沢居すだちさんのレビュー一覧
投稿者:沢居すだち
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白昼堂々
2003/10/01 22:08
想いの形
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
実は、上海少年に収録されているのを読んだ時、私はこれが「恋愛」の物語として書かれたことに気が付きませんでした。
私は、凜一をいわゆる「まともな」少年だと思っていて、ラストで氷川が凜一に好意を示し始めたのも、今までの作品に見られたような(?)ほのかな、微妙な気持ちの揺れ動きの芽生えを描いたものだと解釈していたのです(所々に性的要素があるのは気になりませんでした。長野さんの作品にどんな突拍子もない描写が出てきても、今更驚きはしないので……)。
単行本が発行されてみて初めてやっと「全体がそういう趣旨で書かれている」ということを理解しました。
それまでの作品では、少年同士の性的な関係はごく自然に生活の一部みたいになっていて、特に恋愛感情がどうのこうのという次元で語られる事はありませんでした。
ですから、むしろここにきてハッキリと「同性愛」という枠で囲い、改めてテーマにされたことは、長野読者としては「何で今さら?」と怪訝に思わずにはいられませんでした。
白昼堂々シリーズが世に出されたきっかけの一つとして、長野さんがJUNE系のノベルズに触れたことが挙げられるようです。
インタヴュー等の中で、彼女はJUNEについて「どれを読んでも爆笑してしまう」と述べていますが、一方で「爆笑してしまうほど馬鹿馬鹿しいと思えるものを、どこまで真面目に書きうるか挑戦してみたかった」と述べたと聞いています。
それは、白昼堂々シリーズがおおっぴらな「純文学版JUNE」であるという単なる裏付けではないように聞こえます。
長野さんは、少年愛を「恋愛」という観点から表現することに関心を持ち始めたのではないでしょうか。
今まで前提とされていた少年たちのセクシャルな描写は、無意識な愛、家族的な愛、友情を超越した愛、歪んだ愛情から吐き出された欲、愛の渇き……「愛」から来るものであり、ある日突然出会って惹かれた、という「恋」という形態を取って表れるものではなかったように思います。
事実、このシリーズ以降、長野作品では、少年愛が「恋愛」という位置でたびたび扱われるようになってきました。
当時、このシリーズは、賛否両論作品の一つとして読者に取り沙汰されました。
「まるっきりのJUNEノベルズとレベルが変わらない」という批判も多かったのですが、凜一という人物像の不可解さによるものも多かったのではないでしょうか。
ユーモレスク
2003/03/05 20:21
「小説的」な作品
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「実際に居そうな人の、どこかにありそうな話」という感じです。
登場人物には女性が多数出てきますが、特筆すべきは、彼女らが今までのような「意味のない」あるいは「象徴的に意味を求める必要がある」女性ではないという点です。
ただならぬものを感じたのは、女性に関してだけではありません。
最近の傾向というか試みに従って、少年の年齢層も高くなっています。
ほとんど青年メイン。
ところが、白昼堂々シリーズや東京少年や猫道楽などとは明らかに違って、本当に彼らは「居そう」な人物ばかりです。
しかし、現実味がある、というわけではありません。
今までの長野作品には、「小説」というより「おとぎ話」に近いものがあったと思います。
長野さんが文学のつもりで書いていらっしゃったのかどうかはわかりません。
でも、たいがいのファンが「大人の為のおとぎ話」として長野作品を読んでいたことを考えると、「少年は少年という生きものであって、男性の過去の時代ではない」という型破りな小説の精神は、とても理に適ったものだったと思います。
ところが、ユーモレスクはそういうおとぎ話ではありません。
「失踪した弟」がキーワードとして流れているんですが、この弟はカンパネルラみたいな「少年というもの」ではなく、「不在そのもの」として書かれています。
物理的な象徴ではなく、時間的なものがもたらした人間関係の物語です。
そのように、時と共にうつろう人間を描くことこそが、小説の原点なのではないかと思います。
だから、ユーモレスクの青年たちは至って「小説的」です。
副嶋という少年にも、あまり長野的要素がありません。
やっぱり同性愛者だったり、女装趣味が出てきたりしてるんですが、昨今の小説にはもっとエキセントリックな傾向もあるので、設定としてはそんなに目立つものではありません。
「手が届きそうで届かない人や場所」というコンセプトは、一貫していてとてもわかりやすいです。
周子にとっては、それが弟の真哉であり、比和文彦であるというのは言うまでもありませんが、副嶋少年もそこに加えることもできます。
真哉の面影を希みながらいつしかそうではなくなってはいきますが、結論はない。
そのような余韻の残し方も、長野さんならではの「小説」として評価できます。
上海少年
2002/03/25 15:08
愛と絆の短編集
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収録順に、昭和10年代からだいたい10年ごとの時代を舞台にしている作品集。文庫版も既に登場しているが、私はハードカヴァーをお薦めしたい。
時代設定もそうだが、それぞれに総て女性が関わるというのももう一つのポイントである。ただし、テーマに直接関わるかどうかはそれぞれ違う。
気まぐれで孤独な女性と少年が彩る「雪鹿子」。
失われたと思った兄との絆を描く「上海少年」。
母の面影を求めた少年のエピソード「満天星」。
美しい弟との禁断の恋に落ちた女性の「幕間」。
少年と青年が不器用に出逢う過程「白昼堂々」。
どれも魅力のある少年たちの物語だが、中でも私が特に気に入っているのは「幕間」である。
長野作品で唯一の男女恋愛を描き、主人公の橙子が、若さゆえに惑い、落ちてゆく姿。学生運動という時代背景に彩られた、二人を待ち受ける紅蓮のイメージ。複雑な読後感にとても魅せられる。
一押しの作品である。
東京少年
2002/03/25 14:29
あたたかい人々と生きる
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家族的な絆を描く作品で、とても素直な気持ちになれる読後感だ。登場する人々の想いが静かにストーリーに浸透し、好意的に読むことが出来る。
「黒椿」という謎めいた花を軸に、興味のある事に熱心になる主人公の年齢設定も活かせている。
ここで明かされる家族模様、人間関係は複雑だが、決して難解ではない。人間らしい生き様の折々に、主人公が強くなっていく成長物語でもある。それと同時に、長野作品では珍しく、強い女性が描かれている事も注目すべき点だろう。
ただ、主人公の叔父という人物の必要性が少々足りなかったように感じた。彼についてもエピソードを加えれば完璧だったろう。
銀河電灯譜
2003/05/12 20:02
人間関係を想像するのが面白い
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
タイトルや主人公の名前から、実在の賢治をベースにしていると思いがちな作品です。
しかし、これは全く違った意図で書かれていて、賢治も銀河鉄道も『実際に沿った』ものではありません。
この話で長野さんが必要としたのは、幻想列車に乗り合わせた人間が、崩壊していった一族の魂魄たちに遭遇するという構図そのものです。
幻想列車の発案者になる賢治は、その格好の媒体だったわけで、彼という存在を必要とされてはいるけれども、彼自身の歴史は全く必要とされていないのです。
賢治が「賢治」である意義や効果は、物語の全体にわたってきちんと表れていますが、長野さんはそこにもう一つの完全なる「お話」を巧妙に組み込んでいます。
複雑だが、さりげないその構成は実にお見事としか言いようがありません。
この「お話」は、それだけを抜き出してもれっきとした長野作品の一つになる格があります。しかし、この一見独立した「お話」は、幻想列車にたまたま乗り合わせた賢治という「単なる第三者」無しでは、決して成立することは出来ないのです。
歴史上の賢治を好きで期待したファンからは、もしかしたら怒りを買ってしまうかもしれない作品なのではないか、とは思います。
個人的には、「フィクションでこんなことが出来るのか!」と感心させられました。面白く読めた作品です。
読んでいて気付いたのは、この話に出てくる人物一人一人のインパクトの弱さです。実際、この話の少年たちに入れ込んでるファンはあまりいないのではないでしょうか?
その原因は、登場人物が多すぎるということもありますが、客観性が限りなく低いことにあると思います。
なぜなら、この作品の大まかな流れを作っているのは、全て一人称の会話文だからです。
賢治の視点に戻る地の文では、詳しく描写されている人物はいくらもありません。誰がストーリーの中心になるべきなのかもぼかされています。
とりとめのない暴露話では、物悲しさと狂気に満ちた一族の末路が明かされますが、本来人物の気性や人柄をうかがわせるべき描写や口調は、一人称である語り手の主観や偏見によって限定されてしまっています。独白は、粗筋をたどる事に始終してるために、語り手自身の性格も省かれています。
少年の魅力を最大限に引き出した物語で独自のスタイルを成立させてきた長野さんにしては、かなりストーリー色の強い、個性的な作品になってると思います。
と言って、ほかの作品が没個性だというわけではありませんが、キャラクターよりもストーリーのほうで引き込まれる作品であることには間違いありません。
雨更紗
2002/03/25 22:40
幻想的な二重の世界
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雨のヴェールを透かして見ているような、そんなイメージだ。
主要の視点が、玲と哉という二重の意識に別れていて、読み手に不思議な交錯感を起こさせる。
したたかに生きる女性たちと、謎めいた雰囲気の青年たちの静かな狂気が、正常な歯車をずらしてゆく。ここでは奇妙な愛を持った女性たちの姿が恐ろしくもあると同時に、幻想的な物語の味付けにもなっている。
すべては、降りしきる雨が起こさせる錯覚のようで、始めは確かだった「哉」という少年がいつのまにかあやふやになってゆくさまも良い。
自分ともう一人の自分が、別人として向かい合う奇妙なナルシズムと、さまよえる少年を受け入れる青年が放つ色気も読みどころである。
サマー・キャンプ
2002/03/25 15:49
読みどころは宣伝文句ではない
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発売当時、読んでみて思わず首をかしげた。
内容はとても面白い。Y-Y染色体を持つ「超男性」である主人公が、それゆえ女アレルギーを起こすという、とても長野まゆみらしい発想の物語だ。
しかし、宣伝文句とは内容が異なり、種の責任を未来に問うているとは思えない。額面通りに受け取らないのが、好意的に読むポイントであると思う。
主人公は、愛情など幻想に過ぎないと思わざるを得ない環境で、それでも自分の生きる意味を求めている。
人物の一人が性同一性障害であるというポイントも巧く物語に絡んでいる。ただ、この物語の人々は、殆どが身体的な性別と生殖的な性別が食い違っているが、精神的な性別と身体的な性別が一致している点で、性同一性障害をテーマにしたものとは違うといえる。ジェンダー問題とは微妙に異なる点で、男女の境界をあやふやにしている。植物的とでも云うべきか。
「自分の望まない躰」「望まれていると思えない躰」に対し、どのような答えがあるのか、読みながら見つけていって欲しい。
ぼくはこうして大人になる
2002/03/25 14:09
少年の成長を描く
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同性に憧れる時期というのは、その程度の差こそあるが誰にでもやってくるものだ。それは少年期特有の感情だと云ってもいいだろう。
この作品では、それが主人公が幼い頃から抱えることになったジェンダーの悩み、という設定で拡大されているに過ぎない。
「男と女が互いの恋愛の対象」「社会的な男の立場、女の立場」という世間的な「常識」を壊そうとする、長野まゆみなりの問題提起作ではないだろうか。
“イッくん”がどのようにして自分自身と周りに立ち向かい、成長するのかを是非追って欲しい。
ただ、もともと長野まゆみには少年同士の愛を描く作品が多かったため、初期からの長野作品を追ってきた読者には、少々困惑を与えるかもしれない。
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