。

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こちらで内容の一部が読めます。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

   以下の URI で、この本の一部を立ち読みできます。ご購入の参考にどうぞ。

http://www.shoeisha.co.jp/pc/book/826x/

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紙の本平然と車内で化粧する脳

2001/04/16 19:34

科学を濫用してがさつに社会に適用したひどい本

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 なにが恥かは、社会や文化によってちがう。電車の中で化粧をする人は、いままでの日本社会とは恥の感覚はちがうけれど、でも恥はちゃんと知っている。電車にのっていった先で会う人たちの前だと、化粧してないと恥ずかしいと思うから化粧するわけだ。

 それを著者は、生物学的に脳が未発達だから恥の感覚がないのだ、と決めつける。恥を知らないやつが化粧しますかいな。恥の現れ方がちがうだけだよ。ヒッピーやパンクスだって、それまでの社会常識からすれば恥知らずだけれど、別に恥という概念そのものを知らなかったわけじゃない。いまだって話は同じだ。

 著者は、「知性の脳構造と進化」などで優れた業績を持った科学者ではある。でも、それを社会の現象にここまで安易になんの実証もなく適用してしまうとは唖然。そしてそれを元に著者は、体罰を強化しろとか、戸塚ヨットスクールはすばらしいとか、そこらのおっさんの教育談義みたいなヨタ話を得意げに展開してみせる。気をつけないと、「恥知らずは脳障害だ」とかいって新しい差別や優生学めいた議論を肯定するのに使われちゃう可能性だってある。この上にある安原顕の書評は、いかにこういう議論がお手軽に暴論の肯定に使われるかを、実に見事に示しちゃっている。

 科学の安易な通俗的濫用の見本として、反面教師的にとらえるべき本。読むなら、鵜呑みにしないで、疑いながら読んでほしい。

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紙の本カルロス・カスタネダ

2002/02/24 14:21

オウムで懲りてないのか!

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 カスタネダがインチキであることは、かなり昔から明らかになっており、その著書の多くがかれの創作であること、かれの経歴も詐称であること、かれの師という「ドンファン・マトス」なる人物も実在しないことは、もうずいぶん前からほぼ確実になっています。これについては最近の皆神他「新トンデモ 超常現象56の真相」などに手軽なまとめが載っています。

 それだけに、この期に及んでまさかこんなビリーバー本が出るとは思っていませんでした。「ドンファンは実在する!」と主張、その根拠は「一人でここまでのものを創作できるとはとても思えない」という情けないもの。カスタネダの主張や発言は、なんでもひいきめに解釈。典型的なビリーバー論理がひ たすらたれ流されます。

 島田はオウム真理教擁護で大学を追われ、そしてそれを反省して総括した本なども出しており、こういうカルトと教祖の手口については多少は理解できているものと思っていたし、理解はしないまでも多少の警戒はできているものと期待していましたが、まったくクスリが効いていないようです。

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コンピュータにふりまわされただけの、無意義なGIGO

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 コンピュータに使われただけのかわいそうな本。いろいろ検索して言葉の出現を数えたりはするんだけれど、その結果を正確に評価することができてない。

 たとえばアリスでは、風変わりなものに出会ったときに curious ということばと strange ということばが使われる。これはどう使い分けられるんだろうか? 著者たちは、検索で使用箇所抜き出す。で、curious が使われているときには、アリスにとって好意的な風変わり、strange だとニュートラルな風変わりになっている、という。結論としてはアリス(または話者)の関心の性質に応じてことばが使い分けられていることがわかる、というんだ。

 でも、そのそれぞれの描写の部分の「関心の性質」はどうやって判断できるんだろうか。アリスがどう感じているか、何でわかる? それはまさに、そこで「strange」が使われているか「curious」が使われているかでしか判断できない。これらのことばの使用そのものが、その文脈を作ってしまうんだ。

 つまり著者たちは、説明変数(使用単語)と被説明変数(文脈)をきちんと区分せずに、「curious を使っているので好意的な文脈では curious が使われる」という堂々巡りをしているだけ。これじゃダメだ。何の説明にもなっていない。それぞれの部分を見て、「ここはこういう場面だからアリスは好意的なんだ」という解釈はくっついているけれど、それはあとづけの説明でしかない。同じページで同じ単語や形容詞を繰り返すのはよくない、という英作文の慣行の影響は無視していいんだろうか? 

 その他の「分析」と称するものも、いろいろ出てきた数字に勝手な解釈やアドホックな説明をくっつけただけ。コーパスとの比較も、適切なのかね。dream / dreaming で検索して分析、といった第5章も、検索したものを適当にならべてアリスのあらすじをなぞるだけで終わっており、コンピュータを使った結果何が出てくるのか、というのがまったくない。そりゃ「鏡の国のアリス」で夢ということばをあさると、赤の王さまの夢の話とさいごの部分が出てくるだろう。それで? そこでまったく新しい、関係ないと思われていた部分との意外な共通性が得られました、というなら新たなファクト・ファインディング手法として有効だという主張もできるだろう。でも、それもない。いったいこれをやった意義というのはどこにあるのか? そして最終章あたりでは、もうコンピュータなんて何の関係もない。単にアリスに出現する風変わりな論理をあれこれ並べ立てただけで、何の分析も知見も得られない。

 文学分析にコンピュータを使う試みは別に初めてじゃないだろうに。著者たちは GIGO ということばを肝に銘じるべし。モデル構築、仮説立案、その検定と棄却についてマジに勉強すべし。アドホックな説明がまずいことも理解すべし。それなしにいくらコンピュータまわしても、ゴミが量産されるだけですぞ。本書のように。

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荒れすぎ

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 すごく荒れています。せっかくミャンマーで出家しても、そこから特に面白い観察が出てくるわけでもなく、単に「やりました」というだけ。鴨志田穣も、ふざけようとしてコンパ芸まがいのことをしているだけ。また、ゲッツ板谷の文章はウケようとしてすべったものばかり。「おおおっ、ばかやろー!」「おおおっ、どうなってるんだぁ!」とか、その手の感嘆符と絶叫ばかり。悲惨なでき。お勧めできません。

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紙の本経済学の名言100

2001/04/29 14:58

失笑ものの手前味噌本

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 スミス、ケインズなど大経済学者の「名言」集というから、それぞれの考え方や姿勢の根幹を示す一言が紹介されてると思うでしょ。ちがうの。佐和がユルユルの趣旨不明の駄文を書く前振りになるものが選んであるだけ。その学者の理論も実践もなにもわからんのだ。マルクスだと、共産党宣言の冒頭の一文。サミュエルソンだと「マルクスはまちがいが多い」というせりふ。だれが言ってもいいようなしろもの。人選も、ヴェブレンもないしアカロフもナッシュもパレートもない。都市経済や経済地理方面は壊滅。かわりに吉田兼好? 西部邁? レスター・ブラウン? あげくに自分の陳腐なせりふまで入れる厚顔ぶり。もうなにも申しません。

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紙の本eエコノミーの衝撃

2000/07/31 01:57

存在自体が恥ずかしい本。

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 経済学者が書いたとは思えないほどひどい本。

 記述内容は、『ビジネスウィーク』や各種ビジネス誌のIT革命云々チョーチン記事を焼き直したような代物ばかり。しかも中に書いてある、ネットワーク効果の収穫逓増の話など、経済学的な部分がまちがいだらけ。学者が、学問的な良心をふりすてて三流ヒョーロンカに堕した、嘆かわしい書物。

 もともとバカなライターが書き散らした本なら、そもそもバカにする気もおきないし、読者もそれなりのものとしてしか読まない(だろう)から実害もないけれど、中谷巌はなまじ経済学者として実績と評価があるだけに、本書はいっそうたちが悪い。笑いものにしたり、まちがいさがしをしたりする以外の目的で買ってはいけません。

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紙の本小説ザ・外資

2002/04/01 18:58

タイトルの「小説」が泣いている:デフォルメ皆無の小説以前。

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 プリンストン債や旧日債銀、長銀などの外資による買収、金融再生委員会(現在は金融庁)の活動におけるリップルウッドの不透明な関与など最近の日本の金融分野におけるニュースは外資がらみのものが多い。本書は、こうした状況を題材とした小説で、外資系企業がいかに日本を食い物にしているかについて、その内部で(心を痛めつつ)働く主人公を核に描いた小説だ。

 が……その描き方はあまりにデフォルメがない。露骨にモデルがわかる書き方になっていて、上で描いた各種の事件との対応関係が一目瞭然。こういうのを「迫真性がある」とか「時事性がある」とか評価するという考え方はあるけれど、それにしても小説としての咀嚼が皆無。著者の主張らしきものは、たいがい主人公の酒場談義(つまりはグチ)で開陳されるだけ(それも陳腐な外資日本侵略陰謀論)。小説であるからこそ可能な「what if…」の提示は皆無のまま、時事ニュースをなぞって終わりだ。そしてラストも、それに対して何か方向性なりなんなりが提示されるわけでもなく、主人公たちが逃げ出すだけで終わり。

 酒場談義が小説の構成になんら貢献しておらず、その部分はひたすらだれる。主人公の不倫話や娘とのエピソード、再婚までのロマンスも陳腐で、なんら意味なし。実際のニュースをなぞるだけで力つきた感じ。そりゃ事実は小説より奇なり、という感は最近のニュースを見ているとだれにでもあるだろう。また、小説安宅産業など、実録小説の伝統というのもあるだろう。でも、そこで小説としての構築力や提案力がまったく出ないようでは、あまりに芸がなさすぎ。タイトルの「小説」の一語が泣きますぞ。

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新しさのないトホホなつまみ食いボロボロ寄せ集め「理論」

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 環境設計の本のつもりで買ってしまったんだが……いや大後悔です。

 自分がまったく新しいことをやっていると確信しつつ、実はくだらない言い換えとおためごかしとブランド信仰に終始しているかなり情けない書物。「はじめに」の部分で「わたしのスタイルは研究領域を次々にかえていく腰の落ち着かない輩と見られたり、輸入学問の代理人のように思われているようだが」と一生懸命弁明をしているんだけれど、まさにその通りの人物なのだ、かれは。本書では自分が何かオリジナルなことをやっているかのように主張しようとして、これまでつまみ食いしてきたものをいろいろごった煮にして、あっち取りこっち取りしてうわべの類似でくっつけて見るけれど、結局何も新しいものはない。漠然とした一般論をむずかしいことばで言い換えているだけ。「環境」というのをキーワードにまとめようとしているんだけれど、要は「還元主義から総合主義へ」とか「環境には技術だけでは解決できない文化・経済・社会的な側面がある」と言って、近代主義はいけませんとか、いまの産業社会はいけませんとか、エコロ・ラッダイトみたいなことを言いつつそれを明言する勇気がないので「新しいシステムの構築」なんていう逃げをうってお茶を濁すだけなんだ。そしてそういう日和見を、なにか新しいことだと思いこむ恥知らずぶり。ついでに、既存アカデミズムにかなり恨みがあるようで、その悪口全開。アカデミズムも再構築を! やれやれ。

 本書の中身がいかに吹飯モノかは、まあたとえばこんな文章を見てもらえばわかるかな。「前古代=超近代という『場所の時間』設計がなされて、『絶対無』としての場所は、存在者的に存在プラスチックするのである」……なにこれ。こういうのを読んでなにかわかった気になれる人は、かなりおしあわせな方だと思う。

 ちなみに「結語にかえて」には、本書がまったく説得力がないことについての言い訳があらかじめ用意されているというトホホぶり。ならもうちょっとましなものを書いてから出せよ、まったく。読んでも得るものは何もありません。

 そういやこの人は昔、「数学はまずブルバキを学ばなくてはならない!」とか力説していたんだが、モノになったんですかね。少なくとも本書にはその兆候はまったく伺えないのであった。

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ただのトンデモ脳天気本

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 ただのテクノロジー礼賛バラ色未来像ビジネス書、です。しかもそのテクノロジー礼賛ってのが、ろくなものじゃない。だってこの人たち、常温核融合だの反重力だのワープだのをマジに取り上げるのですもの。

 「(フライシュマンとポンズの)実験はインチキだとみなされ、低温核融合はまったく信用されなかった。事実はどうなのだろうか。1989年以降、八カ国で低温核融合の研究に数百万ドルが費やされ、それが事実であることを示す重要な証拠が得られた(!!!!びっくりしたのは引用者)が、そのほとんどが公表されなかった。しかし現在では高い評価を受けている著名な学者たちが、将来的に低温核融合が現実のものになるであろうと公言しはじめている」(p.212)

 どうして公表されていないものを知ってるの、この人。だれ、その「著名な学者たち」って。この程度のジャーナリストがまとめた本なので、ほかの部分も推して知るべし。ニューエコノミー礼賛にさらに輪をかけたトンデモ本。冗談の種にしか役にたちません。

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