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先月(2017年5月)

羊男さんのレビュー一覧

投稿者:羊男

8 件中 1 件~ 8 件を表示

紙の本

本格小説 上

紙の本本格小説 上

2007/11/13 23:34

戦後日本を舞台にしたお伽噺しのようなストーリー

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まず、この大袈裟なタイトルは一体なんなんだろうか、と。
でも、読み始めるとそれは確かに本格的な小説だった。

字義通り、いまの日本の大半は「軽薄小説」なのではないか、と。
何を比べてそう言うかということはあるが、その内容の重厚さとか歴史的な重みから自ずと現れてくる雰囲気がこんなにも違うというのは、驚きだった。
もちろん、軽薄な小説と比べて何になるのか、という基本的な事には躓くけれども。

さて、いったい何が「本格小説」なんだろうか。
そう思って読み始めると、その大袈裟通りに「日本の近代文学の始まりとは?」みたいな場所に連れて行かれる。
大学の先生である語り手は、欧米の近代小説と比較しながら、アメリカに居て、日本のことをを考え続けている。
それは戦後にアメリカに渡った姉妹のお話でもあり、その姉妹の家族のアメリカ移住にまつわるお話でもある。
その辺りは前作の「私小説 from left to right」と同じ舞台をとっていて、途方に暮れている姉妹のことがせつなく描かれている。
それに加え、今回は両親と彼らが共同体として暮らしていた、日本の企業の社員たちの姿も描かれているし、両親の末路も悲しいほどに辛辣に描かれてもいる。
ただ、それらは本編である「本格小説」を描くための舞台装置であり、実際の主人公は単身渡米して、億万長者となった日本国籍の男性である。

それは、戦後。
軽井沢に別荘を持つ裕福な家庭に生まれた少女、よう子。
満州から流れてきたという、浮浪児同然の少年、太郎。
まだ階級の格差というものが生々しく生き残っていた時代の結ばれぬ恋愛を、彼らを分かつその死までを描いた文学的な大作だったのである。
「大作」という大時代的でもあり、映画的なキャッチコピーがとてもよく似合う純粋な恋愛小説というのが、「本格小説」の正体だったのである。

幼い頃からの出会いと、戦後の時のはやい流れとともに離れ離れになり、その後、よう子は幼馴染みと結婚をする。
太郎は渡米し、ビジネス的に大成功をおさめて、大金持ちとなってよう子の前に姿を現す。
そう、戦後日本を舞台にしたお伽噺しのようなストーリー。

つまり、読んでいるうちに作者の語り口からどうもこの小説にはお手本があって、どうやら英国の前時代に書かれた古い小説のようであることなんかも想像されてくる。
誰のどの作品なのかは自分にはわからないが、ある一族の興亡を描いた大袈裟で大時代的な家族小説のひとつなのだろう。

それにしてもこの、語り手であるためにとても抑えられているが、波乱万丈を絵に描いたような女中さんに待ち受けている果報もひどく嘘めいた成り行きにも関わらず、しっくりとなじんでしまうのが、大きな物語の中の一齣にすぎないからだとわかっていても、それを平気で読者に乗り越えさせてしまう水村美苗の筆力はたいしたものだと嬉しくも騙されてしまう。
その登場人物の心の深い処を実に追分の寂しい自然や東京のごみごみした情景と重ね合わせながら描いていく筆致には、読みながらも残りのページが薄くなるにつれてまだまだ終わって欲しくないというあの読書人の「憂鬱」がたち現れ抱きとめられ、久しぶりに充実した読書を味わえた。

普通はこうした「大袈裟な小説」はポストモダンとかなんとかいって、知的な茶々が入る半分白けた小説になってしまうのが今の常なのだが、それを見事にもう一度裏返すことに成功している珍しい小説。
その小説世界の構成は実に緻密に組み立てられていて、様々な意匠が隠れていたりすることも、著者の筆力の深さだ。
特に後半の押し隠してきた暗い情念が二人の奥底から、軽井沢の濃い霧のようにひたひたと物語を覆い尽くしていくのを、読者としては伝染病に罹ったように胸のつづまった処を侵されていくのを黙って耐えていくしかない。
ほんと、不思議に心を揺さぶられてしまう物語なのだ。

読後によくよく考えてみると、一生一人の女だけを本気で一途に愛し続けるという、超越的というか禁欲的というか、ハーレクィンのような物語という、返すがえすも辛くて切なくて怖い、「本格小説」なのであった。

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紙の本

幻影の書

紙の本幻影の書

2009/01/10 07:55

大きな後悔の物語

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

IT業界ではよく人がいなくなる。
あまりの激務に「消失」したり、行方不明になったりなするのだ。
昔、私が努めていたプロジェクトで「消失」したエンジニアが居たのだが、ひょっこりと帰ってきた。
どこに行っていたのか聞くと、鳥取砂丘でずっと砂つぶを見ていたという。

オースターの新作は、「失われた映画」を探し当てていく物語、といってよいのだろうか。
主人公の大学教授ジンマーは、その監督の消息を追う旅へ出る。
失われた映画監督ヘクターとフリーダ、ヘクターの伝記を書いた主人公とアルマの人生がクロスオーバーしていく物語といえばよいか。
実際の出会いではなく、物語の視点でのみ得られる四つの人生を重ねあわせた閉じた世界であり、その表象である言葉の世界。

これまでのオースターの小説とは何かが変わっている。
ひどく内省的な小説となったこれは哲学的なエッセイに近いものなのか。あるいは詩集「消失」の小説化といってよいのか。
個人の内奥をなるべく嘘の無いように、努めて静かに、間違いの無いように、あるいは書き落としたことがないように、その切り取った時空間の断片を、薄いガラス器のように丁寧に取り扱っている。

主人公の人生を通して、家族の死というものを、突き詰めて考え、自分が崩壊していくことを想像してみる。
その存在、事物の成り立ちについて、家族が失われた世界が現実において、起き得るべきあらゆる悲しみを想像してみること。
悲しみが、何なのかと考えてみることもなく、過ぎ去ってしまうこの人生と社会の流れの速さ。
なぜその慌ただしさに飲み込まれてしまわねばならないのか、既に起きてしまった悲しみを何度も何度も再現し、そのたびに後悔する。
そのたびに有り得ない選択肢を考え、その可能性を考え続け、後悔を続ける。
その人生の選び取り方、まるでそれが「自分」だとでも諭しているかのようでもある。

この物語の舞台になっている砂漠には、乾いた現実と失われた故郷や記憶しかない。
それは日野啓三が「砂丘が動くように」で表現したような湿った鳥取砂丘の孤独ではない。
社会とのつながりを確認するような孤独ではなく、他人とのわずかなつながりしか呼応しようのない、砂丘ではなく、砂漠としか言いようがない、ひどい世界なのだ。

たとえばそれは
「すべて本当であり、だがすべて虚偽でもある。センテンス一つひとつが嘘だが、言葉一つひとつが本心から書れていた」
といった内省的な文章がそれこそ一つひとつ積み重ねられている。
普段、私たちはそのときどきの思いや考え、そこに至る小さな決断といったものを意識せずに行なっている。
ひとつの結論に至るまでを言葉で表わそうとすれば、まどろこしくてややこしくて、お手上げになってしまう。
それをオースターはひとつひとつ文字を言葉を積み上げていく。
そういえば、レンガをそれこそひとつひとつ積み上げて壁を作り上げる物語もオースターにはあった。
そうした地道な作業を行なわなければならない背景を作り出し、ひとつの舞台を作り上げるのがオースターはとてもうまいのだ。

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紙の本

雨の日はソファで散歩

紙の本雨の日はソファで散歩

2009/08/09 07:46

敗残者が回帰する表層の世界

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

種村さんは、江戸から続く昔ながらの市井の学者のひとりだ。
昔は、異端の文学や芸術あるいは民俗を丹念に綴ったエッセイをマイナーな雑誌に書いていた人だ。
そんな異世界な人だったが、ドイツ語の雇われ講師を転々としていたりもしたようで、このエッセイはそんな不思議な種村さんの老境を語っている最後のエッセイ集だ。

ときには難しい芸術論も書く市井の学者が書くエッセイはとても読みやすく、奥が深い。

この最後の本は四部構成になっている。
「西日の徘徊老人篇」は、西に東に、酒を飲んだり、温泉に浸かったりする日々が語られる。
また「幻の豆腐を思う篇」は、種村さんがこよなく愛する、本物の豆腐を求め歩く回想が続く。
この本のタイトルになっている「雨の日はソファで散歩篇」は、種村さんのこれまで蓄えられてきた膨大な知識と、足で歩いて得た経験がみごとに、豊穣な文章として表出されている、極上の文章。
この味は歴史に残る随筆のひとつとして残っていくものだと思う。

最後の「聞き書き篇」は、おそらくもう書くことができなくなりつつあった種村さんの想いをうまく引き出したもの。
本人の酒豪遍歴を語りながら昭和の歴史と交差していく「焼け跡酒豪伝」は、貴重な語り話だ。

日本の読書界は大きな人を亡くしたと思う。
こんな飄々としたおじさんに一度会ってみたかったと思う。

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紙の本

マーティン・ドレスラーの夢

紙の本マーティン・ドレスラーの夢

2003/02/03 15:17

バベルの塔のような物語

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

立身出世の物語である。
それもアメリカのテレビドラマでやるような、非常にオーソドックスな物語展開なのである。
舞台は19世紀末のニューヨーク。
まだ荒れ地であったその場所がじょじょに時代の波に飲み込まれていき、数々の摩天楼がそびえ立っていく、まさに疾風怒濤の時代である。
主人公は煙草屋の息子。
煙草といっても時代が時代だから葉巻を売っているのである。そこで主人公は子供の頃から商才を見せ始める。
またたくまにその煙草屋の顔となり、さらにはお得意先のホテルに勤め始め、エレベーターボーイからこれまた瞬く間にホテル主の秘書にまで出世し、さらにはその社長の座まで譲られるところまでいくが、ここできっぱりとホテルを辞めた主人公は傍らにやっていたレストラン経営に本腰を入れる決心をする。
さらに出世は続き、成功したレストラン・チェーンを売りに出し、そのお金で今度はホテル建設に邁進していく。

まったく絵に描いたような立身出世物語なのである。
しかし作者はこれまで筋金入りの空想的で不条理的だけどエレガントな短編ばかり書いてきた作家なのである。
物語の2/3まではなめらかな万年筆で書かれたような、まったくエレガントとしか言い様のない文章ではあるが、先に紹介したような出世話が続いていく。
しかし最後に至っては、おそらくこの幻想都市とも言えるホテルにあってホテルにあらざる建物の不可思議な光景を描きたいためにずっと我慢して普通の物語を書いてきたのだと思わせるほどのぶっ飛びようなのである。

そのホテルらしきものの光景描写はまるでブリューゲルが描いたバベルの塔のようであり、さらにはブリューゲルが描けなかったバベルの塔の内部を執拗に記述しているかのようなのだ。
この描写だけでも読む価値は十分にある。
地上三十階、地下十二層の魔可不思議な建物はもはやホテルとかデパートといった範疇を越えて、まさに都市そのものの容貌を持ち、各階層の光景はダンテの地獄巡りを読んでいるような趣きさえあるのだ。

しかしながらこの作品は俗に言う幻想文学ではなくて、非常に19世紀のアメリカらしさを感じさせてくれる物語なのも確かだ。
これまでのアメリカ作家にはいなかったタイプの小説家と言ってもいいのかも知れない。
エレガントな作家というのはヨーロッパには数多くいるけれど、アメリカでは思いつく作家があまりいない、そんなタイプの作家だ。
フィッツジェラルドはエレガントというよりゴージャスだし、バーセルミがそれに当たるかも知れないが、彼の作品は万民向けではなく、ある意味貴族的なものだと思うし。
敢えて誰かということであれば、イギリスのSF作家バラードと似ている気はする。
かといってヨーロッパ的な作家かというとぜんぜん違うのだ。
アメリカ小説の熟成なのだとも言えるし、この作家特有の想像力が成し得た作品だとも言える。
とにかく物語の輪郭が強く印象残る、傑作であることには間違いないだろう。

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紙の本

オラクル・ナイト

紙の本オラクル・ナイト

2012/01/22 07:01

病み上がり作家の実人生

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

オースターの小説はどれも素晴らしいと思う。
それは嘘ではないのだけれど、この小説に限っては、オースターを読んだことのない読者がはじめて手に取る本ではないと思う。
いや、オースターの小説はどれも人生に悩むような人々のように複雑で、見通しが悪いのだけれど、この小説はそれが顕著に表れ過ぎている。

あとがきで訳者が、オースター本人にから聞いた話が載っていて、この小説は「弦楽四重奏」のようだという。
その例えのとおりで、この小説の中には物語内物語がいくつも語られている。
それは「ドン・キホーテ」を偏愛するオースターにとって、物語内物語は彼のほとんど全作品の欠かせない要素だと、訳者である柴田元幸の言うように。

たしかにそれがオースターの小説の魅力のひとつではある。
しかしこの作品はその魅力があまりに謎に包まれていて、それを解く鍵を見つけるのが一読では難しいからだ。
さらにこの物語の終わりがあまりに唐突すぎるのもその謎解きに拍車をかけている。
あるいは加藤有紀のように「謎はとかないで」、読み進めるとしたら、とてもよくできたハーレクィン小説として読まれるものなのかもしれない。
だからこそこの小説だけは、はじめてオースターを読む者には薦められないのだ。

それを別とすれば、この小説はとても現在的で興味深い。
世界中の電話帳を集める男がドイツで地獄の底に降りていって、世界の終わりを見たという話や核シェルターに閉じ込められる話など、村上春樹の「ねじまき鳥」を連想させる話の流れがいくつもでてくる。
オースターが村上春樹を読んでいないことはありえないけれど、「ねじまき鳥」の影響からこの小説が生まれたとも思えない。
そういった作品どうしの影響というより、現代社会を語ることの同一性からそんな既視感を覚えるのだろう。

それは、病み上がり作家が青いポルトガルの本で小説書いていたときに妻が語る、
「返事がないから、ドアを開けて覗いてみたのよ。でもあなたはいなかった」
という、今を生きる人間の根底的な存在への不条理を表すかのような不安が、この本のすべてを言い当てている。

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紙の本

本棚探偵の冒険

紙の本本棚探偵の冒険

2006/02/14 14:06

マンガより面白い、か?

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

初っぱなから黒の革手袋で有名な京極夏彦やミステリとは思えない様なミステリ作家の山口雅也と一緒に江戸川乱歩邸を探検しに行く「夢の蔵」ではまってしまった。
この喜国雅彦という漫画家は雑誌かなんかで読んだときは単なるスケベな漫画を描いているだけの人だと思っていたので、あまり期待などせずに読み始めたら、めちゃくちゃ面白い古本エッセイなのであった。
古本マニアの性としての角川文庫版横溝正史全89冊を揃えるまでを綴ったそれは、古本好きには涙無くしては読めない、壮絶な物語であったり、「マニアの部屋」ではあのM君程度!のビデオやマンガが詰め込まれている部屋で世の中は大騒ぎしているのに、彩古さんという筋金入りま古本マニアの部屋が公開されたらいったいどうなるのだ、とマジに心配したり、東北までミステリ作家の山口雅也と「僕らはお菓子の家ならぬ古本の家を目指すヘンゼルとグレーテルだ!」と旅に出たはいいが、玉砕する話などなど、古本好きの喜怒哀楽が満載なのであった。
いやはや。この続編の古本談議も出るようで、次作が楽しみである。

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紙の本

酒と家庭は読書の敵だ。

紙の本酒と家庭は読書の敵だ。

2003/02/23 18:30

純粋読書者の起源

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

これすべて、本について書かれているエッセイ集である。
本を読むだけではなくて、本を買うこと、集めることにも異様な情熱を持って生まれてきた男の感慨が溢れているエッセイ集なのである。
それらのエッセイはおおきく5つに分かれている。
一つ目は、このタイトル通り、読書がいかに必死な行為であるかについて書かれている。
ここでは読書の敵とはいったい何かという問いに対して、それは睡魔であるのだが、まあ人間は眠らないわけにはいかないから除外されている。
では残るものと言えば、酒と家庭なのである。
そして酒と家庭を敵とした著者は、未読の山にため息をついたり、「SFマガジン」のバックナンバーを揃えることに情熱を燃やしているのである。
当然ながらここまで言う著者の、本に対する姿勢は並々ならぬものがある。
そういう人がいままでどんな本を読んできたのか、どういう本が気になるのか、知りたいところである。
それが二つ目のエッセイ群であり、三木卓、マイケル・リューイン、アーサー・ケストラー、ペイトン、矢作俊彦、山手樹一郎、藤沢恒夫、源氏鶏太といった作家の本の話が続いていく。
そして三つ目は、今は無き「海燕」に連載した文芸時評である。
様々な小説雑誌に載った作品を評していくそれは、たいがい脈絡のない無味乾燥なカタログ的なものが多い。
しかしながらこの文芸時評は、失踪やら独身やら夫婦やら初老といったキーワードを無理矢理に作品群にリンクさせながら、小説の今を語るのである。
まあ、偶然はちあわせ方式みたいなものである。
ところがである。
四つ目のエッセイは競馬についてのものなのだ。
読書の敵は酒と家庭だと言いながら、必死にギャンブルに精を出しているのである。
土日に府中競馬場にいかなければ、もっと本が読めるはずなのに、である。
果たしてギャンブル好きの著者が、酒と家庭は読書の敵だ、などと公言してもよいのだろうか。
しかしここで紹介されているのは競馬本だから、まあ、いいっか。
そして最後の五つ目が、もっとも著者の本に対する愛のようなものが溢れているエッセイである。
「貸本屋に通っていた日々」というそれは、著者の高校時代の本を通した思い出がつまっている。
それは誰にでもある青春の日々であり、せつない思いも胸いっぱいの不安も遠い彼方の未来も、すべてが本を通して語られている。
「本の雑誌」を立ち上げた著者の、純粋に読書だけをしていたいといった想いのはじまりを、ここでは読むことができるのである。

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紙の本

下りの船

下りの船

2009/08/23 00:24

アブという名の少年がいた。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

何年振りになるのか、佐藤哲也の新作は、ホメーロス、カフカ、東欧文学、あるいはデューンか諸星大二郎といった物語のイメージが並ぶ、モノトーンな小説だ。

物語の始まりは神話的でありながら、読みつづけているとその背景は宇宙へ旅立っていく未来の人類の物語であり、オーソドックスなSFだった。

地球からの移民が目指した星々への来歴が語られ、その植民は古いロシアあたりの雰囲気が漂っているが、読み進むうちにそこはまるで砂の惑星のようでもあり、諸星大二郎の漫画が描くところの空虚な光景であったりする。
あるいはシベリアの収容所のような過酷な光景であっり、70年代のコミューンのような光景もわずかにあったりもする。
それらは全体を通して、カフカのような不条理で殺風景なトーンで語られている。

そこではたと、この一貫として流れている抑圧的なトーンは、かつてのプロレタリア文学ないしは東欧文学のようなものだと気付く。
どこかにあるユートピアといった大きな言葉の裏にある、暗く澱んだ精神活動にほかならないことを証明しているような小説である。

あまり万人向けではない小説だが、退屈でもなぜか途中で放り出すことができない、不思議な語り口の物語である。

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