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青木みやさんのレビュー一覧

投稿者:青木みや

38 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本狂牛病 人類への警鐘

2001/11/20 22:45

目新しい視点ではないが、手堅いまとめ方

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 イギリスで、ウシの奇病である狂牛病(牛海綿状脳症、または「BSE」)がヒトに感染する可能性が認められたのが、1996年3月。EU諸国はイギリス産牛肉の輸出禁止措置をとり(1998年11月23日解除決定)、イギリス畜産業は大打撃を受けた。ところが、2000年秋になりドイツやフランスで狂牛病が発生。再びヨーロッパをパニックが襲った。そして2001年9月、日本でも狂牛病の牛が見つかり、東アジアで最初の発生となった。
 本書では、プリオンと狂牛病の関係や感染・発症のメカニズム、狂牛病に対するイギリスやヨーロッパの状況、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病で家族を亡くした当事者の談話、そして現代の食や農業事情などをまとめたものである。1996年から以降、ヨーロッパ諸国が混乱し神経質な雰囲気のまま過ごしていることがよく判る。
 狂牛病や羊のスクレイピー、そして人の病気であるクロイツフェルト・ヤコブ病の病原体はプリオンという蛋白質である。狂牛病は、スクレイピーで死んだ羊を動物性飼料つまり肉骨粉として牛に与えたところから広まったようだ。その狂牛病が人に感染すると、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(または「v-CJD」)と呼ばれる。
 プリオンは加熱や消毒に強く潜伏期間が長い病原体で、まだまだ解明されていないことが多い。プリオンについては『死の病原体 プリオン』に詳しいが、どの本を読んでも狂牛病の不安が解消されるわけではない。日本人に変異型クロイツフェルト・ヤコブ病が発生する可能性は低いと本書ではされているが、100%安全なわけでない。
 しかし、私たちはこれまでの経験を元に食べ物を選んでいかなければならず、単純に牛肉を食べないという方法は、場当たり的な解決策でしかない。根本的に食の安全性を確保するにはどうすればいいのか。本書は目新しい視点や解決方法が書かれているわけでないし、主張にやや偏りもあるが、手堅くはまとまっている。
 ちなみに著者が主張している牛の素性が判るような牛のパスポート作りについては、先日テレビで「牛の総背番号制」として取り組んでいる牧場を紹介していた。食肉となる牛を、餌まで完全に一頭一頭管理するシステムというのを有機農法の農家が率先するというのがとても皮肉に感じられる。
<目次>
第1章 恐怖の始まり
第2章 狂牛病とは?
第3章 大混乱のイギリス
第4章 不安はヨーロッパ大陸へ
第5章 クレアさんの死
第6章 クウエニブル村の悲劇
第7章 大丈夫か?現代の食
第8章 揺れるヨーロッパ農業
第9章 狂牛病・日本上陸の衝撃
第10章 人類への警鐘

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紙の本オルガスマシン

2001/07/05 15:32

珍しいSF

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 解説(大森望)によると、世界ではフランス語版してか出てない「イアン・ワトスン幻の処女長編」。「ワトスンが日本滞在中の60年代に構想し」、1970年に初稿、1982年に全面改稿された。

 舞台は、〈暗示感応性ウィザード&共感マシン(SWARM)〉と〈確定法運用モジュール(MALE)〉と(日常生活機械人間(DETA)〉によって管理された秩序の整った近未来世界。

 そこでは女は快楽と奉仕を男性に提供するために存在する。羊水タンクで育ち、注文通りに人体を改造されたカスタムメイド・ガール、10ドルでオルガスムをさせる自動販売機にさせられた女達やファックイージィ・ガールと、女はみんな脳ネットを埋め込まれたオルガスムマシン。彼女たちの「自意識」が目覚め、奴隷から解放されるのはいつの日か。

 小説としてはカリカチュアライズされた世界がどうもリアリティに乏しい。特に女性達の感情の起伏が突拍子もなく、革命に向かう思考の経緯も不鮮明なので、不自然さがぬぐえない。だが人間の隠された欲望を赤裸々に描くことに挑戦し、男女平等という建前の現代社会を強烈に風刺している辺りが珍しい。しかも初稿の年代を考えるとワトソンのフェミニズムに対する考え方を知りたくなる。

 あと表紙とカラー口絵のフィギュア(荒木 元太郎)が素晴らしく緻密な出来。なんというか小説本文よりこちらの方にリアリズムを感じて興味深かったです。

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紙の本文字禍の館

2000/12/17 09:15

字面だけではちょっと判らない怖さ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ある大金持ちの変人が建てた「文字禍の館」。入館したまま消息を絶った者がいるという怪しいテーマパークだ。オカルト雑誌「グノーシス」編集部の髀塚は、「館」から提示された条件をクリアした編集見習いの纐纈とカメラマンの蠻を連れて、館を訪れる。館からの条件とは、そして彼らが館で見たものは……。

 名は体を表し、文字が息づいている世界。普段は忘れているが、文字は意味のある「ことば」の集合体だったりする。例えば、「屍」。部首「しかばね」、訓読みも「しかばね」」。部首の下には「死」。分解すると、すっごいいやーんな気分になる。辞書で「かばね」を調べてみると、「姓」も「かばね」であり、名なのだ。「屍」と「姓」。死体と姓氏は、よみは同じなのである。ほらほら、嫌でしょう。
 アイディアで突っ走った言葉遊びの世界なのだが、字面だけではちょっと判らない怖さを堪能出来る。

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紙の本駈け出しネット古書店日記

2004/06/13 10:30

古本屋は本への愛情はあっても、執着があるとできない商売

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 フリーライターであった著者が、『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』(北尾トロ著、風塵社)を読んで、オンライン古本屋を始めてしまった、という。そ、そんなに簡単にやっちゃっていいものなんですかっ、って感じなんです。しかも、ネット古書店をやろうと決めてから、「ドリームウェーバー」を買うことを決める、とゆー、うう、なんというか、サイトを持っているからアフィリエイトしようか、という私のようなついで人間とは違う感覚ですね。
 だから、本書の最初は、古本稼業より、ホームページの作り方がどうこう、CGIがどうこう、インターネット・エクスプローラーでプレビューしても上手く見えない、とかネットスケープナビゲーターでも試したいとか、そんな記述が多く目に付く。

 おまけに「日記」なので、著者の日常のつれづれ……飼い猫が鳥を捕まえてきたとか、『ダ・カーポ』に書いた書評……が入る。なんか、妙にほのぼのしている。

 2001年3月2日に古物商許可証を取得し、27日に開業。徐々に、「初版・帯付き」の注文に帯のついてないものを混ぜて送ってしまってクレームが入ったり、ブックオフに【セドリ】に行ったりと、古本屋らしげな(?)姿が増えてくる。
 そうして徐々に、サイトの作り方や不具合に関する記述が減っていき、市に仕入れに行ったり、古本屋のポリシーを語り出したりする2003年にはもう立派な古書店主という感じである。

 ネット古書店主は2年で成る……のかねえ。著者の場合は、もともとライターで書籍に関する知識も蔵書もあったから、というのは確かだろうが、自分の蔵書を売る気になれるのだろうか。

 その辺を、著者は「図書新聞」のインタビューで、「古本屋を始めた頃は、この本も売れて行っちゃうのかっていう思いはありましたよ」「自分の肉を切っているみたいな感じ」と述べている。
でも、

買って読まないままの積ん読本だと、これをずっと置いていても、
もうこの先読み返さないだろうと思う本がいっぱいあるわけです。
それは売れてもいいやと思えてくるんですね

 と執着心が薄らいでいく。
 そう、古本屋は本への愛情はあっても、執着があるとできない商売なのであるね。

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紙の本乙女の怒りは最終兵器

2002/03/23 22:28

総理大臣でもなくなってしまったけど、のえるのパワーは健在

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 基本のあらすじ:折原のえる(14)は悪魔メフィストの力で日本国第90代内閣総理大臣に就任した中学生。のえるは格闘にかけては天下無敵。負け ず嫌いでイタズラが大好きで、やることなすこと常識を超越している。権力を振り回す彼女のいるところには騒動が絶えず、振り回されるのは常に幼なじみの健太なのだった。

 1巻『彼女がもってる核ボタン』ではドナービジネスを織り込んでいたが、3巻では9.11テロ&アフガン空爆というデリケートな問題をモデルに、いままでになくシリアスな展開に。テロで友人を失ったのえるは、真っ正直に一本気に、我が道を進み、友人を失った理不尽な出来事にぶつかっていく。総理大臣でもなくなってしまったけど、そのパワーは健在です。

 理不尽だけどどうしようもないことに、人は何ができるのか。マジに考えてしまったですよ。

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「変身」を望む人間の欲望へ迫る

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 1991年単行本に書き足したもの。美容整形(*美容整形は正式の名前ではない。美容外科が使われる)の医者側や体験者への取材や美容整形の歴史、海外事情まで調べ、「身体改造」「変身」を望む人間の欲望へ迫ろうとしている。

 書き手の方が美容整形というものの是非に答えを出せずにいるんだろうという印象を受けた。取材の結果と美容整形の現状が主で、考察が足りず物足りない。これでは「体にメスを入れでも、きれいになりたい」と考える人々に考えを整理する道具として使って欲しいとの著者のアプローチがどこまで通じるだろうか。

 ただ意外に医者の未熟さから来る事故がある内情や週刊誌の美容整形の記事は広告費を出して書かせている場合もあるというのは、参考になった。

 私的には美容整形に関するメリットとリスクを了承し、また「美」の概念の曖昧さや社会的な押しつけをわきまえて、なおかつ、美容整形を選択するぐらいの気概があれば良いんじゃないかと思うけど、そんなことを考えている人は少数だろう、きっと。美容整形は、生殖医療やバイオテクノロジーより身近でお手軽な欲望と癒しの場であることは、間違いない。

<目次>
第1章 現場─手術室
第2章 患者─漂う身体
第3章 歴史─美容整形進化論
第4章 テクノロジー─シリコーンというハイテク素材
第5章 医者─美人製造ドクター
第6章 越境─美容整形海外事情
第7章 未来─21世紀・身体加工のゆくえ

<関連書籍>
ナンシー・エトコフ著『なぜ美人ばかりが得をするのか』(草思社 2000.12)
エリザベス・ハイケン著『プラスチック・ビューティー 美容整形の文化史』 (平凡社 1999.5)
塩谷 信幸著『美容外科の真実 メスで心は癒せるか?』(講談社 2000.2)
酒井 順子著 『容姿の時代』(幻冬舎 2001.8)

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紙の本ブリージング・レッスン

2001/03/06 10:19

ほろ苦いユーモアが込められた”家族の肖像”

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 ドジでおせっかい焼きで思いこみの激しいマギー。真面目で几帳面なアイラと結婚して28年。子供は男の子と女の子の2人。息子のジェシーはロックバンドで歌っていて結婚して離婚して仕事は続かない。娘のデイジーは親を軽んじ家を出ていこうとするばかり。
 マギーは友人の夫の葬式を機に、ジェシーの別れた妻フィオナとその子供ルロイが住む家により彼らを自宅に連れてこようと思い立つ。2人は愛し合っていたのだもの、きっと元通りになる。
 家族だけども、家族だから。うまくいかなくて。悲しんで。孤独で。でもマギーは呟く。「だいじょうぶ。よくなるわ。きっとよくなっていくわ」

 ピュリツァー賞受賞作品。ここでのポイントはマギーに同調できるかどうか。自分がこうと思ったら、良いように話しを作り上げ信じ込む、感情に走りやすい40代後半のマギー。フェミニストから反発を受けてきたと解説にあるように、上手く立ち回ろうとしても裏目にしか出ず孤軍奮闘するマギーは、結婚・家族・家庭という枠からでない受動的なタイプだろう。が、描かれている形そのものはどこにでもある(アメリカの)家庭の姿であり、身の回りの姿だ。ほろ苦いユーモアが込められた“家族の肖像”に共感してしまう人は多いのでは。

【初出】

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紙の本仮想の騎士

2001/03/04 09:33

気軽に読める。ベルばら世代は必読!

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 18世紀半ば、フランスに美しい騎士がいた。その名をデオン・ド・ボーモン。彼が愛するのは百合の香りが似合う乙女。その乙女にふさわしい騎士になるべくデモンは大役に挑んだ。それは女装して露西亜に潜り込み、露仏国交を復活させることであった。

 艱難辛苦を乗り越えて、女帝エリザヴェーダに気に入られたデモンは見事、役目を果たし、パリへ凱旋する。ところが一難去って又一難、運命は転々流転。かの乙女がルイ15世の愛妾として求められたというのだ!彼は災厄と苦労の女神に愛された男だったのか。

 喜劇的要素をプラスした絢爛豪華なフランス大河歴史恋愛小説かと思いきや、見事なまでに騙された。やられた!!ファンタジーというか中世ヨーロッパの錬金術や黒魔術という妖しい要素をちゃんと活かしていた。後半1/3の追い上げは目を瞠る。ファンタジーノベル大賞はこれだから侮れない。

 デモンや彼の師サン・ジュエルマン伯爵の生き様をもう少し読みたいけど、この終わり方は終わり方で良いのだろう。ロシア女帝エリザヴェーダや副宰相ヴォロンツォーフ、その姪エカテリーナ、女衒で山師のカザノヴァ、国王ルイ15世、ポンパドゥール侯爵夫人などきらびやかでなにかニヤリとする陣立ても功を奏している。

 気軽に読める楽しい軽さだった。第12回ファンタジーノベル大賞優秀賞。

【初出】

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紙の本熟年性革命報告

2001/01/28 13:09

高齢者の性をクローズアップ

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 小林照幸は「自分が老境に達したとき、自らの性欲とどのように向き合うことができるか」とこのテーマの取材を始めたそうだ。「高齢になると性欲が枯れる」という「常識」(?)が大きな誤りであることが示される。

 初っぱなの「妊娠を気にしないセックスがこんなに楽しくて、気持ちのいいものとは思わなかった」「私と寝てくれる男がふたり、ちゃんとここにはいたしね。この施設に入ってよかった」と80歳を越える女性のセリフには度肝を抜かれた。高齢者と一くくりにしても体力には個人差が大きい。私の中では体力的には70代くらいまで?という偏見があったのだなぁ。性欲は脳でコントロールするもの。脳がしっかりしていれば、恋愛もあるしセックスも出来る、と。

 老境のセックスは、お互いを労りあい味わい深い、心の安らぎが得られるという。おかげで小林は個々の高齢者にあわせた性風俗の情報や風俗店の利用をコーディネイトするという「性のシンクタンク」構想まで考える。

 余談:この構想自体は「男性はお金で気軽に性を買えば良い」という男性原理が入り込んでいる。女性向けサービスには、『金銭を対価に、高齢の女性の相手をつとめ、実際に「勃起」して顧客の気持ちを満たしてやれるのか、というサービスする側の心理的、生理的な壁』があるというが、高齢の男性を相手にする風俗の女性には心理的、生理的な壁はないとでも言うのだろうか。私は男性に高齢女性向けにサービスをしろと言っているわけではなくて、小林の「男性は風俗を利用するのが当たり前」的な書き方が気になるのである。本人も「無意識のうちに男性に限定していた」と反省の弁を述べてはいるが。
 あと、高齢者は「妊娠」は関係ないけど、性行為感染症いわゆる性病は関係あるのでね、本書はそれには全然触れてないけど、内容を明確にするために絞ったんでしょうか。

 高齢者の性がクローズアップされてきた理由として老人ホームが上げられる。一人暮らし・家族と同居の高齢者ばかりだとこんな話題はいまだに出にくかったろう。なぜか老人ホームで個室がある所は、まだ少ない。どうしてもホーム内での恋愛は隠れる場所がなく、目に付いてしまうのである。高齢者の性が認識されてきたのは、高齢者のクオリティ・ライフ(QOL)を考える上では良い事なのだろうが、QOLを重視するなら、まず老人ホームでの個室(プライバシーが守れる場所)の確保、バリアフリーで単身の高齢者にも住み易い住宅(高齢者の囲い込みにならないように注意する必要はある)、高齢者が外に出て出会う機会をもてる場の拡充を考えるのも大切だと思う。

【初出】

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沖縄の太陽のようにパワフルで、楽しさが突き抜けた「気持ちの良い」物語だ。

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 沖縄出身の作家、池上永一のデビュー作。第6回(1994年)ファンタジーノベル大賞受賞作。
 南の島にすむ19歳の仲宗根綾乃は高校を出てから、だらだらずるずるとぷー暮らしを満喫していた。美人でスタイル抜群の綾乃だが、下品で乱暴。フユクサラー(怠け者)でフリムン(馬鹿者)と呼ばれてもそれが自慢だ。裏でこそこそ言う奴らや都会に毒された奴らには蹴りを入れ、綾乃は今日も親友のおばぁ・オージャーガンマーと遊びまくる。
 だが、幼い頃から強い霊能力を持つ綾乃は、ユタ(沖縄独特の巫女)になれとの神様のお告げを受ける。苦労は御免だと反抗して神罰を当てられたり、古手のユタ・カニガメといがみ合ったり、綾乃は常に騒動の中心にある。
 勢いは抜群であるが、起承転結の効いたストーリー構成になってないし、ラストへの持って行き方もやや強引でちょっと違和感を感じる。急にしんみりさせるより騒々しさのまま、楽しくお祭り騒ぎで終わった方が私的にはすっきりした。だが沖縄の太陽のようにパワフルで、楽しさが突き抜けたとても「気持ちの良い」物語だ。

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経営のプロの意識革命

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 福祉は、いままで「措置」つまり「行政による援助」であり、「可哀想な人たちへのほどこし」であった。福祉に携わっている人たち自身もその考えから抜け出せずに、「福祉を一生懸命にやっている私たち」に満足し、障害者が1ヶ月働いた給与が1万円にしかならなくても、痛痒を感じていなかった面がなかったとはいえない。

 それに対して、「1ヶ月働いて1万円というのはおかしくないのか」という「当たり前」の疑問を持ち、疑問だけではなく、障害者が働いて稼げる具体的な手法とシステムを提示したのが小倉昌男の偉大さである。
 小倉は、1995年にヤマト福祉財団を成立し、考えた。障害者の自立とは、働いて収入を得て生活できるようになることではないか。

 「働いて自立すること」は「障害者」をかぶせなければ、大人であれば当たり前のことで、働いて自立しない大人は、ダメ人間と言われるのだ。だが、「障害者」とつくだけで、働けないこと、収入を得られないことは当然のように考えられてきた。もちろん障害の度合いにもよるだろうが、障害者だって、働いて自立したいのだ。そして、小倉は、福祉に携わる人たち向けに「経営パワーアップセミナー」を開催し、経営の基礎を教える。
 本書は小倉が、ヤマト運輸で培ってきた経営のノウハウが満載されている。

 「売れるモノをつくる」ことはとても大事なことだけど、
 「売れる仕組みを考える」ことはもっと大事なことだ、ということです。
  (第2章 福祉を変える経済学 116p)

 小倉がモデルとして作った「仕組み」がパン屋「スワンベーカリー」だった。「アンデルセン」「リトルマーメイド」などのタカキベーカリーから、冷凍パン生地の技術指導を受け、「スワンベーカリー」でパンを焼いて売るのだ。
 小倉は自ら、広島のタカキベーカリー本社研修センターに赴き、冷凍パン生地を使って、パンを焼く。

 もちろんそれまでパンなど焼いたことがありません。
 ところが見事においしいパンが焼けた。(中略)。
 私ができるならば、障害者にだってできる。
 (第1章 障害者の自立を目指そう!私の福祉革命 75p)

 もちろん障害者だけでは、店は上手くいかない。スワンベーカリーでは健常者を障害者と同程度揃えている、という。それでも、スワンベーカリー銀座店では、障害者がフルに働けると10万円程度の月給になるのだ。ひとり暮らしをするには足りないかもしれないが、食費と自分の欲しいものは買えて、貯金できるくらいのお金だ。

 本書を読んでいると、「障害者が作ったんだから」多少高かったりしても買えというのは、「慈善」の押し売りではないか?ということに気付く。

 小倉は、「健常者がやってあげている」福祉の世界に、「障害者の力を信じて引き出す」福祉、という意識革命を起こした。一流の経営者はどの世界に行っても、一流なのだ、ということをまざまざと知る。

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紙の本パッチワーク・プラネット

2001/03/06 10:31

冴えない男の日常を描いた物語がどうしてこんなに面白いのか。

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 彼はバーナビー・ゲイリントン、30歳。離婚経験あり、娘一人。大学もまだ終わっていない。職業は老人や障害者向けのサービス提供=つまるところ便利屋。
 社長のディッブルさんもお客さんのロドニーさんもアルフォードさんもバーナビーを心の優しく信頼のおけるいい人間だと思っている。でもバーナビー自身はそう思っていないのだ。彼女の相手の親に会ったって、良い印象を持たれないのはわかっているんだから、と。彼は落ちこぼれだがゲイリントン一族だ。いったいいつ彼自身の幸福の天使に出会うことが出来るのだろうか。

 いやなことも悔しいこともある、冴えない男のさほど珍しくない日常を描いた物語が、どうしてこんなに面白いのか。そういう事ってあるよねという小さな共感、ちょっとしたあきらめ、些細な苛立ちといった小説に仕上げるには、あまりにも身近な感情を巧みに演出するアン・タイラーの力量と「嫌みのない嫌らしさ」が冴える作品。
 30歳になったばかりのバーナビーが顧客である高齢者達から感じうる現実も哀しくおかしい。

【初出】

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家族という単位の中で起こるありふれた日常

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 1960年代、タル一家はアメリカ・ボルティモアのカルヴァー通りにあるテラスハウスに住んでいた。一家は4人家族。母親のパール、長男コーディ、次男のエズラ、長女のジェニー。内緒だが、父親のベックは出ていってしまった。
 パールは女手一つで子供達を育てるために奮闘した。女が働くなんて!と嘆きながらも、スウィニー・ブラザーズ店でレジ係をつとめ、家賃をやりくりし、暖炉の石炭を絶やさないように気をつけ、疲れた体で食事を作ってきた。精一杯、子供達には尽くしてきたのに失望させられてばかり……。誠実で優しいエズラは譲り受けたレストランに家族を招待し、家族の絆を取り持とうと試みる。だけどコースの途中で必ず誰かが席を立ってしまう。上手くいかない家族模様。
 だがパールの死後に夫であったベックは言う。「ああ、あいつが死んじまって、これから、どうしたらいいのかな」。

 家族という単位の中で起こるありふれた日常、よくある出来事。互いを愛しているが、近寄りたくないときもある。知り尽くしているはずの肉親なのに、何も知らない。「家族」ゆえのうっとうしさ、すれ違い、憎しみ、愛情。
 「家族」という絆にしがみつく者も離れていく者も、家族という関係を考えることなしに生きて行くことは出来ない。なぜなんだろうか。
 物語は、タル家の一人一人の視点で進む。描かれるのはそれぞれの思惑とそれぞれの日常である。それだけがこの小説の骨子なのだが、アン・タイラー流のユーモアと「嫌みのない嫌らしさ」が加味されて、ぐいぐいと読ませる力がある。それは誰もが何らかの形で「家族」に関わっているからだろう。

【初出】

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紙の本へんてこな動物

2000/12/17 09:22

「センス・オブ・ワンダー」な動物たち

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 今まであまり知られていない場所に棲む、あまり知られていない不思議な生き物。著者が「センス・オブ・ワンダー」を求めて探した「へんてこな動物」達の写真集。サイズもA5判と、コンパクトで可愛い本に仕上がっている。このサイズだからこの価格なんだろうし、手に取りやすい。
 「へんてこ」の意味は、西オーストラリアに棲息するハニーポッサムに端的に示されている。ハニーポッサムはちっちゃい。体長4cm、体重10g。体長を計測されている写真を見ると、後頭部から細長い口までが人差し指の第2関節までしかない!これで有袋類、お腹の袋に子供が入る!そしてほ乳類のなのに花の蜜と花粉しか食べないのだ。
 そして極めつけのへんてこは、オスは4cmの体長に長径3cmの睾丸を持ち、ほ乳類最長の0.3mmという精子を作る。そのクセ、子供は5mmしかない。愛らしい目を持つ極小動物のこのアンバランスさは何だろう。へんだね。生き物って不思議だね。
 と、著者は驚いて貰いたいらしい。いや実際、写真には驚いた。なによりこの写真集はラー写真より白黒の方が面白くて可愛らしくて変だ。へんてこな動物たちの日常の顔が現れている。
 人間に餌をねだりに来るクオッカ、飛べないオウムのカカポ(名前が気に入った)、ちょっと綺麗で莫迦なタカヘ、澄んだ目が印象的な森の人オランウータン、猿の中で最小のマウスレムール。
 掲載されている22種類の動物たちは、西オーストラリアやニュージーランド、マダガスカルという大陸から切り離された島に適応して進化した生き物だという。そしてほとんどが絶滅に瀕した稀少動物。著者はそういう絶滅動物を愛して、その扱いにいろいろな想いを抱いているようだ。もっと熱く語って欲しい。

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紙の本妖桜忌

2003/01/05 11:40

人の業を書ききる篠田節子

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 還暦に近い著名な女流作家・大原鳳月が死んだ。
 葬儀後、鳳月の担当編集者だった堀口のところに鳳月の秘書、若桑律子が原稿を持ってきた。鳳月の未発表原稿かとざわめきたつ堀口に律子は自分の作品だと告げる。鳳月のもとでの律子は教養のある有能な事務方だったが、文学的センスはない。だが、律子の原稿は、私小説を書かないと言われていた鳳月の一代記となっており、独占手記として発表され評判をとる。

 2回目の原稿を受け取った堀口はおかしな事に気づく。律子の堅い文体がだんだんと、鳳月の流麗で特徴的な文体に変わっているのである。ただ似ているのではない。鳳月そのものなのである。堀口は鳳月の遺作を律子が盗作したのではないかと疑い始める。

──

人間の本当の怖さをご存じないようですね。20代じゃ無理もないでしょうが
『妖櫻忌』74p 律子

 この台詞は、40歳間近い律子が若い編集者堀口に向けたものである。その通り「大人のホラー」に仕上がっている。人が誰しも多かれ少なかれ、利己的で自意識過剰で薄っぺらで情念に満ちた部分を持っている。子供のうちはそれを隠さない。しかし大人になれば、言葉で飾り態度ですり替えることを覚える。私がこの作品でぞくりとしたのは、そういう人の業ともいえる部分を篠田節子が書ききっているところだ。

 鳳月は書くこと・表現することに並はずれた野心を持ち、律子から知識や情緒、精気を吸い取り作家として大成してきた、とされている。その鳳月に若い頃から弟子として使えてきた律子は文学的才能がないばかりに、卓越した知識や記憶力、手堅い手腕を誰からも評価されず、被害者意識を持ちながら朽ち果てようとしている。

 律子は死後も絡みついてくる鳳月の影から必死で逃げようとするが、どちらが欠けても「物語」が成り立たないゆえに(世間は)それを許さない。通俗的な堀口は、名誉と金が得られるのなら、自尊心などなんぼのものかと思う。

 誰しもが自我や自尊心や矮小で卑近な己という、いろいろなものに捕らわれている。それを大事に思うのは、その人自身しかいない。だが、多くの読者や広く流布された「物語」に捕らわれた人々は……。

──

どこまでいっても、作者は作品に付随する影法師にすぎない。だれによって書かれようとだれが作品のどの部分を請け負っていようと、そんなことは物語にとってはどうでもいい。
『妖櫻忌』236p 堀口

 他人からしか語られなかった鳳月の真意は那辺にあったのか、整合性のとれないままに迎えたラストは業と哀れみをたたえている。

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