花代さんのレビュー一覧
投稿者:花代
紙の本親指Pの修業時代 上
2003/02/09 14:03
『素肌を重ねる』ことの深い快楽の源は?
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氏の著作は友人に勧められて、「裏ヴァージョン」など過去数冊読んだことがあった。私自身あまり小説は読まないのだが、親指Pの「P」は「ペニス」だと。ある日突然右足の親指がペニスになった女子大生の物語。以前読んだ氏の作品は同性愛者の心情描写が素晴らしく、胸に迫るものだったので、期待して読んでみた。
親しかった女友達の突然の自殺、その四十九日の日に右足の親指がペニスになってしまう。主人公の女性は感受性に乏しく鈍感で、この世界に予定されているものをそうであると疑問なく自分の考えにしてしまう人。自分は女性だから男性と付き合う、その男性といつか結婚する、と。また、人やモノゴトへの執着もなく、好き嫌いの感覚がほとんどない。
その彼女に起こった突然の災難。彼女は親指ペニスによってふりかかる運命の波に、またこれもあまり疑念なく流されて、恋人との別れ、盲目ピアニストとの恋愛、性の見せ物一座<フラワー・ショウ>への加入、その仲間の女性との恋愛など、彼女のそれまでの常識を遙かに超える体験をしてゆく。
秀逸なのは、やはり同性との恋愛期間の心情描写。それまで同性愛に深い嫌悪感があった主人公が、<フラワー・ショウ>のメンバーの一人「映子」と恋に落ちてしまう。彼女と初めて素肌で抱き合った瞬間の至福。「映子と素肌で抱き合った感動は予感通り、いや予感以上に強く、私は映子の体に腕をめぐらせたきりほとんど朦朧として動けなくなった。感動の内には、素肌を重ねたいという欲望がいかに自然に起こり、いかに自然に満たされたか、ということへの驚嘆も混じっていた」。さらに性的な行為に及んだとき、性的快楽は満たされそれを充分愉しむことはできても、素肌を合わせた時の痺れるような歓びからは遠ざかってしまう喪失感を覚える。それは何故なのか、著者はその歓びと喪失感の源を、しぶといくらいに描き続ける。上下巻の長い物語の中、これこそを書くためにこの物語があるのではないかと思わせるほどである。
その後、彼女と恋人として別れなければならなくなるまでの逡巡の描写も素晴らしい。彼女は友人として大切な人だ、単に肌を合わせられなくなることに、なぜこれほどまで辛く苦しいのか…。
私は読後に「あとがき」を読んだが、これから読む方にもぜひ読後に読まれることをおすすめする。そんなにあからさまに種明かししなくてよいのに…と思えるほど、主人公の設定、親指ペニスの発想の理由、この小説で何を書きたかったか、などが説明されている。著者のモノゴトに理由を求める完璧主義さが垣間見えるものだった。
2003/01/19 22:35
眠らない方がお得、ということはわかった。
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勤務先の後輩の宮川君から貸してもらった。宮川君は外見も相当クールな感じだけど、生き方もクールに見える。国際会計士?資格受験のために、毎年N.Y.に行くらしい…。で、一緒に飲みに行ったとき、彼は短時間睡眠を実行しているという話を聞いて、酔っぱらった私が「それ私もやってみたい」と言った…らしい。で、翌日貸してくれたのがこの本。
恥ずかしながら、私は眠るの大好き。平日は飲んでばかりで寝るのも遅いが、休日は時間さえあれば寝ている、そして幸せ。しかし、この本では私のようなだらだらぐうぐう寝ているのは「惰眠」と呼ばれてしまう…、あーあ。
初出当時は「24時間働けますか」のキャッチが流行っていた頃か? とにかく眠る時間はもったいない、1日8時間寝ている人と3時間寝ている人では、1日に使える時間が5時間も違う、1週間で35時間、1ヶ月で6.25日分、1年で75日分、10年で…2年分!! この時間をだらだらぐうぐう寝るか、仕事の準備をしたり書籍を読んだりするかで、その人の人生の密度は大きく違うと。なるほど、ごもっとも。
しかし、読んでいてこれは変だ、絶対できないと思う部分も多い。1965年、アメリカサンディエゴ、17歳のガードナー少年が世界記録をねらって264時間の断眠達成。それは奇人変人でしょう、それを聞いてもよし短時間睡眠を実行しようとは思いませんって。著者は23歳の時にある理由でやむなく半年間ほとんど眠らなかったが、その時に実践したのは「片目睡眠法」。なんでも黒い眼帯を1日2時間ずつ片目につけることで、脳が休まり睡眠と同じような休息がとれるとか。いやー、絶対ありえないです。
でも、なんだかんだでこの本から得たことは、「眠っている時間はもったいない」「眠らなくても大丈夫」ということ。私は今まで「明日の仕事に差し支えるから早く寝ないと…」と思っているのになかなか寝付けない、なぞということがあったが、そんな事に悩むのはやめた。眠れなければラッキー、早く目覚めたらラッキー、睡眠時間は短くしよう、短くできれば得した気分。
大事なことは、短い睡眠で得られた時間を何に充てるか。TV見てても仕方がないし、まずは本でも読みましょう(そして書評を書きましょう)。でも無理して眠らないこともないか…、ということで、今日もしっかりお昼寝してしまった私でした。
紙の本ハイブリッド・ウーマン
2003/03/03 09:33
男性社会をしたたかに生きたい女性のための、極端なノウハウ集。
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ハイブリッド・ウーマンとは、「いいとこ取り女」の意。「女性が『低燃費・高出力』で行く方法論」だと。氏の著作は過去に「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」「結婚しません。」を読んだことがある。コテコテの大阪弁でまさにケンカ腰の彼女が、低燃費・高出力とは?
今までの女性のタイプを、彼女はこう定義づけている。「風よけ女と、向かい風女と、凪女と、嵐の女」。すべて、男性社会の逆風の中で生きる女性、という視点で形容した女性像。「男性に風よけしてもらうのもイヤだし、向かい風に立ち向かうのもイヤだし、凪のようにたたずんで人生の時を過ごすのもイヤだし、自らが嵐のような女にもなりたくはない」。よく言われるデキル女像。結婚して子供もきちんと育て、料理上手で家事もこなし、いつも身綺麗で仕事もバリバリできるキャリアウーマン。なんでそこまで歯を食いしばって努力しないと評価されないの? 家事や子育てだけこなせても「世間知らずの主婦」、仕事はバリバリできるけど結婚しない女性は「可愛げなくて結婚できない女」なんて。
ハイブリッド・ウーマンになるための方法を、彼女はこう断言する。「まず、男性の味方をつくる」。自分を守ってくれる男性を、貴重な資源として利用しよう。田中真紀子氏や辻元清美氏を例に挙げ、政治の世界で真っ向から戦いを挑み引きずりおろされた姿から、彼女たちの正当性を代弁する男性が少なかったことが敗因のひとつだと指摘している。「ムカツク制度の打破は可能な限り、その男性に代理戦争してもらいたい」。社会で今にも引きずりおろされそうなキャリアウーマン、その弁護は「差別だ」と言う女性より、「彼女は信頼できる」と言う男性の方がずっと価値が高い。
その他、ハイブリッド・ウーマンになるための方法論を、あけっぴろげに披露するのが彼女らしい。「マニッシュ&フェミニンなファッション」「恋愛は運命ではない。たかが趣味であると、言い切れる」「知るべきは、男性がどういう状況で敵になり、どういう状況だと味方になるかだ。資源を大切に使い切る技術を磨くことだ。そして仮に味方として機能してくれたところで彼らには限界があることを忘れずにいたい。」「利用できるものは柔軟に利用し、利用できないとわかれば後腐れなく廃棄する。会社も男も結婚も。」ここまで畳み掛けられると嫌気もさすが、実は著者自身もそこまで強い女とは思えない。自らを奮い立たせているのか。
振り返って、我が身はどうか? 「資源としての利用価値」と言われると身も蓋もないが、自分にとって価値を持つ人とそうでない人を振り分ける作業は、相手が男性でも女性でも自然と行っているように思う。しかし、その人にとっても、私は価値ある人間でありたい。「資源を使い切る技術」「利用できないとわかれば後腐れなく廃棄」などとは、思ったこともないし、大事な人からそう思われたくない。価値ある人との信頼関係は、その価値に見合う魂があってこそではないか。
氏の方法論は極端だ。確かに男性も女性も、ジェンダーからは自由ではない。男性と女性をはっきり分けて、ここまで資源としての男性の利用価値を論じるのも、深くジェンダーに依存している。このノウハウ集には役立つ部分もあるが、価値ある人との結びつきへの魂の姿勢は、変わらず大事にしたいと思う。
2003/03/24 03:36
まず、設定がいけません。
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この書評を書くのをためらうほど、つまらない内容です。最後まで読んだ本は、書評を書くと決めているので、書きます。
まず、設定がいけません。某会計事務所に勤務する現役女子大生の公認会計士「萌さん」が、なりたてほやほや29歳青年会計士補「僕」の上司。「萌さん」は柿本という名前の僕のことを「カッキー」と呼ぶ。この「萌さん」は頭がキレていつも強気、天真爛漫で可愛くお転婆な女子大生。「僕」は密かに「萌さん」に恋心を抱きつつ、彼女の部下として日々の業務に追われている…と。ほら、もうイヤになるでしょう?
この二人が監査する中で、様々な会計トリックが発覚するものを、事件簿として小説のように読ませている本書。私は会計の専門知識はほとんどありません。しかし中身は非常に簡単、というか、あまり勉強にもなりませんでした。巻末の「やさしい会計用語集」が、本当にやさしく、それだけを読んでもなかなかおもしろかったのが救いでしょうか。
これ以上書くのも気が引けるのでやめます。蛇足ながら、たまに出てくるイラストにも相当げんなりさせられました。
紙の本ヴァギナ・モノローグ
2003/01/27 01:45
「わたしのもの」にするには、自らが考え語らなければ。
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劇作家で詩人のイヴ・エンスラーが、年齢も人種も職業もさまざまな女性200人以上にヴァギナについてたずねたインタビューから、一人語り形式の芝居を元に、作者自身のコメントや新聞記事の断片などを集めた内容。
女性は自分のヴァギナのことを、自分の一部と感じておらず、なんだか自分とは遠いところにある気味の悪い場所、地下の倉庫みたいなところ、うっかりすると何ヶ月も、何年も、そこを見ることなく過ごせてしまう場所であり、その場所を自分のものにする機会がない。著者が様々な女性に問いかけることによって、はじめはためらっていた女性たちも、「いったん話し出すともう止まらない、みんな目を輝かせて、夢中になってしゃべってくれる。たぶん、今まで誰も、そんなことを訊いてくれなかったんでしょうね」。
語った言葉たちは様々だが、男性との性行為にまつわるものはほぼ皆無。遠くにある自分のヴァギナを「わたしのもの」として取り返すには、自分の幼い頃からの体験を語り、それを許し認める行為を経てようやく、それを自覚する。
語り部は、夫に陰毛を剃れと強要された女性、72歳の処女、月経にトラウマを持つ女性、女性サークルでヴァギナを初めて発見した女性、ボスニアのレイプ・キャンプの犠牲者、ホームレス女性が抱える幼児期の虐待、レズビアン…、本当に様々だ。しかし、私には現実感が薄く、その語りを通してヴァギナへの価値観が変わることはなかった。痛ましい話も多く、読むことができない部分もあり。
確かに私たちは、「わたしのヴァギナ」について語る機会は皆無だ。それについて真剣に考えたこともない。しかし、本書にある体験談を通じても実感することは難しい。200人にインタビューしただけあって、想像できないような体験がほとんど。「わたしのもの」にするには、やはり自らがそれについて考え、語るしかないのだろう。