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だいちゃんさんのレビュー一覧

投稿者:だいちゃん

16 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本運命の足音

2006/07/02 14:16

生き詰まったときに

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 職場の人間関係で疲れている、家庭内のゴタゴタで疲れている、そういう方にお勧めします。独りで考え込むことこそ、危ないことはありません、ろくな事はありません。かといって誰かに相談できる方はそれでいいのですが、そうではないあなたにお勧めです。
 思考が行き詰まると、「あいつさえいなければ・・」なんて思いつめます。そういうときに、この本です。
『神の恩りょうも、仏の慈悲も,個人の善行や修行とは関係ない、と、はっきりと自覚するところから信仰がはじまる。本当の信仰を得て、敬虔な生活に入ると、人生の苦しみがなくなるのだろうか。信心を得た人は、つねに心やすらかでいられるのだろうか。
 ノーである。どれほど深い信仰を得ようと、人生の苦悩はつきない。生きている限り、生老病死の影は私たちにさしつづける。
 では、なにが変わるのか。たぶん、苦しみつつも、それに耐えていくことができる、ということだろうか。断定的な言い方をしないのは、真実の信仰を得たとしても、人は生きる力を失うこともあると思うからだ。
 それは「わがはからいにあらず」と受けとめるしかない。』
(本文より抜粋)
ゆっくり生きましょうよ。

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紙の本

できないことをいうのが宗教

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『今の市場主義経済のなかで、「右の頬を打たれたら左の頬も出せ」と言われても、現実にはできません。でも、できないから意味があるんですよ。一瞬その言葉が頭をよぎるときに、人は何かを感じるんです。人間にできる程度のことを言うのを「道徳」というんです。でも宗教が道徳や処世術と違うところは、できないことを言うところです。できることとできないこと、見える世界と見えない世界、両方もっていなきゃ人間はだめなんじゃないでしょうか。』(本文より抜粋)
評論家の言葉に胡散臭さを感じたときに、反発はできないけれど、なにかおかしい、と思う。その思いはここにあった。

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紙の本

紙の本大河の一滴

2006/07/02 09:47

行間から問いかけてくるもの

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『物事をすべてプラス思考に、さっと切り替えることのできる器用な人間ばかりならいいだろうが、実際にはなかなかうまくいかない。
私たちはそんなとき、フーッと体から力が抜けていくような、なんともいえない感覚をあじわう。むかしの人たちは、そういった感じを、
「こころ萎えたり」
と言った。「萎える」というのは、ぐったりと虚脱した状態のことである。心が萎えたとき、私たちは無気力になり、なにもかも、どうでもいいような、投げやりな心境になってしまうものだ。』
プロの作家が書くと、読んでいるうちに心の中で自分なりにその世界が描けてしまう。行間が問いかけてくるというはこのことなのでしょう。日常の生活つまり仕事・家庭・地域などなどのごたごたした中にいてすーっと人の本質に導いてくれる一冊でした。

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紙の本

紙の本生きるヒント 2

2006/07/02 09:23

認めること

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 以前遠藤周作著「沈黙」の最後で司祭を役人に通報した人が、弱い人間が強く生きることなんてできない。弱い人間に生まれさせて強くなれというのは無理だ。と叫んだのを今も鮮明に憶えている。この著書「生きるヒント2」では、認める・・・『意志が弱いとか集中力がないとか、どうしても努力できないとか、そういう性格として生まれて着たそのことこそ人間存在の不条理であり、それを私たちは素直に認めるしか道はないのです。』
 そして『そのことを受け入れることこそむしろ積極的な、ポジティブな姿勢ではないのでしょうか。』
大リーグで活躍する「イチロー選手」「松井選手」などはポジティブな人の代表でしょう、多くの人の憧れでもあります。しかしみんながなれる者ではない。挫折もあるしかしそれが自分だということを認めよう、そこから出発するんだよ。

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紙の本

紙の本人生の目的

2006/07/02 09:08

キリスト教と仏教の原点は

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『カトリックは「神に帰依すると同時に人は地上での善行によって救われる」と、教会や善行の重要性を強調してきた。
 これに対してマルチン・ルター(プリテスタント)が主張したのは、「神の救いは、人の善行や修行、禁欲、慈善などの生前の行いによるものではなくて、ただ一途に神を信ずるときに神が恵むもの」という信の立場を第一とすることだった。
 この両者が、神の救いに関してどのような合意に達したかは、じつに興味ぶかいところだ。なにしろ教義上の最大の焦点なのである。これはつきつめて言えば、キリスト教における<自力>と<他力>の問題になるのだから。』(本文より抜粋)
 自らのが善行を行うことで神に救われるという考え方ではなく、ただひたすら神を信ずることで救われるという考え方の差を述べている。仏教においても仏に対して念仏を唱えることで救われるのではなく、仏が自分に対して手を差しのべてくるんだよ、という考え方これが「親鸞」の教えである。そいうことをできるだけわかりやすく書かれたのが、本書である。

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紙の本

困ったものです成果主義、でもね。

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 もうすでに成果主義を実践している企業が多い中、今さらこの本を読んでもね?といわず今一度読み直してみると成果主義は本来個人の働いたまたは能力によって給与が支払われるという画期的なシステムなのだ。
 しかし、たとえば包丁の使い道は食事を作ることと、もう一つあげれば「殺人」である。中間管理職のみなさまは、お疲れでしょうが、使い方を殺人に使った場合と美味しい料理を作るためにつかった場合とを考えながら、さあーどうぞ。

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紙の本

哲学をつかってみよう

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 医療機関に受診したら名前に「様」をつけて呼ぶのがあたりまえになっている今日この頃である。入院してもナースから「○○様」と呼ばれる。少し堅苦しい気がする。そして何年も受診していても相変わらず「○○様」と呼ばれる。そう呼ばなければ注意されるからだ。『つまり患者そのものを、元来が経済的な性格をもつ一連の選択に矮小化すると思われたのです。』と著者は述べる。
 また最近『目標管理』という手法を取り入れなければ機能評価が合格しないということもあり個人目標を掲げ、達成するように管理されている。それに対しても著者は『組織の具体的な達成目標と、全人的なケアの過程目標との衝突から持ち上がってきます。具体的な成果は計測しやすいものです(入院期間や死亡率ーただし、これらを特定の原因に結びつけることは容易ではありません)が、患者がケアの過程でどのようなことを経験しているかといったことについての、過程目標は、すぐにわかるというものではありません。組織の関心の比重が、計測できる実績に置かれれば置かれるほど、それに役立つ物差しが求められ、それと、ニューナーシングや、よいケアについての物差しが衝突する可能性が増大します。』
 このように『考える看護』は、哲学をつかって現代の看護の根本を自ら問い直せると主張している。勿論読めばすぐに使えるものではないが、その考え方に「ひとすじの光」が見えてくる。
 看護と哲学の関連を紹介し、ものの見方・考え方、看護が直面している問題や課題を哲学の取り組みの対象となることを述べ、哲学の面白さを紹介している。
 人はある集団に永く存在していると、思考方法に偏りが知らず知らずにできてしまう。いわゆる「壁」である。いまのうちに壁を壊そう。

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紙の本

紙の本私にとって神とは

2006/06/20 11:26

遠藤氏を通して

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 遠藤周作氏の思う「キリスト」像が展開されています。それを読みながら、「あなたはそう書いているけれど、私は・・・」とつい「つっこみ」を入れてしまいます。
 「イエスは絶望して苦しんだがそれを超えて『すべてを委ねたてまつる』になることと、みんなは知らないのだから許してやってくれ、と言ったこと、この二つがイエスらしい言葉だと思います。なぜなら、『主よ、なんぞ我を見捨てたまうや』がなければ宗教は始まらないからです。たとえば子どもが白血病で死なんとしている、親が一生懸命お祈りする、しかし、死ぬ。死なないというのが新興宗教で、癌でも治るというのですが、子どもはおそらく死ぬでしょう。神も仏もないものかというのが、『なんぞ我を見捨てたまうや』です。
 そこから本当の宗教が始まります。神も仏もないものかというところから、人は本当の宗教を考えるようになるのではないんですか。」
 そうだよな、どん底に落ちて自分の内側をじっと見つめる、それは厳しいけれどその時しかできない。うーん深いなー。と感激しつつ読みました。感激・感動、することで心が顕れますよね。

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紙の本

紙の本沈黙 改版

2006/06/20 11:16

頑張れない人

15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『頑張った人が報われる社会を!』と声たかく叫ぶ人がいます。頑張った人が、頑張ることができる人に更に手を差しのべる必要があるのか!と言いたい。それはともかく、頑張れない人、洗礼を受けてもその司祭を裏切ってしまう人がいる。その人は悔やんで、悔やんで裏切った司祭に救いを求めてしまう。これが人間なんだと、改めて知りました。
 「じゃが、俺(おい)にゃあ俺(おい)の言い分があっと。踏絵ば踏んだ者には、踏んだ者の言い分があっと。踏絵をば俺(おい)が悦んで踏んだとでも思っとっとか。踏んだこの足は痛か。痛かよオ。俺(おい)を弱か者に生まれさせておきながら、強か者の真似ばせろとデウス(キリスト)さまは仰せ出させる。それは、無理無法と言うもんじゃい」
 5年の間に3回読んでどうしてもこの言葉に涙します。弱い者、頑張れない人がいるんだ、というそれでいいんだ。という気持ちになります。あなたはどう感じますか?

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紙の本

ここまで書いていいの?!

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者はキリスト教神父、日本管区長であった。「管区長とは」平たくいえば本社はローマにあり日本の支店長です。
 本書の中に「相手の立場に立てると思うな」とあります。宗教の分野においても、どこの世界においても、相手の立場に立って考えよう、とあたりまえのようにいわれてきました。そしてつい相手の立場に立ったつもりで、こうしてあげよう、ああしてあげようとしても、援助を受ける側から「よけいなことをするな」としかられる、「素直じゃない」と「せっかく相手の立場にたってあげているのに、どこかねじけているのよ」となる。いくら想像力をはたらかせて考えてみても本当は相手の立場に立てないのだと知るのです。判るのです。おなじところに立てないのなら、教えてください、と学ぶことです。相手よりも下に立つこと。

 「小さくされた者」とは、だれなのか?イエス・キリストはキリスト教をひろめたのではなく、ユダヤ教に忠実であった。
聖書を日本語訳してきた著者が、釜ケ崎で出会った「小さくされた者」との出会いを通して自らの心をひらいてくれた諸先輩に対して感謝の心をあらわしています。

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紙の本

紙の本四日間の奇蹟

2006/06/06 07:57

神のワザを感じる

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

久しぶりに読み返してみても、心に清涼感がただよう本でした。
「二千年前自らの快・不快の原則を否定し十字架にかけられて死んだ男がいた。究極的な意味で人間たらしめている行動なのだと、人は直感で知っているのではないだろうか。」
現実社会を少し横から見つめてみる、そういう試みをしてみてはどうでしょうか?少しゆったりした気持ちになれる本でした。

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紙の本

紙の本生命・科学・未来 対話

2006/06/05 22:16

看護師さんにお薦め

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

対話・生命・科学・未来と題されたこの本、著者は東大の先生といえば一般のナースはまず読もうとは思わない。日常の仕事には関係ないとそっぽを向くだろう。しかしちょっと待ってください。
「産婆は妊婦の痛みを感じるべきか」
この題を見てもそう思いますか?ここの章では、末期患者へのケアのあり方について、討議されています。ケアする側と受ける側の関係をもう一度、考えるよりも違う視点で見つめてみませんか!!

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紙の本

人生が決まっている?!

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 占いがおおはやりな昨今。血液型占いに始まって星座、カード、タロットなどなど・・・明日のことが知りたい、しあわせになれるのか?いつまでこの不幸は続くのだろう?と思い悩んでいるあなたに、ピッタリの本です。
 でも占いについて書かれている本ではありません。しあわせになりたい、でもそもそも人間はなぜこうも悩むのだろうか?
悩んだ挙句「神」「仏」に向かって自分の生きる道を知ろうとする。この行為は洋の東西を問わず不変である。大いなる「神」「仏」にすがろうとするのは・・・なぜ??

そこで著者は述べる。
「かつて人間の祖先たちが、神のミームを乗せるかどうかの選択に迫られたとき、淘汰は『載せる』を選んだ人々の方にほほ笑んだ。乗せている方がどうしても戦争に勝ってしまうからである。それらの人々は神の存在を信ずるだけでなく、「親子の愛」、「夫婦の愛」、「隣人愛」、「友情」など、やはりよく考えてみるとはたして本当に存在するのかどうか疑わしいものの存在を信じてしまうという傾向もあわせ持っていた。」

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紙の本

紙の本41歳からの哲学

2006/06/04 11:11

知る・・・ということは

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「哲学」というと「眠れないときに読むもの」というイメージが私にはある。読んでいて意味不明な文章の羅列は眠気を催してくれるから。もう一つ「哲学」というと「難しい、堅苦しい」というイメージ。ソクラテス、プラトンなど名前だけは知っているけれどもそれ以上は知りたいとは思わない。
 しかし「哲学」は事象の本質を解き明かす便利な道具だと思うとどうでしょうか。毎日の生活に追われている私のようなものでも、つい続けて読みたくなるそんな本がこの「41歳からの哲学」です。
 そのなかで特に私がなるほどと感じたのが、「知る」ということ。知るとは情報を得て・・知る、ということですよね。でも著者は「知る」というのは、「私にとって、「知る」とは、自ら考えて知ることをのみ、言うからである。他人や世間に由来する情報の類を知ることを、「知る」ことだとは、私は認めていないからである。」
 誰かの噂話を聞いたのであって、知ったのではない。知ったとは自分がその噂話を聞いて、理解し自分なりに解釈し理解した状態を言うのではないのでしょうか?

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紙の本

紙の本私の介護家族戦争

2006/06/04 10:54

介護する者の悩みは戦争にまで発展する

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 タイトルをもう一度読んでほしい「介護家族 戦争」なんで介護が戦争というタイトルになるのか?誰とだれの戦争なのか。私と兄弟・姉妹との戦争になってしまうほど日本の介護状況は貧しいというのが実態です。親(義理の親)が、脳卒中・認知症になり自分のことが自分でできなくなったとき、その子ども親族は介護という役割を植えつけられます。否応なく。
 著者は言う「よりよく、人間らしく生きさせてあげたい、と思っているだけです。より長くではありませんよ。」兄弟は言う「元気なころ父は、母の姿や鼻に管をさしたまま寝たきりの人たちを見て、「ああはなりたくないねえ。みじめだもんな」とよく言っていたの。そんな父がもし元気なころ将来の自分の姿を知ったとしたら、どう思うだろうか?」そこで兄弟は「父親」を病院に入院させる。著者は言う「心がどんなに傷ついていても、三度の食事を機械的に与えられ、ただ生かされているだけの存在にされてしまうのだ。結局、充分な蓄えのない老人たちは、病院の大部屋で寂しく索漠とした人生の終末期をすごさなければならず、経済的にも物理的にもそれほど余裕のないその家族は、親不孝の謗りや罪悪感に苛まれながら、日々の仕事や生活に追われることになるのだ」
 介護を必要とした場合、まず病院で安定した状態にもっていき次に介護施設へ、そこで最後を迎えられるようにと考える、しかしそれで本当に介護するあなたは救われるのだろうか?

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