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  3. 吉野桃花さんのレビュー一覧

吉野桃花さんのレビュー一覧

投稿者:吉野桃花

53 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本

紙の本体は全部知っている

2001/01/19 13:05

理由はないけどわかっちゃう

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 状況や現実はちっとも変わってないのに、ある日突然、ふっと悩みが消えたり、なーんだそういうことだったのかと気付いたり、といった経験はありませんか?
 何って理屈はないんだけど、感覚でわかっちゃった、ってこと。
 そういうふとした、小さな小さな気付きの物語がたくさんつまった短編集だ。ガラスの壜のなかに緻密につくられた、手の届かない美しい世界を眺めているような。ほこっと心があったまる。

 好きなことをしているはずなのに心が苦しい。その時は楽しいのに、後でなんだか“またくだらないことしてしまった”と後悔のような気持ちがわいてくる。“あーあ、くっだらない”と倦怠感があるとき、あなたの体は何かに気付いているのだ。それを、そうか!と意識的にするだけで、ずいぶん生きやすくなるような気がする。
 ほんとうは身体感覚で、どうすればいいのかちゃんと感じているのに、理屈で頭でっかちになっているだけなのだ。
 私は、進学とか結婚とか、まあ人生の節目と思われる時点で、相当わがままに自分の感覚を押し通した。それを選んだ理由は、あると言えば沢山あるし、特にないと言えばないのだ。ただもう“そうなる”と確信を持っていただけで。何故と言われても、そうなる私の姿しか見えないから、というような抽象的な感覚だけで。
 しかし、それで良かったと思っている。自分の感覚で決めたぶん、何が起ころうと落とし前は自分でつけるという覚悟はしっかりあるからだ。
 あ、ちょっと“オレ様”的ですね。ははは。でも、自分のそういうところはかなり好きなの。

 なかの一編「田所さん」は、他のお話とちょっと感じが違うんだけど、とても心に残った。
 「私」が働く会社には、田所さんという「この人は一体何?」という人がいる。田所さんは、これといって仕事をしないまま、でも必ずそこにいる。“少し脳があやしい”のだけど、社長が幼いころとても世話になったので、恩返しにきてもらってる、という状況だ。
 そんな調子なので、田所さんはみんなの不機嫌の恰好のぶつけ場所であったりもするわけだが、後で落ちついてみると田所さんに悪かったと思う。彼が休んだりすると、何故だか心配になる。「田所さんなんか、経費の無駄じゃないですか。」なんて、真面目に言い出す人は誰もいない。八つ当たりや心配の対象になりながら、田所さんは(彼自身は何かをしているという意識もなく、ただそこにいるだけで)みんなの心をやわらかく優しくしてくれるのだ。
 こういう話は、なんだかきれい事っぽい気もするし、人によっては差別的と感じるだろう。だけど、そうではないのだ。“少し脳があやしい”人をそのままに受けとめて、言いたいことをいい病気のときには心配し、彼の心のバランスが崩れないように気を使う、というのは全く普通の人間関係なのだと思う。
 バカにしているのではない、過剰に保護者的立場で接するわけでもない。ただ単に、そういう人だ、というだけのこと。普通に素直に関係をつくるという当たり前のことの素晴らしさよ!

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紙の本

紙の本希望の国のエクソダス

2001/01/16 13:50

とにかく”今”これを書いたことにリスペクト!

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 2002年、80万人の中学生が学校を捨てた。
 彼らは、ASUNAROというネットワークを作り(組織にあらず)ネットビジネスにより巨額の利益を得て、それを元に職業訓練施設を作る。自分たちの生活を自分たちで作りだしていくのだ。そしてASUNAROは、北海道の野幌に移住し、ひとつの自治体を作り上げてしまう。

 経済力さえあれば、いとも簡単に自立できてしまう、と改めて思った。ASUNAROの中心人物、ポンちゃんがコンピュータをネットを知らなかったら、単なる中学生の反乱として終わってしまっていただろう。嫌だ嫌だと思いつつ、また学校に吸収されていたに違いない。
 文句を言って暴れているだけでは、何も変わらない。そしてまた、その利益を自分たちの未来のために使う、という頭の良さがなければ、単にお金儲けて全部使っちゃいました、ってことになるだろう。

 それにしても、“金”を手にして強引に自立しなければ息がつまって死にそう、という強い閉塞感は一体何だろう。ポンちゃんは言う。
「この国には何でもある。ほんとうに何でもあるんです。ただ希望だけがない。」
 それは、この国は未来のためにお金を使ってないからじゃないだろうか。今を維持するために、未来に膨大な借金を積み重ねているだけの状態。

 “既得権益”という言葉が数回出てくるのだけど、これはキーワードだと思う。政治家はもちろん国民すべてが、既得権を手放しても構わない、と思わないときっとこの国は変わらない。(今も選挙の名簿方式を変える変えないでごちゃごちゃやってるけど、それは“より良い政治のため”じゃなくて、今自分が持っている利権を失いたくないってだけだ。)
 よく“痛みを伴った改革を”と聞くが、どこが痛んだんだか、まあまあって丸く収まっちゃって何も変わってない、ってこと多いでしょう?国だけじゃなくて、会社でもそうでしょう。

 村上龍が未来への希望のかけらとして示したのは、「既得権に拘らない」「自治体としての自立」「メンタリティを変える」この3点だと思う。「メンタリティを変える」というのはこういうことだ。
 ASUNAROは北海道の次に沖縄への移住を計画する。何故北海道と沖縄なのか。北海道や沖縄の人たちに何か特別なものがあるのか。主要人物である中村君はこう言う。
「逆で、普通の日本人が欠如しているんじゃないかと思うようになりました。それが何かうまく言えないんですが、要するに、上の人にペコペコして、下の人には威張る、というようなメンタリティです。そういう醜いメンタリティをどういうわけか北海道と沖縄の人は持たずに済んでいるんです。」
 日本中がそうなれば、国としてかなりの良い変化があるんじゃないだろうか。
(そういう日本人の悪しきメンタリティについては、島田荘司の著書が秀逸なので、興味ある方は是非読んでみて。笠井潔との対談「日本型悪平等起源論」(光文社文庫)とか「龍臥亭事件」(講談社ノベルズ)なんかがおすすめです。「龍臥亭事件」は御手洗シリーズのミステリだけど、島田氏の日本人論がたっぷり楽しめます。)

 しかし、子供が自分たちで希望を作っていかなきゃならないなんて、ほんと大人は不甲斐ない。
 私自身、子供達に対して何ができるのか。何をするべきなのか。これといった答えはないんだろうけれども、考えて実践してかなきゃまずいだろう、という気持ちになった。

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紙の本

紙の本雪月夜

2000/12/22 17:36

宿敵と書いて友と読む

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 根室。1年の半分は雪に埋め尽くされた街。
 そこでひっそりと暮らす幸司のもとに、幼なじみの裕司が姿をあらわしたことから、金と血にまみれた物語は始まる。
 幸司と裕司は、若い頃根室を飛び出し、東京の右翼団体に所属していた。しかし、幸司は途中で故郷に帰り、裕司は東京でヤクザになる。幼なじみで今までの人生の大半を共に過ごしていながら、お互い二度と会いたくないと憎しみ合っていた二人の再会。
 裕司は、組の金を持ち逃げした男を追ってきた。そして、その男を捕まえられたら分け前をやろう、と餌をちらつかせて幸司に協力をせまる。お互い信用などしてないことは分かっている。最後には、俺がひとり占めだ、と思っている。
 情報を得るために、金をちらつかせて地元のヤクザに接触したり、金の匂いをかぎつけた奴らが寄ってきたりと、大騒ぎの結果、最後はいつものように血まみれの結末。

 以前『虚の王』を読んだときに、“馳星周が書く、他の街も読みたい”と感想を書いたんだけど、いやあ、根室とくるとは。漁業の街って、猥雑でいかわがしい雰囲気がするものだ。自分が小さな漁港の側に住んでいたから、なんとなく分かる。
 日銭が入る商売をしている人は、やはり決まったサラリーで暮らす人々とは違う。それプラス、根室にはロシア人が大勢いる、領土問題もある。そして雪。雪の冷たさが、今までにない雰囲気を作りあげている。

でも、雪の冷たさとは裏腹に、この『雪月夜』、今までの作品と比べて暖かい。感情の交流が全く感じられない、殺られる前に殺る、というのとはちょっと違うのだ。憎しみ合い、お互いに“殺してやる”と思っている幸司と裕司の間に、友情のような、断ち切れないつながりがある。まるで「スケバン刑事」のサキと麗巳のような(サキが刑事で、麗巳が悪の花。サキはずっと麗巳を追っていた)。サキと麗巳の最後の戦いで、麗巳がいう“あたしは今、人生に感謝している。一生に一度、会うことがあるかどうかという敵にめぐり会わせてくれた人生に…。”というセリフを思い出さずにはいられない。
 戦うことで、憎しみあうことで、はじめて充足感を味わえる関係。そして、その相手は決して他の人ではダメなのだ。うーん。今までの殺伐感とは一味違うぞ。
 先週「トップランナー」に馳星周が出演したのを見た。何故こんなに殺しちゃうのか?という質問に、やはり“ハッピーエンドの小説はいっぱいあるから、そうじゃないものを書きたい”“外国の暗黒小説の影響も受けている”と答えていたけど、それは表向きの理由なんじゃないかあ?と思えてきた。(もちろんウソではないだろうが。)
 『雪月夜』を読んで、ほんとはすっごく熱く人間というものを考えているんだけど、それを直球でぶつけるのは気恥ずかしいから、じゃ殺しちゃおう、って感じなんじゃないか、って気がしてきた。
 この作品は、後年振り返ったときに、馳星周の中でなんらかのポイントとなる作品だと思う。

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紙の本

紙の本ビタミンF

2000/12/22 17:34

ちょっとくたびれてはいるけど、つまんない大人ばかりじゃないんだ

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 30代後半、自分がもう若者ではないことを承知しつつも、中年とは思いきれない、そんなおじさんが“もう大人なんだ。俺は大人として生きる!”と決意を固める、そういう雰囲気の短編集。

 これを読みながら、私はあるCMの映像が浮かんできた。
 何のCMだか分からないんだけど、時任三郎が、“うっせーよ。オヤジ”というガキの肩をぐっと掴んで、“オヤジじゃない。大人なんだ。”というやつ(私これすごく好き)。

 大人なんて嫌だ!とうだうだ拗ねて若ぶってるより、シャキっと“大人だよ”って立ってるほうが、どれだけカッコイイか、しみじみとほんわりそれを感じさせてくれる短編集である。ガキにはこの短編の良さはわかるまい。
こういう良いものを読める、分かる、大人になるっていいことだ、ほんとに。
 子供が、大人っていいなあ、って羨ましがるような楽しみは沢山あるのだ。
 “もうオヤジだからさあ”っていうのは、若さに対する羨ましさが見え隠れする。ガキはそういうの敏感に嗅ぎとってバカにするんだ。“大人だからね”って、キリッとしていたい。
 もちろん、大人としての内面をきちんと持つよう努力しなきゃ。

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紙の本

紙の本嫌われ松子の一生 上

2004/10/06 19:00

端から批判することは簡単だが、どんな人生にも思いがある

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故郷で教師をしていた松子は、ある事件をきっかけにクビになり失踪してしまう。数十年後、故郷にその安否が知らされたのは、松子が殺害されたという一報だった。松子の甥の笙は初めて伯母の存在を知り、その身辺の整理を頼まれたことをきっかけに松子の一生を追い始める。

絵に描いたような転落劇である。失踪から亡くなるまでのフローを作ったら、すごく簡単に作れてしまう。どのポイントで間違えたのかが明白なのだ。とにかく松子は、人生において決定的なポイントで行っちゃいけない方ばかり行く。自分でこの方向に行こう!というのがなくて、自分で選んだようで人の思惑に乗せられてばかりなのだ。自分はこうしたいというのはないのに、一旦ある場所に落ち着いてしまうと妙に真面目に取り組んでしまう。
この物語を読んで思ったのだが、芯のところでは真面目に自分を考えているけど毎日の生活や仕事はぐちゃぐちゃ、というのと、自分の芯は持ってないけど指示されたり追い込まれたりしたら妙にそれを毎日真面目にやる、っていうのとで、どっちがどん底まで落ちないかといえば、前者なんだろうな、ってことだ。くだらないことや、やんなくてもいいことを真面目にやってしまって気付いたらどん底(例えばヤミ金を真面目に返しちゃう人とか。借りるのが悪いと言えば悪いのだが)、となるのが後者なんだろう。

それでも、読後じめじめした嫌な感じは残らなかった。暗い話を読んでしまった…、ってぐったりくる感じがない。何故だろう。
それは、現在の笙の捜索の様子と松子の一人称によって語られる過去が交互に出てくるという構成にあると思う。笙が調べて明らかにできた松子の生活。そして実際の松子の生活、思い。積み重ねられていくうちに、松子のすべてを知りたくなってくる。笙の存在は大きい。最初面倒だなあと思っていた彼も、伯母がいたこと、その生き様に、どんどん引き込まれていくのだ。笙に引っ張られて私も引き込まれて行く。知れば知るほど滅茶苦茶なんだけど惹かれる。
そして犯人は誰なのか? ラスト、犯人に対する笙の憤りと伯母への気持ち、そして松子が決して不幸な気持ちのまま、自分の人生の齟齬を全部人のせいにしたまま亡くなったのではないことが、この物語を単なる悲惨なミステリーではないものにしている。このラストでなければ、松子は単なる愚かな女で、読後感は気分の悪いものになっていたと思う。

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紙の本

紙の本犯人に告ぐ 1

2004/11/24 15:10

理論と情の間で

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最も冷静にかつ的確に判断し仕事を進めていかなければならないのが、警察、教師、医者といった職業だろう。ある意味個人の感情をすべりこませない方がいいとさえ言える。かわいそうだ、見ていられないなどとなっていては仕事にならないが反面、猛烈に批判されるのもその点だ。他人事だと思って。被害者の、家族の気持ちを何だと思っているんだ。
私は常々このような職業についた人の決断ってすごいなと思う。人々のためになくてはならない仕事だけど、一度でもミスすれば強烈な批判にさらされる職業によくぞ!と。そこまで考えて決心する人は少ないのかもしれないが。私がそんな緊張の連続の仕事についてたらとてももたないだろうと思うので、少なからず感謝の気持ちがあるのだ。

ある誘拐事件でのミスで一線から外された巻島が、6年ぶりに呼び戻される。連続男児殺人事件の解決に向け、神奈川県警は前代未聞の作戦を開始する。その前面に立つ役者として巻島は呼ばれた。
犯人を追い詰めることばかりに気がいくと被害者の感情を損ねることになったり、だからといってお気の毒です分かります、あなた方の嫌だということは一切やりませんとか言っていたら捜査は進まない。個人的な家庭の状況が影響して感情的になることもある。そのバランスがうまく取れずに6年前の巻島は失態を演じてしまったのだ。今回はどう対応していくのか。

犯人逮捕。その気持ちは警察も被害者も変わらないはずだ。その2者だけならある程度嫌なことを堪えての両者の協力も可能なのじゃないだろうか。ここにマスコミが入ってくるから話はややこしくなるのだ。最もらしいことを言いながら、警察にとっても被害者にとっても報道されたくないことを我先にと争って流す。報道の自由の名のもとに。自由がときには暴力的だということはみんな知っていると思うのだけど。事実でも言う必要のないことは沢山あるのだ。

ラストの巻島には、本当になんて重いものを背負う職業なのだろう、という思いでいっぱいだった。もちろん理や利に逃げてやり過ごすという職業人生もあっただろうが、巻島は自分を許さなかった。犯人を追うということを止めなかった。こういう真面目さってあまり人にわかってもらえないよなあ、本人もわからせまいとしているようなところがあるし。かっこいいヒーローではない。でも、犯罪を許さないという強い気持ちが胸を打つ。
捜査における理性と人間としての感情。このバランスがこの物語のミソだ。作者が強く結末を限定していないので、読者それぞれの感想が出てくる物語だと思う。私は、ぽっと灯る蝋燭の火のような安堵を感じる読後だった。

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紙の本

紙の本池袋ウエストゲートパーク

2001/07/26 16:54

断片的な語り口が心地よくサラサラと読める

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 ヒーローであるマコトがすごくかっこいい。どのチームにも属さず、けれど一目置かれている存在。
 売春していた女の子が殺されたり、地元のやくざとのからみがあったり、チーム同士の抗争騒ぎがあったりと、穏やかではないのだけど、何故か爽やかなのは、マコトがヒーローとして描かれているからだ。
 中立の立場でありながら顔がきく、というのは現実ではなかなか有り得ないことだ。しかし、マコトはこの物語のなかで、生き生きと「ひとり」で動いている。「ひとり」でありながら、みんなのため街のために動くのだ。これに魅かれずにいられようか!
 また、マコトが池袋で生まれ育ったというのも重要なポイントだ。自分もやんちゃはしているけど、このオレの街を、なんだか訳のわからないものがぐにょぐにょしている街にはしたくない、という気持ちが、ぐっとリアルに感じられる。
 プツプツと断片的に語られる物語なのだけど、物足りなさはないし、状況がわかりづらいということもない。
いつの間にか、登場人物それぞれのキャラクターも人間関係も、すっと頭に入っているのである。とっても読みやすい。
 物語の筋も面白いが、それ以上に文章を読む心地よさを味わえた。
 これはドラマ化されたが、その時は「チームの話なんて見たくもない」と全く見なかった。ドラマにも、このすうっとする爽やかさがあったのだろうか。もしそうだったら、私は大変損をしたと思う。

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紙の本

紙の本手業に学べ 地の巻

2001/01/16 13:45

ただ生きる、ただ作る、その素晴らしさ

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 全国各地の伝統的な技を持った職人から話を聞いた、聞き書きの本。著者の意見や考えは、あとがきで少し述べられているだけで、本文はすべて職人さんの語りという形で書かれている。もちろん実際にはインタビューしたのであるから、著者の質問によって引き出された言葉なのであろう。(講演のまとめの場合もあるが)がしかし、インタビュー形式で書かれていないところが、うまいなあ、と思う。職人さんそれぞれが、問わず語りにぽつぽつと話しているような、そういう雰囲気がいい感じである。

 蔓細工や織物に特にひかれた。みなさん材料からすべて自分の手で作るのだ。1年の生活のサイクルの中で、何月にはこれをする、というのがきちんと決まっている。自然に逆らわず、その時々の様子を見ながら、材料を揃え作品に仕上げていく。そうして人が手仕事でできる範囲のことをやるだけなら、いくら蔓をとってこようと自然破壊になんかならないのである。
 織物に使う糸だって、自分で材料を育てちゃうんだから。そしてやはり自分の手でできる範囲を逸脱しない。「手仕事でできる範囲」を守っていれば、充分自然と共生できるのになあ、と感じる。
 でも、それは綺麗ごとにすぎないとも、同時に思う。職人技は日常ではなくて、もはや芸術工芸品としてしか生き残らないのは事実。というぐるぐる考えが回っちゃいそうなことは置いておいて。
 ただもくもくと物を作っている人の話はやはり面白い。何故かみなさんに共通しているのは強い自己主張がない、ということ。「なーんかね、こうなっちゃったんだよ。」という感じで。いちいち、自分の才能は何かとかどう生きるべきかとか、考えるのはナンセンスなのかも、という気がしてきた。
 そういうものは、ちゃんと前を向いて生きてたら後からついてくるんじゃないか?はじめっから決めてスタートする必要はないんじゃないか?

 この「手業に学べ」は他に、天の巻、風の巻、月の巻、とある。私はわりに手仕事の方に興味があったので、ヤマブドウ蔓細工、芭蕉交布、杞柳細工などが載っている本書を読んでみた。ご自分の興味に合わせて、ぱらぱらめくって見てはいかが?

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紙の本

紙の本ダイバー漂流極限の230キロ

2000/12/22 17:38

生命力の強さとは余計なことを考えないことかもしれない

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 身ひとつで、新島から銚子沖まで流されたダイバーの生還までのルポ。

 ダイビングって、リスクの大きいスポーツなんだなあ、と初めて知った。いい加減なことをしてたら死ぬ可能性があるということを、いつも強く意識してなければならないスポーツ。
 潮のきつくないところで浅く潜るだけなら危険は少ないんだろうけど、もっと難しいところに挑戦したいという、初心者レベルを脱したころ、危険はぐんと大きくなるようだ。

 ひとり船から離れた場所に浮かび上がってしまった福地は、流れの速い黒潮につかまり、あっという間に船からはるか離れてしまう。最初は、こうして浮いていれば、すぐ救助がくるだろう、と呑気にしていたのだけど、いっこうにその気配はない。こうして、流されていることを仲間は分かってくれているのだろうか。次第に不安と焦燥が襲ってくる。

 漂流者のほとんどは、水も食料もあっても、絶望のあまり3日以内に絶望して自殺してしまうという。
 しかし、この福地さん、豪胆というか呑気というか。強い精神力、というような気取った言葉ではしっくりこない“鷹揚さ”がある。
 まず、死ぬかもしれないということを、一日以上過ぎてからやっと考え出す。
 サメに襲われるかもしれない、などとはツユも思わなかった。
 いったん不安に襲われても、何らかのきっかけ(くじらがいたとか、カニがいたとか)でいとも簡単に立ち直ってしまう。
 ギリギリ耐えるとか、自分をコントロールできる、という感じが全くしない。(あれ?これって結構失礼な言い方。いい意味ですよ。いい意味。)
 福地さんは沖縄出身なのだそうだ。理屈でなく、ただ今ここに生きていることのみを考える逞しさ(それもちっとも頑張ってるって感じじゃないのよね。しつこいけど。)は南国の人っぽいなあ、と感じた。
 生命力の強さとは、余計なことを考えない、ということかもしれない。

 そんな福地さんでも、最後救助された時点では幻覚を見ていたようだ。救助した船員と福地さんの証言が異なるのだ。もう少し早く、幻覚が現れていたら福地さんは生還してなかっただろう。
 本当に極限の230キロ。福地さんの素晴らしい“鷹揚さ”をぜひ感じて欲しい。

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紙の本

紙の本おかしな男渥美清

2000/12/22 17:32

おかしなのはあなたの方だ

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小林信彦が自分自身が付き合って感じた部分だけで、渥美清を描き出した作品。ほとんど事実に違いないことでも、自分が直接見聞きしたこと以外は書かない、という姿勢である。

 私などは、寅さん映画も1本も見たことはなく、ただ後年の“日本人の情緒の象徴としての寅さん”というイメージしかなかった。
 野心家で負けず嫌いで、才気ばしった若い頃の渥美清を堪能させてもらった。
 その頃、夜中まで2人で笑いの話をし合ったというのだから、小林信彦が渥美清に与えた影響は少なくないだろうし、普通だったらそのまま親しく付き合うような気がする。
 でも、後年の“寅=渥美清”のころになると、著者は明かに渥美清とは一線を引き、振り払うようなまねまでするのである。

 正確ではないのだけど、この作品の中で小林自身が“僕には奇妙なくせがあって、人をエスカレーターの上に乗せるまでは、あれやこれやと世話をやき、いったん乗せてしまうと、もう一切関係なく自分とは違う高みにいる人として見ていたいのである。”という内容のことを書いていて、私は、あっ!と思った。これだよ。これ。
 横山やすしを書いた『天才伝説 横山やすし』のなかでも、映画に出ろ出ろと話を進めときながら、映画が順調に進みだすと、すっと側からいなくなるのである。
 その後、映画(唐獅子株式会社だったかな?)の2作目の話が上手く進まなくなって、そこからやすしはなんだか転げ落ちるように不幸な状況になっていくわけだけど、フォローもなし。
 正直、けしかけといてそれはないだろう、と思ったのだった。

 そうか。そういうことだったのか。
 なんだか、小林信彦の方がよっぽど“おかしな男”なんじゃないか、と思い始めてしまった。
 十数年後に小林信彦が亡くなって(勝手に死後のこと考えてすみません)、小林信彦のことを書いた本が出たら、絶対読もうと思う。
 自伝は書いてるから、ともかくそれは読んでおこうっと。

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紙の本

紙の本ドミノ

2001/11/08 11:17

次々と軽快に倒れるドミノから目が離せなくなる。一気読み必至!

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 「風が吹けば桶屋が儲かる」的なコメディ。全く面識のない人々が、偶然の成り行きからコツンコツンとぶつかって、あら、なんか大事になってますけど、という感じ。ドミノが倒れきったとき、そこに何か絵が浮かんでくるのか、といえばそうではないのだけど、単純に楽しめる。俯瞰する楽しさ。
 冒頭に「登場人物より一覧」というイラスト&その人物の一言のページがあるのだけど、これおもしろい。最初にさらっと一読、読後にもう一度読むと「なるほど。うんうん」とまた楽し。
 物事の当事者は絶対俯瞰できないのよね。例えば、阪神大震災のとき。被害にあった方には情報が届かず、テレビの前にいる私には中継でガンガン情報が入ってきていたという皮肉。メディアによって、私たちは色々な出来事をかなり早い時期に俯瞰できるようになっているけど、だからといって何かができるわけではない。ただ見ているだけという居心地の悪さもある。報道って、わりと外部に「こんなことが起こってますよ」と伝える側面が強いような気がするんだけど(火事見物の野次馬根性ね)、その事態の最中にいる人々に「今、こういうことになっています」と伝えることが同じくらい重要だろう。
 阪神大震災のときに、地元のラジオ局が大活躍をして、ヘリコプターで乗りつけて中継で重々しく喋り風のように去って行ったキャスターが批難されたっけ。キャスターの人たちって、「現場で喋る」ってことに異様にこだわるもんなあ。事態を直接見ないと語れないことがあるのもわかるが、そうじゃない役目もあるだろうと思うのだが。
 なんてことを、ついつらつらと考えてしまったけど、この本はそんないきり立った本じゃない(笑)。単純に、パタパタ倒れていくドミノたちの様子を楽しもう! ちょっと疲れているけど何か読みたいなあ、なんてときにも楽に読めます。

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紙の本

紙の本プラナリア

2001/07/26 16:52

いやーな感じなんだけどツボにくる

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 5編の短編からなる1冊である。
 もう性格悪い人がいーっぱいでてくる。ちょっとお近づきにはなりたくない。普段、こういうことすると嫌われるだろうな、と人々が謹んでいる部分を、思いっきり開放させたような感じ。病気ネタで人を凍らせる春香、仕事にばかり熱心で他人を見下した感じだった涼子、結婚に対して夢と打算のうずまく美都と浅丘のカップル。みんなロクなもんじゃないのである。
 そんなに全開にしていたら、さぞかし楽だろうと思うのだけど、本人が全開状態を自覚していないだけに、それなりに「私は辛い」と思っているんだよね。人と妙なかけひきしてみたり、人を試すようなことをして自分の首しめたり。そうはなりたくない、と思っていながらも、それが案外、普通に生活している人々の姿なのかもしれない。
 嫌な部分は誰にだってある。それをすくって、ぎゅっと煮詰めたような感じ。それを、身につまされるんじゃなくて、うっわー嫌なやつ! なんじゃそれ! と読んだ私は、相当おめでたくてオレ様かも(笑)。

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紙の本

紙の本ピリオド

2001/07/17 11:58

戻れはしないし本気で戻りたいとも思わない故郷を切なく思う秀作

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 地方から東京に出てきた葉子。田舎に嫌気がさしてでてきたものの、結婚・流産・離婚・不倫と経験し、1人の今、故郷というものがとても大事なものに思えてきた。
 しかしまた、自分が東京で過ごしてきた20年程の年月は、田舎の家にも等しく流れ、もう戻ることができないのもわかっているのである。

 切ない。自分の家なのになんとなく居心地が悪くて、とにかく家を出たくて、大学へ行くことを半ば口実のようにして、東京に来た自分と重なるのである。
 20代までは、母とうまく折り合えなかった。ちょっとしたことで、口ゲンカばかりするのがとても嫌だった。だけど、子供もできて、私はもう東京でずっと生きていくんだ、と思ったとき、少しさみしかった。
 祖母、父、母、みんな年を取った。父と母は、まだまだ気弱になるような年ではないが、病気をしたり、あちこち痛かったりと、心配なことも増えてきた。
 弟、妹も結婚し、子供が生まれ、それぞれの家庭で頑張っているが、時にはちょっとした揉め事もある。もちろん、お祝いなど嬉しいことも沢山ある。
 その、嬉しいとき悲しいとき大変なときに近くにいられないのが、最近なんだかとても切ないのだ。何もこんなに遠くまで来ることなかったのにな、と思ってしまう。
 しかし反面、面倒な親戚付き合いや近所付き合い、派手な行事のない、今の生活もまた好きなんである。自分で選びとって、今がある、という自信もある。
 ただふとしたときに、感傷的になってしまうのは、やはり故郷を思い出したときなのだ。
 いざとなったら(ってどういう状況なのか(笑))、田舎に帰って妹の家の近くに住もう、なんて考えるだけでも、何か心が温かい。
 「姉ちゃん、勝手なこと言うて。こっちはこっちで付き合いとかけっこう大変なんよ。」と苦笑する妹が目に浮かぶようだが、あくまで心の遊びのなかでの話。
 息苦しくなったときの、気持ちを逃がす場所として、私にとって大切な場所なんだと思う。自分の都合のいいように田舎を利用するんじゃなくて、共にそこに居るくらいの気持ちで大切にしたい。

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紙の本

紙の本カリスマ 上

2001/05/30 12:02

カリスマって結局自分の心を投影する道具なのかも

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 100%インチキな宗教団体が舞台。教徒には私は神だといい、嘘と屁理屈で固めた教義を駆使して、自らの欲望を満たすことしか考えていない教祖・神郷。ただ神郷は、自分はインチキで、欲望にまみれたただのおっさんだということを十分認識している。
 でも教徒とは恐いもので、教祖自身すら「どう考えたって信じてもらえないだろう」という嘘でも、呑み込んでしまうのである。特に、幹部教徒である氷室は、あんたこそ教祖じゃないの?ってくらいに、修行によって力を得、教義をすべて真だと受けとめている。言ってる本人もバカバカしいと思っている言葉に、癒され救いの道を見る教徒。恐い。
 デタラメな理屈の羅列のなかにでも、聞いている人間が何かを感じてしまったら、もうそれは真実になってしまう。カリスマがどういう姿かたちをしていようと、実はどんなにくだらない人間であろうと、受け手側が一度そこに真実を感じてしまったら(あるいは錯覚してしまったら)、教義は受け手それぞれの中で熟成され、揺るぎないものになってしまう。その時点でカリスマはもう必要ないのかもしれない。ただ、己の心の正しさを確認するよすがとして、形だけそこにあれば。
 カリスマとして君臨し、わが世の春を謳歌している人間と、それを不可欠なアイテムとして崇め、実は自分のために利用している人間。宗教のかたちをかりた、全くよくできたシステムだ。

 しかし、この教祖・神郷を描写する文章の下品さといったらたまらない。それが、俗物教祖をあますところなく伝えてくるのだけども。それにしても読むのがつらい部分もあったことを告白しておく。

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紙の本

紙の本ぐるぐる日記

2001/03/23 16:55

両極にあるようなことが平気で並行する日常のおもしろさ

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 鬼怒川の奥、川治温泉という鄙びた温泉の宿でこの本を読んだ。自分は非日常の静かな場所にいて、他人の怒涛の1年を読む。なんて面白いんだろう。
 「日記」を読むのは好きだ。人は本当にいろんなことを考えている。洗濯ものを干しながら、ごはんを作りながら、生協の注文シートに書き込みながら。
 ばかばかしく現実的なことをしながら、心(頭?)のなかではものすごく様々なことを考えている。ちょっと高尚なことから、めちゃくちゃくだらないことまで。日常の細かな用事、カッとなって吐いた言葉、真剣に真面目に考えた事柄、全部が入り混じって混沌としている「日記」を読むと、なんだか「うーん、みんな生きてるんだなあ」って嬉しくなる。

 「人生はミックスサンドのようなもの」というのには、まさに!と思う。おいしくタマゴサンドを食べていたり、ほんとはあまり食べたくないんだけどってレタスサンドを食べていたりする。他人をうらやましがる人は、きっと他人がタマゴサンドを食べているところばっかり見ているんだろうなあ。そいで「私も食べたい。でも作れない。誰か作ってくれないかな。」とばかり思っているんだろう。

 あと、同じメールマガジンの発行者として(もちろんレベルも立場も違うけれど)、そうそう!と思うことが沢山あった。以前「読んでて嫌な気持ちになった」というメールをもらって、すごーく嫌な気持ちになった。でも、バックナンバーも公開しているんだし、自分が好きそうかどうかはわかるだろう。自分で選択して、しかもタダで読んでいるくせに、自分の判断ミスを私のせいにしないでよ! と、ムカムカしてたまらなかった。
 自分の嫌な気持ちを誰かに回さないと気が済まない人って、けっこう沢山いるんだな。そこで何度かメールのやり取りをして意見交換ができる人もいるけど、大体の場合、こっちからのメールに返信はない。自分の気持ちだけぶつけといてどういうつもりだろう?と思うけど、そういう人に何を言っても仕方がない。
 読者からのメールは、いつも開けるときにドキドキする。どういう距離感で付き合えばいいのか、今だによくわからない。ランディさんが出した「意見があるのだったら、あなたも発信者になって下さい。」というメールに返事はきたのだろうか。きてないんだろうなあ。それに返事を出す人だったら、すぐに発信者になるだろう。発信者になることなんて、自分が出したような嫌なメールを受け取ることだけ覚悟すれば、簡単なことだもの。

 最後に「この日記は99%真実です。」とある。でも「ランディの生活の99%」ではないんだよなあ。こんな凄い量の日記でも、ランディさんのある一面、でしかないような気がする。
 たった人ひとりのことですら書ききれるもんじゃないんだろうなあ、人間って一体どれ程の容量があるんだろう。書ききれやしないから、私もこうして日々せっせとものを書いているんだろうなあ。数年経って、書いたものを積み重ねたときに、きっとそこにはすべてを貫く1本の棒があって、その棒の部分を伝えようとして書き続けていくんだと思う。

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