cyappiさんのレビュー一覧
投稿者:cyappi
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神の子どもたちはみな踊る
2002/04/12 00:35
私の心も奪われてしまった
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6話からなる連作。最後の話を読んでいるとき、急に涙が流れ出して止まらなくなってしまった。どの部分でかは分らないのだけれど、とにかく最近流した事の無い位の量が出た。読み終わった後も止まらない。その予感はまったく無かったのだけれど、それに、最初の感触は、なんと淡々とした文なのだ。これじゃ、きっと途中まで無理矢理読む事になりそうだなぁ、と考えつつ、気がつくと、最後の話で、しかも涙が止まらない。それぞれ6つの話は完全に独立していて、その続きがあるので無し(名前でリンクしてるものが有るけど)、しかし、すべての話は、すべての人の心の中を暗示している。私の心も奪われてしまったのだ。村上さんは何故、分ったのだろうか。
ストーリーは、新しいものではない。何でも新しい物を見つけ出そうとする最近の世の中はとてもとてもつまらない。表面ばかりを追いかけてしまうから。内面を見る暇など無く、また新しい次を探すため過ぎ去ってしまう。今まで、著者のエッセイはくまなく読んでいたけれど、避けていた小説を読んでみようとおもいました。
少々おむづかりのご様子
2002/03/24 16:31
本人のような本です
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よくある俳優のエッセイではありますが、書いてる人が竹中直人なのです。これは、大変重要な事です。たとえば、映画「シコふんじゃった」でお尻を押さえながら土俵を駆け下りて行く姿を思い出してください。たとえば、「無能の人」で奥さんと子供と3人で石を探しに行き、見つかりそうも無いと、トボトボ歩いている後ろ姿を思い出してみてください。
全体が、竹中直人してます。「えっ! そんな事があったの!」と驚く事は書いてあっても、「えっ! 竹中さんってそんな人だったの?」と裏切る事はありません。なぜなら本人が突拍子も無い人だと、社会的に認識されてしまっているからです。つまり、突拍子もない事が次々に出て来て、フゥフゥしてしまいます。モッくんと也哉子ちゃんの出会いまでもあり、ほんとにフゥフゥしてしまいます。
沢野ひとしのふらふら日記
2002/03/24 16:09
私もふらふら
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この本は長く私の愛読書となっております。家の中にいるときは何時でも手の届く所に置き、折々に表紙を(あのふらふらとしたくなる画風!)見つめては何も考えずボンヤリしたり、パラパラとめくっては新宿で飲んだり、町田で飲んだり(そうです。ほとんど飲み歩いてるという内容)というのを見つめたり。
この本には大作家の日記の様に、その内容から学ぶべき物は一切見当たりません。強いて探せば、「町田までの最終電車は経堂までのより早く終わってしまう」という程度の事でしょうか。そんな本なのに(スイマセン)何年も何回も読み返してしまうのは、願望がそうさせていたのだと思います。会社に所属し、仲間から剥ぐれ無い様に気を遣い、同居してた親にも気を遣い。そんな事にほとほと疲れていたんでしょう。
小さな島でノンビリ(親に言わせるとフラフラして)暮らす心が決まったのは、本書のおかげかもしれません。こう書くと、沢野ひとしは自由奔放でやりたい放題してると思ってしまうかもしれませんが、著者も社会の一人、人の親として悩んでいる様子が全体から覗えます。特に、父親と1人息子と愛犬フワの微妙な関係には、彼の画の様なトーンが漂っていて、なんともシミジミとしており、独特なポツポツ語る行間からは3人(2人と1匹)の並んだ後ろ姿が見えてくる気がします。彼の画が少しでも心に止まったら、ぜひ読んでみてください。
靖国
2002/01/09 19:05
なんで靖国神社参拝でさわぐのか?
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いったいなんでそんなに騒ぐのか、いまいちピンと来ない。本書を読んでますます騒ぐ必要が無いとわかる。つまりなんで騒ぐのか(誰が騒ぐのか)といえば、マスコミが刺激的なものを撒き、そのもとといえば、政治家の名前を売るためのコマーシャルに利用されているだけでしかない。本書もその一つと思われる人もいるかもしれないけど、それはまったくの間違いで、靖国神社(招魂社)と、その周辺の歴史と有り様を、ドンドン溢れるばかりの材料で教えてくれる。例えば、石原裕次郎のファンが「祐」の字に反応してしまう様に、坪内さんも「靖国」の字に反応してしまうのだ。きっと。人は「噂」とか「口コミ」が大好きで、そういう物にたいして警戒心が薄い。それが本当かとい事よりも、どの位面白いかに比重を置く。そのうち、あたかも、ずーっと前からその事が当たり前だと錯覚する。そしてそれを信じている。靖国神社もかわいそうな位、その的となっている。沢山のフツウの人に読んでもらいたい。
田村隆一詩集 続
2001/11/08 21:05
これが、詩、なのだ、と知った。
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詩を読むのは難しいと思っていた。「文字」そのままの意味で解かろうとする者にとって、こんなに難しい読み物は無いと今まで思っていた。だけれども、気が付けば、頭の中がシーンとして、目の前に靄がかかり、ポタリと涙が落ちていた。これが、詩、なのだ、と知った。
虫けら太平記
2002/03/24 15:19
惨め。でも、諦めない。
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主人公の名前は、百太郎。庄屋の妾の子供で、母はとっくに死んでしまったらしく、ただ1人。食べられるだけの畑を作り、皆からは白い目で見られている。が、心のそこでは、自分にもチャンスがあればと、堪えている。そんな時に村の川に大水が押し寄せ、何もかもが流されてゆく。百太郎は失うものは無い。鍬1つが財産。大水がドウドウ流れる最中、ただ一つの財産である鍬とただ一人の血の繋がった兄弟(庄屋の勘当された息子)が江戸の武士を殺してしまう。これをきっかけに、自分の行き先を変えて行く。その思考と方法は粘り強く、かつ狡猾。夢は江戸で庶民の暮らしをする事。だが、そう願えば願う程、あの日の大水の様にどんどん思わぬ方へと流されて行く。
全体を通して、色川の人間に対する優しさを感じる。愛とも言えるほど。誰しも、ズルくてナマケもので寂しくてアマエたくて放っといて欲しいのだ。そうゆう複雑さを隠して日々過ごしている。が、全てを曝け出した時、厄介物として弾かれてしまう。色川は、そんな人間である程じっと優しい目を向ける。助言とか世話とか、そんな事はしない。相手の心がこちらへ向くまでなにもしない。向いても何もしないかもしれない。ただ、そこに(側に)居るだけ。質問されたら何か答えるだろうし、誘ったら一緒に行ってくれるだろう。そうゆう優しさが聞こえてくる。
色川の急逝で第二部が執筆されなかったとの事。構想は百太郎が「成金の振興財団へのし上がって行く」だったそうだが、私は、続きが無くてよかったと思っている。
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