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  3. Leonさんのレビュー一覧

Leonさんのレビュー一覧

投稿者:Leon

85 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本ラプソディ 血脈の子 上

2001/05/28 00:14

すれ違いにメロメロ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 指輪物語以来、エピック・ファンタジーの定石(?)となっている三部構成(Trilogy)の内の第1部。

 愛、勇気、友情あたりがエピック・ファンタジーの標準的なテーマだが(ジャンプ?)、本作はそれらに加えて、ジェンダー、義務、偏見などについて描かれている。

 ジェンダーについて語るにしては、主人公のラプソディは絶世の美女で男たちの気を引かずにはおかない存在であるのに対し、準主役の男性二人は、人格はナイス・ガイだが顔はかなり崩れているという設定なのは作者のトラウマか何かでしょうか。

 スケールは大きく、時間的に十数世紀に及ぶものは他に類を見ない。

 “すれ違いの恋人同士”という、続きが気になるテーマが全編を通しているので、ハンカチの端を噛んで続刊を待ちます。

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紙の本

紙の本ヒストリアン 1

2006/03/19 15:20

拍子抜けのドラキュラ小説

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

少女は、父親の書斎で皮表紙の古い本と手紙の束を見つけた。
本の中ほどに竜の挿絵があるだけで、残りのページは全て白紙。
手紙の方も「親愛なる、そして不運なるわが後継者へ」との書き出しで始まる不可解なもので、差出人は不明ながら1930年に書かれたものらしい。
それらの来歴を問われた父ポールの話は、彼がオックスフォードで歴史を学んでいた頃にまで遡って行く。
図書館で彼が使っていた閲覧席に、いつの間にか紛れ込んでいた古い本には中ほどに竜の挿絵があるだけだったが、竜はその鉤爪に「ドラクリア(DRAKULYA)」と書かれた旗を掴んでいた。
ポールが何気なくその本のことを彼の指導教官である歴史学者のロッシ教授に話すと、教授は意外な反応を示した。
教授もまた若い頃に同様の竜の本を手にしており、その来歴を調べるために遥かイスタンブールまで旅をし、一つの結論に達したと語ったのだ。
「ドラキュラは−ヴラド・ツェペシュはいまも生きている。」
ドラキュラについて調査を進めていたロッシ教授は、その経過を誰に宛てるというわけでもなく手紙にしたためており、それは結局ポールの手に渡ることになったが、そんな遣り取りから間もなく教授が失踪してしまう。
ポールは、教授の失踪後ドラキュラについて調べて行く中でハンガリーからの留学生と出会った。
その留学生、人類学者のヘレン・ロッシはロッシ教授の娘だと言うのだが・・・
手紙から読み取るロッシ教授の1930年代の旅、記憶として語られるポールとヘレンによるロッシ教授の消息を求める1950年代の旅、そしてポールの娘が両親を探す1970年代の旅は、中世西洋の西端であるイギリスから東端のコンスタンティノーブル(イスタンブール)にまで及び、四次元的な壮大さがイマジネーションを拡大させる。
更に、長い歴史を持つヨーロッパ諸都市の描写なども素晴らしく、仮想旅行を愉しんでいるような気分にさせてくれる。
帯には「歴史ミステリー・グランドツアー小説」とあり、”グランドツアー”の部分は確かに素晴らしいのだが、”ミステリー”として読むとかなりの拍子抜けとなるだろう。
証拠・証言から犯人を追い求める通常のミステリーとは異なり、古文書などを手がかりにするところはオカルト的な要素もあって愉しませてくれるのだが、ドラキュラに辿りついたところで愕然とさせられる。
ロッシやポールを脅かしたドラキュラの動機が、単に好事家的な満足のためであるというのは、ミステリーとしては読者に対する裏切りではないだろうか。
また、ドラキュラの異常な長命についての理屈を「とある秘法」で片付けてしまっているのも問題だ。
最後まで読むと、ヨーロッパの風土描写などのリアルさも「ヴラド・ツェペシュはいまも生きている」という非現実的な前提を補完するためだけにあったかのようにすら思えてくるが、結果としてドラキュラという存在の説得力の欠如を補いきれてはいない。
一方、邦訳と異なり原著はミステリーではなくファンタジーとしてカテゴライズされているようだ。
幻想的な要素に極めて寛容なファンタジーとして読んでも本作のドラキュラは陳腐で魅力に欠け、作中でブラム・ストーカーの「ドラキュラ」を作り話として片付けている割には、「3回襲われるとドラキュラの眷属になる」という設定を平然と踏襲している。
伝承に対して自らの想像力を働かせるという点が不充分で、ファンタジーとしても物足りないと言わざるを得ない。
本作は執筆中の段階でミシガン大学が主催する文学賞を獲得したとのことであるが、結末まで書かれていない段階であったからこその受賞だったのではないだろうか。

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紙の本

期待の続刊だったけど…

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

・魔法学校再訪

正統の世継ぎであるディアマンテが帰還した前作から1年後のブレスランドが舞台。

ランドルは王宮付きの魔術師として「マスター・ランドル」と呼ばれ、リースも宮殿付きに、幼馴染のウォルターは王国軍の総帥となっている。

これまでにない平和が続いていたある日、王国の東のはずれに領地を持つ男爵コンプトン・ド・コートビルは、一人息子のウィルフリードを女王の宮廷に送ってきた。

重病の床にあるという男爵は、自分の息子を是非ともランドルに師事させてくれとの依頼を女王に寄せ、魔法学校で成績が振るわないウィルフリード少年に過去の自分の姿が重なったランドルは快く引き受けることに。

しかし、ウィルフリードが来てから宮殿では女王が妙な悪夢を見るようになり、ウォルターは毒を盛られてあわや死にかけるという事件が起こるのだった…

本シリーズの特徴であるミステリー風の色合いが濃い作品。

ランドル自身は素直な性格なので推理というよりは消去法で犯人を捜すのだが、ともすると読者のほうの推理が先走ってしまうかも知れない。

推理ではないが、愚直なランドルに比べて世慣れたリースの「人を見る目」が冴える。

・氷の国の宮殿

ブレスランドを訪問していた北方の国バスキナの王トルクは、晩餐会でリースの美声に感嘆し、彼女を自分の国で行われる歌手のコンテストに招待する。

子供の頃より憧れていた舞台への招待を受けたリースは、帰国するトルク王一向と共にバスキナへと旅することになるのだが、トルクが邪悪な魔法のオーラを纏っていることに気付いたランドルも同行を決める。

更にディアマンテ女王は、二人の身を守るために護衛を付けてくれたのだが、それは変節漢ぶりを見せて悪びれるところのない、根っからの傭兵であるデイゴンだった。

トルクの姦計によって、バスキナへ向かう船から一人小さな救命ボートた下ろされたランドルだったが、結局はリースもデイゴンも同じボートに乗り込むことになり、独自にバスキナのコンテスト会場を目指すのことになるのだが…

基本的にはブレスランド内に終始していた本シリーズだが、安定の時代を迎えたことによって、騒動の元を外に求めたという印象。

今回の冒険の舞台となるのは北方の王国バスキアだが、中世欧州風のしっかりした設定のあるブレスランドに比べると、良く言えば幻想的だが、実際のところはかなり雑に造られたように感じた。

しかしながら、氷の宮殿の造形にはかなり凝っていて「霜柱を踏むような感覚のある絨毯」など、これまで同様にイメージを喚起させる描写が沢山ある。

シリーズを通して、悪魔とその傀儡から自分達の世界を守ろうとしていたはずなのだが、今回はそのような背景も見えず、外伝的な位置付けなのだろうか。

前作の発表から14年間の沈黙を破っての書き下ろしとのことであるが、せっかく大団円となった物語を、“新たなる”とか“より強大な”敵を登場させてインフレ的に物語の寿命を伸ばそうするのは安易で好ましくない。

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紙の本

紙の本さいごの戦い 新版

2002/04/17 23:07

死をどう捉えますか?

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ナルニア国ものがたりの最終巻。
悪賢い毛猿のヨコシマは、アスランの名を騙ってカローメルンと手を結び、ナルニアのあり様をガタガタに変容させてしまいます。
ナルニアの最後の王チリアンは、無勢にも関わらずヨコシマの企みを暴こうと苦戦しますが、やがて捕らえられてしまい、ナルニアの命運もここに尽きたかと思わせますが、これまで同様にイギリスから子供達が救世主として駆け付けて来ます。
「銀のいす」で活躍したユースチスとジルは、チリアン王を助けてヨコシマに騙されているナルニアの国民を説得しようとするのですが、ヨコシマとそれに組するカローメルンには更に奥の手がありました。
ユースチスとジルの他にも、ポリー、ディゴリー、ピーター、エドマンド、ルーシィ、すなわちこれまでナルニアの危機を事ある毎に救ってきた主人公たちが総登場し、更にはナルニア随一の英雄、もの言うネズミのリーピチープなども姿を見せます。

しかし、この終わり方に納得できる人がどれほどいるのか疑問です。
ルイスは熱心なキリスト教信者で、これまでもナルニア国ものがたりの中に聖書の代弁とも取れるテーマを盛り込んできました。
キリスト教の教義について特に詳しいわけではないのですが、「死とは神の国に迎えられることであり、幸せなことだ」とする考えがあったと思います。
こういった考え方は、慰めとしてある程度は評価できますが、子に先立たれた親の悲しみを完全に埋めることは出来ないのではないでしょうか。
単に子供達が死んでアスランの国に迎えられた、と結ばれていたとしたら、読者が子供たちの親の心情を推し量るでしょうから、あまり気持ちの良い終わり方とは言えません。
ルイスがこれまで特に出る幕の無かった子供達の親を登場させたのは、子供の死を悲しまずに済むように、子供達と共にアスランの国に住まわせるためだったとしか考えられません。
せっかくの楽しい物語世界をキリスト教に同調させんがために、つまらない矛盾に陥ってしまったように思えます。

これまで楽しく読んできたのですが、本巻の「全滅エンディング」はどうしても納得出来ませんでした。

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紙の本

紙の本魔法の声 新装版

2007/03/22 07:15

タイトル(原題)を作中作と同一にしたのも「はてしない物語」へのオマージュか

9人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

メギーは古書の修繕を生業とする父親のモルティマと二人暮しの12歳の少女。
父親の仕事柄、本に囲まれて育ったメギーは読書好きで、モルティマも惜しむことなく本を買い与えてくれるのだが、何故か読み聞かせてくれることはしない。
ある日の夜、メギーがいつものように蝋燭に火を灯して本を読もうとすると、窓の外に雨の中で立ち尽くす男の姿があった。
驚いて父親を呼んだメギーだったが、意外なことにその男は父親とは知己であることを知る。
”ほこり指”という変わった名前のその男が現れたことをきっかけに、メギーは父親の声に秘められた不思議な力を知ることになるのだが・・・
モルティマは本を朗読することによってその中に登場する人や物を呼び出せるのだが、制御不能で何が飛び出してくるか判らないという難点がある。
また、何かを呼び出した場合には入れ替わるようにして現実世界からも何かが本の中に入り込んでしまうというのも問題で、実はメギーの母親も彼女が幼い頃にそうして「闇の心」という物語の世界へと消えてしまっていたのだ。
現実と物語世界の交錯というのはあまりにもありがちな設定であるものの、物語の世界へ没入するということはあり得ることで、エンデの「はてしない物語」はその延長線上にあるものと言えると思うのだが、フンケの場合は”こちらからあちら”ではなく”あちらからこちら”という移動を描いて「もしも」の程度がよりリアルな印象を与え、ホラーにも通じるものがある。
しかし、「闇の心」から飛び出してきたカプリコーンには悪役としての迫真性がなく、メギーやモルティマが彼に怖気を振るうほどに白けてしまう。
「闇の心」の登場人物であるカプリコーンの性格は「闇の心」を読まねば実感できないところで、メギー達への感情移入が中途半端になるのがその原因だろう。
”魔法の声”というアイデアはユニークなのだが、「闇の心」が実在するか、実在する物語を「闇の心」の代わりに使っていればメタフィクションとして面白くなりそうだ。
「本」が主題となっていることから、色々な物語、特に子供向けのタイトルが多く登場し、各章にその内容に応じて名作の一部が引用されるという構成は愉しく、本編の中でも「ピーター・パン」からティンカーベルが呼び出されたりするなど、先人である児童文学作家達へのオマージュが感じられるが、それらを未読である読者にとっては意味不明。
本作が魅力的ならば引用された過去の名作へ誘う「読書案内」的な役割を果たすことも出来るのだろうが、先人へのオマージュが先立って直接の相手である若い読者が軽視されてはいないだろうか。

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紙の本

起伏を付けるために「死」を用いるのは病みつきになるのかも知れない

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ダーズリー家で休暇を過ごしているハリーのもとへ、ダンブルドアから嬉しい報せが届けられた。
休暇の残りを「隠れ穴」に招待されたハリーは、ダンブルドアと共に出発するのだが、途中で寂れた村に立ち寄り、そこに住むスラグホーンという魔法使いを説得してホグワーツの新しい教授として向かえることとなった。
不死鳥の騎士団のメンバーなどとは異なり、無闇にヴォルデモートを恐れる老スラグホーンにダンブルドアが執着するのは不可解に思われたが、ハリーに対する個人授業を始めた校長はヴォルデモートの過去を知る上で、スラグホーンがひた隠しにしている記憶が必要だと言い、それを引き出す役目をハリーに与えた。
そんな困難な課題のみならず、普通魔法レベル(O.W.L)試験に合格したハリーはますます難しくなっていく授業にも悪戦苦闘するのだが、思いがけない助けを得る。
スラグホーンから借りた昔の生徒の「魔法薬学」のお下がりの教科書には、余白が無くなるほどに細かい書き込みがあり、そこに書かれた秘訣に従うと「魔法薬学」が苦手なハリーでも、秀才であるハーマイオニー以上に優れた結果が出せるのだ。
教科書にプリンスと署名した元の持ち主は、勉強熱心であるばかりか創意にも富んでいたらしく、ハリーの全く知らない呪文なども書きとめていたのだが・・・
ダンブルドアによる個人授業が進む中でヴォルデモートの過去が明らかにされていくが、中でも鍵となるのはスラグホーンが過去の汚点として隠している古い記憶。
トム・リドルは、過去にホグワーツで教鞭を取っていたスラグホーンの教え子であったことがあり、後に悪を為す人物に目をかけていたという事実は、虚栄心の一際強いスラグホーンにとっては消してしまいたい思い出なのだ。
しかし、そうしてヴォルデモートの過去を探っている間に、敵は万全と思われていたホグワーツの守りの綻びを発見し、ダンブルドアとハリーの不在中に大規模な攻勢に出る。
また、前々巻あたりから登場人物達の成長に併せて仄かな恋愛感情を描いてきたが、本巻ではハリー、ロン、ハーマイオニーそれぞれの恋愛を描いてローティーンからハイティーンへの変化を明確にしようとしたようだ。
次第に陰惨となってくるストーリーの中で彼らの恋の鞘当ては一服の清涼剤になっているものの、流れた血までは拭いきれない。
「死」とバランスを取るなら「恋愛」ではなく「生命の誕生」が欲しいところだが、そのような物語のセオリーに対する配慮は無く、心地の悪い読後感だ。

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紙の本

紙の本ナーダ王女の憂鬱

2005/07/23 16:44

読者サービス?

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

16歳の少年ダグは学校の友人エドの薦めるコンピュータゲーム「コンパニオン・オブ・ザンス」を始めるにあって賭けをした。
1時間以内に厭きてしまったらダグの勝ちで、ダグはエドのオートバイを手に入れる。そして、もしダグがこのゲームにはまってしまったならエドにガールフレンドを渡すという条件だ。
「コンピュータゲームなんてくだらない!」
今までどんなゲームを試してみても5分もあれば厭きてしまっていたダグだったが、賭けに応じて取り敢えずパッケージからディスクを取り出し、そこに書かれたコマンドを投入する。
A:/XANTH ・・・
同じ頃、もう一人の人物が「コンパニオン・オブ・ザンス」のプレイを始めた。
ダグと同い年の少女キムは、ファンタジー・クイズ・コンテストの優勝賞品としてそのゲームを手に入れた根っからのザンス・ファンで、プレイの意欲は満々だ。
別々に「コンパニオン・オブ・ザンス」を始めたダグとキムは、魔法の国ザンスの世界を模したゲームをプレイするために、進行を手伝うコンパニオンとしてそれぞれナーガ族の王女ナーダとエルフ族の娘ジェニーを選択するのだが・・・
マンダニアではダグとキムがスクリーンを前にしているわけだが、ザンスの方では悪魔グロスクラウト教授の監督の下に出演者が様々な役割を与えられているという仕組みで、更にプレイヤーが魔法の存在を信じればザンスに実体を持つことが出来る。
大筋としてはこのシリーズのメイン・テーマである「A boy meets a girl」が踏襲されているだけだが、マンダニアの少年少女を主人公に据えたのは長年の読者へのサービスといったところか。
特にザンス読者であるキムの、「あれも見たいこれも試したい」という好奇心は、本シリーズのファンの気持ちを代弁しているようで馴染みやすい。
逆説的だが、巻を重ねて登場人物が増えたザンス・シリーズは、世代交代まで起こっているため本書だけ読んでも殆ど理解できないだろう。
ダグに同行することになるマンダニアからの黒人移住者のシャーロックは、その名前と「初歩的なことだ」とのセリフから、シャーロック・ホームズがモデルとなっているようだが、駄洒落的推理もザンスならではの面白さがある。
一件無関係と思える名探偵の名前を持ち出したのは、ドイルがその著作の中でマリー・セレスト号事件を黒人王国の建設に結び付けたことに起因するのだろう。

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紙の本

紙の本不思議を売る男

2007/07/08 18:03

虚構は足をしっかり地に付けて愉しもう

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

課外レポートのために訪れた図書館で、エイルサは変な男を拾った。

年齢不詳、住所不定のその男はMCC・バークシャーと名乗り、行く当てもなく仕事を探しているというので、不憫に感じたエイルサは父親の他界後も母親が経営を続けているボーベイ古道具店に連れて来てしまう。

日がな一日売り物の中古ベットの上で古本を読みふけってばかりいるMCCに、当初はエイルサもボーベイ夫人も不安を感じていたが、やがて彼は一風変わった商才を見せ始めた。

客が目を留めた家具があると、嘘か真か、その家具に纏わる不思議な来歴の物語を披露し、客をして買わずには居られない気持ちにさせてしまうのだ。

エイルサは次第にMCCの紡ぎ出す物語を心待ちにするようになって行くのだが・・・

原題を直訳すれば「嘘の詰め合わせ」になってしまうところだが、MCCの語る不思議な話を全て「嘘」と片付けてしまうのは勿体無く、邦題は上手くしたものである。

古い家具から醸し出される雰囲気は、思わずその歴史や背景についての想像を巡らせてしまうような力があると思うのだが、MCCはそんな夢想を絵に描いたような物語に仕立ててしまう。

所謂「枠物語」の構成をとっているが、その一つ一つはホラー、ロマンス、海洋冒険などと多彩であり、読者は思わず聞き入ってしまう客と同じ立場に立たされることになって厭きさせない。

厭きさせないという点においては、「枠」としてのボーベイ古道具店の物語も序々に進行して興味を惹きつけ、家具の来歴を語るMCC本人の謎につまれた来歴が最後になって明かされるときは誰もが驚くだろう。

しかし、個人的にはこの結末は好みに合わない。

子供向けの本の主人公が、現実逃避に成功して目出度しというのでは後味が悪すぎる。

共に暮らすうちに、年頃のエイルサが次第にMCCに惹かれて行くのは自然な事のように思えたが、結末を読んで気持ちが悪くなってしまった。

マンガ「ドラえもん」に登場するのび太は、異世界ではヒーローになるが、例えパッとしない現実世界であっても最後には帰ってくる。

それは健全さという意味において、とても重要なことではないだろうか。

日常の中にありながら神秘性を感じさせる古道具店という枠と、そこでMCCによって語られる11の掌編はそれぞれに素晴らしいものだけにとても残念だ。

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紙の本

紙の本黒い海岸の女王

2006/12/05 22:19

粗にして野なれど卑に非ず

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

屍が散乱する雪原の戦場で、今、最後に生き残った二人の男が対峙している。
凄絶な戦いの中で生き残っただけあって、両者は共に負けるとも劣らぬ異偉丈夫だったが、天は北方のヴァナヘイムのヘイムドゥルではなく、キンメリアの蛮人コナンに味方した。
唯一の生き残りとなったコナンは、疲労のあまりそのまま気を失ってしまうのだが、夢か幻か眼前に薄絹一枚を纏っただけの美女が現れる。
挑発的な女の態度に煽られるようにして残る力を振り絞り、逃げる女を追うコナンは、次第に山がちとなって行く地勢の変化にも気付かぬまま、姦計に嵌って二人の巨人が待ち受ける場所へと誘き出されてしまうのだが・・・
これまでも幾つか邦訳の出ているシリーズだが、今回新たに出版された新訂版コナン全集は、ハワード・オリジナルに拘ったほか、刊行順ではなく年代順に並べられており、初刊にあたる本書は傭兵や盗賊としてのコナンの冒険が表題作を含めて6編収められている。
コナンの活躍するハイボリア時代は、アトランティスが海に没してから数千年後の地球だが、刊行順と年代順が一致しないのも、ハイボリア時代という架空の歴史を相当に練りこんでいた証左と言えるだろう。
美女、妖術、更には異星からの来訪者まで、妖しい魅力が一杯詰め込まれた舞台の中で活躍するコナンは、蛮人ではあるが、その蛮人であることを誇りとしている。
野獣のような腕力と特有の賢さで文明社会を罷り通る様子は何よりも痛快であり、運の良さや魔術に対する免疫も理屈を超えた英雄性として違和感がなく、逆に安心して愉しめる要素になっている。
狙ったユーモアは少ないが、コナンの朴訥さを周囲と対比すると不思議と笑いがこみ上げ、小説でさえ滅多に見られない主人公の自由さが爽快な印象を残す。

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紙の本

紙の本死神の精度

2005/08/08 13:20

死神の精度は極めてテキトー

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

調査部に所属する死神は、情報部が選定した対象者の死亡予定日8日前に人間の姿を纏って現れる。
7日以内で対象者を調査した後、「可」若しくは「見送り」の判断を下して情報部に報告し、もし「可」としたならば、その対象者の死に様を見届けるのも仕事のうちだ。
計6つの短編から成り、死神「千葉」が担当する6人の対象者達の年齢や性別は様々。
・「死神の精度」
藤木和江(22)は、大手の電気メーカーで苦情処理を担当しているが、ただでさえ幸薄いと感じている中、執拗なクレーマーに悩まされている。「もっと声を聞かせろ」と迫るクレーマーがとうとう和江の前に現れて・・・
・「死神と藤田」
藤田は四十代のヤクザ。といっても、古いタイプの任侠を重んじるタイプで、筋の通らないことは許せない。そんな性格を疎んじられた彼は、自らの組織に裏切られて絶対絶命のピンチに陥るのだが・・・
・「吹雪に死神」
吹雪に閉じ込められた山奥のペンションの宿泊客の中には千葉が担当している対象者のほかにも同僚の死神が担当している人間がいるという。宿泊客が次々と謎の死を遂げていく中で千葉は全体像の謎解きを試みるのだが・・・
・「恋愛で死神」
今回千葉が担当した青年荻原は、近所に住む古川朝美に片思いをしており、なんとか親しくなろうとしていた。最近ストーカーのような男に付きまとわれていた彼女は当初は強い警戒感を示すものの、やがて誤解も解けて互いの心は急接近するのだが・・・
・「旅路を死神」
喧嘩で人を刺し殺した森岡(20)は、千葉の運転する自動車に押し入って十和田湖へ向かえと指示する。六号、四号、ニ八ニ号と北上する中、子供の頃に誘拐されたという森岡のトラウマが明らかになっていくのだが・・・
・「死神対老女」
「人間じゃないでしょ」。一目で死神の正体に気付く人間も少ないながら存在する。今回の対象者である七十代の女性美容師は死神をそれと知った上で奇妙な依頼を持ちかけてきた。彼女の店に、若い男女の客を4人ほど連れてきてくれと言うのだが・・・
人間の死が、役所的な組織を持った死神たちによって取り仕切られているというアイデアが面白い。
死神たちは仕事をとてもドライに割り切っており、人間にもその生死にも殆ど興味を払っていないのだが、何故か皆一様に音楽好きという設定で、無感情・無表情という印象のある死神が、音楽を聴くときだけ頬を緩みっぱなしにさせるのは、想像すると笑ってしまう。
人間が頻繁に用いる言葉のレトリックが一切理解できないため、担当している、すなわち死期の迫っている人間との会話も滑稽なものになりがちで、テーマとして「死」を扱っているにもかかわらずかなりユーモラスな作品となっている。
表題となっている「死神の精度」とは、死神の調査結果、つまり不遇の死を「可」とするか「見送り」とするかの判断の確からしさを意味していると思うのだが、その基準はいい加減の一言に尽きる。
大抵は誰かが不遇の死を遂げる必要のあるミステリーを守備範囲とする著者にとって、行いの善悪を測りにかけて精査するような死神の存在は論外といったところか。

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紙の本

紙の本チェンジリング・シー

2009/01/12 22:30

「人魚姫」異聞

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

漁師であった父親が海難事故で行方不明になって以来、ペリは母親のもとを離れ、村の酒場で働いている。
夫の死を受け入れられず、空虚な日々を送るだけの母と暮らすことに居た堪れなくなったのだ。

村外れで呪いなどを行う老婆の家に居候するようになったペリは、見よう見真似で覚えた呪いを海に放つ。

-二度とわれらの世界から物も人も奪えぬように-

すると、海中から竜に似た巨大な怪物が現れ、その首には何処から繋がったものか、黄金の鎖が嵌められていた。

海竜の出現は村の人々を驚かせたものの、漁のために海へ出てくる人々を興味深く見つめるだけと知ってからは金の鎖に注目し、それを手に入れるために力のある魔法使いを探し始めたのだが・・・

地上の世界に馴染めず、海への回帰を希う王子キールは、父王と「海の中の王国」の女性の愛の結晶なのだが、王が結婚相手として選んだのは人間の娘。

「人魚姫」のような出来事が過去の背景にある中で、王の変心に対する怒りに任せて行われた取換え子が、時を経て息子のキールや彼に恋をしたペリにも苦しみを与えるという因果が読みどころ。

当然、王のもう一人の息子も登場するが、長い間放置状態にあったため、キールと同年齢であるにも関わらず幼児めいた純真な萌えキャラに成長し、表紙買いした読者であっても満足する部分は多そうだ。

タイトルから取換え子が扱われることは容易に想像できたが、読み進めるうちに、海も妖精郷に劣らない伝承の宝庫であることを再認識させられた。

また、海に還ろうとしても還ることの出来ないキールの様子に、読者は直ぐにその原因に思い当たるのだが、作中の人々にとっては結末まで謎のままというアイロニーも心憎い。

キールの生れ故郷である海に対する憧憬はペリに対する気持ちよりも強く、哀しい結末を予感させるものの、実際にはハッピーエンドが待っている。

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紙の本

歌+魔術=歌術

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

3つの月を持つ世界トレマリスの山岳地帯、小国アンタリスの巫女たちは古より伝わる氷の歌術によって国堺に沿って氷の壁を築き、外界から遮断された平和な暮らしを営んでいる。
壁の維持を目的として年に9度行われる<強めの日>の儀式のため国境に赴いた見習い巫女のカルウィンは、壁の内側で、そこに居るはずのない余所者の男が倒れているのを見つけた。

男は足に酷い怪我を負っており意識も定かではなかったが、カルウィンが近付くとアンタリスの巫女のものとは異なる歌術をもって抵抗する様子を見せた。

巫女たちの看護によって快方に向かい始めた男はダロウと名乗り、鉄の歌術を操る鉄芸師であったが、彼に傷を負わせた敵に今も追われていると考えていてカルウィン以外の誰も近づけようとしない。

彼の敵であるサミスもまた歌術師だというが、カルウィンたちアンタリスの巫女が氷の歌術師であり、ダロウが鉄芸師であるように一つの歌術だけを修めているいるのではなく、トレマリスの各地に伝わる歌術の全てを習得して「万歌の歌い手」となり、その力でトレマリス全土を掌握しようと目論んでいる。

やがて、ダロウの予測どおりに彼の居場所を突き止めたサミスは氷の壁をものともせずにアンタリスへ侵入し、巫女たちは集団で対抗するのだが、サミスの力は圧倒的だった。

ダロウを逃がすため、カルウィンは外界へと通じる川へ彼を連れていくのだが・・・

サミス打倒に協力してくれる歌術師を探すため、やがてはサミスの手から逃れるために、巻頭見開きに示されたトレマリスの広い地域を舞台にして航海と冒険の物語が展開する。

本作一番の特徴は、やはり「歌術」そのものだろう。

古来より伝わる歌術は火、氷、鉄、風、獣、舌、生成、幻惑、神秘の9種存在し、それぞれが異なる民族に伝わっているらしいが、物語の時代ではその多くが失われかけており、更に鉄の術歌は最も低い音程で歌われ、その逆に最も高い音程で歌われるのは幻惑の術歌という設定。

「万歌の歌い手」となるには9オクターブもの音域が求められることになるが、男性であるサミスにそれが可能か否かという現実的な疑問にも応じており、ユニークな設定を効果的に活かしている場面が多く盛り込まれていて愉しい。

また、「9種の術歌」という設定からゲームよろしく仲間集めが進んでいくのかと思いきや、予想を裏切る展開を見せ、サミスとの最終対決も意外な形で決着する。

主人公のカルウィンは、仲間達から、また旅そのものを通じて国々の分裂がもたらしている弊害を知るものの、その改革を為すために統一という手法を選んだサミスを否定し、最終的には共存・共栄の重要性を学ぶ。

平和に満ちた一種の楽園に思えていたアンタリスも、巻末に至れば他者を顧みることのない誤った社会形態であることに気付かされる。

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紙の本

紙の本黒いカクテル

2006/08/15 23:42

混ぜるな、危険!

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

原著を二分冊したその後編。
・卒業生(Postgraduate): ルイス・ケントは今、仕事は順調で円満な家庭も築き幸せを感じているが、ある朝目覚めると15年前そのままの様子の高校の寮にいた。しかし体や容貌は眠りにつく前と同様に32歳のまま。夢だと思いつつ授業には出たものの、微積分の公式などとうに忘れており、体の方も若者相手のフットボールの練習にはついて行けるわけもなく・・・
夢がなかなか覚めないためルイスは妻に電話をするのだが、そこでの会話が予想を裏切ってくれて愉しい。若い頃に戻って人生をやり直すという夢想は他の作品にも見られるモチーフだが、ここでは「悪夢」として描かれている。
・くたびれた天使(Tired Angel): トニーはスーパーで買い物をしている時に偶然知り合った男性と恋に落ちる。しかし、その男はトニーを以前から知っており、出会いも偶然を装った計画的なものだった・・・
偏執的ではあるが冷徹なストーカーによる一人称形式の作品。彼に狙われた女性トニーは、掌の上で踊らされるように彼と恋に落ちて最後にはビルから身投げしてしまう。盲目的でない怜悧なストーカーの語りに背筋が寒くなる。
・我が罪の生(The Life of My Crime): ハリー・ラドクリフは学生時代の知り合いであるゴードン・エプスタインと再会する。25年前、ハリーは冴えない一学生に過ぎなかったが、ゴードンの方は常に注目を浴びる存在だった。しかし、ゴードンが得ていた名声は須らく嘘によって慎重に築かれたもの。大人になったゴードンは、ハリーに対して自分は変わったと言うのだが・・・
嘘で人生を渡り切れるものではないと思うが、少なくとも学生の頃のゴードンは上手くやっていた。死ななきゃ直らないというタイプの虚言癖を持つ彼が、嘘を付けなくなった理由が御伽噺めいていて愉しく、ゴードンのようなタイプの知り合いがいるのであればほくそ笑まずには居られないだろう。
・砂漠の車輪、ぶらんこの月(A Wheel in the Desert、 the Moon on Some Swings): 医者から残り三ヶ月で完全に失明すると宣告を受けたノーマン・バイザーは、カメラを買うことにした。彼は様々なものをフィルムに収めていくのだが、失われる視力を補うような記憶に残る写真が撮れない。試行錯誤の結果、ノーマンは最も良い写真の撮り方を思い付くのだが・・・
ノーマンの思い付きとは、特殊メーキャップ・アーチストと肖像写真の専門家にコンタクトし、今後自分が老いて行くに連れてこのように変わるであろうと思われる容貌を予め撮影しておくというもの。失明後の将来、自分がどのような顔で人と対面することになるのか知っておくというのは良いアイデアに思われるが、結局は視力以上の第六感感の存在に気付くというスピリチュアルな結末に安堵感を得られる。
・黒いカクテル(Black Cocktail): イングラムは、最近の大地震でパートナーを失った彼のことを気遣う妹から、マイケル・ビラという男性を紹介されて付き合い始めた。マイケルは相手を愉しませる話術の才能の持ち主なのだが、ある日マイケルの学生時代の思い出話に登場する同級生のクリントンが、未だ15歳のままの姿で現れ・・・
話は二転三転するものの結末はあっけない。男性と女性は一つの完全な状態が分割されたものとする「赤い糸」の話があるが、本作では人間という存在は5つに分割されて生まれ来るという。性は確かに2種類しかないため魂二分割説には一定の説得力があると思うのだが、本作における「5つ」の根拠めいたものは手足の指の本数ぐらいで真実味が希薄。タイトルの意味に途中で気付くか読後に気付くかで面白さは異なるかも知れない。

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紙の本

紙の本魔法使いの弟子

2002/01/13 00:29

影は無用の長物?

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ダンセイニ卿の作品ということで、アイリッシュ・ケルト風なものを期待していたが、意外にも舞台は中世のスペイン。
 貧乏領主の息子である主人公は、家計を立て直すべく、錬金術を習うために魔法使いの元に弟子入りするが、師匠は知識伝授の代償として、「影」を要求する。弟子は、背と腹は換えられぬという貧乏人根性から、自らの影を魔法使いに渡してしまうのだが…。

 アーサー王系のロマンス的でもあるが、個人的には魔法使いの描写が気に入っている。

 一見すると悪者のお師匠さんではあるが、これは近隣の村人などからの視点で「得体の知れない」=「悪」という短絡的なイメージ。この魔法使いは、他のファンタジー作品に登場するような“普通の”魔法使いのイメージを超えた「超越者的」雰囲気がある。

 善悪のような稚拙な二元論など意にも介さず、ひたすらに人知を超える知識と力を求める彼のもとでは、主人公の現世的意図など霞んでしまうように感じる。

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紙の本

ストレートなアメリカン・ファンタジー

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

<至高秩序団>のミッドランズ侵攻が着々と進む中、リチャードは重症を負ったカーランを連れて故郷ハートランドの森で隠遁生活を始める。
最愛の妻の看護のための一時的なものと思われていた森での暮らしだが、カーランが回復した後もリチャードはダーラの君主として軍を率いるつもりはないと言う。

しかし、静かな暮らしも長くは続かず、二人の前に現れた<闇の信徒>ニッキは、自身とカーランとの間に命を結びつける魔法をかけた。
”妊婦の術”は、ニッキの受ける影響をそのままカーランにも伝えるため、リチャードはニッキに手を出すことが出来ない。

ニッキの要求に否応なしに従うしかなくなったリチャードだったが、奇妙なことに彼女の要求は<至高秩序団>の支配する町アルトゥラングで一介の市民を装って暮らすことだけだった・・・

大掛かりな魔法を軸に展開してきたこれまでとはうって変わり、思想をテーマにしている。

当初から自分の信じる道を突き進んできリチャードは、<至高秩序団>に対抗するため強制的にミッドランズ諸国を指揮下に置こうとしてきたが、その方策に限界を感じたようだ。

合理的には正しくとも、強制して人々を戦いの道に引きずり込んだのでは見かけどおりの力は出ないのは道理。

頼むに足りる数の軍勢が揃ったとしても、その一人一人が「戦わされている」と感じていては、歪んだものではあるものの「平等」という旗印に集う一枚岩の<至高秩序団>には敵わないだろう。

ジャガンの唱える「平等」に対するリチャードの思想は「自由」だが、それは一人一人が希求するのでなければ守る価値もない。

一方、幼少の頃からトラウマのように「平等」にとり付かれているニッキには、リチャードは理解しがたい存在。

ニッキがリチャードを連れ去ったのも彼の思想を改めさせるのが目的だったが、「自由」を是とするリチャードの一途な生き方を目の当たりにしたニッキの方が改心させられるのが、地味ながらもクライマックスになっている。

ミッドランズ市民に対しては失敗続きだった自由の主張が、拉致されて飛び込んだ<至高秩序団>の版図のど真ん中で花を開かせたのは皮肉と言えば皮肉なこと。

ジャガンとの決戦は次巻に持ち込まれたが、綻びの見え始めた<至高秩序団>への勝利は近いのだろう。

あまりにも自由礼賛なのは鼻につくが、魔法や妖精などの文化アイデンティティを欧州から拝借したものに比べると、実にストレートなアメリカン・ファンタジーではある。

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