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塩津計さんのレビュー一覧

投稿者:塩津計

1,449 件中 16 件~ 30 件を表示

ここに書いてあることは、全部、実際にあったことです!

31人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「血に塗られた旗は学校に相応しくない」と我が国の国旗である日章旗を引き摺り降ろす「狂師」。我が国の国歌たる「君が代」の斉唱を「侵略者天皇を礼賛する歌」として拒絶する「狂師」。歴史の教科書を無視し、「狂師」が作成した「オリジナルプリント」で、「反日教育」を勝手に生徒に押し付ける「狂師」。いきなり「セックス人形」を教室に持ち込み、性交を人形に実演させ、コンドームの使い方、男性器へのコンドームの装着方法を白昼堂々教室で指導してしまう「狂師」。これらは本当に実在し、この本に書いてあることは、本当に実際に行われたことなのである(私の住んでいた国立に桐朋学園という「進学校」がある。そこの高校の社会科教師が、アカで、「戦争中に日本がやった悪いことを五つ挙げなさい」などという偏向した教育を実践したので、ついには生徒から授業ボイコット運動が起きたと、同校出身の後輩に話を聞いたことがある)。日教組は北朝鮮を礼賛した。なぜ日教組、高教祖が北朝鮮を礼賛したかといえば、日本社会党が朝鮮労働党と「友党」の関係にあったからである。なぜ北朝鮮と日本社会党が接近したかというと、日本社会党はソ連からも中国からも相手にされず、のけ者にされていたからで(ソ連共産党、中国共産党とも、日本における前衛党は日本共産党というスタンスだった)、そうしたなかで、朝鮮労働党のみが日本社会党をパートナーに選んだからなのだ(詳しくは原彬久『戦後史の中の日本社会党 その理想主義とは何であったか』、あるいは別冊宝島『社会党に騙された』参照のこと。今でも、まだこうした流れを汲む「狂師」たちは残存しているが、幸いにしてその社会的影響力は大幅に後退し(見る影も無い)、石原慎太郎都知事のような「正しい判断の出来る実行力のあるリーダー」によって、今、続々と成敗されつつあるのは慶賀の至りだ。それにても、この日本を支配した「日教組」の権威を崩壊させた大きな要因として、私は「サッカー」が大きいと思うことを重ねて述べたい。世界のアスリートが集うワールドカップサッカー大会では、世界中のアスリートたちが試合に先立って胸に手をあて、国旗と国家に忠誠を誓い、国歌を斉唱する。これが国際的な常識でありマナーであることを日本中の青少年、小学生が知ってしまった。そうなると幾ら日教組が偏向した刷り込みを子供たちに押し付けようとしても、「?」となる。これが大きかったように思う。以前、東京大学の苅谷剛彦教授と話したことがあるが、彼曰く「昔も今も、文部科学省の最大の使命は教育を闘争の場として悪用する日教組からいかに教育を守るかということだった。だから文部行政の中心課題は戦後ずっと教育とはかけ離れた政治闘争だったのである。これが日本の教育を不幸にした」と嘆いていた。実感であろう。

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紙の本日本の選択

2007/03/20 14:11

私は英国人が嫌いです。

27人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私は英国人が嫌いである。嫌いというと言い過ぎかも知れないが少なくとも好きではない。なぜ好きでないのか。それはロンドンのロイヤルアルバート博物館に行った時のことだった。そこには中東やアジア諸国の文物が整然と並べられ、展示されている。つめきりから裁縫道具、はさみ、包丁の類までが見事なまでに収集され整理されている。それはまるで昆虫標本のような按配で、それを見たとき「そうか!英国人は他民族を人間=同胞としてではなく、まるで昆虫を見るように観察していたんだ」と英国人の本質を瞬時に理解したのだ。奴らはインド人を、まるで採集してきたカブトムシを飼うようにして餌を与え、毎日毎日来る日も来る日も冷徹に観察し続け、その特性と弱点を調べ上げつくしたという。文化人類学は植民地支配の道具として発達した。こうしてムガール帝国下では仲良く共存していたヒンズー教徒とイスラム教徒は引き裂かれ対立させられ、支配者たる英国人はいつの間にか慈愛に満ちた仲裁者になりおおせたという。昆虫を見るがごとくインド人を冷徹に観察し続けた英国人の勝利である。ローマ時代には奴隷の供給基地だった地の果ての最後進国が「日の没することのない大英帝国」にまで成りおおせた秘訣はこの冷徹な観察眼にあったのだが、だからこそ私は英国人が嫌いなのである。100年前に比べ英国は見事なまでに没落した。両著者が認めているように、英国は今日の世界において過大評価されている。まるで世界の困難な問題をすべて解決できるかのごとき口吻をブレア首相するが、実際には自国の鉄道システムすら満足に改善できないでいる惨めな国なのである(先日ロンドンにいったときも地下鉄路線の過半が故障の為、運休していた)。地下鉄の初乗り料金は800円を越え、タクシーの料金もちょっといっただけで2000円も取られる。ポンドはどうみても過大評価されすぎている。そんな惨めな国に住む英国人に天下の経済大国である日本が四の五の言われる筋合いはないとして読み始めたわけだが、その指摘は日本に対する慈愛に溢れた真っ当なものが多かった。例えば日本の強みである製造業を捨てろなんて、彼らは一言もいっていない。世界に冠たるトヨタやキャノンの経営を彼らは絶賛している。ただこうしたワールドクラスの製造チャンピオンに比べ、サービス業、なかでも金融機関の生産性が低すぎるから、これを何とかしろといっているのだ。彼らが指摘するように日本人は投資が下手である。何でもかんでも集団行動し横並びで投資するものだから、何をやっても高値掴みである。そして馬鹿の一つ覚えのように手仕舞いし撤退するのも一緒だ。日本人が投げ出した資産の大半はその後急騰を演じている。ニューヨークの不動産しかり、ハワイの不動産しかり。買ったんだから持ち続けりゃいいものを、日本人は買うときも売るときも常に横並びである。そのくせ上手く立ち回る投資家についてはハゲタカだのと難癖をつけ馬鹿にする。これじゃあ、何時までたっても投資は上手にならないよ。日本は世界一の資産保有国である。世界最大の資本輸出国である。しかし保有する海外資産の大半は米国国債である。これじゃあ、そもそも知恵など働かせる必要はない。だまってアメリカのあとをついていく、この覚悟さえ出来ていれば日本の未来は安泰である。アフリカがどうなろうが中東がどうなろうが知ったことではない。ただアメリカだけ見ていれば良い。もしかすると日本は手間のかからない最も賢明な投資を行っているのかもしれない。読後にふとこう思った。

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駒場の自由、麻布の自由

23人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「自由とは何でもやってもいいということではない。自由と放縦とは違うんだ。厳しい自己統制、自己規律に裏打ちされてこそ、はじめて自由は生きてくるのだ」という当たり前のことを、さらっと述べた歴史的名著。学生運動華やかなりすころ、自由と放縦を履き違えるおばかさんが日本の学校にあふれかえっていた。少しでも規制を持ち出そうとすると「そんな封建的な思想でどうする!」と罵倒されレッテルを貼られた。レッテルを貼ったのはもちろん、我が世の春を謳歌していた「サヨク学生」どもだ。こいつらサヨクが日本中に撒き散らした害毒は計り知れない。最後は安田講堂に立てこもって放火までした。思えば、あのころがサヨクのピークで今やサヨクはお笑いの種になるほどその評価は地に落ちた。んで、自由と規律である。日本で指折りの進学校には自由がある。それもきちんとした規律に裏打ちされた自由だ。その代表例が日本トップの進学実績を誇る筑波大学附属駒場高等学校で、その校風は「駒場の自由」と評されている。何をしても自由なのに学生は皆さん一定の範囲をわきまえていて脱線しない。そこには目に見えない厳重なる自己統制の網がかけられていて崩れていないのだ。それよりちょっと違う脱線気味なのが麻布で、「麻布の自由」は「駒場の自由」とはちと違う。麻布の自由は勘違いに端を発した放縦が混じっていて、これが行き過ぎるととんでもない脱線組を排出してしまう。どこかの首都大学の助教授なんかその代表作かも知れない。自由には規律が必要という当たり前のことを思い起こさせてくる一品。古典と呼ばれる書物は何時読んでも新しい。お勧めの一冊です。

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みんなで靖国神社に参拝しよう

27人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

このところ外国人を靖国神社に案内する機会が増えている。ニューヨークタイムズ紙の反日記者Norimitsu Onishiが垂れ流す妄説「戦争を礼賛するWar shirine」というおどろおどろしい記事を真に受けている米人が大半なので、実際に行って見ると、そのあまりの簡素さ、質素さ、そして厳粛さに拍子抜けし、やがて感銘を受けるというケースが多い。なかでも皆さんが喜ぶのが神社附属の戦争博物館「遊就館」である。欧米人は、いわゆる通史というものを学ばない。彼らにとって歴史とはヨーロッパの歴史でありアメリカの歴史のみであって、日本史はもちろん中国史なんて、一部の歴史オタクが学ぶ「奇人変人の学問」という塩梅なのだ。だからアヘン戦争が日本にどれだけ恐怖感を与えたか、ロシアの南下がどれだけアジア諸国(中国、韓国、日本、トルコ、イラン)に恐怖感を与えたかを説明すると腰を抜かしそうになる。ペリー来航にはじまる強引な開国と不平等条約の押し付けが、どれだけ日本人を苦しめたかなんて、そもそも欧米人は知りもしないし興味も無い。だから遊就館にいって、これら日本人には当たり前の知識を教えてやると、彼らは腰を抜かすのである。あと、多くの欧米人は、靖国神社の掲題には200万人分の遺骨が埋められていると思い込んでいる。慰霊地とは墓地のことであり、墓地には土葬で埋葬するものと信じ込んでいる欧米人に「靖国神社に遺骨はないよ。祀られているのは名簿だけ」と説明すると、これまた目を白黒させ、やがて彼らと日本人の死生観の違いに遅ればせながら、思いを馳せるようになるのである。無知な欧米人に実物教育を与える場として靖国は最高の場所である。立地も良い。是非、この夏は、みんなで靖国神社に行こう。この為に本書は必携である。

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20世紀の世界を覆った「共産主義」という名の悪夢

19人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

かつて朝日新聞の特派員だった和田俊氏は「微笑みの国カンボジアでは虐殺など起きていない」なというオオウソをついた。本多勝一、小田実らは朝日ジャーナル誌に掲載されたシンポジウムでアメリカ映画「キリングフィールドはCIAの宣伝映画。優しいアジアの人たちが大量虐殺なんかするわけがない」と論陣を張った。アメリカとの戦争に敗れ、それが口惜しくて悔しくてならなかった元軍国少年やその息子達は、アメリカに果敢に抵抗するベトナム人を無条件に支持し、ベトナムの共産化は歴史の必然であり、ベトナムのグエンバンチュー傀儡政権を支えようとするアメリカは反動勢力そのものだと大々的にベトナム反戦運動を繰り広げた。北ベトナム政権は正義の勢力でなくてはならなかった。だから南の政権が崩壊したあと、ベトナムは落ち着き豊かになるはずであった。そのベトナムから大量のボートピープルが逃げ出し始めたとき、日本のマスコミもべ平連の人たちもボートピープルには異様に冷淡だった。その冷淡さは、丁度、北朝鮮によって拉致された被害者家族に対し日本社会党がとった態度に似ていた。実際にベトナムで、カンボジアで何が起きたかは、今では誰でも知っている。イデオロギーとは恐ろしいもので、あったことが無かったことにされ、現に今、目の前で起きていることが見えていても見えないことにされてしまうのである。中国で起きた文化大革命も同じである。日本共産党から分離した全学連の一派であるML派は毛沢東主義者だったそうで、彼らにとって毛沢東の行なうことは何でもかんでも正義であり、「造反有理」は彼らを支えるキーワードだった。今ではグレートリープバックワード(大後退)とアメリカ人たちに馬鹿にされている「大躍進政策」だが、それが当時の日本では何か素晴らしいことのように報じられていた。大躍進政策では国中の鉄という鉄をドラム缶上で溶かし、これを鉄鋼生産と称し、十年で英国の鉄鋼生産を抜くと豪語した毛沢東。この結果、国中の鍋鋤鍬が溶かされなくなって畑が耕せなくなりご飯が作れなくなって一説には2千万人近くが飢餓で死んだという。それに続く文化大革命は実態は大躍進で失墜した毛沢東の政策失敗から国民の目をそらし、反毛沢東派を根こそぎ殺すことが目的で、国民相互を監視させ密告を奨励して大量の人間を、これまた死に追いやった。文化大革命で殺された中国人の数は1千万人とも言われている。最近、江沢民が「日本軍によって殺された中国人の数は3千万人」などという妄言を吐いたが、これは大躍進や文化大革命より日本がもっと悪いことをしたんだぞと中国共産党の暗闇から中国国民の目をそらすのが目的といわれている。そして今、北朝鮮は国際社会のすべてを敵に回しながら核開発を強行し、世界を、なかでも日本を脅迫し始めている。北朝鮮は既に破綻しているが、北朝鮮のモットーは「北朝鮮が滅びる前に、世界を滅ぼす」ことにあるという。東京都心の上空で北朝鮮の核爆弾が炸裂すれば一瞬にして130万人が消滅し、その後放射能被害で200万人が死ぬと言われている。このほかにも北朝鮮は炭ソ菌・天然痘菌を大量に保有し、それを何時でも日本にばら撒こうと思えばばら撒ける状態にしているという。「正義はわが頭上にあり」と思い込んだ共産主義者。「共産主義を信じない保守反動は進歩の敵」と看做し平然とその命を奪った共産主義者。イデオロギーに取り付かれ20世紀の宗教戦争を実行した共産主義者たちの悪用の数々をフランスの研究者が丹念に追及した本書は、万人にあたうる書といえよう。

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紙の本中国が「反日」を捨てる日

2006/06/08 12:13

中国は反日を捨てないし捨てられない

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タイトルが「中国が反日を捨てる日」なので、一体中国が何時反日を捨てるんだろうかと思いつつ本書を読んでいたら、結局最後まで中国が反日を捨てる日についての記述は無かった。著者は中日新聞(東京新聞)の記者で中国を専門にしてきた人だけに、中国の内部事情について、専門家がみても「よくぞここまで書いた」というくらい詳細な記述が展開されている。とくに人民解放軍を主体とする排外主義に凝り固まった反日強硬派と、これに江沢民が擦り寄っていく過程、せっかく胡錦涛が「新思考外交」を打ち出して江沢民がめちゃくちゃにした日中関係打開を図ろうとしていたのに、小泉首相の靖国参拝が引き金となってネットを主体とする中国民衆の広範な反日感情の高まりを受けて胡錦涛自身が反日に舵を切る過程の記述は本書の白眉といっていい。んで、中国が何時反日を捨てるかというテーマなんだが、本書を読むと、中国が反日を捨てる日は永遠に来ないのではないかと思えてきてしまうのである。中国は朝日や日経は「世界の工場」なんて囃し立てているが、何のことはない。本書でも指摘されている通り、資本も技術もブランドもすべて外資におんぶにだっこの「世界の下請工場」であるに過ぎない。俗に言う「スマイルカーブ」の付加価値の一番低い工程を低廉な賃金で夜を日についでちゃかぽこちゃかぽこ組み立てている女工哀史国家、それが中国なんである。だから何時までたっても内需は広がらず輸出に過度に依存した経済構造から抜け出せないし、それがまた海外との貿易摩擦を生む悪循環の原因にもなっているのである。中国はこうした構造に当然不満を持つ。その不満の捌け口が日本に向けられるという構造は、おそらく向こう30年は続くのではないか。最近、中国のことを考えると面倒くさくなる。なんでこんなやつらと付き合わなければいけないのかと気が重くなってくる。本書を読んで、さらにその思いを強くした。経済同友会の北城や自民党の加藤紘一は「靖国神社参拝を中止すれば、日中関係はかなり改善する」というアホナ見通しを垂れ流しているが、日中関係はそんな甘っちょろいもんじゃないだろう。向こうさんは日本を骨の髄まで憎みうらみきっている。小学校の自分から日本を親の敵だ、祖国の敵だと刷り込まれて育つのだから、そう思うのが自然だろう。そんな連中と友好関係が築けると思うのであれば、あなたは相当なお人よしか、中国の回し者かのいずれかであろう。

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紙の本文科省が英語を壊す

2006/01/07 11:33

英会話は大学でやれ!受験英語は完璧な英語教育だ!!

19人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私は、いわゆる都立の進学校から名門国立大学に進学した。しかし英語にはコンプレックスをもっていて、何とか英語が使えるようになりたいと英国に留学した。ケンブリッジについてすぐ「ケンブリッジアカデミーオブイングリッシュ」という語学学校に入った。簡単なテストを受けて能力別クラス編成が行なわれるのであるが、なんと私はそのテストで「トップクラス」に組み入れられたのである。周りはスペイン人、ドイツ人、ギリシャ人、ブラジル人...、もちろん日本人もいるが、彼ら彼女らはみんな下のクラスだ。んで緊張して、授業に臨んだ。最初は文法の授業だ。「今日は非常に難しいことを教えます」といきなり先生がいうので、緊張は極限にまで達した。「何を教わるんだろう...一流の英文法ってなんだろう」とワクワクしながら待ち構えていると、先生が黒板に次々と「難しい文法」を書き始めた。「?」「???」。おいおい、これのどこが高度で難しいんだよ。ただの不定詞じゃねえか。次は動名詞だろ。んで仮定法過去完了かって、んなもの、みんな知っているよ!そうです。そうなんです。私が受験英語で身につけた英文法は、実は英文法の全てだったんです。「もはや学ぶべき英文法無し!」というのは英国に留学して1週間目の大きな発見でした。受験英語で英語の骨格は完璧に学習出来ます。あとは、この知識を、文字、音と結びつければ会話は自由に出来るようになります。足りないのはボキャブラリーであり、音のストックなんです。こういう場面ではどういう風に発音しつつ発言すればいいんだという耳からの音のストックなんです。大学でこれをやれば、受験英語と音が有機的に結びつき、これに語彙の積み上げが加われば、鬼に金棒です。ところが残念ながら、日本の大学は、まだこの英語教育のポイントに気がついておりません。相変わらず講義の主体は原書購読。これでは音の蓄積はすすまず、会話力、ヒアリング力の向上は何時まで経っても期待できません。大学の英語授業改革の最大の障害は、大学の英語教育の担い手が「文学部卒」で占められていることになります。今時、英文学を専攻してもろくな就職先はありません。高校以下の英語教師になりたくない奴らが殺到する職場が大学の英語教師なんです。これを変えれば日本人の英語力が飛躍すると私は信じているのですが、今行なわれているのは「英語の早期教育のすすめ」という非常にトンチンカンなもの。小学校で英語なんかやっても「ABCの歌」「インディアンの歌」を覚えるのがせいぜいで日本の英語力の向上には何等寄与しないで終わるでしょう。あと、盛んに引用されるTOEFLの平均点ですが、これはドラゴン桜にも書いてありましたが、日本人のTOEFLの平均点が低いのは、日本人の英語力が低いからではなくて、日本人がTOEFLを受験しすぎるからなのです。平たく言えば、他の国では英語の出来るトップエリートしかTOEFLを受験しないのに、日本では英語の出来ない馬鹿が大量にTOEFLを受験するんで当然平均点は下がるという構図なんです。日本人の平均点は504点でトップのノルウェーの619点より115点も低いのですが、一方、ノルウェーのTOEFL受験者数はたったの40人なのに対し、日本の受験者数は約10万人で全世界のTOEFL受験者41万人の実に4分の1を占めているということは、あまり語られない重要な事実です(ちなみに私のTOEFLの点数は610点でした)。そろそろ英語教育をこねくり回しては改悪する「運動」はやめにして、大学の英語教育こそ見直そうという方向に社会全体が動いてくれることを切に望む次第。

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負け組になりたくなければ本書を何度でも読み返せ!

27人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ゴミ投資家シリーズから本書が出て一体何年経ったのだろう。その間、本書は手を変え品を変え版を変えて文庫化されているが中身はちっとも変わらない。そしてその間、日本で起きている現実は本書が指摘した内容を益々正しいものとしているのだ。その真実とは何か。それは日本はこれから少子高齢化で土地も家もあまりまくる時代に突入するので、かつての土地神話から早急に脱却し、慌てて住宅ローンなんか組んで借金漬けになって人生を棒に振ることはないよということ。これに尽きているのだな。私は現在高級住宅街の一角に借家生活を営んでいる。数年前なら今の一戸建てを買おうとすれば、おそらく1億円は必要であったろう。それが今や年間200万円程度の家賃ですめてしまっているのだ。その間、周囲では続々と空き家が出来ては売りに出されている。2000年頃ならまだ坪170万円した土地が今や100万円前後まで下がってきた。沿線を開発した東急電鉄は地価の値下がりを防止すべく買い支えに走り始めているが、その試みは失敗することが約束されている。だって買い手は今後益々減少していくのだから。それに2000年前後に銀行と不動産屋が政府と組んで駆け込み青田刈りよろしく税金をからめて将来の住宅所得層に割高で狭小なマンションを高値掴みさせて借金漬けにし、不動産購入能力を奪ってしまったことも大きい。本来なら今頃不動産購入に動いたはずの層に75平米程度のウサギ小屋を7千万円あたりで買わせ4千万円以上もの借金を背負わせ身動きできなくしてしまったのだ。今、都心ではマンションが続々と建設され売りに出されているが、もうこんなものをこんなに買える層なんて日本にはいない。だから幾らマンションを作っても売れないし買えない。無理やり買わすには価格をドカンと下げるしかない。これが今や現実として起きようとしている。
こういう中で5年以上前から本書を読んでいた私は住宅ローンを組むことも無く無借金生活を継続し、その間、溜め込んだ資金を日本の株式市場で運用し巨額の運用利益を上げることが出来た。そろそろ100坪以上の一戸建てを現金で買おうかなあと思いはじめている。但し、慌てて買う必要はない。だって毎年ドンドン下がっているんだから。物事の先が見えている人と見えていない人の間では、知らない間に着実に、そして確実に資産の格差が出来始めている。しかもその格差は凄まじい勢いで、かつ急速に開きはじめている。キミタチも負け組に転落したくなければ、一刻も早く本書を手にとり熟読したまえ。そうすれば私のように勝ち組になれるかも知れない。

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紙の本昭和史裁判

2011/08/17 12:00

明治以降の日本近代史が専門の東京大学教授加藤陽子と、自称歴史探偵半藤一利が弁護士と検察官に分かれて、先の大戦で重要な役割を果たした四人の文官と、畏れ多くも賢い大元帥昭和天皇陛下を俎上にあげて、その罪と責任を論じた対談本。

22人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

被告として取り上げられた文官は、広田弘毅、近衛文麿、松岡洋右、木戸幸一。岡義武、猪木正道、高坂正尭など錚々たる歴史学者・国際政治学者が口を極めてその無責任をぶりを極めて非難している広田や近衛、松岡を加藤が必死になって弁護していることには、相当な違和感を覚えるが、読み進むに従って、どうも加藤の論拠は最近次々と公開されている日本や米国の公文書の研究に基づく最新の成果が典拠となっているようで、なかなか考えさせられる部分も多いと思うに至った。我々は戦後、ある一定のストーリーを先の大戦史について、刷りこまれてきたようだ。私は「GHQの陰謀により」という言葉が嫌いである。嫌いだが、GHQが明らかに旧帝国海軍に甘く旧帝国陸軍に必要以上に厳しいのは事実だろう。また、このGHQの意向を酌んだのかどうかは定かでないが、阿川弘之、司馬遼太郎などが「海軍には反戦・非戦の良識派が揃っていたが、増長し思い上がった陸軍、なかでも東條英機を筆頭とする馬鹿に引きずられ、負けると分かっている無謀な戦争に引きずり込まれていった」みたいに思わされてきた。また城山三郎が書き散らした『落日燃ゆ』がその代表だが、どうも我々は日本の外務省は戦争拡大を叫ぶ軍部(主として帝国陸軍)に敢然と立ち向かった非戦派・良識派の塊みたいに思わされてこなかったか。いずれも実際に起きた事実とは大きく異なるようだ。

まず、陸軍、海軍、外務省問わず、当時の日本政府の大多数の意見は「オランダ、ベルギー、フランスを破ったナチスドイツが英国との戦いにも勝利し、更にはソビエト連邦(今のロシア)を屈服させ、欧州の覇者になるのは必然であり、ナチスドイツが欧州すべてを支配すればアメリカは手も足も出ず、自国内での小さな平和を貪るに決まっている。そうなると問題になるのは、英仏蘭が食い散らかした南方(東南アジア)ががら空きになり、放っておけば全てドイツ領になってしまうことだ。それだけではない。第一次大戦では日本は火事場泥棒的に参戦し、天津にいる弱小なドイツ軍を叩いて戦勝国の列に連なり、ドイツが支配していた南洋諸島をドイツから分捕ったが、何もしないでいるとこの南洋諸島までドイツから返してくれといわれる可能性が高い。そうなる前にドイツと同盟を結び、英国がドイツの前に完全に膝まづく前にドイツの側に立って参戦し、東南アジアの分け前を要求する既成事実を作っておかねばならない。その為の三国同盟であり、その為の南部仏印進駐なのだ」ということで意思統一が図られていたということだ。「バスに乗り遅れるな」とはナチスドイツ主導による世界再分割が始まる前に、ナチスドイツが運転するバスに飛び乗って資源豊富な東南アジアを我が日本のものにしよう」という意味である。ジョンブル魂に溢れた英国はナチスの前に絶対に降伏しないとか、アメリカはナチスによる世界再編成を絶対に容認しないとか、更には圧倒的国力を有するアメリカが参戦すればドイツなどひとたまりもないとかという冷静な観察は、頭に血が上った陸軍にも海軍にも外務省の連中にもなかったらしいのだ。南方の資源に目がくらんだ海軍が最も恐れたのは、ソ連を敵視した陸軍の伝統的国防思想を奉じる「皇道派」の連中が、南進では無く北進を叫び、資源があるかないかわからない(無いに決まっている)不毛のシベリアに兵を進めることで、これを制止する為に、何としても南進を既成事実化しようとしたという。ところが、予想に反して、南部仏印進駐にアメリカが「過剰反応」して、在米日本資産を凍結し、石油も鉄くずも日本への輸出を止めてしまう。こうなると資源の無い日本が干上がるのは時間の問題で、とりわけ大工業国であるアメリカの軍需マシーンがフル稼働すれば、時間の経過と共に日米の海軍力の懸隔がどんどん開くことも海軍は知っていた。このまま座して死を待つよりは、状況に一縷の望みがある今のうちにアメリカに一撃を食らわし、彼らの心胆を寒からしめて、アメリカが日本を怖がって西太平洋に出てこれないようにする。これがジコチュウ海軍が妄想した「戦略」だった。命よりも正義(Justice)を愛する米国民が「非道な」「騙し討ち」を受けた暁には、全力を持ってこれに立ち向かい、日本が完全に滅びるまでその工業力を総動員して戦うことになるなどと、当時のバカな政府関係者は、どうも思いもよらなかったようなのだ。要するに当時の政府関係者はイギリスのなんたるかを知らなかった。アメリカのなんたるかを知らなかった。もちろん、その国の「なんたるか」を知るのは容易ではない。アメリカに駐在したからといって、アメリカを知ることにはならない。知ることが出来るのは、せいぜい事務所の従業員、取引先、現地住居のご近所さんくらいで、アメリカ全体なんか今だって知ることは不可能なのだ。しかし、経済力、軍事力、文化力(ソフトパワー)などは、ある程度統計資料や公開情報の収集を通じて知ることが出来る。出来るが、どうも明治維新以来、東洋の番犬として白人どもの風下で散々辛酸を嘗めさせられてきた黄色人種日本としては、人種差別含む白人どもの横暴の累積が我慢の限界に達しており、「そろそろ一発殴らないと気が済まない」状況に達していたようなのだ。こういう「気分」が当時の日本には横溢していたのであろう。その意味で、私は軍部や外務省革新派のみを責めるわけにはいかないかもという気持ちも少しはある。しかし、その結果、主要都市のほぼ全てが灰燼に帰し、原子爆弾を2発もくらい、明治以来営々として築いてきた「帝国領土」の全てを失うとなると話は別だろう。やはり、彼我の国力の計算を誤り、間違った「歴史の転換」の妄想にふけり、「東亜新秩序」にかけた当時の政府関係者の責任は重い。万死に値する。

面白かったのは、広田、近衛、松岡に対しては徹底的に弁護に回る加藤陽子が、木戸幸一については弁護士の立場を忘れ半藤と一緒になって木戸の責任を糾弾している部分だ。「木戸幸一日記」を提出し、自分の責任には頬かむりして責任の全てを軍部になすりつけ1977年まで木戸は生き延びるが、どうも歴史の要所要所で木戸は情報を操作し、日本国がアメリカとの戦争に突入するように仕向けたらしいのだ。木戸は背が極端に小さいチビだが、右翼と太いパイプを持つ反米主義者で、アメリカをギャフンといわせたいと言う思いで凝り固まっていた文字通りの小人物であったようだ。

昨今、アメリカの没落と中国の台頭は歴史の必然で、やがて世界は中国中心になるかのごとき「歴史の新局面」を訳知り顔で垂れ流す無責任な評論家(寺島実郎がその代表)や新聞(朝日新聞がその代表)が多い。こうした「アメリカの時代は終わった。これからは中国の時代だ」と叫ぶ連中が、今から70年近く前に「アングロサクソンの時代は終わった。これからはナチスドイツの時代となる」と叫んだ連中の顔と二重写しになるのである。

今回、被告として取り上げられたのは文官ばかりだった。次は是非、石原莞爾、武藤章、東條英機ら陸軍幹部。永野修身、石川信吾、山本五十六、高木惣吉ら海軍幹部。更には牛場信彦、白鳥敏夫ら外務省革新派を被告とする裁判の続編も刊行して欲しいと思う。文芸春秋社の今後に期待する。
 

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紙の本聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎

2011/05/24 12:12

平成の国難に直面した今こそ、かみしめて読むべき名著

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本書は「聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎」とあるが、正確には海軍大将にして男爵、海軍省事務次官、連合艦隊司令長官、外務大臣、終戦時の内閣総理大臣、そして枢密院議長も務めた鈴木貫太郎の生涯を綴った伝記である。著者の半藤一利氏は終戦の玉音放送吹き込みと放送の前後を綴った『日本のいちばん長い日』の著者としても知られ、なんだか終戦にこぎ着けるドラマの別バージョン(平たく言えば、『日本のいちばん長い日』の二番煎じみたい)に思ってしまう人が多いと思うが(私もそう思って、長らく積読していた)、これは署名の付け方に問題があるのであって、正しくは「日本民族を滅亡の淵から救った海軍大将鈴木貫太郎の生涯」とでもすべき内容のものである。

本書を読んで、鈴木貫太郎という人は、本当に偉い人なんだと心の底から思うと同時に、本書にもふんだんにそこに展示されている鈴木貫太郎海軍大将を描いた油彩画を収蔵している千葉県野田市にある鈴木貫太郎記念館に是非足を運んで、その遺徳を偲びたいという思いを強くした。

それにしてもだ。本書を読んで、日本という国は意志決定が出来ない国、意志決定に困難を来す国なんだなという思いを強くした。日本社会は基本的に民主主義の基本であるはずの多数決原理を認めていない。全員一致、全会一致でないかぎり、物事を決めてはならない構造になっている。マンションの建て替え、土地の立ち退き含め、およそあらゆる私権制限は全会一致が基本であり、ひとりでも反対者がいると、残り全員が我慢を強いられるという不合理な社会である。私は常々この仕組みが嫌いで、「日本社会にかけているのはリーダーシップでは無い。フォロワーシップだ」などと叫んでいたが、まさか日本民族が存亡の淵に立たされた瀬戸際でも、少数の狂信的な連中(宮城事件を起こした少壮軍人、竹下正彦、椎崎二郎、稲葉正夫、井田正孝、畑中健二ら)は終戦を昭和天皇陛下が決意し、軍に銃を置くよう命令したにもかかわらず「万世一系の天皇を戴く君主制こそ日本の国体であり、それを護らねばならぬ」「(昭和天皇は悠久の歴史を誇る我が日本の国体のパーツの一部であり)その天皇の一部にすぎぬ裕仁天皇より、国体が優先する」という訳のわからない言語を並べ立て(彼ら狂信的陸軍軍人にとっては原子力爆弾を何発食らおうと、北海道からロシアが攻め込んできて日本の北半分を占領し日本国土を分割統治しようも)、最後の一兵が玉砕するまで戦い抜くのが「真の天皇」であり、仮に目の前の昭和天皇が、「徹底抗戦を辞めて武器を置け」と命令を下したとしても、それは「本来のあるべき天皇から逸脱した、乱心した天皇であり、そんなものは除去しても構わない」という論理なのだ。もはや気が狂ったとしか思えない。首謀者のひとり、畑中は皇居前で拳銃自殺を遂げたそうだが(当たり前だ)、井田、稲葉は国家反逆罪で銃殺となるべきところ、終戦の混乱の中で罪を問われることも無くのうのうと生き延び、ただただ害悪でしかない言辞を垂れ流して自然死している。こんなバカなことがあっていいのだろうか。

本書を読んでの発見は、最後まで徹底抗戦を主張し、鈴木貫太郎首相のポツダム宣言受諾の方針に反対し続けた阿南惟幾陸軍大臣が実は大変偉い人で、彼がいたからこそ、日本民族は滅亡せず今日の繁栄を享受していられるのだと分かったことだ。阿南は、鈴木貫太郎が侍従長として昭和天皇に仕えた時、同じく侍従武官として昭和天皇に仕えていた。鈴木とは上司と部下の関係であり、共に昭和天皇の信認篤い人徳者だった。阿南の偉さは何か。それは最後まで陸軍大臣を辞任せず、鈴木貫太郎内閣を支え続けたこと、これに尽きる。戦前の内閣制度は悪名高い軍部大臣現役武官制を敷いており、陸海軍の意に沿わないことを時の内閣が行おうとすれば大臣を辞任させ後任を出さないことで内閣を倒し、政治を軍部が壟断することが出来た。昭和20年も4月以降になると、既に陸軍内部では公然と鈴木内閣倒閣の動きが表面化し、阿南陸軍大臣には「早く辞任しろ」と猛烈な圧力がかかった。しかし阿南は頑としてこれを受け入れなかった。最後の最後まで鈴木内閣を支え続け、最後はポツダム宣言受け入れの終戦詔書に副署している(いくら天皇陛下が「聖断」を下しても、これが正式な日本政府の意思となる為には内閣閣僚全員が閣議決定の稟議書に副署しなければならない。この終戦の詔書に阿南惟幾は確かに署名している。直前まで徹底抗戦を主張していたにもかかわらず。つまり阿南にとって、鈴木の意に反し、ポツダム宣言受諾に最後まで反対し最後の一兵まで徹底抗戦を主張したのは、いわば陸軍大臣という立場がとらせた「表の顔」であり、実は彼の真意は、とうの昔に日本の敗北を認め、これ以上の抵抗は無辜の民をいたずらに傷つけるだけの何の益も無い無益な戦いであり、これは直ちにやめねばならないというものだったのである。こうして阿南惟幾は鈴木内閣を最後まで支え通し、その後、有名な「一死を以て大罪を謝し奉る」という有名な遺書を残し、割腹自殺を遂げるのである。その血染めの遺書は、今も靖国神社付属の軍事博物館遊就館に現物が展示されている。この遺書には同時に「神州不滅を確信しつつ」とも書き添えられている。8月15日の午後二時、玉音放送が全国に流された後に鈴木は臨時閣議を招集し、阿南陸相の自刃を閣僚に報告すると同時に、彼が残した辞世の句を披露したという。「大君の深き恵に浴みし身は言い遺こすべき片言もなし」。

我々は有史以来この列島で最高の繁栄を享受している只中にいる。昨今、東北の一部で原子力発電所の事故が起きたことで騒ぎが起きている。これを「国難」などと大仰に騒ぐ輩もいる。しかし、原子力爆弾を二発も暗い、ロシアが公然と満州を蹂躙し北海道にも上陸し、その北半分の割譲を要求し、日本中の主要都市がB29の絨毯爆撃で文字通り焼け野原となった昭和20年当時、78歳の後期高齢者鈴木貫太郎は毅然と国難に立ち向かい、自らの命を気の狂ったテロリストに狙われながらも粛々と為すべきことを為し、日本国と日本民族を滅亡から救った。我々は今こそ、鈴木貫太郎と彼を支えた阿南惟幾の赤誠を見習い、平成に生きる我々を襲った困難に毅然と立ち向かう勇気を奮うべきではないのか。本書を読んで、そう強く感じた。

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紙の本国家の命運

2010/11/25 14:40

外務省の前事務次官、薮中三十二(みとじ)氏が書いた日本外交論である。彼は国家の中枢で責任ある立場に立って日本外交を文字通り切り盛りした男だ。業務上知りえた秘密も多数あるだろうし、なかには墓場にまで持っていく類のエピソードもあろう。こうした暴露的なエピソードは本書には一切ない。

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冒頭に薮中氏はかましている。「私は、外交インサイダーとしての立場を利して、個々の政治家について論評したり、暴露的レポートをお届けするつもりは毛頭ない。それは、一外交官としてのポリシーでもあるからだ」と。これは外務省の落ちこぼれが最近恥も外聞もなくメディア露出を決め込んで組織人としてあるまじき行動に出ていることへの痛烈な皮肉であろう。「外交インサイダーとしての立場を利して、個々の政治家について論評」は、おそらく外務省の落ちこぼれ1号天木直人のことを指しているのだろうし、「暴露的レポートをお届け」というのは、外務省の落ちこぼれ2号の佐藤優のことを指しているんだろう。本書は、いわば抗弁、反論することを封じられてきた外務省からの反撃の狼煙である。

外務省の中枢を歩んだエリート官僚による文章だけに内容は迫力に満ちている。

薮中さんは日本の外交の特色として以下の3点をあげている。「受け身の姿勢」「言い訳の姿勢」「小出しの姿勢」。日本では「もっと毅然たる外交を」という声が巷にあふれている。「NOと言える日本」など勇ましいタイトルの書物も人気を博したりしている。しかし、薮中さんは、こうした言論は、いわば頭の悪い国民に向けて発せられるガス抜き効果を狙ったものなのであって、いざとなると日本人自身が「毅然たる外交」に背を向けると喝破する。なぜ日本は堂々と自分の主張を行わないのか。それはカッコイイことを言えば、あらぬ逆ねじを食らって、必要以上の譲歩を迫られたとき、その用意も覚悟もないからだという。「お前が余計なことを言うから、米で譲歩を迫られたじゃないか。自動車産業のお蔭で農民が馬鹿を見るのか」と、こういう具合になるわけだ。日本社会の最大の欠陥が、ここに凝縮されている。日本人は、物事に優先順位をつけることが出来ない。何が一番重要で、何が重要でないかを判断することが出来ない。やろうとすると必ず起こるのが「強者の論理」「弱肉強食」という、例のアレだ。日本では全員がハッピーになる政策でなければ歓迎されない。というか、受け入れられない。自分で自分の政策に優先順位をつけられないのであれば外国と交渉なんか出来るわけがない。たかだかGDPの1.5%しかない農業なんか、本来日本にいらないのである。日本人は世界で一番競争力のあるトヨタやホンダの自動車を売って、そのお金で世界から食料を輸入することが「合理的」なのだが、こういうことを白昼堂々主張することが出来ない。出来にくい。大規模小売店法に関する規制だってそうだ。駅前商店街というのは、昭和30年代の消費行動を前提とした設計になっている。当時の日本人は三度三度の食事ごとに買い物をした。夕方に夕食で食べる分だけ買い物をした。だから買い物は買い物かごだけで済んだし、買い物は原則徒歩もしくは自転車ですんだ。いまは違う。昔は想像もしていなかった1リットル紙パック入り牛乳を三本も四本も買い、2リットル入りペットボトルのお茶を1ダースも買うようになった。こんな買い物、徒歩では出来ない。自動車がないと出来ない。ショッピングカードがないと出来ない。そうなると駅前商店街じゃ買い物なんか出来ない。大規模スーパーでドカンと買い物をして、駐車場に停めてある車に全部載せて自宅に帰るように出来ないと買い物なんか出来ない。だから消費者は駅前商店街に見切りをつけ、巨大スーパーの進出を歓迎したのだが、日本では商工族が邪魔をして大規模小売店法の改正が遅れた。これは時代の要請に合わなくなった駅前商店街の人々にとっては利益でも、日本全体からみれば明らかにおかしなことだった。もっと日本の消費者に合理的な買い物の機会が提供されてしかるべきだった。しかし日本の政府は「正しい選択」が出来ないでいた。だから外務省が「ガイアツ」を使って「正しい選択」を日本政府に迫る作戦を実行した。これがいまだに在日アメリカ大使館がそのホームページ上で公開している「年次改革要望書」の中身だ。これは日本自身による自作自演がその大宗を占めるものなのである。関岡英之、読んでるか?

しかし、これは何も日本政府に限った現象ではない。諸君の身の回りを見渡せば頻繁に起こっていることである。マンションの管理組合を見てみるがよい。理事長に大した権限は無く、司会進行役にすぎない。そして大規模修繕計画等ほとんど全員の利益になる事柄でも一部の少数のワガママが横車を押した途端、管理組合の審議はストップする。前に進めない。これが私たち日本人がつくってきた「社会」なのである。

薮中さんは日本と対照的な外交を展開する国として中国をあげる。中国外交の特色は「動じない」「言い訳しない」「相手を攻撃する」の3点だ。ただ日本のマスコミが言うほど中国の外交が「したたか」なのかというと、「そうではない」と薮中さんは断じる。自分の主張を強く出しすぎる結果、周囲から浮き上がり、嫌われ、孤立した揚句に自滅するケースが中国外交にはままあるというわけだ。最悪のケースが2009年12月にデンマークで行われた気候変動サミットだろう。中国は世界が苦労して漕ぎ着けようとした気候変動サミットの合意をぶち壊し世界を敵に回した。中国国内では「西欧の陰謀を打ち砕いた自主外交」という、いつか見たような拍手喝さいが巻き起こったが、気候変動サミットを契機にアメリカとEUは中国を敵視するようになったのは厳然たる事実だ。ダライラマにしても李登輝にしても、中国政府がシレっと無視していれば世界の誰も注目しなかっただろうに、中国が大騒ぎするものだから、世界は却って中国政府の姿勢に反対の意思表明をするようになる。今年のノーベル平和賞騒ぎも同じだろう。独りよがりで傍若無人な中国が世界中の人たちから嫌われ警戒されるようになった最大の原因は中国の外交姿勢にあるというわけだ。

海外からどう見られているかを気にしすぎるのも日本人の悪い癖だと薮中さんは言う。アメリカに対し毅然たる対応をしろと勇ましい声を出す奴に限って、年頭の大統領一般教書演説に日本への言及がないと、日本のマスコミはすぐに「ジャパンパッシング」「日本軽視」と大騒ぎを始める。じゃあ、同じ教書内でイギリスへの言及があったか、フランスへの言及があったか。無いのである。それで英仏のマスコミは自国軽視だと大騒ぎなんかしていないのである。日本のマスコミもきちんと冷静な己の目で世界を見る視点を養うべきだろう。

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紙の本もてない男 恋愛論を超えて

2009/05/21 20:33

「えー、こんなことまで活字にしてんのお~」と妻は絶句した!

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ある意味で小谷野氏の人生を救った快著いや怪著である。「もてない男」とは、あくまで自分(小谷野氏)が惚れた相手に思いを通じさせる男のことであって、地上に存在するあらゆる女性から全く相手にされない男(箸にも棒にもかからない男)という意味ではないそうだ。小谷野氏自身、この本を書くまで大学生活含め「まったくもてなかった」そうだが、かといって全く女性にご縁が無かったわけではなく、こっちは全く興味はないが向こうは当方(小谷野氏)に興味があるという状況はそれなりにあったそうだ。

それにしても、よくもまあこんな本を書いたものである。これは小谷野氏版「ウィタセクスアリス」とでもいおうか。小学校の頃、棒登りをすると股間が妙に気持ちよいので何度も登ったという告白にはじまり、童貞だった大学(院)生の頃、深夜いそいそとレンタルヴィデオ屋に向かい堪能するようにアダルトヴィデオのパッケージを眺めたとか、10年もアダルトヴィデオでオナニーしていると飽きてくるとか、よくもまあこんなこと活字にしたなあという記述がこれでもか、これでもかと出てくる。

なかでも最高なのが「ああ、妬ましい。悔しい。どいつもこいつもいちゃいちゃしやがって。爆弾でも投げてやろうか。なんで俺ばっかりこんなに孤独なんだ。だいたい俺は東大出ているんだぞ。こんなに女にもてなくて振られてばっかりいるんなら、なんで苦労してあんなに勉強したんだ。あいつら、頭はからっぽのくせしやがって。少おしばっかり背が高くてしゃっ面がいいだけで、下手すっと日本がアメリカと戦争したことも知らねえで、アメリカの首都はニューヨークだと思ってんじゃねえか」(104ページ)。なんでも著者は本書を「義憤」ではなく「私怨」で書いているんだそうだが、いやはやなんとも。

これだけあけすけにプライバシーの切り売りをして内面をぶちまけている小谷野氏だが、読後嫌悪感より爽快感が残るのは、氏が基本的に真面目で純粋で女性に対して真剣だからだろう。要するに憎めないのだ。小谷野氏は売買春をきっぱりと拒絶している。プロの売春婦相手に性欲を処理するのは不潔で虚しく、やはり異性との精神的結びつきを経て肉体的結合に至るのが重要なんだと繰り返し述べている。このあたりが彼が好感をかもし出す所以ではないか(ただ東南アジア、モスクワ、東欧なんかでは、江戸時代の遊郭よろしく半分素人相手の擬似恋愛みたいな売買春もあるとも聞くんだけどなあ)。

「女は押しの一手だ」とか「強姦された女は強姦した男を好きになる」などという話は大嘘だというのはその通りだろう。「ラブレター」にまつわる神話もその通りで、興味も関心もない男からラブレターをもらった平均的な女性の感想は「気が重い」「どうして処理していいかわからない」「気持ち悪い」といったもので、およそ「文章の力で女性を振り向かせる」なんてことは不可能のようだ。自分の文章力に抜群の自信を持っていた立花隆は「千通のラブレターを書いて、あの女性を振り向かせて見せる」と宣言して実践し、自爆轟沈している(笑。

山口昌男、筒井康隆らが1975年に某女子大大学院日本文学課修士課程卒業生のお別れコンパで起きた教授による女子学生強姦事件において強姦犯の教授を弁護し、教授を訴えた女子学生に罵詈讒謗を浴びせているという話も俄かには信じられない話だ。特に山口は女子学生を強姦した二人の大学教授を弁護しようと「強姦という文学的行為をしてくれた人物(大学教授)への憎しみから、告訴という破壊行為に走るようでは、大学院で文学をやる価値など全く無い」「憎しみだけで二教授の文学的業績を葬ろうというのは。。。最低だし、そもそも二教授の文学的業績を認めていなかったことになり、やっぱり大学院での勉学は無駄だったのだ」などと放言し、その勢いで「満26歳、数え年で27か28のオールドミスの貞操が、二教授の社会的生命及び学問的業績及びその家族の生活をおびやかすほど価値があるものなのかどうか」(いずれも月刊「太陽」平凡社1975年9月号掲載記事で、同じものが「知の遠近法」岩波現代文庫にも収録されている)などと書くに至っては、全くの噴飯モノである。正気か?山口昌男!今なら、即、大学教授解任なんだけどなあ。惜しい!

もっともその同じ筒井康隆が医者から禁酒禁煙を指導された際、同席していた奥さんの前で「わたくしは何を楽しみに生きたらいいんですか」と叫び、奥さんから「私がいるじゃない」とたしなめられたりしている。こういう「ちょっといい話」がこの本の救いなのではないか。

自分はちゃっかり結婚しておきながら「非婚のすすめ」などという本を書くデブの売文業者森永卓郎を「大馬鹿野郎」と一刀両断するあたりは小谷野節の真骨頂である。

まあ、小谷野氏の気持ちは分かる。私は彼とほぼ同世代で、私たちが大学生だった頃は、あの軽佻浮薄な山田吾郎あたりが仕掛けた「ホットドッグプレス」なんかが全盛を極めた時期で、要するに大学生になった以上、彼女がいて当たり前で、クリスマスは二人でホテルで迎えようなんて、ほんとにそんなことやっていた奴が何人いたのかという企画が世の中を席巻していた時期だ。こういう無責任な連中が無責任に世間を煽った結果、小谷野氏のような「良心的な人」が非常に苦しめられたというわけだ。全く、軽佻浮薄な連中が商売のために男女関係だのセックスだのを商品化して煽るというのは、まことに無責任で有害な行為である。それにだ。大学時代同衾した「彼女」がいたとしよう。そのままゴールインすればよいが、かなりの確率で分かれたりする。そうなると双方かなり心に傷を負ったりする。見事20歳そこそこでゴールインしても、その後、飽きてきて分かれたりすることもある。だんだん相手の短所が鼻についてきて我慢できなくなることもある。男女関係は真に複雑怪奇なものだ。男女関係は帝国主義に似ている。小谷野氏は「植民地が欲しい」ともがいていた日本やドイツみたいなもので、彼の主張は「持てる国と持たざる国」の不平等を説いた「英米本位の平和主義を排す」に通じるものがある。しかし、実際に膨大な植民地を持った国々はその後莫大なコスト負担にあえぎ、最後はフランスのアルジェリア戦争のように大きな犠牲を強いられて撤退を余儀なくされた。妾だの愛人だのは、恐ろしいまでの所得分配の不平等が存在する社会で初めて可能となる話しであって、今の日本のように世界でも有数の超平等社会では、こうした逸脱はほとんど不可能なのである。その意味で小谷野氏は極めて小市民的で健全な存在である(だって悶々としたのは小谷野氏ひとりであって、誰も傷つけていないでしょう)。

それにしても同世代なのだから、「おかず」として宇野鴻一郎の一連の小説や漫画では芳谷圭児「高校生無頼控」「カニバケツ」「学校の探偵」や叶精作「実験人形ダミーオスカー」が出てこないのはどうしたわけか。なんか理由でもあるのか。

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教育を真剣に考えるなら、まず「日教組」を撲滅することからはじめましょう

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私の両親は鎌倉市に住んでいる。だから鎌倉には多少土地カンがある。その鎌倉が「革新市政」のもと、左翼の連中に乗っ取られ、教育含む市政がぐちゃぐちゃになっていたとはしらなんだ。鎌倉の道路はひどい。どこもかしこも昔の農道のまんまのような状態で、自動車では通行に不便この上ない。その割には「芸術ホール」のような巨大な箱モノが林立している。箱モノ行政は自民党政治の産物かと思いきや、本書によると革新市政のほうがもっと「公金の私物化」はひどいようである。事実として、鎌倉の行政サービスは悪い。今もひどい。しかし、これは外から見えるものの話で、外からは判別がつかない「教育という行政サービス」が本書によるとほとんど目を疑いたくなるような惨状になっていたというのだから、あきれる。

過激な性教育。こんなことをどうしてサヨクや、男女平等推進主義者は推し進めようとするのだろう。まさか行き遅れた自分たちと同じ道を子どもたちにも押しつけようとしているのか。小学校低学年からセックスだのペニスだのヴァギナだのを大声で子供たちに叫ばせた挙句、「このことはお父さんお母さんには内緒だよ」とは何ぞや。

こうした左翼の乱暴狼藉は鎌倉市に限らない。国立市でも起きているし、足立区でも起きた。本書で取り上げられた足立区、またあの悪名高い広島県など。

最近、娘の中学受験塾の同級生たちを見ていて気がついたことがある。意識が高く資金的にも余裕がある層の少なからぬ家庭では、中学受験をするにも関わらず子供を私立の大学付属の小学校に入れ、それでいて子供たちを中学受験塾に通わせているのだ。普通、大学付属の小学校に「お受験」で子供を入れるということは大学までエスカレーターで進学させることが目的と考える。ところが今ではこういうパターンではない「お受験」のパターンが出てきているのだ。理由は何か。それはただひとつ。日教組に支配された公立学校でおかしな政治思想や性教育その他を刷り込まれないようにしつつ安心して子供を育てたいということに尽きる。日教組が支配する「革新市政」から日本国民の静かなる亡命が実際に始まっているのである。

教育学者は、こうした日教組による教育破壊を取り上げようとしない。むしろ逃げ続けている。そして論じるのは教育関連政府支出のGDP比だの25人学級にしろだのの日教組支配はそのままに国の台所事情を無視しての歳出増大の話ばかりである。そりゃあ50人学級より25人学級のほうが教育効果は上がるだろう。しかし、問題は国や地方の財政がここまで悪化している中で、消費税がたった5%という事実上の無税国家状態」という中で、その費用をどう工面するかということなのだ。それに、むやみに普通高校を増やしすぎた問題や、むやみに地方に国公立の駅弁大学を乱立させたことはどうするんだろう。まずこういう「無駄な学校」に大ナタをふるって選択集中を徹底することからはじめないとどうしようもないではないか。それにだ。25人、25人というが、私の卒業した東京都立の名門進学校をはじめ、現在の私立の名だたる名門進学校もその大半はクラスは約50人である。それでも十二分に教育効果は上がっている。40人学級→30人学級→25人学級と教育「学者」らはその要求をどんどんエスカレートさせてきているが、彼らの要求は別の目的があっての「運動」なのではないのか。そう「ゆとり教育」が教員の週休二日制実現が本当の狙いであったように。

日教組問題をまずきちんとしない限り、日本の教育論議はどこまでいっても「不毛」であり続けよう。そしてお金のある人から順番に「日教組支配からの脱出」は続くであろう。もうそろそろ私も逃げる番になってきたようだ。「イチぬーけた。あばよ!」

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中尾知代なる「学者」が書いた批判本より遥かにバランスのとれた出来ではある

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中尾知代なる「学者」を名乗るものが書いたこの本を最近読んだが、読んでわかったのは、中尾の本は本書をまるでストーカーよろしくいちいち些細なポイントをあげつらっては批判し攻撃していたということだ。そして、悲し中尾の「批判」は、その大半が「中尾の勝手な思い込み」による根拠薄弱な批判に終始しており、本書の論理展開のほうがはるかにバランスがとれているということだ。以下、ポイントごとに検討してみる。。

【大衆紙サンを選んでお詫びを載せた橋本首相は馬鹿?】
中尾は故橋本首相が「日本の戦争責任をお詫びする記事」を寄稿したことを大失敗であるかのごとく書いている。確かにサンは三ページめにヌード写真が載っているタブロイド紙ある。中野が付き合っている英国の大学関係者は、こういう下層階級向け新聞の日本の首相が寄稿したことがそもそも気に入らないらしくぼろくそにけなしている。問題はそれを真に受けている中尾の態度だ。中尾は得々と「英国で新聞の宅配といえば高級紙が中心でタブロイド紙は駅の売店で買うのが圧倒的だ」などと言っているこれは大いに疑問だ。今から30年前、私がケンブリッジに留学した際、最初にホームステイした家庭は失業中のトラック運転手だったがサンを購読していた、宅配で。中尾は自分が付き合っている中上流階級の学者の言い分を鵜呑みにしているようだが、もう少し英国の新聞事情を調べてから書くべきだったのではないか。それに本書を読むと、そもそもサンに橋本首相の記事を載せるようアドバイスしたのは英国政府であると書いてある。サンは日本でいえば夕刊フジとか日刊ゲンダイのような新聞ではあるが、これらの新聞よりも英国のような馬鹿は徹底的に馬鹿な階級社会では、はるかに社会的影響力のある新聞であるのだ。それに反日感情をいつまでも引きずっているのは無教養で分別が無いが下層の労働者階級が中心であることを考えると、彼ら貧乏な英国人が多く読んでいるサンを敢えて日本の首相のお詫びを載せる決断は的を得ていたといえるのではないか。私は中尾の「評価」とは裏腹に、橋本首相のお詫びがそれなりに効果があったとする英国政府並びに日本政府の評価、さらにはそれを伝える小菅の評価のほうがはるかにバランスが取れているように思えるのだが。
【民間和解外交】
中尾が力をこめて批判する日本人の民間による和解外交も、私は、これは中尾本の書評にも書いたことだが、やらないよりはやったほうがはるかにマシだし、それなりに「和解」「癒し」の効果を持っているとする小菅の評価のほうがはるかにバランスがとれている。中尾はあくまで「捕虜」「対日戦争経験者」という「当事者」にこだわって取材を続けている。しかし、英国における最大のポイントは、英国にとって戦争といえば対戦相手はドイツであり、アジアにおける日本との戦いは大半の英国人にとって「どうでもいい戦争」「忘れられた戦争」であり、それがゆえに、いくら当人が騒いでも、周囲の英国人がほとんど同情してくれないがゆえに、元英国人捕虜らは益々大騒ぎするというスパイラルがあるのである。逆に言うと、英国ではそれだけ日本との戦いは「水に流しやすい戦争」でもあるわけで、この点についても中尾の力みかえりよりも小菅の観察のほうがはるかにバランスがとれているといえよう。「日の丸を焼いたジャック・カプラン」に至っては、まあ変人の類である。「日本は反省しる」という看板を掲げて日本で笑いものになった「反省シルおじさん」を思い出した。
【中国との『和解』は可能か】
和解とは何か。生身の人間でいつまでも憎しみを持続することは、ものすごくエネルギーを要することで、憎しみを持続しようとするとかなり当人を消耗させるものである。それがゆえに、普通は「和解」を通じストレスを解消しようとするベクトルが働く。しかし深い深い傷を受けた場合、これは不可能であり、その場合、実は何をやっても和解は難しい場合が多い。早い話、娘や息子を殺された場合、その両親に犯人と和解しろいわれても、それはできない相談なのである。これが人間の限界であり、それは心に傷を負った当人の「自然死」という形の整理を待たない限り憎しみは解消しないのである。人間の憎しみ悲しみは、普通、世代を超えて「共有」されたりはしない。人間は経験していないことを経験することはできないのであり、世代が代われば記憶も変わるものなのである。本書にも書いてある通り、近代以前の戦争の傷は忘れることで和解するという形を欧州でもとってきたと書いてある。ところが政治がこれに絡んでくると、民族の記憶は世代を超えて記憶しうる。国家が「戦争被害」を国をあげて教育という形で次の世代にも憎しみを植え付けるよう洗脳を行えば、戦争被害を経験していない世代でもかつての加害国を「憎む」ことは可能になるのである。これを実践しているのが悲しいことにわれわれの隣国中国である。だから我々日本人が肝に銘じておかねばならないのは、日中関係に幻想をいだかないことである。向こうは小学校から大学まで日本を民族の敵として位置づけ憎しみの拡大再生産を国をあげて行っている国なのだ。こんな国との「友好」など、成り立つはずがない。日本ではアメリカが嫌いで、日米同盟に反対で、なんとかこれを解消したがっている人々がいる。こういう連中に限って、反米の反作用として親中であったりするのだが、これは中国の現実を無視した空想的外交選択である。そもそも中国人の大半は日本人に親近感なぞ抱いていないことを知るべきだ。

結局「和解」とは政治の延長線上にある。憎い憎い日本でも、日本と友好関係を演出することが中国にとって「得」であると相手政府に思わせれば、中国政府はころっとその態度を変える。現に「日中国交回復」のときは中国はそういう選択をした。もっと著しいのが米国の態度だ。米国こそが日本を「猿」と憎み「日本を石器時代に逆戻りさせろ」を合言葉に日本全土に容赦ない絨毯爆撃を仕掛けた張本人である。その米国が戦後冷戦がはじまると日本への態度をころっと変える。冷戦という現実を前に、日本を石器時代に戻し、フィリピンよりも貧しい状態に追い込んで共産主義陣営に追いやるよりも、アジア最大最強の工業力を持つ日本を再興させ、アジアにおける米国の反共の防波堤として再生させ協力させたほうがアメリカにとって得になるから、アメリカは日本への態度を変えたのである。日本への復讐に燃える英国、オランダ、豪州、カナダを抑え、日本を国連に復帰させ、GATT(WTO)に加盟させ、日本の高度経済成長を後押ししたのはアメリカである。アメリカの後援なしに、日本の今日の繁栄はなかったのである。重要なポイントは、日本がアメリカに謝罪したからアメリカが日本を支援したのではなくて、日本を支援すること自体がアメリカの得になるので「戦争の傷」「戦争の記憶」は現実政治の要請の前に、二の次三の次となったのである。このことをわれわれは肝に銘じておくべきであろう。

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格差、格差も彼岸まで 「格差」を喧伝するマスコミ報道(と、それに便乗する自称「知識人」の跋扈に辟易している人にはゼッタイおススメの本

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まことにタイムリーな本が出たものだ。橘木俊詔、山田昌弘、佐藤俊樹らが垂れ
流した「現代の日本に格差が広がっている!」というデマを真に受けた連中がわ
んさか出て、いまや世は「格差社会論ブーム」の様相を呈している。これに輪を
かけたのがNHKスペシャル「ワーキングプア」で、この番組もはや格差社会は
「事実」とされてしまった。私は、あんな番組、はじめから見なかったが、本書
の著者はしっかりこれを見て「ショックを受けた」のだそうだ。ただ、著者が偉いのは、このショックを受けただけでは終わらず、「ちょっと待てよ。どうして俺の周りには、こんな悲惨なワーキングプアがいないんだ」と正気を取り戻し、報道に流されず、己の目で事実を検証しようと立ち上がったことである!エライ!!

私は常々疑問に思っていた。私には世の中の格差は全く見えないのだ。みんな日本人は、どの国の国民よりも豊かで幸せで平等であるようにしか見えないのだ。世界中を周り、本当の格差社会(ブラジル、トルコ、ベトナム、タイ、ロシアなど)を知っている私の目から見ると、日本は「世界で最も成功した社会主義国」であり「世にもまれな平等社会」でしかない。「格差、格差」というが、現に、東京中を見回してもかつての三井財閥や三菱財閥、加賀前田家、徳川家のような「とてつもないお金持ちのお屋敷」はどこにもない。田中角栄がそれに迫ろうとしたようだが、死んだ途端、苛斂誅求なる相続税を課税されて目白御殿が雲散霧消したのは皆さんご高承の通りである。

んで、本書である。本書は具体的にアイテムを選んで、様々な角度から「日本人の格差」に光を当てている。「ベンツ格差(最もベンツ人口密度が高いのが東京都港区で、もっとも低いのが高知県)」「豪邸格差(ヤンキーのふるさと尼崎と芦屋六麓荘の比較)」「クルーザーとスーパーカー(スーパーカーオーナーはオタク視されてモテないが、クルーザーオーナーは女性にモテまくる)」「別荘格差(勝ち組軽井沢と負け組苗場スキーリゾート)」「「外国人格差(六本木の白人と群馬県の日系ブラジル人)」「生活保護格差(日本一生活保護を受けている人口の比率が高い大阪あいりん地区と日本一比率の低い富山県)」などが並ぶ。

なかでも面白かったのが、「生活保護格差」「ベンツ格差」の二つだ。この二つを通じて分かることは、日本では、やはり「飢えて死ぬような貧困は無い」という厳然たる事実だ。もちろん、生きる気力の有無、分不相応なプライド、情報力などのひずみから、飢えて死ぬ人はいよう(そんな連中は地球上のあらゆる場所にいる)。しかし、いざ、開き直れば、釜が崎にいけば2万円で一ヶ月楽に暮らせるのだ。一泊千円の木賃宿で一食300円の高カロリー揚げ物弁当を食っていれば、まず死ぬことは無い。毎日昼間からワンカップも飲める。街じゅうにたちこめるアンモニア臭にだって、数日で「慣れる」そうだ。こうなったら釜が崎は天国である。対する富山県。富山県には本当に貧困は無いそうだ。しかし、そこはある意味で因習で塗り固めた閉鎖社会である。変化をひたすら嫌い、改革に背を向け、ひたすら地元にこだわる富山。結婚と同時に「親が息子娘夫婦に家を建ててあげる」のが当たり前の富山。ただし、家一軒の対価として「生涯同居」「生涯親の面倒を見、死に水を取る」ことが強制される富山。転勤を嫌がり、年収2000万円超の外資系銀行員より富山市役所員のほうが「あこがれの結婚相手」となる富山。他人と違うことをちょっとしただけで「あの人は変わっている」という噂が町内に一瞬にして伝わる富山。出る杭をひたすら打ち続ける富山。私は、この情報を富山県出身の知人にぶつけてみたが「正にこの通り。これが富山」との確認を得た。要するに企業家精神とチャレンジ精神に溢れる日本人が、明治期にちょん髷と共に捨て去った閉鎖的で因循姑息な社会、それが富山なのである。これを「どう捉えるかは人それぞれだが、富山県の住みやすさを息苦しく感じている人もいるのは確か」なんだそうだ。ちなみに富山では、親しくなるとすぐ相手の学歴、勤務先、年収、持っている金融資産・不動産を聞き出しては相手を値踏みするのが作法なんだそうだ。

「ベンツ格差」というのも面白い。ベンツ人口が最も低く、軽自動車がもの凄く売れている高知県。じゃあベンツの少ない高知の人が自己卑下し、港区を羨んでいるのか?全くそんなことは無いそうだ。性能、維持費用、操作性、価格とあらゆる点から見て、今の日本では軽自動車こそが「究極の合理的選択」であり、ベンツに代表される高級外車(BMW、ベントレー、フェラーリなど)は要するに見栄を張りたいやつが買う「お馬鹿な商品」に過ぎない。高級車の性能を遺憾なく発揮できるような道路はそもそも日本に無いし、こんなに急速に減価償却する商品に大枚はたくことほどバカな行動もないということを高知県の人たちの消費行動は私達に教えてくれているのだ。

ちなみにクルーザーを持つと女性に大変もてて、誘えば必ずクルーザーに乗ってきて、乗せればかならず落とせるが、あんまり簡単に落ちるんでオンナに飽きて今はカジキマグロに夢中と言う話には笑った。

バカな消費という意味では「別荘」もそうだろう。あこがれの別荘。しかし一般の金融商品のように買ったとたん、インカムゲインがあるのが普通なものと違って、不動産と言うのは所有した途端、それを他者に売却しない限り、未来永劫費用が発生する商品なのである。固定資産税はもちろん水道光熱費、マンションなら管理費や共益費、それに修繕積立金を払わなくてはならないのである。日本中のリゾート地に建てられた「リゾートマンション」の大半が、今、捨て値で売りに出ているという。3000万円で売りに出たものが、今なら300万円、ひどいのになると20万円から50万円くらいで売りに出されているという。テントを買う感覚で中古物件を買う若者もいるらしいが、私はおススメしない。大規模修繕のときに突きつけられる請求書の額を想像すると、20万円でも「売りたい」というオーナーの気持ちが分かろうというものである。維持費だけでも年20万円くらいはかるくかかる。20万円あれば家族四人で箱根の強羅花壇や奥湯河原の海石榴に泊まれる。別荘なんか持つ必要などあまりない。ホテルや旅館を使ったほうが、はるかに効率的なのだ。

私は「格差」を騒ぐ人々の本音は「嫉妬」にあると見ている。己の不行状を棚に挙げ、分際もわきまえず、他人を妬み嫉み呪っているだけなのだが、「嫉妬」というと恥ずかしいのか「格差」という武器を持ち出して「正義の仮面」をかぶっているだけだと思っている。諸君、「格差が問題だ!」などといって、己の嫉妬を正当化するは、そろそろ止めにしないか。「世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。 世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です」という言うではないか。私が言っても信じないなら、福澤諭吉が言っているとだけ言っておこう。

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