酔葉来(ヨッパライ)3号さんのレビュー一覧
投稿者:酔葉来(ヨッパライ)3号
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紙の本理想の国語教科書
2002/09/06 10:49
著者の名文崇拝に疑問
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小学校の中高学年生を対象に、「最高レベルの日本語の散文に数多く」触れさせることにより「言葉の力、文章の力をからだの奥にまで染み込ませ」「日本語力、教養、倫理観など」を鍛えることをねらいとする本書には、著者の斎藤氏が「これまでの人生で出会い『感動』を受けた」「すごみのある名文」、「他者に対する想像力を育て、感情を豊かにし、生きる勇気を鍛えてくれる」「本物の迫力ある名文」31編が収められている(以上P. 8、11、318、322より)。
しかし、国語(母国語)教育の主要な目的はコミュニケーションの道具としての言葉(言葉の機能はもちろんこれだけではないが)を理解し操る能力を身につけることであると考える私は、斎藤氏の単純な「名文」崇拝に強い疑問を感じる。
そもそも、いわゆる「名文」なるものを、私はあまり好まない。「力のある言葉」「すごみのある文章」などといわれると、つい警戒心が先に立つ。ヒトラーの演説は大衆を動かし、歴史を動かした。シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』(アントニーの追悼=煽動演説)や本書に収められた『マクベス』(夫人の殺人教唆)もまたしかり。「言葉の力を教えるのが国語の最重要課題」(P. 329)なら、言葉が凶器となりうることも同時に教える必要があるだろう。
斎藤氏が「名文」にこだわる理由は、彼が「生の美意識=倫理」と考えていることと関係ありそうだ。「たとえば、道ばたに唾を吐くことは、それがマナーに反することだとされているからしないというのではなく、自分の生の美意識に反するからしないというときに、真の倫理となる」(P. 323)。このような考え方は倫理に関する議論を拒絶する態度につながる。例として挙げられた「これからは人をそそのかして物を盗ませたりしちゃいけないよ。どうしても悪いことをせずにいられなかったら、人を使わずに、自分一人でやれ。善いことも悪いことも自分一人でやるんだ」という坂口安吾の「教え」は、斎藤氏によると「子どもたちにもよくわかり、人気が高かった」「子どもたちの心の琴線に触れた」そうだが(P. 56、324)、この「教え」に疑問を抱く生徒はほんとうに一人もいなかったのだろうか。質問できるような雰囲気ではなかった、ということでなければいいのだが…(斎藤氏が主宰する音読教室では、子どもが重要と思う個所に自由に線を引かせるがその理由は問わず、一方、その中で斎藤氏が最も重要と思った個所には全員に線を引かせるらしい)。
いつの時代にも「力のある言葉」で「感動」や「勇気」や「正義」を語る「指導者」は人気がある。子どもたちには生の美意識よりも、言葉の力に惑わされない粘り強い思考力をこそ、身につけさせるべきだと思う。
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