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喜多哲士さんのレビュー一覧

投稿者:喜多哲士

6 件中 1 件~ 6 件を表示

紙の本

紙の本シン・マシン

2004/06/07 12:21

ストレートな力技の連続とともに展開される、人間と機械の戦い

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 謎の病気、MPS(機械化汚染症候群)の流行により、罹患した人々の脳はMPSランニングというテレパシーの能力を持つようになる。そして、MPSランニングによるネットワークが人々を結びつけ、人間の大多数がそのネットワークでつながった時、社会はテレパシーを使える人間のためのシステムを発達させるようになった。逆に罹患しなかった人間はスタンド・アロンと呼ばれ、社会からつまはじきにあうようになる。本書の主人公はそのスタンド・アロンである国東弾。彼は不治の病に冒された双子の弟を救うために、どのようなMPSも受けつけない真樹という女性を探さなければならない。しかし、MPSランニングのネットワーク上に形成された無意識政府体は、「七本の手部隊」という刺客を送り込み、弾の行動を阻む。
 本書の魅力は、その設定にある。テレパシー能力者が独自に形成したネットワークと、それに入れない非能力者の相克。また、風太郎忍法帖を思わせる奇怪な能力の持ち主たちに対して身体能力だけで戦わなければならない主人公の決死の戦い。機械化が進み、異常な変化をとげた人間たちの醜い姿。
 そういった設定のもとで、激しい戦いが繰り広げられる一方、生命とはなにか、人間と機械との違いとはなにかという、大きなテーマがだんだん明らかになっていく。
 アクションシーンの面白さがまた格別である。次々と現れる強敵との息詰まるような戦闘シーンの迫力には圧倒される。デビュー作でも見せた、アニメーションの影響を受けながらもそれを独自のものとして文章化するという作者の特長がここでも発揮されている。
 さらに、主人公の戦う理由が憎んでいさえした兄弟を救うためというあたり、家族というもののつながりとはなにかという現代的なテーマを作者ならではの感性でストレートに表現しているといえる。
 これがデビュー第2作長編となる作者だが、全体のバランスにまだ不安定な面が若干見られるものの、読んでいる間はそのようなことを感じさせない力が本書にはある。野球に例えれば球速150キロを超える剛球投手という感じか。
 そう、本書はまさに力技の連続である。愚直なまでに力で押してくる、その爽快感を楽しんでいただきたい。

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紙の本

紙の本ラー

2004/05/19 11:33

古代エジプト人の生活を再現してみせた野心作

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 エジプトのピラミッドの神秘に心ひかれた男が、家財を傾けてまでしてタイムマシンを発明し、クフ王のピラミッドが建築された時代にやってくる。しかし、男は既にできあがったピラミッドを見て呆然とする。歴史学上の定説とは違い、ピラミッドが建築されたのはさらに太古の出来事だったのである。
 本書は、単なる時間旅行ものではない。というよりは、時間旅行はある意味では物語を面白くする手段に過ぎないのかもしれない。
 本書のテーマは、人間という存在の成り立ちを、ピラミッドという古代の巨大建造物を手がかりにして解き明かそうというものなのである。主人公の時間旅行者は、その謎を解く探偵であり、物語を進行させる狂言回しでもある。彼の視点にたった読者は、白紙の状態でピラミッドの謎に対峙し、まるで古代のその場に居合わせるような気持ちでその謎を解く作業を主人公と共有する。この構成により、本書はエンターテインメント性の高い作品に仕上がっている。
 むろん、高野史緒は世間に流布するトンデモ学説をそのまま受け入れるような愚は犯さない。それどころか、ここで作者が示す回答は、そういった俗説や珍説をも包含するスケールの大きなものなのだ。
 また、本書では宗教と科学の関係が追求される。登場する神官や巫女は、宗教の教義や儀式をただ単に受け継ぐだけの存在ではない。観測した結果と伝えられる神話との差異に心を悩ませるのだ。そういった高邁な思考に強引に割り込むように、俗世の権力欲のことしか頭にない人物が登場する。
 聖と俗、宗教と科学、現代人と古代人……。様々な二項対立が複雑にからみあいながら、真実に向けて物語は進む。したがって、複雑な謎さえも最終的には一点に収斂されていくのである。
 作者が古代史に挑んだ野心作である。乏しい史料の断片から古代エジプト人の生活を再現してみせた。その情景のリアリティには驚かされるばかりだ。
 さらに、タイムマシンでもとの時代に帰る時間が決まっているという設定は、読者にスリリングな面白さを楽しませている。
 本書は高野史緒の新境地開拓への意気込みを感じさせる一冊なのである。

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紙の本

紙の本グアルディア

2004/08/18 09:46

昨今の「純愛」ブームに痛棒を食らわす快作

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 27世紀末のラテンアメリカを舞台に、遺伝子工学が生み出した特殊な能力を持った人々の間に生じる様々な人間模様を描いた作品である。
 進み過ぎた科学が人類にもたらす悲劇をモチーフにしたSFは、いわば定番といっていい。となると、新たに紡ぎ出される物語は、その悲劇に独自性をもたせなければならないことはいうまでもない。本書には、次のような人物が登場する。
 荒廃した中南米の大地に安定をもたらすといわれる巨大コンピュータ〈サンティアゴ〉の生体端子であるアンヘル。不老長生の能力を持ちアンヘルを守ることが義務の〈グアルディア〉であるホアキン。ホアキンの兄で〈サンティアゴ〉とアンヘルの秘密をすべて知っているラウル。やはり〈グアルディア〉の力を持っている旅人JDとその娘カルラ。そして目を持たない代わりに他の五感が異常に発達した〈千里眼〉のトリニら、それぞれの能力とその能力によって割り当てられた役割が、独自の悲劇を生み出しているのだ。
 その構想の大きさは、注目に値する。特に、失われたテクノロジーを復活させて秩序を回復させようとしているアンヘルの二律背反ともいえる行動原理が、人間にとってテクノロジーとは何かというテーマを読者に突きつける。アンヘルを慕うホアキンは、他者に依存することをアイデンティティとする者のカリカチュアライズされた姿であり、その兄ラウルはホアキンのようになりたくてもなれず、常に斜に構えることでしか自己の存在をアピールできない者を象徴している。JDの存在は常に「自分探し」をしている現代人に対するアイロニーであろうか。とすれば、カルラはそのような人間が自分の外部に作り出すアイデンティティーといえるかもしれない。
 作者の仁木稔は、本書がデビューとなる新人だということだ。主語がどこにあるかわかりにくく文章がこなれていないところや、細部の描写を綿密にしようとするあまり全体像を俯瞰しにくいという難点はある。ラテン・アメリカ以外の土地がどうなってるのかについて一切触れられていないのも、世界の全体像を把握しにくい原因のひとつだろう。また、物語全体の構造が結局は「破壊と再生」というパターンに陥ってしまうというあたりも気にかかる。しかし、そういった点を割り引いても、作者が自分のもっているテーマを真摯に追求している姿勢には好感が持てる。「愛」というものがもっている本質的なエゴイズムを強烈に打ち出し、その歪みをえぐり出す。昨今の「純愛」ブームに痛棒を食らわす快作といっていいだろう。今後に期待できる新人のデビューである。

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紙の本

紙の本小説探偵GEDO

2004/07/21 18:14

小説に書かれなかった事柄を解決する「探偵」が活躍する独自の世界

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 三神げどは、小説探偵である。といっても、失われた幻の本を探す、というような探偵ではない。彼は小説世界に入り込むという特殊な能力の持ち主なのだ。彼のもとには、小説の本筋から外れた脇役たちが相談にやってくる。作家が書かなかった脇役たちも、その世界では生きていて、書かれなかった事柄について解決してほしいのである。
 このアイデアが秀逸である。現在、部数は少ないものの様々なジャンルで数多くの小説が生み出されている。その一冊一冊に世界があり、登場人物が大量に作り出され、捨てられている。それは一見どうでもいいような存在なのかもしれない。しかし、小説を愛するものにとっては、そんな人物にだって愛着を感じずにはおられないものなのだ。作者はそのような心理を「小説探偵」という設定でみごとにすくいあげている。
 本格ミステリで生死を明らかにされないままストーリーが完結してしまった少年。作者の都合で続編が刊行されないままになっておりちゅうぶらりんなままのやおい小説のキャラクターたち。心残りがあるまま死刑を宣告されてしまった海外文学の囚人。作者が旧作を改稿しようとしているために運命が変わってしまうのを阻止しようとする暗黒街小説のギャングたち。未完の伝奇時代小説で行方のわからないままになっている刀を求める忍者。作者の手によって現実世界に連れられて来て人々を襲うホラー・ファンタジーの異人たち。それらは別々に登場しながらも次のエピソードにかかわりを持ち、主人公はRPGゲームの登場人物にまじって小説世界に行ってしまった現実の人間を求めてその世界に潜入することになる。
 本書に登場する小説は世間でベストセラーといわれるものではなく、マニアックなファンをもつジャンルのものが多い。それぞれにモデルはあるものの、桐生祐狩はそれらを自家薬篭中の物として描き出す。ここに、作者の小説そのものに対する、なかんずくB級の作品に対する偏愛を感じるのは私だけだろうか。
 世の中の中心から外れたもの、多くの読者から忘れ去られる運命にあるもの、そういうマイノリティに対する徹底したこだわりが、本書を支えている。そして、小説という誇張化された世界と現実の世界が交差する時、見捨てられかけた登場人物が自己主張を始めるのである。それも小説世界以上に誇張化された形で。
 日本ホラー小説大賞作家の手による少し歪んだ独自の世界を堪能してほしい。本書は小説そのものを偏愛する者たちのためにある。

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紙の本

紙の本

2004/01/27 15:02

本能的な満足を追い求めた先にあるもの

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 人間の五感のうち、どれか一つが極端に突出したらどうなるか。浅暮三文は、これまで嗅覚、視覚、聴覚などをとりあげ、みごとにその異常な世界を描くことに成功してきた。
 本作で扱われているのは、触覚である。熱帯より運ばれてきた菌類により触覚が異様に敏感になった男が主人公である。彼はアトピー性皮膚炎に悩まされており、人や物との接触を極端に嫌っていた。しかし、触覚が発達した結果、触った物から意志が伝わり、それを確かめるためにありとあらゆる物に触れていく。
 本書の読ませどころは、この触覚の描写である。道具が、使われることに喜びを感じている。主人公はその道具に触れることにより、その喜びを感じとる。様々な道具の意志が、細密に描写されていく。そして、主人公はその喜びを自分のものとしてとらえていくようになるのである。
 やがて、男の行動はエスカレートしていく。物の次は人。それまでは人と接触することを極端に嫌っていた主人公は、女性と関係をもったこともなかった。しかし、鋭敏な触覚を持つことになった彼は、むさぼるように女性の体との接触を、特に性器への刺激を求めるようになっていく。最初は性風俗営業の女性で満足しているが、触覚によりその接触が弛緩し切ったものだと感じた彼は、一般の女性をターゲットにする。その時には既に、彼の精神は菌類に侵食され、自分の思考を持てなくなっているのだ。
 本書の面白いところは、この男の行動だけではなく、菌類の意志も描いていることだろう。宿主に寄生し、ただただ増殖することのみを求める菌類。それらに意志はあるのか。あるとしたら、それはもちろん本能的なものなのだろうが。作者はその本能的な意志を臨場感あふれるタッチで描く。それは、本能的であるだけに、かえって原初的な恐怖を感じさせる。
 作者は、デビュー以来、何かを探し、追い求める者を主人公として描き続けている。本書もまた、その流れの一つに位置づけられる。ここで主人公が追い求めるものは、本能的な満足である。その満足は、彼の中に入り込んだ異物である寄生生物の本能により引き起こされたものである。
 探し求めた先に何があるのか。本当に答えられる者は、実はいない。どこかで折り合いをつける。それが理性というものの仕事だ。ならば、理性が働かなくなったらどうなるか。本書の面白さ、そして恐ろしさはそこにあるのだ。

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紙の本

紙の本サウンドトラック

2003/09/10 13:14

我々は現状から目をそむけてはいけないのだ

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 2009年、東京は熱帯と化していた。
 この物語は、秩序をなくした東京に現れた3人の少年少女たちの尋常ならざる戦いを描いたものである。小笠原の無人島で野生のヤギとともに育った少女ヒツジコは名門の女子高等学校で、踊ることによって上辺だけの秩序を破壊し自分たちの新しいルールを確立していく。在日アラブ人の鴉を操るレニは、地下に町を広げる不法占拠者たちに対し、自ら撮影した映画を武器に単身戦いを挑む。そして、ヒツジコとともに無人島で育ったトウタは、東京で独自の生き方をしている人々と出会い、その生き方に共感し、ついにはレニの戦いに加わっていく。
 この物語は、大人のための寓話である。主人公たちは欺瞞に満ちた〈言葉〉は持たない。〈踊り〉や〈映画〉が欺瞞を引き剥がし、真実をあらわにする。
 この物語は、新たに生み出された伝説である。一度崩壊した秩序に対し、次の世代が全く別種の秩序を生み出していくさまが描かれる。主人公たちは新しい秩序の王となる。
 作者はこれまでの作品で、〈言葉〉を突き詰め、そして否定した。音楽のリズムを突き詰めようとしたこともあった。しかし、本書ではその音楽ですら否定する。トウタにはどのようなすばらしい音楽もただの雑音としか感知できないのだ。そして、一度可能性として示唆した〈映像〉の力を本書では突き詰めようとする。レニはビデオカメラを「写真銃」と呼ぶ。ここでは〈映像〉は何にも勝る武器として使用される。
 この物語では様々な少女たちが……どこかまわりとはずれていると自覚している、しかしピュアな少女たちが、ヒツジコという触媒を経て次々と開花していく。彼女たちが続々とヒツジコのまわりに集まっていく様子は、革命の英雄のもとに優秀なシンパたちが結集するようにも見える。その展開のスリリングさと、そして、この少女たちの魅力的なことといったら!
 この物語では、現代に対する絶望が悪意をこめて描かれる。少年少女たちはそれに対する希望のようにも思えるが、現実の少年少女は閉息感に息がつまり、とてもトウタやヒツジコやレニのような武器を持つことはできない。主人公たちに希望を見つけるほどに、現実の絶望は深くなる。主人公たちはこれまでのSFでいえば超能力を持った新人類だろう。ただし、彼らの超能力は誰もが持つ力を特化したもので、そこに作者のメッセージが込められていると、私は見たい。
 この物語は常夏の都市になった東京が舞台である。熱帯性のウイルスが蔓延し、人々が脱出しようとする中で、主人公たちは踏みとどまる。そう、我々は現状から目をそむけてはいけないのだ。この物語の少年少女のように。

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