信濃武士さんのレビュー一覧
投稿者:信濃武士
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いま新渡戸稲造「武士道」を読む
2003/08/23 18:01
現代に生かせる武士道精神
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信濃毎日新聞の記事に、「知事は二十二日、九月一日の再選から一年を前に「改革
のスピードが緩やかになっている」との懸念を示し、県政改革を迅速に進めるために県職員との面談や議論の時間を充実させる方針を示した。このため来月一日から、対外的な会合のあいさつ、表敬訪問や陳情の受け入れを原則、自粛する考えを表明した。一方、職員との議論は十一月までに約六百人の課長級職員と面談し、改革の迅速化には何が必要か、何が障壁かを議論する—と説明。職員の意識改革の現状については「OS(基本ソフト)の変換が難しい職員がいる。その職員の意識を変えるというより、感覚を変えることが求められる」と述べた。」との趣旨の内容が載っているのを読みました。
思わず、新渡戸稲造の「武士道」には以下のような記述があったのを思い出しました。
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武士道は、我々の良心を主君の奴隷となすべきことを要求しなかった。主君の気紛れの意志、もしくは妄念邪想のために自己の良心を犠牲にするものに対しては、武士道は低き評価を与えた。かかる者は「佞臣(ネイシン)」すなわち腹黒き阿諛をもって気に入ることを求むる「かん徒」として、或いは「寵臣」すなわち卑屈なる追従によりて主君の愛を
盗む「へい臣」として賤しめられた。(中略)臣が君と意見を異にする場合、彼の取るべき忠義の途はリア王に仕えしケントのごとく、あらゆる手段を尽くして君の非を正すにあ
った。容れらざる時は、主君をして欲するがままに我を処置せしめよ。かかる場合において、自己の血を濯いで言の誠実を表わし、これによって主君の明知と良心に対し最後の訴えをなすは、武士の常としたるところであった。
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彼の知事のおられる県の管理職の皆様は、「主君」との個別面談で、踏み絵を迫られ、その結果が、「ボーナスへの反映」を含めた勤務評価、昇進にも関係してくるのでしょうが、以上のような精神が長野県に残っているかが試されているのかもしれないと思わず感じてしまいました。
憂きことのなほこの上に積れかし
限りある身の力ためさん
との詩もこの本には掲載されています。かの県の「武士」の気骨の行方がおもんばかられますが、他方、何処の組織でも同様の局面があるように思われます。その意味で、新渡戸稲造「武士道」を一半向けにご紹介いただいた志村史夫さんには深く感謝申し上げます。
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