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とみきちさんのレビュー一覧

投稿者:とみきち

45 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本業柱抱き

2003/07/17 20:57

「私小説を一篇を書くことは、人一人を殺すことに似たことだと思うた」

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 車谷長吉の真髄を知ることのできる1冊。平成5年から平成9年頃までに発表された評論、エッセー、詩、俳句等を集めたもので、小説観、人生観が繰り返し語られている。

 車谷の文章を読むと、現代の日常生活から位相のずれた、精神世界にずるずると引きずり込まれる錯覚に陥る。明るい戸外から急に暗い室内に入った時のように、すべてのものが影絵のように映り、戸外の喧噪はぼんやりと遠のいていく。恐ろしい精神の淵を、恐ろしいと知りながらのぞき込まずにおれない、そんなそら恐ろしさがある。

 車谷は自らを「私(わたくし)小説」しか書けない人間であると断ずる。その「私小説」観。ここに車谷を理解するすべての鍵がある。例えばこのような表現はどうだ。「私小説は自己の存在の根源を問うものである。己れの心に立ち迷う生への恐れを問うものである。そうであるがゆえに、生への祈りである」。(p24)

 「併しそのように私小説はある畏敬の念によって書かれるものであるにしても、私小説を書くことは悪であり、書くことは己れを崖から突き落とすことであった。つまり、こういうことはろくでなしのすることであって、言葉によって己れを問うことはあっても、それを文字にすることのない敬虔な人は多くいるのである」。(p25)

「私は三十九歳の時、一年間かかって『吃りの父が歌った軍歌』という小説を書いた。(中略)口から血へどをはく思いがした。これを書いて、私はいささかなりとも医されることがあったか。己の生のあかしとして、書かざるを得ない衝迫にせかれて書いたのではあったが、併し医される以上に、私は自分に何か業深いものを感じた。私小説一篇を書くことは、人一人を殺すに似たことだと思うた。(中略)書けば書くほど、自己矛盾は深まり、己れはより苦しいところへ追い詰められて来た」。(p44)

 かくて車谷は、平成8年に強迫神経症を発症する。心の求めのままに私小説を書き、そのために七転八倒し、受賞をすれば、さらに自己矛盾が深まる。そして、自分の中の「自分が自分であることの不快」、「私が人間であることの怯え」が、それでも自分に物を書かせたのだろうと考察し、また書き続けるのである。何という因果であろうか。書棚の中の車谷の本だけが、その居住が違って見える。

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紙の本万治クン

2003/11/10 23:29

深く深くかかわるということ

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夫・永倉万治(改名後は萬治)は35歳で作家になり、41歳のときに脳溢血で倒れる。後遺症の右半身マヒと失語症と闘いながら作家活動を続け、その間、妻は夫の原稿に手を入れる役割を担ったが、夫は52歳で帰らぬ人となる。妻は、夫の絶筆『ぼろぼろ三銃士』を書き継いで完成させ、学生時代の出会いから夫の死までの二人の歩みを記した本書を著した。

「妻が夫を偲ぶだけの話にはしたくなかった」と作者は朝日新聞(2003年11月1日付夕刊)に書いている。「……決して諦めずに多くの作品を発表し続けた作家・永倉万治の物語とともに、彼と出会い、共に生きるなかで私という一人の女がどう変わっていったか、そして彼の死をいかに受け止め、立ち直っていったかを書いていこう、そう心に決めていた」。

家族をめぐる大きな試練につき当たったとき、何故これほどまでに苦労するのだろう。日常生活の煩わしさから離れて生きていれば、いっそ一人で生きていればどんなに楽だろうと思うこともある。

しかし、人生の喜怒哀楽の8割もしかしたら9割近くは、日常生活にこそ詰まっている。日常生活をともにするからこそ、互いに成長し、影響し合っていくものなのだ。相手と深くかかわればかかわるほど、人間味豊かに、大きくなるのだ。本書を読むとそのことがよくわかる。

人生にはさまざまな出会いと別れがある。生涯でとびきりの出会いと別れを経験したら、やっぱり本を書きたいと思うだろう。自分にとっての意味づけをしたいと思うだろう。そして、また次の出会いを受け入れる心が生まれてゆくのだろう。一人の人間と深くかかわったことの喜びにあふれた書だと思う。

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「女性」を追求し、「女性」を超えた美貌作家の魂の言葉

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 アナイス・ニン。1903年パリ生まれの詩人・作家で、その美貌も有名。パリ、ニューヨークなどで執筆活動・サロンを開くなど活躍し、多くの作家たちと親交があった。 本書は、父が家族を捨てて他の女性のもとに去ったときから、少女アナイスが父に読ませるために書き始め、片時も手放さなかった日記の中の1931〜1934年部分である。

 当時のパリで、まだ売り出し前のヘンリー・ミラーと出会い、交流し、影響を与え合う様子はとても興味深い。ヘンリーの2番目の妻ジューンを間に不思議な三角関係を築きつつ、憎悪・受動性・猥雑さ・破壊的な行為と言動など、対照的な特質を持つヘンリー・ミラーと、庇護し合い、嫉妬し合い、互いの創作意欲をかき立てる存在となっていく。既に作家としての地位を築いていたアナイスは、ヘンリーの『北回帰線』の発行に助力をしており、また、序文も寄せている。

 アナイスにとって、ヘンリーとの交流と同程度あるいはそれ以上に大きな意味を持つもう一つの出来事が、この時期には起きている。父との再会である。「父に捨てられた女性」という意識を乗り越えるために、アナイスは日記に自分を綴り続けた。それは、女性であることを追求することで「男に捨てられる女」を脱却しようとする作業にも見える。当然のことながら現実の父との再会は、娘としてでなく一人の女性としてなされねばならなかった。

 本書の最後に、死産(あるいは堕胎か?)を体験した後のアナイスが神との一体化を体験するシーンがある。「神と交わるためには男も、司祭もいらなかった。わたしの生を、情熱を、創造を極限まで生きることによって、わたしは空と、光と、神と交わったのだ。(中略)わたしは生まれたのだ。女に生まれたのだ。神を愛し、男を愛する、こよなく、しかも別様に。両者を混同せずに。わたしはあらゆる人間的な悲しみをのり越え、苦痛と悲痛を超越して、偉大な静謐、超人的な喜びのために生まれたのだ。男への愛に、創造に見いだしたこの喜びは、神との交わりによって完全なものになった。」(p620)

 「女性の追求」から一人の人間への脱皮。アナイスにとって啓示的な瞬間が描かれてほどなく、本書は終わっている。傷つきやすく、壊れやすい魂と、知性に対する無限のエネルギーを感じさせるアナイスの言葉に共感を覚える人も多いことだろう。一方、日記から受ける印象とは異なるアナイスの姿も伝えられている。日記という形式の限界を意識しつつ読む必要があることは言うまでもない。

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紙の本

2003/02/07 00:15

時代物初心者にうってつけの作品

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 時代物の門外漢を自認している私は、うかつなことにこの著書はもちろん、著者のことさえ知らなかった。友人に「良かったよ」と言われて買ってから、おや、これは江戸物だったのかと気づいた次第。
 とにかく読んでみた。最初の短編「その夜の雪」はこう始まる。
 「苦髪楽爪とはよく言ったものだと、森口慶次郎は思った。」
 普通の文章ではないか。名前も現代風だ。これは助かったというのが正直な気持ちだった。時代物のお約束事も何も全くわからない人間には、ほっとする出だしだったのである。「十五の年齢に南町奉行所見習い同心となり、二十五で定町廻りとなって」となるともうお手上げだ。「同心」、「定町廻り」、これはだめだ。
 心配は杞憂に終わった。お江戸版ハードボイルドとも言える乾いた文章で、過不足なく時代背景や小道具、役職の説明を挟んでくれる手際の良さに乗せられて、あっという間に江戸の町に入り込み、慶次郎とともに歩き回ることになった。
 階級社会のひずみがそこここに描かれている。暮らしに追われる民の日々が描かれている。義理人情を描いてはいても、驚くほどの善人もいなければ、スーパーマンも登場しない。貧しい中でも心だけが清らかな人間など描いてもつまらない。皆、それぞれの事情を抱えて、自分の身の回りのことで手一杯なのである。いかにも江戸の町にいただろうと思わせる人々を描いて。しかし、さりげなく粋と人情と体温を感じさせる。
 男性の描く女性像は、とかく「こうあってほしい」思い入れが強く、「薄幸ではかない」か、「掃きだめの鶴」かということがままあって、興ざめすることがあるのに比較して、この著者の描く女性ははっきりとした輪郭を持っている。新鮮な印象が残った。
 時代物初心者には格好の作品であった。が、一冊読んだだけでは、井の中の蛙大海を知らずのそしりを免れない。幸い、慶次郎縁側日記はシリーズ物である。他の作品を読むのが楽しみであると同時に、時代物の通の方の感想を聞いてみたいとも感じた。
 

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紙の本金子光晴とすごした時間

2004/01/20 02:28

金子光晴の魅力が存分に盛り込まれている点では★4つ。しかし、出版社の怠慢のうらみあり。

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作家の日記や手紙、知人・家族による身辺記、さらには評伝を読むのが好きだ。金子光晴については、その詩よりも、自伝3部作『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』を読んで以来のファンなので、本書にも飛びついた。

昭和29年夏、サラリーマンをしながら同人誌に詩を書いていた24歳の著者は、会社の同僚U嬢から、当時の金子光晴夫人大川内令子を通じて59歳の金子光晴に紹介される。以来、金子に傾倒し、最初は詩の弟子であったが、後に「野暮用」の弟子となり、今もって金子を敬愛し続けることになる。
 “金子光晴、音楽会に行く”の章には、金子の誘いに同行したクラシック音楽会で、金子が演奏中に鼾をかいて寝入ってしまった場面が描写されており、ここに著者の金子に対する絶対的な敬愛・理解の念が余すところなく描写されている。

……僕は知らぬ顔をきめこむことにした。(中略)この人がこうしたら、それは骨の髄から、彼がしたいからしているのであり、誰が何と言おうとしたいことをするのだ。この人は誕生以後の様々な不運にとりまかれながら、ほとんど独りで、誰の手助けも見習う見本もなく、それらを乗り越えて来たのであり、時にはそのためにかえって躓いたり廻り道しなければならなくなっても、自我だけを頼みの綱として強固に、かつしなやかに鍛えあげて生き抜いて来たのだ。
 彼の反戦の詩というようなものも、そういう彼だけがなしえた成果であり、そのように百パーセント彼だけの言葉で、一切の借り物なしに書き上げられていることによって見事なのだ。それと同様に、彼は彼のつくりあげたライフスタイルのためには下駄ばきモジリで音楽会に来なければならぬのであり、眠りたいと思ったら、たとえ相手がベートーヴェンであろうがフランクであろうが眠らなければならないと僕は分かっていたのだ。(pp47-48)

 日常のエピソードもさることながら、詩に関する考察も大変に興味深い。“金子光晴の二つの「泡」”の章では、今後の研究を待ちたい重要な指摘が披瀝されている。「泡」と題する詩には2種類あり、最初の「泡」は、戦時下の言論弾圧の中、やむを得ず一部点線(伏せ字)にして発表されたが、16年後には点線部分を本来の表現に戻したものが発表された。そこに表現されていたのは、日中戦争をしている日本への強烈な批判であったという説である。

「あとがき」によれば、本書は書き下ろしでなく、「序」の章以外の本文17章はすべて、神田のタウン誌『本の街』に発表されたものだという。単行本発行に当たっての編集者の怠慢をここで指摘しなければならない。金子とこれだけ近しく、また森三千代から肉筆の日記などを渡されていた重要な人物の単行本を発行するのであれば、文章に加筆・修正をすべきであったと思えてならない。タウン誌に気ままに書いている間は見逃せたとしても、単行本にするのであれば、日本語として難のある文章が多過ぎるのは著者に気の毒である。非常に単純な誤植もあれば、タウン誌の発行年月日も記されていない。それによって著者の金子に対する思いの深さはいささかも減じられることはないにしても、それを仕事としている出版社の姿勢として、大いに反省を促したいと思う。

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紙の本フリーダ・カーロ 生涯と芸術

2003/10/28 20:28

「絵」以上には語れていない——『フリーダ・カーロ太陽を切り取った画家』(ローダ・ジャミ著)も併読

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 芸術家の評伝は、描かれる人間が個性的であればあるほど、エピソードに満ちていればいるほど、エネルギッシュであればあるほど、一つの切り口で切り取ることが難しく、網羅的になりがちである。ジュリー・ティモア監督の映画「フリーダ」を見て、フリーダ・カーロの生涯がどのように描かれているか興味がわき、2冊の評伝を読んでみた。

 フリーダを語るキーワードは、おそらく誰が挙げても大きく変わらないと思えるほど、その47年の生涯には人並み外れた事件が多い。メキシコに生まれ、10代の終わりに交通事故に遭い、その後遺症に生涯苦しむ。天才壁画家ディエゴ・リベラとの結婚。画家としての出発。シュールレアリスム画家としての世界デビュー。トロツキー、イサム・ノグチらとの恋愛などである。

 『フリーダ・カーロ 生涯と芸術』は、そのボリュームに圧倒されるが、フリーダの生涯のありとある出来事を時間をたどって軽重をつけず客観的かつ克明に綴り、またその作品の誕生の経緯と解説をふんだんに盛り込んだ、大変な労作である。創造性や作品としての完成度には不満が残るが、それを我慢しても読む価値のある資料や考察に満ちている。

 一方、『フリーダ・カーロ 太陽を切り取った画家』は、フリーダを一旦自分の中にイメージした上で、一人称の形式も取り入れながら描いている点で創造性は感じられるものの、やはり網羅的である点は否めず、女性あるいは画家としてのフリーダを描き切っているとは言えない。

 フリーダの絵を見ると、モチーフに自画像の多いことに気づく。また、心安らぐテーマは少なく、常に命、血、セクシュアリティーなどのテーマがストレートに、説明的に表現されている。その背景には事故によるさまざまな心身の苦痛があることは明らかで、その絵を読み解くために、絵の背後にある生涯を最初から追う形式を選ぶことになるのもうなずける。

 しかし、フリーダを知りたければ、何よりもまず絵を見ることだろうと改めて思う。心身の絶え間ない痛み、生への執着、孤独な心は、彼女の伝記を読まずとも、その絵を見れば強烈に伝わってくる。そこから何かを感じない人間は、幾らその生涯についての知識を得ても意味がない。

 その絵を、その人生をより深く理解するための手助けとして、史実を知っておくこと、メキシコの社会情勢を知っておくことはもちろんむだではないという意味で、この2冊には価値がある。しかし、あくまでもフリーダを知るための副読本としての位置づけに終わっており、絵から感じられる以上のインパクトを与えてくれるほどに著者独自のフリーダ像が屹立しているわけではない。

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紙の本妻と私・幼年時代

2006/09/14 20:56

自身を形骸と断じて自死を選んだ江藤淳

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 妻を看取った後に書かれた『妻と私』、それから自死直前の絶筆『幼年時代』を収録。追悼文を福田和也、吉本隆明、石原慎太郎が寄せている。さらに武藤康史編による江藤淳年譜。
 『妻と私』は妻が発病してから死に至るまでの日々を、抑えた筆致で描いた記録である。文章の背後から、かけがえのない妻を突然の病魔によって奪われる理不尽さに対する憤りや、その後、自身も死の縁をさまよったよるべなさが立ち現われ、読む者の心にせつせつと迫ってくる。
妻が入院し、モルヒネの投与も開始された頃の記述。
〈新聞だけではなく、私の仕事がよほど気になっているらしく、編集者が本の校正刷を持って病院に現われたときには、一瞬意識が戻り、やや鋭い声で、詰問するように、「あの人、何しに来たの?」と質ねた。「今度出る本の、著者校を持って来てくれたんだ」と説明すると安心したと見え、家内はまた静かな眠りのなかに沈んでいった。
あるいは、家内はこの頃、私をあの生と死の時間、いや、死の時間から懸命に引き離そうとしていたのかも知れない。そんなに近くまで付いて来たら、あなたが戻れなくなってしまう、それでもいいの? といおうとしていたのかも知れない。
しかし、もしそうだったとしても、私はそのとき、家内の警告には全く気付いていなかった。ひょっとするとそれは、警告であると同時に誘いでもあり、彼女自身そのどちらとも決め兼ねていたからかも知れない。〉
そして、妻は亡くなり、江藤は、葬儀に関わる、一切が日常性と実務に埋め尽くされる時にいやおうなく連れ戻される。看病と葬儀等での無理もたたって、葬儀後には前立腺肥大が極限まで悪化し、敗血症寸前になって緊急入院する。その窮状から何とか持ち直して退院し書き上げたのが、『妻と私』なのである。この文をもって江藤は復活した、と思われたのだが、その後、脳梗塞に見舞われ、有名になった次の遺書を残して自死する。
〈心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。〉
 最愛の妻を失ったあと、4歳の時に死に別れた母の記憶をたどりながら書き始めた『幼年時代』。江藤はおそらくもう一度、自身の生を辿り直す旅を始める決意だったのだろう、脳梗塞が起きるまでは。生きるためのよすがをもう一度自分で見つけ出し、死から目をそむけるのではなく、生を見つめることによって日常を生きていくための、ほのかな光を見出そうとしたのではないか。
そんな矢先に脳梗塞が見舞った。そして、自死を遂げたのは激しい雷雨の日だったという。ほのかな光は、その雷雨と暴風にかき消されてしまったのかもしれない。

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紙の本東京奇譚集

2006/03/27 17:23

春樹ワールド満喫

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 村上春樹の短篇は佳作が多い。本書は、文章といい、タイトルといい、アイディアといい、ストーリーといい、春樹色満開の懐かしい一冊だった。
 本書全体のまえがきの役割を果たしているかのごとく始まる一作目の『偶然の旅人』の導入から、人を食ったような、トーンを抑えた春樹節。“僕=村上はこの文章の筆者である。この物語はおおむね三人称で語られるのだが、語り手が冒頭に顔を見せることになった。”こうして本書が「不思議な出来事」を集めたものだと読者は知らされる。
 一作目は、このような前ふりも手伝って、作家の本当の体験なんだろうなぁと思って読める。小説というよりはエッセイに近い印象。この印象は、どちらかというと私にとって上質の小説ではなかった、という評価である。物語の最後に、僕ではないもう一人の主人公の「彼」にひどく説明的な理屈を語らせてしまったことで、小説を台無しにしてしまったからだ。彼は僕に言うのだ。“偶然の一致というのは、ひょっとして実はとてもありふれた現象なんじゃないだろうかって。[…中略…]でもその大半は僕らの目にとまることなく、そのまま見過ごされてしまいます。[…中略…]しかしもし僕らの方に強く求める気持ちがあれば、それはたぶん僕らの視界の中に、ひとつのメッセージとして浮かび上がってくるんです。”説明しないでほしかった、こういうかたちで。
 二作目の『ハナレイ・ベイ』は面白くなかった。あーあ、退屈だなぁと思って読み終えたのだが、『どこであれそれが見つかりそうな場所で』『日々異動する腎臓のかたちをした石』『品川猿』の三編はたいへんに面白かったのだ。そのために二作目をつまらなくしたのかと邪推を持ちたくなるほどに。
 名前を失う出来事とか、都会の地下に生きる生き物とか、言葉をしゃべる人間以外の生き物とか、つかみどころのない謎かけをするような美女とか、突拍子もない職業とか、春樹ワールドでおなじみのアイテムがうまく組み合わさって、虚構の世界に読者を遊ばせてくれる。理屈ではなく、不思議な空間にぽんと浮かばせてくれるのが春樹ワールド。ひさしぶりに冴えている短編集。楽しめました。

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紙の本神も仏もありませぬ

2004/05/14 16:07

悪態をつきながら、軽やかに老いを楽しむ64歳の心意気

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佐野洋子は口が悪い。佐野洋子の前で、うっかり気取った口や賢しらな口をきいたりしたら、途端にどやされそうである。群馬の山の中に一人住まい、老いと死を見つめて暮らす64歳。かわいげがないところが実に可愛らしい。文章も生き様も、さばさばとしていて、読んでいて楽しい心持ちになる。他人のことをけなさないのである。徹頭徹尾、自己責任の人なのである。農業をする人や、フツーの人を心の底から尊敬しているのである。老いて、弱い者同士が肩を寄せ合い、傷をなめ合うような友人なんて要らないとばかり、なんだか楽しい人ばかりがワサワサと集まってくるのである。

 赤ん坊の時から知っている2歳年下の孔ちゃんがニューヨークで亡くなったと、妹から電話で知らされた瞬間、いろいろなことを思い出す。家の応接間ではいはいをしていて、おむつからウンチがこぼれた時の記憶から、カレーのなべを広げたひざの間にはさんで、なべの中にごはんをぶちこんで盛大にカレーを食べていた姿、演劇をやっていた学生時代。そして、商社マンになり、お見合いで結婚して、世の中に組み込まれていく孔ちゃんを見て、裏切られた気持ちになったことなど。それでも、赤ん坊の時から知っている孔ちゃんは特別な存在なのだった。

 “どこかに孔ちゃんは居るにきまっていたのだ。「もう一回だけ会いたいよう」。私は声を出して床をたたいた。たたきながら、「一人暮らしって、こういう時に便利だなあ」と思っているのだ。そうだ、泣いても平気なんだと思うと、私は大声を出して泣いた。(中略)一カ月前床をたたいて泣いてたのに、今、私はテレビの馬鹿番組を見て大声で笑っている。生きているってことは残酷だなあ、と思いながら笑い続けている。”
また、老いについてはこんなふうに考えることもある。

“でも私が超美人だったら、きっとひどい嫌な人間になっていたにちがいない。私はブス故にひがみっぽい人格になっている事を忘れて、力弱く我が身をはげまして一生が過ぎようとしている。そして、しわ、たるみ、しみなどが花咲いた老人になって、すごく気が楽になった。もうどうでもええや、今から男をたぶらかしたりする戦場に出てゆくわけでもない。世の中をはたから見るだけって、何と幸せで心安らかであることか。老年とは神が与え給う平安なのだ。あらゆる意味で現役ではないなあと思うのは、淋しいだけではない。ふくふくとして嬉しい事でもあるのだ。”

どこをほじっても色気など出てこないバアサンだとあっけらかんと言う佐野洋子には、野菜をたくさんくれて、日々をフツーに生きているアライさん夫妻をはじめ、ものすごくたくさんの仲間がいるのだ。このことが佐野洋子の老年を充実したものにしていることは、まごうことなき事実である。自立した60代の心意気を感じる書である。

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紙の本天から音が舞い降りてくるとき

2007/02/25 01:25

言葉が音を呼び寄せる

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音楽を言葉で言い表わすのは難しい。しかし、作曲者や演奏家、演奏会の様子について語ることはできるかもしれない。音楽を聴いたときの感動や喜びを表わすこともできるだろう。
梅津時比古は、ひたすら音楽に聴きほれ、その感動を伝え続けている人らしい。音楽コラムを書いて20年。本書は、毎日新聞夕刊に連載している「音のかなたへ」というコラムをまとめた2冊目の本。見開き2ページの短いエッセー。筆者が感動した演奏会、CD、音楽に関する、作曲家や演奏家に関する逸話を、自身の人生観や自然観にからめて綴る、きわめて主観的な文章である。
右手のしびれから左手のピアニストになることを余儀なくされた後、奇跡的に右手が復活したレオン・フィッシャーが、40年ぶりに両手で録音したCD「トゥー・ハンズ」についての描写を引く。(題名「両手の音」)
“演奏から、あふれるような喜びは聴こえてこない。まるで、復活の望みが奇蹟のようにかなった瞬間に、諦めを悟ったかのようだ。静かな喜びと諦観が入り交じる。(中略)音のひとつひとつが言葉となって深く沈む第二楽章で、おそらく彼は涙を流している。その終わりに近く、音を静かに断ち切って、転調が訪れる。まるで神の声のように。それが、彼にとっての両手の復活であったのだろう。人には、できることとできないことがある。それでいいんだよと、その声は、いつくしむように語っている。”
客観性に背を向けて、ひたすら主観的、情緒的に筆者は語る。音楽は演奏された途端に、聴く人のものとなる。聴く人がどのような人生を送り、どのような心持ちでその演奏を聴いているのか。それによって、演奏の受け止め方は異なるものだ。筆者は自身の感性のフィルターを通して聴いた演奏を、自身の言葉で語る。人によって、ときによって、受け止め方に違いがあることを知っているからこそ、その感動を言葉を尽くして伝えようとしているようだ。
グルジア出身の現代作曲家、ギヤ・カンチェーリの曲については、次のように書いている。
“音楽による世界の読み解きもやはり物語をもって行われてきた。楽劇はまさに新たな神話の創出である。ソナタ形式もまた、生の内面と外の形の見事な統一としての物語であった。物語とは、言葉を変えれば虚飾・虚構でもあろう。それなしに世界を理解することは不可能なのであろうか。(中略)カンチェーリがなんとかして、音にまとわりついている文化の文脈を取り去ろうとしていることが分かる。ヴァイオリンとピアノのかすかな音で彼が破壊しようとし、葛藤しているのは、あまりにも重苦しい、過去からの時の流れだ。その闘いの結果、カンチェーリに残るのは、叫びと沈黙の、傷ついた音の残滓になる。(中略)そこから聞こえてくるのは、裸の存在の悲しみのようなものだけだ。だが、その悲しみが、なぜか、かすかな安息をも、もたらせてくれる。”
カンチェーリのありようを否定はしていないが、筆者自身は物語を必要とし、音と言葉を邂逅させたいと願っている。どちらが正しいとは決して言えないし、筆者の感性にどの程度共感するかも人それぞれに違いない。しかし少なくとも私には、この演奏を是非とも聴いてみたいと思わせられる文章が随所にあった。筆者の言を確かめるためではなく、自分の耳で聴いてみるために。言葉が音を呼びよせる。

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紙の本吉本隆明×吉本ばなな

2003/11/06 16:21

ばなな作品を読み解く鍵が満載(少し古いけれど)

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 1997年発行の親子対談集である。ちょっと古い。しかし、なかなかどうして、今読んでも大変にすばらしい。もっと言えば、今読み返すことによってようやく、ばなな作品とは何か、世界で受け入れられるのはなぜかが客観的にわかってくるような位置づけの書である。
 父・隆明にとっては、この対談の前にオウム発言によって非難を浴び、また、この対談の発行前に海で溺れ一命を取りとめた時期に当たり、娘・ばななにとっては、対談の中でも語られているように、『アムリタ』の後、作家活動の節目で、作者も読者もつらい時期に当たっている、そんな時期の対談集である。

 進行役は意外や意外、あのロックの渋谷陽一氏。彼のコーディネートは抜群で、この対談集が、リラックスした雰囲気をたたえつつも、本質的な話がふんだんに盛り込まれているのは、ひとえに渋谷氏の手腕と言える。両氏の作品を十分に読み込んだ上で、世代観・使う言語・文化の異なる親子の間をつなぐ、非常に非凡な通訳としての手腕を発揮している。

 1部が家族対談、2部が文学対談、3部が吉本ばななパーソナルインタビューからなる三部構成。白眉は2部の文学対談である。1部で、自身の結婚逸話などに言及されて、もじもじと歯切れ悪く応対している隆明氏であったが、2部では、完全なる批評家に変身する。娘であるばななの性格を理解した上で、その作品を切れ味鋭く解剖し、さらに新しい何かを引き出そうと迫っていく。
 自分以外の事物を語るときに自身のスタンスが決まり、力を発揮する批評家である父と、人とはかかわりなく自分のスタンスが決まっている小説家である娘のそれぞれの特徴が、一冊の中でこれほど対照的にわかるような対談集はなかなかない。2部の小見出しを追っていくだけで、ばなな作品を読み解く鍵が満載であることがわかるので、少し多いが列記してみる。
  ばなな作品は果たして“優しい”のか
  人間を書いているのではなく“場”を書いている
  作品の特徴と作家の資質
  交換可能な恋愛関係
  ばなな作品における超能力
  吉本隆明の『アムリタ』批評
  どれがベスト・オブ・吉本ばなな作品か?
  何故ばなな作品には死が頻出するのか?
  小説概念が違う
  徹底的な顧客制度から来る国際性
  九〇年代のやや太宰治
  テーマよりもムードが大切
  ふたたびカツ丼論争、かき揚げ丼論争
  吉本ばななのサンプリング能力
 「藤子不二雄が好きだ」とばななが言うときの意味。ドラえもんとのび太が寝そべってどらやきを食べている時間を幸せの象徴として使う意味。それらを理解するための背景が、3人の会話の中から自然に浮かび上がってくる。最新作『デッドエンドの思い出』を読んだときに、納得できる鍵ももちろん豊富に散りばめられている。

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紙の本薔薇盗人

2003/09/06 23:40

なじみの小料理屋でくつろぐ気分が味わえる

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 浅田次郎の短編集を読むのは、なじみの小料理屋のカウンターで過ごすひとときと同じく心地よい。黙って座れば、熱いおしぼりと冷たいビール、心のこもった酒肴と手料理がほどよいタイミングで並べられ、心地よく酔わせてくれるから。

 大手出版社をリストラされて精気を失ったカメラマンと、旅先で出会ったストリッパーとの間に交わされる淡い交情を描いた『あじさい心中』。
 「五感で幸福を味わいつくしながら、やがてうららかな春の陽射しを浴びるように、ゆっくりと人生を終える」至福の死を大金をはたいて買い取った主人公は、死ぬ間際に果たして契約どおりの瞬間を得られるのか。タイトルは『死に賃』。
 万年総務課長代理の死をきっかけに、彼にかかわりのあった人間たちが自分の胸に手を当てて襲われる自責の念や恐怖を、会話のみで描き切った、芝居の脚本のような『奈落』。
 『佳人』は、お見合い世話好きの母が紹介したがるお嫁さん候補に、いまだ独身の有能な部下を紹介したところ、思いもかけぬ恋に展開していくお話。
 水商売の母に女手一つで育てられている6年生の少女の、ひとりぼっちの夜の寂しさと、父を求める切なさをリリカルに描いた『ひなまつり』。
 表題の『薔薇盗人』は、船長として世界周遊の船に乗る父親にあてて息子が書いた手紙形式の作品。ストーリーに仕掛けがあるのはご愛敬。三島由紀夫への嫌がらせみたいな小説だと作者が語ったという逸話が、解説に紹介されている。

 作品に出てくる人たちは皆やさしく、人生の切なさ、心のふれ合いを描く浅田節を心ゆくまで堪能できる。ああ、ここで泣かせるわけねとわかっていながら、いつもの手じゃないの、あざといなあと感じながらも、すっかりお任せの客となる。出された料理一つ一つを味わいながら、思うまま泣かされ、うまいとうならされる。期待どおりのひとときを供してくれるからこそのなじみの店である。

 おなかいっぱいになって、一呼吸。安心して通える店を持つ贅沢を感じつつ、「ごちそうさま」と立ち上がる。暫くしたらまた来ようという思いを胸に、家路に着く。

 私好みの一品を挙げるとすれば『あじさい心中』。場末の人情を書かせたときのうまさは、天下一品。

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紙の本日本の心を語る

2005/05/07 19:11

実践的国際派、真の教養人による語り。もっと売れるつくりにしてほしかったけれど。

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平易な文章で、日本人であることの誇りとあるべき姿を語る本。画家としてだけでなく、文化財保護、国際支援における役割を果たし続ける著者の語る言葉であるだけに、一言ひとことの重みを感じる。死語になりつつある「徳」という言葉を読んで、はっとさせられる。こんな年長者がもっと多くいて、若い人たちに心をこめて語りかけていくことが必要なのだろう。実践と信念を兼ね備えた人の言葉は、奇をてらう必要などみじんもなく、淡々と、しかしぶれがなく、私たちに真っ直ぐ届く。
第一章 幼少年時代/第二章 私の生活信条/第三章 子供を育てるということ/第四章 日本文化の成り立ち/第五章 文化の継承と武士道/第六章 争いを超えて
『武士道とはまさに武士階級の道徳的あり方を律してきた価値体系です。責任をとる、嘘をつかない、人を誹らない、名誉を重んじる……。そうした価値観を叩き込む思想です。現代の日本人は武士道の価値観を失ってしまったかに見えます。西洋人の合理的な個人主義の背景には、キリスト教があります。ところが現代の個人主義の背景には、それはありません。しかも武士道の価値観が失われ、責任をともわなない利己主義だけが横行している。』
目新しいことは述べられていないが、陳腐ということは決してない。著者には、「文化財赤十字」運動を提唱し、例えば20年の内戦で人心の荒廃したカンボジアで、現地の人と協力して文化の修復を進めている等々の実績があるからである。「文化財を修復しようと思ったら、同時に、生きた現地の人をも救わなければならない」との信念のもと、日本人だけが修復をするのでなく、現地の人たちにかかわってもらい、自分たちの文化に対する誇りを自覚してもらおうとしている。そうした実績と体験のなかからつむぎ出された言葉、信念なのである。
著者には「文化国家」日本という将来の明確なイメージがある。それは、これまでの日本の歴史や文化を十二分に学び、砂漠を描き、現地の人たちとの交流を育んできたなかで、アジア圏のなかの日本という認識を体得した著者の、日本の目指すべき方向はこれしかない、という確かな信念のようだ。自分たちの世代で達成できなければ、次の世代に託せばよい。「連続性」が日本文化の最大の特徴だから、と著者は考えている。
このような人物とボランティア活動等のなかで巡り会えた若者がいれば、その心に灯った火は消えることがないだろう、と思う。実践して、若者を導き、夢と誇りを与える年長者との巡り合いが、その若者の人生を決めることがある。「若者の心に火を灯し、日本の将来を指し示す先達となれるのだろうか」、と自問する。

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紙の本追悼の達人

2004/02/18 18:36

文学者の死の周辺

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 「文学者の死は事件である」という発想から、新聞の追悼記事や雑誌の追悼号をもとに日本の作家の身辺を浮き彫りにした労作。明治35年没の正岡子規から昭和58年没の小林秀雄までずらーっと49人(編集者・画家も一部含む)、死亡年順に描かれる。生前の師弟・友人関係や、文学者としての位置づけ、有名なエピソード、ゴシップなどがおもしろい読み物のよう。広い視野をもって鋭く、ときには敬愛の眼差しをもって温かく、それこそ自在な筆致でまとめられており、全体で一つの文壇絵巻物のような味わい。

 故人の評価が明らかになるのが追悼であると同時に、何を書くかによって書く側も試されるのが追悼であると言う。批判と共感に激しく分かれた永井荷風。追悼文すべてが高度に文学的で、いかに慕われていたかが伝わる稀有な例としての泉鏡花。「死んで当然」「いいときに死んだ」と多くの人々に思われた嫌われ者の岩野泡鳴。身内よりも論敵に、自身の本質を理解したいい追悼を書いてもらえた毒舌家の内田魯庵などなど。

 この人とこの人が同人だったのか。この2人の間にはこれほどの論争があったのか。詩心に優れた作家だと思っていたら、これほど下世話な人間だったのか……。三面記事的な興味も十分満足させてくれる。本書を読みながら、「なるほど、こういう人の書いた作品ならもう一度読んでみたい」と感じることが何度もあった。その際にはもちろん机の脇に本書を置いて……。

 作品が読まれなくなるにしたがって、出版社は古い作家の作品を絶版にしていく傾向にある。しかし、本書を読むと、巷では埃をかぶってしまったかのごとき存在の作家が生き生きと蘇り、人間くさい魅力を発散し始める。
 現代の作家を育てていくことは、言うまでもなく出版社の重要な役割の一つだと思うが、どういう形であれ、日本の文学史に足跡を残した作家や作品の価値を位置づけ、後世に伝える責務もあるのではないか。生身に触れた人の記憶や記録を世に出す、古い作家に目を向けるきっかけになりそうな企画の書を出す(本書のように)など、方法はいろいろあるだろう。読者は常に作家のあれこれことを知りたいものなのである。

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紙の本流星ワゴン

2003/01/26 23:14

いま必要な強さがわかる

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 重松清は懐が深い。
 現代の家族の現実を見据えながら、諦めずにしなやかに生きてゆく姿勢を、押しつけがましくなく伝えてくれる。死んでしまってもいいなぁと思っている疲れ切った30代の男性が、現実を知ったまま、もう一度過去の大切な岐路に立たされ、自分の行動を選択させられる。それは魔法のような出来事なのに、現実を魔法のように変えることはできない。
 主人公の一連の行動から伝わってくるメッセージは深い。自分の人生に今現在、後悔していることがあるのなら、そこから目をそむけずにできることからやっていくしかない。劇的な変化を求めずに、自分が一歩踏み出すしかない。そんなしなやかな強さを持つことによって、窒息しそうな今が変えられるのではないか。そういう心境に達した主人公の行動が、大げさでなく共感を呼ぶ。人間は劇的には変われないのだ。だからこそ、しなやかに小さなところから変えていくしかないのだ。
 読みながら時に涙し、読み終わって体の奥深いところに、いま必要な強さを知ったことで力がわいた気がした。ちっとも素敵でない人間を書いて、どこか愛らしさを感じさせたり、共感を感じさせたりするのは、重松清の人間を見る目のあたたかさのゆえんである。現実を書いて、息苦しい読後感を与えないのは、重松清の懐の深さのゆえんである。

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