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  3. 花代さんのレビュー一覧

花代さんのレビュー一覧

投稿者:花代

20 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本安楽死のできる国

2005/12/11 12:30

死の権利を与えられた国での生き方

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

耐え難い苦痛を受けながら何年も死を待つ。
それが私に与えられた生き方ならと、甘んじて受けることを選択するか。
それとも、安らかに逝くことを選ぶか。

合法的に安楽死が認められる国、オランダ。
著者は読売新聞の麗しい才女で、同国での丹念な取材を元に、
安楽死法成立の歩み、それを支える社会、生と死の境界線の課題、
日本での安楽死法成立の可能性について、緻密に網羅的に語られている。

どこまでを安楽死してよい苦痛と認めるか。
この曖昧で宗教的な境界線を法制度化したオランダは画期的だ。
同国には「安楽死パスポート」がある。
自らの安楽死の意思表示のためのパスポート。

身体の耐え難い痛み、寝たきりで飲食や排泄が自分ではできない場合、
完全な痴呆に陥った場合など、自分にとって耐え難い苦痛とは何かを、
予め具体化しておく。
まるでピザのトッピングを選ぶように・・・。

日本の倫理観と大きく異なるのは、家族ではなく自分自身の意思だけが決定要素というところだ。
いかに家族が反対しても、それが本人の意思なら安楽死を行う。

しかし、この安楽死をめぐる境界線は議論が耐えない。
「もう充分生きた」と言う高齢者が求める「よき死」。
重度の障害を持って生まれた新生児の親。
これらを認めたときには、新たに「姥捨て」「間引き」との境界線が曖昧になる。
「あんなに年をとってまだ生きてるなんて」と言われる社会。

私がヨボヨボのおばあさんになるまで生きる運命だとして、
半世紀後には日本でも安楽死法が制度化しているかもしれない。
その時に、私は安楽死を選ばない勇気を持ちえるだろうか。

寝たきりの日々、家族に迷惑をかける日々、親しい人が喪われる日々。
それも私に与えられた生であれば、その生き方を探す人間でありたい。

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紙の本痴呆を生きるということ

2005/12/04 23:33

重度の痴呆に陥って、自分が生き続けることを赦せるかどうか。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「老いも死も受容する覚悟はついている。ただ痴呆になるのだけが怖い」(瀬戸内寂聴)
この言葉に共感する人、多いと思う。

本書は、痴呆という病を外から見るのではなく、痴呆を病む人の心に「寄り添って」、痴呆老人の見える世界を見ようとしている。

読み進むほどに激しく感動した。
「老いる」ということを、自分のものとして理解する瞬間があった。

痴呆によって起こる代表的な症状に「もの盗られ妄想」がある。
財布など大事なものを、自分が置き忘れたのに、「お前が盗っただろう、この泥棒!」と激しく責め立てる。
あろうことか、最も身近な介護者(多くは嫁)に対して。
どんなに寛容な介護者でも、執拗に責められて平静ではいられない。
それでも、介護の毎日から逃れられない。

この症状を、医師や介護者の立場ではなく、痴呆老人の立場から考える。

「老いるということは喪失体験を重ねることである」
「社会的、家庭的役割の喪失があり、人の面倒を見てきた人が一方的に面倒を見られる側に回る。心身の衰えが生じ、病が襲い、死が現実のこととして迫ってくる。そして、親しかった人と死別しあるいは離別し、なじみの人間関係が喪われる」(p.90)

こんな状況が、“今この私”に襲いかかったらどうなるか。
しかも、この喪失はもう、取り返しのつかないことなのだ。

この「老い」の現実を自分のものとして受け入れられない人が、「もの忘れ」を自分の責任とするには辛すぎて、「盗られた」につながってしまう。

重度の痴呆に陥って、それでも生き続けることを受容できるか。
それも私に与えられた生き方だと、受け入れられるか。
その生き方を見つけることが、「痴呆を生きるということ」なのだろう。

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私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「はじめに」を読み、深く共感し、反省した。
高校球児たちの八月十五日正午の黙祷に疑問を持たない私は、その意味を考えていない。
「なぜ、黙祷する意味があるのか」と。

「『あの戦争とは何であったのか、どうして始まって、どうして負けたのか』−−。圧倒的な力の差があるアメリカ相手に戦争するなんて無謀だと、小学生だってわかる歴史的検証さえも充分になされていない」(p.4)。

快進撃→泥沼→半狂乱へと移っていったあの時代。
「反面、この時代ほど、日本国民が“総力を結集した”ことはなかったのも事実」(p.159)。
国民の大多数が冷静さを欠き、「並外れた、視野狭窄ともいえる“集中力”を生み出していた」(p.159)

にも関わらず、日本人は敗戦後、すぐ価値観をリセットした。
「昨日まで全国民の約十人に一人が兵士となり、アメリカ相手に憎悪をかきたてた戦いをしていたのが、まるでウソのように掌を返して好意的になってしまう。こんな極端な国民の変身は、きっと歴史上でも類がないだろう」(p.223)

この不思議さを追求せずに前進する。
それはひとつの、日本人の典型的な姿だと思う。
「あの戦争のなかに、私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている」(p.240)

それが善いとか悪いとかいうことではなくて、私たちはそういう気質を持っていることを認識して、考えることが必要だと思う。
八月十五日正午に、球児たちが黙祷することの不思議さを。
マスコミでの悪役(例えば北朝鮮)を無条件に批判することの不思議さを。

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たった1回の坐禅で悟ってしまった東海林センセ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

東海林さだおさんの本は丸かじりシリーズを中心に色々と楽しく読んでいます。
本屋さんの平台にあったので、いつもの感じかなーと思って目次を見ると、
最初の章に「レッツ・トライ・ザゼン」とある。
え?ザゼンって坐禅?これ以上ないほど俗っぽい東海林センセが、坐禅とな?
不思議・・・とりあえず買ってみた。
さすが東海林センセ。
坐禅についてまずこう定義してます。
「(坐禅は)“何もしないゲーム”と考えてもいいような気がする。
何もしないというのはけっこう辛いことだ。
辛いことを耐え忍ぶと言うのはけっこう楽しい。
辛いことを耐え忍ぶゲーム。」
そんな定義聞いたことないぞー(笑)
坐禅をしても、無想の境地に達するというソコノトコロが非常に難しい。
なのに、さすが東海林センセ。
「実をいうと、ぼくはたちまちのうちにそこのところがわかっちゃったんですねー。
たちまちのうちに解脱しちゃったんですねー。」
ほんとかよ!
と、突っ込みたくなるのですが、これが本当だということが、読み進むとすぐにわかります。
たった1回の坐禅で、喝破してしまった東海林センセ。
ますます尊敬の気持ちが深くなりました。

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若い女性らしい瑞々しいパワー}経営者としての含蓄の深さ

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私は自分で会社を作りたいと思ったことはない。昔から、三国志の諸葛亮孔明みたいな軍師が憧れ。信頼できるリーダーに仕える聡明な参謀になりたいと。
最近、責任の重い仕事にヨロヨロ。お酒の席で悪友(男性)に、「そもそもリーダーなんて私に合ってないんだよー、私は参謀タイプだ」と愚痴ると、「そうかもしれない。でもそんなことは誰でも言えますよ」と言われてしまった。本当だその通りだと深く恥じ入り酔いが醒めた。
本書は、7月頃友人のblogで読んで、ちょい気になっていた。買うつもりはなかったのだが、手にとってパラパラと中身をめくってみると、すごく引っかかるキーワードがこぼれている。とりあえず買ってみた。
読後の所感。起業してみたいかも・・・という気持ちになった。自分でもびっくり。著者は私より三歳年下の聡明な美女。若い女性らしい瑞々しいパワーと、経営者としての含蓄の深さが交わって不思議な感じ。すごく新鮮で読みやすく説得力もある。これは男女問わずグッサリ刺さるのでは。
前半は、そもそも女性は世話好きで、経営者に向いているのですよ、という言葉で「私にもできるかも・・・」と思わせるのだが、終盤に近づくと、経営者の資質は目標を達成するまで絶対にあきらめずにやり遂げること、孤独に耐えて数字に厳しくあること、などなど、女性の苦手な部分を厳しく突いてくる。また、「経験もなくカフェをやりたいという突発的なアイディアで起業しても失敗する」と、ありがちな例を出してダメ出し。爽快ですねー。
起業を目指す人、だけでなく、マネージャー職の人も、一読の価値大アリ。男女問わず、ただし若い人向け。誰でも経営者になれるんですよ、と書いてはいるのですが、かえって私は彼女の忍耐強さと、とことん考える努力、それらを生む資質に感銘を受けた。
こういう人だからこそ経営者として成功する。こういう人に、なろうと思って行動すればなれる訳で、なろうと思っても行動しないからなれない、ということなのだなあ。

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紙の本バガヴァッド・ギーター

2005/05/05 03:41

ガンディーを理解するための一助として。主題は「無償の行為」。

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

インドの二大叙事詩のひとつ「マハーバーラタ」の第六巻に編入されているこの有名な聖典を、私が手に取るきっかけとなったのは、ガンディーのギーター信仰である。「ガンジー自伝」第五部「ギーター研究」では、「わたしにとって、ギーターは行為における不可欠の指針になった。それは、わたしの日常必携の辞典となった」としている。
この聖典の主題はシンプルだ。「この世に生きる我々は、定められた自分の職務を、結果を期待せずに、ただ行為のために行為することによって解脱できる。行為の結果は神に預け、成功・不成功に執着してはならない」。つまり、究極の「無償の行為」を説くものだ。
さまざまな宗教書についてほぼ無知の私が、今わかる範囲でギーターおよびヒンドゥー教の特徴を並べると、下記のようになる。
・私たちのような普通の社会人が、特別な修行をしなくとも、自分の仕事をしながら解脱に近づけるのだという明快さ。
・自分の職務は予め定まっており、それを行うべしとする、カーストに立脚した教え。
・よって、武士は人を殺すのが与えられた役割だから、たとえ人を殺しても罪にはならず、気にしなくてよいという教え。
・ブラフマンは最高神であり、他の信仰の対象も実はブラフマンだという解釈。
・しかし、他の信仰対象は最終絶対神ではないので、輪廻を繰り返す。ブラフマンを信仰し一体化した人はもう生まれ変わらない(=安寧)というのが面白い。
・目指す境地は「無我、無私の状態」であり、仏教に非常に近い(当然といえば当然だが)。
・「放擲者(結果を求めず行為する人)」→「ヨーギン(行為の超越を成就した隠棲者)」→「ブラフマン(最高神)との一体化」と、解脱への到達過程を二段階に分けているのが特徴的。
この文庫本の読み方としては、まずp.18の家系図を見ながら、「まえがき」にあるマハーバーラタのあらすじを一気に読む。登場人物が異常に多いがギーター本編にはほとんど関係ないので斜め読みで結構。次に巻末の「解説」を熟読。ようやく本編に入るが、再度「解説」をガイドにしながら読むとよい。訳注は学問的な解釈方法についてなので見る必要はない。

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断言します。34年間の人生で出会った最良の書。

20人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

あまりにも有名な著作なので、いまさら私が言うのも間が抜けているのですが、あえて断言します。34年間の人生で出会った最良の書です。ビジネスパーソンだけでなく、専業主婦や子供たちにも素晴らしい人生の指南書となります。

数多くある小手先のビジネステクニックを伝授する書籍とは、根本的に違います。第一の習慣「主体性を発揮する」で、落雷を受けたように感動し、あまりの衝撃にしばらく文字から目を離して、何度も反芻し噛み締めました。

特に第一の習慣の章は、この書の核をなす考え方です。私がここで抜粋したり感想を述べたりしても陳腐なだけ。力あるメッセージの連続にただ圧倒されます。

第三の習慣「重要事項を優先する」の章では、活動の軸として「緊急性」と「重要性」の分類を示し、「緊急ではないが重要」を最重要領域として、その面積を拡大させることを著者は推奨していますが、どの行動を「緊急でも重要でもない」と判断すべきか決めるのが意外と難しい。自分の行動はなんらか意味があると考えたいもの。渋々「緊急でも重要でもない」領域に入れた活動は、私の場合はこれ。
「予定なく当日行く事になった飲み会、TVを見ること、雑誌を読むこと、ネットサーフィン、惰眠、カラオケ」
これらの時間を排除して、「緊急ではないが重要」な活動に時間を割くこと。言うは易し行うは難し。

この書籍を読んで、人生に対する姿勢が正されました。まだ読んでいない方は、私のこの文章が手に取るきっかけになりますように、心からお祈りします。

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紙の本非暴力の精神と対話

2005/03/28 02:05

『わが夢のインド』への切々たる無限無私の愛のメッセージ。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ガンディー思想の根源である「真実と非暴力」のうち、特に「非暴力」についてのエッセンスを選び抜いた良書。特に第二章は、第二次世界大戦という、力こそが唯一信頼足りえる価値観の時代において、ガンディーが非暴力という旗印をあげ、ヒトラーや日本人に対する非暴力のメッセージを出していた事実を知り、驚愕した。現在なら非暴力というメッセージも先進国を中心に賛同できる人も多かろうが、当時はそれらの国からはまったく相手にされなかったようだ。

特にこの書で素晴らしいのは、第二章「わが夢のインド」と、第三章「不可触民制の罪と償い」。「わが夢のインド」では、彼のひりつくような祖国インドへの愛、さらにその愛をも凌駕する神への愛を、余すところなく表現している。「不可触民制の罪と償い」では、ガンディー生涯の使命として取り組んだ「不可触民の解放」と「ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の融和」、それにしかインドの救いはないと断言するそのメッセージに圧倒される。

ガンディーのメッセージは心の底から打たれる。「インドにあるいっさいのものが、わたしの心をひきつける」と、果たしてどれだけの人が祖国に対して断言できるか。わたしはこの日本に対して言えるのか、その責を果たしているか。

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紙の本ガンジー自伝 改版

2005/03/27 12:53

自伝なのに、歴史的偉業は出てこない。これは自己鍛錬の実験記録。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この自伝は本当に風変わりで、ガンジーの歴史的偉業についての記述がない。これは彼の自己鍛錬の実験記録である。

東洋には自伝を書くという風習がない。ガンジーは自伝に着手するにあたり、友人から西洋文化特有の自伝を書くという行為は慎むべきとの忠告を受けているが、それでも自伝を書き始めた理由を序文にこう記している。「わたしは単純に、わたしの行ったかずかずの真実に関する実験について話をしようと思っているにすぎない。そしてわたしの生涯は、これらの実験だけでできあがっているのだから、話といえば自伝の形をとってしまうことはまちがいない。」

この自伝は、真実を求めるための圧倒的な自己抑制と、精神の鍛錬を、起きた出来事をつづることで表現している。自分の行動すべて、ひとかけらの塵も見逃すことなく点検し、鍛錬と奉仕に捧げることを、意志の力で実行する。それが彼の「真実に関する実験」である。凄まじい精神鍛錬の歴史である。

後年神格化され、民衆から聖人の称号「マハトマ」を捧げられたガンジーはしかし神ではなく、私たちと同じ欲望を感じる人間である。その欲望を戦いながら内省に内省を重ね、なおも内省を重ね、真実を探求した。自らの欲望に立ち向かい実験を繰り返す彼の姿に、わたし自身もこのように生きたいと思わないはずはない。

特に序文である「はしがき」と、第五部、第六部、文末の「別れの辞」は読み応えがある。この自伝を読んで、こういう便利なことを思いついた。自分で、あることをした方がよい、でも面倒だなあ、嫌だなあ、と思ったことがあったら、このように言ってみる。「是々を行うことはわたしの義務であり特権である」。たとえば、毎日運動したいとき、勉強を始めたいとき、使えます。ガンジーに一歩でも近づくために、実験してみよう。「ガンジー関連の書籍を読むことは、わたしの義務であり特権である。」

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スピードが、愛を奪う。私のバイブル。

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

六本木ヒルズの「Village Vanguard」で何気なく手に取ったこの文庫本に、光り輝く珠玉のメッセージがこんなに溢れていようとは。大切なバイブルとして肌身離さず持ち歩いている。

私は仕事もプライベートも切実に忙しく、出勤途中にああ今日もこなすべき課題が山盛りだし責任は重いし上司はダメだし部下は私に手厳しく、夜は夜で予定があるからなんとかして早く終わらねば、ああ時間がないないないと歩いていて、同僚から「おはよう、何で恐い顔してるの?」と挨拶されて落ち込むという日々を送っている。ドッグイヤーという言葉さえ時代遅れのこのスピード社会、「癒し系」なぞ、よほど仕事のできないセンスのない人が頼るものだ。

そんな私が、人間関係を大事にするためのマニュアルを買う、くらいの気持ちで手にしたのがこの本。インドに生を受けた彼の珠玉のメッセージとユーモアたっぷりの数々のエピソードは、私の精神と行動を変えたいと思わせる力を持っていた。「本書は、わたしたちが生活のペースを落とし、大切なことにもっと時間をかけ、充実した毎日を過ごせるように書かれたものです」。スローダウンして得られるものは? 大切なことがはっきりと見えて、常にそれを優先することができること。そのためのステップとして「エイト・ポイント・プログラム」の実践をうながしている。

クリスマスに郵便局で起きたエピソード。窓口に並んだ長蛇の列、「建物の中は焦燥といらだち、あからさまな怒りが渦巻かんばかり」。著者のうしろに並んだ男性はイライラして荒い息遣い。そのときに著者が彼にかけた言葉は? 「どうぞお先に。私はぜんぜん急いでいませんから」。善意はリラックスとなり、伝染してゆく。スピードこそが、私たちの心から愛情や思いやり、やさしさを奪い取っているのだ。スローダウンすれば、「一日をゆっくりと丁寧に過ごし、生活の中に起こる一つ一つの出来事に細心の注意を払いながらも、優先させるべきことを常に念頭において生活できる」。

8つのステップ、実践は難しい。たとえば、早起きして30分の瞑想。食事のときに他のことをしない。できるだけTVを見ない。寝る前に啓発的な本を読む。日々マントラを心の中で繰り返す。——私の人生を善くする為の手段だ。ひとつずつ、実践しよう。「今のあなたは、あなたが今まで考えてきたことの結果」なのだから。

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紙の本女子大生会計士の事件簿 1

2003/03/24 03:36

まず、設定がいけません。

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この書評を書くのをためらうほど、つまらない内容です。最後まで読んだ本は、書評を書くと決めているので、書きます。
まず、設定がいけません。某会計事務所に勤務する現役女子大生の公認会計士「萌さん」が、なりたてほやほや29歳青年会計士補「僕」の上司。「萌さん」は柿本という名前の僕のことを「カッキー」と呼ぶ。この「萌さん」は頭がキレていつも強気、天真爛漫で可愛くお転婆な女子大生。「僕」は密かに「萌さん」に恋心を抱きつつ、彼女の部下として日々の業務に追われている…と。ほら、もうイヤになるでしょう?

この二人が監査する中で、様々な会計トリックが発覚するものを、事件簿として小説のように読ませている本書。私は会計の専門知識はほとんどありません。しかし中身は非常に簡単、というか、あまり勉強にもなりませんでした。巻末の「やさしい会計用語集」が、本当にやさしく、それだけを読んでもなかなかおもしろかったのが救いでしょうか。

これ以上書くのも気が引けるのでやめます。蛇足ながら、たまに出てくるイラストにも相当げんなりさせられました。

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一気に読める、シンプルな内容です。

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私の仕事は買う方だ。売る方ではない。しかし、買う方も営業テクニックの知識がないと、トップセールスに太刀打ちできないし、対等な交渉に持ち込めない。著者は「セールス・マネージャー世界大賞」なるものを受賞した経歴を持つ経営コンサルタント。そのテクニックとは?

語り口調の本書、一気に読めた。最後まで読んでわかったのは、本書自体が彼の営業活動のひとつである「集客」であること。彼の経営コンサルタント会社の「集客」活動に、私も見事にはまったわけだ。やられた。トップセールスは、顧客に商品を売り込む前に、見込み顧客の方からアプローチさせ、その人に情報を与え、最後に売るのだと。ヒット率は8割を超える。すでにその商品に興味があり情報を得ている人が対象であるからこそ。ここでキメの言葉はこう。「無理に買っていただかなくて結構です。当方をよく理解しご賛同いただけた方にのみ、お買いあげいただきたいのです」。

買う方としては、これほどに強い言葉はない。相手の営業マンが「お願いだから買って下さい」と言うからこそ、「であればこの条件でないと」という交渉ができるわけで、最初から「買っていただかなくて結構」と言われてしまうと、交渉のテーブルにさえ乗らない。しかし、結局買いたいから買うわけで、その場ではストレスも感じないのだろう。営業がすべてこのスタイルになれば、私の仕事はなくなるかもしれない。

ちょっと抵抗があるのは、著者の「教えてあげる」スタイルがもろに出ている表現方法。「ちょっと真剣に考えてみて下さい。」「よ〜く聞いてくださいね。」などなど。コンサルタントってこういう話し方、する。この表現に嫌悪感を抱く人は、最後まで気持ち悪いかもしれない。しかし、小難しい抽象的な表現の羅列より、ずっと読みやすいことは確か。

営業する相手が新規顧客と継続的な顧客の両方であり、かつ競合厳しい商品やサービスを売ることが仕事の営業マンには、即、役に立つ。一気に読めるので、オススメです。

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紙の本ハイブリッド・ウーマン

2003/03/03 09:33

男性社会をしたたかに生きたい女性のための、極端なノウハウ集。

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ハイブリッド・ウーマンとは、「いいとこ取り女」の意。「女性が『低燃費・高出力』で行く方法論」だと。氏の著作は過去に「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」「結婚しません。」を読んだことがある。コテコテの大阪弁でまさにケンカ腰の彼女が、低燃費・高出力とは?

今までの女性のタイプを、彼女はこう定義づけている。「風よけ女と、向かい風女と、凪女と、嵐の女」。すべて、男性社会の逆風の中で生きる女性、という視点で形容した女性像。「男性に風よけしてもらうのもイヤだし、向かい風に立ち向かうのもイヤだし、凪のようにたたずんで人生の時を過ごすのもイヤだし、自らが嵐のような女にもなりたくはない」。よく言われるデキル女像。結婚して子供もきちんと育て、料理上手で家事もこなし、いつも身綺麗で仕事もバリバリできるキャリアウーマン。なんでそこまで歯を食いしばって努力しないと評価されないの? 家事や子育てだけこなせても「世間知らずの主婦」、仕事はバリバリできるけど結婚しない女性は「可愛げなくて結婚できない女」なんて。

ハイブリッド・ウーマンになるための方法を、彼女はこう断言する。「まず、男性の味方をつくる」。自分を守ってくれる男性を、貴重な資源として利用しよう。田中真紀子氏や辻元清美氏を例に挙げ、政治の世界で真っ向から戦いを挑み引きずりおろされた姿から、彼女たちの正当性を代弁する男性が少なかったことが敗因のひとつだと指摘している。「ムカツク制度の打破は可能な限り、その男性に代理戦争してもらいたい」。社会で今にも引きずりおろされそうなキャリアウーマン、その弁護は「差別だ」と言う女性より、「彼女は信頼できる」と言う男性の方がずっと価値が高い。

その他、ハイブリッド・ウーマンになるための方法論を、あけっぴろげに披露するのが彼女らしい。「マニッシュ&フェミニンなファッション」「恋愛は運命ではない。たかが趣味であると、言い切れる」「知るべきは、男性がどういう状況で敵になり、どういう状況だと味方になるかだ。資源を大切に使い切る技術を磨くことだ。そして仮に味方として機能してくれたところで彼らには限界があることを忘れずにいたい。」「利用できるものは柔軟に利用し、利用できないとわかれば後腐れなく廃棄する。会社も男も結婚も。」ここまで畳み掛けられると嫌気もさすが、実は著者自身もそこまで強い女とは思えない。自らを奮い立たせているのか。

振り返って、我が身はどうか? 「資源としての利用価値」と言われると身も蓋もないが、自分にとって価値を持つ人とそうでない人を振り分ける作業は、相手が男性でも女性でも自然と行っているように思う。しかし、その人にとっても、私は価値ある人間でありたい。「資源を使い切る技術」「利用できないとわかれば後腐れなく廃棄」などとは、思ったこともないし、大事な人からそう思われたくない。価値ある人との信頼関係は、その価値に見合う魂があってこそではないか。

氏の方法論は極端だ。確かに男性も女性も、ジェンダーからは自由ではない。男性と女性をはっきり分けて、ここまで資源としての男性の利用価値を論じるのも、深くジェンダーに依存している。このノウハウ集には役立つ部分もあるが、価値ある人との結びつきへの魂の姿勢は、変わらず大事にしたいと思う。

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紙の本親指Pの修業時代 上

2003/02/09 14:03

『素肌を重ねる』ことの深い快楽の源は?

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氏の著作は友人に勧められて、「裏ヴァージョン」など過去数冊読んだことがあった。私自身あまり小説は読まないのだが、親指Pの「P」は「ペニス」だと。ある日突然右足の親指がペニスになった女子大生の物語。以前読んだ氏の作品は同性愛者の心情描写が素晴らしく、胸に迫るものだったので、期待して読んでみた。

親しかった女友達の突然の自殺、その四十九日の日に右足の親指がペニスになってしまう。主人公の女性は感受性に乏しく鈍感で、この世界に予定されているものをそうであると疑問なく自分の考えにしてしまう人。自分は女性だから男性と付き合う、その男性といつか結婚する、と。また、人やモノゴトへの執着もなく、好き嫌いの感覚がほとんどない。

その彼女に起こった突然の災難。彼女は親指ペニスによってふりかかる運命の波に、またこれもあまり疑念なく流されて、恋人との別れ、盲目ピアニストとの恋愛、性の見せ物一座<フラワー・ショウ>への加入、その仲間の女性との恋愛など、彼女のそれまでの常識を遙かに超える体験をしてゆく。

秀逸なのは、やはり同性との恋愛期間の心情描写。それまで同性愛に深い嫌悪感があった主人公が、<フラワー・ショウ>のメンバーの一人「映子」と恋に落ちてしまう。彼女と初めて素肌で抱き合った瞬間の至福。「映子と素肌で抱き合った感動は予感通り、いや予感以上に強く、私は映子の体に腕をめぐらせたきりほとんど朦朧として動けなくなった。感動の内には、素肌を重ねたいという欲望がいかに自然に起こり、いかに自然に満たされたか、ということへの驚嘆も混じっていた」。さらに性的な行為に及んだとき、性的快楽は満たされそれを充分愉しむことはできても、素肌を合わせた時の痺れるような歓びからは遠ざかってしまう喪失感を覚える。それは何故なのか、著者はその歓びと喪失感の源を、しぶといくらいに描き続ける。上下巻の長い物語の中、これこそを書くためにこの物語があるのではないかと思わせるほどである。

その後、彼女と恋人として別れなければならなくなるまでの逡巡の描写も素晴らしい。彼女は友人として大切な人だ、単に肌を合わせられなくなることに、なぜこれほどまで辛く苦しいのか…。

私は読後に「あとがき」を読んだが、これから読む方にもぜひ読後に読まれることをおすすめする。そんなにあからさまに種明かししなくてよいのに…と思えるほど、主人公の設定、親指ペニスの発想の理由、この小説で何を書きたかったか、などが説明されている。著者のモノゴトに理由を求める完璧主義さが垣間見えるものだった。

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紙の本ヴァギナ・モノローグ

2003/01/27 01:45

「わたしのもの」にするには、自らが考え語らなければ。

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劇作家で詩人のイヴ・エンスラーが、年齢も人種も職業もさまざまな女性200人以上にヴァギナについてたずねたインタビューから、一人語り形式の芝居を元に、作者自身のコメントや新聞記事の断片などを集めた内容。

女性は自分のヴァギナのことを、自分の一部と感じておらず、なんだか自分とは遠いところにある気味の悪い場所、地下の倉庫みたいなところ、うっかりすると何ヶ月も、何年も、そこを見ることなく過ごせてしまう場所であり、その場所を自分のものにする機会がない。著者が様々な女性に問いかけることによって、はじめはためらっていた女性たちも、「いったん話し出すともう止まらない、みんな目を輝かせて、夢中になってしゃべってくれる。たぶん、今まで誰も、そんなことを訊いてくれなかったんでしょうね」。

語った言葉たちは様々だが、男性との性行為にまつわるものはほぼ皆無。遠くにある自分のヴァギナを「わたしのもの」として取り返すには、自分の幼い頃からの体験を語り、それを許し認める行為を経てようやく、それを自覚する。

語り部は、夫に陰毛を剃れと強要された女性、72歳の処女、月経にトラウマを持つ女性、女性サークルでヴァギナを初めて発見した女性、ボスニアのレイプ・キャンプの犠牲者、ホームレス女性が抱える幼児期の虐待、レズビアン…、本当に様々だ。しかし、私には現実感が薄く、その語りを通してヴァギナへの価値観が変わることはなかった。痛ましい話も多く、読むことができない部分もあり。

確かに私たちは、「わたしのヴァギナ」について語る機会は皆無だ。それについて真剣に考えたこともない。しかし、本書にある体験談を通じても実感することは難しい。200人にインタビューしただけあって、想像できないような体験がほとんど。「わたしのもの」にするには、やはり自らがそれについて考え、語るしかないのだろう。

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