銀次郎さんのレビュー一覧
投稿者:銀次郎
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風の万里黎明の空 下
2004/04/19 01:12
自己憐憫の深い穴から脱出しようとする少女達のたどる道は
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
この上下巻では、3人の少女の物語が、同時進行していく。
一人は「月の影 影の海」で慶国の女王となった陽子。玉座についたものの、王不在の政権でやりたいようにやってきた官僚達は、陽子の意見に耳を貸さない。国の仕組みがわからず、官僚を治める手腕も持たない為、彼らの言うがままになるしかないのだ。対立する派閥の間でジレンマに陥った陽子は、市井の暮らしを体験しようと王宮を抜け出す。
鈴は、16歳で明治時代の日本から流されてきた。仙人になれば言葉が通じるようになるからと、すがる思いで仕えた仙女から90年(!)いびられ続け、耐えきれず才国王の元へ逃げ込む。だが、斎王から「もう少し大人になりなさい」と旅に出ることを提案される。やはり自分の悲惨な境遇を誰もわかってくれないと嘆く鈴は、同じ日本から流されてきた景王なら…と、慶国を目指す。
3人目の少女は、芳国王の娘・祥渓。清廉潔白な王は、些細な罪も許さず、60万人の国民を処刑した烈王である。あまりの過酷な治世に反乱が起き、王と王妃は忠臣から討たれてしまう。祥渓も30年暮らした王宮から追放され、華やかな生活から一転。貧しい農村で労働を強いられ、憎悪の目に囲まれて暮らすことになる。自分と同じ年頃の娘が慶国の王になったと聞いた祥渓は、嫉妬と羨望から景王の玉座を奪ってやろうと決意する。
虐げられ、プライドを粉々にされた人々が、逃げ込む先はどこだろう? 一番身近な「自分が一番可哀想」という隠れ部屋だ。ここに篭っていれば、自分が果たすべきだった責任や、改善策があっただろう事を忘れて、人を恨むことができる。案外居心地が良いものである。他人も不幸を経験しているが、それを口に出さないか、乗り越える術を知っているだけだ、という事に思い当たらない。例えば、鈴が逆恨みした斎王が、息子と甥の自殺を経験しているように。
鈴は、旅の途中で知り合った少年の死によって、祥渓は、陽子の友・楽俊によって目を開かされる。自分を哀れみ、人を恨む前に、もっとやるべき事があったのだ。3人の少女は、圧政に苦しむ和州と拓峰の人々を救おうと奔走し、共に戦うことになる。
反乱をすべて平定した後、陽子が語る、自国の民に望む言葉の何と清々しいことだろう。「隠れ部屋」から抜け出せた陽子は、迷いながらも自分の行くべき道を目指すだろう。初勅を宣下する陽子の凛とした声が、実際に聞こえてくるようだ。
作者は、3人の少女を通して語りかけてくれている。『自らを救おうと行動を起こすものには、必ず道が開ける』と。今、苦しい思いをしている人に、是非読んで頂きたい本だ。
図南の翼
2004/04/20 11:16
「家は裕福で、何不自由ない。私は頭が良い。それが何なの?」と言いきる朱晶、ナイス!
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
この巻では、12歳の少女、朱晶が玉座を目指し、過酷な旅をする。
朱晶は裕福な商家に生まれ、使用人にかしずかれる生活を送っている。たいそう賢い。自分が正しいと思えば、大人に向かって堂々と意見する。が、朱晶は、ただのわがままお嬢さんとは一味違う。実家が裕福だったり、親が権力者だったりすると、自分が偉いと勘違いする子供は多いが、彼女は、家の富・名誉を自分が作り上げたものではないと自覚している。だから、自身の可能性とは何か、一人だけの力で何ができるか試すために昇山したのだ。
麒麟が王を選ぶパターンは色々ある。景王・陽子のように、麒麟が王を探しに出ることも多い。ならば、何故幼い朱晶が、妖魔が跋扈する黄海を渡らなければならなかったのだろう。天がそれを望んだからだ。
いくら賢いといっても、朱晶の世界には家と学校しかなかった。飢えた人を思いやっても、実際に自分が飢えたことはなかった。飢え、恐怖、他人とのつながりを実体験することにより、朱晶は確実に成長していく。昇山する大人達の中に、様々な人間像と価値観を見ることで、朱晶は、自分の信念を確固たるものにしていく。道ならぬ道を踏みしめる朱晶の1歩1歩が、王権を1日でも永らえる礎となっていく。ひいては、それは民の幸福につながるのだ。
「十二国記」では、各国の王の姿を通じて「王としての資質」が、繰り返し、繰り返し語られる。「王としての資質」は、「人としてどう生きれば良いのか、の指標」と言い換えられないだろうか? そして「理想の国」を「理想の人生」に置き換えてみると、結構考え込んでしまう。自分がたどって来た道を振り返り、経験のかけらを拾って、文中の言葉と照らし合わせてみたりする。私の場合、ぐっさり深々と胸をえぐられる事が多い。
人の口を借りて、天から朱晶に投げられた問いかけは「王は臣下の理屈を超えなければならない」というものだった。
年齢差を越えて「十二友」となった中学生の姪が「なぞかけみたい。叔母ちゃん、わかるぅ〜?」と口をとがらす。う〜ん、難しい問題だねぇ、と言いながら、私は作者に感謝の念を捧げていた。小野さんは、読者の心に種をまき続けてくれている。私の姪の心にも…。
朱晶の旅も終わりに近くなった頃、麒麟が待ちきれず迎えに来る。王以外、誰もがひれ伏す麒麟に、朱晶は、何と思いっ切り平手打ちをお見舞いするのだ。(朱晶、やるっっ!)「何故、私が生まれたときに、迎えに来なかったのよ!」と。
物語は、ここで終わっているが、その後の朱晶の言葉を想像してみる。
「12年間に沢山の人が命を落としたり、苦しんだのよ。私がもっと早く玉座についていたら、1人でも多くの命が救えたのに!!」では、なかったろうか。
天が定めた「王の資格」の中には、「良い意味で欲張りであること」という項目が入っているのかもしれない。
ぼんくら 上
2004/04/25 11:02
たわんでる哀れなMY本棚の為に、安く小さくなるのを待ってました。
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「好きな作家は?」と聞かれ「宮部みゆき」と答える時、心なしか声が小さくなってしまう。「太宰治が好き」と言うのと同じ気恥ずかしさを覚えるからだ。
友人から「みんな宮辺が好きなのねぇ」と言われ、その響きが「平凡ねぇ」に聞こえ、鼻白んだことがあるからかもしれない。
だが、「みんなが好きな本」というのは、実は、すごいモノなのだ。年齢差・職業・あらゆる価値観を越える普遍性、心の琴線に触れるものが行間にあるからこそ、皆が手に取るのだ。「ぼんくら」もそうだろう。平積みコーナーで、この本の所は、ポコンとへこんでいるもの。
主人公・井筒平四郎は、本所深川の同心である。望んで家督を継いだわけではないので、お役目にも熱が入らず、適当にこなす昼行灯である。子供嫌いだが、子供には好かれる。奥方に言わせると、平四郎が子供だから、子供達は仲間を見つけて寄ってくるのだそうだ。
物語の舞台になるのは、平四郎が見回る鉄瓶長屋。ここで次々と椿事が起こる。八百屋の息子が殺され、責任を感じた差配が姿を消す。博打に狂った父親に売られそうになった娘が家出する。壷を拝む変な信仰が流行る・・。これらの出来事は、「殺し屋」「博打うち」などの前半5編に収められていて、最初は、長屋の人々の悲喜こもごもの人情話かと思っていた。
だが、平四郎は、事件の共通点に不審を抱く。どの出来事も、結果として住人が長屋を去る。単なる偶然か?誰かが裏で糸を引いてるんじゃないか?
だとしたら、目的はなんだ?
ここから物語は、俄然ミステリー色を帯びてくる。平四郎は、長屋をじわじわと覆う黒い影の正体を追いかけていく。
後半「長い影」から、素晴らしく魅力的な2人の子供が登場する。
1人は、平四郎の甥で、養子候補の弓之助。人が振り返る程美貌の少年だが、目に付くものを計測したがる変な趣味がある。観察眼が鋭く、事件解決につながるヒントを、次々と平四郎に語る。
もう1人は、「人間テープレコーダー」の「おでこ」である。何十年も前の事件の口述記録を再生する様は、テンポ良い落語の口上を聞いているようだ。
あれは凄い見物でございますね、と感心する弓之助に、平四郎が答える。
「あれくらいで驚いちゃいけねえ。おでこの奴は、20年も30年も昔の出来事を大親分から聞かされて、それをちゃぁんと覚えてるんだ。だがな、話の途中で遮ると、頭っから巻き戻してしゃべり直さねえと駄目なんだ。面白いから、おまえもいっぺんやってみな。」
面白い生き物を、目を輝かせてつつく子供の姿が、平四郎と重なり、宮辺の茶目っ気に、思わず吹き出してしまう。
その他に、岡っ引きの政五郎、長屋の束ね役・お徳など、善意の頼もしい助っ人が脇を固め、配役の妙と、江戸っ子の洒脱なやりとりを十分堪能できる。
宮辺本の魅力は、謎解きの面白さだけでなく、登場人物が残す光と影にある。この世に完全無欠の人間などいない。誰もが弱さや過去の瑕を持っている。人は人と寄り添い、互いの欠けた部分を補い合って暮らすから「人間」として生きられるのだ。嫌われ者の娼婦や巫女崩れの犯罪者に注がれる宮辺の視線は、限りなく優しい。憎悪を糧として生き、人を陥れるのが生き甲斐の仁平を、平四郎が哀れむ場面を読むと、お腹のあたりが、ほっこりと温かくなっていく。
クライムノベルには、犯罪者の異常心理や残虐な行為を魅力的に描くものも多い。読後、自分の中の中心軸がずれたようで、居心地が悪くなる。その後、宮辺本を読むと、理不尽な出来事に憤り、弱者を慈しむ、シンプルで「まっとうな」原点に引き戻される気がして、何故かホッとするのだ。
よくできた本は多いが、読んで嬉しくなる本は意外と少ない。
そう考えれば、もっと大きな声で言っていいかもしれない。
「やっぱり、宮辺みゆきが好き」と。
月の影影の海 上
2004/03/30 21:47
ファンタジーだと侮ることなかれ!
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
ファンタジー? 面白い内容だったら中学生の姪にプレゼントしよう…と思い、読み始めた途端、設定の難解さに頭を抱えた。十二の国名や独特のシステムに馴染むまで、何度地図を見返したことだろう。そうするうち、紙面の登場人物が立体感をもって存在し出し、紙の上の三次元(?)でいきいきと動き出した。
常に他人の目や評価を気にする主人公・陽子は、いきなり異世界に放り込まれ、自分を連れてきた「景麒」という男性は行方知れず、訳もわからず人に追いまわされ、妖魔に襲われ、とさんざんな目にあう。唯一自分をかくまってくれた女性が、実は自分を遊郭に売ろうとしていたことがわかり、陽子は人間不信のため、心がすさみきってしまう。山中で行き倒れになった陽子を救ったのが、半人・半獣の楽俊だった。が、楽俊をも信じきれない陽子は、村境で妖魔に襲われケガをした楽俊を見捨てて逃げてしまう。戻ろうとした陽子が、異世界に来て以来自分を悩ませていた幻影と対峙するところが圧巻だ。この幻影・蒼猿は、陽子、というより人間が併せ持つダークな部分の象徴なのだが、その蒼猿が陽子に囁きかける。「通報されないよう、楽俊にとどめを刺しに戻るのだろう?」と。
陽子は、自分が自分らしくあるための真実にたどりつく。
『裏切られたって、裏切る人が卑怯になるだけで、私が傷つくわけじゃない。人を信じることと、人が自分を裏切ることは何の関係もない。絶対の善意でなければ、信じることができないのか。私は卑怯者にはならない』と幻影を切り捨て、楽俊を探しに戻る。この少女は気づいていないが、読者は理解する。これこそが、麒麟が陽子の中に見た「王としての資質」なのだと…。陽子の言葉が胸に刺さったのは、私だけだろうか?
物語後半の、陽子が慶国の女王となる運命を受け入れていく過程が勢いがあって心地よい。読了後、本屋とレンタルビデオ屋に走った、夜中に。今、十二国記全12巻は、私の本棚に納まっている。姪から催促があったので、貸すのにやぶさかではないが、姪よ、返却期限は、きっちりと守ってもらいましょう。あと何回か読み返したいからね。再来月の誕生日に全巻プレゼントするから待っててね。
不美人論
2004/05/11 01:24
自分の容姿は置いといて…と。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
私は男から「ブス」と言われても気にしません。「その顔に言われたくないよ」と鏡を向けるくらいの気構えはある。
でも女同士ではこの言葉は禁句です。口に出したが最後、顔で笑って水面下で激しいバトルが始まるからなのです。ふふふ、想像しただけで怖いでしょう。
そんな下らない争いをする人は周りにいないけど。
さて本書はそのタブーに踏み込んだ本かなと読み始めたが、面白い!
冷静かつリアルに「ブスとは何か」を語っている。
日本では近年、皆が『きれい』で評価される美醜のゲームに参加するようになった。美醜のゲームに参加しているアジア諸国はごく少数で、日本の狂奔ぶりは西欧をしのいで世界一だろう、と西研氏は言う。
読みながら、昨年放送終了した「ビューティコロシアム」を思い出した。
容姿コンプレックスで暗かった女性が整形でキレイになり、性格も見違えるほど明るくなったというシナリオ。
トップスタイリストとヘアデザイナーの手で、頭からつま先までばっちりきめた彼女達は異口同音に「整形してからモテるようになりました」と語る。
彼女達の顔が、選ばれる側から選ぶ側へ回った優越感で輝いていると感じたのは私だけだろうか。
なぜ皆がこんな「美醜ゲーム」に巻き込まれてしまったのだろう。
いまの子達が人間関係を「男と女の愛情関係でしかイメージできない」ことが大きな要因だろう、と西氏は言っている。近頃自分が無条件で誰かに受け入れられている認識が希薄になっている。整形美人の親達がTVに出ても「昔のままの貴方で良かったのに…」とは誰も言わない。
「今の自分への賛美」イコール「昔の自分を否定」の図式は、『やっぱり昔の私はダメ人間だったのか』という疑問を意識下に刷り込むことになる。
醜形恐怖症が増え、整形を繰り返す人が少なくない原因は、このあたりにあるんじゃないだろうか。
本書は美醜の階級差は厳然とあることを前提に「ブス論」から進んで「自意識」の問題まで深く掘り下げている。藤野氏の漫画で面白さが倍増している。
さらっと読めるが、読み応え十分だ。
キッパリ! たった5分間で自分を変える方法
2004/09/20 18:59
すぐに変身!とはいかないけれど。
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私は『即効』とか『すぐに』というキャッチコピーにやたらと弱い。が、いざ本を読んでみると、ほとんどの場合期待はずれに終わる。というより、本のご意向に
こちらが添えないことが多いのだ。
「生活のムダをなくす」「すっきり暮らす」等のHOW TO本を何冊か読んだが、
いつも馴染めない。
『私はこんなにステキに暮らしてるのよ〜』と高い所から見下されているような気になってしまう。今晩のおかずを考えるのが精一杯なのに、ファイナンシャル・プランまで手が回るかい!
本書をざっと読んで『これはイケルかも…』と思ったのは、著者が『私もダメ人間なんですぅ』という視点から、挨拶をする、礼状を書くなど、毎日の雑事を取り上げているからだ。
前者のスタンスが『まぁ、やってごらんなさいよ』なら、後者のそれは
『レッツ・なになに』である。
さて『レッツ・変えよう』の内訳は
・身の回り
・頭の中
・気持ちの持ちよう
・カラダ
・コミュニケーションのとり方
の5つに大別され、全部で60項目ある。
5分でできるものもあれば、できないものもある。しかし通しで読んでみると、
日常生活には「気持ちよく暮らすための選択肢」が、いくつもころがっていることに気づかされる。
例えば、
NO.46 電話口に相手が出たら『今、大丈夫?』と必ず聞く
一方的な長電話には誰だってイラつく。『忙しいから後にして』と言いにくく、
イライラは募っていく。大事な時間をとられて気分が悪くなる。
もし『今、大丈夫?』と一言聞く習慣が身につけば、知らないうちに相手を不快にさせるのを避けられることになる。
瞬間の選択と、それを維持する少しの努力で、後悔なく過ごせる日々。
うん、いい。
ちょっとずつ始めてみようかと思わせてくれる本だ。
後部にイラスト入りの項目別チェックリストがついているのも楽しい。
リストは、一級(茶帯)・初段(黒帯)・師範(紅白帯)の3段階に分かれている。
おちゃらけが加味してある分、気持ちが楽になる。
『一度トライしてその後続けているものが、どのくらい日常に根づいたかチェックしてみよう』とあるが、今の自分のぐうたら度(?)を認識するため、最初にチェックを入れてみるのも良いだろう。
できることから始めてみよう。さしあたって、
NO18・「疲れた」と思ったら、とにかく眠る…かな。
60もある中から真っ先にこれを選ぶのもどうだろう、とは思うが。
毎日かあさん 1 カニ母編
2004/04/22 21:43
りえぞぉは、かくてハハになった。
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もう何年前のことだろうか。西原理恵子が、タイで坊さん修行のため剃髪した写真とコラムを見た時、「この人は、一体どこへ行くんだろう…」と心配していたが、まさか「母さん」に着地するとは思わなかった。
でも、サイバラは、やはり普通の「母さん」にはならなかった。
普通の母さんは、ベッドで晩酌しながら「ぐりとぐら」を子供に読んでやったりしない。
普通の母さんなら、子供がドロ遊びにはまってカキフライになってたら、キレる。だけどサイバラハハは、「おしっこもらす位楽しいなんて、子供の時間ってすごいなぁ」と、自転車にカキフライを乗せて帰る。こんな子供の目線を楽しめるハハは、素敵だ。
「鳥頭紀行」その他の本を読んだ時に感じたかすかなアンバランスが、「毎日かあさん」にはない。危なっかしい事をやっているようでいても、どっしりと大地に根を張った安心感さえ感じられる。子供だけでなく、漫画に登場するすべてのもの・人に、サイバラの愛が感じられ、時々ホロリとさせられる。全身全霊をかけて母を愛する子供の存在って、大きいんだなぁと思う。
ちなみに「カニ母」とは、子供が寝静まってから、一人でカニを食べるハハなのだそうだ。
毎日新聞購読をやめてしまったので、毎週火曜日の連載を見られなくなってしまったのが残念だが、この本はとても売れてるそうなので、PART2が出るのもそう遅くないと思う。子供達の成長記録を、心待ちにしている。
ダーリンは外国人 2
2004/04/17 11:55
立ち読みで、アッハッハ〜と笑ってしまい赤面!やっぱり「2」も買ってしまいました。
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前作同様、買わずにおれない「2」。何故って、書店でページをめくるたびに、吹き出したり、クスクス笑ったりしてしまい、ハッと我にかえると、周りの人がひいている…そそくさとレジへ向かい、でも電車の中で我慢できず続きを読み始め、同じ失敗をしてしまう。学習できない私っていったい…。
ダーリン・トニーは、イタリアとハンガリーのハーフで、日本語はじめ語学とチョコレートをこよなく愛している。トニーは、私達が普段何気なく使っている言葉も、いちいち小栗さんに質問する。「『つかぬこと』ってどんなこと?」「『ぶん殴る』って何故『ぶん』なの?」などなど。言われてみれば、たしかに!と目からウロコで、思わず自分も「どん殴る」「ばん殴る」ちょっと変な響きだよね…と呟いてしまう。「声に出して試したい日本語」ですね。私の場合、書店でこれやっちゃて、知り合いがいなかったことを感謝したけど。
「ダーリン…1」「2」と読んでいくうち、トニーが外国人であるという感覚がなくなっていき、「トニー自身」のキャラクターを楽しめるようになっていく。言葉だけでなく、食べるものや人との接し方、買い物の仕方、映画やTVに対するリアクションなど、小栗さんは「トニーってこんな人」という目でよぉく観察している。一番大事なのは、国籍なんかじゃなくって、相手の人柄とお互いを分かり合おうという気持ちなのだということが伝わってくる。小栗さんのお母さんも、すっかりトニー君びいきだとか。
私の故郷では、意思の疎通ができない人のことを「ガイジン」と呼ぶ。別に差別的な意味ではなく、単なる通念として、日本人同士でも、家庭の教育や住環境が違うと通じ合えない部分があることが、この言葉に集約されていると思う。そう考えると、ウチだって、国際結婚のようなものだと、しみじみ思う。今となっては遅いが、結婚当初に私のことを「ハニー」と呼ばせるよう教育してみれば、どうだったかな?などと思う。
ケンカもするけれど、毎日が新鮮な驚きで楽しそうな、トニー・小栗カップルだが、アパート入居を申し込んでも、外国人だという理由で即断られたり、入籍しても住民票が取れなかったりと、時には理不尽な目にもあう。だけど、この2人ならいろんな困難もアッハッハ〜と笑って乗り越えてくれそうな気がする。
「3」が出版されるのを心待ちにしています。今度は1ページも立ち読みせずに、即買いで、家に直行することだけは、決めているし!
anego
2004/05/07 01:30
人の心の深淵を覗く人は、引きずりこまれないように注意する必要があります。
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後輩から「あねご」と慕われる奈央子は、一流商社の一般職で33歳。同期のほとんどが寿退社か転職している。そこそこ恋愛もしたし見合い話もあったが、結婚には至らなかった。結婚したくないわけではない。この人だ!と運命を感じる人に出会いたいと密かに望んでいる。年々増す居づらい雰囲気にうんざりしながら、いい男はみんな派遣社員がさらっていくと嘆く。
林真理子は、女性の心理を描くのが上手い。特に、結婚か仕事かの選択肢が切実に迫られている30代OLの心の揺れを描かせたら、他の女流作家の追随を許さない。
奈央子が男性と会い、ささいな仕草からその男性を値踏みする辛辣な観察眼といったら、作者は本当に底意地が悪いのではないか、と疑うほど的を得ている。
女性心理に疎い男性が作者の本を読んだら、きゃらきゃらとカラオケに興じる若い子達も、胸の内でこんな計算をしているのか!と女性不信に陥るかもしれない。もっとも、オクテの男性が、林真理子の本を手に取ることはないだろうが…。
だがこの本は、30代女性の恋愛・結婚観を描くだけでは終わらない。物語は、結婚退職した後輩・絵里子に旅先で会い、彼女から不倫相手との恋愛相談を受けたことから急展開していく。
奈央子は絵里子の精神状態が普通でないと察し、夫・沢木に進言する。
エリートで優しい夫、何不自由ない暮らし、何の不満があるっていうの!
奈央子は嫉妬し、沢木との距離を縮めていく。
読み進むうち、得体の知れない虫が這うような恐怖が、じわじわ足元からせり上がってくる。怖い。夫を返せと嫌がらせを始める絵里子も怖い。だが、「運命」を求め、どんどん普通の幸せから遠ざかっていく奈央子が、女の業(ごう)と悪意の蜘蛛の糸に絡めとられていく様の方が、もっと怖い。
恐怖を感じるのは、作者の細かい描写によって奈央子に感情移入しているせいである。面倒見がよく、生真面目な奈央子に「そこまで律儀にならなくていいじゃない」などと共感と同情を抱き始めた時から、作者の術中にはまっているのだ。
前半に描かれるステレオタイプの女の幸せは、奈央子が真に求めていたものを読者に理解させ、前者との落差に愕然とさせるアプローチにすぎなかった。
奈央子の「運命の人」は沢木ではなかった。その相手は、姿を変え最終ページに登場することになる。
友達と集まっては怪談をしていた10代の頃が懐かしい。幽霊が出るという場所を夜中に巡ったドキドキ。年を経た今となっては、もう返ってこない幸せな時間だったと思う。
何故なら、様々な人に会って知ってしまったから。幽霊より生きている人間の方が、はるかに怖いことを…。
だから、絵里子を含めどの登場人物も、現実に隣に居そうなこの本は怖い。
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