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旅歌さんのレビュー一覧

投稿者:旅歌

86 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本ハートブレイカー

2001/05/18 05:52

チャンドラーを継承する、絶品のハードボイルド

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 凛とした透明感と、ハードボイルドでは珍しいくらい清潔感の漂う作品だ。血生臭いシーンも多々あれど、ロスアンジェルスの気候風土と相まって不思議なくらい清潔で乾いた印象を残す。バル・デュランとカイル・アボットが初対面で恋に落ちてしまうシーンなんて、清冽でハートにビンビンきちゃうのだ。筆がたつってこういうこと言うんでしょうね。

 90年代最後を飾る、『さらば愛しき女よ』であるな。ある意味古典的な仕掛けなんだけど、ほろ苦い読後感がたまらなく胸を締め付ける。う〜ん、ハードボイルドだなぁ…、たまんないよ。んでも、このエピローグはお約束かな。だから別に驚きはないんだけど、それでもこんな読後感を残すんだなぁ…。ああ、久しぶりにグッと来るハードボイルドを読ませてもらいました。

 しかし、よくもまあ、これだけぶっ飛びの人物を作り上げられるもんだ。メインの連中以上に脇役に印象深い奴らが多いのが特徴かも。大鹿マロイを彷彿とさせるダリル・デッカー、マイアミの大物麻薬ディーラーのジュニア、その手下のアルマンド、刑事フィルとイネス、グレース婆さん…。主役クラスも含めてその人物たちが、ライト感覚でスウィングするすばらしい文章に乗っかって派手に騙しあう、追いかけあう。転がるようなストーリィがスウィング感を煽る。そこはかとない寂寥感に包まれた極上のハードボイルドなのである。これでプロットにもうちょっと力を入れてくれたら言うことなしなんだけどな。

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紙の本凍てついた夜

2001/05/18 05:47

崩れない、女性版マット・スカダー

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 改めて書く必要もないくらいだが、このヒロイン、ロレイン・ペイジは、ローレンス・ブロック描くところの(元(^^;;;)アル中探偵マット・スカダーと酷似している。中でもアル中に関して言えば、解説で桐野夏生さんがおっしゃるようにシリーズ中盤あたりのマットと酒との戦いは壮絶で、その点から見ればラ・プラントは大甘でこれは出来すぎ…特に後半…。ただし、ロレインだってアル中を完全に克服できた訳じゃないだろう。シリーズ化しているようだから、そのあたりは二作目を読めばより鮮明になるのだと思う。スカダーシリーズには耽溺した方も多いことだろう。ぼくだって同じ。教会に行く習慣も宗教的背景も無いので1/10税を払ったことはないが、コーヒーにウィスキーをたらして、アルコールをカフェインが中和してるから、などと言いながら浴びる程飲んで気取ったこともあった。う〜ん、やっぱりラ・プラントは甘いなあ。

 さて、物語はいきなりロレインが少年を射殺するシーンからはじまる。それも酔っ払って。当然警察は解雇。家庭は崩壊。なんて冷たい亭主だ、なんてわがままな女だ、と憤慨もしたが現実はこんなもんかも。そして、堕ちゆく女性の先にはお定まりのフルコース。さあ、ロレインはどん底からどうやって這い上がって行くか。どうやってアル中を克服するのか。。ここから先のストーリィテリングは絶妙だ。ページを繰る手を止められないだろう。さまざまな事実が、読者の気を惹くようにうまく配置され、飽きさせることなくテンポ良く展開していく。複雑なプロットも危ういところで踏ん張っている。伏線もうまく張られ、場面展開もスムーズで違和感を持たせない。このあたりはさすが。単なる自己再生ドラマに終わることなく、女性同士の友情物語としても骨太でかなり読ませる。ぼくはこれが一番気に入った。

 だが、しかし、後半には不満がある。納得できないことが多いのだ。特に事件の解決に関わることについては容易には看過できない。更に言えば、もっともっと恐怖を煽る演出があったと思うのだが。サイコ・キラーの扱いも中途半端。動機が納得できない。殺害方法が納得できない。サイコパスの内面にもうちょっと寄り道して欲しかった。これってぼくの読解力不足でしょうか? せっかくのプロファイリングの大学教授一家も中途半端な印象。彼の不可解な発言もあったし…。作者はプロファイリングについて否定的なんだろうか? このあたりの疑問は作者の他作品を読めば解決するのでしょうか? 

 「マットと言います。私はアル中です」 名作『八百万の死にざま』をパクったとしか思えないラストも、まずまずのカタルシスがあって清清しいには違いない。これで良いのだと思うが、中盤から後半にかけてのロレインのアル中に関する心理描写が少ないので、今ひとつ盛りあがりにかけるような気もしてしまう。
 最後にもうひとつ。中盤からのロレインとルーニー警部の関係は、コーンウェルのケイとピート・マリーノを思い出して苦笑いしたのである。やり手の美人には、うらぶれたおやぢが似合うのだな(^^;;;)。

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紙の本ゲルマニウムの夜

2001/05/10 19:55

遠大なる試みの第一歩

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 以前から萬月さんの描く主役、あるいは主役級の人物たちにはちょっとした傾向があった。もちろん例外も数あるのだが、最近作では、『二進法の犬』の乾、『ぢん・ぢん・ぢん』のイクオ、『鬱』の青田、がそれにあたると思う。遡れば、『笑う山崎』の山崎。そして本作『ゲルマニウムの夜』の主人公、朧。一括りにする共通項は何かと言えば、「カリスマ」だ。
 カリスマの周囲に殉教的信奉者あるいは組員が集い共同体が構成される。この共同体が萬月さんが描く擬似家族の本質であり、宗教団体も暴力団も本質は変わらないと豪語する拠所と思われる。

 『ぢん・ぢん・ぢん』で時田さんがイクオに問いかける。「有る」と「在る」の違いは何か。時田さんは、漢字の成り立ちから説き起こして「在る」は動かずにあること、と結論する。引いた例文は、「神は在る」。そしてイクオに問う、「イクオは、在るものか」と。これが萬月さん描くところのカリスマの条件であろう。
 
 萬月さんはアウトローだが、決してアナーキーな無神論者ではない、と思う。『ぢん・ぢん・ぢん』では既存のモラルの殆どを叩き壊し、この作品では象徴的に現代のキリスト教を完膚なきまでに否定している。一見、神を否定しているように見えるが、それは考え違いというものだろう。萬月さんが求めているのは原始のジーザス、言いかえれば「絶対神」あるいは「唯一神」または「救世主」。そして、憂えているのは神の不在なのだ。

 巻末のあとがきによれば、単行本に収録された3篇の中短編は、宗教を描く長大な物語のごく一部なのだそうだ。この作品の主人公朧は、萬月さんが既存の世界を全否定した上で登場させた「絶対神」たりうるカリスマ性を持った人物。全体主義に通じかねない思想は非常に危険なのだが、「羞恥心」と「自尊心」の哲学によって微妙なバランスが保たれる。
 そして、単行本に同時収録された中篇「舞踏会の夜」に登場したジャンだ。作中で朧が指摘しているように、彼は「絶対神」朧の対極に位置する「悪魔」的存在として配置されていくような気がしているが、どうだろうか。「羞恥心」と「自尊心」の哲学の欠片も持たないカリスマ。これは恐ろしい。もちろん単なる殉教者かもしれないが。

 この遠大な企みが完成した暁には作品群をまとめて『王国記』というタイトルが冠せられるらしい。果たして、萬月さんはどのようにして、どのような王国を築いていくのか。新たな地平に萬月さんの大いなる未来が垣間見えたような気持ちさえしているが、危険な道のりであることは間違いないと思う。祈るばかりだ。

 萬月的世界観に侵食されるのは、弱者である自分に無上の快感を与えてくれるのだなぁ(^^;;)。

 単行本には短編の「ゲルマニウムの夜」「王国の犬」と、中篇の「舞踏会の夜」の3篇が収録されている。「文學界」に掲載されたときは先の短編2篇で1篇を構成していたことを追記しておく。

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紙の本唾棄すべき男

2001/04/21 07:04

シリーズ七作目は警察学校の教科書にしたい

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 ベック・シリーズ第7作は、完全にミステリの枠組みを超えた作品になった。作者がテーマを強調したいがために作り上げた、ストレートなストーリィとストレートな犯人像。ただし、ミステリ的なサスペンスなりスリルが主題ではないからこれで良いとは言い切れない。犯人探しにもう少し力を入れれば、もっともっと響く作品に仕上がったと思うと残念だ。さて、そのテーマは警察権力そのものといえそうだ。作者がスウェーデン社会にむく牙は、前作あたりから具体的に政治体制、ひいては警察そのものに向かいつつあった。それがこの物語で沸点に達した感がある。

 中世の封建社会と変わらないようなスウェーデン警察の実体。もちろん、少数派には違いないのであるが、職務怠慢が権力を濫用するとこうなるぞ、という見本のような殺されたニーマン主任警部。単なるサディスティックな悪役ではなく、立派な家庭人として描かれるところにこの物語の妙がある。かたやつけ狙う犯人は、坊主憎けりゃ袈裟まで的妄執に捕われて、まさかのベックにまで襲いかからんとする。この哀愁漂わす犯人像が、刑事たちの口から語られるにつれ徐々に明確な像を結ぶようになっているのだ。これはさすがにうまい。しつこいベックの電話攻勢は、刺身のツマみたいなもんだが。

 犯人に感情移入してしまう刑事たち。ただし、犯人は想像を超える段階にまで進んでしまっていたのだが。やはり『笑う警官』がターニングポイントだったのだ。ここに出てくる刑事たちは、少なくとも凛々しく行進してはいない。疲れ果て、心身ともにボロボロになりつつ、良くも悪くも現実的にのたうっている。その点からみれば、『笑う警官』よりも好みだ。表裏一体の悲しい犯罪を警官の目から多面的に描く姿勢は、敵役を誠実に描いてより一層深みを増した。一筋縄ではいかないのだ。

 シリーズでは珍しいアクション・シーンもなかなかだ。機関銃を乱射したり、ヘリを墜落させたりと物量作戦も効を奏しているかもしれない。ガスマスクの向こうに見えた哀れな青い目。この物語を我が日本の警察に捧げたい。社会の歪みが、警察を鬼っ子にしてしまうのは、なにもスウェーデンだけではないのだ。ここで語られるスウェーデン警察の身内に対する甘さは、そっくりそのまま我が日本の警察にも当てはまる。警察の患部じゃなかった幹部の皆さんは、この物語を読んで見識を深めるべきであるな。警察学校の教科書にしても良いかも。

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紙の本笑う警官

2001/04/21 06:58

ベック・シリーズ四作目は、シリーズ前半の傑作

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 マルティン・ベック主任警視シリーズの第4作目で、シリーズ代表作と目されている作品である。MWA賞受賞作でもあるわけだが、代表作と呼ぶにふさわしい噂に違わぬ傑作だ。ひとつの到達点と言っても過言ではない。前3作より優れている点は、より磨きがかかりしかも計算され尽くした精緻なプロットは当然としても、ミステリ小説というスタイルをとりながらスウェーデンの近代史を紐解こうとする執筆姿勢が鮮明に見えてきたことがあげられる。1960年代中盤のストックホルム。作中でも盛んに大量殺人のアメリカというような記述をしているが、それに勝るとも劣らないストックホルムの当時の様子が驚きだ。杜撰な都市計画によって無残な姿をさらす住宅地。そこに巣食う種々雑多な犯罪者たち。テレサ事件によって調べられた29人の男たちの半生にほの見えるストックホルム。これこそが近代史と言っても過言ではないのだ。単なるミステリの枠組みを超えた瞬間なのである。

 地味な印象の強いシリーズにあって、今回は事件も派手派手だ。冒頭、マルティン・ベックの部下を含む8名が射殺される。まったく手がかり無し。個性豊かな刑事たちは雪のストックホルムで今回も地道に捜査を進める。刑事たちの動き、手がかりを見つけるディテール、提示される断片的な謎の妙、どれを取っても見事というしかない。そしてほの見えてくる真相。この謎解きにもまた作者の工夫が光っているのだ。個性豊かな刑事たちが独自に調べ上げた事実が一点に収斂するのである。毎回毎回登場人物ひとりひとりにきちんと見せ場を与えて手を抜かない作者だが、今回はいつにも増して周到で圧倒的な厚みがある。助っ人にまできっちりと見せ場を与え、徒にセンチメンタルに陥らず殉職した刑事にもきっちりと見せ場を与える姿勢には脱帽だ。なんと愛情豊かな筆であることか。それぞれの刑事が己の個性にあった証拠に執着して、それぞれに真相に迫る。こう書くと一見バラバラなように思えるが、それがベックという一風変わったコンダクターを通すと、実に組織だった動きと見えてしまうから不思議なのである。

 第3作『バルコニーの男』からベックの描写を減らし、その分コルベリ他の刑事のシーンを増やして、刑事群像小説に転換が図られたようにみえる。この個性豊かな刑事たちのコンダクターたるマルティン・ベックはやっぱり不思議なキャラクターだ。常に迷っているように見える。部下たちに強く指示を出すタイプでもない。部下は部下で勝手に動き始める。しかも部下に対してはソフトで、強面で君臨するタイプではないからタメ口をきかれたりする。それでも部下の警部たちはちゃんとベックに敬意を払っているから不思議なのだ。両極のグンヴァルド・ラーソンですらベックには畏れを抱いている。これはもう人徳としか言いようがない。なんとも不思議なキャラなのである。今回はベック一家がいつにも増して大活躍する。毎度ながらほろ苦さも出色。笑われようが蔑まれようが市井の刑事たちは必死に生き、凛々しく行進してゆくのだ。彼らの地道な努力があってこその街なのである。

 最後にちょっと気になる階級の表記について。ベックの肩書きは警部から警視長を経て主任警視になった。この物語では、ハンマル警視長というベックの上司がいるから間違いなんだろうね。コルベリ、メランデル、ラーソン等は作品によって警視だったり警部だったりする。一体どっち? 正解は警部でしょうね。スウェーデンの警察機構も解説してくれれば良いのに。自分で勉強しろって……(^^;;;。 

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紙の本バルコニーの男

2001/04/21 06:56

シリーズ中、作者が一番気に入っている作品らしい

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 これは良い。とてもリアルで臨場感があって木目が細かく、極上の警察小説といえそうだ。ストックホルム警視庁のマルティン・ベック主任警視(この物語から主任警視−表記は警視長だけど)が主人公の警察小説なのだが、ストックホルムが舞台となるのはこれが初めてだ。満を持して、というヤツかな。巻頭にストックホルムの地図があって、これがとても役に立つ。公園、通り、地域、地下鉄駅…名前が出てくるたびに地図を参照した。極北の街なのだが、夏のためかこれと言った特徴が感じられなかったのが残念といえば残念。これも先入観なのかな? 熱さの描写が意外だった。

 さて、今回の敵は連続幼女殺人鬼である。平行して、公園を舞台に歩行者を狙った連続強盗事件が起きている。作者の仕掛けは細かく、読者を惹きつずにはおかないだろう。物語の起伏の作り方も非常にうまく、これに毎度のリアルで綿密な捜査状況や捜査員たちの焦燥感が被さって、前2作からは想像もつかない極上の警察小説に仕上がっている。後半から幕切れに至る部分があっけなさ過ぎたのと、プロットは確かにうまいがあまりに一直線で、もっと複雑な二転三転する謎が欲しいとか、犯人がちょっと、が減点かと思う程度だ。捜査陣の焦燥感が痛いほど伝わる。彼らの正義感が胸を打つ。いやあ、シリーズを読みつづけてよかった。

 『ロゼアンナ』にしろ『蒸発した男』にしろ、割とワンアイディアに頼りがちな印象が強かった。前者は単純なフーダニットではないが、一人の殺人者をずっと追いかける内容で、一点に集約された謎をずっと引っ張り続ける。後者は異郷の地を舞台にして、謎が少しずつ形を変えてはいるが、起伏に乏しい上にトリックもワンアイディアだった。いずれも複合的なたたみかけるようなサスペンス性には欠けていたと思う。それがこの物語では見事に化けた。前2作来の緻密さリアルさを継承しながら、息をもつかせぬサスペンスを作り上げたのだ。証人の作り方、証拠の取り出し方。とりわけ見事なのがベックの喉に引っかかった、犯人の人相に関する記憶である。喉に引っかかった魚の骨のように取れそうで取れない。これが物語にリズムをつけ、読者にベックと同化するための極めて有効なきっかけを与えているのだ。

 普通らしさを追求する作者は、人物ひとりひとりにも気を配る。警邏する警官、証人を見つける警官、犯人に迫る警官。ただ、これがパターンになってぼくらに読めてしまうのが良し悪しなんだけど。人物について言えば、今回からグンヴァルト・ラーソン警視が加わった。この肉体派警官が加わることによって、警官群像に想像以上の厚みを与えている。これも見事。人間臭い男たちが繰り広げる戦い。残忍な連続強盗犯が一転して捜査に加担するという逆転の発想の見事さ、人間観察の鋭さ。

 だが残念なのが前述の通り、犯人の造型なのである。サイコな犯人が薄いのだ。時代的なものですね。無いものねだりはしないことにしよう。ミステリ的に言えば、あまりに直線的すぎるきらいがあるでしょうし、犯人に意外性を求める人には向かないかもしれませんね。それでも、警察小説の傑作であるとこは間違いない。ストックホルムを舞台に、多彩な警官たちに思いっきり感情移入して、彼らの正義感溢れる活躍を堪能して欲しいのだ。

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紙の本新宿鮫風化水脈

2001/04/16 06:16

風化するもの、しないもの

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 新宿鮫シリーズ、数えて7作目の作品かと思ったら8作目にあたる作品らしい。カッパ・ノベルスから出る『灰夜』7作目。連載を始めた順なのかな。まあ、それはおいといて、これはいいぞ。シリーズを読み続けて良かった。大沢作品では『雪蛍』と肩を並べる味わい深い、大人の鑑賞に堪えうる、シリーズを代表する傑作の誕生と断言してしまおう。くどい…(^^;;;。

 傑作との誉れ高いシリーズ第1作『新宿鮫』、第2作『毒猿 新宿鮫II』の印象が強く、それ以降は第6作『氷舞』がちょっと良かったくらいで、個人的には少々停滞気味だと思っていた。途中、第4作『無間人形』で直木賞を受賞したが、晶の揺れるロケットおっぱいに鼻血が出そうになったくらいで、これはどうもいまいち。3作目『屍蘭』と5作目『炎蛹』はあまり思い出したくない。それでもそこそこの作品群を世に送り出していたには違いないのだが、ある種の呪縛から抜けきれないように思えたのだ。シリーズ最初の2作が熱狂を持って迎えられた結果、以降の作品からは作者自身の迷いや焦燥が滲み出て、咆哮するようにいろいろな可能性に手を出してきた。残念ながら、そのどれもが中途半端に終わってしまっていたように思えて仕方がなかったのだ。意図がわからない…、架空の毒とか架空の覚醒剤とか架空の…etc。

 この作品では原点に帰ったのだ。原点とはつまり、新宿である。鮫島が新宿に来て7年になると、本人の台詞で明らかになる。第1作から実際は10年を経ているはずだから、6作『氷舞』からこの作品までの3年を端折ったのかな、などとつまらないことを思いつつ、作者が開陳する新宿史に胸を熱くした。「新宿クロニクル」 そう呼んで差し支えないと思う。6作目まで迷い続けた作者が立ち帰った原点、「新宿」。盛り場としての宿命。過去・現在・未来。戦後の動乱期と、現在の騒乱をある程度比較しつつ鮫島の立ち位置を探る。警察の立ち位置を探る。警官の仕事とは何であるか。警官としてどう生きていくのか。そして、人間としてどう生きていくのか。手探りながらも、警官の抱える前者と後者のジレンマに自分なりの答えを見出す鮫島がとても良いのだ。

 追う犯罪も奇を衒わない。自動車窃盗犯である。これの捜査を縦糸に物語は進む。鮫島の見事な捜査が光る前半部。この捜査が思わぬ横糸を生む。屍蝋化した永久死体の謎である。風化した水脈が浮き上がらせる悲しき犯罪とその顛末。そして、前述のジレンマに答えを出し、責めを一生背負うと決めたひとりの男の轍。鮫島はその轍をどんな思いで踏むのか。交わされるひとつひとつの言葉が百の思いを語る。ベルベットのような夜の描写が被さる。風化した水脈が浮かび上がらせたのは、永久死体だけだったのか。

 そして重要な横糸が、真壁との交情である。互いに“男”を認め合いながら、敵対する組織に属する二人の男。現代では、風化しつつある矜持を持った二人の男。それぞれが、警官であり、ヤクザである前に何であるか。敵味方の違いはあるが、『毒猿』を髣髴とさせる、底の深い友情。打たれました。女性もいいし。シリーズオールスターキャストがちょっと不安。ロベルト・村上まで絡ませる。随所で、過去のシリーズで扱った事件が語られ、まさにシリーズ集大成、あるいは最終作といった趣。

 マイナス材料としては、最終部分がちょっと呆気なかったかな。もうちょっとサスペンスを盛り上げて欲しかったとか、もうちょっと長く緊張感を味わいたいとか。新宿警察署内部でも桃井や藪らの鮫島寄りのキャラしか登場しないから、鮫島のアウトローの部分が希薄になってしまったとか…。あ、なるほど、それでも風化しないのか…。もはや伝説となっても風化しない鮫島の矜持。風化するものと風化しないもの…。う〜ん、考えれば考えるほど味わいのある逸品でありますな。

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紙の本生への帰還

2001/03/24 05:24

ワシントン・サーガ、掉尾を飾る最終巻

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 ワシントン・サーガの最後を飾る作品だ。
 ペレケーノスといえば、正邪双方から事象をリアルに語り、謎解きなどのミステリ的な醍醐味はまったくといっていいほど見られない作家で通っている。(探偵ニック・ステファノス=シリーズは未読ですがm(__)m)また、ひとつの出来事を、縦横な視点(登場人物それぞれの視点)で語ることでも知られている。これがたたみかけるようなリアルさを生むのだ。社会構造に端を発するアメリカ社会の根深い問題を、ワシントンの場末で育った人々の視線で描くところに、単なる物語だけではない圧倒的なリアル感があったのだ。うねるような、押し寄せるようなリアル感。これが多数に支持されているのだと思う。

 ただし、欠けていると思われるところもある。個人的な好みの問題であることは否定しないが、前三作を読んで痛切に感じていたのは、ミステリ的醍醐味に乏しいということだった。ハリウッド映画に見られるような、ジェットコースターもどきの一気読みのおもしろさも備わってはいない。これは作者の方向性が、単なるミステリを逸脱して、いわゆる何でもありのおもしろさを追求しているのではないから、当然といえば当然なのである。舞台はワシントンに終始する。突飛な展開をするミステリが好みなのではないが、ストーリィの広がりにも欠けていると思う。これだってサスペンスが主眼の作品群ではないことに思い至れば納得なのだが、作者の構成上の大きな特徴としてラスト間際のカチコミに向かって物語が進むわけだから、もう少しサスペンスフルに盛り上げて欲しいなどと思っていたのだ。

 そして、シリーズ最終作『生への帰還』である。相変わらずの視線の低さ。今回は職業的な犯罪者の内面にも言及している。その上で、職業的犯罪者の突発的な暴力で、肉親や近しい者を亡くした悲しみをこれでもかと描くのだ。しかも、今回は前述のような不満がかなりの部分払拭されている。
 まず、ストーリィに幅が出ている。探偵ニック・ステファノスが探り出した偶然の事実が別の事件の意外な点へと連なり、無理なく見事に線を作り出す。作者の過去の作品では味わったことの無い妙味であった。とっくに事実を読者に示してあるから、ニックの動きが読者に無類のサスペンスを与える。ニックの動きにはミステリ的な側面もあり、わずかではあるがミステリ的醍醐味も味わえる出色のストーリィ展開・構成であった。

 シリーズ最終巻らしく、『俺たちの日』以来のシリーズ読者にはたまらないシーンが随所に用意されている。彼らが紡いできた物語に思いを馳せ、シリーズを愛する読者は胸を熱くすることだろう。アメリカの大地に脈々と受け継がれる移民の血は絶えることがない。作者の意思をきちんと伝えて物語は締めくくられる。感動の最終巻である。

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紙の本エンディミオン

2001/03/21 23:02

怒涛の3作目は、宇宙版『オズの魔法使い』?

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 ハイペリオン4部作、怒涛の3作目である。今回の物語の構造は至ってシンプル。宇宙を股にかけた追いかけっこなのだ。シンプルといっても、作者のことだから一筋縄ではいかないんだけどね。追われる者の不可思議。追う者の不条理。出会いの瞬間の緊張感と繰り広げられる殺戮シーン。追いつ追われつの物語を読了しても、新しく増えた謎がてんこ盛りなのは、あまりに予想通り過ぎて苦笑するしかない。
 3人の従者を連れて惑星を旅する少女からは『オズの魔法つかい』を連想する。時は32世紀。宇宙版『オズの魔法使い』だ。もっとも、子犬はいないし、三人目の従者が宇宙船のAI(コムログで帯同)という超離れ技なのだが。ドロシーは、『ハイペリオン』の探偵ブローン・レイミアとキーツ=サイブリッドの娘のアイネイアーだ。従者はAIのほかに、あのA・ベティックと身長2mの新顔ロール・エンディミオン。「時の墓標」からでてきたアイネイアーが、従者を引き連れて向かう「エメラルドの都」は果たしてどこかなのか。たどり着けるのか。
 旅の移動手段は、『ハイペリオン』時代の転位ゲートだ。各惑星を転位ゲートで繋いでいたテテュス河を筏(いかだ)で下りながら星々を巡る。詩情豊かで情緒たっぷりの星々の描写がすばらしい。ところが、この転位ゲートがどこに連れて行くのかわからないのだな。なに? コアのほかに未知の存在があるとな…。そいつらの意思なのか!? わからない…。でもね、転位ゲートによって強制的に移動させられる星々で冒険に巻き込まれる3人の姿に、おぢの萎びかけた冒険心はかきたてられました。超人ロール・エンディミオンの圧倒的な活躍ぶりに舌を巻きながら。
 ここではたと気が付いた。旅歌は登場人物に感情移入して読むタイプだが、シリーズ3作目まで進んでも未だに心酔したキャラがひとりもいないのだ。本来なら、この物語のロール・エンディミオンなんてめちゃくちゃ感情移入して読むんだろうけどそうではないんですね。なんていうか、物分かりが良すぎちゃうというか。物語全体を包み込む圧倒的な不可思議さが先に立って、人物が染み込む隙間を与えてくれないからだろうか。
 でも、ひとりいたんですね。この物語でアイネイアーを追いかけるパクス(連邦崩壊後に実権を握った組織。なんとキリスト教会である)のデ・ソヤ神父大佐。死と復活を繰り返し、苦悩しながら任務を遂行する姿はかっこいいぞ。つまり、この物語では敵側のデ・ソヤに感情移入に近い感情を持ってしまったのである。それは、ラダマンス・ネメスというシュライク真っ青の超強力戦闘マシーンが登場して更に鮮明になった。神父であり兵士でもある彼は、神の名を借りて殺戮を続けるパクスの姿に苦悩する。そして己の姿に。生と死を繰り返しながら…。想像を絶する。苦悩する姿は『エンディミオンの覚醒』でも引き続き、だ。たぶん、敵でありながら、味方に近い配置を読み取った結果でありましょう。
 いや、はっきり言ってわけがわからんすよ。異教徒の星の閑散とした異様さの答えは『エンディミオンの覚醒』で提示してくれるんだろうな。コアじゃない存在がアイネイアーを導いているんなら、なんで惑星ハイペリオンから真っ直ぐに「エメラルドの都」へ転位させなかったんだ? 万能のはずでしょ? 実は後者の問いがずっと頭にあって、違和感が拭い去れなかった。その意味の一旦でも示して欲しかった。それに類して、途中でアイネイアー捜索の方針がなんで変わったの? つまり、どういう事情でネメスを繰り出すことになったのか。ヘブロンで何が起こった? なんでアイネイアーが建築家に? どうやってアイネイアーが「教える者」になるのかとか、そういった物語の本質とは別のところで引っかかってしまったのでした。

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紙の本ハイペリオンの没落 上

2001/03/21 22:54

未曾有の物語に身を委ねよう

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 言わずと知れた大傑作『ハイペリオン』の続編である。時間経過からいえば続編なのは間違いないが、読み終えた率直な気持ちは訳者が巻末解説でおっしゃっておられるように、『ハイペリオン』と一対を形成する片割れを考えた方がしっくりとくる。前作で散りばめられた幾多の謎に翻弄された読者は、全ての謎に回答が得られることを期待してこの物語に臨むことでしょう。ところが、またしても期待は裏切られるのだ。どう読んでも、明快に理解できない点がかなりある。SF小説を読み慣れている読者ならば、断片をつなぎ合わせてそれなりの納得ができるのかも知れないが、いかんせん硬直した脳味噌を有するハードボイルド読みには理解の及ばない個所が多々あった。

 この物語を読むと、『ハイペリオン』が単なるSF小説に留まらない物語として、いかに優れた美点を備えているかがとてもよくわかる。SF小説であることは間違いないが、重要な登場人物にスポットを当て、どちらかというと人間を主眼に描く姿勢が貫かれているから、読者はSF小説を意識せず物語に没入することができるのだ。残念ながら、『ハイペリオンの没落』はそうはいかない。SF小説を読み慣れていない旅歌が、両手を上げて降参するシーンの連続だ。それもキーとなる部分がすんなりと染み込んでこない。感覚として肌で感じればいいだけなのかもしれないんだけどね。

 もっと率直に言っちゃえば、かなりSF小説を読み込んだ読者でも、この物語を理解するのは至難の技じゃなかろうか。バックボーンとなる洋の東西を問わない広範な哲学及び宗教に関する予備知識や、具体的なモチーフである詩人ジョン・キーツに関する予備知識と文学的理解…。才人ダン・シモンズが仕掛けた物語の醍醐味が常人に味わえないのはつらい。もっとも、この手の焦燥感はSF小説を知っていようがいまいが関係なく読者全員に降りかかる。この物語に限ったことでもないしね。旅歌の場合はそれ以前の問題で、SF的言い回しやSF的観念、SF的哲学としか言いようのない渦に飲み込まれて、SF的思考あるいはSF的読解を要求されて固ゆで卵型の粗雑な脳髄はパニック寸前であったのである。

 ここまで読み返してみると、しきりと旅歌は自分は馬鹿だ馬鹿だと繰り返して、言い訳に終始しているように見えるな…(^^;;;。実際その程度の旅歌でありますが、それでも相当に楽しめる内容であったことはキチンと報告しておきましょう。宇宙大戦争のスケール感に素直に身を晒して、ため息をつくだけでもこのシリーズの愛読者になる資格は充分だから。あるいは、悲運のCEOマイナ・グラッドストーンに感情移入するもよし、美形のサイブリッドで物語の語り部であるジョゼフ・セヴァーンに身を焦がすもよし、人類の辿る数奇な運命とAIの関係に哲学的示唆を読み取るもよし。ともかく、さまざまな読み方のできる物語だ。この搦手の物語を深く追求するのも楽しみのひとつであろうが、あまり頭でっかちににならずに素直に波乱万丈の物語を堪能すればそれはそれでよろしいのではなかろうか。

 『ハイペリオン』でほの見えた対立の構図が、実はもっともっと複雑に絡み合っていることがわかってくると、時系列の果てしないタテヨコナナメに翻弄されつつ、あらゆる側面があらゆる輝きを伴って読者の前に忽然と姿をあらわす。緩急自在の作者の筆が、ときにじれったく感じることもあるだろう。冗長とさえ感じる読者もあるかもしれない。だがしかし、とにかく身を委ねるのだ。心を平らかにして、作者が仕掛けた惑星ハイペリオンを巡る未曾有の物語に身を任せてみてはいかがだろうか、例えば永劫の大河を下る小さな艀のように。

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紙の本夜が終わる場所

2001/03/21 06:10

単なる警察小説の枠を超えた文学作品

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 噂に聞く警察小説。昨年(2000年末)の「このミス」にランクインした作品の中で最も触手が動いた作品は、単なる警察小説の枠を大きく踏み越えて、細やかな心理描写と緻密な構成で人間を見つめた文学作品であった。

 早朝の電車内で、朝日を浴びて白い頂きを赤く輝かす富士山を横目に静かに読み終えた。胸が熱くなっているぼくは、凛とした早朝の空気と珍しい赤富士に一層気持ちを増幅させられてしまい、電車内で赤富士を見つめながらしばらく茫然自失状態だった。テーマを要約してしまえば実に他愛もない事柄で、何を今更…、と言われても否定はできない。でも、その程度でこの小説を判断して欲しくない。小説はプロセスであり、ありふれた題材でも掘り下げ方やら語り口やらでどんな小説にも変貌し得るのだと、改めて感じ入ったのだ。

 内容もすばらしかったが、特筆すべきは邦題ですね。原題は、『Four Corners of Night』。夜の四隅=隅々。この原題を、よくぞ『夜が終わる場所』などという詩的で、意味深で含蓄を含んだ邦題をつけてくれた。写真も含めて表紙の感じもとてもよろしい。

 少女の失踪という、ミステリでは手垢のついた題材。主人公は少女失踪事件を捜査するふたりの警官だ。現時点での捜査を軸に、ふたりの警官の過去が幾重にも重なって語られ、やがて過去にひとりの警官の娘が失踪していたことが明らかになる。多分に漏れず、この物語も捜査はノロノロで一向に進まない。その上物語は、警官のひとり=マックスの一人称で語られるのだから視点はぶれないものの、時制がころころと変わって集中するのが難しい。この物語に否定的な人はここらへんを論っているようですね。確かに集中が難しく、読みにくい物語ではあったが、ぼくはそれほど気にならなかった。語り口と人物造型が絶品だったからでしょうね。

 陰影深いもうひとりの警官=バンクが印象的だ。彼を主人公のノワールと読み解いてもいいほど。当然バンクの描写は、マックスの意識と重なるのだから、良くも悪くもそれほどに深くなることはない。だから、読んでいるうちに、マックスが感じているのと同じくらいにバンクをミステリアスな存在と捉えている自分に気が付くのだ。そう感じていることに気がついたら、もう作者の手の内ですね。深い哀しみたたえながら、「夜が終わる場所」 を探して心を旅し、知らず知らず座している自分に気がつくかも。「夜が終わる場所」はそのまま「朝が始まる場所」なのだな。

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紙の本死せる魂

2001/03/21 06:00

リーバス警部はカッコ悪く、死者の無念を背負いながら生き続けるのだ

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 1999年のCWA賞シルバーダガー賞にノミネートされた作品。惜しくも受賞は逸したが、ランキン型モジュラー小説が見事に完成された非常に質の高い作品である。ただし、それがおもしろさと同義であるかどうかは読者によると思うが。

 電車内でふと見上げた「AERA」中吊り広告に、「児童虐待 母は克服した」などという扇情的な記事を見かけたかと思えば、長男が小学校から持ち帰った「小学校だより」の裏面に、土屋義彦埼玉県知事の「児童虐待の防止を訴える知事緊急アピール」などという文章が掲載されていたり、メディアでもニュースからドキュメンタリーから低俗なワイドショーに至るまで、「児童虐待」が放送されない日はないといってもいいくらいだ。ヒステリックなまでの児童虐待報道。ぼくらは、虐待が引き起こした「解離性同一障害」に慄き、「虐待の連鎖」に頷き、少々質的には異なるが「小児性愛者」の傾向は一生モノであると危機感も新たにするわけである。

 この物語前半のリーバスに陥っているわけですね。「小児性愛」がひとつのテーマではあるが、同じ他作品と違っている、あるいはこの物語のひとつの見所といえるのは、「更生プログラム」を受けて更生しようとするダレン・ラフのような存在をリーバスにぶつけて、リーバスが徐々に変化していくさまが描かれているところでしょうか。更生しようとする「小児性愛者」の気持ちを描いてみせる。疎外感、罪悪感。沸々と湧き上がる衝動を、必死に押さえ込もうとする。ただし、作者は対岸に稀代の殺人鬼=ケアリー・オークスを対峙させることも忘れない。このふたりの犯罪者は異質であると。しかし、これは難しい問題であるな。

 毎度ながら、リーバスの活躍はとても地味。それでも退屈せずに読めるのは、作者独特の小説手法のおかげだろうか。ランキン型モジュラー小説たる所以は、能動的なリーバスに由来する。ともかく、リーバスはあれもこれもと自分から事件に首を突っ込んで、自ら事件を掘り起こしてゆくのだ。これらをリーバスの内面や周囲の状況を細やかに絡めて、最高の語り口で綴られる。ひとつひとつのエピソードをおろそかにしない執筆姿勢が、ランキン=大長編作家のイメージを植え付けるのだ。期待を裏切らず、この物語もとても長い。登場人物も多い。

 英国ミステリの伝統を継承しつつ、米国産のハードボイルドをブレンドするとこういうミステリになるのでしょう。リーバスのカッコ悪さが、やけにリアルで逆に好感が持てる小説。深い哀しみをたたえつつも、決して絶望しているわけではない。印象的なシーンが放尿シーンという珍しい小説だったが、シリーズとしては過去の亡霊たちを受容する度量の大きさをもって前進を続ける。リーバスの周囲に群がる、現世に無念を残して逝ってしまった亡霊たちは決して消えることはないのだろう。リーバスはカッコ悪く、彼らの無念を背負いながら生き続けるのだ。

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紙の本悪魔の涙

2001/08/07 06:01

うまさとあざとさほど違う強引さ

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 『静寂の叫び』の感想でも書いたが、最近のジェフリー・ディーヴァー作品を解く鍵は「共感」なのだと思う。『ボーン・コレクター』では、リンカーン・ライムとアメリア・サックス。あるいはライムと犯人。『静寂の叫び』では、人質と犯人、犯人とFBI交渉担当者、交渉担当者と人質。その「共感」が通り一遍ではないサスペンスを生み出す。つまり「共感」したがゆえの心の枷が、時間的サスペンスの外周に二重三重のサスペンスを作り出すのだ。ディーヴァーの最近作の多くがプラトニックな恋愛を描くのにはこういう理由がある。男性キャラと女性キャラが「共感」すれば、おのずと恋愛に形を変えるだろうから。

 この図式をこの物語に当てはめると、主人公である元FBI文書部の責任者で文書検査士のパーカー・キンケイドと息子のロビー。パーカーとFBIのマーガレット・ルーカス捜査官。パーカーと犯人にもある意味の感応があるだろうから含んでもいいだろう。押し寄せるタイムリミット・サスペンスに、これらの枷が被さる。が、果たした役割はそれほど大きくない。作者が仕掛ける罠にもある程度予測がついてしまうし。それよりも何よりも、惹かれあうパーカーとルーカス捜査官に、「おいおいまたかよ」ってな感想を持った時点で、この物語に対する評価は決まってしまったのかもしれない。

 とっかかりは『ボーン・コレクター』と同じ。リンカーン・ライム=パーカー・キンケイド。“元”の立場で事件に絡んで……。とても似通っている。残念ながら、パーカーにはライムほどの際立った造型はない。サスペンスを煽る肉体的ハンディはないが、二人の子供たちに注ぐ愛情と、離婚した元妻との親権を巡っての争いが物語にアクセントをつける。ルーカス捜査官にはアメリアに勝るとも劣らない背景があるが、アメリアほど抽んでた人物造型ではない。パーカーの子供に対する一本気な愛情がとても気持ち良い程度かな

 二転三転する展開はさすが。だが、あまりに強引。犯人が死んでこんなにページが残っているなんてどういうこと! それからはあれよあれよと作者の独壇場だ。なるほど、それなりに伏線を張ってあって周到に練られているが、少々都合が良過ぎる。っていうか、全体が作り物めいて、どうも物語に入りきれない。作為的過ぎるのだ。「ディガー」の独白が原因かも。ほかにもいろいろあるんだけど…。ちょっと今回は作りすぎましたね。これは悪い傾向jだと思う。作家としてのピークを過ぎたかな。

 ただし、シリーズ物好きな旅歌は、このふたりの行く末に興味津々ではあります。

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紙の本永遠の島

2001/06/16 09:45

概念としての「神」を模索?

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 萬月作品どれかの解説で読んだのだが、巷では評判がよろしくないらしい。確かに、暴力もセックスもたいして描かれていないし、強烈な個性的登場人物の血を吐くような痛みもない。これだけを読めば花村萬月という史上稀な作家の影も形も見えないのは事実かもしれない。萬月さんにはこんな作品を書いて欲しくない、という気持ちもわかる。

 でも、この作品は現在の萬月さんを知る上で絶対見逃せない作品だと思うのだ。作家本来の仕事は作品の中で新しい倫理を確立すること、とおっしゃる萬月さんは『ぢん・ぢん・ぢん』で既存の倫理をぶっこわした。でも、それは単なる前哨戦であり、本来の作業は芥川賞受賞作『ゲルマニウムの夜』から始まっている倫理の確立なのだと思う。
 『ゲルマニウムの夜』の感想でも書いたが、萬月さんの登場人物にはカリスマ性を帯びた人がかなりの確率で登場する。それらの人々は大なり小なり「絶対者」であり、周囲には殉教者が集っていた。が、いかに強烈なカリスマといえども所詮は人間なのだ。そのあたりに萬月さんはジレンマを感じていたのではないか? そこでひとつの概念として本作の「シマ」を登場させたのではないか。。言ってみればこれは実験作なのだ…。しかも「シマ」は子供で、成長している。不可解な現象の舞台となる大和堆は子供である「シマ」のおもちゃ…。これは神に翻弄される人間そのものじゃないか。おぼろげながらだが、萬月さんの神に対する感覚が見え隠れするような気がした。

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紙の本川の深さは

2001/05/10 19:49

「亡国のイージス」へのホップ

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 読めばすぐわかるのだが、『亡国のイージス』『Twelve Y.O.』とほとんど同じ構図を持つ物語だ。劇画チックで荒唐無稽度を強烈に増幅させてしまう小道具をはじめとして、思想から筋立てまで驚くほど似通っている。それに加えて、若い男と共感する中年おやぢ、もうひとこと言うなら若い娘という人物配置までほとんど同じとなれば、この物語が持つ意味は一体何なのだろうか、と首を傾げたくなってしまう。2001年版「このミス」で10位に食い込んでいる作品だとしても。

 いうまでもなく、乱歩賞受賞以前に、同じ賞で最終選考まで残った作品である。三作の中では一番最初に執筆されたのだろうから、『亡国のイージス』をジャンプとするなら、『Twelve Y.O.』がステップで、この物語がホップと受け止めるのが正解なのだろう。などとつまらないことを考えてはみたものの、埋もれさせてしまうにはもったいない出来なのは間違いない。『Twelve Y.O.』を遥かに凌いでいる。お得意の気恥ずかしいまでの浪花節に加えて、肩に力の入った若さ感じさせる大仰な表現や台詞回しが目立って、もう、恥ずかしいを通り越して、ここまで徹底すればたいしたもんだ、なんて思ってしまった。

 でも、読ませるストーリィ展開だから、それなりには楽しませてもらったかな。なんのかんのいっても、結局、この人は作家として自分のテーマを持っているのだ。生意気な物言いになってしまうけど、この作者は書きたいことがあって作家になったのだと、改めて思った。だから、物語に力がある。『亡国のイージス』の成り立ちを考える意味では、読んで損はないと思う。

 ただ、今後の福井さんを考えるとちょっと不安になってしまいますね。『川の深さは』の路線は、『亡国のイージス』で完成されてしまったのだから、自分のテーマを今後の作品にどう活かすのか、発展させるのか。そうなったときは、必ず『亡国のイージス』と比較されるだろう。それとも、引き摺ったテーマから離れて、新たな領域へと分け入っていくのか。ガンダムは置いておいて、次回作を期待と不安をもって待ちたい。

 ところで、作中出てきたガーリック味ポテトチップ・ベーコン・トーストを試してみたのですよ。不健康極まりない食べ物だけど、これが意外とうまい。わが家では大人気でした。ただし、胃がもたれるのでおぢは一枚しか食べられないけど。明日のこの欄で、レシピ載せましょうかね。不健康な食べ物ほどうまい? だから、病気になるんだ、とは言わずもがな…。

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