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  3. うみひこ:さんのレビュー一覧

うみひこ:さんのレビュー一覧

投稿者:うみひこ:

27 件中 1 件~ 15 件を表示

牛車ってどう乗るの?

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

みなさんが牛車と聞いて思い浮かべるスピードはどんなものだろう。
葵祭やドラマで見かける現代の牛車は、のろのろと優雅に動いて
いるようだが、私が思い浮かべる牛車は、かなりな速さで動く印象
がある。
 初めて牛車を知ったのは『今昔物語』の「頼光の郎党共紫野に
物見たる語」。武士の男たちが乗りなれない牛車に乗ったはいいが、
牛飼童にスピードを上げられて車酔いする話だった。
車に弱かった子供の私は、そうか、平安時代でも、みんな苦しんだ
のねと思い込んで、とても共感したのだった。
 それからしばらくして知った『枕草子』でも、「五月ばかりなどに山里
にありく」で、さっそうと牛車でドライヴに出かけ、帰り道で藤原公信
に声をかけて、相手が追いかけているのを振り切って走らせていく姿
などが書かれているので、牛車は意外にハイスピードな乗り物なんだ
と思い込んでいたのだ。
 大人になって、様々な物語や日記を読んでいくと、みんな身をやつ
して粗末な車に乗って女性のところに忍んで行ったり、女車に乗って
人をだまそうとしたり、なんだか車についての決まり事がある上で、不
思議な使い方をしているようだった。身分を隠そうと粗末な車に乗っ
たせいで、ひどい目に合う物語もある。
 そんな牛車にかかわる色々な決まり事を知りたいなと思っていたと
ころで見つけたのがこの本!
牛車が何で作られているか、どのような身分ならそれに乗れるか、ど
うやって乗り込むのか等々、牛車にかかわるあらゆることが載っていて、
実に面白い。
それだけではなく、日記などに見られる、宮中における「輿」や「輦車」
について抱いていたそこはかとない疑問もここで、明快に解き明かされ
て行って、平安時代の乗り物についての知識が深まっていく。
 そして、何よりもあの松平定信が輿や牛車についての『輿車図考』
という研究書をものしていたことに驚かされる。老中を退いてからという
ことなのだが、あの寛政の改革の定信が貴族文化の象徴のような牛
車を?という驚きも感じずにはいられない。
 きっと私の物語の読み方もここから変わって行くような気がする。
そんな、平安時代について知ることができる貴重な一冊の本なのだ。

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夢にまで見た復刻

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本の書評をhontoに書いたのは、いったい何年前のことだったろう。

その時、最後の一冊を友人が買ってしまい、
私はそれからずっと、この本を古本屋をさまよいながら探していたのだ。

ラフカディオ・ハーンが日本にやってくる前の姿や、
「怪談」を書きあげるだけの素養を、
垣間見ることのできるこの本の魅力は、
何度語っても語り切れない。

そして、遠い時代のアメリカ南部の独特の豊かさを感じられるレシピの魅力。

「スイカの皮のブリザーブ」
で語られる星形や月形に切った西瓜の皮や、

「ルイジアナ・オレンジフラワー・マカロン」
のレシピにまず出てくるカップ一杯の摘み立てのオレンジの花は、
この本の中で魔力となって私に夢を見させるのだ。

相変わらず、何度読んでも。

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紙の本アンサンブル

2012/08/08 18:36

祝「V.I.ウォーショースキー生誕30年」の短編集

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

このサラ・パレツキーの短編集を手にとって、
「30周年に寄せてー日本の読者の皆様へ」という前書きを読んで、
ちょっと胸が熱くなってしまった。
この中で、パレツキーは、ヴィクの誕生の秘話を明かしているのだが、
それより何より、
世界中で一番初めにヴィクの物語を翻訳したのが日本であり、
パレツキーの書いたすべての長短編集を訳し、出版しているのは、
日本だけということが、書かれているのだ。

そうか、日本だけか…。
と、いうことは、私は、アメリカ人よりも多く、
サラ・パレツキーの作品を読んでいるわけだ…。

でも、何故そうなのだろう?

強くて、フェミニストの女流探偵によるハードボイルドな探偵小説。

それは、同時期に翻訳されたスー・グラフトンのキンジー・ミルホーンも同様で、
彼女たちの物語を読んでいくことは、実に爽快感があった。

1980年代。
バブル景気に向かって行く日本では、
女性の社会進出も進んでいったのだが、
(けれども、4年制大学を出たての女子大生の就職難は氷河期)
男性のセクハラ発言やパワハラ発言に、
職場で煮え湯を飲まされる場面も多く、
そんな中で、ヴィクを読むことは本当に胸がすく思いがした。

彼女はあきらめない。
彼女は黙らない。
差別に対し、不正に対し、恋に対しても…。

それに付け加えて、ヴィクの特徴は、社会性にある気がする。
犯罪を解決するなかで、
その背後にある権力の不正に気がついたときには、
極力不正をただせる方向に行こうとする。
或いはその事実を、人々の前にさらし、
社会的制裁を受けるようにして、
最終的な解決で物語がとじられる。

決して、問題はすべてラッキーにも解決し、
恋もうまくいってハッピー、という小説ではない。

それでも、ヴィクの長編が出ると、
思わずあの読後の深い充実感を求めて手に取ってしまうだろう。

けれど、今回のこの小説は短編集。
ヴィクの物語だけではなく、
ミステリーやユーモア小説もある。

さらに、ヴィクの小説に出てくる登場人物が、
主人公ではないにしろ、
ちらりと顔を見せたり重要な役どころを演じたりする、
ファンなら思わずにやりとする小説もある。

ヴィクの小説は、やっかいな、或いはすてきな親戚が出てくるのも特徴なのだが、
今回も、亡き母親への愛慕と追悼の思いに満ちた、『追憶の譜面』、
本当に小さいまだ少女のヴィクと従弟のブーム・ブームの出てくる、
『V.I.ウォーショースキー最初の事件』、
等があり、
読者は、ヴィクの中に流れる二つの国を知ると共に、
移民の国アメリカを読んでいくことにもなる。

そんなふうに、読者はこの短編集を読むだけでも、
日本で普通に暮らしていれば縁のないような、
弁護士や、精神科医、カソリックの神父やユダヤ教のラビ、
反フェミニズムの活動家等の登場人物によって、
物語を通して、多くのアメリカ社会の問題点を知ることができるだろう。

本書には、「ボーナス・トラック」という章に、
できたてほやほやの短編も載っていて、
この最後の物語まで読めば、
読者は胸を張って、
「私は、世界で一番、パレツキーを読んでいる」
と、いうことができる仕組みになっている。

好運な日本の読者としては、
この本を手に取らずにはいられないだろう。

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紙の本彼の名はウォルター

2022/07/31 16:24

読むのを止めるな

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

そろそろ夏も本番。と、なれば背筋も凍るような怖い話が読みたくなるのも当然だろう。
この夏のおすすめはと訊かれたら、私が第一に挙げるのはこの本だ。
 怖い本には何種類もの恐怖の要素があるのだと思うけれど、まず最初に、ジェットコースターに乗った時のように身動きできない状況で立ち向かわなければいけないという怖さがこの本にはある。まさしく、読み続けるのを止めたら大変なことが起きるという予感の中で、この本を主人公たちと共に読み続けなければいけないからだ。
実は、私はうっかりこの本を夕方から読み始めてしまって、とても後悔した。読むのを止められないし、そして読めば読むほど物語の世界でも現実でも夜の色が黒さを増していき、しみじみ怖くなるのだ。思いがけない世界が、ここには待ち構えている。
 さらに、ここに繰り広げられるのは不思議なお伽話のような世界なのだが、ご存じのようにお伽話の背景には恐怖はつきもので、グリムの世界も黒々とした森を背景に展開されている。そして、この物語の中にある恐怖や悲哀は、アンデルセンの物語を思わせる種類なのだ。どんなに恐ろしい結末があるとわかっていても、愛を求める心が主人公たちを運命の中に引きずり込んでいくのだ。誰も、あらがえない。
 物語を見てみよう。
 主人公のコリンは転校生。遠足に行く途中バスが故障して道で立ち往生している。他の生徒と先生は歩いて行ったけれど、松葉杖をついていたり、体調が悪かったりした生徒と一緒にもう一人の先生と、故障車の傍でタクシーが迎えに来るのを待っている。けれど車は来ず、仕方なく丘の上の屋敷で嵐が過ぎ去るのを待つことにする。
 屋敷の中は荒れ果てていたけれど、塔があったりシャンデリアがあったり昔は豪華だったのがうかがえる。そして、古い家具が好きなコリンが机の隠し引き出しを開けて、一冊の本を見つけたところから、恐怖に満ちた一夜が始まるのだ。
 その本はとても美しく不思議な挿絵が描かれている。蜂の家の物語から始まり、王様の戦争や、魔女の家での日々、そして愛らしい雀との恋などが続いていく。
 でも、問題は、この物語を読み進めるにつれ、奇妙な妨害が起きてくることなのだ。そして、この不思議な屋敷の魔力が現実の生徒にも及んでくる。苦難を乗り越え、物語を最後まで読み続けたとき、大きな謎が現れてくる……。
 恐怖の一夜の中で、全然知らなかった同級生の個性が発揮されて行く様子や、現実の中で明らかになって行く幾重にも重なった謎の仕組みなどに、さすがエミリー・ロッダと感じずにはいられない。
 児童書ではあるけれど、この中にある恐怖は大人ならば今の現実と重ね合わせて、尚更切実に感じられるだろう。
ぜひ、この本を手にとって、夏休み最高の恐怖の一夜を過ごしてほしい。

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白い魔女のプリンのレシピまで手に入ります

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

イギリスの児童文学が大好きなあなたには、まずこう言おう。

「白い魔女になって、例のプリン=ターキッシュディライトが作りたくない?」

 可愛いクマのぬいぐるみが好きなあなたには、

「クマって蜂蜜だけじゃなくマーマレードも好きなの知ってる?」

 公園でふと触ってしまったローズマリーの一枝から立ち上る香りに気を惹かれたあなたには、

「昔そのハーブが床にまかれていたのを知ってますか?」


 そんな風に色々と声をかけて誘ってみたい本を手にした。

この本は、イギリス児童文学の十一の(実は続編がある物語もあるのでもっとたくさんの)物語について書かれている。

物語の中に現れるお菓子や食物についての解説書でもあり、
物語の舞台についての解説書でもあり、
実際にその場所に著者が訪れて感じたことについて語った随筆でもあるこの本には、
最初に語った通り、各章にひとつずつ、物語の中に現れる、とっておきのお菓子の
作り方まで載っている、レシピ付きの書物でもある。

 私は、子供の時から著者と同じように物語の背景にある舞台や食べ物に興味が
あって、色々なことが知りたくてたまらなかった。だから「註」が大好きだったし、
自分で調べるという事を知らない頃は、親を質問攻めにして困らせた。
もっとも、調べると言っても、今のようにインターネットもろくな書物もない時代だったか
ら、大人になるにつれて、だんだんに書物の中に現れる食べ物や風習や舞台につい
て知って行ったと言っていい。

 もしあなたが、これからイギリスの児童文学とまで言わなくてもいい、
クマのプーさんやパディントンの絵本をお子さんに読んであげたり、
ぬいぐるみを手渡したりする前に、この本を読んでおくと、
このクマたちの大好物について話してあげたり、
もし質問攻めにあっても答えてあげることができるだろう。
 
あなたが、お菓子作りの好きな人ならば、
レシピを参考においしいお菓子を添えてあげることもできるかもしれない。

 私はもちろん、C.S.ルイス著の『ライオンと魔女』の白い魔女のように杖を一振り、
ではなく、レシピ通りに「魔女のプリン=ターキッシュディライト」を作りたいし、
最後のP.L.トラヴァース著の『風にのってきたメアリーポピンズ』の
コリーおばさんが作ったなにやら魔法めいた星のシール付きの
「ジンジャーブレッド」にもどきどきしてしまう。
これは、食べ終わったあとが重要なお菓子だからだ。

 
けれど、やはり最も心惹かれるのは著者の専門でもある、
ハーブについて描かれている章だ。
大伯母の農場にやって来た少女が、十六世紀にタイムトラベルしてしまう物語
『時の旅人』についての章だ。
西洋料理を作るのにかかせない月桂樹やローズマリーを床に撒いていたという
風習や、ハーブガーデンやビールに使われるハーブの話など、
初めて聞くことが沢山あって、もう一度どうしてもこの物語が読み直したくなる。

読めば読むほど、お腹がすいたり、旅に出たくなったり、もっともっと本が読みたくなって
しまうこの本を、ぜひ手元に置いて、いつかイギリスの児童文学の物語を読んだ子供
たちの質問に答えてみたいものだと思う。

「ねえ、シードケーキって何?」

そんな可愛い声が未来だけではなく、記憶の中からも聞こえてくるような本なのだ。

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お夜食にぴったり

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

このところ、寝る前のお夜食としてこの本を、ちびちび読んで楽しんで読んでいます。

著者の 青木 直己さんは、私の愛読する『和菓子を愛した人たち』
の虎屋文庫で菓子の歴史を調べたり書いたりしていた人でした。

どおりで、不思議に落ち着いた文体に覚えがあるはずです。

この本は、和歌山から江戸に出てきた紀州和歌山藩の下級武士、伴四郎の、
日々の食生活と、日常を、日記の抜粋を見ながら書いているもの。
とても、面白くて意外で、ささやかな驚きに満ちています。

時は万延元年。
江戸時代の最後の方。
桜田門外の変があり、
外国人も江戸の町を歩いています。

でも、これを読んで何に驚いたかというと、
私にとっては、

「おい伴四郎、お前、豚鍋なんて、江戸時代に食っているのか?」

と、いうことでした。

食べています、平気で四足を外食で食べているのです。

明治になって食生活がいきなり変わったわけではなかったんですね。

伴四郎は屋敷内の長屋に住み、自炊生活。
ご飯は共同で炊いて、おかずはそれぞれが調達します。
こういう様子を見ていると、江戸は単身赴任者の町なんだ、
だから、お惣菜を売っているのだなということが、 よく分かってきます。

伴四郎はがんばって、にんじんの煮物を作って、しばらく食いつなごうとしますが、
なんと上司である伯父に、大事なおかずを食べられてしまいます。

そんなふうに、日々倹約しながらも、
小唄の師匠には毎回みやげ物を下げて教わりに行く生活。

こんな日々を見ていくのが、何より寝る前のお夜食にぴったりです。

だんだん、彼の仕事が「衣紋の方」という着付けの指導であることが分かってきます。

「衣紋道」は、呉服商の三井などにも教えを請われたりする立場らしいけれど、
でも下級武士に過ぎない仕事でもあるようで、たいして働かない伴四郎でした。

百人町、大久保の町が出てきて、
いまも皆中神社のある鉄砲方の町は、
実はつつじを育てる内職をする鉄砲撃ちの人々の町でもあったのです。
まるでモーリス・ドリュオン 著の『みどりのゆび』みたいな話です。

鉄砲を打つ手で、花を育てる。

江戸の平和が尊く思えます。

この文庫版には伴四郎のその後があって、
伴四郎も戦争にいったとあります。

平和が崩れる前の一瞬の生活ではあるけれど、
江戸時代末期、平穏な江戸の町を、
伴四郎と一緒に口をあんぐりあけて、物見遊山をするように、
毎晩さまよい歩いています。

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見つめて開く

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

短歌と科学。この文系と理系のような対立すると思われているものが、それぞれ同時に、この世界をいかに見つめ、探求し、すくい上げてきたかが如実に感じられる本だ。
 著者は歌人たちの歌を引用しつつ、エッセイの中で普通の読者が知らない科学的な言葉を解説してくれる。歌人の中には科学者や医学やそれを学んでいる人たちもいて、初めて聞く言葉も多いのだ。そして、その言葉を日常としている人の思いや、その言葉を知った喜びや驚きを教えてくれる。そして、気がつけば著者に手を引かれて、人間の赤ちゃんから始まって、いろいろな生物が生きている世界とその生物が見ているだろう世界を教えてもらったり、広大な宇宙を知る科学の営みを教えられたりしていくのだ。
 考えてみれば、少し前まで、インフルエンザのワクチン注射の前ぐらいにしか気にしなかったA型とかB型とかのウィルスの変異というものが、コロナのおかげでこの三年あまりに日常的な関心事となってしまった。私たちが生き抜くために知らざるを得なかった科学的な知識や身につけた予防医学を思うと、私たちの日常がいかに科学に守られているのかと愕然とする。
 さらに、東日本大震災と福島原子力発電所の事故を思うとき、知っていたのになぜ防げなかったのかという強い反省は、あのとき著者だけではなく日本中に吹き荒れたと思うのだが、現在の無反省な再稼働への様相をみると、暗い気持ちになる。そして、ここにある歌人たちがあのとき歌った忸怩たる思いを、これからも何度でも口にしていかなくてはならないだろうと思うのだ。
 それにしても短歌というのは実に不思議なものだ。そんな日常を短歌が歌い上げるとき、悲しみや絶望に満ちたものになるかと思いきや、少しユーモアが漂うのはなぜだろう。言葉が歌い上げると、この世界が少し開かれていくのを感じてしまう。
 ここには短歌約三百首が納められているのだが、あまり現代短歌になじみのない私でも、このエッセイを読むうちに、いつの間にかお気に入りの歌人を見つけることができて、そのことも実に楽しかった。最後に、暗澹とした思いから見事に新しい扉を開けて見せてくれた一首を記載して、この歌を教えてくれた著者に感謝したいと思う。
 
「マスクしてコロナウィルスに抗へば不要不急のものらかがやく」
 
 驚きを持って世界の美しさを見つめていこうよと、このエッセイは誘いかけてくれている。

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紙の本ジャーナリスト与謝野晶子

2022/12/05 14:21

新しい晶子像

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本を手に取ったとき、思わず表紙の与謝野晶子の写真に見入ってしまった。何度か見たことがある晶子の眉を寄せ、首をかしげた少し険しい表情とは全然違うのだ。たくさんのきれいな反物や帯に囲まれている様子は、まるで平安時代の几帳に囲まれたお姫様のよう。きりりとカメラを見る眼差しや首を傾げた様子はいつもと変わらないが、ふっくらした頬は優し気だ。そして足元に目をやると、白足袋の思ったよりしっかりとした足指が見えて、ああ、明治の女だなあと思うのだ。彼女はこの足で、日本全国を回り、パリにも行ったのだった。この写真が写された高島屋の百選会については、はやがて解き明かされるのだが、この少しいつもより幸福そうな晶子の写真を心に留めて読み進めてほしい。
 著者がまず描くのは、日本の新聞の発展状況と、女性が新聞を読むことが異様なことと思われた時代に、晶子がいかに新聞に読みふける少女だったかだ。そんな彼女が鉄幹に出会ったのも、新聞紙上に発表された鉄幹の短歌によるものだった。やがて歌人となった晶子は、新聞紙上に短歌を載せるように求められるようになる。
 著者はこの後、「灰色の日」という短歌の連作を解き明かし、その時代と政府の姿勢への晶子の怒りを物語っていく。この晶子の中にある現在を見る目の確かさと批判力の鋭さを解き明かしていく過程は、恋愛を情熱的に歌った歌人として見られてきた晶子像をどんどん覆していく……。
 この本は、読み進めていくうちにいろいろな意味で晶子について感じていた謎を見事に解いていってくれる。晶子がなぜパリに行ったのか?鉄幹への恋慕だけでは説明がつかない何かがあったのではないか?そしてそこで彼女が得たものとは何だったのだろうか? その答えは、まさしくこの本の主題ともいえるだろう。
 さらに、有名な平塚らいてうとの「母性保護論争」で彼女が本当に言いたかったこと何なのか?長い間、らいてうよりの言説ばかりを読まされてきた身にとっては、ここで、はっきりと晶子側に立ったこの論争への筋の通った説明がなされたことは、実に画期的なことだと思えるのだ。
 著者は、一労働者として自分をとらえ、そしてその労働者が楽しく働き生活できる未来を目指していたという、思いもかけない晶子像を読者に示す。大阪の商家のお嬢様で何不自由なく育った女性、などではない晶子。姉たちのお古ばかり着させられ、地味な身なりを悲しんでいた晶子。兄のように進学させてもらえなかった晶子。実家の店でひたすら働く日々を過ごすしかなかったという、そんな初めて知る晶子の姿に驚く。
 著者はさらに彼女の生きた時代を生き生きと描いて見せ、広告というものが成立した時代に、どう晶子がかかわってきたかを見せてくれる。ここでやっと、表紙の写真の晶子が現れる。彼女がつけた流行色の名前にうっとりしながら、晶子とともに百選会を楽しんでほしい。
 この本を通して、いかに晶子が独学で自分を作り上げていったか、ジャーナリズムの時代の流れとともに知ることができて、とても楽しく、力づけられた。ところどころ、晶子とともに現代を見やって批判する著者のまなざしも素晴らしい。
 新しい与謝野晶子像、幸福そうなほほえみを持つ美しく力強い晶子像を手に入れられるこの素晴らしい書物の扉をぜひ開いてほしいと思うのだ。

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紙の本龍彦親王航海記 澁澤龍彦伝

2020/02/04 11:23

感謝の念を込めて

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

書評としては異例の始まりになるだろうけれど、私は著者に深く感謝の念を表さずにいられない。澁澤龍彦の評伝は、書かれるべき書物であり、心の中の奥底で待ち焦がれていた一冊なのである。

 多くの読者がそうであるように、私も澁澤龍彦亡き後の混乱をなんと名づけていいかわからなかった身なのだ。彼に変わる作家や指標を追い求め続け、彼の周囲にいた作家や友人や家族の書いた書物を買い求めた日々がその後十年以上続いた気がする。

 澁澤が切り開いた異端というもののへの魅力的な道のりを辿ってきたものにとっては、彼がなぜそこに至ったかを探ることは、自分自身を問いかけることになると思う。その皮切りとなる書物として、この評伝は、澁澤研究への入り口を指し示す一冊となるだろう。

この伝記は渋澤の交流録でもある。そこを読むことによって、戦後の昭和という時代の、知に飢えた大衆の一人であった自分や、日本の純文学というものへの違和感をどう語っていいのかわからなかった自分を救い上げてくれた書物や著者が、澁澤の周囲にいたことを再確認することもできるのだ。

もちろん、もっと、今生きている人々の生の声を盛り込んでもらいたかったとか、著者の知る様々な澁澤像をまとめた章を設けて欲しかったとか、ないものねだりはしたい気がするのだが、まずは、ここを皮切りに、新たな澁澤研究への様々な声が沸き起こるのを待つことにしたい。

澁澤の数多くの著作を眺めながら、これはすべて膨大な注の様なものではないかと思う事がある。彼が翻訳した書物が成り立った根底にあるものを指し示すために、参考となる文献だけではなく、その国の歴史、伝説、そこから派生した数々の文学を語り、解き明かして行く。読者は導かれるまま楽しみ、道に迷い、やがて自分だけの道筋を見つけ出す。そして、澁澤と同様、読者もやがては独自の物語を生み出し始めるだろう。

この本を読み終った後に、巻末にある膨大な参考文献を手に取るもよし、もう一度澁澤作品に戻るのもよし、さらに楽しみが深まるだろう。

いざ、異界への旅へ。

その為の道しるべがここにある。

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恋とはどんなものかしら?  そして、みんな意外と註が好き

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

綺羅星のような書き手が名を連ねるこ
の文豪の短編、それも怪談ばかりを集めた
作品集を、ふと、店頭で手にとって開いた時、
文字通りあっけにとられた。
 
 それは、見開きの半分、ほぼ1ページ分を
埋め尽くす勢いの註が添えられてあったからなのだ。
しかもその内容たるや……。

もはや、この註を読むためだけにも、この本を
読みつくさないといけないと思われるものだったのだ。
 
 例えば、江戸川乱歩の『押し絵と旅する男』の註を見てみよう。
本文が五行に対して、11項目の註が、1ページ半超書かれている。
ここで、まず、気づくのは、読み進むのに親切な註づけであること。

「半丁の余」に対して、「約五五メートル」と、すぐにわかる長さの解説が
つくのは読み手としてありがたいだろう。辞書を引き長さの計算をしないで済む。

次に気づくのは、ほぼ、解説に近い註であること。
「蜘蛛男の見世物」に対しては、乱歩の長編『蜘蛛男』で、
乱歩自身が書いた文章を引用している。
続く「玉乗り」の項では、川端康成の『浅草紅団』までが顔を出すという具合。
 
 実は、先日この註に感動して

「註は、大人の世界への入り口になる。翻訳や古典は、別世界への窓口だ」

 と、ある所に書きこんだら、多くの人にご賛同頂いた。
皆さん、思いもかけず、註がお好きだとみえる。

 私自身は、子供の時「少年少女世界名作文学全集」等を
読んで育ったせいか、註や解説が大好きだった。
だから、今の若者はそんなもの、註なんてついていたら
面倒くさがってよまないという意見には、常々疑問を持っていたのでうれしい。

 さて、そんな素晴らしい註に支えられて読んで行ったのは、
泉鏡花、 佐藤春夫、 小田仁二郎、 川端 康成、 香山滋、
江戸川 乱歩、 中井英夫、 上田秋成の珠玉の物語。

そして、読みすすんでいくうちに、
全て恋の物語なのだけれど、なんだか変、
なんだかおかしいな、と思えてくるだろう。 
確かに恋をすると、それまでとまるで違う世界の中に
するりと入り込んでしまって、もう戻れないと思うのだけれど、
それにしても……。


よくこれだけ、奇妙な物語を集めたものだと感心してしまう。

 美少女との出逢いを描く冒頭の鏡花の
『幼いころの記憶』を読みおわった瞬間、
私が読んだのは何だったのだろうと思わずたじろいだ。
主人公の五歳という年ごろを思うと、作者のこの記憶の中に、
くっきりと残り続ける美というものの恐ろしさを感じたのだ。

 さらに続く物語の中に次々と現れる恋人の正体は……。

 人ではないものにまで恋をする物語は、古来様々な伝説の中にある。
そして、人々はそれを語り継ぎ、小説家もそれを書き続けて来たのだ。
 
その理由は、「恋とは何か」の根本を問えばわかるのだそうだ。

そういう、編者の種明かしの解説まで読み終わった時、
読者は怪談の中に恋が身を潜めていることの本当の恐ろしさに、
気づくことができるだろう。


恋に落ちる前に、
読むべき必読の書としておきたい。

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森の中のお菓子の家(もちろん魔女付き)

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本は私にとって、ヘンゼルとグレーテルが深い森の中で見つけた「お菓子の家」のようなエッセイ集だった。もちろん最初のページから読むのが最適だとわかってはいた。けれど、気がついたらお菓子の家のチョコレートの屋根やお砂糖のガラス窓をがりがりかじるように、色々なページをめくっては読み、ああ、そうだ、そうだとうなずきながら、むさぼるように読みつくしてしまった。
まずは順番に、内容を紹介していこう。
第一部は「食いしん坊の昼下がり」とあって、いろいろな物語の中に現れるメロンやプリンやチョコレートや「お茶」が出てくる。子供の記憶に残る食べ物というのは、主人公がおいしく食べたというものだけではない。例えば、ルナールの『にんじん』の主人公が食べられなかったメロンの身の部分。バーネットの『小公女』のセーラがたった一つしか食べられなかった焼きたての菓子パン。ここを読みながら、私もセーラと一緒にロンドンのそぼ降る雨の中を、菓子パンをかじりながら歩いたことを思い出した。そして、ここで、その菓子パンという言葉が日本人の子供たちにどういう過程で訳語として与えられて行ったかが語られていく。遠い日のセーラと自分をつないだ味覚と言葉に、ここでもう一度出逢えたことがうれしい。
第二部では、「記憶のかけら」と題されて、子供の本で知った言葉についての探索が行われる。絶妙な訳語としての「薄謝」。「クロポトキン」や「トーリー党」を子供の本で知ったことの意義。物語の主人公の名前やガイ・フォークスの日について。作者が子供から大人になっていく過程で、いつのまにか身につけた知識が、静かに広がっていく感じが、絶妙な語り口で語られ、作者の魅力が感じられるところだ。
第三部は「読むという快楽」。ここは、子供の時に読書に夢中になって、親の言うことや、一緒に見ているはずのテレビや音楽などが何も耳に入らなかったことのある人には、たまらないだろう。そして、ここではお待ちかねの魔女が意外な場所で顔を出すし、さらに魔法のように、メアリーポピンズから与謝野晶子経由で「新しい女」も飛び出してくる。読むということのめくるめく楽しみを邪魔したくないので、ここは特に面白いと言うだけに留めておきたい。
そして、第四部「偏愛翻訳考」と、第五部の「読めば読むほど」では、作者は今まで読んできた本の中で、先人の翻訳者や作家や編集者の人々が、いかに工夫に工夫を重ねて、子供の本を作り出してきたかについて語っている。それは、絶妙な登場人物の名前の表記や、忘れられない挿絵の意外な描き手を知った驚きの中から、見出されていく。そして、子供の本を作って来た人々の、子供を信じる心の中から生まれて来た様々な過程が分かってくる。私は常々自分の中にある言葉が、こういう児童書によって形づくられて来たと思っていたので、作者とともに、子供の本を作ってきたすべての人々に、深い感謝の念を捧げつつここを読み終えた。
まさしく、「少年少女のための文学全集」を読んで育ち、世界を知ってきた同志として、この本を読めた意義は大きいと感じている。
さて、お楽しみはこれからだ。
実はこの本で語られた何冊かを、読んでいないのに気づいたのだ。「少年少女世界名作文学全集」育ちの私は、他の全集に収録されている作品を読まずに来てしまったのだ。はりきって、本屋や図書館に行かなくてはならない。まずは、巻末にある「この本に出てきた本の一覧」に書いてある子供用の本で読み、気に入ったら大人用に読み進めよう。そう、昔のように。
さあ、ご一緒に。夏休みが待っている。

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胸が熱くなる自伝

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浜野佐知監督、三百本以上の映画を作り上げたこの女性の自伝が
なぜ戦記と称されているのか、わかる気がする。
なにしろ、その戦いっぷりには圧倒されるからだ。
前半の映画監督になろうとがむしゃらに進んでいく章でも、
すさまじいばかりのピンク映画の現場での章でも、
その戦いっぷりに、確かにこれは戦記だと感じる人は多いだろうと思う。
けれども、浜野佐知監督が戦っているのは映画界だけではないのだ。
男性たちの中にある古い女性像との戦い、一般社会の中にある女性
への偏見との戦いが次々と現れてくる。

 それだけではなく、一般映画の制作場面でも、『第七官界彷徨-
尾崎翠を探して』では、古い女性観で尾崎翠という作家を貶めている
編集者と戦うし、『百合祭』では、この映画を上映しない日本の男社会に
戦いを挑むのだ。本当に胸がすく思いで読み進んでしまう。

さらに、それぞれの作品について立ち現れてくるシスターフッドにも感動
してしまう。さまざまな映画制作の場面のエピソードを読みながら、
ロケ先や現場で手助けをしてくれる人々の思いが反映されてこそ、
あの映画の名場面が作られたのだなとわかっていく。

そして、国際映画祭での数々の評価を見ていくと、現在の日本社会
での価値観があまりに古臭いことが痛感されてくる。
ぜひ、巻末の『百合祭』映画祭&上映会リストを見て実感してほしい。

 浜野佐知監督は現役の監督だ。これからも映画を撮り続け、
観客の中に感動だけではなく、社会に対する疑問をゆすぶり起こして
くれるに違いない。

 さらに、彼女は、誰もが映像化できるわけはないと思っていた幻想文学
の尾崎翠の世界を二度にわたって映画化した人である。
『百合子、ダスヴィダーニヤ』への思いを足掛け15年に渡って、
あきらめずに制作して見せた人でもあるし、さらに、
「とんでもないバーさんがやりたい」という吉行和子さんの一言で
『雪子さんの足音』を制作し、新しい女性像を露わにした人でもあるのだ。
その多様性に満ちた道程には、魅了され励まされる人も多いと思う。

 伝記であり、戦記であり、そして映画という夢の世界の物語に満ちたこの本で、
夢見ることのすばらしさと力を感じて、共に前に進んでほしいと思うのだ。

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バレンタインデーの翌朝に

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主人公がおばさんの遺産としてもらったのは、可愛いいんだか可愛い
くないんだか何かわからない、不思議なキューピー人形。
どうしてこんな人形をもらったのかわからないのだが、なんだかこの人形
が来てからというもの、パパとママはラブラブな感じでピンクの服を着て
お出かけしたりするようになるし、サンタさんに渡してとキューピーの手に
持たせた手紙はちゃんとなくなっているし、お礼を言ったら、キューピー
がにこりとした……ような気がするし、不思議なことがいろいろ起きて
くる。
 
 そして、ある日、くさんというくしゃみが聞こえて……。
そこからが、お人形と主人公の楽しい生活の始まりだった。

この物語にはなんだか、ほんわかした気持ちになるバレンタインデーの
様子が描かれていて、2月の14日につらい思いをしたことのある人に、
読んでもらいたくなってしまう。挿絵も絶品で、夜鍋するサンタの後ろ
姿など、魅力満点だ。

 誰もが嫌な思いをしないで不思議にふんわりとしてしまう魔法の一
日が手に入る、そんな世界が待っています。

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時計と時間の秘密について考えたくなるファンタジー

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ホテルやまのなか小学校に泊まるのも二回目。そうなると、実にゆったりした気分で、ここでの生活を楽しめる……。

 二巻目となると、そんな長期滞在者になった気分で、勝手知ったるホテルで、ほかの客の様子を眺めているような気分で読んで楽しめた。

 何せ、このホテルは居心地がいいし、たまらなく懐かしい匂いがする。だって、ここは本当の小学校だったところだからだ。その建物を利用してホテルに仕立て上げたのがミナさん。この小学校の卒業生で、とても小柄で丸っこくって、若いけれどしっかり者で、年は、あれ?百五十とか口走っていたようだけれど、どういうことなのだろう?そのほかの大工見習のコンタが手伝って作り上げた元教室の寝室や、保健室を変身させたスイートルームは魅力たっぷり。何かあれば、村のコンビニ経営者のうさ子さんがすべて取り寄せてくれるし(何やら月と地球にあるものすべてと口走るところが怪しいが)、長期滞在者としては、満足してこのホテルの時間割に身を任せて過ごせばいい。時間割と言っても、朝起きて軽く体操をして、十時になったら庭の大きな菓子の木の下のテーブルでお茶を飲み、気が向いたら三時のお茶も楽しむ。それだけなのだけれど、今度の滞在客は、なかなかそれを楽しみに出てこない。

 と言うのは、二人がそれぞれ「仕事」を持ってきたからだ。そして、その仕事での世界一を目指しているから、お茶どころではないのだというのだ。

 わき目を振らずにレース編みで世界一を目指すアミさんは、部屋いっぱいに作品を編み上げ、もっと広い部屋が欲しくなるほど編み続けているし、時計職人のカチコチさんは、仕事の傍ら、ホテルの大時計が気になっている。

 この二人が、仕事を通して目指していたものの本質が分かってくるというのが多分物語の紹介としては正しいのだろうけれど、長期滞在者の私としては、このホテルの中に流れる時間の不思議と、時計というものはどうやってできたのかとか、そもそも時間とは何なのかということを、カチコチさんと一緒にホテル中を歩き廻りながら考えていくことがとても楽しい。
 
(こっそり教えてしまうが、カチコチさんが最初に作った時計は本当に魅力的だと思うのだ)

 ここまで長くここにいると、元校長先生で校医さんの山中先生にも、好奇心が湧いてきた。このホテルの中を流れる時間に秘密があることが分かった今となっては、続く第三巻目の物語の中で、そこらあたりが、明らかにされるといいなと思っている。

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「ティファニーの服が違うの、気づいてた?」

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トミ・ウンゲラーときいて気が付く人は少ないかもしれないけれど、
『すてきな 三人ぐみ』のあの真っ黒な山高帽の山賊の絵本を書いた人だと言えば、
たいていの人は、ああ、と言うに違いない。
それほど、一度あの絵本を手に取った人には忘れられない絵を描く人なのだ。
 何故なら、彼の絵本は異端なのだ。
絵本というのはカラフルなものと思っている人には、信じられないほど、
彼の絵本は黒々としている。
そして、主人公は恐ろしい武器を持った山賊や、朝ごはんに子供を食べるのが
何より好きな人食い鬼だったり、なんだかはげでまんまるなつきおとこだったり、
夜空を飛ぶ蝙蝠だったり、毒はないけれど大蛇だったりするのだ。

 でも、子供たちの心を、そして子供だった時のある大人の心を放さない。

 それが、どうしてなのだろうという事を、著者は一緒に考えて語ってくれる。
と、いうのは、子供の時に気づいた謎を著者がずっと持ち続けていたからなのだ。
この『すてきな三人ぐみ』は、三人の山賊とティファニーちゃんという女の子が主人公。
この女の子が描かれているのはたった四ページ。
それなのに、そのすべての場面で衣装が、それだけでなくティファニーちゃんの顔も
違っているのだ。
そのことに気づいた子供の時だという。それ以来著者がずっといだいてきた謎を
この書物の絵本論は解いてくれるのだ。
なんだか、衣装や顔立ちまで違うことに今更ながら気づいた私も、
うれしくなってその語りに耳を傾けてしまった。

 実は最初にこの本を手に取った時、後半の絵本論が論文だと知って臆してしまった
のだけれど、絵本を読み解く楽しみが満ちていて、心の底から嬉しくなってしまった。
例えば、あの『ゼラルダと人食い鬼』の中で、嬉々として様々な料理を発明していく
ゼラルダの中に、ただの料理人だけではなくて、魔女の姿を見ていくことができる
なんて、今まで思いつきもしなかった。
そう、お城の中で料理する姿が、料理人というより科学者みたいだな、
と思ったことはあるのだ。
そうか、魔女か、と思わず膝を叩いてしまった。
そして、それに気づくためには、
絵本の中の黒猫や烏に注目することが必要なのだと言われてみて、
ああ、絵本論とはこんなに面白いのかと思ったのだ。

いつか、この本を子供と一緒に読むとき、
「ねえ、なぜ烏が鳥かごにいるの」
と、きかれたら答えられるなと思うとわくわくしてしまう。
 
 前半の、ウンゲラーの生涯を読みながら、
著者の指摘する、アルザスに生まれたことで、
ウンゲラーが「様々な価値観の中で自らの個性を認め生き抜く力」
を獲得したのだという事に、深く感動させられた。
 アルザスについて、『最後の授業』のような
フランスの国粋主義な見方しか知らなかったので、
アルザス人として生きることについて書かれたこの伝記部分は大変驚きだったし、
多様な価値観という言葉の意味を考えさせられた。
そして、絵本に込められたウンゲラーの子供への信頼を感じさせられた。

 ぜひ、この本を手に取って、私のように本棚から絵本を持って来て、
広げながら読んでほしい。
絵本の世界が限りなく広がって行く思いがするだろう。

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