ヲナキさんのレビュー一覧
投稿者:ヲナキ
ナショナリズムの克服
2002/12/18 16:31
これは高尚な漫才である
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
いざ投稿しようと思ったら<のらねこ>さんに先を越されていた。あまりに秀逸な書評だったので自分の書いた文章が急に恥ずかしくなり、投稿に二の足を踏んでしまった。にもかかわらず書評を送ってしまったのは、「せっかく書いたのだからボツにするのは勿体ない」という気持ちと、「こんなに面白い本はぜひとも宣伝しておかねばなるまい」という変な使命感からだった。
<ナショナリズム>という少々厄介な題材を扱った対談集も、この森巣博というエンターテイナーの手にかかれば高尚な漫才の台本へと変わる。森巣氏がときに道化役となり、わざと卑俗な方向に話を脱線してくれることで、ボクのように無知蒙昧な読者も姜氏の展開するアカデミックなナショナリズム概論に難なくついていくことができる。「スポーツ新聞を読んでいるオッサンにも理解できるように、<ナショナリズム>の問題を姜先生に易しくレクチャーしてもらう」という氏の企図どおり、痛快な二人の語り口にぐいぐいと引き込まれてしまう。その絶妙の掛け合い、テンポの良さが、軽妙洒脱な東京漫才を思わせる。
特に、森巣氏が戦後の日本人論の変遷を独自の<ち〇ぽこ・モデル>を使って揶揄しているくだりがめちゃくちゃ笑える。めざましい経済成長によって自信を回復した時代に現れた日本人論が「俺のち〇ぽこは大きいぞ論」で、その尊大な態度はバブルの崩壊とともにやや謙虚な「俺のち〇ぽこは硬いぞ論」へと修正される。しかしイチモツというのは常時元気なわけではないから歴史的なバックグラウンドでその危うさを補完しようとしたのが「俺のち〇ぽこは古いぞ論」。それでは物足りないとばかりに、文化ナショナリズムを「俺のち〇ぽこは繊細だぞ論」だと称する姜氏の発言も可笑しいが、「それは早漏と同義じゃないですか」と悪ノリで返す森巣氏がまたイカしている。
「なにゆえに日本人は自らを特別な民族とみなすのか。」その脆い論拠を突き崩し、荒唐無稽な単一民族幻想を糾弾する。在日韓国人としてナショナリズムの狭間で苦悩してきた姜尚中氏と、国際的ギャンブラーとして数十年間外部から日本を見続けてきた越境者:森巣博氏だからこそ、その言説には実体があり説得力が感じられる。こんなに明解でタメになる本には滅多とお目にかかれない。姜先生に関して言えば、他にも吉見俊哉氏との共著『グローバル化の遠近法』(岩波書店刊)というマストな一冊があるので、ぜひ本書と併せてチェックしてほしい。個人的には後日、森巣氏の著作を読み漁ってみたいと思う。
シングルモルトを愉しむ
2002/12/12 12:58
寒い冬の夜に
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ボクは観ていなかったのだけれど以前『水曜日の情事』というTVドラマがあって、その中で毎回、キレ者の文芸編集者を演じる本木雅弘がモルトウィスキーについて蘊蓄を垂れるシーンがあったそうだ。このドラマを観ていた職場の同僚は「あれってアノ本に書いてあったんそのままパクってるやん!」と息巻いていた。
アノ本とは土屋守著『モルトウィスキー大全』のこと(ちなみに土屋氏は日本にモルトウィスキーの存在を知らしめたパイオニアであり、「世界のウィスキーライター5人」にも選ばれたスゴイ人物)。洋酒に携わる商売をされている方々やモルトに関心のある左党であれば、マイケル・ジャクソン(例の方とは別人)氏の著作とともに必ず参考にしていると思われるバイブルである。ボトルごとに見開き2頁を使ってカラー写真や蘊蓄、蒸留所・テイストの特長などを記述した贅沢なガイドブックだが、この本のマニアックな要素を抑えて初心者向けのウィスキー解説書として書き下ろしたのが本書である。ウィスキー誕生の歴史や製造工程などを、面白いエピソードをふんだんに交えながら説明してくれる。その文章からは氏のウィスキーに注がれた愛情がひしひしと伝わってきて、読んでいるこちらも嬉しくなる。新書サイズとはいえ情報が凝縮されているのでかなりお得。巻末にはミニ・ボトルガイドまで付いている。酒造工場へ見学に行っても、試飲室に直行されるような向きにはぜひとも読んでいただきたい。
土屋氏は言う。「(中略)決して敷居の高い酒ではない。広告では落ち着き払った、いかにも<上質を知る>といった演出がなされるが、私はシングルモルトを一部好事家の独占物にしておくのはもったいないと常々思っている」(P3より抜粋)。うん、本当にそうなのである。シングルモルトはいろいろな表情を持ったとても個性の豊かな酒で、値段は多少高めだけれども一度その味を覚えたら、大量生産の安価なウィスキーなんて飲めなくなる。モルト未経験の方は一度お近くのバーでお試しあれ。冬の寒い日の晩に、荒涼としたスコットランドの風景を想像しながら飲むウィスキーはまた格別である。
それにしてもモルトウィスキーが広く膾炙されるのは歓迎なのだが、ワインブームのような浅薄な流行にはなってもらいたくない。女性経由のブームはお追従型の犬男たちの関心をも誘導してしまうので、対象がスポイルされがちである。かといってどこかのハードボイルド作家連中のように、「男の酒」を気取って飲むのもどうかと思う。ひっそりと末永いおつきあいをしていきたい酒である。
類語大辞典
2002/11/22 17:13
講談社VS角川書店
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類語辞典とは似たような意味の言葉をある分類基準に基づいてグループ化した辞書のことで、各語には簡単な意味と用例が付されている。たとえば「書評」という言葉で辞書をひくと同じカテゴリーから「評」「批評」「論評」「時評」「コメント」などといった類義語を芋づる式に参照できる。文章を書く際に「同じ言葉の重複は避けて別の語を充てたい」と思っても、なかなか他の表現が浮かんでこないことが多い。そんなとき非常に重宝するツールです。bk1に書評を投稿されているような方ならぜひとも手許に備えておきたい辞書ではないでしょうか。
英語のシソーラス辞典はわりと存在すると思うんですが、日本語におけるこの手の類書というのはこれまであまり出版されてきませんでした。まずは角川書店から出版されている『角川類語新辞典』という定番辞書とデータ比較してみましょう。
形態:講(23×16cm)VS角(21×15cm)、
ボリューム:講(1495p)VS角(932p)、
語数:講(見出し語数−7万9千語)VS角(収録語数−6万語)、
書式:講(横書き)VS角(縦書き)、
文字の大きさ:講(大きめ)VS角(小さめ)、
語句説明:講(多め)VS角(少なめ)、
値段:講(6,500円)VS角(5,100円)
初めて類語辞典の購入を検討されている方もこのデータを参考にしてみてください。どちらを選ばれても損はしないと思いますが、2冊ともは必要ないと思います。ちょっと使い比べてみた感触だと、角川版でも全く遜色がないような気がします(数年使ってみないと本当には比較できないですが)。ボリュームの差異(現代用語が増えた分の違い?)ほどには機能的に劣らないように感じたので、既に角川版をお持ちの方はあえて買い直す必要はないと思います。もちろん分類や配列といったコンセプトは両者異なるので、懐に余裕のある人は買ってみても面白いかもしれません。
「ほしい言葉がきっとみつかる」というコピーはちょっと大袈裟すぎるかな。調べものが辞典(事典)に載っていないときに感じるのと同様のフラストレーションはきっと生じると思う。しっくりとくる表現を探し当てるためには、類語辞典ではなく、最終的に自分の頭の中にこれまで蓄積してきた言葉のアーカイヴから抽き出してこなければいけないような場合も多いのでは。ただ手許に置いておくとずいぶん安心感がありますね。
ライドライドライド
2002/10/16 15:55
汝、姦淫しすぎるなかれ
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週刊誌の巻頭を華々しく飾るグラビア写真。片隅に小さくクレジットされた写真家の名前をチェックしてもらいたい。そこに藤代冥砂という名前はないだろうか? たとえ可憐な少女が被写体だとしても、その写真からはどこかしらエロティックな匂いが感じられる。しかし、その仄かなエロティシズムは被写体から発せられるものではなく、写真家の眼差しのなかに潜んでいるような気がする。「エロである」ということは女性を撮る写真家にとって必須条件だ。この人も然り。女性の魅力を抽き出す手腕は、篠山紀信より上じゃないだろうかと思う。なかでも印象的だったのが、CMでもお馴染みの高橋マリ子ちゃんの写真集『太陽とハチ蜜』。こちらを見据える視線にドキリとさせられる。
さてこの本だが、月刊『SWITCH』で連載されていた旅行記を一冊の本にまとめたものである。著者のオリジンが随所に垣間みえて興味深い。内容はタイトル通り「乗って乗って乗りまくれ!」である。なにに乗るかは言わずもがな。素人・玄人問わず、旅先であらゆる人種の女の子にまたがるのだ。中国、タイ、インド、トルコ、キューバ、南米、と迸るリビドーだけが彼を次なる目的地へと駆り立てる。まさに日出る国のケダモノだ。この本を読まんとする男性諸氏は間違いなく羨望し嫉妬することだろう。しかし、ここまであけっぴろげな旅の性遍歴だとむしろ痛快ですらある。
「酒場でバーボンの壜を股に挟みながら女の子を口説いているようなジジイになりたい」。うろ覚えだが、確か彼はそのようなことを後書きに書いていた。こんな科白に感応した諸兄は買いの一冊だ。値段も安いし、写真も豊富。そして文句なしに面白い。
白い果実
2004/10/01 20:37
R18指定の極上ピカレスク・ロマン
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なんと読みごたえのある小説だろうか!件の喜ばしい満腹感に浸れる経験など久しく記憶にない。三浦建太郎『ベルセルク』や古川日出男『アラビアの夜の種族』にも通じる黒い密度を有した幻想世界にカフカを彷彿とさせる諧謔をちりばめたユニークな教養小説との出会いが、近頃醒めていたボクの小説渉猟欲を再燃させる契機となった。
かくも興奮させるこの物語は、一人のカリスマ君主の手になる高度に発達した観相学と独自の科学技術によって統治される帝国を舞台としたファンタジーである。その独裁者ビロウが自らの幼稚な妄想を具現化させた美麗な都市<理想形態市>から、主人の命を受けた一級観相官クレイが、とある事件の調査のために辺境の属領アナマソビアへと出立するところよりこの奇妙な冒険譚の幕は開ける。当地の聖教会に<旅人>と呼ばれるご神体とともに祀られていた<白い果実>を盗んだ犯人を捜索するのが彼の任務であった。いつまでも腐敗せず一度口にすれば不死身になるとも噂されるその霊果の行方をつきとめるため、クレイは被疑者たちに対して観相学という名のロンブローゾ的鉈をふるう。超絶ヒール:ビロウの掌の上で躍らされる小悪党のクレイであったが、彼の身に次々と降りかかる災厄のなかで、次第に自らの驕慢さと犯した業の深さを悔い改め、物語は後半、贖罪の旅へと転じていく。
不測のストーリー展開や非凡な舞台設定もさることながら、主役から端役に至るまで際立ったキャラたちが読者を魅了する。躍動感あふれるコミカルな所作や見事なかけあいに頁を繰る手が止まらなくなる。しかし、大人社会のエゴや不条理、背信、妄執、駆け引きなど、ビターな味わいが盛りだくさんなので、無害なファンタジーを読み馴れた青少年の情緒レベルでは、この小説の毒を笑いで中和できるのかと、お節介な懸念が先行してしまう。あえて標題にR18指定と冠したのは、なにも惹句というばかりではない。
ヘンリー・ダーガー非現実の王国で
2002/12/12 00:10
アール・ブリュットの王国へ
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思いがけなくヘンリー・ダーガーの絵に遭遇してからもう10年近く経つ。当時定期購読していた雑誌をパラパラとめくっていたら、とんでもない映像がボクの網膜に飛び込んできた。「暴力とエロスの嵐の中で」と題された都築響一氏の手になるその記事には、一枚の絵が大きく見開きで紹介されていた。そこには、どことなくアメリカ南北戦争を思わせる舞台設定のなかで、大人たちが情け容赦なく素っ裸の少女たちを絞殺する様子が描かれていた。表情に乏しい(だがどこか嬉々とした)大人たちとは対照的に、少女たちは目を剥き・舌を突き出し・大きく口を開け、もの凄い形相を浮かべている。鉛筆の下書きの上に水彩を施しただけのような拙い絵なのに、一度見ただけで脳裏に焼きついて離れなかった。なぜか少しだけ欲情をおぼえたボクは、改めて暴力性とエロスとの強い結びつきを確認させられた次第であった。
1892年シカゴに生まれた彼は、幼い頃に母を亡くし、その数年後父が事故で体を悪くしたのを機に孤児院に預けられる。1909年父の死を知り脱走、以後、病院で雑用をこなしながら生計を立てる。1932年から1973年に没するまで独り寂しく人生を送るが、40年間暮らしたわずか一間の貸しアパートの中で、彼は誰にみせるわけでもなく、ただ自分だけのために『非現実の王国におけるヴィヴィアン・ガールズの物語、あるいは子供奴隷の反乱に起因するグランデコ対アンジェリニアン戦争と嵐の物語』という長いタイトルの一大叙事詩を書き上げたのである。そのボリュームなんと15,000ページ超。挿絵は数百点にものぼる。この驚異的な芸術作品は、彼の死後、アパートのガラクタの下から発見された。もしこの部屋の家主が、慧眼の写真家:ネイサン・ラーナーでなかったとしたら、稀代の怪作はガラクタの山とともに捨てられていたに違いない(この略歴は、求龍堂刊『アウトサイダー・アート』ならびに『エスクァイア』1993年10月号を参考にさせていただきました)。
フロイト博士がこの作品を見ていたなら、どれほど大喜びしたことだろうか。ダーガーの偉業を抑圧された性衝動と結びつけて考えることは容易い。彼の頭の中では、世の中への強い憎悪や破壊衝動、純潔な乙女に対するファンタジーなどが互いにせめぎあっていたのだろう。爆発しそうな妄想をメルトダウンさせるための手段として創作活動があったのかもしれない。一種のアート・セラピーといったところだろうか。ダーガーの精神分析を含め、この物語の主人公:ヴィヴィアン・ガールズたちの活躍が意味するところを読み解いた『戦闘美少女の精神分析』(斎藤環著)は、彼の作品を鑑賞する上で非常に参考になる。今度の展覧会に出かける前にぜひ一読をおすすめする。
サバルタンは語ることができるか
2002/10/11 23:21
現代日本のサバルタンとは誰か
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サバルタン(subaltern)とは<従属集団>を意味し、元来はイタリアのマルクス主義者アントニオ・グラムシが使用していた概念である。スピヴァク女史を含むサバルタン研究グループは、旧来のインドの歴史やナショナリズムがエリート側から語られるばかりで、被抑圧者側の視点がまったく除外されてしまっている状況を批判し、自ら語ることのできない疎外されたものたちを代弁する新しい歴史記述の必要性を訴えた。この本を読むと、表象の世界でただ言葉遊びをしているような、どこかもどかしい現代思想界にあって、現実にコミットした彼女の力強く踏み込んだ言説に、胸のつかえが下りた気分にさせられる。インド史に限らず、人文社会科学を論考する上でいろいろと応用が利きそうなキーワードじゃないかと思うので、この機会に一読されてはいかがだろうか。
著者は本文中で「もしあなたが貧乏で、黒人で、そして女性であれば、あなたはサバルタンであるとの規定を三様のしかたで手に入れることになる」と述べている。以下、極私的曲解を展開させてもらう。このくだりを換骨奪胎して、いまボクが感じている現代社会の状況のなかでサバルタンを語るとするならば、「もしあなたが貧乏で、ブサイクで、気が弱くて、そして男性であれば、あなたは…」となる。異性関係を例にとるとわかりやすい。容姿がまずくても、ステータスを備えたリッチか、あるいは押しが強いタフな男であれば、女性からは認められる。上記と同じ条件なら女性のほうが損だという向きもおられるかもしれないので、今度は生活面での不遇を考えてみよう。親にパラサイトしていて世間から冷笑されるのは男だけである。最近では割のいい事務職を希望したとしても就職口など皆無に等しい。常に徒労感ばかりが募る肉体労働のバイトを強いられる。なまじ豊かな国で暮らしているだけに、男性フリーターの惨めさは計り知れない。しかも異性にも恵まれないとなればなおさらである。
さらにはグローバルな視点で日本の男どもの位置付けを考えてみよう。まず全人類のヒエラルキーの最上層に白人女性が君臨する。その下に白人男性がいて、非白人女性、非白人男性、と続く。その次にくるのが英語の喋られるアジア人女性。喋られるアジア人男性と喋られないけれど容姿の良いアジア人女性が同列で、さらに下には、喋られないけどハンサムなアジア人男性、喋られないし見栄えも悪いアジア人女性がいる。そしてようやく登場するのが最下層でもがいているサバルタン日本人である。…むむっ、これって沼正三先生がその偉大なる小説『家畜人ヤプー』で予言された内容とほぼ一緒じゃないですか。
改めて「日本のサバルタンは語ることができるか」と問うてみる。いまのところそういった言論にお目にかかったことはない。ただ一人、斎藤環氏だけがヘタれな男どもを温かい目で擁護してくれているように思う。しかし、崎山政毅氏が『サバルタンと歴史』の中で書かれていた指摘を都合よく利用させてもらえれば、彼らの言動がインテリ側の知的搾取の対象となりうる危険性を孕んでいることもまた否めないのである。
光の教会 安藤忠雄の現場
2003/08/07 22:50
建築、そのあまりに人間臭い浪漫
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ゆえあって最近、不定期的にではあるが教会に通いはじめている。場所は大阪・万博公園に程近い、閑静な住宅街の一角にひっそりと佇む、茨木春日丘教会という名の教会である。ぐるりを木々が覆い、初めて訪れる人はうっかり通り過ぎてしまいそうなほど小さなその教会堂には、週末になると近隣の信者はもとより、国内外の遠方からたくさんの来客者が集う。「光の教会」という別称を出せばその理由もお分かりになるだろうか。安藤忠雄氏の設計で知られるシンプルで美しい建造物である。
しかし、この建物が現出するまでに至る艱難辛苦の道のりは、本書の読者以外にはほとんど知られていないと思う。低予算、タイムリミット、構造上の難問、杭打ちに莫大なコストがかかる脆弱な地盤、コンクリート打設(※表面をきれいに仕上げるには細心の注意が要されるらしい)には最悪の気象(雨と寒さ)、建築ラッシュにともなう建材価格の高騰と熟練工の不足、…など、数々の障害に悩まされながら、建築家こだわりの意匠を実現させるために、安藤忠雄事務所と工務店の人々が苦闘するヒューマンドラマがそこにはあったのだ。この本の副題こそ「安藤忠雄の現場」となってはいるが、本当の主役は名もなき建築業界人たちであり、文面からは彼ら職人たちに対する著者の畏敬と愛情の眼差しがひしひしと感じ取れる。
そして、主役の座を譲ったとはいうものの、平松剛氏が巧みな筆致で描き出した<安藤忠雄>という人物像もまた、いきいきと躍動感にあふれ、妬ましいほどに人間臭い。『連戦連敗』の中で語られる直截的で力強い安藤氏自身のことばからは汲み取ることのできなかった、建築家の別の魅力が鮮やかに照射されている。
構成次第では凡庸になりえたかもしれないストーリーを、心憎いばかりのパッチワーク処理によって滋味溢れるノンフィクションに仕上げる技巧は見事というより他はない。時宜を得たエピソードの挿入(当時の時事ネタをかますところが秀逸)が文章にダイナミックなリズムを生み出し、読む者を夜更けの通読へと誘う。読み進めるにつれ、自分がまるでクライアントかあるいは建築に携わる当事者の一人ではないかと錯覚させるほどの臨場感に包まれる。「手で触れられそうな物語」を再現できるその筆力にはただただ脱帽である。また、読了後にはささやかながらも建築知識が自然と身に付いているような嬉しい仕掛けもなされていて非常にありがたい。
「光の教会」建設に心血を注いだ男たちの熱いドラマに思いを馳せながら、本書にも登場する牧師様の説教を拝聴するというのは、さぞかし感慨深いことだろう。これでまたひとつ日曜礼拝に参加する楽しみが増えたというものだ。
バリ島芸術をつくった男 ヴァルター・シュピースの魔術的人生
2003/02/26 21:01
異邦人・芸術家・民族学者という立場を超えて
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ヴァルター・シュピースというドイツ人画家の生涯にすっかり魅せられてしまいました。評伝を読んで興奮をおぼえたのは久しぶりのことです。それは、彼がケチャ・ダンスというバリ古来の伝統芸能と思われがちな文化を創出した立役者であったという業績や、数々の著名な文化人をもてなしたホスピタリティ、日本軍の爆撃によって命を落としたという悲劇的なラストのせいばかりではなく、彼が<いま>を味わい尽くした人間だからであり、バリという土地に心酔したその思い入れの深さに心打たれたのです。もしこんなに素晴らしい本が未読であるなら勿体ない。バリ島へ旅行される方にとっては、ガイドブック以前に読んでおくべき必読書です。
シュピースが抱くこの島への深い愛情は、ミード&ベイトソン夫婦と次第に決別していくエピソードに如実に表れている。民族学者たちは、自らの存在が調査・研究対象に影響を与えぬよう現地民とのプライベートな接触を極力避けようとする。そんな科学者としての傲慢でクールな身振りが鼻についたのかもしれない。対照的に、シュピースはバリの人々に西洋絵画の技法を教えたり、伝統舞踊に手を加えていくなど、自分が居住する社会に深くコミットしていくことで生じる有機的反応を楽しむ芸術家としての立場に終始する(とはいえ、彼が遺した写真や手紙から察するに卓越した民族学者としての技量も持ち合わせていたに違いない)。異邦人としてその半生をバリ島に捧げ、地霊と互いに共振しあいながら重層的な文化を再生成していったシュピースの天晴れな身の振り方に、羨望にも近い賞賛の念がこみあげてくる。
彼はバリ島というエネルギッシュな自然のなかに自らの魂を合一化させる手段(触媒)として絵を画いていたのではないかと思う。バリ人にとっての祝祭・舞踏がそうであるように。決して後世に残すための記録として絵を画いていたのではないはずだ(現にシュピースの絵はほとんど現存していないそうだ)。<生>のダイナミズムへ参与するためのアクションとして絵画をはじめとする創作活動があったのだろう。伊藤氏の精緻な叙述と隙のない分析を読んでしまった後では、その考察の痕跡をなぞるような仕方でしか感想を述べることができないけれど、稀有な芸術家の存在を詳らかにしてくれた本書に対する讃辞として、せめてもここに拙劣な書評を残しておくことにしました。
本文中にも参照されているヴィキィ・バウムの小説『バリ島物語』をあわせて読むと一層楽しめること請け合い。ストーリーそのものも面白いが、なによりバリ人気質を理解する一助となるはず。
踏みはずし
2003/02/14 04:03
ゴルゴ13とポール・オースターの奇跡的な出会い
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なぜ誰もこの小説をレコメンドしないのか不思議なくらいカッコいい小説だ。もうとっくの昔に読んでいて、「なにをいまさらこの小説を俎上に上げるんだ」というような海外小説愛好家を前にしては、自分の無邪気さに恥じ入るばかりだが。もしかすると「できれば教えたくない」と密かなお気に入りに加えておられる方が多いのかもしれない。しかし、本当に認知度が低いということであれば、ミシェル・リオというフランス人作家をこのまま埋もれさせておくのはもったいない。同時期に出版されたジャン・エシュノーズの作品はその後も翻訳が出ていたというのに。当時(1995年ごろ)、白水社の「新しいフランスの小説シリーズ」を一通り読んでみたのだけれど、この小説が群を抜いていた。ミシェル・リオは寡作ながら他にも作品を出しているので、ぜひどこかの出版社で翻訳本を刊行してもらえないものかと願っている。
1時間ほどでさらりと読了できるほどの小品である。ひんやりと硬質な文体が緊張感のあるストーリー展開によく合っていてサクサクと読み進めてしまう。大物財界人とジャーナリスト、殺し屋が絡み合うという安手のノワール小説のようだが、全編に凛とした美しい気品をたたえている。その理由は、文章のリズム(訳者:堀江敏幸さんの翻訳手腕に負うところが大きいのだろう)もさることながら、シニカルな禅問答が繰り広げられる哲学的ダイアローグにあると思われる。これから読んでみようと思われる方はこの会話の妙味もじっくり堪能していただきたい。誤解を恐れずに告白すれば、ポール・オースター作品のような趣が感じられる。
主人公である思索家の殺し屋は、冷徹に任務を遂行していくその無駄のないシステマティックな仕事ぶりこそ、デューク東郷や『ニキータ』のジャン・レノ、あるいは『サムライ』のアラン・ドロンを髣髴とさせるが、アナール派歴史学者マルク・ブロックやブローデルの著作を愛読する(!)というあたりで彼らとは決定的に異なっている。しかし女に対して貪欲なところなど実にゴルゴ的で、「恋愛感情が快楽を妨げる」としてキスや正上位を嫌うこだわりのキャラ設定もイイ感じ。
男性読者ならシビレること間違いなし。
現代美術を知るクリティカル・ワーズ
2002/11/25 22:08
こんな本、待ってました!
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美大や美術系専門学校で専門的な教育を受けたことのないボクのような門外漢にとっては拍手喝采ものの一冊。最新アートに読み解くためには欠かせない重要なキーワードを体系的に網羅した本というのは、これまでありそうでなかった。近代絵画以降のアートシーンを紹介した本ならたくさんあるのだが、それでもせいぜいウォーホールやリキテンスタインといったポップ・アートどまりで、それ以降の美術界の事情を知ろうと思えば、浅くて狭い内容の入門書を読むとか、雑誌の特集を拾い読みするとか、各々のアーティストの評伝を読むとか、こまめに展覧会に通うしかなかった。
この本は2つの点で画期的だと思う。1つは、現代美術の動向や概念を個別にわかりやすく説明した「事情」、現代美術を語る上で欠かせないキーパーソンを紹介した「人名」、という2種類の項目を目次に設けることで「辞書」としての機能を果たすこと。図書館で借りてきて読むのもいいが手許に置いておくと非常に重宝するはずだ。もう1つは、それらのキーワードを年代別にまとめることでつぶさに現代美術の流れを俯瞰できるということ。1950年代から1990年代に至るまで10年単位に大きく5つのパートに分けて、各時代のエッセンスをなすキーワードを基にその史的展開をわかりやすく(しかし情報は凝縮して)叙述してくれている。一冊読みきれば斯界に関する基礎体力が十分に養われるはず。一応「入門書」という体裁をとっているそうだが自己韜晦にもほどがある。この本をアリアドネの糸に美術界という迷宮を探検すれば恐いものなどなにもない。
美術分野のみならず、フランク・ザッパ、ローリー・アンダーソン、ジョン・ケージ、ジョナス・メカス、ゴダール、ドゥルーズ、デリダ、ソンタグ、などなど、時代を記述するためには外せないクロスオーバーな人々への言及も忘れてはいない。痒いところにまで手が行き届いたナイスな編集がとてもありがたい。
アトランティス・ブループリント 神々の壮大なる設計図
2002/10/30 03:50
超古代文明の研究は新学問として成立しえるのか
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読んでいてケツの穴が焦れたり、知的興奮に震えがきたりするような読書体験はお持ちだろうか。己の理解や想像の範疇を超えた世界が突如として目の前に開示されたときの驚き、そして確たる論拠をもって解き明かされる謎の数々。不可知なものを学び、新たな知の領域を押し広げていく快感が読書の魅力であるとするならば、この本ほど蠱惑的な奇書がありえるだろうか。限られた書評スペースとボクの筆力では本書の面白さをとても紹介しきれないが、それでもこの文章を読んで一人でも多くの人が興味を示してくれれば幸いである。
ロスリン、ティワナコ、グラストンベリー、オリャンタイタンボ、レンヌ=ル=シャトー、バールベック、コパン、ウルク、ニネヴェ、チャヴィン、ニップール、キリグア、…。この辺りのキーワードでピンとくる人はかなりの通だ。
では、ギザ、ルクソール、チェチェン・イツァ、モヘンジョ・ダロ、ティオティワカン、ストーンヘンジ、イースター島、マチュ・ピチュ、ナスカ、…とくればどうか。古代文明に興味がない人でも、さすがに名前くらいは聞かれたことがあるだろう。
以上はすべて聖地および遺跡の名称なのである。一見して何の関連性も見出せないこれらの聖地を、本書の原案を企画したカナダ人図書館司書フレマスは、独自の理論から結びつけてしまった(フレマスの事情によりこの本を執筆することになったのは、あのコリン・ウィルソンである)。世界に点在する遺跡は、それぞれの時代にそれぞれの地に生きていた人々によって独立して建造されたのではなく、仮にアトランティス人とも呼ぶべき超古代人の壮大なる青写真(ブループリント)に基づいて設計・配置されたのだ(!)と、失われた汎世界的な文明の存在を示唆しているのである。それは、各地の神話に共通して残されているあの大洪水以前、しかも遡ること1万5千年も前の話だというのだから驚きだ。彼のブループリント理論によると、グリニッジではなくギザを子午線と仮定した場合、ほとんどの遺跡や聖地が切りのいい経度数線上に存在することがわかる。同様に現在の極以前、すなわちなんらかの原因で地球が極ジャンプを起こした以前の極(ハドソン湾、グリーンランド海、ユーコン)を頂点とする緯度に呼応する形でも何本かの同一経線上に聖地が点在していることを証明してみせる。逆にこの理論を用いれば未知の遺跡を探し当てることも可能だという。勿論そこには幻のアトランティスの都も含まれている(場所は内緒☆)。なんとも、にわかには信じがたい身震いのくるような話である。
この本を安易にトンデモ本と決めつけるのは早計すぎる。コンサバ科学者にありがちな既存のパラダイムで物事を判断する態度は危険だと思う。現在の科学は森羅万象を説明できるものではない。理解の及ばない事象を認めてこそ、科学は進歩するのではないだろうか。近いうちにフレマス理論の正当性が証明される日がくることを願ってやまない。
速読速聴・英単語 Advanced 1000 単語900+熟語100=1000
2002/10/21 16:01
最高・最強のお買い得英語教材
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この本の書評に関してはすでに投稿者がおられたが、あまりに素晴らしい英語教材なので今一度みなさんにご購入をおすすめしたかった。自分の英語力に伸び悩んでいたときに偶然本書にであったのだが、「教材なんてどれも同じ」というボクの諦念を見事に払拭してくれた。この価格にしてこのボリュームはかなりグッドバリューである。ほとんどの教材は、表紙のデザインやキャッチコピーだけがやたらと派手で、値段の割に中身が貧弱だったり、付属CDに<気恥ずかしい>ジングルがたくさん挿入されていたりして、買ってからガッカリさせられることが多かった。でも、この本は購買意欲をそそらない地味な装丁にもかかわらず、いざ手にとって内容を確認すると情報量が凝縮されて詰まっているのがわかる。今までは「XX重要単語集」なんていうのを買って勉強していたけど、全然身につかなかった(もちろんテキストの優劣にかかわらず学習者のヤル気の問題であるが)。ところが、この教材の指示通り一冊やり終えたところ、英単語が確実に記憶へ定着していることが実感できた。改めて「例文主義から文脈主義へ」を標榜する学習メソッドの効果に驚かされた。ボキャブラリーの増強のみならず、速読の感覚やリスニングの強化、英語リズムの体得にも役立ったように思う。ただし難易度は高めなのであしからず。姉妹編もあり。
100ワード以内の短い英文記事がスロースピード、ファストスピードで読み上げられる。スロースピードでは、ネイティヴスピーカーの話す通常のスピードよりも少しだけゆっくりと話してくれる。意味のかたまり(数単語)ごとにポーズが置かれているので、リスニングと同じスピードで、文の頭から英文の意味を追っていく練習ができる。長い英文でしかもトラック分割されていない教材だとリピートしたときにいくぶん冗長な感じがするが、これは英文が短いので繰り返しリピートしても疲れない。
この教材の学習方法をマスターすると、他の英語教材にも応用できる。例えば、『ジャパンタイムズ社説集(CD付き)』、『The Universe of English(CDセットのもの)』など英文が盛りだくさんの教材が活きてくる。この種のメソッドをもっとシステマティックに詳しく学びたいという方には『究極の英語学習法K/H System』という本が最適だと思う。
トゥルー・ストーリーズ
2004/03/02 02:43
予定調和的な天才作家の誕生
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てっきり柴田さんは“The Book of Illusions”の翻訳に専心されているのかと思いきや、先日不意にエッセイ集が出版されて、ボクにとっては晴天の霹靂だった。しかも『トゥルー・ストーリーズ』なんてタイトル聞いたこともないぞと書店の店頭で頁を繰ってようやく腑に落ちた。どうやら英語圏で刊行されていた“Hand to Mouth”、“The Red Notebook”に収録の作品を中心に、オースター自らが編纂した日本限定バージョンのエッセイ集のようなのだ! オースタリアン(造語)なら即買いしないわけにはいかないでしょう。さっそくその日の晩のうちに平らげてしまいました。たいへんおいしゅうございました。
せっかちなファンのなかには、前述の二作を読了済みの方も多いかもしれない。今さら邦訳なんて、と思われている御仁に対しては声を大きくしてノンと言いたい。誤訳混じりの逐語訳(笑)で原文にあたるのとは違う、astonishingな柴田訳の妙味をじっくりご堪能いただきたい。
この自伝的作品集は、エッセイの体裁をとってはいるが、中長編小説のひな形として書き綴った備忘録としても、極上のショートショートとしても読める作品群である。小品ながらも、オースターワールドのエッセンスがぎっしりと凝縮されていて、作家の原点を窺い知ることができる。しばしば小説中に立ち現れる、ウロボロスの蛇のごとく噛み合うあの二つのファクターがいかにオースターの思想に影響を与えてきたか、その背景が見えてくる。
<偶然>と<カネ>である。
フィクションの設定においてはご都合主義的な胡散臭い印象を読者に与えかねない<偶然>という要素を敢えて自分のスタイルに持ち込むのは、まさに不思議な個人的体験の数々に根差したものであり、「世界の仕掛けるいたずら」に心底魅了されているからだろう。それを何篇ものエッセイが物語っている。
また、『その日暮らし』というペーソスあふれる赤貧エピソード満載の長篇エッセイからは、あまたの職業経験のなかで彼が<カネ>との絶妙な距離感を獲得していくさまを伺うことができる。コロンビア大学在籍時のアルバイトに始まり、エッソ石油タンカーの乗組員、フランスにおける翻訳業や山荘管理、そして不遇の文筆業時代に至るまで、世の底辺まで降りて貧乏と真正面から向き合ってきたオースター青年の人間臭い営為は、紛うかたなく後に小説の糧となっている。
本文中で、昔のバイト仲間を「己の運を自分で創り出す人間」と回顧するくだりがあるが、本書を読み終えた読者なら、この作家こそがまさにその評に相応しい人物であることを再認するはずだ。ただ、あまりにできすぎた偶然を幾度も見聞してしまうオースターは、運云々というよりも神に愛されているとしか思えない。彼が地上で帯びた使命はまさしく<書く>ことにほかならないと確信させる、驚きや機智に満ちた逸話ばかりである。
デンマークデザインの国 豊かな暮らしを創る人と造形
2003/09/20 04:22
デザイン能力の効用
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日本の近代化は、永続性を考慮せずに使い捨てられるプロダクツに囲まれた<消費される生活様式>をつくりあげた。ここで問題とされている永続性とは、言うまでもなく物理的な耐久性などではなく、<スタイルの持続性>のことである。
「これってどうなんだ?」
問題意識の高い人なら誰もが抱くこのような生活様式に対する漠たる懸念を、柏木博氏というデザイン評論界の第一人者から指摘されて、改めて資本主義の弊害を再認識する。日本という国はまさに資本主義時代の寵児であろう。大量生産大量消費というシステムが経済を賦活化し成長を維持させることを証明するには恰好の例である。この猥らなクラッシュ&ビルドという発想がなければ戦後日本の高度成長はあり得なかっただろう。しかし、われわれは経済的な豊かさとひきかえにして、<品位>を喪失してしまった。古き良きものを大切に扱うという美徳を。
いまさら説教じみた話でもないが、やはりエコロジーという概念は大切である。電化製品に象徴されるようなモノを買い直す購買活動だけが経済を動かすわけではあるまい。古いモノをリサイクルしたりリペアーしたりする微笑ましい行為からも経済効果は生まれるはずだ。もちろん末永くモノとつきあっていこうと思えば、前述のように<スタイルの持続性>が重要となる。つまり「いかに対象に愛着が湧くか」というである。
ある雑誌の中でユニバーサルデザイン研究所所長の赤池学氏が次のように語られていた。「五感や感性というセンスウェアからやれるエコデザインこそ、21世紀に求められると考えています。どんなに人や環境に優しい製品でも、デザインが良くなければ売れないので、ビジネスとしては成立しません。でも感性に訴えかけるようなデザインであれば、愛着も湧き、長く大切に使おうとする。モノを捨てずに長く使うこともエコの重要な考え方。テクノロジーに頼らず、コストもあまりかけないエコデザインの可能性は多分にあると思っています。」(『BRUTUS』vol.530より一部引用・変更)
デザインのサステナビリティ!
もうそろそろこの辺で本書の紹介をば。
まず一見して、デンマークの生み出した素晴らしいデザインの名作が表紙を飾る美しい装丁に目を奪われる(本文中の写真も豊富)。いきおいページをめくると、著者が女性の筆運びと紛うやさしい文章で彼国を代表するアーティストとその作品を丁寧に紹介してくれており、情報がゆっくりと体中に沁み渡る。建築・家具・日用品という各論解説の前のイントロとして、「なぜデンマークがかくも美しい芸術品を生み出せたのか」、その秘密を解き明かすための歴史・文化・国民性の紹介文を置いた構成も親切だ。デンマークと45年もつきあいのある島崎氏が控えめに傾ける蘊蓄は、着実にデザイン好きな読者の血肉となる。
さて、ずいぶんと前置きが長くなってしまったが、これで薄給のボクが身分不相応にもハンス・ウェグナーの椅子を買う理由ができたというものだ。後ろめたい自分自身を納得させる言い訳がね。
