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  3. SlowBirdさんのレビュー一覧

SlowBirdさんのレビュー一覧

投稿者:SlowBird

691 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本カチアートを追跡して

2019/02/10 08:31

妄想の裏側

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ベトナムの戦地から一人の兵士が、パリへ行くと行って脱走する。なんだそれ。行けるわけがない。だがとにかく、残った部隊は彼を捕らえるために追跡する。ジャングルをひとり逃げ切れるとも思えないが、逃亡する相手に追いつくというのも途方も無いように思える。ある種のファンタジーとして見るべき展開なのだろうが、戦場における日常と乖離した狂気的世界が、そんなこともあるかという錯覚をもたらしてしまう。
逃亡する兵士カチアートは、国境を越えてラオス、ビルマを抜けてく。追跡隊の一等兵の視点と、その回想を繰り返し交互に語り、こんなファンタスティックな道中があってもおかしくないと思えるような、この戦場の異様さが徐々に見えてくる。いわゆる敵の見えない戦争、ひたすらジャングルと田んぼの泥の中を行軍し、村を焼き払うことの繰り返し。怠惰な日常の合間に、戦闘や狙撃兵によって一人ずつ消えていく。国のために戦うつもりで来たのに、国も戦いも見当たらない。そんな戦場に留まろうと、パリを目指そうと、そんなに違いはないのかもしれない。
追跡行の中で、ベトコンの秘密基地に迷い込んだり、難民の少女が一行に加わったり、現地警察とのカーチェイスと、アクセントとなるエピソードが積み重ねられていく。スリリングではあるが、ベトナムの戦場よりは牧歌的かもしれない。ベトナム帰還兵である作者が語るのは、兵士たちの妄想の世界であるし、その妄想を生み出す動機、背景となる現実でもある。若い兵士も、朝鮮戦争からのベテランも、ここでは徐々に日常感覚を喪失し、内面に狂気が育ち、やがて少しづつの暴発が始まる。
リアルでは語ってはいけない内面の欲求や不安が、この荒唐無稽に見せかけた展開でなら表現できたのだろう。当時ベトナム戦争に関するニュースやノンフィクションは多々あったとしても、妄想の中身や、壊れていく精神について描くには、こういう方法しかなかった。ベトナムのリアルがどこにあったのか、それは今でも誰も分かっていないのではなかろうか。

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紙の本不如帰 改版

2019/01/24 22:39

メロメロメロドラマ

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明治31年に書かれて185万部を売ったというメロドラマである。その破壊力は並々ならぬ。
時代がら恋愛の話ではなく、縁づいてお嫁入りした先で、夫との甘い甘い愛情物語で始まる。しかし主人公である妻浪子は結核を病む。海軍将校である夫は折しも開戦された日清戦争に出征し、大海戦に臨み、負傷して軍病院で長期療養となり、その間に姑は嫁を実家に帰してしまう。
結核を悲劇の題材に使うのは医学の進歩を反映しているのだろうし、家の論理で女性が虐げられるのも女性の発言権が増して、社会に家制度への疑問が生まれ始めたからだ。そして新聞連載小説という形態が、女性に向けた家庭小説というジャンルを生み、女性の購買力の増大がメロドラマのベストセラー化を生む。そういう世相の変化をきっちりすくい上げた作品として、ベストセラーとなったのはある意味必然だったかもしれない。そして、政治や制度だけでなく、経済や、メディア、科学の進歩が、新しい文学を生み出したということも言える。作者徳富蘆花は、兄蘇峰に付いて民友社や新聞の記者をしていた中で、社会の変化を敏感に感じ取り、それが文学的素養と組み合わさって、この作品を生み出した。さらに新派や旅芝居で上演され、映画化され、ベストセラー化した。様々な意味で時代の寵児であり、文学のメディア化のさきがけとなったわけだ。
実際に夫婦の会話など描写は、現代の恋愛もの小説やラブコメ漫画に遜色ない甘さで、その意味でも元祖、雛形的存在と言えると思う。女性の純愛、女性の悲劇という観点ではまったく現代に通じるが、男の方はやや違う。自分の母親が嫁に無理無体を言っても逆らえない、反論もできない。それは女性の社会的地位や人権について、まったくナイーブな当時の男性の現実を、正確に表しているのだろう。それを指摘し得たのも、蘆花の姉や叔母が女性への啓蒙活動か出会ったり、自身のキリスト教経験というところに由来していそうだ。また夫が浪子の父とあっさり和解するのは、日清戦争の戦勝気分、軍人の高揚感に基づくもので、理不尽のように見えて、当時の人々にはすんなり共感される由縁なのだろうと思われる。
結局120年前のメロドラマは、現代と同じ構図で成立し、同じように婦女子の涙を絞った。そんな我々にとってプロトタイプ的作品からは、我々の中の変化したもの、変わってないものを読み取ることができる。

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紙の本ぼくの小さな祖国

2019/01/14 17:19

南米移民の苦闘と屈折

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作品中で国名は出していないが、パラグアイの日系移民をモデルにした架空の国の物語。ほとんど騙されるような形で移民した人々が、貧しい土地を切り拓いて、苦闘に苦闘を重ねてきた。数十年して成功をおさめた者もいたが、そもそも国自体が、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイなどに比べると小国であることは免れない。日系移民の子孫として、そしてパラグアイ国民として、この二重の意識を持ってい彼らの心情には、一人の人間が抱えるには重すぎるものがあるのかもしれない。
成功した移民の中には、政治家になり、さらに将来有望という地位まで上り詰めた者さえいる。その最終目標は、大統領になって訪日し、天皇と対等の立場で握手をすることだという。この移民として、何世代もの苦労が積み重なった上で生じた屈折は、相当に手強い。日本も、パラグアイも、祖国であると同時に、自分たちを苦難の道に突き落とした張本人でもあることが、意識の底にあるからだ。彼は天皇と握手すれば、それで満願が叶うのだろうか。
彼が祖国=パラグアイを救うために挑んだ企ては、確かに命がけの冒険だった。その苛烈さは自分だけでなく、冒険をともにする同志にも向けられる。ピストルでドンパチといったアクションはないが、アルゼンチン、ブラジルなどを縦断する危険な旅に同行するのは、その有力政治家に加えて、その片腕たるラプラタ川の連絡船の船員だった青年、浮浪者少女。身の上は貧しいが、日本人としての教育による有能さで、腐敗と怠惰に満ちた世界に立ち向かい、移民の夢を叶えるための力になる。
とはいえ夢物語のようなハッピーエンドになるはずはなく、ラテン系の明るい空気と、作者ならではの軽いタッチで語られてはいるものの、衝撃の結末には慄然とする。それは理想の実現のために、社会の暗い現実とも向き合わなくてはならないという宿命なのか。
胡桃沢耕史が数年間の世界放浪をしていた際に出会った物語という構成になっており、こういう構想を得るだけの見聞もしたのだろう。それを昇華した、南米の眩しい太陽に似合う明るい語り口と、テーマの陰鬱さの対照がじわじわと沁みてくる。

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紙の本祈願の御堂

2018/12/29 21:07

平凡の中の神秘

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読後にもう一度ボルヘスの序文を読み直して、作品全体を覆う不思議感の意味が少しずつ分かってきた。ボルヘスの言う、それぞれにおいての奇跡は、神秘の力で起きているようにも見えるが、実は登場人物たちが、自分でも気づかないうちに自らの手で起こしていたり、無関係の第三者の思慮深さによってもたらされていたようでもある。たとえ本当の理由が分かっていても、神秘や幸運であると信じた方がいいこともある。
「サーヒブの戦争」ボーア戦争でイギリスが敗れたのは、アフリカ大陸に適応したボーア人に対して、どこまでもイギリス紳士流を貫こうとした結果なのだろうが、現地人従者の目にはまったく理解しがたい、魔術的な存在に映るようだ。
「塹壕のマドンナ」キプリングの子供が戦死したベルギー戦線には、謎の巨人が現れるという伝説もあったぐらいで、戦場には奇跡が起きても不思議はない。
「祈願の御堂」イギリスの老婦人の信じる奇跡。もしかするとすべての人の生涯が奇跡なのかもしれない。
「アラーの目」修道院という小宇宙では、様々な神秘や奇跡が取り上げられては、合理的な解決、またはそれ以外のものへと、次々に処理されていく。同時にここは世界の叡智が集まり、通り過ぎていく場でもある。たぶん数多くの奇跡が、日常的に起きては忘れ去られていたのだろう。
「園丁」ある女性の生涯を取り巻いていた孤独な世界が、ほんのちょっとした言葉遣いによって、まったく違った様相として読者の前に提示される。これは言葉の魔術なようでもあるが、やはりこの世界自体が魔術的だと言うことのような気がする。正直のところこの作品だけは、さりげなさ過ぎて、ボルヘスの助言がなければ何でもない平凡なエピソードとしか理解できなかった。
キプリングは敬虔さと、すこぶる付きの自由な精神をあわせ持ち、ヨーロッパ文明に対する批判的な視点をも持っている。その内面では社会を構成する論理と、人間の情念がぶつかり合い、しかしそれらを矛盾させずに両立させるために奇跡が必要だったのではないだろうか。それが一人の人間の中だけにとどまらない、世界全体の問題として捉えうるところが、文学としての価値なのだろうと思う。

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紙の本赤い渦潮

2018/12/16 08:50

全部のせ、全部あり

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阿波徳島藩蜂須賀家といえば、何しろ豊臣秀吉が日吉丸だった頃からの盟友(と記憶している)である有力武将、つまり徳川にとっては外様中の外様。なんのはずみでお取り潰しにあうかわかったものではない。そりゃあ年がら年中、緊張が絶えなかったろう。それが江戸中期になると藩は財政は苦しくなり、政商と役人の結託による不正に気づいた下級藩士が、それを追求しようとする。
シリアスなテーマで、陰謀、権力闘争メインっぽいが、そこは早乙女貢で、ふんだんにチャンバラあり、お色気あり、純愛あり、忍法あり、怪人あり、鳴門の渦潮に、阿波の特産藍染めありと、さすがなのである。そしてクライマックスの一揆に向かって、怒涛のごとくストーリーは進行する。
これだけの要素を詰め込んで、無垢だった青年がたくましく成長していく物語にまとめ上げている。むろん一介の下級武士が藩政を動かせるるわけもなく、一つずつその枷を外していって、封建制度に風穴を空けていくことがその道筋になる。だが彼に反撃を加えてくるのは、制度自体ではなく、むしろ制度を利用して自分の欲望を遂げようとする人々であることが、徐々に分かってくる。どんなに制度を改善したとしても、無理矢理にでも壁を作り出そうとする人達が必ず存在する。
だが押しつぶす力が強いほど、彼は自由になっていく。関わる女性たちもまた自由で力強くなっていく。阿波から大阪を経て江戸へ至るロードノベルあり、一揆のスペクタルありのエンターテインメントであり、その根底にあるのは自由への憧憬だ。全てのシーンは自由への疾走であり、そこに共感できる人がこの小説をもっとも楽しめるのだと思う。

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愛を待つ大陸

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ドリス・レッシングにとってアフリカで過ごした前半生が、どれほど多種多彩な思いを育んだか。農場の娘として、広大な大地の中で両親や、他の植民者たちや、現地人労働者たちの姿を脳裏に焼き付けながら成長してきた中で、それらを意識の中で幾度も再現し、思索を巡らせたのだろう。人々たちが自然に立ち向かっていった苦闘や、人種差別、女性たちへの理不尽な抑圧など、少しずつ視点を引いていって、それらを形作っていたメカニズムの実体に近づいていく。
「老首長ムシュランガ」使用人の若者が実は現地の大酋長の子供だと知った瞬間に、アフリカの大地の姿が急に俯瞰的な視野で見え始めてしまうようになった驚きと不安。
「呪術はお売りできません」子供が毒蛇に噛まれた時、使用人の黒人がどこからともなく持ってきた薬草で治ってしまうが、その草がなんであったか、それともまじない、魔術の類なのかはさっぱりわからないままで、もしや本人ですらわかっていないのではと。イギリスで評判の良かった作品とのこと。
「リトル・テンピ」命を救った使用人の子供になつかれてしまい、成長するに従ってそれが情愛のためか便宜・金銭目的なのかは次第に曖昧になってくる。当人でさえ、自分の中に生じる衝動の正体が分からない。
「ジョン爺さんの屋敷」ご近所に新しく引っ越してきた一家は、この地には珍しいアメリカ風の生活スタイルで、少女は新鮮さに心を奪われるが、徐々に彼らと地域コミュニティとの間にぎくしゃくしたものが生まれ始める。
現地人の少女と関係を持つ男。兄弟で経営する農場の兄と結婚した女。イギリスから渡ってきた主婦が現地の人種差別に抵抗するのだが、それでも彼女は誰も救えない。
「エルドラド」金鉱探しに取り憑かれた男が、農場も放りっぱなしにして徐々に破滅へ近づいていく。
「アリ塚」使用人の混血の少年と白人少年の友情、その気持ちを貫くには苦い思いを抱き続けなければならない、今も、これからもずっと。
レッシングがアフリカで見たこと、聞いたこと、想像したことの記憶は、果てしがないようだ。何事もイギリス流でことを進める人々、独特のスタイルで現地に適応したボーア人、アメリカ流を持ち込む人、白人に土地を追われながらも収入のために都市、農場、鉱山に集まる現地人。誰もが自分の固定観念を押し通そうとして、アフリカの大地に敗れ去っていく。それだけでなく、彼らは自分たちの作り上げた影に敗れ去っていくのだ。本当に彼らに必要だったものがなんなのか、例えば戦時下にヴァージニア・ウルフが感じ取っていたのと同じものを、レッシングもまた見い出していたのではないだろうか。

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紙の本めりけんじゃっぷ商売往来

2018/11/24 01:16

軽さの向こうの死に物狂い

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谷譲次=牧逸馬=林不忘、アメリカに渡って、最初は大学に入ったが、すぐに飛び出して何年か放浪したらしい。何を学ぼうとしたのかの答えが、この作品に示されているようだ。皿洗いからホテルのボーイ、召使いなど様々な仕事を経験したらしく、最後は船員になってそのまま帰国したという、ある意味調子の良い行き方という感じもする。
たぶん文学志向であり、社会経験を積むとしても、そのためにアメリカ放浪とはやはりモダンと言える。日々の生活にも汲々としていただろうに、しかし何かしこたまに抱え込んで帰ってきた。それが帰国後に発表したこの、めりけんじゃっぷものだ。
いきなりアメリカ社会論、政治論を語ってしまうのが面食らうが、めまぐるしく緊張の途切れないはずの異境の生活の中での観察から導き出したのだとしたら興味深い。そして当時の政治家その他大勢がこういう認識を持ち得ていたら、歴史もまた変わっていたろうに。
自称めりけんじゃっぷの登場人物たちは、コツコツ働くものもいれば、親分のところに寄生して怠惰に暮らすもの、詐欺まがいの行為であくどく儲けるものまで様々だ。実際の作者とは違って、アメリカの地に永住するつもりがあるような、無いようなであり、それだけの処世の知恵や図太さを身に付けている。そして作者はそれらをしっかり観察し、何にも縛られない奔放な生き方で、都市も田舎も炭鉱も人種の区別もまだ流動的な社会にたくましくはびこっていく彼らを描いている。
軽快な彼らの生き方を書くのに、また軽快な文体であるのがよくマッチしている。冒頭、洋行帰りが英語混じりで喋るのを揶揄しながら、以後の語りでは英語の中の俗語も言い回しも、煽り言葉もどんどん混ぜ込んでいく。だがそういう言語でなければ表現できないことはたしかに在るわけで、苦心して斬新な文体を作り上げたことは効果をもたらしているようだ。
そういえば「丹下左膳」では、スピードと婀娜っぽい情感を混ぜ込んだリズムのよい文体で、時代小説の中で無頼で軽薄な悪党像を作り出した。いずれも旧来の倫理基準を飛び越えた、新しい人間像を造形したもので、題材やストーリーに新しいものを求めているだけでなく、文学の可能性を信じていたのだなあという印象を持つ。

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紙の本笹まくら 改版

2018/11/12 00:23

笹と泥の時代

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戦時中、多くの若者が徴兵されるのは嫌だと思っていたが、時勢には逆らえなかった。たとえ逃げても逃げ切れるものではない。捕まったら拷問死するか、最前線に送られるかして死を早めるだけだろう。だが主人公は、入営の前日に家出して、そのまま行方不明になり、行商人のような暮らしをして全国各地を逃亡の旅を続けることに成功する。たぶんある種の才能であり、怪しまれても動揺しないという、自己防衛の欲求が人より欠如しているようなところがある。
そんな幸運によって戦後まで生き延びて、20数年もして忘れられた過去となったはずが、少しずつ周囲から彼への敵意となって押し包んで来ることに気づく。
敗戦により、無謀で不当とみなされるようになった戦争に、当初から反対の意思を貫き、多くの国民のように無抵抗で従軍したりしなかった先見の明と意志力は、ある意味賞賛されてしかるべきでもあったが、実際には自分だけうまい汁を吸った者のように扱われる。確かに前線で戦死あるいは餓死寸前のような思いをした人々からは、そのような嫉妬を受けることはわかるが、彼はそれを避けるだけの実行力があったのだ。ただ多くの人々は、他人が自分より優位な能力を持っていることを認めたくはない。権力やメディアによって権威づけられた人物に対してであれば認めても、見た目は自分と変わらないような平凡な人物に対しては決して認めたくない、つまり主体的な価値判断を持たない権力盲従の姿勢なのだ。
嫉妬も主体性のなさも認めたくないため、表立って非難も指摘もせず、少しずつ憎悪を募らせつつも、機会があれば貶めようと、周囲の様子を伺っていて、機会が来たと見るや悪意をぶつけてくる。そう思いついてみると、実はその小さな悪意が累積していたことにも気づく。
しかし、官憲の目を逃れながら各地を巡っていた、明日の生死も見えないかつての生活は、笹をまくらにする旅にも似て、不安だらけであり、何も自分だけが楽な思いをした訳ではないという思いもある。そういう主人公の回想と、現代の状況が並行して進行し、そこに生まれる意識の流れによって、自身の周囲に起きていることの真相が一つ一つ解き明かされていく。
この作品を、日本の右傾化の告発といった評もあるようだが、そうではなく、日本人が封建時代から抱いている閉鎖性が、あるタイミングで露出することを描いているに過ぎないだろう。主人公に訪れる悲劇的な状況に慄然とする人はおそらく数%ぐらいで、9割の人は当たり前のこと、ザマアミロといった感想を抱くのではないだろうか。戦後に教育された平和や人権、あるいは合理主義といった理屈とは無関係に、開き直ったような僻み妬みが人々の行動原理を支配しているという中で生きることの難しさと悲しみが、ここでは綴られている。

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紙の本ホフマン物語

2018/11/07 22:32

シティ・ゴシック

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ドイツやイタリアの中都市の社交界周辺でのロマンス物語、貴族的とか優雅というほどのことはない庶民的なものだが、それなりに華やかな雰囲気で話は進む。だがその恋は、人間そっくりのからくり人形の美少女が相手だったり、代償に鏡に映る姿を奪われたり、そして恋と音楽に命を捧げた少女。
それぞれの展開は奇矯なものにも見えるが、彼らの恋はごく普通の純愛だ。設定の方だって魔法や悪魔といったファンタジーではなく、錬金術と科学の間あたりの、すぐにも起きてもおかしくない近未来ストーリーと言ってもいいだろう。例えば人造人間についてなら、この少し後にメアリ・シェリー「フランケンシュタイン」やポー「メルツェルの将棋差し」が書かれている。
登場人物たちは明朗、軽快で、どんな状況になっても周囲の圧力にも流されず、自分の思うままに突き進むのも爽やかだ。今で言えばシティ・ロマンスとでも言いたくなる。ただ熱烈で一徹な想いの強さは、やはり見知らぬ危険な魅力に取り憑かれてしまったせいなのだろう。
それが行き場のない情熱となって転落への道になるとしたら、今まで見たことのない景色に翻弄された結果ということだ。本人にも周囲の人にも同じことだが、それくらいのことで悩んだりはしない。どんな理由でも恋は恋であって、軽やかに恋に殉じるのが彼らの生き方だ。音楽とダンスに彩られた恋は、音楽家でもあったホフマン自身のスタイルでもあるのかもしれないが、同時代の感性の最先端でもあったのだろう。そこに暗い葛藤と破滅的な結末を持ち込んだことによる、アンバランスで妖しげなところが魅力なのかもしれない。

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文学が2度面白い

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由良君美門下とも言われた英文学者の高山宏と、アメリカ文学というよりはSF評論家というイメージが個人的には強い巽孝之の対談で、マニエリスムをキーワードに縦横無尽にオモロイことを言い倒そうという本。高山さんは「アリス狩り」という書名がロリコン本みたいで、ある種の浮世離れした人なんだろうかと思う。だいたいが高山さんの直感的な発言に、巽さんが博識な解説をつけるという、ボケツッコミ漫才みたいな構成。それでアメリカンルネッサンスとして、ホーソン、メルヴィル、ポーから、ルイス・キャロル、ヘンリー・ジェイムズ、さらにピンチョン、ディレイニーまで、さらに同時代の批評理論まで俎上に乗せて突っつき回す。アメリカのルネッサンスとは一体何事か、マニエリスムとは何なのか、その謎が解けたようでもあり、ぐちゃぐちゃのままがいいようでもあり。
高山さんが東大文学部で天才と呼ばれた由来が出てきて、元々キリスト教系宗派に所属していたことがあり、そこでは聖書の言葉が何を象徴しているかという練習ドリルを山ほどやらされるものだから、文学テキストでもどんどん問題を解いてしまってこれは凄いということになったのだそうで、つまり欧米の文学理論というのはそういう「ぶ厚い」教養の上に成り立っているのだという、含蓄ありの、大きな壁に立ち向かってる感ありのところだった。
イギリスとアメリカを結ぶのが環大西洋文学なら、環太平洋文学を形作る日本のマニエリスムは荒巻義雄なのだと、突然そんなことを言われれも困る。そういうことはもっと早くに言ってくれ。
そうやって文学史をマニエリスムという断面で見ると、これまでとまったく違う風景が現れてくる。ポーの制作技法をこんなにあからさまにされて、もう同じ目で見ることはできないが、むしろ天才というイメージは強まったかもしれない。
これからはどんな作品でも、同じような読み方はできなくなる。必ずこっち側と両面の読み方をしてしまうだろう。そして文学の愉しみが2倍になるのだ。

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紙の本鞍馬天狗

2018/10/06 11:38

鞍馬天狗への道

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大佛次郎の鞍馬天狗シリーズは全47作。作家デビューの初期から、晩年に至るまで書き続けた。最初は脇役として出したつもりが、編集者から、次はこっちを主役にして、と言われ、それで人気作家になったのだから、人生不思議なものでもある。そういえば丹下左膳も最初は大岡越前の脇役だったのが、連載するうちに人気が出て主役になってしまったわけで、そういう怪人物人気というのも面白い。
その鞍馬天狗初登場作品「鬼面の老女」など3編に、創作を始める以前に翻訳していたうちの「夜の恐怖」を収録。これはロンドンの裏社会で夜の恐怖という名で知られる謎の男が主人公を助ける話で、なるほど鞍馬天狗の元ネタと思われなくもない。こういう作品を収録したのは、編者の目のつけどころがよかった。
「鬼面の老女」では、本当に背景がなんだかわからない正体不明の怪人である。これが「西国道中記」になると、長州と談判に出かける勝海舟を助けて、新撰組や薩摩を相手に立ち回るというストーリーで、維新の志士でありながら、現代的な視野の広さとヒューマニズムを持った人物に成長している。そしてそれが、鞍馬天狗の人気の秘密というか、作者の思想を反映したと言われる所以だ。同時に当初外務省勤めの片手間で翻訳をしていたのが、大衆小説を専業として書くようになるにあたっての、作者の思い入れの変化でもあった。
エッセイ「鞍馬天狗と三十年」が、もう書くのをやめたいと思いながら、慰問で訪れたインドネシアで出会った将校や、原作者の名前も知らない多くの天狗ファンに押されて書き続けてきた、その遍歴を語ったもので、その間に現代的視点による赤穂浪士や、現代小説、「ドレフュス事件」を始めとしたノンフィクションの執筆、さらに雑誌の創刊や戯曲など幅広く活動しながら、やはり鞍馬天狗が常に彼のパートナーとなって伴走し続けていくこだろうという、諦めのような覚悟のような、おそらくは感謝が綴られている。
とにかく日本の大衆芸能史における最大のヒット作であり、昭和の精神史の柱でもあるシリーズ作品の、成り立ちを知るには格好の一冊と言っていいはずだ。

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紙の本アンチクリストの誕生

2018/09/24 17:03

帝国の多様な顔

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ロシアの革命軍による協力の強要を受け入れた旧軍属の男だが、暗号解読作業が期限の時間までに終わらず、思わず「主よ、われを憐れみたまえ」と叫び、以後それが彼の仇名になる、つまり彼は生き延びた。暗号なんてかつては軍人だけのものだったのが、このインターネット時代になって誰もが日常的に利用するテクノロジーになったので、親近感をもって読めるだろう。
「一九一六年十二月十二日金曜日」ロシア軍捕虜となって、終戦後にウィーンに帰宅した男にとって、それは特別な日になった。
「アンチクリストの誕生」イタリアの靴職人に生まれた子が、預言にあるアンチクリストだという。男は赤ん坊を抹殺しようとするが、妻はあくまで子供を守ろうとする。夫も妻も数奇な過去の上に、さらに複雑怪奇な人生を歩まなくてはならない。
フランスから来た男爵の、月を恐れるという一族の歴史「月は笑う」。
プラハにある軍人御用達の酒場「霰弾亭」では、兵士や下士官や工兵達が夜毎呑んだくれて騒ぎを起こす。そして過去のロマンスが、楽しい唄も悲しい唄も一緒くたにがなり立てられる酒場の描写とともに、無情かつガサツな掘り起こされ方をする。
「ボタンを押すだけで」それだけで離れたところにいる人を死なせることができるか、確かにブダペストでそういう噂を立てられた男。それが不思議な出来事だと思われるような牧歌的な時代もあった。
「夜のない日」ウィーンで天才的な数学の才能を持つ男が、論文を完成させるや決闘の場に駆けつける。彼の生涯にどれほどの意味があったろうか。
「ある兵士との会話」バルセロナで出会った唖の兵士と闊達なコミュニケーションができたはずだった。
とにかくいろいろな国を舞台にし、いろいろな民族が登場する。人物名からすると、ドイツ系もポーランド系も入り混じっているようだ。だがそれは作者にとって異国の物語というのではない。いずれもオーストリア・ハンガリー帝国の版図や関連の深い地域だからだ。帝国は第一次大戦で崩壊したが、その歴史や文化は作者の中に息づいていたのだろう。「ラデツキー行進曲」で現れるメンタリティーとも共通するし、それぞれの文明の記憶の残滓が交錯して物語を生み出している。
中でも「アンチクリスト」がとりわけドラマチックな展開で、囚人としてガレー船に乗っていたという過去から、幾多の放浪の末の結末まで、個人の信教や愛憎の枠を超えて、その時代を動かしていた原理が全体に漂っている。他の作品でも地域ごとの土着性と、普遍的風な顔の制約の中での展開があり、世界文学という言葉がなんとかく連想されてくる。

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紙の本カラハリの失われた世界

2018/09/16 17:38

アフリカの気高き人々

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映画「戦場のメリークリスマス」の原作者として日本では知られているだろう、南アフリカ出身の文化人類学者ヴァン・デル・ポストだが、これは彼が少年時代の記憶を元に、幻の種族ブッシュマンを探し出そうとする探検記だ。ムーア人ながら第二次世界大戦では英軍に志願し、インドネシアで日本軍の捕虜となった体験が戦メリの元になったが、戦後になってみるとアフリカでブッシュマンの存在は、様々な紛争や民族移動の影響で全く確認できなくなっていた。それをBBCをスポンサーにして探検隊を組織して、アフリカ中部カラハリ砂漠に、その存在を確認しようというのだ。
むろん最大の成果は、昔からの生活を維持しているブッシュマンの部族を発見し、その文化を伝えたことにある。ただしそれはアフリカの広大な密林と草原と砂漠を果てし無く彷徨って、幸運だけで成し遂げられるものではなく、周到な計画や実行力も大事だし、アフリカそのものに対する知識も大事だが、土地ごとの人々から情報を得るための、そこの文化や歴史に対する理解がなくてはできないことだった。
彼の語る歴史は、北アフリカの動乱と、南アフリカへのヨーロッパ人の植民によって、大陸全体で民族移動が起こり、ある者たちは屈して労働者になり奴隷にされ、ある者たちは戦い、ある者たちは北から南から侵入してくる民族から逃げて大陸の中央部に移動する。ブッシュマンは唯一徹底抗戦した結果、どんどんその生活圏を狭められていった。そして農耕もせず使用人にもならず、狩猟による生活を頑なに守り続ける彼らを追って、果てのない密林、草原、砂漠を縦断し、河を遡る。そしてついに彼らと出会い、ともに暮らし、その体験と絵撮影フィルムを持ち帰る。
彼らは、無数にいた消えゆく部族の一つにすぎなかったのだろうか。彼らの神々や伝説も、音楽も、壁画も、やがて文明化されるだろう歴史の一幕として記憶されるだけなのか。発見されてしまったからには、文明化するか、静かに追われていくかしかなく、そのきっかけになったのがヴァン・デル・ポストなのか、単に時間の問題だったのか。
その功罪はともかくとして、出会ったものに対する感性のみずみずしさには目を見張る。ジープ、ランチ、カヌーまで使った探検を成功させたのは、技術や思想だけでなく、アフリカの土地に対する愛情、そこに住む人々に対する敬意があってこそなのだろう。発見の素晴らしさ、そこで描かれる自然と人々の気高さ、それだけにその後の運命が気になって仕方がない。

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電子書籍櫻守(新潮文庫)

2018/09/08 06:23

職人の日本

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「櫻守」は、植木屋に奉公に出て以来、桜に取り憑かれた男の一生。それはごく平凡な職人の生き様でもある。当たり前に腕を磨き、目利きの間では多少名も通るようにはなるが、なんの名誉も栄光も手にはしない。無数にいる職人たちの一人なのかもしれない。その仕事一筋の生活の中で、妻との出会いと生活も抒情的だが、昭和初期の戦前から戦後までの移り変わる時代は、芸能の分野でも大きな影響を受け、それらの不合理さへの戸惑い、批判的な視点もまた一つの柱となっている。この時代に成長した彼は、作者と同世代であり、世間を見る目、見られる目線とうところでは共通の基盤を持っているだろう。そしてもう一つは、主人公が師事する桜の研究の第一人者である植物学者の存在で、これは実在のモデルがあるという、分類学に耽る研究者ではなく木を植え、接ぎ木をする技術に生涯を捧げた人物であるという。この師匠と主人公のともどもに語るのは、接ぎ木が容易だというだけの理由でソメイヨシノばかりがもてはやされ、日本の山々で古来からの多くの桜の品種が消えていくことへの無念さだ。さらにその根底に、里山に手をかけて森林を守る仕事が忘れ去られていくことへの嘆きがある。そしてこの師匠は、ダム建設で水没する村の桜の名木を移植するという難事業を手がける。これら桜を巡る様々な思いが、一人の職人の目を通して語られるが、そのストーリーよりもなによりも、全編に現れる桜の花、それを映えさせる背景の山々の描写の美しさがやはり圧巻と言わざるを得ない。その美しさがあるからこそ個々の主張が説得力を持ち、職人の人生にも代え難い価値を見いだせる。また大局を見据えた確かな批評眼の上での美意識であるゆえに、描写に意味が生まれる、その相乗効果が、日本の美意識を際立たせているのだ。
「凩」は老年に差し掛かった宮大工の日常で、これもまた主人公の目に映る様々な建築物への批評がずんと重みを持つ。すでに仕事は隠退といってよく、娘がインテリアデザインとかいう奇妙な名前の仕事を持つ男と事務所を開くのだと、山間の土地は売って京都に住もうと言ってくるのに抵抗を感じるが、結局は家の土地は売ってしまう。だが都会に住んでビルやアパートを眺めていると、どれも安っぽく、とても住みやすいようには見えない。そりゃ宮大工が丹精込めた建物とは違って、安くてすぐ壊れるようにできているのだが、それが文明の進歩なのかと問われればたじろぎはしても、走り続けなければいけないのが現代だ。ここでも彼の手がけた建造物の精緻さ、現代建築との違いの描写が確かな説得力を生み、ただ価値観の違いと言って片付けられない力が感じられる。そして彼は最後の生き場所を求めて、山に残していた土地に帰っていくのだが。
どちらも京都周辺の柔らかげな言葉で語っているのだが、たぶんそれゆえに古い日本の美しさについての圧倒的な自信が際立つようで、関東育ちの僕にはそこで圧倒されたりするが、そこは割引きしようのない筆力なのだろう。なにも高踏な趣味論、芸術論をかざさなくとも、ただものの造作を語るだけで、厳しい文明論を現前させてしまう、弱々しく平凡な生活者の凄みがここにあるようだ。

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紙の本無法者の独立峠

2018/08/30 00:19

森に生き砂漠を奔る戦士

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寿行作品をひとくちにハードロマンとかアクション、サスペンスとか言ってしまうよりは、ポリティカル・フィクションと称したほうが良さそうなものも多い。新しい独立国家を目指すような「蒼氓の大地滅ぶ」「頽れた神々」、テロリスト組織を追う「往きてまた還らず」に始まる「鷲」シリーズなど。その視点は日本だけでなく、海外の様々な土地に及び、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカにも舞台は移る。
北アフリカは英仏が引いた国境と民族区分が紛争の種であり、その中でカダフィという独裁者が引き起こす軋轢は深刻なものになり始めていた。そんな情勢に、サハラ砂漠に突入してカッコイイ冒険小説のネタになるような解決方法があるのか、と言うより1980年代でそんなことを考える日本人がいたのか。さてそこで、アメリカの軍の研究所から炭疽菌が盗まれる。アメリカ国内は道路、交通の封鎖により麻痺状態となる。犯人と思われる日本人女性が追跡されるが、用意周到さに捕まえられない。彼女たちは信州の廃村に住み着いた謎の集団であって、地元警察の要請で事件解決に超能力を駆使して解決したらしい。それが世界のあちこっちに出没しては、小さな種をまいて歩き、最後の大きな絵を描いてみせる。
潜入を命じられた公安警察の女性捜査官の視点を中心に語られて、しかし集団の正体は謎のままで、彼女は翻弄されていく。周辺国だけでなく、国境を持たない誇り高き遊牧民族が、イタリアのマフィアが、続々と集結し、地中海戦争は危ういバランスの上を着々と進行し始める。つまり超大国に介入する余地を与えずに、個人集団の草の根的な知略によって、パワーゲームの決着をつけてしまおうという目論見だ。奇想天外な方法とも言えるかもしれない。
だが軍事力比べでないスマートな方法、タフでもヒーローでもないどこまでも無名の黒子に徹する実行者と、新しいスタイルというよりは、日本人らしくまた作者らしい冒険小説の形を苦心したものと思える。根底にあるのも、ヒューマニズムというよりは、自然に溶け込んで遊牧に暮らす民族への共感であるし、個人と社会の二元論ではなく、社会の向こうに自然や地球が見据えられているのも、またこの作者らしく思える。
そして権力も軍事力も、国家も、自然の力の前には儚い存在でしかない、そういう意識によって生み出された独特の世界として堪能すべき物語のように思える。

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