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ひでさんのレビュー一覧

投稿者:ひで

47 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本猛き箱舟 下

2000/10/19 23:11

直木賞作家の描く名作

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本作は原稿用紙にして2千枚近くの超大作であるが、その厚さは一切苦にならない。疾走感に満ちたストーリー展開、なめらかな筆運び、登場人物の魅力ある造形。どこをとっても名作と呼ぶに相応しい作品である。

 企業の依頼を受け、邪魔を排除することを仕事とする灰色熊の異名をとる隠岐浩蔵。彼の部下となるために工作を続けた香坂正次は、念願かなって彼の部下となる。最初の仕事はアフリカでのゲリラの制圧。屈強な部下たちと共に仕事を行う香坂だったが、隠岐の狙いは彼を囮として使うことにあった。仕事の成功とは裏腹にゲリラに捕まる香坂。必死の思いで脱出した香坂は隠岐への復讐に立ち上がる。隠岐から差し向けられる刺客の数々。それらを倒し香坂は隠岐を追いつめていく。

 本作には二つの魅力的な要素がある。一つはアフリカを舞台にした謀略である点である。アフリカ地域は、ヨーロッパ諸国により植民地化されていた歴史を持つ。そんなアフリカを舞台にした本作は、植民地支配から脱却した国が、再び経済大国の金の力により植民地化されていく、そんな構図を浮き彫りにしていく。繰り広げられていく戦いは、企業の傲慢さと、ゲリラの純粋さという相反するものの戦いである。

 本作のもう一つの魅力が一人の男の復讐劇である。これは同時に一人の男が生きる意味を見つけるまでの物語とも言える。ひたすらに刺激を求める日々からの脱却を図った男が裏切られ、復讐に自らの生きる意味を求める。何とも皮肉な展開であるが、日々を刹那的に享楽的に過ごす現代の若者への強烈な批判であるともとれる。だが同時に彼は人間の感情といったものを失う。そんな彼が意味するものは、経済大国となった日本そのものの姿であるというのは深読みだろうか。ともかくも彼の姿には日本そして日本人そのものへの批判がこめられているように感じるのである。

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紙の本プリズム

2000/10/19 23:10

真実はどこにあるのだろうか?

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 世の中のすべては、見る人によってその姿を全く違う物へと変化させることができる。特に、音楽、絵画、文学等の芸術と呼ばれるものは、見る人の主観的な判断によるところが多いため、その評価は千差万別となる。どんな偉大な芸術であっても、人によってはくず同然の価値しか与えないだろう。そして人間もまた人によってその評価は大きく変わる。本作ではそんな人間世界を描いた作品である。

 小学校教師の美津子が、自宅の部屋で殺された。死因は、部屋にあった時計による殴打と見られた。現場はガラス切りで鍵を開けられ侵入された痕跡が残っていた。しかし彼女の体内からは睡眠薬が検出され、現場にあったチョコレートからも同じ睡眠薬が検出された。チョコは同じ学校に勤める男性教師から送られたものだった。この事件をクラスの子どもたち、同僚の女性教諭、昔の恋人、そして子どもの親がそれぞれ自分の立場で推理し、真実を突き止めていく。この事件の意味するところとは何か。そしてどれが本当の真実なのか。

 プリズム。本作の表題である。本作ではこの言葉に二つの意味を与えている。その第一が、本作では事件の真実が解明されない点である。次々に登場する人物たちはそれぞれ自分の持つ側面から事件を推理していく。だがそこに作者は答えを出さない。小説中の世界では、作者が描いた真実がそのまま真実となる。どんなに根拠が、論理が崩壊しようとも、作者がこれだといえばそれが真実である。麻耶雄嵩氏は、自作の探偵であるメルカトルに銘探偵という称号を与えている。銘の意味するところは、作者の安全保証である。ここから先には何もない、これが真である、そういう安全保証である。だが本作ではそれはない。プリズムで分解した光を再び収束させることがないように。

 そしてまたプリズムの意味するところは、被害者である美津子であり、そこに関わる人間たちである。事件はそれを推理する者たちによって、プリズムによって7色へと分けられた光のように様々な側面を見せる。そしてそこに関わる者たちも、主観が変わった途端にそれまで見えなかった様々な側面を見せる。そしてそれらの中心である被害者。彼女の存在は、天真爛漫で光り輝き、それを見る人を魅了する。同時に彼女の周りを囲む人たちを、様々な側面に分解していく。どちらの面から見てもプリズムとは彼女の存在そのものを意味している。

 透明で見ることのできない光が、プリズムを通すことで7色へとその姿をあらわにする。本作では事件を通すことでその本性を明らかにしていく人間そのものを描いた作品と言える。真実が明かされないことに不満を抱く人もいるかと思う。だが、現実を極めようとすれば、真実、虚構が渦巻くこんな世界こそ真実そのものである。

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紙の本オルファクトグラム

2000/10/20 23:43

これまでにない探偵の登場

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 人の感覚は個々人の主観に寄るところが大きい。もちろん感覚の良し悪しもあるし、それを理解する脳内の問題もある。特に問題がない人同士でも、もし体が入れ替わったらどれだけ違う世界が見えるのだろうか。きっとそれは想像のつかない世界なのだろう。それは感覚が異常発達した人間とならなおさらである。

 片桐稔は姉の家で暴漢に襲われ1ヶ月間意識不明になる。意識の戻った稔は自分が犬以上の嗅覚を得たことを知る。そして姉が殺されていたことを知った稔は同じ手口の事件が連続していることを知り嗅覚を使った捜査を始める。またバンド仲間の一人の行方が分からなくなっていることも知り、テレビの取材に応じることを条件にマスコミの力を借り捜査を始める稔。嗅覚により犯人痕跡を追い友人の行方を探る。果たして犯人を探すことはできるのか。

 井上夢人氏の最も優れた点はその発想力もさることながら、表現力にあるといえる。本作でもそれは遺憾なく発揮されている。文中で主人公が語るように匂いの表現はあまりに主観的である。それを克服するために匂いを色と形で表現する発想、それを読者に伝えきる文章力、その両者が相まって本作が成り立っている。その匂いの世界は詩的と言える。様々な形の様々な色をした匂いの粒が空中を漂い変化し続ける世界。それを氏はまるで自分が体験しているかのように描く。この世界は理解するにつれ、そのおもしろさにどっぷりと浸かっていくだろう。

 また本作はそんな嗅覚を身につけてしまった主人公の孤独感を描いている。真の天才は狂人のそれに近く周囲は全く理解できない。同じように本作の主人公もまた周りに理解されない。学者にはモルモットにされ、マスコミには見せ物にされる。そんな中でひたすら殺された姉と失踪した友人のために自らの能力を使い続ける主人公の姿には感動さえ覚える。とかく日本社会は突出した能力の持ち主を否定する世界ではあるが、そんな社会に対し挑んでいるようにも見える。本作はミステリとしてももちろん色々な意味で楽しめる作品である。

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紙の本少年名探偵虹北恭助の冒険

2002/04/18 02:16

大人向けジュブナイルの魅力がここに

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本作は、新本格作品の先鞭をとり、現在のミステリ界にあって確固たる立場を確立した講談社ノベルスへの氏の初進出作品となる。そんなレーベルの志向する本格作品の一つとして、本作は刊行された。しかし、氏は、あえてスタイルを崩さず、ここでもジュブナイル作品を持ってきている。ここには、これまで自分が築いてきたスタイルが、本当に大人にも通用するかを試しているようにも感じられる。その答えは、この作品を読んで、決めてもらいたい。

本作は、駄菓子屋に持ち込まれる穴あき菓子の謎を解く「虹北ミステリ商店街」、心霊写真騒ぎとその解決を巡る「心霊写真」、商店街に突如現れたペンキの足跡と飾り物、そして深夜に目撃された足跡の正体を探る「透明人間」、願い事を叶えてくれる幽霊ビルディングを巡る「祈願成就」、雷雨の中目撃された鬼とその正体を巡る「卒業記念」の5作品が収められた連作短編集である。

氏は、小学校の教師として、多くの子どもを見てきた。本作に登場する探偵役、虹北恭助は、古本屋の店主として学校へはほとんどいかない。しかし、それを教師も周りの子どもたちも何も言わず、彼を認めている。学校という組織の中では、突出する存在を認めず、それが故に、いじめ等の様々な問題を生んでいる。ここに描かれている世界には、氏の教師としての理想像が描かれているのかも知れない。そしてまた、こういった作品を大人向けの媒体において執筆したのは、そのメッセージを感じて欲しい大人にこそ読んでもらいたいといった、そんな願いが込められている、というのは考えすぎであろうか。

さて、江戸川乱歩や横溝正史といった探偵小説の大家は、多くのジュブナイル作品を輩出している。両者共に、現在でも多くの読者に支持されているのと同時に、その作品を通し、未だ新たな読者を開拓し続けている。氏は、本作のあとがきの中で、現在活躍する作家がジュブナイル作品に真剣に取り組めばという、そんな希望を書いている。最近、ティーンズ向けの文庫では、ミステリが多く見かけられるようになってきた。これは、そんな氏の希望が、世に認められてきた証なのであろうか。ともあれ、本当に真剣に作家が取り組めば、活字離れなどはきっと過去のものとなるだろう。本作は、そんな希望を込めた作品でもある。

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紙の本3000年の密室

2001/10/12 06:09

3000年分の衝撃

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 考古学とは、その時代に生きた人々の生活を、発見された遺物から類推し明らかにしていくという、ある意味でミステリとの共通点を感じることの出来る学問である。こんな部分にロマンを感じ、考古学の世界へと入っていった研究者も多いのだろうが、実際この世界に入ってみれば、大きな発見もなかなかできず、どろどろとした人間関係もありと、幻想だけでは生きられない世界であるのも事実であろう。実際、先日起こったアマチュア研究家の自作自演の発掘などは、これを証明する良い例だろう。本作は、そんな考古学の世界の両面を取り入れた本格作品である。

 長野山中の洞窟で発見された縄文人のミイラ。ミイラの背中には、石斧が刺さり、また右腕も失われていた。だが、ミイラの発見された洞窟は内側から石が積まれ密室状態となっていた。これに興味をもった女性研究者は、3000年前の殺人事件の調査を始める。そんな状況とは別に、考古学界ではこのミイラの新発見による論争がまきおこる。その最中、ミイラの発見者の一人が失踪し、死体となって発見される。二つの事件の真相とは何か。

 歴史をゲーム感覚でとらえ、そこに現代の事件をリンクさせるというミステリの形式は、氏を初めとした多くの若手作家によって、一つのジャンルとして確立されつつある。これらの作家に共通するのは、歴史に因習や怨念などの暗い側面を求めるのではなく、あくまでミステリ的な興味を引き立てる題材として扱っている点にある。

 そのために、必要な情報は出来るだけ平易な言葉で、なおかつ分かりやすく語られ、初めてその世界に触れる読者も、他の読者と同じ立場で作品を楽しむことが出来るように工夫されている。本作もまた、考古学という珍しい舞台を設定しながらも、その世界に容易に入り込むことができるようになっている。

 それと同時に、本作からはあくまで本格たらんとする意気込みが感じられる。考古学の側面に魅力を感じた人にとっては、作中の現代の事件は蛇足と思えるかも知れない。しかし、これがあってこそ、過去の事件もまた生き、本格ミステリとしても完成しているのだと言える。というよりも、考古学という昔の人々の生活を探る学問の世界を舞台にしているからこそ、過去現代の両者に共通して起こってしまう殺人事件が、人間の変わらぬ心情をある意味で克明に浮かび上がらせることに成功しているのだとも言える。

 ともかくも3000年前の殺人事件の真相は、圧倒的な破壊力をもって迫ってくる。デビュー作とは思えない筆力と、無駄のない情報の提出にとって構成された本作は、一読の価値がある作品である。

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有栖川作品が初めての方にどうぞ

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 本作はシリーズ探偵もの以外の短編、ショートショートを集めた作品集である。往々にして本格作家は短編がうまいという印象がある。特にショートショートなどは、その短すぎる文章の中でどう読者を騙してくれるのか、それが成功しているときは、かなり嬉しいものがある。本作に収められた作品群もまたどう読者を騙そうかという試みに満ちている。

 さて、有栖川氏の魅力は、そのキャラクター造形をもさることながら、線が細く一種女性的とも思えるその文章にある。往々にして氏のファンには女性が多いことも頷ける点である。その反面、クイーンへの思いを強く作品に打ち出しているところがミステリファンには受けるのだろう。本作では、『ジュリエットの悲鳴』という題名に加え、その内容の叙情的で女性的な雰囲気と、そこに加えて表紙もまた雰囲気を出している。そして同時に内容のミステリ度の高さという両者の雰囲気を見事に組み合わせている。

 とはいえ本作はあとがきで氏が述懐するように、バラエティに満ちたごった煮の作品集である。そんな作品の中でお薦めは「登竜門が多すぎる」。新人賞を目指す作家志望の青年のもとを訪れる妙なセールスマンの話である。すべてミステリを書くために必要なパロディチック商品の数々。そのネーミングセンスと内容のおもしろさはかなり見事である。裏有栖川作品のNO.1とでも言いたくなる作品である。

 他にも作家の夢に出て様々な小説の内容を明示してくれるという「パテオ」では何となく氏の願望のようなものが見える。また表題作「ジュリエットの悲鳴」は、ロックシンガーのCDに紛れ込んだ悲鳴の謎を叙情的に描き出している。ともかく本作は有栖川有栖の魅力が様々な面から詰め込まれた作品集と言える。氏の作品を未読の方にも、氏の作品を好きな方にも、この作品集はお薦めである。

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紙の本幻夜

2004/02/01 18:33

『幻夜』と『白夜行』の関係って……?

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 始まりは、阪神大震災のその日。すべてが崩壊した街の片隅で人知れず行われた一つの殺人。自殺した父親の葬式の朝、崩れた建物の下敷きになった叔父。叔父のポケットから覗く借金の借用証。水原雅也は、手にした瓦を振り下ろし、自ら叔父の命を奪った。

 そんな衝撃的なシーンから始まる物語は、その殺人を目撃した一人の女、新海美冬との出会いから、一気に加速する。彼女と共に東京へと進出した雅也は、影となり美冬を支える。二人の歩む道は「夜の道」。「たとえ周りは昼のように明るくても、それは偽りの昼」。

 本作は、装幀からも想像できるように『白夜行』を意識した作品である。装幀だけでなく、小説的な構造にも似た点がある。一つは、主人公が男女二人であり、そこに一人の刑事が絡むこと、一つは時系列に沿って物語が進み、そこに現実に起こった事件や社会状況が盛り込まれること。主人公の行動も、どんなことをしてでも勝利しようとする点に重点が置かれており、これらの類似点から本作を『白夜行』の続編として位置づけることもあるかと思う。

 だが、本作を続編として捉えるには、大きく違った点がある。『白夜行』では、その内容もさることながら、それまでの東野作品では見られなかった硬質で乾いた文体が印象的だった。この文体と共に、主人公の二人の行動を客観的に描くことで、人の理解を一切求めず、自分のためだけに生きていくその姿を浮き彫りにしていた。

 一方、本作では、乾いた文体が身を潜め、東野作品の多くに見られる比較的ウェットな文体が戻っている。その上で、雅也に焦点を合わせると、彼の迷いや苦しみという心の動きが主観的に描かれていることに気づく。これは『白夜行』にはなかった登場人物の内面描写であり、大きく違っている点である。

 では、両作品は全く違う作品であるか、といわれるとそうとはいえない。本作では、雅也の内面は描かれるが、一方の主人公・美冬の内面は一切描かれない。彼女の内面は、彼女自身の行動と会話の内容、そして周りの人間の想いから探る他はない。主人公の二人共にその内面が前面に出ず、読者はその行動から心の中を探る他はなかった『白夜行』との共通点がここにもある。

 こういった共通点と、違いという両面から考えると、本作は『白夜行』の続編ではなく、対になる作品と考えるのが正解だろう。本作は『白夜行』と、本質的に同じテーマを扱っている。この本質的なテーマとは、人間の存在意義、そのものであろう。『白夜行』では子供時代の事件によって、『幻夜』では震災と衝動的な殺人によって、それまで積み上げられてきたものがいったんリセットされる。

 ここから再構成される際に、自身の存在意義をどう捉え、そしてどういった方向へと動かすのか。この再構成されるまでを描くために、両作品共に時系列に沿い、再構成に影響を与えるであろう社会的な事象を取り入れているのではないだろうか。その結果、生み出されたのが本作では、雅也の生き方であり、美冬のそれである。

 本作では、東野作品の特徴である結末の曖昧さが非常にうまく使われ、読了後も読者に様々な想像をさせ、語らせる余地を与えている。ここで作者の考えをぶつけたり、明らかにある方向へと誘導するのではなく、読者の思い次第でどんな方向へも進むことのできるこの形。これもまた、自身の存在意義という重要でありながら、非常に曖昧な問題をテーマとした本作だからこその形だろう。『幻夜』『白夜行』この両作品を改めて対比させながら読んだとき、それはどんな想いを残してくれるだろうか。そんなことも考えながら、改めて両作品を読んでみたい。

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是非とも読んでおきたい良質のファンタジー

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 ファンタジーというと、剣や勇者や魔法や龍といったお定まりの小道具や登場人物を並べて、さもオリジナルの世界観を形成したかのように出版される作品が後を絶たない。もちろんこういった小道具や設定はファンタジー世界を形成する上で重要なポイントであり、このジャンルの流れの一つであることは事実である。しかしながら、こういった作品の多くは、小道具を並べただけで満足した、どれも似たり寄ったりの作品であることもまた事実である。

 この背景には、このジャンルの出版媒体自体が、ライトノベルを中心とするものやゲームのノベライズを中心としたものであることが大きいのだろうし、ファンタジーはいい大人の読むものではないといった風潮もまたあるのだろう。ただ、最近では、「ハリーポッター」シリーズが、その古くさいといっても良い設定とは逆に世界中で爆発的に売れている状況があるように、良質のファンタジーであれば、受け入れられる素地がまだあることは事実であろう。

 そんな中にあって本作は、良質のファンタジーであり、SFであるといって良い作品である。螺旋状に形成された荒野の町、メルルキサス。そこは、異形の遊女が鉱石の採掘人を相手にする歓楽街。子供のできないはずのメルサスの女から生まれた少年は、唯一の街の子供として育てられていた。ある日、この街に予言者の娘、カレンシアが、トリネキシア商会の手から逃げてくる。彼女をかくまう少年だったが、この街にもトリネシアの手は伸びてきていた。

 本作の魅力の一つは、少年の成長譚であることだ。しかし、本作では少年に過酷なまでの現実を突きつけ、簡単にはハッピーエンドには持っていかない。これは、舞台となる街が厳しい環境にあって、異形の姿へと変貌し体を売ることで生計を立てることを余儀なくされた歓楽街だからなのである。その中で暮らし、戦うことになる少年は、大人の嫌な面を徹底的に見せつけられる。その中での成長物語であるが故に、読者は心動かされることになる。この設定こそ、本作の強みであり、物語に深みを与える魅力である。

 そしてもう一つが、SF出身であるからこその世界の作り方である。SFとは現実世界を作中世界に取り込み、違和感なくそこに溶け込ませることで、現実への皮肉や批判をも折り込むことの出来るジャンルである。一見すると、現実とは全くかけ離れているように見えるため、どんな厳しいことが書かれても、それを読者はすんなり受け取ってしまう。しかし、その背景には現実世界のアイロニーが秘められている。本作にもそれがある。そしてそれは、純真な少年の視点を通すことでより一層際だってくる。だからこそ、本作は、巷にあふれる意味のない小道具を並べたようなファンタジーではなく、設定そのものにも深い意味を与えられた名作となっている。

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紙の本永遠の森

2001/03/31 23:24

今までにない発想の美しいSF短編集

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 一時期沈滞ムードを醸し出していた日本のSF界だったが、ここに来て有力な新人が登場するなど、再びブームとなりそうな予感がある。本作の著者、菅浩江氏はその中にあって、新しいSFを創り上げるそんな力を持った作家といってもいい。本作は、93年から98年に発表されたシリーズ短編をまとめたものである。今年の「SFが読みたい!」(早川書房)で国内編第1位に選ばれ、様々なサイト上でも高い評価を受けている。本作は、一つのシリーズとして楽しむのはもちろん、それぞれの短編一つひとつを味わいたい作品である。

 衛星軌道上に浮かぶ博物館、アフロディーテ。そこでは美の追求のため、記憶の女神と名付けられたデータベースコンピュータと直接接続された研究員が働いていた。3部門に分けられたこの中で、部門の調停にあたるアポロンの担当者田代。本作はそんな彼を中心に構築された9編の短編集である。

 「天井の調べ聞きうる者」では、脳神経科の患者を惹きつけ、音楽を聴かせることの出来るという絵画の美術的価値を探り、「この子だあれ」では持ち込まれた人形の鑑定を巡り、「夏衣の雪」では笛方の家元襲名披露をめぐるお家騒動を、「享ける形の手」ではかつて世界に旋風を巻き起こしたダンサーを巡る物語を描く。そして本作に一貫して流れ、その中軸を担うピアノとその演奏家を巡る物語は「ラヴ・ソング」で完結し、これを田代とその妻、後輩といった様々な人間関係の総括とも見ることが出来る作品である。

 SFとは世界を定義する文学である。自らの世界観を作中に完全に反映することが出来るのは、確かにこのジャンルを置いて他にはない。だが、それが現実から遊離し、荒唐無稽であるというのではない。確かに構築された世界は現実とは違うが、その世界に生きる人間は、やはり我々の世界と同様の心を持っているのである。だからこそ読者はその世界に自分を投影し、作中世界を楽しむことが出来る。

 本作には、世界の美を集めた宇宙ステーションと、思ったことをそのまま検索できる直接接続という新しい設定が見所である。特に前者の博物館惑星という存在そのものの魅力は絶対的である。フランスのルーブル美術館やイギリスの大英博物館など、地球上にもこういった試みを行おうとする試みはあるのかも知れない。だが、それを超え、宇宙という人類の夢である地に、美のみのために構築された存在を創り上げる発想は、今のところ聞こえてこない。

 宇宙で戦争があったり、宇宙上で生活するといった設定はSFの基本かも知れない。だが本作のようにそういった部分からは完全に離れたところに宇宙の意味を持ってくるところにこの作品の根幹があり、氏の世界観の魅力がある。この作品は今後も継続して連載されていくようである。今後も目を離せないシリーズとなることは間違いないだろう。

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紙の本動機

2001/01/19 04:56

2000年を飾るに相応しい、緊張感ある名作短編集

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 横山秀夫氏の名前を、今年まで知らなかった読者は多いと思う。私自身もまたその一人である。そんな氏が今年、日本推理作家協会賞短編賞を受賞。そして、受賞作を表題作とした本作が「このミス」を初めとする各種ランキングで高い評価を受けた。文学賞受賞作や、ランキング入賞作が、読者の評価と大きくずれることはよくあるが、本作にはその心配はいらない。読了後には、高評価の意味を十分に理解できる作品である。

 本作は、推理作家協会賞受賞作「動機」を初めとする4編が収められた短編集である。「動機」では、一括保管された30冊の警察手帳紛失の謎を描く。また「逆転の夏」では、刑務所から社会復帰した男にかかる殺人依頼の意味を、「ネタ元」では地方紙の女性記者に向けられた引き抜き話から始まる物語を、「密室の人」では、法廷で居眠りした裁判官の失態とその意味をそれぞれ描く。

 前作『陰の季節』では、警察内部の一般には知られることの少ない部署を舞台にそこに生きる人間像を、謎解きを中心にしながら描いている。しかし、本作では警察だけではなく、様々な場所、様々な人間がその中心にいる。前作もそうだが、一見すると最近流行の情報ミステリ的な作品かと思ってしまう。しかし、確かに珍しい舞台は用意されているが、それは本質ではない。

 本作の魅力は、圧倒的な緊迫感にある。それぞれは他人にはあまり大きな意味を持つ事件ではないが、主人公たちの切迫感、現実感といったものが読者にはひしひしと感じられる。そしてもう一つの魅力が、結末にある普遍性である。小説で描かれ続けてきた普遍的なものには、家族、友情、恋愛等といったものがあるが、氏の短編の背景には常にそれがある。そしてその普遍的なものは、徹底的に高められた緊迫感の解放と共に、安堵できる存在、意味として描かれる。

 この両者の絡み合いが、短編の短さの中で密接に引き合うことで、互いを惹きたて、作品としての完成度を高めている。そして、導入部の入りやすさ、中盤のサスペンス性、後半の逆転、結末の安堵感といった構成の見事さと共に、深い味わいをもって、心地よい読後感を与えてくれる。ともかく、2000年を飾るにふさわしい作品である。

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紙の本ガラスの麒麟

2001/01/19 04:53

高校時代を真正面から切り取った名作短編集

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 古今問わず短編の名手というのは多く、年代や好みに応じて、読者それぞれ好きな短編の書き手がいると思う。そんな短編の名手を顕彰するのが、推理作家協会賞の短編部門であるが、加納氏は本作の表題作「ガラスの麒麟」でこの賞を受賞している。他の作家とはまた違う、魅力あふれる連作短編である本作はぜひとも読んで欲しい作品である。

 本作は、一つの事件をきっかけとして起こるその後の出来事、事件を取り扱った連作短編集である。花沢高校の生徒だった安藤麻衣子は、ある日通り魔に襲われて殺される。だがその後、麻衣子の同級生、野間直子はまるで彼女の霊が乗り移ったかのような言動を取り始める。その中には麻衣子が殺されたときの状況まであった。直子の元を訪れた養護教諭神野は、どうしてそれが起こったか、その理由を探っていく。そして彼女のつかんだ真相とは何か。麻衣子の事件、それ以降の高校生たち、麻衣子が残した「ガラスの麒麟」という童話。事件に関わる様々な出来事を神野が解決していく。

 少年犯罪の凶悪化がマスコミで多く報道されるようになると同時に、ミステリの世界でも少年を主人公したり、少年犯罪を取り扱ったりする作品が目立つようになった。その内容は様々であるが、社会情勢を反映したのか、理解しがたい面を徹底的に強調し、その裏には家庭や学校、さらには社会に問題があるといった紋切り型のものが目立つ気がする。

 本作では、これまた最近の定番ともいえる女子高生を扱ったものである。女子高生は、理解し難い部分をもつ典型的な対象として作中に登場することが多い。もっとも、その傾向はむかしからそれほど変わっているとは思えないが、上記の少年たちのように安易な捉え方をする作品が多いのもまた事実である。

 その中で本作は、穿った捉え方をするのではなく、高校生という時代を真正面から見据え、素直に描いていくことで、逆に心の内にある闇を浮き彫りにした作品といえる。本作は、氏が初めて殺人というテーマを取り扱った作品として注目されたが、それもまた闇の部分を描く上で重要なポイントとなっている。

 それに加えて、氏の感性がもたらす全体的な美しさは、それを引き立てることに成功している。綺麗な花にはトゲがある、そしてまた花の寿命は短い。本作はこの言葉を体現しているように思える。美しい時代である少女時代を描き、同時にその未熟さ故の残酷さを描く。そして楽しい思い出に彩られたこの時間ははかない。いつしかその時代が終わり、自分自身の足で歩いていかなくてはならない。そしてそれが分かっているが故に、享楽的な日々を必死で楽しもうとする。そんな瞬間を切り取った作品である。

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紙の本Alone together

2000/10/04 23:55

是非読んで欲しい傑作

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 本多孝好は、短編集『MISSING』でデビューを飾った。ゆっくりとしたペースで描かれたこの作品集は、透明感のある文章と、静かな展開、そして人間心理の奥底に潜む不思議さを描き高い評価を受けた。一面から見ればミステリとはいえないかも知れないが、ジャンルを超えた魅力を持った作品である。本作はそんな魅力を十分に味わうことができる氏の第一長編である。

 学生時代の教授に呼び出された柳瀬は、教授が死亡させた患者の娘・立花サクラを守って欲しいと頼まれる。柳瀬には人と心シンクロさせることができる不思議な能力があった。彼は、不登校児を集めた学校でバイトをしていたが、そこに来る少女にサクラとの仲介を頼む。サクラと出会った日、彼は能力を使おうとするが、彼女に拒否される。同じ頃、柳瀬は教授の犯した事件を探るフリーライターにつけ回される。彼は柳瀬の父が母を殺した事件を持ち出してくる。学校に通ってくる少年少女たちとの関係、恋人との関係。その中で出会う様々な人との関係の中で、柳瀬が見いだしたものとは何か。

 この物語には様々なテーマが詰まっている。マイノリティとマジョリティ、本能と理性、生と死、神と悪魔。言葉にすれば大きなテーマであり、実際に直面するようなテーマではないようだが、形を変え身近なテーマとして我々の前に立ちふさがる問題でもある。

 それらはどんなに時代が変わろうとも変わらない。我々の前に現れたときのそれは、家族だったり、愛情だったり、友情だったり、自分のことであったりする。そして他者との関係の中で、社会との関係の中で、自分自身の中で葛藤を繰り返し、答えを求めていく。

 これはより純粋であればこそ、大きな壁となって向かってくる。本作ではこのテーマは、多感な時期である中学生を中心に、理想に向かって生きる医者や自分ではどうしようもない状況に追い込まれた人々に突きつけられている。そしてまた主人公の柳瀬の持つ能力によって心の壁を破った人が、今までわざと避けてきたこれらのテーマに直面する状況が描かれる。

 往々にしてこのテーマは純文学の世界でよく書かれてきたものである。しかし、本作では氏の手にかかることで、不思議さと幻想性に満ちた小説へと形を変えた。透明感のある文章、静かな展開であればこそ、内面の葛藤、戦いはより一層鮮明に打ち出されていく。難しいテーマでありながら、すんなり入り込め心に残る小説となった本作は、是非読んで欲しい作品である。

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はやみねかおるを知るのに最適な一冊

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何故かどんな学校にあっても、七不思議というのは存在するものである。その多くは、階段が増えたり、トイレに花子さんがいたりと、どこかで聞いたことがあるものが多く、よくよく数えてみると七個以上あったりして、今考えると面白いものがある。しかし、七不思議は、不思議な怖さと魅力を持って、子どもたちの間に広がっていた。本作は、そんな七不思議に題材をとった魅力的な作品である。

たった6人の子どもたちしかいない村の小学校、大奥村小学校は、一学期をもって廃校になることが決まった。そんな子どもたちを前に、校長先生は学校に伝わる七不思議を話し出す。骸骨標本が踊り、大岩が歩き出し、絵の中の少女が一人増え、階段は減る等々。そして、再び学校を訪れる子どもたちの前で、本当に七不思議が発生する。その真相を探り始める子どもたち。そして花火大会の日、明らかになったその真相とは何か。

本作には、二つの魅力がある。一点は、もちろん、本格作品としての面白さである。本作には、「読者への挑戦状」が挿入されている。ミステリ好きには、おなじみであると同時に、作品の魅力を高めてくれる要素でもある。一方で、つまらない結末が待っていたときの失望は倍増するものであり、作者にとっては使いどころを誤れば、その作品を台無しにしてしまう危険をも秘めている。もちろん、本作にはおいては、そんな心配は要らない。「読者への挑戦状」は、作者の自信を裏書きするように、その後の面白さを倍増させてくれている。

もう一点は、結末に待つ真相の爽やかさである。氏の作品では、殺人事件等、子どもたちにとって陰惨で悪い影響を与えそうな部分を排除している。と同時に、その結末は必ずハッピーエンディングに仕立て上げており、安心して読むことができる。それは、大人が読んでもわざとらしさや無理がなく、作品の雰囲気にマッチしており、作中にしかけられた謎が、この結末によってよりひきたてられる相乗効果を産んでいる。本作においても、その結末の後に待つ掌編が、より作品をひきたてており、安心感すら受けることができる。本作には、そんな氏の作品の持つ両者の魅力が詰まっている。まずは読んで欲しい作品である。

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紙の本消える総生島

2002/04/18 02:14

卓越したプロットを楽しめるジュブナイルミステリ

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長大化するミステリ界にあって、氏の書くようなジュブナイルだけは、その性格上、長大化することが難しい。作者は、無駄な描写を削り、本格作品としての魅力だけを描き出すという、苦労を強いられることになる。これは、一歩間違えれば、簡単に謎が解けてしまいミステリとしての魅力を失うことに通ずる。だが、氏の作品では、その両者を見事に並立させている。本作は、無駄な描写の多い作品が増えてきている中で、こういった作品も確立しうることを、見せつけられる作品である。

亜衣、真衣、美衣の三姉妹に映画出演の話が決まり、三姉妹は、名探偵夢水清志郎と共に、ロケ地の総生島へと向かう。だが、到着と同時に船が爆破し、彼女たちは島に取り残された。島にある館に泊まる彼女たちだったが、目の前で次々と奇妙な事件が起こり、奇怪なメッセージが残される。人が消え、山が消え、島が消え、そして館が消える。そして明かされる真相とは。

はやみねかおる氏が、その人気を不動のものとしたのが、一連の夢水清志郎シリーズであろう。この作品群は、名探偵を自称する夢水清志郎と、隣に住む三姉妹とが次々と起こる難事件に挑むというシリーズであるが、児童向けの文庫に収録されながらも、その作品は、大人の鑑賞に耐えうる魅力を持っている。特に、殺人事件等の陰惨な部分を作品から排除しながらも、本格作品としての魅力を失っておらず、この点ではいわゆる日常の謎派に類する作品の一つといえるかも知れない。

本作は、そんな夢水清志郎シリーズ、三番目の作品である。本作は、このシリーズの中でももっとも大がかりで、魅力ある作品といえる。本作の中核を占めるトリックは、様々なところで指摘されているように前例がある。しかし前例があるから、その作品は駄目かといえばそうではない。ミステリにおいては、新しいトリックを生み出すことがその魅力であるのはもちろんであるが、生み出されたトリックをアレンジし、その見せ方を創出するすることもその魅力の一つとなる。本作は、卓越したプロットと、その結末の見せ方によって、それを再確認できる魅力的な作品である。

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紙の本超・殺人事件 推理作家の苦悩

2001/10/12 06:13

こだわりと笑いと

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 東野圭吾は、非常に器用な作家である。だが、同時にある意味では、非常に不器用な作家といえるのかも知れない。氏の最大のこだわりは「ミステリ」作家たろうとする点にある。その結果、テーマによっては、結末での謎解きといった側面にこだわることで、ミステリ好き以外の読者層には失望を与えることもあるのではないだろうか。

 だが、ミステリファンにとっては、頼もしい作家であるといえる。本格だけでなく、細分化された様々なミステリのジャンルにおいて名作を持ち、作品自体は確実にある一定ラインを超えた作品を発表し続ける。そして、どうあってもミステリへとこだわり続ける。本作には、そんな「ミステリ」作家・東野圭吾による、強烈な皮肉の込められた短編集である。

 本作には、8編の短編が収められている。「超理系殺人事件」では、理系人間へのこだわりを見せる読者が、必死で難しい理系知識の込められた作品を読み続ける話を、「超高齢化社会殺人事件」では、高齢となり妙な作品ばかりを持ってくる作家と編集者の話を描く。また「超長編小説殺人事件」では3000枚の大長編を依頼された作家とそれを売る編集者の苦悩を、「超読書機械殺人事件」では作品を要約し書評まで書いてくれる機械を巡る物語を描く。

 東野作品には、『毒笑小説』や『怪笑小説』といったシニカルな笑いを誘う作品がある。本作もその趣向で構成され、最近のミステリ界の様々な事象をデフォルメし、皮肉ることで、笑いへとつなげている。確かに最近のミステリ界、出版界は一種異様な状況にある。大長編が連発され、理系ミステリが妙に増え、更には異常な数の作品が出版される中で作品を選ぶことさえ難しい読者が、大々的に宣伝されるそういった作品をありがたがる。

 こういった悪循環とも思える状況を構成する、作家、編集者、読者、書評家という4面から作品は構成されている。もちろんミステリ的なオチはきちんとつけているので、面白がっていると見事にひっくり返されるという点は、さすがにこだわりを見せる作家である。本作を読み終わると「日本推理作家協会、除名覚悟」などと書かれた帯もまた非常に皮肉で、笑いを誘ってくれる。

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