安原顕さんのレビュー一覧
投稿者:安原顕
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超ブルーノート入門 ジャズの究極・1500番台のすすめ
2003/01/21 15:58
ブルー・ノートの各論と通史を一冊の「物語」に仕上げた傑作!
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ここのところ「ジャズ本」がしきりに出る。そして中には寺島靖国や中山康樹のように5刷、6刷と売れ続ける新書や文庫もある。実にいい傾向だと思う。かくいう小生もこの一一月、『ハラに染みるぜ天才ジャズ本』(春風社)を出す。
中山さんは二年前だったかにフリーになり、「翻訳も含め、年に八冊は出す!」と宣言、実際に昨年は刊行した。となれば、中には「手抜き本」があっても仕方がないが、この「手抜き本」(とぼくが勝手に考える)新書がたちまち5刷というから世の中、分からない。『マイルスを聴け! 第5バージョン』(双葉社)と、『スイング・ジャーナル青春録[大阪編」[東京編」』(径書房。早く文庫にいれるべし)の二冊が、これまでの彼の主著だったが、今回これに『超ブルーノート入門』が加わった。新書だが、中身はすこぶる濃い傑作である。要するに本書は、ドイツからNYにやってきて一九三三年(昭和14年)、かの国で初めて本格的ジャズ・レコードをリリースしたアルフレッド・ライオンの製作理念と歴史を、「ブルーノート1500番台」(全98枚)の録音演奏を通して綴ったいわば各論かつ通史でもあるのだ。
著者本人はぼくに、「多忙でしょうから『パウエル、リー・モーガン、ハンク・モブレー、コルトレーン』の四人の原稿だけでも読んでくれればいいですよ」とFAXをくれたが、冒頭からあまりに面白く、二三〇ページ、あっという間に読了した。ライオンは、新人発掘が好きで、それも曲の書けるジャズマンにオリジナルを書かせて演奏させ、必ずリハーサル(練習)をしてから録音をするプロデューサーだったようだ。「パウエル」の一部を引いておくと、「パウエルとのレコーディングを経験したライオンは、彼が評判どおりの鬼才、評判以上のドラッグ中毒者であることを思い知る。しかも情緒不安定ときてはレコーディングの結果は保証できない。そこで一計を案じ、一九五一年四月三〇日、イングルウッドの自宅にパウエルを招く。だが翌朝、朝食をとっているテーブルに飼い猫が跳び乗った瞬間、パウエルは半狂乱に陥り、彼はナイフを手に猫を殺そうと追い回した……」。
本書はジャズになど関心のない向きが読んでも、数多い人間ドラマに必ずや感動する筈である。
グレン・グールド ア・ライフ・イン・ピクチャーズ
2003/01/21 16:35
本書の最大の特徴は、膨大な量の「未公開写真」
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一年半ほど前から、両肩の激痛と同時に両手が握れなくなった。それが二週間ほど前から右手の握力はほとんどゼロになり、分厚く重いハードカバーを寝転がって読むこと。右手での校正やワープロ叩きも不能となる。そのため連載はすべて休載にしてもらっているが、「月刊書評」は原稿枚数も短く、また、一本も書かぬのは、いくら何でもまずかろうと、ボールペンを軽く握り、その尻でワープロのキーを叩き、何とか書いている。
さて、今年はグレン・グールド生誕70周年、没後20年にあたるとかで、二つの『ゴールドベルク変奏曲』(55年、モノラル録音。81年、ステレオ録音)、グールドとティム・ペイジの対話、55年盤のスタジオ・セッションにおけるアウトテイク(世界初出)の3枚組CDがリリースされ(三六〇〇円という廉価!)、それに合わせる形で本書も刊行された。「グールドの精神は、まばゆいばかりに輝くプリズムだった。それを通過する音や感覚、アイディアは、魔法のように変身する。一九五五年、CBSで録音された《ゴルドベルク変奏曲》は、十代の私に、音楽の本質をかいま見せてくれた。この時の経験は、その後何年も私の音楽的思考の原動力になった。あの頃はグールドの録音が音楽の試金石だった……」。「グールドは数多くの才能に恵まれていたが、長生きの才能はなかった。だが、……彼ならではの深遠なやり方で時間を超越した。その証拠に、グールドはその後もずっと重要な——いや、不可欠な——音楽的存在であり続けており、ある意味では彼が生きていた時以上に、われわれの経験の中核を占めている」前者はヨーヨー・マの長い序文の一節、後者は『グレン・グールド著作集…』(みすず書房)の著者ティム・ペイジの「前書き」の一節である。しかし何と言っても本書の最大の特徴は、膨大な量の「未公開写真」が載っていることだろう。誰でもそうであるように、55年盤の《ゴルドベルク変奏曲》を聴いた時の衝撃は、いまなお耳奥に残っているが、面白いのは、グールド自身は81年盤の方を高く買っていることだ。ぼくは昔から、冒頭のテンポが極端に違う両者とも好きだったが、今回、『メモリアル・エディション』で久し振りに再聴、やはりそう思った。また、この3枚目のグールドとの「対話」も、すこぶる興味深かった。秋の夜長、《ゴルドベルク変奏曲》を聴きながら、本書の写真を眺めるなんてことをしてみたら如何?
美術史 1 古代美術
2003/01/21 16:24
その特異な美術理論は多くの人々に影響を与えた
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エリー・フォール『美術史』(全七巻)の刊行が始まり、これはその第一巻である。エリー・フォール(一八七三〜一九三七)はフランスの評論家、美術史家。パリの有名なアンリ四世高校在学中、若き日のアンリ・ベルグソンの教えを受け、決定的とも言える影響を受ける。高校卒業後は、生物学を学び、医師として身を立てる。一九〇二年、二九歳の時、「オーロール」紙の美術批評欄を担当。独学で美術評論の世界に入る。医業を続けながら多くの作家論を発表する一方、一九〇九年から一四年かけて古代、中世、ルネサンス、近代の四部から成る『美術史』を刊行。さらに、ラマルクの進化論に基づく独自の形態的分析を提示し、みずからの美術史観の総決算ともいうべき『形態の精神』(一九二七)を発表(ゴダールの映画『気狂いピエロ』の冒頭、ベルモンドが風呂に入りながら読み上げたのが本書の中のベラスケス論の一節だっと記憶している)。彼の著書は国外にも幅広い読者がおり、その一例として、チャールズ・チャップリンがインタヴュアーの教養度を計る目安として「エリー・フォールを読んだかね」と訊くのが常だったと逸話が残っており、その特異な美術理論は、アンドレ・マルローやルネ・ユイグなど多くの人々に影響を与えた。
また、もう一人の愛読者にヘンリー・ミラーがいるが、彼は『古代美術』に緒言を寄せている。ほんの一節を引いておこう。「ぼくがこの驚くべき著作を読み始めのは、アメリカを去り、自発的な亡命者となったほんの数年前のことだった。むろん英語版で、出版されるに従って、巻を次いで読んだ。ぼくはその時、この著者の生涯や、人民戦線時代の反ファシズム闘争について、まったく知らなかった。ぼくは二、三度、訳者のウォルター・パッチに会ったことがある。しかしそれは父のやっていた洋服屋の顧客としてであって、エリー・フォールの心酔者としてではなかった。その頃のぼくはひどく臆病な人間で、この重要な本を読みつつあることを、話すことすらできなかったのだ。パリに居た時も、著者を訪ねる勇気がなかった。ぼくは何日もサンジェルマン大通りの彼の家の入口の前で、呼び鈴を鳴らすべきかどうかと自問しながら立ちつくすだけで満足だった。(略)ぼくはこの作品を偉大な音楽を聴くように読んだ……」。
モダン・デザイン全史
2003/01/21 15:45
連載九年!さまざまな利用法が可能な世界初の画期的読物!
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本書は「デザインの現場」に、九三年四月号〜〇二年二月号まで、ほぼ九年間も連載というから、最長の連載だろう。全体は「モダンデザインの起源」「二十世紀デザインの確立」「現代都市文化デザインのデザイン」「ミッド・センチュリー 一九五〇年代、六〇年代」「デザインと現代社会」「ヴィジュアル・カルチャーの時代」「終末と出発」の全七章から成っている。一六五ページに、ヴァネッサ・ベル、ヴァージニア・ウルフ姉妹とも関わりの深いブルームズベリー・グループらによるアマチュア色の濃い「オメガ工房」の話が出てくる。そして著者は、ジョナソン・ウーダム『二十世紀の装飾』(90年)や、キャサリン・マクダーモット『エッセンシャル・ル・デザイン』(92年)の二著も紹介してもいる。前著には「当時の英国の先端的アーティストの多くを含んだ前衛組織の一つ」で、一九一三年、批評家ロジャー・フライが画家ヴァネッサ・ベル、ダンカン・グラントン夫妻の協力を得て結成。オーストリアのそれとは比較にならぬにしても〈総合芸術〉のコンセプトを追求、家具、テキスタイル、陶芸、インテリア・デザインなど広い範囲のデザイン・メディアに関わった。デザインの基本はマティス、ウォービスム、キュビスムなどの絵画の影響が色濃かった。ウィーン工房同様、「オメガ工房」も目的、注文主、大量生産に関する矛盾を抱えていたが、公共の場のインテリアを引き受けもした。フライは工房の人気を高めるためファッショナブルで裕福なロンドン社交界との交際も願ったが、このことが「オメガ工房」の理念との矛盾にもなり、六年後の一九一九年、閉じることに。後著の『エッセンシャル・ル・デザイン』には、主に「ブルームズベリー・グループ」に筆が割かれており、このグループには先のダンカン・グラント、ヴェネッサ・ベル夫妻をはじめ、デザイナーとしてフライ、フレデリック・エチュルズ、ニーナ・ハンネットらがいたとあり、いずれもアマチュア色が濃かったとも書かれているようだ。
いずれにしても本書は、通読、各論の拾い読み、さらには辞典として使うなど、利用法は多種多様である。デザイン事務所、学校研究室、学校も含む全国の図書館には是非置いて欲しい!
ヘルマン・ブロッホの生涯
2003/01/21 16:29
二〇世紀の決定的長篇小説とは独語ではヘルマン・ブロッホ
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裏の腰帯に、ハンナ・アーレントの言葉、「二〇世紀の決定的長篇小説とは、仏語のプルースト、英語のジョイス、独語ではヘルマン・ブロッホ」と出ている。独語に関しては異論もあろうが、ぼくはブロッホ・ファンゆえハンナの評価には賛同だ。『ウェルギリウスの死』(川村二郎訳、世界文学全集第七巻、集英社、六六年)、『罪なき人々』(浅井真男訳、河出書房新社、七〇年)、『夢遊の人々』(三部作。菊盛英夫訳、中央公論社、71年)の三冊しか読んでいないとはいえだ。ブロッホは一八八六年、ウィーン生まれ。父は紡績卸売商人、貧しいユダヤ人家庭の出身だった。高等紡績工業学校在学中、ウィーン大学で哲学、数学、物理学などを聴講。上級紡績学校では紡績工学を修め、木綿—混紡機を発明、校長と連名で特許を取得。〇七年には情報収集のためアメリカへ商用旅行。この年の末、父が取得した紡績工場の副社長に。23歳、志願兵として一年間教練を受けるが健康上の理由で除隊。七月にはカトリックに改宗。一二月、精糖業者の娘と結婚。26歳頃より研究論文を発表し始める。一九一八年(32歳)、『罪なき人々』を発表。33歳〜35歳、ルカーチ、カール・マンハイム、ベラ・バラージュらと知り合い、新刊書評、芸術、文学について、盛んに書く。34歳〜39歳まで数学や物理の研究、この頃、アレシュと恋愛関係。また、詩や短篇小説『オフェリア』を。39歳〜40歳、企業家として仕事に没頭。また、ウィーン大学で哲学、数学、物理学の勉強も。アルマ・マーラーのサロンにも出入りする。41歳、幼馴染みに紡績工場を売却、精神分析の治療も受け始め、アンナ・ヘルツォークと知り合う。42歳〜43歳、『夢遊の人々』を完成。47歳、長篇小説『知られざる偉大さ』、その他、詩も数多く書く。52歳の時、ナチ党員に逮捕されるが、ジョイスらの尽力でアメリカ(NY)に亡命。『ウェルギリウスの死』出版。その後、詩、論文、エッセイなどを数多くこなすが、五一年、心臓麻痺のため、64歳の生涯を閉じる。
「生い立ち、実業家からの転身、処女長篇の成功と失敗、ナチス下の獄中、逃亡とアメリカ亡命、戦中戦後、そして晩年に至る足跡実証的にたどり、現代の政治的、社会的、哲学的諸問題を多様な方法で追及した作家ブロッホの全体像を克明に描き上げる」。これは本書の表帯にあるコピーである。
謝り屋始末記 不動明王篇
2003/01/21 15:24
こんなに面白い「ミステリー」読んだことがない!
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松本賢吾(マツケン)が「書き下ろし新刊」を二冊出した。一冊は『謝り屋始末記 不動明王篇』。もう一冊は『月虹 ムーンボー』(毎日新聞社)である。
いずれも「ゲラ」で読ませてもらったが、『謝り屋始末記』の方が先に本になったので、まずはこちらから紹介しておこう。「謝り屋」なんて仕事が、実際にあるのかどうかは知らないが、前著『窮鼠』(双葉社)で初めて知り、「面白いなあ」と思った。倒産した会社の社長役員らに代わって債権者会議に出席、殴られても蹴られても、ただひたすら謝り、彼らに債権放棄をさせて報酬を得る「裏社会」の仕事である。謝礼は一回に付き一千万円〜億単位にもなった。
ある時慎治は、路上で泥酔した初老の男を助ける。殴っていた三人の男に「謝まる」仕方でだ。初老の男は礼だと言って、慎治をソープ「令嬢」に案内する。相手は男の女房だった。慎治が勃たないことを告げると女は、「噛み切ってやる!」と言って、きつく歯を立て、さらに女の亀裂には蛇が鎌首をもたげ、赤い舌を炎のように燃やす彫りものまであった。「咬まれる! /慎治の背を驚愕と恐怖の入り混じった快感が貫く。勃起していた」。「謝り屋」はみなそうだが、慎治にもマゾの気があったのだ。
女の名は京子、夫は彫常、通称鬼常と呼ばれる凄腕の刺青師だった。翌日、慎治は鬼常を訪ね、ねばりにねばって背に彫ってもらうことに。絵柄は不動明王と、里美、両親、暴走族の健雄の四つ位牌だった。四人を「背負って行きたい」との思いからである。
慎治は鬼常の仕事場に通うため、東池袋に部屋を借りる。この鬼常との交流、実に巧く描けており、ちらっとしか登場しないが、女房の京子もいい味を出している。さらに激痛を伴う「彫り」の描写の巧みさにも舌を巻く。
鬼常の旧友でテキヤの親分結城仁吉も、「こういう親爺っているよな」と思わせるほど自然かつ、とても魅力的に描けている。
早くも第三弾が読みたくなった。
岩波四字熟語辞典
2003/01/21 15:39
「死語」が多いが、ないよりはいい。図書館には是非入れてほしい
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ほとんど死語ばかりなのに、なぜ今頃、このような辞典を出したのかは不明だが、まあないよりはいいだろう。「読書」に関する四字熟語は六つ出ているので引いておこう。
「読書三到」=読書をする際には心と眼と口の三つを集中させることが必要。
「読書三昧」=読書にふけることだが、読書に没頭しているというより本ばかり読んでいる状態を指す。
「読書三余」=読書や勉学をするにふさわしい三つの余暇のこと。
「読書尚友(しゅうゆう=さかのぼって古人を友とする意)」=書物を読むことで昔の賢人を友とすること。
「読書百遍」=繰り返して読めば、書物の内容を理解するようになる。
「読書亡羊」=他のことに夢中になり、肝心なことをおろそかにすること。
むろん、すべてに語源というか、故事来歴も付いている。
なぜか「百」を使った熟語が多いので幾つか挙げておくと、
「百依百順」=何でも人まかせにして、言いなりになること。
「百尺竿頭(かんとう)」=禅で、到達しうる極限のこと。
「百術千慮」=いろいろ手を尽くして考えをめぐらすこと。
「百世不磨(ひゃくせい ふま)」=永久に消えずに残ること。
「百折不撓(ひゃくせつ ふとう)」=何度失敗しても志を曲げぬこと。
「百川学海(ひゃくせん がっかい)」=一つ所にとどまらずに進んでいけば、ついには道に達するたとえ。
「百川帰海(きかい)」=ばらばらなものが一つにまとまること。また、さまざまな人の心が一つに集約すること。
「百端待挙(ひゃくたん たいきょ)」=処理しなければならぬことが沢山あること。
「百福荘厳(ひゃくふく しょうごん)」=仏の三十二相は、それぞれ百の福徳によって飾られたものであること。
「百里之才(ひゃくりの さい)」=百里四方を治めるだけの才能。
「百錬成鋼(ひゃくれん せいこう)」=鍛えぬいて立派な人物となるたとえ。
図書館には、是非一冊備えて欲しい。
聴かずに死ねるか!JAZZこの一曲
2003/01/21 16:17
エッセイに徹した書き方をしており、つい読まされてしまう
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寺島さんのジャズ本、とにかく売れる。ジャズ愛好家人口など、たかだか一万人程度でしかないが、彼の本は、軽く二万部は売れる。ハイエンド・オーディオの話も時折挿入されるので、オーディオ・ファンも買うとしても、こちらも一万人がいいところだろう。彼とは親友だが、同業のもの書きの一人として、いつも悔しい思いをしている。彼の本は「ジャズ本」とはいうものの、情報や理屈は意識的に避け、エッセイに徹した書き方をしている。取り挙げるレコードは圧倒的に輸入盤、しかも大半は無名の新人たちである。それでも売れに売れるのだから不思議なのだ。
例えば彼は、本年度の第一位のCDとして、『ニューヨーク・トリオ/夜のブルース』を挙げている。これにはぼく自身も反対はしないが、ぼくなら、アプローチがさらに斬新な『ヘルゲ・リエン/スパイラル・サークル』を推したいところだ。
寺島靖国は書く。「私も『スパイラル・サークル』、好きである。ジャケット以外は。特に七曲目『テイク・ファイヴ』のドラム・ソロ・イントロにはまいった。こういう鮮烈な叩き方があるんだ。/しかし一般的にはあまりに新しすぎる。突飛すぎる。無理している。普通にスイングしない。重苦しい。/これはクリティックス・アイテムなのだ。それから私のように普通のジャズに少し飽いてる人間が喜ぶディスク。/本年度第一位にまどわされて購入すれば、たちまちヤケドをすること必至である。/おお、こわい。私はそういうこわい盤を第一位には挙げない」。
「『夜のブルース』はいちばん最後に入っている『ドント・イクスプレイン』これである。聴くたびに文字通り背筋が寒くなる。いちばんほめ上げなくてはいけないのはベースのジェイ・レオンハートである。私はベースが他の人だったらと考えるとゾッとする。この曲の味は彼しか出せないからだ」。
そして『スパイラル・サークル』を取り上げたページでは、実にあっさりと、「それにしても七曲目に入った『テイク・ファイヴ』が凄い。冒頭のドラム・ソロ。ジャズ・リズムの新しい夜明けと言うしかない。こんな打ち方があるのか。七〇年代に出たリズムというが、そんなこと知るか。4ビートに少し食傷した方なら『これだ!』と飛びつくだろう。そして4ビートの次の行き場を見つけて小躍りするだろう」。全一〇〇枚ともみんなこんな感じなのだが、読まされてしまうのだ。
黄昏のダンディズム
2003/01/21 15:51
今東光一家の不思議な家族、本書で初めて教えられた
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版元が気に入らないが(こんなところから出すなよ 笑)、内容は面白かった。ダンディズムで括った一種の人物論である。登場するのは一二人だが、やはり著者が生前親しく付き合った人たち幸田文、武田百合子、吉行淳之介などの話を興味深く読んだ。しかし、ここでは今東光を紹介しておこう。何の関心もない人物だったが、村松の文を読み、彼の小説、読んでみようかとの気にもなった。村松が文芸誌「海」の編集者時代、塙編集長の担当で今東光の連載小説『十二階崩壊』を載せたことがある。著者は、塙に連れられて一度だけ晩年の作家に会ったことがあるのだそうだ。その折彼は、編集長と平社員の自分とに「平等の視線」を送りながら話をしたと言う。作家によっては編集長しか見ない者も多い中で、村松は「今東光という人の芯のある何かを感じた」。
また、本書で初めて教えられたが、今家、及び今東光、今日出海兄弟の略歴、かなり風変わりで好感を持った。父は船乗りだったが、それは飯の方便、彼は暇さえあれば本を読んでいた。それも、インドのマドラスに本部を置く霊智学で、彼は学会に入り、その研究に生涯を捧げたらしい。また彼は酒、煙草はやらず肉食も断ち、生涯、菜食主義で押し通した。欧州航路の時分は、年に二度しか日本には戻らず、それも一か月ほどしか滞在しかった。そして四〇歳の時、母との夫婦生活を断ち、その代わり、母の我儘には耐える約束をする。今東光は旧制中学を放校されてそのまま。弟は東京帝大の仏文科を出て、『天皇の帽子』で直木賞を受賞。後にクズ文化庁長官、国際交流基金理事長などにもなった俗物である。兄の東光も『お吟さま』で、六年遅れて直木賞を取るが、まあ彼の方は当時の「不良」で、中学を二度放校された頃に上京、尊敬していた谷崎潤一郎に師事する。谷崎は処女作『我等』を早速雑誌に推薦するが、長過ぎるからと断られ、次に「中央公論」滝田樗陰に紹介すると「面白い!」とは言ったものの、滝田は原稿を電車の網棚に置き忘れる。また川端康成が大学三年の時、「新思潮」の継続話が持ち上がり、今東光も同人に加わろうとするが、クズ菊池寛が拒否すると、川端は「ならばわれわれも辞めます」と言った。
ビル・エヴァンスディスコグラフィー Masters of jazz
2003/01/21 15:35
世界初!オール・フルカラーの全ディスコグラフィー集!
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誰も聴いていないPCM放送のジャズ番組『ギンギン・ニューディスク』の相方は中条省平、村井康司、杉田宏樹の三人である。六週に一度、三人各人とスタジオに四時間籠り、ジャズのCDをかけながらランダム・トークを楽しんでいる。他の二人には渾名はないが杉田宏樹には「ジャズ博士」と付けた。何でも知っているからだ。その一端を垣間見せたのが、世界でも唯一の労作『ヨーロッパのJAZZレーベル』(河出書房新社・二千円)である。彼はまたLP、CDのコレクターでもあり、自宅を見せてもらったことがあるが、それらのレコードは楽器別、アーティスト順に、きちんと並べられていた。几帳面な性格なのだ。その彼がビル・エヴァンスの「ディスコグラフィー」を出した。本書の最大の特色は世界でも初、ジャケット写真が「フル・カラー」ということだ。日本語解説の「英語版」を出せば、おそらく世界中のファンに読まれるだろう。以下に端折って、杉田宏樹の「コメント」を幾つか紹介しておくと——、ビル・エヴァンスのレコード中、最も人気の高い『ワルツ・フォー・デビー』については、「この日、エヴァンス・トリオは5セットの演奏を行なった。それらの中から6曲を厳選したレコード(オリジナルLPには『ポーギー』と、別テイクの3曲は入っていない)である。本作が愛されるもう一つの理由は、〈ライヴ〉の生々しい雰囲気がよく録られていることだろう」。『ポートレイト・イン・ジャズ』は、「紆余曲折を経たエヴァンスは59年秋、新しいトリオを結成した。初リーダー作以来、親密な関係にあったモチアンと新鋭ベーシスト、スコット・ラファロとの、後に『オリジナル・トリオ』と名づけられるベスト・メンバーである。『枯葉』から、これほど辛口のサウンドを生み出したジャズメンは、このトリオだけだろう」。ビデオやDVDの紹介もある。『イン・ヨーロッパ』は「エヴァンスの公式ビデオ作品が発売される以前の、91年制作のコレクターズ・アイテム。全8曲中、66年10月の6曲は、、正規作『枯葉』で無事登場。64年8月ストックホルムでの映像は、エヴァンス・トリオ初の欧州楽旅の模様。69年11月、コペンハーゲンでのライヴは北欧ツアー中のシューティングで、これら2曲は、『エミリー』(94年)(ムーン・レコーズ)でもディスク化されている」。
砂の狩人 上
2003/01/21 15:32
犯人と殺人動機には大不満だが読み出したらノン・ストップ!
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本作は久々の大沢節で一気に読んだ。ヤクザの親分の息子や娘が何者かに惨殺、口に本人の携帯電話がぶち込まれる事件が三件、続いて起こる。被害者は三人ともヤクザとは無縁、一般市民だった。この長篇の主人公は西野(西と呼ばせることもある)と言い、17歳の殺人鬼を射殺したことで、警察を辞めさせられた男である。彼はなぜ少年を殺したのか。未成年ゆえに逮捕しても罪は不問、「今度はバレねえように殺るぜ」との言葉を聞き、次なる犠牲者を思って殺したのだ。ところが自責の念にもかられていた。こうした心情、いかにも日本人的ウェットなフィーリングでハードボイルドらしくない! 西野は数年前から千葉に引っ込み、漁師の真似事をして暮らしていた。そこへ元同僚新井警部補と、美女のキャリア、時岡警視正(警察庁刑事局捜査第一課)が来訪、連続殺人犯逮捕に協力して欲しいと頼まれる。理由はいろいろあるが、一つにはこれらの殺人が連続かつ同一犯と分かれば、ヤクザの組員及び親分らは「カタギを殺るのは日本のヤクザではない」と考え、新宿に住む「中国人マフィア狩り」をするに違いない。となれば一般市民も巻き込まれる。それだけは阻止したいと言うのだ。そして新井が帰ったこの日、西岡は時岡と唐突に寝る。描写的には不自然ではないが、後の彼女との展開を読むと作者のご都合主義的設定であり、後半になればなるほど、時岡の魅力も薄れていく。彼女は重要な副主人公ゆえ、これはちょっとマズイい。結局時岡に惚れた西野は、協力することに。
西岡は三年ぶりに東京に出て、以前から付き合いのあったソープ嬢サチ(工藤幸、21歳。相談に乗っていただけで、寝てはいない)を訪ねる。サチもヤクザの親分の娘だったからだ。その帰路西岡は、新宿警察のデカ佐江と再会、ヤクザのボディガード原とも出会う。原は空手三段、ボクシングでも日本四位になった男だった。この後西岡、佐江、原の三人はそれぞれ立場こそ違え、結果的に協力し合う仲になる……。
犯人及びその動機については大不満だが、「物語」はノンストップ、読み出したら止まらない。
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