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水品杏子さんのレビュー一覧

投稿者:水品杏子

8 件中 1 件~ 8 件を表示

紙の本どうにかなる日々

2003/12/04 14:32

えっちだけれどなごみます。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「マンガ・エロティクス・エフ」に連載された連作「どうにかなる日々」と、いわゆるボーイズラブの短編が収録されている、読みごたえ抜群の作品集である。いずれもちょっとHな雰囲気なのだけれど、ただの「エロ漫画」、ただの「ボーイズラブ」とは訳がちがう志村貴子である。

志村貴子と言えば、「敷居の住人」でブレイクして、いまやいくつかの漫画誌の看板作家だ。2003年11月号の「ユリイカ」の漫画家特集で、砂氏が「敷居の住人」の評論をしているので興味のある人は御覧になるといいと思う。

この作品集「どうにかなる日々」は一皮むけた志村貴子を堪能できる。そう、彼女が短編の名手だったとは。この常に停滞しているような独特の空気感は、実はとても饒舌だ。コマわりはスタンダードで、漫画の技法も古典的と言えそうなのにも関わらず。たとえば人物の気持を表情で語らせるのが上手い。ぎりぎりまで省略した絵は描かれていないことを想像させる絵だと思う。いくつか、際どいシーンもあるものの、この絵柄で描かれると、不思議なことにすべて和やかなシーンに見えてしまう。

この作品集の中でおすすめするのは、「ハッピーなエンド」だ。主人公は「ホモのひと」祐介&「ホモじゃないひと」恵介。仲の良い高校生の双子である。男の恋人ができた祐介に嫌悪感をモロ出しだった祐介が、ゆっくりと理解を示しはじめる、という話。短い会話、短いモノローグ、あとは無言のコマで展開する。ハッキリ言ってクライマックスがない(これが志村貴子の目指している所なのだろうとも思う)ので、一見淡々としているように見えるが、恵介の微妙な感情の動きが心にしみる。ラストで、恵介は、恋人と好き合うことの普遍的な嬉しさを恵介にわかってもらえたら…と遠慮気味に告白する。恵介は答える。
「わかってるよ ちゃんと」
心の中で付け加える。
「わかんねぇけど わかるよ わかりたい」 

最後の、「わかりたい」には震えた。やられたな、という感じ。こういう感動の前ではエロという体裁、ボーイズラブというカテゴリが意味を失う。志村貴子の真骨頂ここにあり! と叫びたくなる。

さて。最後にひとつだけ不平を付け加えると、この本、表紙が良くない。「君が好き。ちょっとHで切なくアブナイ、僕たちのLOVE・LOVE・LOVE」という帯は可愛くていいのだが、この帯で、表紙の際どさを隠す、なんていうやり方は、志村貴子の作品の雰囲気にまったく合っていない。ちなみに表紙のイラストも内容とは無関係である。

※ 余談だが、「マンガ・エロティクス・エフ」は、作家性を重視するタイプの雑誌だ(たとえば「コミックビーム」や「フィールヤング」と言った漫画誌に近いような気がする)。現在は、よしながふみ(←激オススメ)/小田扉/中村明日美子、といった作家が連載中、たまに読み切りで、文学的な作品やガロ系の作家が登場したりして楽しい。
「どうにかなる日々」は現在も連載中で、vol.24に掲載された単行本未収録の作品が素晴らしい。「どうにかなる日々」の二巻が今から待ちどうしい。

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紙の本博士の愛した数式

2003/09/11 12:02

うつくしい小説うつくしい魂

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ときどき、数学者が数式を「美しい」と褒め称える文章を目にすることがあるが、そう言われても、私が数式を美しいと思ったことはただの一度もなかった。もとより数学は嫌いで、まして数式を愛するなど考えられないのであった。
それがどうだろう。この本を読みはじめると、私は博士が愛した数式を、うつくしく、いとおしく、思っているのだった。

これは、《80分以上記憶が持続しない数学博士》と、通いの《家政婦の私》と《タイガーズファンの息子》。三人の交流と、《博士》の記憶が失われていってしまう様を、《私》がしずかに綴った物語だ。

読み始めてからすぐ、山場でもなんでもない、些細な所で、どうしようもなく寂しくて、泣きたい気持ちになった。それは80分以上記憶が持続しない、という設定とか、それがもたらす切なさのためではなかった。
この小説は全編幸福のイメージに満ちている。私が泣きたくなるのはむしろ、その過剰に美しい幸福なイメージで日常が語られる時なのだった。
最後まで読むと泣きたい理由は明らかになった。これは、幸福のイメージの中にある、喪失の回想録であったのだ。
喪失と言っても、この小説にはたとえば著者の代表作のひとつである「沈黙博物館」のような閉じられた印象はない。妙に開放的な喪失、上手く言えないが、受け入れられた喪失、であるように感じられた。
たしかにこれは「至高のラブ・ストーリー」で「著者最高傑作」に違いない。
幸福ラスト数頁は堪えきれずに泣きながら読んだ。

これが誰にとっても泣ける物語かどうかは知らない。
しかし私は、どこか遠い所から小説の中の幸福な風景を眺め、その失われた幸福、これからも失われ続けるであろう幸福を、いつしか、自分に起きた過去の出来事と照らし合わせて体感していたのだ。
失った人のことを想い出すと、幸福なイメージに包まれるのに、同時に胸が痛い。そういうことなのだ。

数式をうつくしいと思った、と私は初めに書いたが、ふと思い直す。数式がうつくしいのではないのではないか? その数式を見つめる人間の魂が、うつくしいのではないか?
私はこの「博士が愛した数式」を、うつくしい小説だと感じている。

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紙の本ゴン 7巻セット

2003/09/10 11:41

ちび恐竜・ゴンと一緒に泣いて笑う

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ちび恐竜・ゴンの大冒険、である。せりふも、効果音も、一切ない。トーン一切無しの緻密な画、骨太の構成力、で読ませる。

どこかの森やどこかの海辺で無敵のゴンは縦横無尽に暴れまわる。ライオンのたてがみを手綱にサバンアを書けめぐったかと思えば、森の仲間と蜂蜜採りに出かけたり、地底を探検したり、川を塞き止めて森の動物たちの顰蹙をかうが、氷の世界ではペンギンの子供を襲う鷹に仕返しをしたりもする。

このマンガのいいところは、動物の命を描いているにもかかわらず、説教くさくなったりしないところだ。動物の生死に意味をもたせるのではなく、ただ、そこにあるものとして描く。時には「情」というものを書きながらも、決して押し付けがましいところはない。余計な説明一切なし。解説とは無縁のところで物語りは進行していく。

だから、読者は、ゴンと一緒に泣いて、笑う。それが全てだと思う。ゴンや動物たちが、仲間を失った怒りを爆発させている表情を見ると、私も険しい顔つきになっている。満腹になってよだれをたらし、幸福そうな顔をして眠っているのを見ると、私の心も満たされる。そして満面の笑みを浮かべられると、私も知らず知らずのうちににこにこ笑ってしまっているのである。
落ち込んだ時は、このマンガを読み返してゴンと一緒に笑う。素直に心が晴れる。これがマンガの力だ、と思う。

私は小学生の時、父からこのマンガをプレゼントされたのだが、我が父、なかなかやるな、と今になって思う。
どんな年齢の人でも楽しめる作品だと思うが、小さな子供のがいらっしゃる方、ぜひ一緒に読んでみてはいかがでしょう? 
連作の形で、現在7巻まで続いているので、何巻から読んでもいいのだが、お勧めするのは7巻のゴンが雛鳥を育てる話である。ラスト、ほろっとくる。

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紙の本四季 春

2003/09/08 13:40

真賀田四季鑑賞小説

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ミステリはあまりよまない。しかし、森博嗣は読む。とは言っても謎解きの部分を真剣に読んでいるわけではない。この作品で言うと、冒頭の、「空間、そして時間、そのいずれとも、彼女は乖離していた。」というような、なんか哲学的な、なんかハードボイルドな文章と、キャラクターを、好んで読んでいるのだ。そういうわけで、森博嗣は好きだが、書評は書くまい、と思っていた。

ところが、この作品は私も書評を書くことができそうだ。今回は、謎解きなんかおまけだ。
(ちなみに、今回トリックにはさして凝っていないような印象を受けた。また、お得意のアレね、という感じで、刺激的な謎解きを求めている読者の方はガッカリかもしれない)。

これは「真賀田四季鑑賞小説」なのである。

「すべてがFになる」をはじめとする「S&Mシリーズ」でおなじみの天才・真賀田四季の少女時代の物語だ。
彼女がどういう環境で育ち、何に価値を見出し、どこに向かっているのか、が様々な視点から描かれる。
おもしろいのは四季の視点だ。
頭の使い方が凡人と違いすぎて、読者は、へぇぇぇ、と思うだけ。すごいとは思うのだが、あこがれるわけでもない、かわいいと思うわけでもない、でも嫌なやつだというにはあまりにも遠すぎる存在。

おもしろいというのはつまり、四季に成り代わって世界を見ることができるということだ。その間、読者は違和感を感じつづけるに違いない。四季は、読者が演じきれないくらいビックなキャラクターなのだ。森博嗣は読書の醍醐味を最大限に引き出してくれる。

印象的だったことがひとつ。
ひとはいつか死ぬことが分かっているのに、みんなどうしてその準備ができていないのか。
四季は殺人事件が起こったときにそう言う。
このせりふはラスト間際の四季の心情描写への伏線でもある。
あの用心深く完璧主義の森博嗣は、一体どういった意図でこの言葉を四季に言わせたのだろうか。
四季の凡人離れした思考を示すためだけに書いたせりふではないだろう。
森博嗣はもちろん、「命の尊さ」というような重大なテーマをストレートには表現しない。今までそうだった。
しかし、私は単刀直入に言う。四季の思う「命の尊さ」という問題をこの先どういうふうに書ききるのかが、この四部作のみどころではないだろうか。そしてそれがメッセージになるのではないか。

ただし、いまのところ私のような凡人は、ただただ静かにそのせりふを聞いているしかない。


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女の子向けの「LOVELESS」の読み方

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

同世代の漫画好きに、今、高河ゆん読んでるんだぁ、と話すと言われた。
「そりゃまたずいぶんマニアックな。」

そう言われてみると、高河ゆんはいろんなところ(一般誌の漫画紹介とかね)で「マニアックな作家」といわれている気がする。そういわれる所以を考えてみると
同人活動を活発に行っている。掲載誌と作風がアニメ的である。物語の展開がゲーム的である。ボーイズラブの要素が感じられる(あるいはボーイズラブである)。といったところだろうか。
この特徴は「LOVELESS」にも、見受けられる。

主人公・立夏が、謎の男・草灯とともに兄・清明の死の謎を解く、というのが今までの展開で、見所は主に立夏と草灯のスキンシップ(調教?)だ(?)。

さて、本題はここからである。
私の「LOVELESS」読み方としては、ストーリーはわりとどうでもいい。いや、どうでもいいというのは語弊がある。これは、ストーリーで読むよりは、シーンと絵で読むと楽しい漫画なのだ。

高河ゆんの才能は、ありえない世界、存在するわけがない人物(少年)、を構築する能力だと思っている。ほのぼのしているにもかかわらず完全に現実離れしたその世界には、教訓すらなく、(立夏かぁわいぃぃぃ、一匹ほしぃぃぃぃ、とか、心の中で思いながら)読者はただうっとりとその夢の世界にひたるだけである。

3巻に「お願い、触らないで」と言うせりふがある。帯のコピーにまでしてある。そこまでする必然性はやはり、この漫画の効用が、女の子たちをありえない世界に連れ去りうっとりさせることだからなのだ。

付け加えると、この作品では今までに比べると作風がぐっと「今風」になり、随所にオリジナリティが感じられるようになった(たとえば手書きの小さいふきだし。主人公の人物造形に効果的だ)。また、近頃CGに使われている漫画が多いなか、CGを完全に道具として使っている(特にカラー)、この技術のオリジナリティはもっと注目されていいと思う。
というわけで、冒頭にマニアック云々と書いたが、それが何?という感じだ。
夢の世界でうっとりしたい女の子に「LOVELESS」をお勧めする。

※評価保留は、現在まだ連載中のため。

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<静謐にして苛烈><短編漫画の頂上>という帯コピーは言いえて妙。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「神童」以来、さそうあきらの漫画にほれ込んでいる私だが、
「この帯コピーはマジでうまないな!」と思いながら購入した。
<静謐にして苛烈>
さそうあきらをあらわすこれほど的確な形容詞があるだろうか(いやない。)
ここに収められているのはどれも、静かに生きる人々の内に秘められていた、凄絶な喪失感/悪意/後悔などといった気持ちが表面化する、という話だ。

さそうあきらの絵は「生理的に受けつかない」という人が私の周りには多い。たしかに個性の強い絵だとは思うし、漫画の絵はデッサンの狂いがなく美しくならなければ、と思っている人には受け入れにくいかもしれない。実は私も正直に言うとこの絵だけなら特に好きでもないのだが、実際に読んでみると、この話はこの絵じゃなきゃだめだな、と思えてくる。

さそうあきらの描く人間は、なんだか生きていないように見えることがある。手作りの人形のようなアンバランスな…。しかし、この生気のなさこそが、的確な現代人像を描くことに成功をもたらすのだと思う。

たとえば。
第一話。事故で弟を無くした若いお針子さん。ある日、電車に飛び込んでしまおうとホームのふちへと歩き出す。そのとき、ちょうど背中にくっついていた針と糸がまるで弟のように彼女を引っ張り、自殺を思いとどまらせる。というシーンがある。
画面を横切る一本の糸の描写。鳥肌がたつ。
この感動は、さそうあきらの絵でなければ得られないものだよなぁとしみじみ思う。

ほかに印象的な話は、
中絶を繰り返すうちに、赤ん坊の幻覚が見えるようになる女性の教師の話である。
感動するのだが、なんともいえない不気味さを残すラスト、必見である。

さて。読み終えてもうひとつのコピーを思い出す。
<短編漫画の頂上>
「富士山」というタイトルにぴったりであるばかりか、決して誇張ではなかった。

短編漫画、というものはとっつきにくいかもしれない。が、これは何度でも読める文学みたいな漫画である。
値段が少々高いが、本書はすっきりしたケース入で、しかも表紙の桜は撮影ホンマタカシであるのだから損はない。このデザインのストイックさもまたなんとも内容にマッチしていて恰好いいのだ。隅から隅まで手の込んだ、文句のつけようのないすばらしい本だ。

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タフな天才ピアニストの成長物語。二人の少年、そして二人の天才の心理描写に注目。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

色町で育った負けず嫌いで喧嘩っ早い美少年・一之瀬海(カイ)は、森の中に捨てられたピアノを唯一の遊び道具として育った小学生。学校では「インバイの子」と執拗にいじめられ、母親の働くキャバレーでもほとんどこき使われるように働かされている。自由奔放で前向きだが、森のピアノは無くてはならない心の支えである。
この天才少年が、やる気の無い音楽教師(実は事故で再起不能の元世界的天才ピアニスト)阿字野に才能を見出され、ピアニストを目指すという成長ストーリーである。

現在9巻まで読むことが出来るが、小学生編(ピアニストになる決心をするまで編)と高校生編(ピアニストを目指して頑張る編)に大きく分けることが出来る。


その小学生編でのみどころは、カイの才能を最初に見抜く、転校生・雨宮の存在である。自分に才能があると疑わなかった雨宮はカイの才能の前に初めて打ちひしがれ、自分の存在が揺らいでいくのを感じるのだが、カイはそんな雨宮にたいして無神経なほどに優しく接する。最初はライバル視すらしない。
こういった場面がある。
阿字野に指導をしてもらいたいと思っていた雨宮は、阿字野がカイの才能を見抜いたとき内面でカイに激しく嫉妬しつつも、「指導を受ければいい」とポーカーフェイスで勧めるのだが、カイは「ピアノは人に教わるものではない、阿字野なんか!」と一蹴する。その後カイは訳あって、やはり阿字野に指導を請うのだが、一方で「阿字野なんか」と言ってしまった手前、雨宮に対して大きな罪悪感を抱くことになる。
カイには自分が天才だと言う自覚や野望が無い。純粋にピアノが楽しいだけだ、だから弾く。だけれど雨宮にはピアニストにならなければというプレッシャーがあり、カイはそれを理解している。
このあたりの二人の心理の描き方が、んもう、すばらしいのである。読んでいて、カイと雨宮の葛藤を交互にダイレクトに味わうことができて、ドキドキである。
結局、雨宮は挫折感を抱えたまま転校するのだが、高校生になって二人は再会する。そのあたりもぜひ読んで感じていただきたい。



話は変わるが、主人公の天才性は一巻から顕著に描かれる。天才天才と連呼してなんだか恥ずかしいのだが、ともかく、この本には二人の天才が登場する。一人は主人公のカイと、先生の阿字野である。
二人はそれぞれ暗いものを背負っている。カイは生まれ育った環境を、そして阿字野は過去を。
しかし、この二人は対照的であるとも言える。カイは可能性に満ちた天才であり、阿字野はすべてを失った天才である。阿字野はカイの才能に昔の自分を夢見て、ピアノを教え始めたのである。

カイが「すべてを失った天才」としての阿字野を意識するのは高校生になってから(9巻)であり、阿字野のカイの先生としての葛藤はそれほど詳しくはまだかかれてはいないのだが、このあたりが高校生編のこれからの見所になっていくのではないか、と思っている。



それから、表現で特筆すべきは、カイがピアノを弾くとき鍵盤からキラキラと星が飛び出てくる点である。これにはやられた。
音を表現した漫画ですごいのは、さそうあきらの「神童」(天才ピアニスト少女の話。すばらしいのでお勧めです。)だが、「神童」が音の質(淋しい音であるとか、温かい音であるとか)を描き出すことに専念していたとしたら、「ピアノの森」ではとにかくピアノの音というもののパワーをデフォルメして表現した、といった感じだ。
構図やストーリーなどバリバリな青年漫画なのに、星キラキラの良い意味での違和感!が妙に心地よいのだ。


この漫画は本当にお勧めである
このまま続くと「ガラスの仮面」に匹敵する傑作になるのではないか、と期待してしまう、と言ってしまうほどにお勧めである。

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漫画読み初心者に勧める「良質漫画カタログ101」

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「現代漫画評論集」というよりは良質な「現代漫画カタログ」といった感じである。
見開き2頁に、あらすじ・みどころ・作者の略歴などが簡潔にかかれ、ページの隅っこにはその作品の印象深い一コマが添えられている。
井上雄彦・浦沢直樹・清水玲子・内田春菊というようなベストセラー作家から、かなりマニアックな作家まで、少年・少女・ギャグ・エロ…とジャンルを問わず紹介されている。

この本の素晴らしいところはまさにそのバラエティに富んでいる点で、過小評価されすぎの新井英樹、漫画通しか知らないような田中政志・鳩山郁子、また一ノ関圭・小池桂一といったほとんど幻の作家…などを猛烈にプッシュしているのだ。

ちなみに私はこの本で初めて、一ノ関圭の「茶箱広重」(小学館)という作品を知った。ラッキーなことである。本書を読んだ価値があったとつくづく思う。
「茶箱広重」は、何よりも画力のレベルが桁外れに高く、江戸情緒あふれる素敵な作品なので、みなさんにも激しくお勧めする。

あえて本書の欠点を上げるとしたら、漫画通にとっては「いまさら」な作品が多いことだろうか。この本は先に書いたように、あくまでも「漫画カタログ」だ。つっこんだ記述がなく、単なる解説に止まっているため、既読の作品の紹介は読み応えが無い。
私自身は漫画をよく読むほうなので、紹介されているうちの2/3以上の作品が既読だったのだが、この本によって、「既読の漫画の新たな読み方を発見する」というような体験が出来なかったことは残念に思った。

そうは言っても、やはり読んで損は無い。「みんなもっと漫画読めよ!」という作者の漫画に対する愛に満ちた気迫も十分に伝わってくる。熱くなる。
さいごにひとつだけ述べると、「愛に満ちた気迫」と私がそう言った理由は、著者の、紹介する作家の作品の選び方によるのだ。
著者はその作家の、誰でも知っている代表作/傑作より、最近作/秀作と言われるような作品を選んでとりあげている。たとえば岩明均なら「寄生獣」ではなく「雪の峠・剣の舞」、というようにである。それが「みんなが読んでいないものを!」という著者のメッセージのように感じられるのだ。
そして、ぜひともそれ読んでみたい!という気にさせられる。

「最近、漫画を読みたい気分なんだけど、なんか、お勧めはない?」と思っている、特に、漫画読みの初心者にお勧めする本である。

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