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  3. Snake Holeさんのレビュー一覧

Snake Holeさんのレビュー一覧

投稿者:Snake Hole

36 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本松山巌の仕事 1 路上の症候群

2002/07/12 11:57

街角から慣れた手付きで掬い上げられる「ズレ」たち

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 建築家,評論家,そして小説家でもある松山巌のエッセイ集。1978年から2000年までの間に,いろんな媒体に発表された114篇のエッセイを集めたモノで,まえがきによれば「およそ20年にわたる私 (著者) の関心事の束」である。
 1978年,すっかり「自殺の名所」になってしまっていた高島平団地を見に行った「高島平団地」に始まり,前世紀,つまり20世紀の幕開けに著された平出鏗二郎の「東京風俗史」に思いを馳せる「未来の東京案内」に終わる。移り変わる街,人の姿のなかから,ふと小さな「ズレ」のようなものを掬いあげる,その手付きがすばらしい。
 中でも気に入った (とは書くべきでないような気がするんだけどね) 作品をいくつかあげると,超高層ビルに代表される巨大建築の死角を語った「巨大な箱」(1984) ,遊園地の入園料に新風営法が露にした風俗の荒廃を見る「浅草花やしき」(1985) ,観光以外に何も思い付けない町興しに寒くなる「越前大仏」(1988) ,そして解説不要の「貧乏」(1990) ……。
 1995年の「星の皺」に自分の精神状態を確かめるのに街で出会う老人の顔を眺める,という話が出てくる。精神のバランスが悪い時は老人達の顔に刻まれた皺が醜く見える,逆なら皺もイキイキと見える,のだそうだ。オレも調子がいいときは道行く女のヒトがみんな美人に見えるなぁ,そう言えば (笑)。

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紙の本小説中華そば「江ぐち」

2002/02/27 15:10

こいつらはとことん無礼なヤツらだったのだ

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 この本は以前単行本で出た時に(その時は「近くへ行きたい。秘境としての近所-舞台は“江ぐち”というラーメン屋」というタイトルだった) 買って読んでいたのだが,もう10数年前のことで内容も忘れてしまったし,本屋でぱらぱらとめくったら最後の方に後日談みたいのが載っていたのでそれを読みたくて買ってしまったのである。
 というのは,この本,あるラーメン屋の常連である作者 (とその一味) が,別に取材させてくれとも本にするともいわず,しかも勝手に自分達の中ででっちあげたその店の人たちに関する妄想と言うか想像を並べ立てたもんで,正直オモシロいはオモシロいけれどもいいのかよ,こんな本出版しちまって,つう感じもあったのだ。オレの想像としては初版本を持って「江ぐち」に謝りに行くというような後日談があるだろうと,思ったのね。
 と・こ・ろ・が,こいつらはとことん無礼なヤツらなんである。あんだけ勝手にヒトの店をダシにしておいて本を持っていくどころかコソコソ逃げ隠れしてたんである。15年も! 「後日談」にあたるあとがきの中に,元の本の出版は糸井重里が仕掛けた,というくだりがあるが,さもありなん,あのヒトはこういう風にとことんヒトの迷惑を考えないヒトなんである。
 その後あるパーティで,小説家の栗本薫に「あれ面白いけど,ちょっと信じられない。お店のひとどう思ってるの? よくあんなこと書けるわね?」と詰め寄られて困った,そうだが当たり前である。栗本薫さんはマトモなヒトだ。普通のヒトなら誰だってそう思うぞ。
 ラーメン屋「江ぐち」の職人さんたちの方がセーフの仕事(インパクのこと,堺屋さんによれば「大成功」だったそうぢゃないですか)とかやってる糸井重里なんてヒトよりよっぽどオトナである,ということが判る,そういう本であった。

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紙の本蒸発請負人

2002/02/27 15:04

ネイティブ・アメリカンの血を引く蒸発請負人

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 懐かしのトマス・ペリーの新作 (と言っても原本は1995年に出版されたらしいが) 。うー,MWA賞を獲得した「逃げる殺し屋」をものすごく面白く読んだのでオレ,それ以降の作品に対する点が辛くなってしまう傾向があるようなのだが (しかもこの「逃げる殺し屋」は絶版なので読み返せない,若い頃別れた恋人みたいなもんでどんどん頭の中で理想化されるんだよね) ,評判ほど傑作とは思わない。
 ネタバレになってしまうので詳しくは書けないが,266ページを読んだ瞬間に「オレには分かってしまったコト」に主人公のジェーン・ホワイントフィールドが気付かないこと,におおいなる不満を感じた。論理的でないというかなんつうか。…言うほど賢くないぢゃん,このネェちゃん,みたいな。
 とは言え魅力的な主人公ではある。ネイティブ・アメリカンの血を引く女性主人公,仕事は「蒸発請負人」というのは今までになかった設定だ。しかもこの作品を第1作として既に5作,同じジェーンを主人公とした小説が書かれ人気を博しているそうなので (それまでのペリーの寡作を思えばこれはえらいことである) ,最終的評価はそれらを読んでからということにしたい。
 そうだ,それで思い出した。ペリーの邦訳第1作「逃げる殺し屋」は確か文春文庫だった。ところがこの続編である「殺し屋の息子」は確か福武書店かなんかから出版され,私がそれに気がつく前に絶版になってしまった。このヒトの作品で現在新刊で入手可能なのは,この「蒸発請負人」と文春文庫の「アイランド」(詐欺の夫婦を主人公にしたユーモア犯罪小説,「逃げる殺し屋」には比べるべくもない) だけだ。過ぎたことはガタガタ言わないが,やるなら講談社はちゃんと責任を持ってこのシリーズを手放さずに出版してもらいたい。頼むよ。

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紙の本刑務所の中

2002/02/27 15:01

悔悟も反省もない「男達」の生活

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 まずは知らないヒトのために教科書的な解説をする。花輪和一というのは70年代初め頃から「ガロ」で活躍 (というにはあまりに寡作だが) していた,一部にカルト的ファンを持つ漫画家である。
 1994年に「趣味のモデルガン蒐集が嵩じて発砲可能な改造銃を入手,山林などで試射していた」として逮捕された。大方の予想を裏切って (事件を起こしてない銃刀法違反で実刑を食らうのは珍しいそうだ) 懲役三年執行猶予無しの判決に控訴せず,なんつうかおとなしくお勤めを果たして出所,1998年から青林工藝舎発行の「アックス」に「記憶による刑務所漫画」を連載している。この本はその一連の拘置所・刑務所漫画をまとめたものである。
 一読,なんつうか悔悟も反省も,ましてや司法制度への怒りなんてものも全くない淡々とした「男達」の生活である。5人組の部屋,イイ歳をしたおっさんたちがふとんの上でふざけて「テレビ視聴一ヶ月禁止」を食らうあたりにリアリティが漂う。なんつうか,刑務所の本来の目的は「懲役」という字にもあるように「懲らしめ」なんだろうが,受刑者たちはちっともそう思ってない,というか「お勤め」という言葉でわかるように「仕事」みたいに考えている感じだ。その,「どんなところにもある日常」が面白い。
 私が学生のころバイトしていた雀荘の常連 (ヤクザの親分) が暴行教唆だかで1年半くらい実刑を食らったことがあった。以前とは別人のように血色よく太って出て来たのに驚いたっけ。「そりゃお前,早寝早起きして三食規則正しくメシを食ってりゃこうなるわ,持病の胃弱も治ったぞ」とか…。これを読むとさもありなんではあるが…,犯罪者健康にしてどうするんだ,という意見もあるかもな(笑)。

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紙の本雪月夜

2002/02/27 14:49

救いのなさがこのヒトの味

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 相変わらずの星周節,登場人物の誰にも感情移入できないのにコワイもの見たさみたいな好奇心に引っ張られて結末まで読まされてしまう,なんつうかひと昔前のヨーロッパ系ギャング映画みたいなリアルな救いのなさがこのヒトの味である。
 小説の舞台は北海道の根室,この街で幼い頃から差別されて育った二人の男,片や「露助船頭 (レポ船の船長のこと) の息子」である幸司,自らが「アカでないことを証明する」ために右翼団体に身を投じるがテロにしくじって帰郷,30にして世を拗ねて生きている。片や「アル中のちんぴらヤクザの息子」の裕司,幸司を追って入った右翼団体からヤクザになり,組の金とオンナを連れて逐電した右翼時代の同僚,敬二を追って帰郷する。敬二が持ち逃げした金は二億,オンナはロシア人の娼婦で,幸司が一度だけ手を貸した密入国仕事の際の「客」だった。
 幼い頃から差別される同士として反目しあいながら腐れ縁でツルんできた幸司と裕司の確執が二億の金と娼婦ナターシャをめぐって動き始め,地元ヤクザ,悪徳警官,市議会議院にロシア船の元KGB船員までを巻き込む大渦になっていく,この,まるで洗濯機の回転の中に投げ込まれたような読感 (オレの造語,「読後感」ではなくあくまで現在進行形のこうとしか呼べない感触がある,と思う) がすばらしい。547ページ一気読み。

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紙の本睡魔

2002/02/27 14:46

マルチのヤツらはいいこと言うのだ

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 主人公の趙奉三は大阪で事業に失敗,東京に逃げて来てタクシーの運転手をしていたが,交通事故で続けられなくなり失業。自分の体験を元に小説を出版するも思うようには売れず……ってこの辺,著者自身の体験らしいが,悪友の誘いに乗って健康マットのマルチ商法に突っ込んで行く。
 この健康マットのセールス・トークには大笑いした。いわく,大気中にはニンゲンの健康にいい「磁気」が一定量ある。これがなければ生物は生きていけない。なぜかというと赤血球にはプラスとマイナスがあり,互いに反発することで血液の流れが促進されているからである。ところが現代人は磁気を発している土をアスファルで覆ってしまい,この磁気を吸収できない。この健康マットは表面の突起の下に強力な磁石を多数縫い込んであって不足しがちな磁気を補給できるスグレものである……あんた,アスファルトやコンクリートで磁気が遮られるなら,例えばオレの部屋でコンパスが北を指すのは何故ですか (笑) 。
 いやしかし,このマルチの会社「ジャパン・エース」(もちろん架空の会社である) が二泊三日で行う研修会に参加したみなさんは欲と二人連れだ,この説明をすんなりと受け入れてしまうのである。実際,ああニンゲンというのはこのように洗脳されてしまうのか,うぬぬ,この雰囲気の中に叩き込まれたらオレも危ないかもなと思うくらい,この研修会のシーンはスゴい。
 一個だけ紹介しておこう。見知らぬ同士の参加者にペアを組ませ,一人を壁に向かって立たせる。そしてペアの人を信じて後ろにそのまま倒れろというのだ。そう言われて棒のように倒れられるニンゲンは少ない。すると指導員が「なんで相手を信じないんだ! 他者を信じなければ自分も信じてもらえませんよ! 受け止めてもらえなくてもいいぢゃないですか,受け止めてくれなかった相手は倒れた相手を本当に信頼しますよ! 信じあうことは素晴らしいことなんです!」と叱咤する。
 なかなかいいこと言うぢゃないかと思うヒトもいるかも知れない。が,誰がやってるかを忘れちゃいけない,こういう演出で疑いを持つことに対する罪悪感を植え付けて行くのである。いやはや,小説としても面白いが,今後の人生こういうモンに騙されないための参考書としても有用な一冊と言えよう,掛け値なしにオススメしたい。

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ラクダの首をテントに入れるな

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 宮本照夫著「ヤクザが店にやってきた」の続編。この本の白眉はやっぱり「川崎『ナポレオン』戦争」というヤツだろう。著者が川崎市内に開いたカラオケスナック「ナポレオン」をめぐる,大家,政治家,右翼にヤクザ総出演の抗争劇である。
 私も川崎 (川崎区) に3年ほど住んでいたので雰囲気はよくわかるのだが,あの町で正面から「暴力団お断り」で飲み屋をやろうってのはかなりの勇気が必要である。例えばワタシがたまに行ってたスナックとかにも,おそらくは警察への義理で「暴力団関係者のご入店は堅くお断り申し上げます」てな貼り紙や看板を出しているところはあったけれど,実際に入ってくれば断りやしなかったし,まぁ大概の店がどっかの組にみかじめ料を払っていたはずである。
 ところがこの本の著者,宮本さんはスゴい。「暴力団お断り」の看板を盾に,お願いします,ご理解下さい,で追い出してしまう,こんなこと,相当肚が座ってないとできないよ。そのうえ来るのはヤクザばっかぢゃない,だいたい店が流行っているのに目をつけた大家が (どうも追い出して自分で同じような店をやろうということだったらしいが) 契約違反だ,立ち退けと騒ぎ出す。契約の時に間に立った政治家はひょうたんなまずで役に立たず (こいつ,当時市議会議員で今は国会議員なんだそうな) ,結局裁判になるのだが…。
 ベドウィンだったかのコトワザに,「ラクダの首をテントに入れるな」というのがある。暑いときはラクダも日陰を求めてニンゲンのテントに首を突っ込みたがるのだそうな,だがホトケ心を起こしてこれを許してはいけない。ラクダはどんどんテントの中に入って来て,ついにはテント全部をラクダに占められてしまうというのだ。この本に出て来る暴力団 (いや,実際にも,だが) はこのラクダにクリソツだ。末尾に納められた講演の記録「きほんのき」というのが感動的である。

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こういうのを読むと寄席へ行きたくなるよなぁ

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 新宿にある寄席,末広亭に一年間通い (実際には身体を壊してスケを頼んだりしてるが) ,年間73組ある番組全部を記録した労作というか怪作というか珍作である。
 一応そのミチに明るくないヒトのために解説すると (オレもそれほど詳しいわけぢゃないが) ,通常末広亭では1日に2本 (昼の部と夜の部) の番組が組まれる。あ,番組というのは出演者の順番,組み合わせ,プログラムのことね,で,この番組は1ヶ月に3種,上席,中席,下席と替わるわけです。
 早い話,あなたがもし今日,8月11日に末広亭に行って昼の部・夜の部を観たとする (あそこは基本的に入れ替えなしだから昼に入っても夜の部が終わるまでいられる) ,と,違う演者を観ようと思えば次の切り替わり,21日からの下席を待たねばならないの。…それでは年間72番組にしかならんではないか,と計算の早いヒトは思うだろうが,新年の上席の書き入れ時には昼の部・夜の部ではなくて第一部・第二部・第三部の三部構成になるので年間73番組になるのである。わかりましたか。
 で,この本の著者である読売新聞記者の長井さんはこの全番組を観て記録しようと思い立った,わけである。実はこの模様,インターネットのサイト「江戸ネット」で配信されていて,ワタシもたまぁに読んだりしていたのだが,ネットで切れ切れに読むのと本でまとめて読むのとではこんなにも印象が違うもんだろうか,もっと芸人批評がキツかった印象があるんだが…もちろん部分的に修正は入っているんだろうがね。ネットでのこういう「ルポ記事」みたいのってなんか読む時「ナナメ読み的バイアス」がかかるのかも。
 考えてみれば私が最後に末広亭に行ってからもう7,8年は経つ。こういうのを読むとまた行きたくなるなぁ,あの雰囲気が懐かしいねぇ。とにかくご苦労様な本である。演芸に興味のある方はきっと勉強になります,少なくも読んで損はしませんぜ。

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紙の本三人寄れば虫の知恵

2002/02/27 14:20

虫屋はとことんアナーキーだ

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 希代の「虫屋」学者3人による鼎談本,解説で南伸坊氏が喝破されている通り,この本はとても面白い。虫に関して何も知らなくても面白い。南さんは「虫好きの人にもきっと面白いと思うのだけれども,それは私が虫好きでないのでわからない」と書いておられるが,虫好きにも絶対に面白い。奥本センセや池田センセのムシの本を愛読し,「蟻の生活」こそ「青い鳥」のメーテルリンクの生涯最高傑作だと信じるワタシが言うんだから間違いありませんよ,南さん。
 内容を一言で言えば奥本センセイが「はじめに」で書かれている達見「虫屋はアナーキーだ」というコトを,もうこれでもかこれでもかはいはいセンセイ方,もう充分解りましたから勘弁して下さい、なに解っただとなにが解ったのか言ってみろ、虫屋はとことんアナーキーだと解りました、おおそれぢゃ虫屋がなんでアナーキーになるのか言ってみろ言えないかそれではちっとも分かってないってな具合にトコトン証明している鼎談なんである。
 中でも印象に残ったのが池田センセイが紹介しているチビナガヒラタムシの生態。こいつは一科一属一種というとんでもない虫で朽木を食って生活しているんだが,食い物の朽木がたくさんある環境に置かれるとめんどうくさいから変態せず親にならない。幼虫の段階でとどまってばんばん子供を産むので物凄い勢いで増えるのだそうなのだ。そんなのありか,と読み進むと,養老センセイがキノコバエもそうだと言う。キノコがたくさんあるときは幼虫のまま生殖しちゃう,キノコがなくなって来るとたちまち変態して翅を生やして飛んでいってしまう…,なんとまぁ(笑)。

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K井K一の熱狂に酔え,絶望を観よ

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 コミックモーニング連載時から一部 (ってオレの周りだけど) で熱狂的に面白がられていたマンガである。いや,今日現在のコイズミ人気ワイドショウ政局を見れば,あまりと言えばあまりの内容に当時否定的だったヒトタチにも,この作品がどんだけ先見性があったかがわかっていただけるのではなかろうか,な,そうだろ?
 以前,イシハラ都知事の施策は大衆に迎合するポピュリズムであると言う批判があった。オレはどちらかというとイシハラ都知事が嫌いであるが,この点に関してはイシハラ都知事の味方だ。政治家が大衆に迎合してナニが悪い,つうか,大衆がバカならそのバカに殉じるのが選挙で選ばれる民主主義体制下の政治家というモノなんであり,愚かな施策の結果はそれを支持した大衆がひっかぶるのだがらそれでいいではないか,と思うのね。
 そんなわけで,そのポピュリズムをとことん追求した結果が「クイズに勝てばどんな望みでもかなえてもらえる『国民クイズ体制』だ」というこのマンガは実にいいセンをついていた,と思うんである。「料理の鉄人」の鹿賀丈史と「新・クイズ日本人の質問」の古舘伊知郎を足して二で割ってアンプリファイしたような主人公の司会者,K井K一の熱狂に酔え,絶望を観よ,共に哭き共に歌うその声が,今夜も阿呆宮を揺らすのだ。

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紙の本頭蓋骨のマントラ 上

2002/02/27 14:08

ミステリの枠を超えた重層的な小説

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 アメリカ人が書いた中国チベット自治区 (というべきか単にチベットと言うべきか) が舞台の,中国人を主人公にした宗教絡み骨絡み (題名の通り) の「『薔薇の名前』的ミステリー」である。
 いや物語の設定上しょうがないんだが,ヒトの名前が漢字 (中国人は漢字だ) だったりカタカナ (チベット人やアメリカ人はカタカナ表記である) だったりするだけでややこしいのに,それに加えてあんまり馴染みのないチベット僧院における宗教上の地位だの地名だのも断わり無しにカタカナで出現させるので読み初めから100ページほどはかなり苦しんだ。…どうすればいいのかは解らないが,翻訳に一工夫欲しいかも。
 まともかく,なんとかそのあたりの関係が飲み込めてしまうと,いやこれは単なる推理小説としてだけではなく,中国のチベット支配に対する問題提起小説としても,一人のチベット僧侶を主人公にした教養小説としても,チベット仏教の神髄 (もちろんアメリカ的理解によるそれなんだけど) を語る宗教小説としても読める,重層的な読みごたえのある小説ではないか,と思えて来る。いや面白うございました。
 物語のあらすじには触れないでおく。そういうものを書くとこれから読む人の意識が「あらすじ」という一本道を辿るだけになってしまうだろう,この小説はそういう風に読むとつまらない種類のものだと思う。もちろん主幹であるミステリとしてもよく出来ている。さすがに2000年度のMWA (アメリカ探偵作家クラブ) 最優秀処女長編賞受賞作であった,とだけ書いておこう。
 あっと一ケ所だけ難くせをつけると,主人公が子供の頃父親から習ったという占いの書物は記述から間違いなく「易経」のことなので,これを指して「老子の書いた本」というのは作者の間違いである。翻訳者の三川さんが下巻末の解説で「ストーリーの内容と結びついている部分はむやみに直すわけにもいかず云々」と書いているのがこの部分か,と思う。

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OS戦線最前線からのレポート

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 ロバート・ヤング,ウェンディ・ゴールドマン・ローム共著によるOS戦線最前線からのレポート。著者の片方,ヤング氏は,Linux のディストリビューターとして名高い米レッドハット社のCEO,ローム氏は数年前「マイクロソフト帝国:裁かれる闇」という本を上梓してベストセラーになった(のは英語版,日本ではそれほどは売れなかった)フリー・ジャーナリストである。
 本書は,「オープンソース・パラダイム」を武器にマイクロソフトの寡占状態が続くOS市場に切り込んだヤング氏の,最前線からの報告という体裁を取っている。私自身おぼろげにしか知らなかった,AT & Tの「unixはウチのもの宣言」から現在のLinuxの隆盛に至るコトの流れを知る (私の仕事はこの方面とつかず離れず一定の距離があり,入って来るニュースが断片的だった) 意味からもたいへん面白く読めた。
 なかでも興味深いのは「オープンソースの教祖」であるリチャード・ストールマンとヤング他の…言い方が悪いかも知れぬが「実働者」たちの意識,感覚の微妙なズレ。オープンソースが優れたソフトウエアの開発にとって有効な戦術であることには私も賛成なんだが(例えば本書に指摘されている「クローズドなプロジェクトには綺麗なコードを書くインセンティブがもともと存在しない」というのはまったくその通りだと思う),ストールマンやその過激な信奉者たち(どっちかというと取り巻きの方がすごいかな?)みたいに「ソフトウエアを販売するのは悪!」というのにはついて行けない,…あの陣営にも現実には私のように思っているヒトが多いらしくて単純に嬉しかったデス。
 さてここから重箱のスミつつき,181ページの記述によれば1981年にハーバードでビル・ゲイツとポール・アレンが「アルテア8800のオペレイティングシステム」を書いていたことになっているが,私の記憶では彼等が書いていたのは「アルテアで動作するBASIC」だし,そもそも1981年よりかなり前だ。次の182ページに彼等のBASICを勝手にコピーして流通させていた人々に向けてゲイツが書いた有名な公開状の話が1976年のこととして記されているが,それぢゃゲイツは1976年に,自分が1981年に作るはずのソフトのコピーに対して泥棒と言ったのか?
 もう一ケ所,189ページの記述,「つまり64ビットCPUは,水道管の直径が二倍になれば中を通る水の量が二倍になるのと同じ原理で…」とあるが,私の常識では水道管の直径が二倍になった場合,断面積は四倍になり(円の面積は半径の二乗と円周率の積である),当然単位時間に流れる水の量も四倍にならねばおかしいと思うのだがいかがだろう?

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川崎はホンマにヤクザの多い町だった

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 川崎市内で「暴力団お断り」のスナック,クラブなどをいくつも経営している著者の「ヤクザとのタタカイの日々」の記録。実を言えばここに描かれた時代の一角,私も新米サラリーマンとして川崎市内に住み,川崎駅ほど近くの会社に勤め,(たぶんこの宮本さんが経営してはった「クラブ」とかには入ってないはずだが)界隈の飲み屋で酒を飲んでいた。この宮本さんが最初に店を出したという川崎市川崎区渡田というところは,オレが住んでいた渡田向町の隣町である,そうかあのヘンか,そうかそうか。
 現在は知らず(どうせたいして変わってはおらんと思うが)当時のあの街の雰囲気は判る。いやホンマにヤクザの多い町だった。通勤で通る道から一筋入った裏通りで「昨夜ヒトが刺されたんだって」てな話を聞いたのも一度や二度ではなかった。…学生のころ麻雀屋やパチンコ屋でアルバイトをし,ヤクザのヒトともそれなりに関わっていたが,川崎の繁華街を最初に歩いた時には「いやぁホンバに来ちまったぜ」と思ったっけ。
 本の基本的な構成は…こういう言い方が適当かどうかわからないが「水戸黄門的一話完結エピソード集」なんだが,最後を飾る「九州太郎 - あるヤクザとの奇妙な出会いと別れ」という「長編」がめちゃ面白い,つうか,こんだけつっぱってヤクザを嫌うヒトをして,それでもここまでのつき合いをさせてしまうある種の「魅力」のあるヤクザってのも,いるんだよね。

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紙の本メールのなかの見えないあなた

2002/02/27 13:50

親が読め,今のうちに。

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 キャシー・ターボックスは,コネチカットに住む13歳だった1995年,寄宿学校から帰省した姉が残して行ったパソコンで10代を対象にしたAOLのチャット・ルームに入る。…おくてだが頭のいい彼女は,同世代の連中が匿名で行う程度の低いエロ話にうんざりし,やがて23歳のマークと名乗る男と知り合った。彼女は彼の知性に(なにしろ彼はチャットでも句読点がちゃんと打てた)感動し,自分の悩みを解ってくれることに感激,早い話が「恋して」しまったのだった。
 数カ月のチャット・メール・電話での交際を経て,彼女が水泳の大会に出場するために宿泊したテキサス州ダラスのホテルで二人は初めて「逢う」約束をする。ところが,胸をときめかせて彼女がノックした部屋のドアを開けたのは,41歳の小児性愛者,フランシス・ジョン・クフロヴィッチだった…。
 一読,本当に真面目で頭のいい少女なのだ。成績はオールA,お小遣いを溜めて1シーズンに一着洋服を買い,クリスマスのパーティを楽しみにしている。自己主張は強くなく,容姿に関してもあんまり自信がない(自分のからだですらりと伸びている足だけは好きだ,と書いている),おそらく日本でも「出会い系」のサイトで知り合ったオトコに逢いに行く少女の七割くらいはこのタイプなんぢゃないだろうか。で,これまたおそらくそうだからロクでもないオトコがそれを狙うのだ。
 事件の後,FBIの捜査,報道,裁判やカウンセリングを通じて何故自分が「マーク」に惹かれたのか,なぜ「フランク」を告発することに対する罪悪感が消えないのか,そもそも私はそんなに悪いことをしたのか,自問しながら立ち直って行く過程の克明な描写は感動的だ。「プチ家出」をした娘を頭ごなしに叱ったりなじったりする前に親はこの本を読むといいと思う。いや,当事者になったらそんな余裕はないだろうから今のうちに。

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紙の本御用俠

2002/01/17 10:30

明治人が演じる江戸時代のメタ捕り物

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 作者風太郎翁が復刻を拒んでいたためこれが初の文庫化だそうな。初出は1975年〜76年の「日刊ゲンダイ」だというから当時中学生かせいぜい高校1年生だったオレが知るわけないわな。さすがに「日刊ゲンダイ」は高校生が読んでみたいと思う代物ではなかったよ,東スポならともかく(笑)。
 では,翁がなぜ文庫化を嫌がったか。解説で細谷正充氏が書いておられるトコロによれば,翁本人はこの小説を全くの失敗作と思っていたそうなのである。うーん,まぁオレも大傑作とは思わないがな,失敗作はきびしいんぢゃないのかな。
 私思うに,いわゆる歴史・時代小説には二極ある。一方の極には歴史的事実というのがあって,こちらに近付けば近付くほど小説というより史書に近くなる。そうは言っても史書の中の史書であるはずの司馬遷の「史記」にしてからが「あたかも観ていたように」登場人物にセリフを言わせる部分があるのだから,「真実の歴史」なんてのはある種の身果てぬ夢なんだろうが。
 そしてもう一方の極にあるのは「舞台背景として過去の一時期を採用した」に過ぎない物語である。こちらも突き詰めると,ただ単に登場人物が髷を結って「東京ラブストーリー」を演じるようなものになる。まぁそこまで徹底すればそれはそれで面白そうな気もするが,現実にはそういう小説は書かれていない。あ,筒井康隆の「筒井順慶」はこっちの極点近くに浮いてるかな。
 で,前者を北,後者を南と仮に置けば,山田風太郎の時代劇作品,特に風太郎忍法帖と呼ばれる作品はだいたいいつもニュージーランド南島沖合い30kmくらいのところを航行中である。誰もが認める忍術体術の荒唐無稽さに,もっと極点に近いのではないかと思われる向きもあろう。が,そうした忍術体術を駆使する精神は,しっかりその時代に根差しているのであり,風太郎忍法帖が単なるSF合戦物とは違う余韻を遺すのはそのメンタリティの部分なのだ。
 そう考えるとなるほどこの作品は異質だろう。明治時代を舞台にした小説を多数書いていた頃だからか,江戸時代なのに登場人物が皆明治人なのである。まず主人公の岡っ引きである「屁のカッパ」,カウボーイ然としたパンタロンを履き,武器は投げ縄,自分を慕い助けてくれた女より一目観ただけの姫に忠誠を尽す,これも西部劇ならよくいるタイプだろう。そのカッパを使う同心恥ずかし瓢兵衛と仇役たる河内山宗俊,こいつらはもう完全な近代人,というよりむしろ現代人ぽくないか。
 つまりは明治の精神性がタイムスリップして文化文政の江戸に落っこちてしまった図か。新聞小説の人物設定がこれではいかな風太郎翁といえ辛かったろう。ラストの大団円がなんとも拍子抜け。いやしかし,この本それでも値段以上には楽しめた。やっぱりそのへんはプロの業というべきだろうか。

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