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みーちゃんさんのレビュー一覧

投稿者:みーちゃん

3,506 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本

いやあ、楽しみました。思わず娘に同級生の苗字、チェックしなさい、なんていったりして。ま、今の苗字なんていうのは明治期に自由に選べたんですけど

10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

久しぶりの広瀬です。今までは、欧米を中心にした「世界を陰で動かす人たち」みたいなものが多かったですが、やっと日本の閨閥に来たようです。たしか『アメリカの経済支配者たち』だったでしょうか、読者から「日本版が欲しい、という要望があって、今、それを書いている」みたいな文章があったと思いますが、それがこの本なんでしょうねえ。
今回は、第一巻にあたる『幕末・維新篇』。海外の貴族とはまったく違う、泡沫貴族が大量に生まれた時代のお話。とりあえず、日本の上流社会というものの正体、所詮、維新を私利私欲のために利用した連中が、今の日本の「上流社会」を構成していることが良く分ります。全体を見るために、まず目次の紹介。
序章 黄金の国ジパング
・嘉永元年(一八四八年)日本持丸長者集
・明治八年(一八七五年)大日本持丸長者委細調大新板
・明治四十一年(一九〇八年)大日本金満家一覧鑑資産額
・慶応年鑑・徳川幕府諸侯格式一覧表
・昭和八年(一九三三年)帝国興信所調査・全国金満家大番付
・明治三十一年(一八九八年)全国多額納税者互選名鑑
第一章 信玄と家康の遺産
 両替商と貨幣製造の系譜
  ・両替商はどこから出たか
  ・本阿弥光悦と俵屋宗達の黄金の世界 ほか
 近江国の広大な人脈
  ・浅井長政に発する富商たち
  ・武田信玄の貨幣制度と甲州財閥
第二章 ペリー来航の衝撃
  ・歴史から消された先駆者の功績
  ・新政府に謀殺された幕末の偉才 ほか
第三章 財閥続々と台頭す
  ・明治政府の閨閥
  ・島津斉彬の知恵の遺産 ほか
第四章 アジアへ進出せよ
  ・大名資産が生み出した華族銀行
  ・日本の朝鮮支配と竹島の編入 ほか
あとがき
系図人名INDEX
あてがみのところに図表リストが載っているのは、デザイン的にはともかく、見やすい。
個人的には、司馬遼太郎が創りあげてしまった明治維新は無血革命であった、みたいな明治以降の権力礼賛史観が大手を振るう昨今、それが不快でならなかっただけに、思わず今度政経学部に滑り込んだ長女に、無理矢理読ませたくなるほど。
無論、明治維新は単なる権力者の首の挿げ替え以外の何物でもなく、もっと悪かったのは無能で下品な薩長土肥の下級武士が金で政治を動かした、それが今も続いている、ということなんでしょう。でも、特にこの本で感心したのは以下の三点。
一 勝海舟は単なる口舌の徒に過ぎず、どさくさに紛れて自分の競争相手を陥れ、名を残した
二 明治二十八年一月十四日の日清戦争の混乱にまぎれ尖閣諸島を日本の領土に編入した
三 明治三十八年二月二十二日、日露戦争のさなかに韓国の外交権を剥奪し、竹島を日本の領土に編入し、満州支配に着手した
他にも、沖縄の領土化や、財閥の怪しげな過去、特に三菱のそれなどは、流石の司馬遼太郎ですら美化できないものではありましたが、幕末の尊皇攘夷派および当時の朝廷の無知蒙昧ぶりと併せて読めば、明治政府の、そしてその流れを汲む現在日本の保守層や官僚の愚かぶりがよくわかろうというものです。
現代日本人が「上流」と呼び、憧れる人間がどの程度のものであるのか、所詮、拝金主義に衣裳をまとっただけのものでしかないことがよく分ります。でも、この人々が階級を固定化し、その道具に憲法と自衛隊、そしてマスコミを利用しようとしているのに、日本人はそこが分っていない。自主憲法を主張する人々と、戦前日本を動かしてきた連中が完全にダブルことの意味に気づかないんです。
家系は書き換えることが出来るし、姓名だって明治になって自由につけることができた。それを、苗字が歴史で習った人と同じだから名家、としか判断できない能天気な現代人は、この本に添付された家系図をいいように捻じ曲げて理解しちゃうんでしょうねえ。

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紙の本

紙の本響きと怒り 上

2007/05/16 20:23

暗い話ですが、それでも面白い。でも、思うのは学者先生たちの偉さ。この物語を再構成する努力には頭が・・・

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

またまた学校の押し付けが嫌いで読んでこなかった名作と呼ばれる作品を、この歳になって「たまにはいいか」と読む気になったもの。文庫の新装、改版というのはこういうことがあるので、今後とも是非行なっていただきたいものです。カバー折り返しの内容紹介と目次は
上巻が
「斬新な手法と構成で、新しい文学表現に挑んだフォークナー(1897—19629の最初の代表作。語り手たちの内的世界のかなたに、アメリカ南部を舞台とした兄弟たちの愛と喪失の物語が浮かびあがる。フォークナー自身この作品をもっとも深く愛した。」
・一九二八年四月七日
・一九一〇年六月二日
訳注
・コンプソン家見取り図
・第一章主要出来事年表
・第一章場面転換表
・第二章主要出来事年表
・第二章場面転換表
クエンティン・ボストン移動地図
下巻は
「コンプソン家の現在を描き、物語にいっそうの奥行きを与える後半。「奇蹟が起きた」と言われるこの作品の成立によって、フォークナー独自の創造世界は大きく開花し、世界の文学に幅広く影響を与えた。のちに書かれた「付録」も収録。 (全二冊) 」
・一九二八年四月六日
・一九二八年四月八日
・「付録——コンプソン一族」
訳注
解説 平石貴樹、新納卓也
となっています。先に不満を書いておきます。前掲の目次を見てお気づきでしょうが、今回の本には章番号が振ってありません。無論、全体は大きく四つに分かれてはいます。1928年4月7日、1910年6月2日、1928年4月6日、1928年4月8日です。でも章番号はない。では、上巻の巻末の第一章主要出来事、或は第二章場面転換にある「第一章」「第二章」は具体的にどこを指すのでしょう。
実は、下巻の解説のなかでも平石貴樹、新納卓也は全く気にせず「(サートリス大佐も本作品第二章にチラリと登場する)」と書いています。繰り返しますが、この本には第二章の明記がありません。こんなこと、書評に書かせるなよ、岩波、ではありませんか・・・
しかも、障害児が登場する物語で、現代の若い読者が「物語にいっそうの奥行きを与える後半。「奇蹟が起きた」」という一文を読めば、必ずや「そうか、奇蹟によって彼は健常者になる、そういう素晴らしい物語だから、傑作と呼ばれるのだな」と勘違いをするかも知れません。私は、そう受けとめて、結局、イカン、と悟ったので、ここで断っておきます。このお話は、ただただ暗い、くらーい、一族の絶望的な物語です。
で、やっと本題。面白いです。ただし、その面白さは解説の一方的な「どんな解説も、これほどの傑作には必要がないのかもしれない」という決め付けや「一冊の小説が読者の人生を変える」といった大げさな言葉、先に写したカバーの文章からは想像もつかない種類のものです。まず、上巻と下巻の構成のあまりに大きな違いがあります。
上巻は、時制、語り手が自在に入れ替わります。しかも、それはある規則的な量(文章の長さ)によるものではなく、短いのもでは一文で変化します。私はこの手の手法には慣れていますが、ここまで極端なものには出会った経験がありません。私は法則性がない、と書きましたが、文学者というかオタクであればその変化に法則性を見出そうと挑みたくなる、その種類のものではあります。
それにしても学者というものは偉いものです。この一見無秩序なものを整理し、番号をつけ、場面転換表にして、どうしてもきちっとした流れを掴みたい人に理解できるようにしてくれます。しかも、このある意味曖昧な描写から舞台となっているコンプソン家の様子まで図にして示してくれるのです。その努力には頭がさがる、といっていいでしょう。
暗さを楽しむ、破滅の予感に怯える本として格好の一冊。翻訳の姿勢が立派。

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紙の本

今回は書評ではなくて、読書遍歴というか書斎案内というか、書物を中心に自分を語るっていう姿勢が前面にでて、予想外に好感持てました

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

立花の読書のありかたが好きではないんですね、私。なんていうか、要するに商売のネタで読んでいるものを「読書」と言うな!って思うんです。澁澤龍彦は、どこかで「読書は目的をもってするような行為ではない」みたいなこと、書いてましたが、私もそう思います。私事ですが、私は仕事や勉強のために読んだ本は、読書数にカウントしませんし、評も書きません。
ところが立花は、読書をそのように定義しません。資料として扱おうが、勉強のためだろうが活字を読むことに変わりはないだろう、と言わんばかり。ただし、今回の本では小説の類を馬鹿にする発言はありません。読まないから触れない、という割り切りがあるだけ。
で、私は以前『ぼくはこんな本を読んできた』で、彼の本に対する愛情のなさについて不満を書きましたが、今回は立花自身、どこか謙虚です。それは一冊一冊に深く触れるというよりは、むしろ自分の読書遍歴を語ろうとする姿勢に依るのかもしれません。
彼は語りながら、自らの書棚を公開し、過去に書き上げた本と、書棚に現存する資料との関係や、それを手にした経路、或はその意味などについて語っていくのです。驚くのは、過去に読んだものが書架にある、しかもきちんと整理されていることです。その記憶力と整理方法については、やはり脱帽します。
しかも、古い資料を手にして過去を語る様子からは、本に対する愛情が滲み出る。一体、『ぼくはこんな本を読んできた』での立花は何だったんだ、って言いたくなります。角栄ファンである私は、立花の『田中角栄研究』『日本共産党の研究』について疑問を抱いたままではありますが、文春を辞めて東大学哲学科に入学するあたりのことも、よく書かれていて、その様子が分るのは、アンチ東大・立花の私でも嬉しいものです。
数万冊の蔵書ともなれば、中にはポルノじみたものもある。それにも触れているのも好印象。今は出版社も敬遠する全集ですが、それらを集めて読むというのも流石、時代を感じます。それにしても、物凄いパワー、読書量。記憶の衰えを嘆きますが、67歳現在は、健在としかいいようがありません。ま、70過ぎてがっくり記憶力や気力が落ちるのが老化。立花はその前に、貪欲に仕事をこなすのでしょう。
それにしても、あの膨大な書籍は、最後は東大に寄贈されるのでしょうか。それとも、大宅文庫のように公開される?公安関係の貴重な文書も沢山あるようなので、散逸したり、権力によって抹消されないことを願ってやみません。火の元には十分気をつけてください。
最後にデータ篇。
・はしがき
・ぼくの血となり肉となった五〇〇冊
そして 血にも肉にもならなかった一〇〇冊
・私の読書日記 2001・3〜2006・11
・「リヒテル、マネー、アリア」「肉食、経世会、人麻呂」など
・掲載書目(著編者名)一覧
装幀 坂田政則
表紙撮影 山本茂樹

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紙の本

紙の本再起

2007/02/15 20:41

ディープ・インパクトがいなかったら、私がフランシスの新作を手にすることはなかったかもしれません。でも読んだ甲斐はありました

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

妙な言い方ですが、ディープ・インパクトがいなかったら、私がフランシスの新作を手にすることはなかったかもしれません。エド・マクベインのときもそうでしたが、フランシスも私の中では過去の人になっていたのです。ところがディープが走った凱旋門賞、あのとき私が真っ先に思い浮かべたのがフランシスでした。
絶対に仕掛けがある。競馬の世界、それは華やかではあるものの、裏では人間の欲望が渦巻く、薄汚いことが平気で行なわれる場所でもあります。フランシス作品を読んでいた私は、その後の薬物騒ぎが持ち上がったとき、結局、これは白人の黄色人種に対する差別以外のなにものでもない、と思い、スポーツ新聞あたりはフランシス特集を組むべきだ、と思ったものです。
思い起こせば、一昔前まではフランシスの新作と聞けば解説の児玉清のように、心ときめかしたものです。児玉はこの本の原書を取り寄せたようですが、面白いことに私もフランシスのハードカバー原書を一冊だけ持っています。しかも、それがシッド・ハレーものですから面白い。1979年に出た Whip Hand (邦題『利腕』1985年)の初版がそれ。ふーむ、思い出すなあ、あのころ・・・
カバー折り返しの内容紹介は、ハヤカワとしては最近になく長いもので、ハレーが事件に巻き込まれていく様がよく分ります。一部省略して引用しておきましょう。
「障害レースの最高峰、チェルトナム・ゴールド・カップが行なわれる当日、元騎手の調査員シッド・ハレーは競馬場を訪れ、建設会社を経営する上院議員ジョニイ・エンストーン卿から仕事を依頼された。持ち馬が八百長に利用されている疑いがあるので、調べてほしいというのだ。彼は調教師のビル・バートンと騎手のヒュー・ウォーカーが怪しいという。
ハレーは依頼を引き受けるが、・・・」
解説はテレビなどで読書案内をしている俳優の児玉清。どんな内容になるか、単にこの一冊だけの案内で終って、フランシスの近況にふれることはないかもしれない、という危惧を吹き飛ばし、フランシス86歳で発表されたこの話だけではなく、過去の作品、或は筆を折ろうとしたことから再び執るまでの経緯、そしてフランシスといえば菊池光と言われていた翻訳が、北野寿美枝に見事に引き継がれたことまで、望むことはほぼ完璧に盛り込まれている。
話の内容は読んでもらうとして、興味深かったのは、ハレーの新しい恋人マリーナと彼の元妻ジェニイとの遭遇や、ジェニイの父であるチャールズとの友情といったハレーの個人的なことが話の展開に密接に絡んでいき、特にこの話ではジェニイとの和解といったおまけまであるのは、なんとも楽しいものです。
しかも敵役、といっても犯人ではありませんが、ハレーのことを逆恨みするゴシップ新聞《ザ・バンプ》の記者クリス・ビーチャーとの虚々実々の駆け引きなどは、現代マスコミの下劣さをいかにやり込めるか、といった人類共通の課題でもあるために、微苦笑を浮かべながら読んだものです。
それにしてもハレー、どうも38歳という設定が生きていない気がしてなりません。どう読んでもハレーには50過ぎのおじさんの雰囲気がついてまわる。これだけは、フランシスの年齢の影響があるのではないでしょうか。それにしても男が女に結婚を申し込む場面というのは、ネルソン・デミルの小説でもそうですが、客観的にはどうしても喜劇染みてしまうようです。
それも含めて楽しめる本です。ただし、解説の児玉清がしきりに書くような「泣く」ような場面がある、と思ってはいけません。
それと、訳者のこと。早川の冒険小説の多くの翻訳を手がけてこられた菊池光さんが2006年6月16日にお亡くなりになっていたとは・・・北野の訳者あとがきで初めて知りました。カバーフォーマット担当で名前がでている辰巳四郎も、逝かれて久しい。おふた方のご冥福を祈ります。

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紙の本

紙の本シュミじゃないんだ

2006/12/27 20:30

ちょっとねえ、BLを語るしをんの熱が入り過ぎじゃないか、って思うんですね。特に、書き下ろし小説は、なんていうか空回り。でもね、高三長女が笑いながら読んでます、はい

13人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ま、相変わらず内容を調べもしないで、三浦しをんのエッセー、っていうだけで飛びついちゃったんですねえ、私。で、愕然、これって私の苦手なボーイズ・ラヴ(以下BL)についてなんです。
ま、娘に言わせると、今時の女の子にとっては、そんなに抵抗感ないと思うよ、というんですが・・・・・
目次に沿って章のタイトル、主なテーマ、そしてそこで取り上げられる主な作家と作品を( )で補っておきましょう。

シュミじゃないなら、なんなんだ 〜まえがき〜
一 章●きみには見えるか?あの星が :18歳と称する三浦が「リバーシブル」物を読みたい (鳥人ひとみ『成層圏の灯』)
二 章●銀河の果てまであなたとともに :BLにおける純愛とは (依田沙江美『真夜中を駆けぬける』)
三 章●幸せを探す銀河旅行 :BLにおけるハッピーエンド (よしながふみ『ジェラールとジャック』
四 章●チャック全開の星間探査 :山田風太郎先生の写真に触れつつ、BLにおけるH表現について (語シスコ『ラブ&カタストロフィー』)
五 章●いよいよ地球に帰れぬ覚悟を決める隊員たち :哲学の道を歩きつつBLと友情を語る (山田ユギ『俺は悪くない』)
六 章●さびしい花の咲く美しい星 :カフェで語るBLにおける理想の女性 (紺野けい子『愛の言霊』)
七 章●団体生活は広い宇宙への第一歩 :サッカーの話が寮生活のBLのことになって (高井戸あけみ『ブレックファースト・クラブ』)
八 章●コロニー「唐獅子牡丹」開発事業団 :板橋区のようこさんに応えて、耽美とBLの違いについて考察と任侠物 (宮本佳野『 Are You Enemy? 』)
九 章●ツチノコ探査マシーン投下 :想像も出来ないくらいお金持ちの話からBLにおけるパートナーへと (石原理『少年は明日を殺す』)
十 章●この星は乾いているようでいて、実は・・・・・・ :点媚薬という変換から再び任侠を問う (鹿乃しうこ『ブルと歩けば』)
十一章●きみだけに伝えよう、この星の真実を :着物姿でブッ○オフで漫画を漁り妹たちのムダ毛処理からヒゲの話になって (藤たまき『プライベート・ジムナスティックス』)
十二章●禁断の惑星 :「レズ」「ホモ」「子ども同士」は許せても「近親相姦」「不倫」は苦手、そこでショタ物 (京山あつき『仮面ティーチャー』)
十三章●神の降臨 :はだけたシャツからのぞくチ○ビに興奮しつつ、BLというジャンルが生んだ最大の問題作へ (新田祐克『春を抱いていた』)
十四章●宇宙ボーイズラブ開拓公団勤務 :永田守弘編『官能小説用語表現辞典』から職業一覧へ (西田東『奪う男』)
十五章●どこにあるのかホーム・スウィート・ホーム :いつか自分で入館無料のBL図書館を建てる宣言がサラリーマンものの話に、そして擬似家族へ (深井結己『きみが居る場所』)
十六章●宇宙全権大使になる資格 :投票大好きなしをん、勿論テーマは政治もの (芳崎せいむ『永田町一丁目七番地』)
十七章●異世界へ発進! :大河ドラマ『新撰組』のオダジョーは良かったよ、BLにだって時代物を (門地かおり 『告白の言葉のない国』)
十八章●旅はどこまでもつづく :傑作BL漫画、一挙紹介
たぶん愛なんだと思う 〜あとがき〜
作品データ
書き下ろし小説 夏の思い出

十五章以降、あとり硅子の扉絵、各章の最後についているコマ漫画?がなくなっているのに気付いて、これは書評で書くネタがみつかった、と思っていたら、あとがきを読んで愕然としました。この可愛いイラストをお描きになっていた あとり硅子さんは、連載中に34歳の若さでお亡くなりになってしまったそうなんです。
ご冥福をお祈りします。
最後になりますが、やっぱりBLは苦手です

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紙の本

紙の本風が強く吹いている

2006/11/18 20:08

ワンパターンのスポコンでも、これだけ読ませるってえのは、化けた、って云っていいんじゃないでしょうか。直木賞はこっちで取ったほうがよかったかな

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本に絡む私的なエピソード、その1。実家で久しぶりに地上波の放送を見ていました。箱根駅伝の予選のドキュメントで、拓大は一秒差で涙を飲んだ様子を、そのルールを殆ど知らないままに眺めながら、インカレ・ポイントってなんだ?などと呟いたものです。
その2。確か今年の春すぎだったと思いますが、日本橋三越の7階で開かれた美術展で現代絵巻物とでもいった個展がありました。私は招待券を持っていましたが、娘との調整がつかず、結局いかずしまい。その画家の名前が山口晃でした。
そしてこの本、軽装本でありながら、カジュアルな感じこそすれ少しも安っぽくないのに、さすが新潮社装幀室のセンスはいいな、ついでにカバー装画の擬古的なポップさに感心し、あれ、これって箱根じゃん、もしかしてこれ描いたの山口晃?などと呟いたものです。
プロローグの4ページ目
「自転車を加速させ、走る男の横についた。遠くにいるなにものかに操られるように。自分のなかの深い場所からの叫び声に突き動かされるように。問いかけは清瀬の意思とは無関係、気がつくと発せられていた。
「走るの好きか?」」
というところで、思わず涙をしてしまったのです。一気に読み抜け、家族4人で肯きあったのです。森絵都に『ダイブ!!』があるとすれば、しをんには『風が強く吹いている』があるって。
いや、『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を取ることを予想できなかった私は、負け惜しみではなく「こっちの小説のほうが上じゃん」と絶叫するのです。登場人物全てを個性的に描き分け、スポ根ものの宿命である予定調和的展開の波に乗りながら、最後で静かに幕引きをする。先が読めることが、少しもマイナスに働かない上手さ。しをん、化けた?ですね。
話の前半は学生たちが暮らすぼろアパート竹青荘周辺が舞台です。
アパートの住人を、部屋の番号順に紹介すれば、101号室に住むのがハイジ、こと清瀬灰二、寛政大学文学部四年で、今回の挑戦の仕掛け人です。人格者であるだけでなく、マネジメント能力にも優れ、我が家の娘たちに言わせれば、「イケメン」だよね、ということになります。
102号室には、ユキ、こと岩倉雪彦、法学部四年で、三年の時に司法試験合格済みでお分かりの通り頭脳派です。103号室には、走こと蔵原走、主人公といっていいでしょう。天才的なランナーゆえに独善的でもあり、高校時代に事件を起こしています。104号室には、ニコチャンこと平田彰宏、理工学部の三年ですが浪人と留年をしているので25歳。もと陸上選手ですが、今は単なるヘビースモーカー。
201号室にいるのが双子のジョータ、ジョージ、こと城太郎、城次郎、社会学部一年、ともかく明るい性格。202号室には、キング、こと坂口洋平、クイズマニアの社会学部四年。203号室には、アフリカから留学しているムサ・カマラ、理工学部の二年、ただし運動経験なし。204号室は、王子、こと柏崎茜、漫画オタクの文学部二年。最後が205号室、神童、こと杉山高志、心優しい商学部三年です。
他に、竹青荘の大家さんで監督・田崎源一郎。皆に愛される犬のニラ。双子のことが好きな八百勝の娘勝田葉菜子。大人の風格を見せる箱根の王者・六道大の四年生、キャプテンの藤岡一馬。憎まれ役、榊浩介などがいます。
これって映画になるんでしょうが、絶対に面白いでしょうね。日テレが全面的に協力して。無論、しをんの母校である早稲田は当然、グラウンドを提供したりして。配役で悩むとすればハイジ。とりあえず六道大キャプテンの藤岡一馬は中村獅童で決まり。?なんだか『ピンポン』みたいになってきたぞ。ま、いいか、スポ根なんて基本はマンネリだから。

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紙の本

紙の本図書館内乱

2006/10/13 19:39

エンタメのツボをしっかり押えた作品で、ともかく上手さに舌を巻きます。おまけに出てくる人間が、面白い。無論、エンタメの枠に収まっていてです。これを嫌いって言う人は少ないかも

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「『図書館戦争』ってえ本があるらしいけれど、知ってる?」と突然聞いてきたのは、高三長女と違って、受験戦争までは間があり、のんびり遊んでいる高一次女です。勿論、知ってますが、読んでいないのは私も一緒。
ま、私が読むわけじゃなし、図書館でリクエストするか、とチェックすると千葉県は習志野地区では予約14人待ち(2006.10.1現在調査)、あらよ、そんなに待ってらんないよ、それならいっそ新刊で攻めたほうがいいじゃん、とまあ、初めて読むのが続編という、中途半端なこととなった次第。
でも、前作を読んでいなければ楽しめないか、っていえば、決してそんなことはなくて、例えば『ロッキー』でも『スターウォーズ』でも第二作のほうが面白い、しかもそこから始めたとしても何とか読める、っていう歴史的な真理があって、この作品もその法則に乗っ取っている、ああよかったと、ない胸をなでおろしたのがつい先日のこと。
で、いつもの伝で言えば、カバーイラストの適度なチープ感と、抜群の色彩感覚、振った視角から生み出される抜群の流動感、そしてミリタリー調のアーミーグリーンを上手く使って、タイトルの文字に砲弾の痕をあしらうなど、これは中々のものではないかと思えば、そのイラストは徒花スクモの手になるという、実はこの性別不明のアーチスト、第10回電撃ゲームイラスト大賞を受賞したときの名前がシイナスクモ、一体どうしてこんな名前に、とは思うものの、楽しいから許すかなどとエラソーに呟きます。
ついでに造本で言えば、これまたチープな感じが決して悪くはない。本の厚さからだけ見れば、多分、宮部みゆき『名もなき毒』とほぼ同じなのに、先方が500頁ならば、こちらは呆気なく350頁となんといっても紙質が違う、どちらかといえばコミックス系の軽いけれど厚みがあるもので、やっぱり狙いは若い人なんだろうなあ、結構、物理的にも軽いし、と天秤的観察。装丁・デザインは鎌部喜彦。
で、中身はと見れば、大きく五つの章に別れはするものの、基本的には連作というよりは一つの話で、恋と自由の問題がドーンと居座っていて、それをユーモアで上手に包み込む、その手腕は正直、私も舌を巻くような話で、これが電撃文庫のレベル?もしかして電撃ってターゲットはオトナ、それも活字中毒?なんて思いつつ、あとがきまで一気に読了、作中に出てくる『レインツリーの国』で新潮社とのコラボレーションもあるなんてえのは、正直、離れ技ジャン、よくもまあ、角川が呑んだなあと感心することしきり。
でお話を簡単に紹介
一、両親攪乱作戦:娘には女らしい職業について欲しい、と思う親に自分が超法規的検閲と戦う最前線部隊である図書特殊部隊と打ち明けられない郁の悩み
二、恋の障害 :小さい時からお兄ちゃんと親しんできた人に恋した少女が、高校生になって
三、美女の微笑み:美貌故に同性から排斥されてきた女が身を守るためにしたことは
四、兄と弟 :自分の野望のためには意見の異なる父親の地位を利用することも厭わない兄、それを嫌う弟
五、図書館の明日はどっちだ:自分のこころを相手に知られてしまった、乙女の恥じらい
エンタメのツボをここまで押えられちゃあ、たまりませんなあ、たしかにファウスト賞受賞者に見る前衛、実験、仕掛け、文体の冒険、タイポグラフィックな試み、なんてえのは、何処にもないんですよ、舞城王太郎的文圧も、京極夏彦的粘着質文味も、夢枕獏風自画自賛もない、シンプル&ストレート、これで勝負して勝っちゃうんだからエライ!筒井康隆先生の高みまでは行かなくても、ここまで読ませて、次作に繋げりゃ、十分すよ、って感じでしょ。

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紙の本

紙の本証拠は眠る

2006/09/12 20:41

どう考えたって、ソーンダイクのほうがホームズより論理的でしょう。緻密さでも人間性でも上でしょ。それがこの本でよく分かります

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

解説で森英俊が書いていますが、昔、創元推理文庫に『シャーロックホームズのライバルたち』という素適なシリーズがありました。で、高校生だった私は、何故かフリーマンの巻だけを買って、やっぱりホームズよりはいいよな、と感心した記憶があります。フリーマンを選んだのは、多分、乱歩の評論に彼の名前があったからだと思います。
で、それ以来読むこともなくきたフリーマンですが、それは面白くなかったからではなく、何故か彼の本が出版されなかったというそれだけの理由です。そこらへんの事情も、森の解説に出ていますが、こんなにもレベルの高い作品が80年近く訳出されてこなかったということ自体、日本のミステリの偏向ぶりを示すもの、としか言いようがありません。
カバー関連ですが、奥付に、装幀 スタジオ・ギブ(川島進)、とだけあって装画については記載がありません。このいかにも古き良きパリ(ロンドンと言いたいのですが、どうもオペラ座みたいなものが見えるので、テキトーに判断しました)らしい夕闇の都会風景のスケッチ、これも川島の手になるものなのでしょうか。で、折り返しの案内文です。
「夫の急死で悲しみに暮れる未亡人とその関係者たち。だが、その中の誰かが夫を毒殺したことが明らかにされる。未亡人の幼馴染であるルパートは、ソーンダイクに真相の解明を依頼するのだが、やがてそれが考えもしなかった結末へと連なっていった。誰が、いかにして夫を毒殺したのか。証拠はどこにあるのか。それも確かな証拠が。ソーンダイク博士シリーズの傑作長篇と話題を呼んだ逸品!」
となっています。全18章構成で、解説の「史上最高の科学者探偵」は森英俊です。
内容紹介はカバーの文で十分だと思いますから、主な登場人物を紹介しましょう。
主人公、というか語り手は、僕ことルパート・メイフィールド35歳、職業は法廷弁護士。事件で未亡人となったバーバラの友人で、ハロルドの遺言執行者の一人です。で、病気で死んだと最初は思われたハロルド・モンクハウスは57歳、病弱で父親の遺産で生活をしています。妻のバーバラは32歳で、少女の頃からルパートの知り合いです。で、兄ハロルドの体調を心配するのが弟で牧師のエイモスです。
ほかに、家族関係ではバーバラの義理の妹で4年前に病死したステラがいます。135頁に「僕が25歳、バーバラは確か22歳で、ステラは十六歳だった」とあることから計算をすると、彼女は22歳で亡くなっています。ステラは、ルパートの父の旧友の娘で、その母親が彼女を産んでしばらくして亡くなり、彼は2歳だった彼女を妹のように可愛がっていました。そしてステラの父キーン氏が再婚したのが、子供が一人いる未亡人で、その娘と言うのがルパートより三歳年下のバーバラだったのです。
他に、ハロルドの秘書で33歳のトニーことアントニー・ウォリングフォード、ウェストミンスター家政大学で教えている27歳のマデリン・ノリスなどがいます。彼女は学校で料理と厨房の管理を教えていますが、専門は病人食で、ハロルドの食事も作っています。
読んでいて気になったことを一つ。マデリンの位置付けが分かり難いんです。たとえば10頁に突然「マデリンは当然学校で仕事をしています」とありますが、20頁には「二人の女性が長椅子から立ち上がり、バーバラが両手を上げて近づいてきた」と、この文章からは、もう一人の女性は初めて会う人、と読めます。ところが実際には、彼女がマデリンです。
しかも29頁になると再び「バーバラからその隣の女性へと視線を移すと、二人の対照的な様子にうっすらと興味を感じた」とあり、これまたマデリンです。文学的な手法とか、トリックに関係してはいない様子ですから、訳文を工夫するだけで随分すっきりすると思います。作品のレベルが高いだけに、こういうちょっとしたことが気になります。

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紙の本

カエサルを扱った巻を除けば、一番分かりやすかったかかもしれません。なんたって、あの「背教者ユリアヌス」が登場するんですから・・・

10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

さてさて、10年以上読みつづけてきたこの塩野ローマ史も残すところ一冊になってしまいました。今年の暮には、最後の一冊が出てしまう。次は何を書いてくれるのかな、少し休養かな、でももっと塩野に教えて欲しいことがあるしなあ、なんて思います。で、今回のカバー写真、結構ショボイです。なんだ?このオッサンは、と思う方も多いのでしょう。それへの対策はちゃんとうってあります。
彼の名は聖アンブロシウス、ミラノの聖人に列せられるほどの人物だそうです。私、全く知りません。で、「読者に」のあとのほうで、何故この巻の表紙にアンブロシウスが選ばれたか、その理由が書かれています。要するに、時代を表わす顔なんですが、今までの雄々しい皇帝たちに対して、どこか卑しい顔つきですよね。それがキリスト教である、とは私の勝手な理解です。
本の構成を書いておけば、「読者に」に始まり、第一部 皇帝コンスタンティウス(在位、紀元三三七年から三六一年)、第二部 皇帝ユリアヌス(在位、紀元三六一年から三六三年)、第三部 司教アンブロシウス(在位、紀元七四年から三九七年)、年表、参考文献1、図版出典一覧6、ということになっています。
で、この時代がどんな時代であったのか、各部の章のタイトルからキーとなるものを書いておきましょう。まず第一部では、「コンスタンティウスとキリスト教」「ゲルマン民族」「ローマでの最後の凱旋式」。第二部では「ササン朝ペルシア」「「背教者」ユリアヌス」「対キリスト教宣戦布告」。第三部では「フン族登場」「「異端」排斥」「キリスト教、ローマ帝国の国教に」といったところです。
最初にキリスト教を公認したのが、後世から「大帝」の尊称づきで呼ばれるコンスタンティウスで、彼の死が紀元三三七年で、この巻で取り上げられるコンスタンティウスはその三男。で、ユリアヌスは甥にあたります。私だけなんでしょうが、カイサルのあたりを別にすれば、結構、名前だけは朧気に頭に残るんですが、人物相互の関係が意外と理解しにくかったりしていた権力者たち。でも、この巻だけはそこが理解しやすいです。
しかも、読んでいて思うんですね、いよいよ出たか「背教者ユリアヌス」って。そう、この本の中で塩野も言及している辻邦生の傑作『背教者ユリアヌス』、その人が第二部で出てきます。背教者、っていうのが如何に勝手な命名であるか、キリスト教の害毒というのは果てしないなあ、何て思うんです。
その道を開いたのが第一部の主人公・皇帝コンスタンティウスであり、その父親であるコンスタンティウス大帝です。そして、着々と布石をうって、キリスト教を世界宗教にし、現在の世界の混乱の元を作った男というのが、冒頭で私がショボイ、と書いた司教アンブロシウスです。裏に回って画策する官僚みたいな奴です。
ともかく、ローマとキリスト教の関係が手に取るように解ります。個人的に思うんですが、今まで出た14巻のなかでも読みやすさで言ったらベストではないかな、そんな気がします。なぜ20世紀が戦争の時代であり、21世紀がテロの時代であるのか。もし、ユリアヌスがあと10年生き長らえていたらこの悲惨はなかったのではないか、そうすれば黒船はなく、当然、鎖国も開国もなく、明治維新や天皇制や帝国軍人といった悪夢のような存在もなかったはず、なんて夢想もできます。
策士をアンブロシウス描いたモザイクはミラノ・サンタンブロージョ教会所蔵だそうです、装幀は勿論、新潮社装幀室。

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紙の本

紙の本ウォーターランド

2006/02/14 20:47

ちょっと出だしは、キングの『スタンド・バイ・ミー』ふうなところがありますが、それは最初だけ。あとは一族の興亡をじっくりお読みください

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「イングランド東部の低湿地帯フェンズ。川に浮かんだ少年の死体。川べりの醸造業者一族の浮沈、そして青春。学校を解雇されようとする教師がかたる血族の歴史」まさに純文学です。
それにしてもこの水辺の建物が静かなたたずまいを見せるカバー写真、相変わらず抜群のデザインセンスのクレストブックではありまあす。
とある理由で退職を勧告されている高校の歴史の教師トム・クリック。52歳の彼は、仕事を辞めることが決まったせいか、それとも心のうちから起きた衝動か、本来の歴史の授業を放棄して、自分の家族の話、そして地元フェンズの歴史を語り始めます。それに反発する生徒のプライスと、辞職を求める校長。
フェンズはイングランド東部の低湿地帯。干拓地であり、今でも固まりきってはいない土地です。その土地で干拓事業に携わるのがクリック一族。そこでの投資に成功し、ビールの醸造を始めたのがアトキンソン一家。しかし、富をなした一族も、その酒ゆえに没落をしていきます。
父親ヘンリー・クリックは兵役から帰り、体を壊したのですが、そこで母親と知り合い結婚し、以来川の水門の番をしています。それは1940年頃のことでした。トム・クリックは2人兄弟の弟です。母親はトムが未だ小さい時に亡くなり、兄のディックは、脳に障害があるという設定です。
父親が川で見つけた死体、それは当時15歳だったトムの友人フレディ・パーでした。トムとメアリが性の遊戯にふけるのを嫉妬の目で見ていたパーの死。事故で片付いた少年の死の背後にあるものは。そして、トムを誘惑するメアリをめぐる少年達の好奇心と、そこで行われた秘密の遊びが引き起こしたこと。兄のディックと母親が持つ秘密。そしてアトキンソン一家の興亡。それらがもたらしたもの。
時間は、現在と、トムの青春時代、そして母親の子供の頃、そしてフェンズの干拓事業の黎明期など、縦横に行きかいます。そこからおぼろげに浮かび上がってくるものは、まさに時代そのものです。私は大江健三郎の四国を舞台にした壮大な歴史絵巻を思い起こしました。
ともかく、訳文がいいです。といっても、話の構造の複雑さもあって簡単に読み飛ばせるような文ではありません。冒頭に死体が出てくるので、読み物色が強いかと思うと、全く違います。しかし、難解かというと決してそうでもない。時間をかけて、じっくり読んでいるうちに姿を見せてくるもの、その過程を楽しむ本でもあるかもしれません。
この本は、1949年生まれの著者の代表作とあり、ヨーロッパでいくつもの文学賞を取っているそうです。そして、この後「ラストオーダー」でブッカー賞をとったとあります。1983年に、イアン・マキューアーンとともにイギリス新鋭作家20傑に選ばれているそうですから、いかにもクレストブックとして訳されるに相応しい作家であり、作品といえるでしょう。

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紙の本

先日、WOWOWでロスト・メモリーズというSF映画を見ました。夫は、これは絶対に日本人が作ることの出来ない映画である、といいます。それはなぜか、それをTVはしっかりと映していました

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私はあまり戦争、特に日本が悪逆の限りをアジアの人のみならず同胞に対しても行った第二次大戦の話が好きじゃないんです。どう考えても天皇は悪いし、帝国陸軍は糞だったし、その片棒を担いだ当時の町会や教育関係者の行動を知れば知るほど気分が悪くなるんですね。
悪いことに、その人たちは証言する人がなくなったのをいいことに、歴史を自分たちに都合の云いように改変して、意気高々と「日本が悪かったなんてのは自虐史観だ」なんてのたまう。そういう強弁、というかペテン師のような態度が若い人々の意欲や正義感を失わせ、周辺諸国からは鉄面皮と思われていることに気付かない。
なんど口を酸っぱくして叫ぼうが、聞く耳持たないんですよ。自民党。若手議員もね。わかりますよ、だって彼らの父親って殆どが戦犯でしょ。官僚の親たちも。自分や自分の親が犯罪者なんて、沖縄の人に死を迫ったなんてことはなかったことにしたいってのはね。でも、だからって嘘つくかよ、それを告発するのが自虐かよ、って絶望します。だから、普段ならこの手の本は読みません。でも、つい手を出してしまった。大変でした。
なんていうか、私が常々云っていること、日本は本当にあの戦争を単に勝ち負けでしかとらえていない、それが徹底的に描かれます。靖国の欺瞞、それについて一言でも他国が騒げば「内政干渉である」でしょ。で、お調子者の国民がすぐそれに乗るんですね。この国のバヤイ。
娘たちとよく話すんですが、原爆を落とされたことは大変なことで、それについて国をあげて投下したことについて反省を求めることはいいんですが、ではどうしてそれが日本が行った行為への告発にはならないのか、と国民だって思っている。日本の原発はよくて北朝鮮がもてば悪い、っていうのは何なのか。
北朝鮮が日本人を、或いは韓国人を拉致した、これは非道である。彼の国が言を左右にして誤魔化している。そう日本人はいいます。その日本人が、中国や朝鮮半島から人々を強制連行したのは何なのか。日本政府は、植民地の人間は、即ち日本人である、日本人を連行しても同胞であるから拉致ではない、といいます。この答弁を国が行っている。そんな国にいて胸を張れますか。自虐何ていう前に非道国家であることをやめなさい!
そういう日本の姿勢、国としてのヤクザぶりをNHKはここまで真摯に描いていたんだ、と驚きの気持ちで読みました。そして、それをすら日本人自身が忘れよう、いや闇に葬り去ろうとしていることを知って胸が痛くなりました。あとがきに「実際、メディアの現場でも、意欲的な挫折のあとに、驚くべき自粛の波が押し寄せている。」とあります。
その一方で、あいもかわらぬ戦記映画は毎年作られ、世界の映画祭に出されることも無く、ただただ日本国内で、兵隊はお国のために戦ったことだけが語られます。自分たちがアジアで何を、国内で何をしたかには全く触れない戦史が出来上がっていくのです。自ら詭弁を弄しながら国民には口を出すことすら禁じる、それは過去だけではなく現在の日本でもあります。

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紙の本

紙の本誤読日記

2005/10/15 16:20

読んだ本については評価が殆ど同じ、ま、その根拠とする部分の深さは違うんでしょうが、案外フツーだな、なんて思ったりして。でも、私、SMAP、芋っぽくて嫌いだし

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シンプルなカバーデザインですね。白地を活かして、さり気無くタイトルを桃色に、そしてマットにレモンイエロー。上品で、日記というのがピッタリ。装幀は藤田知子、装画は大高郁子。で、斎藤がここで取り上げる本の冊数は170冊。で、今回の本のタイトル「誤読」は、深読み、裏読み、斜め読みといった世間で知られている誤読法に、さらに、見取り読み、脱線読み、やつし読み、鳥の目読み、虫の目読み、探偵読み、クロスオーバー読み、ひらめき読み、カウント読みなどもあるそうで、それらを駆使しながら様々な本を楽しみ尽くそうということのようです。
誤読、と斎藤はいいますが、私に言わせれば、そうではありません。作者の意図を汲んで読むのが正読、なんて戯言は日本の歪められた学校教育の中だけの話。大体、作者自身が自分の作品を読み解いてはいないのですから、読書に正読があるわけがありません。読書の本質は、読んだ人の数だけの読み方、解釈がある、ということです。
私の人生を変えた作品といえば、まず乱歩の『一枚の切符』です。これによって、私は常識というものがいかに底が浅いものであるかを知りました。次はレーニン『国家と革命』、これで国家というものが故郷でもなんでもなく、ただ収奪する組織であることを学びました。そして『水滸伝』で、反逆というものの正当性と悲劇に出遭ったわけです。
閑話休題、斎藤は自分が読んだ本を7つのジャンルに分けて、各々約2頁でその面白さを伝えてくれます。
私が読んだ本を数えますと、1のタレント本はゼロ。私には、そういう本で時間を潰しているヒマはありません。なんと2の幸せ本もゼロ。幸せには縁が無い、というか・・・。3の暮らしの知恵ですが、これもゼロ。4の出版文化篇で、やっと一冊、養老孟司『バカの壁』。5の文学では、さすが多くて、村上龍『共生虫』、藤田宜永『愛の領分』、横山秀夫『半落ち』、舞城王太郎『阿修羅ガール』、村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、桐野夏生『グロテスク』、横山秀夫『クライマーズ・ハイ』、歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』、松本清張『砂の器』。6の子供の本は、おお、ここにあったか片山恭一『世界の中心で愛を叫ぶ』ことセカチュー一冊。7のニュースはゼロ。ということで11冊でした。
で、読んでいないけれど、特に手を叩きたくなったのが、永六輔『嫁と姑』、板垣英憲『田中眞紀子が天下をとる日』、田中萌子『知事のセクハラ 私の闘い』、三浦珠門編著『「歴史・公民」全教科書を検証する』でしょうか。
私が読んだ本でも、殆ど評価は一致。『バカの壁』が売れるようじゃあ、日本人の白痴化も進んだものです。『愛の領分』にみる作家の自慰、『半落ち』なんて中途半端な作品を褒めちゃあいけませんぜ、『グロテスク』はやはり女が読まなくちゃ、次の本命は舞城王太郎でしょ、なに『セカチュー』なんて、とどれも私の評価と殆ど一緒。喜んでいいのかは疑問ですが。
ま、評価が違ったのはSMAP、特に草薙に対するそれですね。斎藤さん、ちょっと甘すぎるんじゃないの、と思いますね。
ともかく、老人大国化しつつある日本ですから、書いている側も読む側も相当ボケが入っています。それがわけのわからないベストセラーを生むわけで、老人主体の恋愛小説の全盛となるわけです。とりあえず、老人には金と権力だけはあるわけですから、自分の妄想が一人歩きします。特に男性にそれが強い。それにしても、石原慎太郎、こんなに愚かだったのか、記者会見見れば完全に記憶が衰えているのは分るし、ろれつも回らないし、鈴木さんのほうが健康だったな、と思いますね。

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紙の本

紙の本黄泉がえり

2002/12/30 16:43

家族の誰もが読んだあと、よかったねといえる本なんてざらにあるもんじゃあない。その奇跡の一冊

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500頁弱の本なので新幹線で読むには最適だと思ったのだが、ちょうど半分くらいのところで泣き始めて、後半は涙が止まらなくなってしまった。読み終わって30分、引きも切らずこみあげてくるものがある。こんな内容の本だなんて分っていたら、人前では読まなかったのに。嬉しくて娘や友人に本を廻したら、皆、内容の暖かさに感激していた。もし映画を見る予定があるなら、絶対に原作を先に読んで欲しい一冊。

もし、あなたの最も大切な人が、亡くなった時のままの年齢で健康になって生き返ってくれたら、どれほど嬉しいことだろう。この設定自体は目新しいものではない。登場人物たちも等身大の人たちばかり。お調子もので、書店のレジ係りの相楽玲子に熱をあげる中岡秀哉。歌手マーチンを好きな警備員の三宅義信。熊本の冠婚葬祭の用品を扱う企業の課長で、中岡の上司 児島雅人、高校時代に声をかけてくれたギタリストを忘れられない斎紀遥子、記者の川田平太、彼らの家族、熊本の市長。彼らが、遭遇する不思議にどう向かうかが、本当に自然に描かれている。

夥しい登場人物はみな極めつけの善人。普通であれば、それだけで違和感を抱かせてしまう。気負いが全面に出て、説教臭くなり現実から遊離し、嘘だと思わせてしまう。それがこの本にはまったくない。政治や社会を大上段に批判する、といった構えたところもない。文章は癖のない、内容とバランスが取れているもの。これだけ上手く纏まっているのに、新聞の連載小説というのだから驚きだ。

梶尾は『地球はプレイン・ヨーグルト』、『おもいでエマノン』そしてある意味で今回の本の影とも言うべき『Okage』と読んできたが、「化けた」としか言いようがない。電車の中でこれほど泣いた本は、北村薫『スキップ』以来。そういえば、あの本も異常な状況下に置かれた少女の決心が、爽やかだった。よく、娘に「悲しくもないのに泣いては駄目、嬉しければ笑い、悔しければ地団駄をふみなさい」と言うのだが、間違いだった。美しい心に出会っても、涙はこぼれる。天からの贈り物とでもいいたい、ロマンという言葉がピッタリの一冊。つまらないキャストで映画化されて、この本の評価が下がらないことを心から祈ります。

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紙の本

紙の本北斎決定版

2011/08/30 20:41

世界に誇る日本の画家といえば、実は村上隆でも写楽でもない、実は北斎なんです。その北斎の名画の数々を原寸に近いサイズと鮮やかな色彩で、しかも扱いやすい雑誌タイプで見せてくれる本がこれ、ちなみに私のお気に入りは「百物語 さらやしき」かな、ベロ藍の色も鮮やかで・・・

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そんなこと決めて意味があるのか、って聞かれると困るんですが、世界の十大画家というのがあります。たまたま私が見たサイトで選ばれたのは、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ルーベンス、ベラスケス、レンブラント、ターナー、ゴッホ、モネ、ピカソ。フェルメールやセザンヌがないぞ、とかボティチェリはどうなんだ、欧米人偏重の選出だとか異論はあるでしょうが、でもターナーについてはともかく他は一応は納得できるのではないでしょうか。

ところが世界の有名な絵画、と視点を変えてみると面白いことがおきます。この場合、さすがに10作品に絞ることは難しいようですが、十大作家のものはターナーを除いてそのまま入ってきます。それに、時代の影響でしょう、フェルメールのように近年、評価があがった画家やポロックのようなアメリカの現代作家の作品も姿をみせます。そして欧米人以外から一点だけ選ばれたのが北斎の「神奈川沖浪裏」です。「モナリザ」と「神奈川沖浪裏」をトップにあげる人もいるほどです。

日本人にとっては、北斎より写楽のほうが上という思いがあるような気がしますが、外国人にとってはそうではなさそうです。ちなみに、たまたま知人から贈られてきたオークションのカタログに、前述の世界的に有名な作品「神奈川沖浪裏」が出ていました。エスティメイト価格は4000万~5000万、落札価格は分かりませんが、私が知る浮世絵としては予想外に高い値付けでした。感心したのは作品についての説明文です。
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浮世絵には、今日まで伝わる過程で余白部分が切り落とされてしまう作品がしばしば見られるが、本作品はオリジナルのサイズを保っているため、大判錦絵本来の魅力が伝わる。この画題は、メトロポリタン美術館や東京国立博物館など多くの美術館に収蔵されているが、本作品はそれらと比べても、空に施されたぼかしのピンク色がより良い状態で残る極めて貴重な一点と言えよう。
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ちなみに、浮世絵の色については、保存状態によってかなり差が出て、娘の知人などは月岡芳年の作品を額にいれて飾っていて、あるとき専門家に見せたら、買値の1/5の値しかつかなかったといいます。その理由が、色あせがあるから。好きな作品を毎日見て楽しんでいた本人は少しも後悔していなかったそうですが、薄い色はかなりの確率で褪せます。所蔵家がおいそれとは美術館や出版社に作品を貸さない理由はそこにあります。

閑話休題。2010年は北斎生誕二五〇年でした。実は、私、この本を手にするまで、そのことを知りませんでした。改めて調べると、浮世絵 太田記念美術館で『生誕250周年記念 北斎とその時代』、那珂川町馬頭広重美術館で『葛飾北斎生誕250年記念展―冨嶽三十六景と風景画―』、すみだトリフォニーホール『北斎の音楽(おと)を聴くII「人形浄瑠璃でみせる北斎の世界」』などそれに相応しい展覧会があったようです。

2011年に入ってもすみだリバーサイドホール1階・ギャラリーで『生誕250年記念 「北斎のバードアイ」展 』が、そのあと三井記念美術館で『特別展 ホノルル美術館所蔵「北斎展」』と続きます。でも、こういってはなんですが、三井記念美術館を除けばどれも聞いたことも無い施設ばかり。自分の無知をさておいて、やはり国立博物館クラスでの企画でないと社会的認知度はぐっと低くなるというのが現実ではないでしょうか。

ちなみに東京国立博物館で、特別展 北斎展が開かれたのは2005年です。五年後に生誕二五〇年がくるのが判っているのに、なぜそんな中途半端な時期に? なんて思ってしまいます。しかも、なぜか北斎生誕二五〇年の余韻が残る2011年の特別展が〈写楽〉というのですから首を傾げたくなります。おまけに会期が三井の北斎展とカブる。ま互いに盛り上げて多くの人が浮世絵に親しめば、それはそれ、素晴らしいことなんですが・・・

ついでに触れておけば、実際の浮世絵版画の多くは、約26×38cmという大きさ。これはあくまで商取引上の話ですが、一般的に画商が扱う絵の基本サイズ10号(53.0 x 45.5)に対して、面積でいえば半分以下の大きさ、ともかく小さいわけです。教科書の小さな図版と、ポスターで使われる大きな図柄しか見ていない私は、実物の小ささに呆れた記憶があります。海外作品の多くが思っているより大きいのとは全く逆です。

画集にある程度の大きさが求められるのは、そのような実物との溝を少しでも埋めるためです。たとえば、約26×38cmの浮世絵であればA4サイズで見開きにすれば原寸で本に収まります。見易さを考えて一頁に収めても、70%くらいの縮小率ですからほぼ原寸です。つまり、浮世絵を楽しむには大型本が絶対の条件になります。とはいえ、原寸で一頁に収めた上製本では、扱い難いうえに高価になる。その欠点を満たすのが雑誌形式・ムックで、代表的なシリーズが別冊太陽、ということになるのではないでしょうか。おまけに、この本、実に印刷がいい。出版社の HP を見ると、
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浮世絵界の巨人、葛飾北斎の生誕250年記念号。90歳で没するまで描き続けた膨大な画業を主題別に最大公約数的に網羅し、代表作や本邦未発表作品を含む300点を掲載。
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とあります。念のため巻末の掲載作品リストを数えると199点しかありません。これは数え方の問題でしょうか。それはともかく、今回の本はそのまとめ方に大きな特徴があります。目次を見ればわかりますがテーマ別です。そのため傾向が掴みやすいし、絵も探しやすい。そのかわり、作品の年代別変遷が分からず、70歳を超えてから傑作をいくつも生み出した北斎の本当の凄さが伝わってこない。内田千鶴子の『宇宙をめざした北斎』でそれを補うのがベストです。

さらに言えば、藤沢周平全集第一巻所収の「溟い海」と「旅の誘い」を読むことをお薦めします。前者は、息子の借金取りに追われる北斎の晩年の姿と広重に対する対抗意識が、後者は広重に風景を扱った浮世絵を書かせようとする版元の想いと、広重の北斎への思いが描かれた話で、併せて読めば二人の作品への理解と興味が一段と深まります。

ともかく、個別作品の解説は要領よく短くまとめられていて、なにより数多くの作品を鮮やかな色で楽しむことができる本です。雑誌スタイルですから気軽に扱えるのも嬉しい。この本を見て、北斎の偉大さを知り、興味をかき立てられた方は是非、近所の博物館に足をお運びください。私のお薦めは東京国立博物館の常設コーナー。北斎、広重、歌麿、清長の作品であれば一点以上が、いつでも展示されています。おまけに見ている人が殆どいないのがありがたい。

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紙の本

こんなに中身の濃い本が700円とは。しかもです、読みやすくて得るものは多い。無論、プロの人には物足りないかも。でも、同人誌を作っている人、編集をやりたいと思っている人、いえ、読書がすくな人なら誰だって楽しめて、本を見る目が変わります。編集者って、エライ!

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新潮新書は、たった二冊で他の新書を超えてしまった、私はそう思っています。一冊は、この間読んだばかりの北村薫『自分だけの一冊  北村薫のアンソロジー教室』。今、思い出すだけでも、感動を新たにします。そしてもう一冊が今回取り上げる『編集者の仕事』。実は、私、長い間本を読んできていますが、編集者は、あくまで本全体の企画をしてまとめるだけの人だと思っていたんです。

ところが、桜庭一樹の『読書日記』を読んでいると、桜庭、毎日のように編集者と会っているじゃないですか。昨日は東京創元社、今日は講談社、明日の予定は文藝春秋とかね。一体なんだろう、これは、って思うわけです。だって、夜毎ですよ。いや、昼もですけど。出版社に入り浸って打合せして、食事して、お酒飲んで。執筆と同じくらい編集者との付き合いに重きが置かれている。

そんな時に読んだのが、新装なった新潮選書の『北村薫の創作表現講義』でした。これはまたこれで凄い内容で、目からウロコでしたし、この一冊で他社の選書を凌いだとおもわせる出来。で、その中に本の編集者の役割が書かれていて、そこに描かれる編集者は殆ど作者の分身に近く、編集者なくして作品はありえないといえるものでした。場合によっては、装幀者の領域をすらカバーするという超人ぶりなのです。

どうも、編集者というのは私が考えていたものと大分違う仕事をしているようだ、そう思い始めたときに出たのがこの本。なんというタイミングのよさ。で、早速読んでみると、ためにならないことは一つもないという有り難い本。とはいえ、ここに書かれていることは多分、編集者にとっては当たり前過ぎるほどに基本的なことばかり。でも、それをここまで噛み砕いて丁寧に説明してもらって、新書一冊、税別700円は安いとしかいいようがありません。装幀関係の高価な本を買う前に、この本に目を通すだけでも、本というもののあるべき姿が見えてきます。特にためになったことを書いていきましょう。

まず、「スピンがない!」です。「スピン」とは何か、それは巻頭の【書籍各部の名称】を見れば一目瞭然、私が普段「栞」と呼んでいるヒモのことです。これを付けることが本の価格だけではなく体裁を決めてしまいます。特にそれが顕著なのが軽装本。文庫や新書。新潮文庫は天が切り放しになっていて、スピンがついているのに対し、講談社文庫は三方がきれいにカットされていて、スピンのかわりに紙の栞が挟まれているか、それがよくわかります。これがわかると、天が切り放しなのに紙の栞をはさんでスピンを省略している岩波文庫の中途半端さが目立ってきます。

「編集の魂は細部に宿る」は、すべてが必読。知人が同人誌を作っていたことがあって、それが何となく読みにくかったのですが、この本の「余白は無用の用」「新潮新書が39字組の理由」「ノンブルは小口寄りか中央に」を読んでいれば解決できたな、と思います。次は〈もくじ〉です。私は目次の工夫も味わうほうで、そこで使われた小技に唸ることが多いのですが、それが編集者の仕事であるとは思いませんでした。ま、ここらは装幀家との役割分担によって必ずしもどちらがやるというものではないのでしょうが、本を楽しむということはこういう細部も味わうことでもあります。

それから、数字表記とカタカナ表記の問題。案外、一冊の本で滅茶苦茶になっていることが多い。無論、間違いではないのですが統一したほうが美しいに決まっています。数字は特に厄介、とありますが、厄介なのではなくて著者と編集者が意思を疎通させれば簡単に解決できるもんだいでしょう。でも、基本は著者の意識。

あとは校正私がイメージしていた校正というのは、あくまで著者の文章をきちんと活字にする職人的な仕事で、明らかな間違いを指摘する、というレベルのものでしたが、それは仕事の一部に過ぎないそうです。誤字の指摘などは瑣末な作業で、どちらかといえば文章そのものの正否、書かれている内容の妥当性を、数種類の辞書や、様々な記事などから検証し、文章を正しいものにしていくんだそうです。それって作家の仕事だと思っていたのですが、校正の分野なんだそうです。いやはや、並みの頭でできる仕事ではありません。北村薫が編集者を褒めるわけです・・・

それと、活字です。私は明朝体が好きなのですが、それは単に趣味の問題だと思っていましたが、読み易さ、日本人にとっての可読性の高さ故に選ばれている、なんて言われるともう、他の字体を使う気がしなくなってしまいます。それと欧文書体。ファミリーだけで一千種と聞いただけで敬遠したくなりますが、基本は欧文の明朝ともいわれるセンチュリー・ファミリーだそうです。ともかく、明朝とセンチュリーを抑えろ! です。

そして「装幀は正しい表記か」です。出版社には各々傾向があって、柴田がいた新潮社は「装幀」を使い、自社に「新潮社装幀室」があります。それに対し角川書店は「装丁」で「角川書店装丁室」を持っています。私は「幀」の字が難しいので、こちらが正式だと思っていたら、そうではなくて「装丁」が正しいようです。まれに「装釘」「装訂」などがあり、私などは「なんじゃそれは?」なんて書いていますがいずれも正解ではありません。書誌学の長澤規矩也の言葉として

「幀は音トウで、テイとは漢字の旁の音で読んだ百姓読み。装幀は、書画を掛け物や額に仕立てることである。釘や幀を使うくらいなら、今日では、装丁と書く方がよろしい」

というのがあるとか。でも柴田はそれを承知で「装幀」を使います。私は取り敢えず、出版者ごとの表記をそのまま書評で使いますが、いやはやです。ジャケットとカバーの意味の違いもここでしりましたが、新潮社でもジャケットをカバーと表記しているので、ここはこだわらずに行きましょう。天金が埃よけの意味を持っているなどは初耳。

で、こんなに分かりやすい内容の本ですが一か所だけ気になるところが。それは最初のほう、「本を左右に引っ張って」の次の一文
            *
 ハード・カバーの場合、専門用語を使えば、「背固め」も開きと関係します。これには少し説明が必要でしょう。世固めとは本文紙と表紙の裏側との接着方法のことで、多くは両者の間に空きを設けた「ホロウ・バック」になっています。両者を密着させた「タイト・バック」、本文紙と表紙の裏側を密着させた「フレキシブル・バック」もありますが、現在ではあまり見かけなくなりました。開きという点でホロウ・バックがもっとも優れているからです。
 ともかく、ノドのきつい本は読みにくい。編集者は本文組とその刷り位置を慎重に決め、造本や本文紙にも配慮しなければならないのです。
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このなかの「ノドのきつい本」、これが分かりません。なんとなくわかった気になって読んでしまう人が多いかもしれませんが、私はここに引っ掛かりました。こればかりは、映像で説明してもらう必要があるかもしれません。でも、です、ホロウ・バックなんて、格好いいですね、確か、B・プロンジーニの小説に『ブロウ・バック』というのがあった気がしますが、それを思い出しました。

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