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童夢さんのレビュー一覧

投稿者:童夢

3 件中 1 件~ 3 件を表示

ジェラルドのゲーム

2003/02/10 22:43

恐怖の源と力の源

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「小説とは、とどのつまり“男が穴に落ちてしまう話”か、“落ちた穴からどうやって這い上がるのかという話”かだ」という文句を読んだことがある。
この物語は、まさに“穴に落ちてしまった”主人公の話である。
主人公のジェシーは、夫であるジェラルドのゲーム(ベッドにジェシーを手錠でくくりつけてのプレイ)に応じたものの、嫌悪からジェラルドを蹴ってしまう。それが元で心臓発作を起こし、ジェラルドは突然死んでしまう。ジェシーを手錠にくくりつけたまま。…これが、ジェシーの落ちた“穴”だ。

スティーブン・キングは、一貫して恐怖を描き続けている作家だ。恐怖の根源を知り、緻密な描写で恐怖を演出する。「穴に落ちてしまう」きっかけは、些細なものが多い。しかし、はじまりは些細な出来事が生死を分かつ状況に発展するというところがキングの、キングたるゆえんであろう。

 ジェシーの恐怖の根源はどこにあるのか?
このままでは、いずれ死んでしまうという死に対する恐怖か? もちろん、死への恐怖は根源的なもののひとつであろう。しかし、この物語で描かれる恐怖は、「死んでしまうことそのもの」への恐怖ではない。いわば、“死”が内包する何ものかへの恐怖なのだ。
 ジェシーが最もおびえたのは「死神」である。「死神」の落としていったイヤリングを発見したとき。そして、「今日、日が暮れれば、またあいつがやってくる。そうしたら、もう終わりだ」という、ぎりぎりの状態になったときだ。皮を刻み、肉を削ってでも抜け出したい…そう願う瞬間、恐怖はジェシーのすぐ隣にいる。おぞましい姿で。いわくいいがたい何者かが“死”を伴ってやってくる。そのとき、人は恐怖する。
 
 ジェシーの心理描写も読み応えがある。自分の内面にいる幾人もの人間と語りながら(時には言い争いながら)幼い日のトラウマ体験を見つめる描写だ。
ーーーあの、日食の日ーーー
思い出したくない出来事を思い出さずにいられないのは、内面の声が脱出のための方法をその記憶の中に見いだせというからだけではない。ジェシーは、思い出すことによっていつのまにかトラウマ体験を乗り越える道をたどっている。トラウマがなぜトラウマたるかも、この物語は描き出している。蓋をすること・真実を見つめようとしないこと。それが危ない。蓋をされたものは発酵し、腐臭を帯びて現在の困った状況を呼び込むきっかけにもなる。それをクリアーにすることが、恐怖と戦う根源的な力の源になるのだろう。

 ジェシーが本当に恐怖したのは何に対してか。
 恐怖を、トラウマを乗り越えるには何が必要か。

この物語は、人間の心理と力を描き出している。
それは、キングのあらゆる作品に共通するものだろう。
スティーブン・キングは、恐怖の達人である。

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「邪馬台国」はなかった

2003/04/02 01:19

古代史のミステリーに挑む研究者魂

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「邪馬台国論争」というものがある。
 魏志倭人伝に登場する、「邪馬台国」とは、どこに存在したのか、というものだ。この論争は、里程計算と方向をそのままにして邪馬台国への道をたどると九州の外の南の海に出てしまうし、陸地の上にあったとすると、倭人伝の方向が間違っているとされる(この場合は、ほぼ近畿地方=京都近辺になる)ことから、古代史の謎のひとつとされてきた。

 多くの人々がそうであるように、わたしが邪馬台国のことを知ったのは中学一年の社会科の時間だった。そのとき、資料集に『「壱(旧字体)」は「台(旧字体)」の誤り。』とあったのを、「どうして、誤りだとわかったんだろう?」と思いながらも、そのままほうっておいた(魏志倭人伝には「邪馬壱国」と書いてあるのだ。そして、資料集には”邪馬壱国”(「壱」は「台」の誤り)と書いてあった)。

 この本は、同じような疑問をそのままにせず自分の中に疑問を持ち続け、学問的なアプローチを地道に積み重ねて「いわゆる・邪馬台国」の場所の特定をした研究者の論文である。

 その、学問的な方法は、「壱」は魏志倭人伝の記述の間違いではないということを論証するところから始まる。

 理屈としては、逆なのだ。そもそも、根本的な第一資料である「魏志倭人伝」の記述を「書き間違いだ」とするなら、「間違いだ」と判断するに足る論証を「間違いだ」とする人たちがしなければならない。
 しかし、「間違いだ」と主張する人たちは、日本の大学ヒェラルキーのトップに鎮座する某国立大学2校なのだ。
 この、某国立大学2派は、片方が「九州説」をとり、もう片方が「近畿説」をとっている。その説の採り方も、この某国立大学2派の利害を具現している。この派に属する研究者たちは、「始めに結論ありき」であり、その結論に合致する証拠しか見ようとしない。たとえば、週刊誌や新聞で時折目にしたのだが、場所の特定の根拠を「神獣鏡」に求めたりするあたり。それは、わたしのようなただの読書人にも感じ取ることができる。

 しかし、この本の著者・古田武彦氏は違う。彼は資料をもとに、細かい論証を加えていき、その結果、「いわゆる・邪馬台国」があった場所にたどり着く。そこまでの道筋は、実に筋が通っていてわかりやすい。また、里程計算における、われわれの「思い込み」にも挑戦している。そして、この人が“学閥”なるものから自由であったために結論にたどり着くことができたのであろうと、感動を覚える。古田氏は、もともとは高校の国語の教師だったのだ。
 
 それゆえにこそ、資料の記述を細かく論証し、学問的に正しいアプローチを加えて結論にたどり着くことができたのだろう。
 
 また、それゆえにこそ、古田氏の論文は古代研究の世界からは黙殺されている。

 古田氏の著作のところどころに、思い出したように書かれる“軽視・無視・黙殺”のされ方は空恐ろしい。古田氏が学閥2派に属さない、学歴社会のヒェラルキーのトップ社会に属さない人だからなのだろう。これが、学問の府の、研究者の社会なのか。

 この本は、学問を志す若い人たちにぜひ読んでほしい一冊だ。学問の道筋の正しいあり方が立ちのぼってくる。同時に、ただひたすら「知の欲求」のために、心無いバッシングを受け流す度量も教えてくれる。

 そしてまた、
       「邪馬台国」は、どこに存在したのか?

 という謎を解き明かす、上質のミステリーとしても楽しめる一冊である。

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海辺のカフカ 上

2003/01/26 00:41

海辺のかけら

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 喪われてしまったもの 喪われつつあるもの 喪われたかもしれないもの…。
そんな、かすかで微妙な形の定まらないものへの憧憬を思い起こさせてくれる物語である。
 田村カフカは15歳という思春期。オトナへ成長のきっかけに、自分にかけられた呪いを抱えて家を出る。これは、性的に成熟した(ありていに言うと、女と寝ることができる)力を持ちながらも、それにとまどいを感じつつ「この世」」でどうやって生きてゆくかが皆目わからない少年の、イニシエーション(通過儀礼)の物語である。
 また、特殊な事情でオトナになることができなかった人物と、かつてオトナという概念を知らなかった人物の物語でもある。ナカタさんとホシノ君だ。彼らは子供じみた純粋さを持って「入り口の石」を開ける。ナカタさんは「入り口の石」をあけることに自分が生きてきた意味を体現し、ホシノ君は、「入り口の石」に語りかけながら自分を見つめる。
 一方、田村カフカは失われてしまったものが永遠に損なわれない世界に一度は身をおくが…。喪われてしまったものが永遠に損なわれない世界は、ある種の人々にとって酷く魅力的なのだ。
 学校や会社に通いつづけ、現実のレールに乗って一直線に進むわたしたちに、この本は違う世界を垣間見せてくれる。「この世」でオトナになり、生きつづけることの意味をこの本は立ち止まらせて考えさせる。

 しかし一方、このネバーランドは重大な欠陥を持っている。あまりにも田村カフカの視点に寄り添いすぎているという欠陥だ。この物語には田村カフカにとってのみならず、他の登場人物にとっての「他者の視点の照射」がまったく存在しない。田村カフカにとって、この物語にとって、都合のいい展開しか用意されていない。ジョニ—ウォ—カ—ですら、カフカに対して関わらない。カフカの思い込みで話が進むのだ。二人の女性との関係にしても。カフカにとって、この物語にとって、「他者」は存在しない。そういう意味で、この話は閉じられた話であり、リアリティのない物語である。

 「春樹ワールド」に乗れるかどうか…それが読者のこの物語の評価を分けさせるだろう。

 海辺の石のかけらはそれに美を見出す人間にはこの上なく貴重で価値のあるものだが、見出さない人間にはただの石ころでしかない。

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