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サトケンさんのレビュー一覧

投稿者:サトケン

351 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本凶悪 ある死刑囚の告発

2009/11/25 00:19

ドストエフスキーの小説よりはるかにすごい迫力、最後まで読み切らずにはいられない

33人中、31人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 白熱のノンフィクション、これほどすごい内容のノンフィクションは滅多にない。これほど興奮しながら読んだ本もあまりない。

 獄中の元ヤクザの死刑囚が告発した「上申書」、これがついに警察を動かし、警察の執念の捜査によって、のうのうと市民生活を送っていた"先生"とよばれる真の凶悪を追い詰め、逮捕起訴し、判決が下されるまでのストーリーが、この文庫版で完結した。単行本では未完に終わっていたストーリーが文庫版で完結したのだ。
 そしてこの獄中の凶悪犯の告白を聴きとり、徹底的な裏付け取材を行った上で雑誌記事にし、警察を動かしたのは、「新潮45」という月刊誌の編集記者・宮本太一氏(現在編集長)であった。雑誌メディアの底力を天下に示した力作である。

 「事実は小説より奇なり」、などというと陳腐に響くかもしれないが、このノンフィクションはドストエフスキーの小説よりはるかにすごい迫力をもっている。
 それは事実のもつ重み、探り当てた真実の重みであろう。文庫版ではじめて読んだ私は、この事実のもつ迫力に圧倒され続けた。

 自ら手を下さすに人を殺させ、人の死をカネに換えてきた錬金術師、"先生"。この存在には、何か得たいの知れない、人間悪の化身のようなものを感じる。
 しかしそれはサイコキラーではない、快楽殺人でもない、なにかしら人間として底が抜けているというか、人間としてのタガの外れた知能犯としての姿を見いだすのである。この男はいったい何者なのだ、と。
 しかし、事件はすべて解決されたわけではない・・・

 とにかく、結末などいっさい知ることなく、最初のページから読んでみるべきだ。
 間違いなく、最後まで読み切らずにはいられない本なのだ。

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読むと怖くなってくる本。この本はあなたの50歳台以降を占うリトマス試験紙となる

30人中、28人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 いま私は40歳台の後半だが、「はじめに」を読んで「目次」を読んでいるうちに、なんだか少し怖くなってくるのを感じた。
 一方、これは40歳過ぎてからやりはじめたな、これもすでに手をつけている、30歳台のときとは違う自分を育成してきたと、ほっと胸をなで下ろすものも少なからずある。

 こうして読んでいるうちに、まだ50歳台でなくて良かったというちょっとした安堵感とともに、さらに自分に負荷をかけて成長させなければならないなと、自戒の気持ちを同時に固めることになる。

 本書は、読者対象として大企業に勤務する30歳台以上の男性サラリーマンを想定しているようだ。おそらく20歳台の人が読んでも表面上の字面しかわからないだろうし、30歳台でも後半にならないと本当の意味で実感できないかもしれない。
 だが、40歳台の読者でこの本に何も感じないとしたら、それはたいへん危険なことだ。「種まき期」の20歳代と「育成期」の30歳代に直線志向でまっしぐらにやり抜いてきた人は「収穫期」の40歳代で安心し、その安心は知らぬ間に慢心に変わる。気がついたら50歳を過ぎており、会社人生も残りわずか、そしてリタイアしたら後悔の山、山、山・・・。おお怖い。

 「40歳は人生の正午」だと言ったのは、スイスの臨床心理学者 C.G.ユングだが、人生80年時代の現在日本では、まさに至言というべきである。個人差はもちろんあるが、40歳以降もまだ40年近く生きることになるのだ。その折り返し点では、いままでとは違う取り組みが必要なこと気がつかねば危ない。
 「人生の午後」の最初の10年間はまた、人生において公私ともども、もっとも多忙な時期に重なっているからだ。気がつくのが遅れると大変なことになる。

 本書の指摘がすべて当てはまるわけではないし、すべての処方箋が正しいわけではない。要は自分なりに取捨選択して、いいとこ取りをすることだ。学ぶのに遅いことはない、まだ間に合うはずだ。いたずらに恐怖を煽って、何かを売りつけようという悪徳商法の本ではないから、安心して読める内容の本である。「備えあれば憂いなし」、というではないか。

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紙の本苦海浄土 わが水俣病 新装版

2011/05/04 12:58

「フクシマ」で「ミナマタ」の悲劇がふたたび繰り返さないことを願いつつ読む

27人中、24人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 福島第一の「原発事故」の処理に際して、放射能汚染水を地域住民にも国際社会にもいっさい説明することもなく、垂れ流しの決定を行った日本政府。このことを知ってただちに思い出したのは「水俣病」のことであり、『苦海浄土』のことである。

 今回の「人災」を機会に、ずいぶん前に買って本棚に入れておきながら、背表紙を眺めるだけで、読まないままになっていた文庫本を読み始めた。

 水俣病とは、チッソが海に流した廃液にふくまれたメチル水銀が食物連鎖のなかで魚介類に蓄積し、それを日常的に食べていた漁民を中心に引き起こされた公害病のことである。1956年に公式に確認された水俣の悲劇は世界中に知れ渡り、水俣はミナマタとなった。ネコが踊り狂うモノクロの映像は目に焼き付いている。

 この本は、「公害事件」を目の当たりにした、その土地に生まれ育って生きてきた一人の女性で、主婦で、詩人の手になる作品である。「公害」発生前の美しい海と、「公害」発生後の汚れた海から目をそらすことなく、被害にあった漁民たちにきわめて近いところで寄り添い、声になった怒り、声にならぬ魂の叫びを、著者の肉体と精神というフィルターをとおして文字にした文章を集めて一書にしたものだ。

 あくまでも私小説なのであり、土地の方言を生かした語り口は、けっして読みやすいものではない。『苦海浄土』の「苦海」(くかい)とは、生き地獄を意味する「苦界」(くがい)に掛けたものだろう。だが、その「苦海」と「浄土」が結びつくとき、いったい何を意味しているのか?
 
 福島に第一原発と第二原発をもつ東京電力と周辺住民の関係は、熊本県水俣に肥料工場を建設したチッソ(=新日本窒素肥料株式会社)と周辺住民の関係とよく似ている。メチル水銀のまじった汚染水と放射能をふくむ汚染水という違いはあるが、漁場が汚染されたという事実だけでなく、致命的な事故が発生するまでは東電もチッソも地域にカネを落とし、雇用を作り出した恩恵者であったことが共通しているのだ。環境汚染企業と周辺地域住民との関係は、アンビバレントなものであり、「企業城下町」や「原発城下町」という性格を知ることなしに、汚染水問題を論じることの難しさもまた知ることになる。

 この国は、近代に入ってから足尾銅山、カネミ油症、イタイイタイ病、森永ヒ素ミルク事件と、枚挙に暇(いとま)のないほど、数々の「公害事件」を引き起こしてきた。いま現在フクシマで起こっているアクチュアルな事件を見つめながら、先行するミナマタを描いた小説を読む。こういう読み方は文学作品の読み方としては邪道かもしれないが、それでもこの『苦海浄土』を読むと、文学のチカラをあらためて感じることもできるのだ。

 科学万能神話に疑問符がつきだしたいまこそ、詩人をはじめとする文学者への期待するものは大きい。今回の大地震、大津波、原発事故、風評被害という四重苦から、どんな文学作品が生まれてくることになるのだろうか?

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面白おかしく、しかし本質をズバリ突いた二畳庵先生の名講義が帰ってきた!

23人中、22人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 二畳庵主人とは中国思想研究者の加地伸行先生のことだったのか!
 高校時代、予備校にはいかずにZ会(増進会)の添削で大学受験勉強していた私にとって、ほんとうに読んで面白い漢文参考書がこの二畳庵主人による『漢文法基礎』だったのだ。いまからすでに30年(?)近く昔のことである。

 まさに、「二畳庵主人リターンズ」! しかも、覆面を脱いだその人は、加地伸行。儒教研究者という学者の顔だけでなく、歯に衣着せず舌鋒鋭く論じる論客でもある加地氏が書いた文章であるといわれれば、そのとおりだなあと納得する。
 私が読んでいたのは本書の底本である『漢文法基礎』(新版)の前のエディションで、こんなに分厚くなかったのだが、いま講談社学術版を手にして、思わず読み進めている自分を発見してしまう。なんせ面白いのだ。当時の語り口調がそのまま再現されているので、懐かしいという気持ちもあるが、それよりも講義を受けているというライブ感が素晴らしい。ちょっと引用してみようか・・・

 「この私、二畳庵先生は。大学で中国のことを専攻して以来、二十年あまり漢文で明け暮れてきた。・・(中略)・・こう言っては自慢めくが、高校漢文教育の経験豊富である。だから諸君の弱点もよーく知っておるぞ。・・(後略)・・」(初版1977年の「はじめに」より)。

 全篇こんな調子で面白おかしく、しかし本質をズバリ突いた内容の講義が続くわけだ。もちろん、漢文が読めたからといって、現在使われている中国語ができるわけにならないので、実用という観点からいったら得になるかどうかわからないが、この本は読んで絶対に損はないとはいっておこう。小西甚一先生執筆の大学受験参考書のロングセラー『古文研究法』とともに、イチオシの漢文参考書としてすべての読者に勧めたい好著だ。

 ホンモノの学者が書いた受験参考書は、こんなにも面白くてタメになるという良き見本である。受験勉強は、ほんとうは役に立つのである。

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記憶のメカニズムを知れば、大学受験だけでなく社会人にも十分に応用可能だ

21人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

脳科学に関心のある人は、その大半が記憶にかんする関心であろう。どうしたら記憶力を増強することができるのか、どうしたら記憶力の減退を防ぐことができるのか、なにかいい方法はないのか、と。

本書は、もともとは10年前に高校生向けに書かれた『高校生の勉強法』に、加筆修正した文庫版である。脳科学の専門用語は必要最低限に押さえ込んでおり、たいへんわかりやすい文章であるが、押さえるべきところはすべて押さえてあるので、繰り返し読めば得るものはきわめて大きい。

本書の著者の池谷裕二博士は、記憶のメカニズムにおいて、きわめて重要な役目を果たしている海馬(かいば)についての研究で薬学博士号を取得した最前線の研究者である。しかも、一般人向けに記憶のメカニズムについてじつにわかりやすく説明してくれるサイエンスライターとしての才能をもつ人でもある。名著『記憶力を強くする』(講談社ブルーバックス、2001)がデビュー作だが、最新の研究成果を一般社会に還元してくれる、じつにありがたい存在だ。

基本的に大学受験を控えた高校生向けの本なのだが、脳科学のメカニズムに基づいた原理は共通しているので、勉強法としては高校生以外の一般社会人が読んでも、面白くてためになる好著になっているといえよう。とくに社会人の読者は、いままでの自分の勉強法がどこが正しいのか、どこが間違っているのか検証する読み方もいいかもしれない。中高校生には、正しい勉強法として推薦してあげたほしいとも思う。

しかし、「学問に王道なし」というように、「勉強法にも王道なし」と言っておかねばならないだろう。本書で解説されているのは「効率」的な勉強法とはいえ、「効果」が出てくるには時間がかかるのだ。なぜそうなのかも、ちゃんと解説されている。

巻末には使用されている専門用語がすべて1ページに集約された索引がついているのもありがたい。その数、たったの27語。一般読者は、このリストにある専門用語すら覚える必要はないと思うが、よく読んでなぜそうなのかというメカニズムだけは理解しておきたいものだ。現代人の必読書といえよう。

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紙の本漢字が日本語をほろぼす

2011/06/02 18:03

異端の社会言語学者でモンゴル学者・田中克彦の「最初で最後の日本語論」

20人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ラディカルな本である。コトバの本来の意味で、日本語のありかたについて根源的な問いかけを行っている本である。

 せっかく受け入れたフィリピンやインドネシアからきた外国人看護士を実質的に閉め出しているのは、医療関係者以外は日本人でもまったく読めも書けもしないような難しい漢字の専門語をクリアしなくてはならないからだ。
 ワープロの使用によって、不必要なまでに変換されてしまう漢字にみちみちた文章。これは日本語への世界的な普及には、むしろ大いに逆行する現象だ。
 現在の日本語の状況は、ビジネス界の流行語をつかえば「ガラパゴス化」とでも言うしかない。

 本書でとくに重要なのは、「漢字に苦しめられてきた中国」にかんする第3章だろう。中国語をローマ字で表記するピンイン、そして簡体字。その先には、漢字の産みの親である中国ですら、漢字の廃止というビジョンが根底にあることを知るべきなのだ。本書には、中国語をローマ字のみで表記する少数民族の存在が紹介されているが、その大きな例証となっている。
 いわゆる「漢字文明圏」で、いまでも漢字を使い続けているのは、現在ではもはや日本と中国と台湾のみとなっている。はやくからローマ字を採用しているベトナムはいうまでもなく、北朝鮮はハングルのみ、韓国もハングル中心で漢字はほとんど使わなくなった。
 そもそも言語というものは、耳で聞いてわかるものでなければ意味はない。日本人は視覚に頼りすぎるので、外国語習得が得意ではないのである。

 著者の田中克彦は、言語学者でありモンゴル学者である。後者のモンゴル学者としての視点が面白いのは、漢字を拒否し続けた中国の周辺諸民族をふくむ、「ツラン文化圏」(トゥラニズム)にまで至る壮大な文明論に言及していることだ。西端は欧州のフィン族やハンガリーから東端は日本にまで至る、ユーラシア遊牧民につらなる「ツラン文化圏」。戦後日本ではほとんど言及されることのないこの概念に、あらたに息を吹きこもうというこの試みには、モンゴル研究にかかわった日本人としての「見果てぬ夢」を感じ取るものである。

 英語が優勢のグローバル世界のなか、人口減がそのまま日本語の話者の減少にもつながっていく。このような状況のなかで日本語を守るためには、漢字を段階的に廃止する方向にもっていかなければならないというのが著者の主張である。この主張の是非については、間違いなく反対論が多数派であろう。本書もまた、「品格」がないとして、多くの反発を生むことのではないか? 
 この「逆説的な日本語への愛」が、なかなか世間一般にはストレートには拡がらないのは、ある意味では仕方がないことだ。

 タイトルに強い違和感(!)を感じた人は、ぜひ手にとって読んでみてほしい。著者の主張の是非はさておき、日本語のありかたについて根源的に考えるための、耳を傾けるべき主張がそこにはある。

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紙の本松井石根と南京事件の真実

2011/08/21 16:36

「A級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった

18人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

, 松井石根と書いて、まつい・いわね、と読む。「A級戦犯」として極東軍事裁判(東京裁判)で死刑を宣告された7人の一人だ。現在では知っているひとはそう多くはないのではかもしれない。
 本書は、心ならずも「南京事件」における「虐殺」の責任者とされた「悲劇の将軍」を正面きってとりあげた評伝である。そしてまた、「南京事件」を中心に、松井石根という一人の中国通の情報将校の目をとおして描いた日中関係史でもある。

 ではなぜ松井中将が「悲劇の将軍」となったのか? 松井将軍が心の底から中国を愛し、日中友好こそがアジア安定の要であるという固い信念をもっていたにもかかわらず、日中関係が悪化の一方をたどった時代に生きた職業軍人であったことが、その原因の一つである。松井将軍は、59歳で予備役から戻されて、上海攻略戦の総司令官となったのであった。

 しかも、1937年(昭和12年)の「南京事件」は、松井将軍の意に反して行われたものであった。「上海事変」で中国側の激しい抵抗にあった日本軍は、からくも勝利を収めたあと、一部の司令官がなしくずしで開始した南京攻略戦を追認せざるをえなくなる。軍隊にあっては絶対にあってはいけないはずの「指揮命令系統の混乱」が生じたのは、そもそも戦争目的があいまいであったこと、戦争の「出口戦略」が見失われたことも大きい。

 捕虜の虐待や民間人に被害を与えないよう、上海と南京の攻略戦をつうじて、松井将軍が何度も「戦時国際法」に基づいて軍紀を守るよう、くどいほど念を押していることが本書を読むと確認できる。とはいえ、軍紀に厳しい理想肌の松井中将の下にいたのは、内心ではそんな松井将軍をせせら笑っていた下克上的風潮のつよい将校たちであった。南京事件は、「カリスマなき誠実な理想主義者」がリーダーとして現場でトップに立ったときに引き起こされた悲劇というべきかもしれない。そして、その後の松井将軍の生涯は、この南京攻略戦が原因となった東京裁判での死刑判決によって完結することになる。

 終生、親中国の姿勢を変えることのなかった松井将軍。みずから意図したものとは正反対の結果を生み出し、死後もなお誤解が解けることがない「悲劇」の人生。日本側がみて良かれと思ったことが、けっして現地住民が心から歓迎するものではないことに思い至らなかったイマジネーションの欠如、認識ギャップが存在したことが否定できないのもまた事実である。この点もまた、軍人としては優秀であっても政治への洞察力に欠けるものがあったというべきだろうか。

 松井将軍にまつわる中国側の誤解が解ける日は、残念ながら半永久的に来ることはないだろう。だが、せめて日本側においての評価が「正常化」し、「名誉回復」がなされることを望みたい。そのためにも、本書には一読の価値がある。

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紙の本歴史入門

2010/08/19 10:00

原題は「資本主義の力学」-「知の巨人」ブローデルが示した経済を軸にした「世界の読み方」

19人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は、日本語訳ではハードカバーで6巻に及ぶ大著『物質文明・経済・資本主義』(みすず書房)への著者自身による入門である。経済を軸に据え、歴史学の立場から行った、壮大な規模と構想をもった15世紀から18世紀までの「世界=経済」の解釈を、アナール派を代表する「知の巨人」であった歴史学者ブローデルが、自ら要約して1976年に米国の大学で講演したものだ。

 「歴史入門」というタイトルで本書を手にとった読者は、少しとまどいを感じたのではないだろうか。本書の日本語版は「歴史入門」と題されているが、原題は La Dynamique du capitalisme(1976)、直訳すれば「資本主義の力学」とでもなろうか。単行本出版の際に出版社がつけたタイトルであろうが、きわめてミスリーディングなタイトルである。文庫版刊行にあたって、「ブローデル歴史学入門」くらいに変更しておくべきだったのではないか。

 では、「全体史」を目指した歴史学者フェルナン・ブローデルのものの見方とはいったいどういうものか簡単に見ておこう。人間の生物学的な生存条件を出発点とし、政治ではなく「経済」を主人公とした歴史解釈であり歴史記述であるが、それは『物質文明・経済・資本主義』というタイトルそのものに表現されているといってよい。
 しかしながら、歴史学者ブローデルの主張は、マルクス、ウェーバー、シュンペーターといった社会科学者たちの通説とは大きく異なるものだ。日本の大学で社会科学を勉強して、これらを常識として受け取ってきた者にとっては、やや違和感というか、よくいえば新鮮な印象を受けるのではないだろうか?
 マルクスの発展段階説を否定し、奴隷制、農奴制、資本主義は順番に出現したのではなく、同時性と共時性があると強調する(P.117)。マックス・ウェーバーのプロテスタンティズムが資本主義の推進力との考えを否定し、「世界=経済」が地中海から北ヨーロッパに移行した結果にすぎないとする(P.88)。シュンペーターのように起業家(アントルプルナー)を資本主義の推進力とはしない(P.85)。
 このように、ブローデルの歴史学においては、経済において歴史学と社会科学が結びつく。しかも、首尾一貫して「資本主義」と「市場経済」を区分して考えている。これは著者の主張のキモなのだが、一般の通念とは大きく異なっているので、著者の主張をすんなり理解するには、ためらいを感じるかもしれない。

 また、著者自らがいうように、「世界システム論」を説くウォーラースティンとは共通認識をもつが、ヨーロッパ以外でも世界は共存する複数の「世界=経済」に分割されていたと考える点においては異なるともいっている(P.106)。
 封建社会からゆっくりと崩壊して資本主義社会が出現した点において、西欧社会と共通しているのは日本だけであるという指摘(P.93)は、先行研究を踏まえたものだが、日本人としてはあらためてその意味を深く考えてみる必要があるだろう。

 訳注と解説を除けば、文庫本でたった145ページという小冊子であるが、ブローデルの到達点を語って、語り残すところのない凝縮された一冊である。
 簡潔すぎるのが強みでも弱みでもある「ブローデル歴史学入門」であるが、ブローデルについて語るなら、まず最低この本だけでも、腰を据えてじっくり読んでおきたいものだ。
 とくに、「資本主義」のまっただなかに生きるビジネスパーソンには、通説と異なる感想をもつとしても、ぜひ読んで欲しい一冊である。いま生きているこの時代が、いったいどういう歴史の流れのなかにあるかを正確に認識するためにも。

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家庭に一冊は常備すべき「防災と防衛のバイブル」。最悪の事態をシミュレーションし、国民の一人一人に心の準備を迫る本

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 スイス連邦政府が1969年にスイスの全家庭に配布した『民間防衛』。この赤い表紙の一冊本は、1970年にはじめて日本語版が登場したが、同じ時代の文化大革命時代の中国で一世を風靡した赤い表紙の『毛沢東語録』よりもはるかに重要でかつ生命力の長い、まさに家庭に一冊は常備すべき防災と防衛のバイブルであるといえよう。

 私が本書を初めて手にとって購入した15年前の1995年、それは「阪神大震災」に続いてオウム真理教による「サリン事件」が発生し、日本人の治安に対する不安と危機意識が一気に高まった年であった。「冷戦構造崩壊による平和の配当」などという脳天気なユーフォリアが一気に吹っ飛んだ年である。阪神大震災後の1995年2月に「新装版」として出版された本書は、続いて発生した「サリン事件」ともあいまって、大型書店には山積みとなっていたのである。
 その後、「ノドもと過ぎたら熱さを忘れ」がちな日本人から危機意識が消えてしまったのだろうか、書店の店頭からは消えて、しばらく品切れになっていた。、再び2003年に「新装版」がでたあとは、とぎれることなく売れ続けているようだ。本書の愛読者としては、たいへんうれしい限りである。

 スイスで本書が配布された1969年という年は、「中立国スイス」が、冷戦構造のもと、米ソいずれの陣営にも属さず、中立国としていかに自由と独立を守り抜くかという、国家の存在そのものにかかわる危機意識の高まっていた時代であった。国土防衛は徴兵された軍人だけでなく、国民全体の義務であるという意識がそれを支えている。そして、『軍人操典』と『民間防衛』が編集され、各家庭に配布された。

 構成は以下のようになっている。「平和」、「戦争の危険」、「戦争」、「レジスタンス」(抵抗活動)、「知識のしおり」。全体の3分の1強を占める「平和」の章では、核兵器や生物化学兵器といった人為的なものも含めた災害全般への対応をことこまかに詳述している。日本でも防災関係者ではすでに常識となっているそうだ。この意味においてはきわめて実用的だ。
 私には、むしろ「戦争の危険」、「戦争」、「レジスタンス」(抵抗活動)の3章が非常に興味深い。外敵によって国土が占領されるといかなる状況がもたらされるかだけでなく、「心理戦」(謀略・宣伝工作)や「経済的戦争」といった目に「見えない戦争」を含めて全面戦争についても、最悪の事態を想定し、考え得る限りの状況を書き込んでいるからだ。いわばシミュレーションによって、国民一人一人に「全面防衛」について心の準備をさせるのが目的であるが、何かに取り組めば徹底的にやらなければ気が済まないというスイス的な特性が全面に展開されている。
 沖縄を除けば、原爆を含めて都市への無差別爆撃以外には、地上軍による国土蹂躙を経験したことのない本土出身の人間にとって、外敵によって侵略され占領されるということはどういうことか、これについてイマジネーションを働かせるための、またとない訓練教材となっている。

 しばしば「陸の孤島」ともいわれる山岳国家スイスであるが、海によって国土を囲まれている日本とは環境がまったく異なる。スイスの地政学的な位置は、ヨーロッパ大陸の中心に位置し、ローマ帝国時代以来、地中海と大西洋を結ぶ陸上交通の要衝であり、「スイスの戦略的地位は他国にとって誘惑的なものである」という認識が本書にあるとおりだ。
 しかし、ナポレオン戦争の4年間を除いて以後、スイスは他国に侵略され占領されたことはない。これは、自由と独立を守るために払ってきた、スイス国民の覚悟の現れともいえるのだろう。同じく専守防衛の立場に立つ戦後日本だが、意識の違いはあまりにも大きい。
 元警察庁長官でスイス大使を歴任した國松孝次氏が、その著書『スイス探訪』(2003年)で書いているように、環境の変化によって、スイスの安全保障体制も大幅に再編されているらしいが、原典としての『民間防衛』意識には変化はないようだ。

 この本はイラストも含めて、なんかレトロな雰囲気を全編にかもしだしており、歴史的ドキュメントとしては意味があるが、やはりアップデート版がもしあるのなら見てみたい、という気持ちも強い。
 出版社には、「新装版」ではなく、「新版」をだしてほしいものだ。スイス本国で新版がでているのかどうかは知らないのだが。

 いずれにせよ、家庭に一冊は常備すべき「防災と防衛のバイブル」である。そしてまた、自由と独立をまもるための、「民主主義国家の国民教科書」でもある。

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紙の本複合汚染 改版

2011/05/01 15:13

いまこそ読むべき本。有吉佐和子ってこんなに面白かったのか! という新鮮なオドロキを感じる知的刺激に充ち満ちた一冊

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 知的刺激に充ち満ちた一冊。文庫本の600ページを全然長いと思わせない面白さ。最後まで読ませる、小説であって小説でないような、一人称語りのノンフィクション。

 いまからすでに、37年も前の作品だが、古さをまったく感じさせない。

 本書は、初版が1975年、元は1974年に朝日新聞に毎日連載されていた「新聞小説」だったというのは、さらにまたオドロキだ。「数年前から連載小説を書く約束をしていた朝日の学芸部に、私からお願いして、こういう内容だけれど必ず読者を掴まえて見せますからと公言して書かせて頂いたもの」(あとがき)だそうだ。

 1974年は石油ショックの翌年、「高度成長」時代を突っ走ってきた日本が、さまざまな問題をつうじて、高度成長のひずみが一気に噴き出した時代である。当時は「環境問題」ではなく、「公害」といわれていたが、カネミ油症事件や水俣病などだけでなく、日常的に光化学スモッグなどにさらされてきたのが日本人である。私自身も、子どもの頃にそんな時代を過ごしてきたのだが、著者の表現ではないが、世界から「人体実験」の場と見られてきたのも、けっして誇張ではない。今回の「原発事故」による放射能漏れにかんしても同じなのではないか、という気持ちにさせられるのである。

  殺虫剤、農薬、工場排水、排気ガス・・・。それらに含まれる一つ一つの化学物質についても、危険度が完全にわかっているとは言い難いのに、さらにそれらが「複合」しているのであれば「汚染」の度合いはいったいどうなのか? ほんとうのところ、いまだによくわかっていないのだ。

 読んでいて思うのは、この国の「近代」とは、いったいなんだったのかというため息にも似た感情だ。農業もふくめてすべてを「工業化」するという発想にもとづいた政策。この政策はが現在でもまったくゆるまることがないのは、「原発事故」に際して露呈した、監督官庁と産業界と御用学者との癒着に端的にあらわれている。一言でいえば「消費者不在」に尽きる。果たしてこの国は先進国といえるのだろうか??

 有吉佐和子の作品は『恍惚の人』など、タイトルのうまさが流行語になるので、名前は知っていたが、じつはいままでまったく読んだことがなかった。本書は、有吉佐和子ってこんなに面白かったのか! という新鮮なオドロキを感じる本である。

 著者は、この本を書くために参考文献を300冊以上読み、何十人もの専門家に会ったという。これだけの筆力のある作家が、自分が生きている時代に起こっていることに対して、問題意識と好奇心のおもむくままに突撃取材を積み重ねた内容。これが面白くないはずがない。そうでなければ、科学技術と工業、そして農業や漁業との関係を扱った本が当時のベストセラーとなっただけでなく、現在でもロングセラーとして読み継がれているはずがない

 さまざまな感想をもつことは間違いない。それだけ、知的な満足感の強い、面白い作品なのである。

 化学物質による「複合汚染」だけでなく、さらに「放射能汚染」問題が加わったいまこそ、ぜひこの機会に手にとって読み始めてほしいと思う。

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紙の本三陸海岸大津波

2011/05/01 14:40

「3-11」の大地震にともなう大津波の映像をみた現在、記述内容のリアルさに驚く

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「3-11」の大地震にともなう大津波。被災者として直接体験していない多くの人もまた、すでに膨大な数の映像を見て津波という自然現象のすさまじさを、アタマとココロに刻みつけられた。

 この映像視聴体験を踏まえたうえで本書を読むと、すでに明治29年(1896年)と昭和8年(1933年)におこった三陸海岸大津波において、今回2011年の大津波とほぼ同じことが起こっていたことを知ることができる。

 とくに「明治29年の津波」。当時は、文字通り「陸の孤島」であった三陸地方の受けた津波の被害があまりにもナマナマしい。文字で追って読む内容と、今回の津波を映像で見た記憶が完全にオーバラップしてくる。

 津波の犠牲者のほとんどは溺死したわけだが、溺死寸前で生還した体験者の語った内容を読むと、あまりものリアリティに、読んでいる自分自身が、水のなかでもがき苦しんでいる状態を想像してしまうくらいだ。これは、高台から撮影した映像からは、けっしてうかがい知ることのできない貴重な証言である。

 文明がいくら進もうと、地震と津波は避けることができない。防潮堤すら越えてあっという間に押し寄せてくる津波。地震予知が進歩したと思ったのも幻想に過ぎなかったことがわかってしまった。いや、すでに1934年に寺田寅彦が書いているように、文明が進めば進むほど被害はかえって大きくなるということが、残念なことに今回もまた実証されてしまったのだ。

 今回の大津波の生存者の証言も時間がたてば集められ、整理されることになると思うが、おそらく明治29年のときのものと大きな違いはないのかもしれない。本書じたい、いまから40年も前の出版だが、まったく古さを感じないのは、自然の猛威を前にしたら、たとえ文明が進もうが、人間などほんとうにちっぽけな存在に過ぎないことを再確認したことにある。

 まだまだ、これからも読み続けられていくべき名著であることは間違いない。はじめて読んでみて強くそう感じた。

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「資源をもたざる国」日本-いま改めて振り返って知る、「エネルギー自主独立路線」を貫こうとして敗れた田中角栄の闘い

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 資源をもたざる国、日本。1970年代はじめ、日本の繁栄にとって不可欠な資源エネルギー確保のため、自ら先頭にたって熾烈な資源争奪戦争に飛び込んだ男がいた。日本の首相であった田中角栄は、超えてはいけない一線を超え、そして敗れ去る。

 田中角栄が政治目標として作ろうとした「一億総中流社会」。彼の政治姿勢は、上から目線ではなく、あくまでも一般庶民の「モノと生活」を豊かにするという考えが根底に発していた。
 その角栄にとっての一大テーマが、資源エネルギー確保であった。石油、そして原子力の燃料であるウラン。資源国でない日本が「モノと生活」を豊かにするための前提が、資源エネルギーの安定的な確保であり、そのための方法論が資源調達の多角化であった。
 資源エネルギー確保のための外交を政治目標としてプライオリティをおいた角栄は、精力的に外遊し、各国の首脳とトップ会談を行い、次から次へと話をまとめていく。
 しかし勢力地図の確立した石油の世界はもとより、新しいエネルギー源で勢力地図がかたまっていないウランの世界は、権謀術数渦巻く激烈な世界であった。そのなかでやり抜くには日本も、角栄もまだまだ未熟だったのかもしれない。

 軍事用の「核」と不可分な、民生用の「原子力」。ウランをめぐる資源戦争においては、ロスチャイルドの欧州、ロッックフェラーやモルガンの米国との死闘を覚悟しなければならなかったわけである。獰猛なプレイヤーが資源の覇権を争って死闘を繰り広げる世界のなかで。

 「ロッキード事件で角栄はアメリカにやられた」、「角栄はアメリカの虎の尾を踏んだのだ」、という陰謀説は以前からまことしやかに語られてきた。この説の当否については確証はない。しかし、軍事的には米国の傘の下にありながら、エネルギー問題において自主独立路線をとろとした角栄が、米国の虎の尾を踏んだことは間違いない。
 資源を巡ってなりふり構わぬ姿勢で国益を追求してきた米国。本書でも一章をさいて詳しく描かれている、インドネシアのスハルト軍事政権誕生と米国による資源権益確保のウラ事情は、国益を賭けた国際政治の実態とはこういうものなのだ、と平和ボケした日本人に強い印象をもって迫ってくる。
 軍事戦略と密接に結びついた、この米国の資源エネルギー戦略は、日本の国内政治事情とも複雑にからみあってきた。

 田中角栄の直弟子である小沢一郎と、政治家人生の第一歩を田中派に身を置いた鳩山由紀夫が率いる民主党政権。自民党の岸信介=福田赳夫ラインに連なる小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫。
 「派閥」で単純化するわけではないが、国際政治とのかかわりのなかでみた、民主党政権の今後の方向性を見極めるためにも、本書を読む必要があるといえる。角栄の「失敗」から何を学んだのか、あるいは学んでいないのか。
 また、核廃絶(グローバル・ゼロ)に踏み切ったオバマ大統領のシナリオを書いたのが、資源エネルギー問題で田中角栄を追い詰めたキッシンジャーであることは、記憶しておかねばならない。共和党の国務長官を務めたキッシンジャーはいったい誰の利害のもとに動いているのかを。

 まことに時宜にかなったテーマの内容の出版である。
 熟読する価値ある、中身の濃い、著者渾身の一冊だ。

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紙の本国をつくるという仕事

2009/08/03 22:33

真のリーダーシップとは何かを教えてくれる本

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 元世界銀行南アジア担当副総裁が書いた、貧困撲滅のための戦いの現場体験を描いた回想集。
 「思い出の国、忘れ得ぬ人々」というタイトルで、雑誌『選択』に連載されているときから愛読していた。こうやって単行本としてまとめられ一書となったことは喜びに堪えない。ぜひ多くの人に読んでほしい。

 世銀副総裁の回想といっても、功成り名遂げた人の回想録とはまったく性格を異にする。

 世界銀行のミッションは「貧困なき世界をつくること」、このミッション実現のため、各種のプロジェクトへの融資をつうじて、当該国の民衆の自立のために必要な支援を行うのがその仕事である。加盟国の国民すべてが株主であり、また受益者でもある。
 金融機関として、市場から安く調達した資金を、金融市場が効率的に機能しない発展途上国で、低利の長期融資を実行する。
 著者が責任者としてカバーした担当地域は南アジア、すなわちインド、パキスタン、スリランカ、バングラデシュ、モルディブ、アフガニスタン、ネパール、ブータン、その多くが第二次大戦後、独立を勝ち得た"若い"国々である。

 「国づくり」の中で置いてきぼりにされたのが国民、その中でも大多数を占める貧困層である。貧困問題の解決を行わない限り、ほんとうの「国づくり」からはほど遠い。なぜなら、貧困は人間から希望を奪い、国民としての参加意欲を削いでしまうからだ。
 一部の特権階級が潤うだけでは、国全体としてのチカラが生まれてこない。貧困を撲滅するために行われてきた国際援助が、本来の意図に反して政治家の汚職、腐敗の温床となってきたこともまた事実である。

 世銀は援助機関ではなく、あくまでも金融機関であり、貸し倒れリスクを最小にしなければならない義務がある以上、融資を実行するに当たっては、さまざまなリスク、とくに長期的なカントリーリスクに対する厳しい目も必要とする。
 著者は、マスコミの評価、その国の政治家の説明は決して鵜呑みにせず、自ら農村やスラムに足を踏み入れ、ホームステイし民衆と語らい、貧困問題とその解決策が、かならず「現場」にあることを、つねに確認してきた人である。

 「国をつくるという仕事」は、あくまでも草の根の国民の立場に身をおき、私利私欲を離れた立場から一般民衆のために奉仕するよきリーダー、よき統治(ガバナンス)があってこそ実現する。
 よきリーダーの補佐役を行うのが世銀であり、また著者自身の役割であると認識、問題を直視したうえで、ときには政治家を叱咤し、民衆のリーダーの熱い思いと行動に何度も涙してきた。経済学博士である著者自身が、経済学でいう "Cool head but warm heart" (アタマはクールでココロは暖かい)人なのだ。

 草の根の民間人であれ、一国の最高指導者であれ、よきリーダーの特質とは言行一致していること、あくまでも一般の民衆のために奉仕することを念頭においている人のことだ。
 本書を読んでいて何よりも強く印象に残るのが、ブータンの前国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク雷龍王4世である。あるべき理想のリーダー像を示して素晴らしいの一語に尽きる。
 しかしながら、著者はブータンの抱える最大の政治問題である、ネパール系ブータン人難民についても多くのページを割いて言及している。けっしてブータン礼賛には終わらせないところに著者のバランス感覚をみる。

 そしてまた著者は、現場で得てきた貴重な経験を、自らが属する世銀の組織にフィードバックし、ビジョンを共有し、ミッションを組織の隅々にまで浸透させるための「組織文化改革」をやり抜いた。できればこの点をもっと詳述してほしかったとも思う。

 本書は、発展途上国や南アジアに関心をもつ人にも、貧困問題に関心のある人にも、ビジネスパーソンにも、社会起業家にも、ぜひ読むことを薦めたい。
 あるべきリーダシップや、あるべき組織のありかたを考える際に、必ず大きなヒントを与えてくれるはずである。
 

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紙の本「空気」と「世間」

2009/07/27 09:56

日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」・・・日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?

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 日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」、すなわち 「世間」 と 「空気」 について、自らのアタマで考え抜いて、しかもわかりやすくていねいな説明を試みた本。しかも処方箋つきだ。

 著者は脚本家、演出家として、長い期間にわたって、さまざまな年齢層の日本人と接してきた。
 若い人たちが「空気」を読めないために感じている苦しみにも多く接してきた。そしてまた、息が詰まる、うっとおしい 「空気」 の中でどう生きていくかという、自分自身の悩みもあった。
 「空気」について考える中で出会ったのが、同じく日本人を無意識に支配している「世間」についてであった。

 本書において初めて、いままでまったく接点がないと思われていた阿部謹也と山本七平が合体したのである。
 すなわち、ドイツ中世史を専門とする歴史学者であった阿部謹也の「世間」論と、評論家でかつ聖書学関連の出版社を経営していた山本七平の「空気」論である。
 これによって、しっかりとした現状分析が可能となり、また解決策と処方箋も視野に入ってきた。

 日本語を使い日本人社会に暮らす日本人は、誰もが避けて通ることのできない 「世間」 と 「空気」。これは海外にいても同じことだ。
 「世間」はその中にいるとうっとおしく思う反面、その暗黙のルールに従ってさえいれば自分を守ってくれる、という2つの側面をもっている。
 とくに経済的な安心感が精神面の安心感を約束していた時代には、「世間」は強固な存在であった。

 「しかしながら世間は壊れている、しかも中途半端な壊れ方だ」、これは著者の基本姿勢である。
 社会学者の宮台真司もフィールドワークをつうじて、すでに同様の指摘を行ってきたが、大都市だけでなく、地方都市でも「世間」はすでに壊れている。
 とくに2000年以降、「年功序列」と「終身雇用」という日本的経営の重要な要素が崩壊を始め、その結果、「世間」としての会社がもはや従業員とその家族を経済的に守ってくれる存在ではなくなっている。
 また2008年のリーマンショック以降の大不況は、さらに「世間」の崩壊スピードを加速させている。

 壊れた「世間」にかわって現在の日本人、とくに若い人たちを支配して猛威をふるっているのが「空気」だという指摘は、実に納得いくものである。
 安定した状態ではその組織なり人間関係の中で「世間」が機能するが、不安定な状態では「空気」が支配しやすい。 「世間」が長期的、固定的なものであるのに対し、「空気」は瞬間的、その場限りの性格が強い。
 著者は、「空気」とは「世間」が流動化したものだ、という仮説を示しているが、これは卓見であろう。
 
 では日本人は 「見えざる2つのチカラ」・・・日本人は 「世間」 と 「空気」 にどう対応して生きるべきか?
 ここから先の処方箋は、実際に本を手にとって直接目をとおしてほしい。
 
 安易な結論を求めがちな世の中だからこそ、著者の議論に最初のページからつきあってほしいのだ。
 平易な表現で語りかけている本だからこそ、自分自身の問題として自分で考えるための「手引き」になるはずだ。
 そして自分自身の処方箋を書いてほしい、と思う。

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紙の本昭和16年夏の敗戦

2011/08/16 10:22

シミュレーション(=机上演習)で対米戦争が「敗戦」に終わることがわかっていながら・・

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 今年(2011年)は、日本が大東亜戦争に突入してから70年目にあたる。70年前の昭和16年(1941年)8月16日、それは奇しくも敗戦からちょうど4年前であったが、じつはシミュレーション(机上演習)によって、敗戦が必至であることが明らかになっていたのだった。
 本書は、このシミュレーションが行われた「総力戦研究所」と、そこに集められた若手官僚たちの体験をノンフィクションとして描いた作品である。

 英国をモデルにして内閣府直属の機関として1940年(昭和15年)に設立された「総力戦研究所」。省庁事のバラバラな意志決定主体では、第一次大戦以降に主流となった「総力戦」を戦い抜けないという危機感のもとに設立されたのがこの「研究所」だ。
 翌年4月に集められたのはキャリア10年程度の軍民の中堅官僚たちと民間人であった。官僚からは、陸軍、海軍、大蔵省、内務省、外務省など、まさに国家を背負っているエリート中のエリート。民間人からは通信社や日本郵船など財閥の中核企業から集められた。同じ釜のメシを食い、同じ授業を受け、同じ体育の授業を受け濃密なコミュニケーションが図られた。派遣元の官庁に戻った際に、連携プレイをとることが期待されていたからだ。

 理想主義に走りがちな20歳台の学生でもなく、経験知にみちた40歳台の中年でもない、まさに現役バリバリの年齢の30歳台前半のエリートにとって座学は面白いものではない。このためあらたに導入されたのが、「模擬内閣」による「総力戦シミュレーション」であった。これは参加者たちにとっては面白かっただろう。ある意味ではロールプレイングですらあるからだ。
 軍事の戦術研究ではあたりまえの図上演習が、「総力戦」という国策の研究に応用されたのは画期的な試みであったらしい。そしてあらゆる予断を排して、客観的な数字に基づいてシミュレーションを行った結果が、なんと「日本敗戦」だったのだ。

 しかしながら、シミュレーション結果は、政策の意志決定に活かされることはなく、「つくられた数字」を根拠にして開戦に踏み切った日本は、シミュレーション結果とほぼ同じ軌跡を描いて最終的に破綻してしまう。 さまざまな証言と資料によって復元されたその内容は直接本文を読んでいただきたいが、このくだりを読んでいくと、まさに何ともいえない気分になる。それが1941年(昭和16年)8月16日のことだったのだ。

 本書が単行本として出版されたのは1983年。その当時の日本の統治機構の問題点についてもきちんと言及しており、いま読んでも古さをまったく感じさせない。しかも、昭和16年当時の東條英機首相について、一方的に断罪するような姿勢をいっさい見せない著者の公平な視点にも感服する。

 本書の主人公たちと同年齢の30歳台の人間には、とくに読んでじっくり考えてもらいたい作品である。この本を書いたときの著者も36歳だったのだ。かならず問題意識は共有できるはずだろう。

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