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KENSEIさんのレビュー一覧

投稿者:KENSEI

10 件中 1 件~ 10 件を表示

紙の本ナショナリズムの克服

2003/12/31 23:24

無責任な巨根自慢

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本文中の表現を借りれば森巣が「オレのチンポコは世界中で通用するぞ。すごいだろう〜」と言い、姜が「いいなあそういうチンポコうらやましいな〜」と撫でている、ようにしかとれないのですが。それが〈克服〉なのだろうか。日本人“硬い”論から、どこが進歩しているのかは不明である。
ただ、さまざまな学問の世界における、日米の癒合体制批判の本としてなら、評価はされるべきなのかもしれない。

ずっと避けてきた(有り体に言えば嫌いな)論者である二人の対談ということで、思想の精髄が理解できればおもしろいだろうと、初めて姜・森巣両氏の本を手に取った。しかし実のところ、対談本は最初に読んではいけない本のようだ。
ファンや、両者の思想に共鳴する素地を有した人間なら、断定される結論や悪口も“電光のように(山本夏彦)”通じる。
だが保守的な言説に共感を覚える身としては、どうも反感や疑念を抑えることができない。いままでの言論の文脈を理解していれば問題ないのだろうが、説明不足かつ飛躍しているように感じる。反論をしたくて仕方がなくなる。
以前「反米という作法」(小林よしのり・西部邁)を、「新聞は朝日に限る」と常々断言している友人に貸したら、「わかるけどムカツクんだよ!」と感想が返ってきた。その気分が少し理解できた。

一番納得できなかったことは、この二人に日本を支えていくという気概がまったくないことだ。外側から無責任に囃し立てていることだ。
ナショナリズムや国家が融解するとどうなるのか。「どうなっても俺たちには都合がいい」という、二人の思惑しか読み取れない。結局世間に甘えているだけなのではないか。
もし国体を破壊したいのなら、姜は東大を出るべきだ。少数民族の発言を伝えるのに必要だから、東大の先生やっているのだろうか。筋が違うだろうというのが、素朴な感慨だ。
森巣も“電車の中でスポーツ新聞読んでるオッサン”代表のつもりらしいが、オッサンたちはオーストラリアでヒモなんかやってない。日本中のオッサンがそうなったら、誰が社会を支えるんだ。とくに森巣は論敵が逃げ回っている、と豪語しているが、単に相手にされていないだけなのでは……?

右翼的な言説はすべて観念が根底だという発言もあったのだが、二人の左翼的な言説も、観念から発しているように感じる。
こうなってくると、言葉の虚しさを感じずにはいられない。
左翼的な言説を信奉する者には、興味深い記述がある本なのだろう。しかし私にはまったく見つけられなかった。
もし機会があれば、他の著作を読んでから再度判断したい。
(結局ネグリの「帝国」を読まねば理解できんのか? あんな厚い本を)

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紙の本うつくしい子ども

2004/02/25 13:38

誠実な秀作

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「池袋ウエストゲートパーク」がハードボイルドの快作だとすると、この小説は少年事件を扱ったミステリとして、前例がないほどストレートで、かつ誠実に描かれている秀作ではないだろうか。
主人公は三人兄妹の長男である。一歳下の弟が、九歳の女の子を猟奇的に殺してしまい、マスコミと、いじめを相手に、立ち向かい続ける十四歳の少年である。にきび面だからあだ名は〈ジャガ〉。趣味は植物の観察。ジャガは妹の一言から考え始めるる。なぜ弟は人を殺してしまったのだろう。それが最悪の行いでも、誰かがわかってあげる必要があるのではないか。事件背景を自分なりに調べ出すジャガ。
いじめは日ごとにエスカレートする。人権とはなんだろう。正義とはなんだろう。少年事件についても、単純な思考を改めさせられる作品だ。
特筆すべきなのは、加害者でもなく、両親でもなく、加害者側の家族、しかも歳の近い兄が殺人者である弟を理解していく過程を描いたことだろう。ジャガが一歩一歩、考え、感じ、戦っていく姿がすばらしい。数少ない味方してくれるクラスメイトとの友情も、石田衣良風に描かれ、実に鮮やかだ。
真相を知っても最後の最後まで発揮されるジャガの優しさ。タイトルの「うつくしい子ども」とは、作中でジャガの母親が容姿の整った弟と妹をほめた言葉である。しかし「うつくしい子ども」はおそらく〈ジャガ〉へ、作者が捧げた言葉ではないだろうか。
ミステリとしてよくできている。さらにそれだけではなく、少年を書いた小説として、非常に優れた作品だ。
けなげで、せつなくて、さわやか。そんな小説を読みたい人におすすめの一冊である。

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神と、神に問いかけた人間の、絶望のドラマ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「神よ。なぜあなたは私を作ったりしたのか。神よ、私が苦しむのと同様、あなたも人を作った苦しみを苦しむがよい……」
誰もが知る〈バベルの塔〉の物語は、天にとどこうとする塔を建てた人間の高慢によって、神の鉄槌がくだされるというものだろう。他民族・多言語の原因と解釈されていることもある。
旧約聖書(=ユダヤ教の「律法」「預言者」「諸書」)のなかの「モーセ五書(律法)」は、4種(4時代)の文書が混在し、パッチワークのように組み合わさっているのだという。〈バベルの塔〉の登場する「創世記」は、2種の文書が織り交ぜられている。
著者はその1種……J資料と呼ばれる文書だけを繋ぎ合わせ、読み解いていく。するとあの〈バベルの塔〉はまったく違った〈原初史〉の結末と象徴になる。神を「ヤハウェ」と記すことから「ヤハウィスト」と称される人間の、壮大な精神が浮かび上がってくるのだ。

ヤハウィストの〈原初史〉は、一般に引用される聖書のイメージとはまったく違う。むしろ流布される寓意は、P資料と呼ばれるJ資料に反発した文書の影響を受けている。
それにしても、よく思いつきましたね、とため息をつきたくなる。長谷川三千子とヤハウィストに対してだ。そんなことちっとも考えたことありませんでしたよ。
古代バビロニアの神話や、王とシュルム(福祉)の思想などを手がかりに、ヤハウィストの考える神と人の関係を読み解いていくのだが、現れ出る「アダム」「カイン」「善悪の知識の実」は、すべてがヤハウィストの描く、神(ヤハウェ)と人(アダム)と地(アダーマー)のドラマであった。
しかしドラマは〈バベルの塔〉で、まさに混乱(バラル)のうちに幕を閉じる。その「語りそこね」に、著者はヤハウィストが知ってしまった絶望を見つける。

ヤハウィストはドラマ作家でないゆえに〈バベルの塔〉をああ書き残した。しかし私は、1人の男のドラマとして、存分に楽しんだ。〈原初史〉の最後を飾る〈バベルの塔〉こそが、ヤハウィストにとっての〈善悪の知識の実〉であった皮肉な終幕も、ドラマとして最高の幕切れだろう。
思うに、無の安寧にとどまることのできなかった〈ヤハウェ〉が求めた〈アダム〉とは、ヤハウィストのような人間ではなかったか。また思う。孤独であったのは、ヤハウェではなく、ヤハウィストではなかったか。

著者のユニークな洞察に支えられ、3000年も前に生きた1人の人物に、想いを馳せた1冊だった。

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紙の本正義の喪失 反時代的考察

2003/02/16 17:14

「なんとなくいいもの」の怖さ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者が十数年にわたり各誌で発表してきた論文を一冊にまとめた本である。著者は「なんとなくいいもの」と信じていた観念を、しなやかに転換させていく。国際関係についての論評が主だが、この本でもっとも自省したのは「フェミニズムは共産主義的階級闘争史観である」という著者の読み解きだ。
そもそも「家にいる女性はすでに全員が働いている」と再認識する。それは「人類にとってこの上なく重要な仕事」である。さらには「うんざりせずに繰り返すことができる」特殊な才能が必要だ。
「地球を動かす主婦パワー」というのはマンガ家の大野潤子が作中に使った言葉だが、古来より太陽である女性は世界を動かしてきた原動力なのだ。フェミニズムは「男女平等」と耳ざわりが良いが、女性と男性との「権力闘争」である。そもそも男女のやっていることに上下も勝ち負けもなかった。お互いにとって「必要である」と認め合いやってきた。リベラリズムによって文化が切り裂かれていく。語りつくされたはずの論題が、別の構図として甦る。誰もが「裏方」を放棄すれば歪みが生じる。その歪みは子どもたちへ映されていく。
ほかにも、第二次大戦の勝者は領土のかわりに正義を奪ったという刺激的な論説。欧米にとって正義とは不正の処罰であり、戦争は調停のできない国家間、いわばヤクザ同士の抗争と同じ。戦争に正義も悪もありえないし、負けたものが不正義の歴史を負うことになったのだ。またグローバル経済は大地の秩序を破壊した異常事態であるという解説などもあり、どれも素朴に称えていた思考が剥げ落ちる。
外交的にはアメリカの正義に追随し、国内ではすべての規制を取り払らおうとする日本は、真に考え抜いた末に結論を出して行動しているのだろうか。安易に、甘い響きに寄せられて選択してはいないだろうか。
この本が言っているのは、すでにある論だ、わかりきったことだ、国際的な常識を理解していない……感銘を受けた筆者の無知を嘲る言葉が投げかけられるかもしれない。しかしながら無知と無慮は別のものである。この本にあるのは深慮だ。「その流れが本当にいい流れなのか」と。
立ち止まって考える先達は、日々漠然と積み重ねた浅慮を、恥じるほどの論考を突きつけてくる。

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紙の本阿修羅ガール

2004/02/21 13:28

読む快感

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

舞城王太郎はこんなにも〈小説〉の書ける人だったのだ。知らなかった。「世界は密室でできている」はタイトルに惹かれ手に取ったが、版面が読みづらくて棚に戻した記憶がある。ずっとミステリ作家だと思っていた。ミステリはどちらかといえば、ストーリーが主体だろう。今回評判もよく、装丁も気になったので、どんなミステリなのかと読んでみた。まったく予想もしていなかった。すばらしい〈小説〉だった。

小説は「ただその文章を読んでいるだけで楽しい」という快感があって、詰まっている情報も、言葉の選択やリズムも、最高(携帯のメールをニチニチニチニチって描写好き)。第一部は次になにが続くのか予測できなくて、引き込まれた。ラスト最高。第二部の“文字”はジュブナイル小説の手法にあるが、効果的に使っていて感心した。いかにも、だ。「森」は言葉の力に圧倒された。ナイフのシーンの怖さや、森のシーンなどは、昔話の持っている原始的な恐怖に近いものを感じた。もちろん背景として借りているのもあるだろうが、作者のつむぐ文章の力がなければ、ここまでの表現にはならなかっただろう。また「グルグル魔人」は、この不快感を書ききってしまうところがすごい。
〈読む〉快感を味わいたいという人におすすめの一冊だ。

ただ終章の第三部。ここは登場人物の桜月淡雪の言葉を引用したい。「もうちょっと本読んだほうがいいね」。でもこの平穏で平凡なラストが、ふさわしいといえば、ふさわしいのかもしれない。

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紙の本黄金色の祈り

2004/02/18 13:25

青春のウラガワ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この小説は他人事ではない。俺のことを書いている……一部の人間はそう感じるはずだ。自意識という名の檻に囚われた人間は。
第二部のあらすじを友人に聞かされていた(だから読む気にもなったのだが)にもかかわらず、損をした気にはならなかった。
ストーリーそのものよりも、全体を通じて、主人公が覚える心情の独白があまりにもリアルなので、その独白を読んでいるだけで、あれこれ思い出しながら読みすすめてしまったのだ。
ミステリとしては禁じ手を使っているし、謎もパズラーらしからぬ簡素さだが、そこで繰り広げられる物語は、青春の“暗部”を描いて余りある。
中学のころの同姓の友人との微妙な距離のとり方や、後輩への態度。卒業旅行でやってくる先輩と、初体験ができると思い込んで行動したり。作家になってみても救われなかったり……
圧巻なのは第二部なのだが、あらすじを知っていたために、驚愕はなかった。それでも、深くうなずく。「乳房も、ただの脂肪のかたまり」
ほとんど実話だろう。そうでないとすれば、西澤は絶後の天才ではないか。

本当はずっと、テレビやマンガみたいな青春を味わいたかった。けど結局つかむことができなかった。憧れだけのそんな「青春ゾンビ」(by穂村弘)たちが深く共感できる一冊。
ラストが、きれいすぎて、ちょっと惜しい気もする。

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紙の本民主主義とは何なのか

2003/06/17 01:33

この厄介な民主主義

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「民主主義はおかしい。納得できん」というと、周囲がこぞって一斉に罵る。「ファシストか!」「言論統制されて、殺されたいのか!」……こういう人たちはおそらく明治に「なんで御真影に礼するんだ? ただの絵なのに」といったら「不敬だ!」「アカだ!」と絶叫したに違いないのである。そういうのは全体主義で言論統制じゃないんですか、と皮肉の1つももらしたくなるが、やはり殺されないだけ戦後のほうがマシではある。
学校では民主主義が、人類の叡智であるように習った。しかしその素晴らしさとはなにか、ほかの主義と比して、詳細には教えてもらえなかった(単に居眠りしていただけかもしれない)。
それでも民主主義は漠然と「いいシステムなんだろうなあ」と感じていた。歴史を学ぶうちに、社会のシステムもまたパラダイムに過ぎないことを知る。現在のシステムの利点も欠点も承知しておくべきなのは自明だろう。むしろ不勉強を指摘された気分で、本書を手に取った。

著者は民主主義を、発生間もない百年前に立ち返り、新奇で「いかがわしいもの」として捉えなおすことから論考を始める。そのまま最後まで読んでみるが……やっぱり民主主義はいかがわしい。
民主主義を支える根幹に〈国民主権〉がある。その〈国民主権〉を裏付けるものが〈人権〉であるはずだが、その〈人権〉はアメリカ独立宣言に起因し、〈神〉に与えられたというのだ。ではキリスト者以外はどうなるのだろう。未だに明確な根拠はない。
さらに民主主義=多数決という図式がまかり通っている実際がある。多数決は古来からの採決法なので、ことさら異端なものではない。〈国民主権〉が入ってきたのはシェイエスの唱えた「国民主権論」を源とするようである。
シェイエスはフランス革命前夜「国民がどんな意志を持っても、国民が欲するというだけで十分なのだ。あらゆる形式はすべてよく、その意志は常に至上最高の法である」とした。シェイエスは〈第三階級(=民衆)> のためにこの主張を行った。王様と貴族・聖職者といった特権階級に対抗するためにだ。もちろん民衆は圧倒的多数。だから「国民が欲するだけで十分」である。
しかし革命が成って〈第三階級〉だけが舞台に残ったとき、起こったのは「ヴァンデの虐殺」。少数派・反対意見の殲滅だった。〈人権〉は生きている限り、所有している。ならば殺すしかないではないか。
なんだかおかしい話ばかりである。だからこそ著者が紹介するボッブスの「リヴァイアサン」には納得する。ロックのなまぬるい社会契約論よりも、ストイックなホッブスの〈自然状態〉のほうが共感できる。殺し合いを避けるためには、お互いができる限り権利を捨てるしかない。現代の民主主義はどうもロックに偏っているように感じられる。

この「われとわれとが戦う」民主主義について、著者は「理性的な態度」をもって対峙していくしかないという。誰の意見が通るか、ではなく、どういう意見をみんなで通していくかが重要なのだろう。
だから冒頭「民主主義はおかしい」と読んだ瞬間、理性をかなぐり捨て反駁してしまった人間は、民主主義をコントロールできない。そのとき民主主義は「われとわれとが戦う」狂気へと、堕ちてしまう。
民主主義(民主主義政治)は現在のところ最良のシステムだろう。しかしながら、やはり民主主義は厄介なものだ。「理性的な態度」を保つことができる人間などそうはいない。同時に民主主義を盲信する人間ほど、自分が「理性的」であると信じているからだ。そして主義は主義。あくまで生きている人間が時代や文化・宗教にあわせ、選び取っていくものであることを忘れてはならない。
著者の書く文は常に反時代的だ。いまさらわかりきったことを、とある人は笑うかもしれない。だが私はいつもわかったような気がしていただけだった、と思い知らされるのである。

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週末の、宿の予約をする前に

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日本酒の本を読んだときもそうだった。不思議で仕方ない。〈天然温泉〉とか〈普通酒〉とか、温泉は自然と湧出してくるに決まっているし、酒だって米からつくるに決まっている。
そんな古来からの約束事を利用して、ホテル・旅館業界は詐欺まがいの行為を行ってきた。そのカラクリこそ〈循環風呂〉。お湯の使いまわしだ。なぜ循環風呂は危険なのか。どうして源泉100%でなければならないのか。その理由を伝え、温泉宿の欺瞞を指摘したのが前作だった。そして今作でも温泉を愛するがゆえ温泉教授は、新たに生じてきた問題も含め、その舌鉾を緩めない。

それにしても、現状を悪化させているのが、建設が安易に進む公営温泉施設だというのはどういうわけなのだ。
レジオネラ菌死亡事故が起きた施設を、著者が視察している。建物は美しいが、温泉を意識した構造ではないという。証言によれば、職員も衛生の知識がないようだ。結局ここでもハコモノ行政が蔓延しているのか。

この本のよいところは、現状を嘆くだけに留まらず、努力している温泉とその素晴らしさを伝え、さらにはそういった温泉に出会うための方策を提案してくれるところである。
今回なら「〈源泉100%かけ流し〉で毎日掃除している」というキーワード。〈源泉100%かけ流し〉とは、「自然に涌き出てきた温泉で浴槽を満たし、あふれたらそのまま流してしまう」ということ。宿に予約の電話を入れる前、ぜひこの本を読んで(できれば前作も)、宿に確認して欲しい。温泉が温泉であるために、源泉100%かけ流しであることは必須条件なのだ。そして毎日掃除をするということが、どれだけその宿のサービスの質を高めているか、推して知るべし、である。
また今回は温泉は風呂ではない、頭や身体を洗うところではないという大胆(?)な提言もしている。非常におもしろい。

そして、なによりも著者が紹介する温泉につかってみたくなる。
消費者が選択する武器=知識を伝授し、同時に温泉の魅力を伝授する。
最高のゼミナールだ。多くの人にこのゼミを受講してもらいたい。

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ヤクザとクソリアリズム

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いまの日本の現状は、たとえは悪いけれど、新宿の歌舞伎町で勝手に店を開いたら、ヤクザにボコボコにされて、みかじめ料を払いつづけている、そんな境遇と良く似ていると思う。いうまでもなく、ヤクザとはアメリカのことである。
それを現実と居直るのが「クソリアリズム」だろう。北朝鮮から守ってもらえなくなるなど、デメリットに対する代案を示せというが、現状に甘んじることが誇りある人間の所業とはどうしても感じられない。〈不夜城〉の劉健一ではないのだ。〈不夜城〉には興奮したが、同じ立場に立ったとき同じ行動を取りたくない。
先人は、かなわなかったものの、立ち向かう気概は示したのだ。すべては燃えて灰になってしまったが、残ったのが怯えだけというのはどういうことだろう。
小林は思想界において踏絵のような存在でありつづけている。同時に一般の人に対しても、リトマス試験紙のように反応を導き出す。不思議なことに大多数が小林の言説に触れると、あるいはファンだと公言すると、感情的になるか、失笑するかどちらかだ。困ったことである。肝心の論旨については対話してもらえない。
あなたに大切な人はいるだろうか。譲れないものはあるだろうか。指折り数えてみて、すべて捨てても構わないのなら、その「クソリアリズム」を生き続けることだ。そうでないのなら、極限の中で選ぶ答えを用意しておくことだ。
アメリカとの同盟は重要な国策だろう。しかし追従だけが選択肢ではない。いざというときは身体を張ってでも止めなくてはならない。その気概が、日本の未来をつくるし、世界の信頼をうむだろう。
この発言にリアリズムは欠如しているのだろうか。

アメリカと日米同盟を破棄して宣戦布告しろと叫んでいるわけではないのだ。
同時になぜアメリカに北朝鮮から守ってもらわなければならないのだ。
こんな短絡的で甘えた思考が恥ずかしくはないのだろうか。

じゃあ聞こう。恋人と二人で歩いていたときにライオンが現れました。
(冷静なツッコミは、なしでお願いします)
あなたはどうします?
恋人を囮にして自分は逃げると答えたなら、きっとそれがあなたのリアリズムなのでしょう。

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江戸にも恋はあったのか!

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いつからだろう。<恋愛>はずっと明治以降、西洋から輸入されたものだと信じていた。12世紀のトルバドール(吟遊詩人)が始まりだなどと、まことしやかな言説を鵜呑みにしていた。
著者はいう。江戸では<結婚>と<恋愛>は別のもの。でも恋しい人を想えば、心はふわふわ浮かんでしまう。その甘苦しい心地こそが<艶気(浮気)>なのだ……<恋愛>とは<浮気>のことであった。そして<浮気>は<結婚>という現実からの遊離でもある。
初恋や心中、男色にまでおよぶ論考は、膨大な江戸の知識に裏打ちされると同時に、著者自身の経験や恋についての考察も織り込まれ、非常に親しみやすい。
性についても包み隠さない。セックスについて。遊郭や遊女について。春画は現代のヌード写真とは違って、男女が一緒に描かれていたそうだ。なぜか舞台は屋外が多いのも興味深い。
肝心の<浮気>の話。「めおと」と題された章に、夫と心中を誓った遊女を救うため、自分の着物を質に入れる妻の話が紹介される。不思議な話のように感じるだろう。まずは遊女が心中の約束を裏切る。でも裏切りは妻に懇願されたからだったのだ。逆にあっさりと承知した遊女の反応に、妻は遊女が一人で死ぬ気だと確信する。結婚は生活のためにするもの。着物は妻の財産。当時妻の財産は、離縁すればすべて自分のものになる。めおとは平等だった。妻はすべてを投げ打って夫に遊女を身請けさせようとする。借金を清算し遊女が自由になれば、居場所などどこにもなくなってしまうというのに。遊女は妻の願いに応えた。だから二人の間には女の義理ができた。今度は妻が義理を通す番だった。
ちくしょう、いい話じゃねえか。素直に胸をうたれ、同時に江戸の感覚がいまも絶たれずに流れていることを知る。著者は「江戸の恋」を綴りながら、江戸の恋以外の部分についてまで、読者を案内していく。江戸という豊穣な世界へ。
現代は結婚や恋愛について、議論は尽きない。<権利>をどう獲得するかが常に焦点だ。<浮気結婚>を前提にするから「身を寄せ合って生きる」ことが理解できないのかもしれない。男性側の古臭い意見だろうか。
でも、江戸の感覚はいまでも続いている。そう感じ取れば、もっと自然な暮らしが営めるのではないだろうか。押し付けでも借り着でもない。猿真似でもない。脈々と受け継がれているものを、だ。

だっていまもあの人を想えば、こんなにも心は浮き立ち、締め付けられる。
胸の内を結論付けに使うのは、いささか邪道だろうか。

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