あきやまさんのレビュー一覧
投稿者:あきやま
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魔法の発音カタカナ英語 一気にネイティブ!
2005/12/12 13:39
これは痛快!新しい英語の教科書
14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
中・高・大と英語を学びながら、読むのは何とかなっても、聞いたり話したりといった会話面がまるでできないことに、ぼくにはコンプレックスがあった。
あるとき、タクシーに乗って行き先を告げたら、全然見当違いの場所に連れていかれて、「お客さん、着いたぜ」と得意顔の運転手に「いや、○○に行きたかったんですけど…」と遠慮がちに伝えなおした瞬間の「オーマイガーッ!!」は未だに忘れられない。
本書の題名にある「カタカナ英語」とは、いわゆる「和製英語」のことではない。そうではなくて、ネイティブに通じることを目指した英単語の日本語発音表記を指している。「pencil」の発音記号を音声学者でないぼくたちが見たところで、その単語の読み方・言い方がわかるわけではない。一方、ローマ字式に「ペンシル」と言ってみたって、ネイティブには通じない。それでは、「ペンソウ」と、書かれたとおりに読んでみよう。ほら、通じた。これがカタカナ英語である。
日本語と英語では発音の仕方が大きく異なり、ある程度成熟した後では脳の仕組み上もうその音の違いを耳でとらえることができないこと。しかし英語は音を重視する言語であり、文法が少々間違っていても発音さえ正しければ十分通じること。だとしたら、日本人が日本語的なままで、いったいどのように「言えば」ネイティブに通じるのか、を体得することが、英会話上達の王道となること。本書のモチーフは、これに尽きる。
「べつにカタカナ英語だっていいじゃないか。理想を求めることは潔くあきらめよう。どうせ、私たちには英語を発音するための脳回路がないのだから」(p.27)
この言葉を目にしたとき、ぼくも非常に清々しさを感じ、心が軽くなった。
実は、日本人の英語上達を妨げる大きな要因の一つは、世にはびこる「英単語のローマ字読み」であることが、この本を読むとわかる。
たとえば、本書によれば「Internet」は「インターネット」ではなく、日本人なら「エナネッ」と言わなければネイティブには通じない。「Good morning」を「グッドモーニング」でなく「グッモーネン」、「Good bye」を「グッドバイ」でなく「グッバイ」と実際は発音している(だろう)ことを鑑みれば、このことに何の不思議もない。だから、「メール」だとか「テーブル」とか「コンピューター」等々、そういった原語の発音とはひどく異なる“ローマ字英語”に取り囲まれた環境で、著者言うところのカタカナ英語を体得することは、意外と“メシュネンパセボウ”なのかもしれない。
《愛国心》のゆくえ 教育基本法改正という問題
2005/12/01 10:34
現代に復活する「教育勅語」、あなたはどうする?
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
公教育の理念を規定し、教育の“憲法”と言える「教育基本法」。現在その改正が審議されているが、その骨子は「愛国心」教育の導入であった─。
「教育勅語」を復活させるつもりか。日本が「あの国」のような全体主義国家になってもいいのか。ぼくは一人の民主主義者として、現在審議されている教育基本法の「改正」なるものに断固反対する。本書は、この問題を考えるのに好適の書だ。
しかし一方で本書の論調には、総論賛成各論ときどき反対、という感想をもった。ぼくは著者のファンなので、これでもひいき目に見ているかもしれない。自分の主張を通したいがために、かえって(悪い意味での)「朝日新聞的論調」の定型にハマってしまっているきらいが、本書にもある。
「法改正がもつ問題性を、立場を異にするものに対して説得的に提示できてはいないのである。世の「改正反対」本の多くがこの弱点を共有している」(p.16)
と述べられているが、このことは本書にもそれなりに当てはまるのではないか。
本書において、教基法改正後の世界より望ましい将来像として描かれているものが、多くの人にとってはあまり望ましくない未来なのだとしたら。予想される時代の流れに対し、こうすればこうなる、というような未来のビジョンをいくつか示して、その比較をすることで、「ほら、教基法改正の将来像ってこの中だとドベでしょ、全然魅力的じゃないでしょ」と指摘する点に的を絞ったほうがよかったのじゃないか、と思う。
高度資本主義下で進む人間関係の総ゲゼルシャフト(利害関係)化に多くの人たちが不安と不満を抱いていて、そうした心性が「愛国」に吸い寄せられていく点についてのフォローも欲しかったし、事大主義を熱心に批判するのも、一般人の多くを占めるだろう「小市民」を敵に回す行いなのではないか。ぼくは、小市民であっても、否、小市民が、安心して暮らしていけるような社会を望む。
日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す
2002/12/04 12:07
主旨にはうなずける、だけど…
9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
この本の基本的な主旨は、
「日本語に<主語>はない」
「日本語の自動詞/他動詞は印欧語のそれと違って独自の論理をもつ」
ということで、その部分には賛成します。
問題は、主旨から離れたおしゃべり、雑談の部分。
この著者、カナダ・ケベック州在住のモントリオール大の先生で、
カナダ就中ケベックは世界一暮らしやすい、なぜなら
夫婦別姓・死刑廃止は当たり前、英語圏で仏語を話すその多言語性が象徴するように
そこは多様性を許容する国柄だからだ、とお国自慢を始める。
そこから日本の英語偏重・アメリカ礼賛を斬るわけだけど、
確かに話のつかみとしてはいいかもしれない。
でも、
一方で日本の若者の茶髪を「orange hair」とかいって侮蔑してたりして、
「今の証言はムジュンしている!」((c)カプコン)。
だいたい、ケベックが孤軍奮闘ながら仏語を守っているという話にしたって、
英語禁止法を通した本国フランスを見てもわかるように、
それは愛国主義色の強いフランス語だからそういう芸当が可能なわけで、
単純に多言語主義のようなところに接続していい話ではない。
チョムスキアンに対する「難解だ!」という非難も、
物理学が「物体の落下速度は落下時間に応じて速まる」なんて
曖昧な言い方してたら今の発展はなかったわけで、
そういう曖昧性を減じるためにも、正確な学的判断を下すためには、
数値化できることは最大限数値化すべきだし、
形式化できることは最大限形式化すべきだと思う。
それからすると、素人が入り込めないからダメだみたいな著者の口吻は
学者の言うことにしてはいかにもカッコ悪い。
この本、主旨はそう間違ってないと思うので、
それ以外はヨタ話として無視して読むのがいいと思います。
哲学思考トレーニング
2005/09/09 18:52
「まっとうな」論じ方のほうへ
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
テーマは「哲学的クリティカルシンキング入門」。
この題名にしては見通しの悪い本だけれども、内容はコンパクトで、ほんとに大事なことしか書いてない。多くの人に読んでもらいたいし、この本を読んで「哲学」のイメージが変わる人は必ずいると思う。
本書で紹介される「哲学」は、主に英米系の「分析哲学」なのだけれども、一般になじみがないと思われるのでごく簡単に紹介しておくと、デカルトの「明晰判明」な議論の伝統を受け継いだ“マトモ”な哲学が分析哲学。
一方、一般に「哲学」といって想起される、「名言・箴言」でものごとを曖昧に仄めかしたり、謎かけのような何を言っているのかわからない詩のような、でも偉い人のありがたい託宣だから心して聴くように、的なものは、「(ヨーロッパ)大陸哲学」に多く存在する“トンデモ”哲学である(だからといって大陸系は何でもダメか、といえば、もちろんそんなことはない)。
以前、サイモン=クリッチリーの『1冊でわかるヨーロッパ大陸の哲学』を、野家啓一が「羊頭牛肉」とかいって激賞してたけれども、あの本は分析系の支配的なイギリスで出版されたことに意味のある本であって、英米系に暗い日本の哲学状況にはそぐわない。それよか、フランスの哲学者・ジャック=ブーヴレスの危機感を共有しろよ、とぼくなら言いたいところだ。
現代哲学を蝕む二つの病、「神秘主義」と「相対主義」。この二つにいかに負けずに「まっとうな」議論を育てていくか、というところに“マトモ”な哲学のキモがある。
修辞的思考 論理でとらえきれぬもの
2004/05/12 21:14
批判的思考としての修辞的思考
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
修辞的思考が「説得を志向する思考」(p.1)なのであるとすれば、
それは「反論を容易に許さない」(p.159)ものであるのだから、
批判的思考の対立物である、ように考えることができる。
実のところは、
それは対立関係にあるというより、表と裏の関係にある、と言ったほうが実状に近い。
批判的思考のキモというのは、要するに、
相手の議論の“穴”、“急所”を(まさにクリティカルに)突くということであり、
言い方を変えれば、「手品」(p.156)のタネを明かすということでもある。
「手品」にはどんなものがあるか、そしてそのやり方を教えることは、
また同時にタネの明かし方を教えるということでもある。
ぼくが、修辞的思考と批判的思考とは表裏の関係にあると言ったのはそのような意味だ。
批判的思考は、裏返しに用いれば、人を「だます」ことができる。
このワザを、あえて禁じ手にしているものがあるとすれば、
それは要するに「クリティックの倫理(the ethics of critic)」(p.159)だろう。
この本は、そういう技術を(直接に)教えるものではなくて、
伊藤整『青春について』をはじめレトリックの技術を用いて著されたものを、
その技術の知識を通して分析することに主眼が置かれている。
つまりは、修辞的思考を批判的に用いていると言うことができる。
批判的思考を学ぶための、一つの一級の文献として本書をおすすめしたい。
乱交の生物学 精子競争と性的葛藤の進化史
2004/09/08 11:56
不貞の生物学
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
この本、題名に語弊がある。
実際には『不貞の生物学』といった内容のもの。
主題は、メスの不貞の進化論的合理性について。
オスの不貞の進化論的合理性は、誰でも気がつく。
進化とは適応度の上昇である。
あるいは適応度を上昇させる何らかの条件を備えることである。
適応度とは、生殖可能な状態まで生き延びた子どもの数のことである。
だとすれば、
一匹のメスに子種を与えつづけるより、
多数のメスに子種をバラまいたほうが、適応度は高まる。
それに対してメスは、
イキの良さそうなオスを選び出すだけ、という消極的な地位に甘んじるしかない。
……と考えられていた。
しかし、
近年開発されたDNA鑑定のような手法を用いて自然状態の生物の父性判定を行なったところ、
非常に多くの──あるいはほとんどすべての──生物種において、
メスの不貞の形跡が認められた。
要するに、
メスは、通時的にも共時的にも、異なる父親をもつ子どもをなしていたというわけである。
こんなに広く存する生物学的現象に、進化論的合理性のないはずがない。
そしてそれは実際に存在するのだ ──「精子の淘汰」という機制によって。
というのがその大まかな論旨。
「パーカーの精子競争についてのアイデアに暗に含まれる観念は、
繁殖は両性による協力的な試みなどでは決してなく、利己的な動機によるものであり、
雄と雌はそれぞれ徹底的に自分の利益を最大化し、
損失を最小にしようとしているというものだった。
両性の利益は時折一致することもあり、
それがまるで協力関係にあるような幻想をつくりだす。
しかしほとんどの場合、
それぞれの個体は自分にとって最良の取引をしようとしているのだ。
たとえ彼あるいは彼女のパートナーを犠牲にしても。
これが性的葛藤、
つまり雄と雌が、それぞれ自分の遺伝子を最大限次世代に残そうとして
相手を徹底的に搾取する闘争なのである。」(pp.30-31)
性愛に対してロマン化して語る風潮があるけれども、
この事実を前にしては脳天気に過ぎると言わざるをえないだろう。
その意味で、フェミニストの言う
「個人的なことは政治的なことである」
という指摘は、正に当を得ていた、と言うべきなんだなあ。
男と女のあいだには〜……
時間 生物の視点とヒトの生き方
2003/01/06 06:44
体に合った社会へ
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ベストセラー『ゾウの時間ネズミの時間』で展開された、
サイズとエネルギー、そして生活サイクルにこだわる物理学的生物学。
この考え方を応用して、「ヒト」としての生物学的性質をふまえながら
人間社会のありうべきエネルギー消費や生活サイクル、
そして倫理を考察したのがこの本。
文化とか価値とか人間関係とかいったものを捨象するその手つきは、
人文社会系の知に関わる者の目にはずいぶんとナイーヴに映るに違いないのだけれど、
しかしだからこそ現存する幾多の(「右」とか「左」とか何とかの)
社会宗教論争を超え出た普遍的な視点、
というかその眼目は社会の《物理的枠組=制約》への注意の促しなのだけれど、
それを明晰な形で提起しえているように思われる。
「宗教やイデオロギーの無力になった混迷の時代に私たちは生きています。
何か、万人がウンと言える行動指針や倫理を早急につくっていかなければならないでしょう。
私は、理想などという人間の夢想とは関係なく、ヒトの体という、
もっとも人間に関わり合いの深い普遍的な物体に基礎を置くことにより、
現実的な指針や倫理がつくれるのではないかと考えています。」(p.134)
大村英昭の「鎮めの文化」論とか、見田宗介の『現代社会の理論』とか、
そうした本と合わせて読んでみたい“考えるヒント”。
葛藤する福祉現場 福祉の理想と現実30話
2005/09/23 18:02
福祉の哲学、最初の一歩
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
福祉現場における「倫理」の問題を、ごく訥々と、驚くべきバランス感覚で、計30題提起した本。福祉の現場に働く人間が読めば、「こういうことって確かにあるよな、大事なことだよなあ」と思うことばかり。
全30話のメルマガを書籍化したものとのことで、見た感じ小学校の「道徳」の教科書に体裁がよく似ているけれど、「現場」あるいは「理念」どちらか一方の立場に寄りかかるのでなく、難しい問題の何がどうして難しいのか、きちんと考えてみようよ、自分にウソつかずにね、というところに(とりわけこの最後にあげた点に)とても好感が持てる。
「医療倫理」という分野では、こうした話題を医療の分野に限定して深化させた議論が行われているけど、そのような議論はもちろん福祉にも必要なことだろう。
阿部志郎『福祉の哲学』とか糸賀一雄『福祉の思想』とかいった、業界の有名人の手になる本がこれまでにもあったけれども、ぼくの見るところこうした本は「羊頭狗肉」もいいところであって、ぜんぜん哲学的でなく、あえていえば宗教的な著作だ(ぼくはこの種の、福祉における宗教的な言説が「哲学」を名乗るには、最低限ニーチェを乗り越えてみせてくれよ、と思っている)。
それらに比べ、ごく日常的な論点をごく平易な文章で述べている本書こそ、かえって真に倫理的なものに思われる。
一つ指摘することがあるとしたら、本書で「福祉的視点と医療的視点」として言挙げされている問題は、倫理学、なかんずく医療倫理の分野では長らく「生命の質(QOL)対生命の尊厳(SOL)」という定式で語られてきた問題であって、現場にいたぶん学問的にブランクがあるからか、著者の不勉強を感じなくもない、ところか。
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