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雪化粧さんのレビュー一覧

投稿者:雪化粧

3 件中 1 件~ 3 件を表示

嵯峨野明月記

2004/01/22 00:13

嵯峨野明月記…徒然に思い出すことなど。

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『背教者ユリアヌス』 を一気に読み通したのは20年以上前のことで、以来、久しぶりの辻邦生である。書店で辻邦生を手にとることはこれまでにも再三あったのだが、どことなく雅な文体は行きずりの立読みを拒むところがあって、今までずっと敬遠していたのである。

 何故今になって読む気になったのか、理由は常の如くさだかではない。 例えば元阿弥光悦である「一の声」が、刀剣の鑑定(めきき)、磨礪(みがき)という己の代々の家職をこう語るのである。 「私がいままで学びえたこと、知りえたことは、すべてあの刀剣、脇差の澄んだ鋼の色の中に、あらかじめあったものにほかならぬ…」。 続けて語られる「家産の逼迫した牢人」が持ち込んだ荒廃した刀剣を磨き甦らせる話などを読むと、いつもはただ眺め通り過ぎるだけの東京国立博物館・刀剣展示室が俄然輝きを帯び始めるのだ。

 また、光悦が土岐民部の件で細川藤孝と会ったとき、土岐を良く思っていない藤孝はこ言うのである。 「天下の政治はただ真に力のある者との間の釣合いのうえにしか築かれぬ。よしんば力ない者が一時騒擾を極めることがあっても、それは間もなく鎮まる。騒擾をもたらすだけで、すべての力を浪費し、使いつくしてしまうのだ。……権力者にして真に為政者ならば、つねにかかる深慮を内に抱きつつ、地の上を匐ってゆく打算者でなければならぬ」。 彼はモスカ伯爵(スタンダール『パルムの僧院』)と同類のマキャベリストで、このタイプは清潔である限り僕の好みである。

 本能寺から朝鮮出兵、関が原を経て徳川に至る時代背景は決して平穏ではないと思うのだが、全篇を包む雰囲気は極めてスタティック(静的)で、それぞれの内面と社会とを物語る三人の声には現実の日々を生きる血の臭いや肉の温もりは感じられない。 それは生身の声ではなく、彼岸の薄闇から聞こえてくる読経のようだ。超俗は辻邦生の視点であって、現実の三人はもっと脂ぎった精力的な男達だったろう。少なくとも実生活への粘着度は内面と同様、低くはなかったはずである。

 ついでながら……。 僕の持っている 『背教者ユリアヌス』 は昭和53年3月30日26版の装丁(箱が気に入っています)なのだが、読み終わって間もない頃、電車で同じ版の『ユリアヌス』を夢中で読んでいる若い女性を見かけた。 文庫ブーム以前の光景なので、その娘は給料から大枚2,500円(当時)を捻出してその本を手にしたのだろう。 小柄な女性が片手で読むには少々大部なその本を、つり革につかまるでもなく、両足を踏ん張って一心不乱に読んでいるその姿は、実に印象深いものであった。 

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天野祐吉のCMウオッチング

2004/02/11 22:56

洒脱なお手本

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 実は、ナニを隠そう、僕の愛読書であり、また文章のお手本でもある。 こんな洒脱な、楽しい文章が書けたらなあ…と思いつつ、書けたためしがない。

 「いまの世の中、ネクラはうけない」 と、CMキャラクターとしての王と長島を比較したり(この勝負、重厚長大型の王の負け。長島が軽薄短小というワケじゃないけど)、時代がどうだなんて全く無頓着な人にみえる菅原文太が、冷蔵庫のCMで 「時代はパーシャル!」 と怒鳴るおかし味等、随分楽しませて貰った。

 なかでも一連の 「パンツ・ショック」 は身につまされる大問題で、大笑いしながらも深い溜息をつくのである。 発端は90年5月18日附けのコラムで、対象のCM商品は日立の 「分け洗い洗濯機・静御前」。 可愛い娘さんが 「パパのソックスは右、私のは左、パパのパンツはゼ〜ッタイ右……」 と、洗い物を二つの洗濯槽に分けるCMシーンに、「ナンだこれは?」 と首を傾げたところから騒ぎが始まる。 まわりの女性にその意味するところを聞いてみると、亭主のパンツを差別虐待する衝撃的な話がゴロゴロでてきたのである。 「娘さんならまだ可愛いけど、世間の奥さんのなかには、亭主のパンツをハシでつまんで洗濯機に入れてる人もいる」 となると話はガゼン、凄みをおびてくる。

 早速、「そんなの序の口よ」 という投書が殺到し、そのいくつかが紹介されていて、曰く 「亭主の下着は、洗濯機に入れる前に、その辺をゴシゴシ、雑巾代わりに使う。」、「自分と子供の下着を洗った後の汚れた水に、旦那の下着を放り込む。」、「夫のパンツは‘雑巾と一緒に洗う’というのが普通だと思います。」、「ハシは使わないわ。あとで、手をよく洗えばいいんだもん。」 結局、「自分の下着くらい自分で洗え!」というのが世の奥様方の大方の声なのだろう。

 このパンツ騒動はよほど反響が大きかったらしく、一ヶ月以上経ってからも 「パンツをハシでつまむ」 という言葉がコラムに出てくる。 きりがないので、このコラムの担当記者の言葉で終わろう。 「独身の私は、‘結婚なんぞは軽率にするものではない’とひとりしみじみ感じ入っております。」

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八犬伝 上

2004/02/11 22:16

脂ぎった狒々爺になりたい

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 物語は八犬伝を語る「虚の世界」と、作者・馬琴の私生活を描く「実の世界」が組(入れ子)になって進行するのだが、面白かったのは圧倒的に「実の世界」であった。 

 私は日記を書くに天候など滅多に記さないのだが、馬琴が書くとこうなる。「昨夜より雨、今朝四時前より雨止む。風は止まず、曇り、程なくまた雨、風止む。また程なく風雨、昼後より小晴、風は止まず、夜中風烈、始終南風なり、暁風止む、ただし風雨の節遠雷一発。」 これは特別の天候の日ではなく、毎日がこの調子なのだそうだ。 因果応報・勧善懲悪・四百数十人居るという八犬伝の登場人物すべてにキッチリ始末をつけねば済まない性格には、それなりの執拗さが備わっているものとみえる。

 「ともかくものをきわめ申さねば済まぬ癖」 と自分でもウンザリしているらしいが、迷惑するのはその家族で、「無学で何が悪い! あたしゃ下駄屋の女房をしてたほうが、一生ラクに暮らせたんだ!」 とわめく奥さんに僕は心から同情する。 更にオソロシキは、馬琴が声を荒げることをほとんどせずに、理詰めの説教を延々と、諄々と、懇々と垂れ続けることであろう。 度々登場する北斎とは正反対の性格で、しかしこっちも極端さでは甲乙つけ難い。

 印象に残ったのは、菊五郎に招かれて行った中村座で、馬琴と北斎が鶴屋南北と相対面する場面である。 ところは舞台下の奈落の暗闇。 どういうわけか上から逆さまにのぞく南北の顔を 「面あかり」 の蝋燭1本が照らしている。 その白髪首から年の頃は70位だろうが、とにかく逆さなので、長い顔か短い顔か人相さえ定かではない。 それでも 「…今、この奈落に居る三人の老人は、彼らが意識していようといまいと、まさしく江戸爛熟期・化政の三巨人であった。」 こうして逆さに浮かんだ鶴屋南北の白髪面を中心に、三人の老獪な狒々爺が相対するのである。

 この奈落へ案内する中村座の木戸番が和泉屋次郎吉という苦みばしったいい男で、7年後の天保3年、フラリと馬琴を訪れた北斎との世間話に、この男(鼠小僧次郎吉)の消息が話題にのぼる。 

 この世間話も僕の好きなところで、馬琴は66歳、北斎は74歳である。 鶴屋南北は奈落での対面から4年後に死んだ。 「南北はいくつで死んだっけなあ」 と馬琴。 「たしか七十五だったときいた。 四谷怪談がどれだけの芝居か知らないが、とにかくあれだけのものを書いたのが七十一のときだときいて、おいら感心したが、なに、こっちもかれこれ南北の死んだ歳にならあな。」 と北斎老。

 全体を通して、七癖どころではない老人達のしたたかな生命力と知力に僕は惹かれていたのである。 虚実ともに、見えてくるのは八犬伝の世界でもなく馬琴の人間像でもない、著者・山田風太郎の飄逸な顔のようだ。 どんな書物も、最後に見えてくるのは著者自身の姿だ、と小林秀雄は書いていた。 また、書物から立現われる著者を待つというのは、時間と努力を必要とする容易ならざる読書である、とも書いていた。 とすれば、気楽な読書を楽しんだ僕に見えていたのは、脂ぎった狒々爺になりたいという、己の願望の影に過ぎなかったのだろう。

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